新暦75年5月29日
クラナガン・地上本部・刑事部特別捜査一課
管理局地上本部にある刑事部特別捜査一課の一室に案内されたオレは一課の課長から形式的な質問を受けていた。
「こちらの捜査官であるセシリア・バースはそんな高圧的な命令をした覚えはないと言っているが?」
セシリアの命令があまりにも状況とかけ離れた命令だったため、命令を無視したと伝えたら、そう返された。
そんな手ありか。
言ってませんなんて卑怯すぎるだろ。
「記録には残っていないと?」
「記録には現場待機を命じた事が記録されているが、君が言った命令はどこにもない」
情報改竄。それは立派な犯罪だ。
ヴァリアントに音声記録を取っておかせればよかった。こうなってしまえば、第一分隊の分隊長の証言があってもセシリアへの追求は厳しいだろう。
「そうなるとだ。君の命令違反が残るんだが? セシリアもあの場の人間を確認後、すぐに連絡を取るつもりだったと言っている」
追求が始まる。
それから逃げる方法はいくらでもある。そちらの命令は正しかった。少し命令をきき間違えた。
ようは特別捜査一課に非がない事を認めてしまえばいい。そうすれば、こんな所で拘束されないで済む。ただし、この一件で特別捜査一課を突く事はできなくなるが。
さて、どうすべきか。部隊長からはなるべく粘るように言われているが、情報改竄してくるのは予想外だ。ここは認めて、さっさと解放してもらうのが一番か。
そう思い、口を開こうとした時、ドアが開いて局員の制服を着た男が入ってくる。
「取り調べ中だぞ?」
「申し訳ありません。それが……」
男が課長に耳打ちする。
不機嫌そうだった課長の表情が徐々に焦ったものへと変わる。
何かが起きたな。事件か、それとも不祥事か。なんにしろ、動揺したなら好都合だ。ちょっと突いてみるか。
「課長。自分は間違いなくバース准尉の命令を聞きました。記録に残っていないと言うのはどういう事でしょうか?」
課長が尋常じゃない勢いで睨んでくる。
さっきまで余裕だったのに、随分な変化だな。
そう思っていると、課長がゆっくり立ち上がる。
「取り調べは以上だ。君は今すぐ中央タワーの展望室へ向かいたまえ」
「こちらの質問に答えて頂いてませんが?」
「本部長からの命令だ! 今すぐ行きたまえ!!」
予想外の役職が出てきて、今度はオレが混乱する。
本部長。つまり地上本部の本部長だ。その人がわざわざ下士官のオレに命令するなんて普通じゃ有り得ない話だ。
「復唱はどうした!?」
「はっ! カイト・リアナード陸曹長。これより中央タワーの展望室へ向かいます」
殆ど八つ当たり気味に怒鳴られるが、オレはそんな事を気にしていられない。地上本部の本部長とオレじゃ接点が無さすぎる。
どういうことなのだろう。
不思議に思いつつ、警戒しながら、オレは中央タワーの展望室へ向かった。
中央タワーの展望室には滅多に人が来ない。というか、かなり階級の高い人間が使う事が多いため、一般局員では入室の許可すら降りない。
中央タワーの上層に来たのも初めてなのに、まさかいきなり展望室に来る事になるとは。
連絡が通っていたのか、IDチェックだけですんなりと展望室に入れた。
入口付近には誰も居ない。
見渡しても誰もいない。一体、どういう理由で呼んだのか。会うためだろうか。何かを伝えるためだろうか。
そんな事を考えつつ、クラナガンを一望できる機会な為、ゆっくり窓へと近づく。
一面に広がるクラナガンの近代的な街並みを見渡す。
「どうかな? それが君が守っている街だよ」
オレは後ろから声を掛けられて、すぐさま振り向いて敬礼する。
「失礼致しました!」
「失礼も何も、ここは展望室だよ? 街並みを見るのは当然さ」
後ろに居たのはオレと同じくらいの背丈で、眼鏡を掛けた老人だった。ニコリと笑う表情は少年のように快活だ。白衣を着ているため、技術系か医療系の人だろう。後ろで結っている髪は白くなっていが、豊かで、背中に届くほどだ。
分かる事は、少なくともこの人は本部長ではない。
だが、見たことがない。ここに入れるという事はかなりの権限を持っている筈だが。
「おっと、失礼。自己紹介がまだだったね。時空管理局地上本部顧問官。レイ・ホールトンだよ」
「顧問官!? し、失礼致しました!」
顧問官は過去に管理局で多大な実績を残した者しか就けないアドバイザー的な役職だ。
地上本部に顧問官が居たなんて初めて知った。しかし、この人の事は全く知らない。名前を聞いてもわからない。
「そうだ。はい。ヴァリアントのメンテナンスをしておいたよ」
『お疲れさんだな、相棒。暇だったからレイにメンテナンスをしといてもらったぜ』
「ヴァリアント……」
ホールトン顧問官が白衣のポケットから待機状態のヴァリアントを取り出して、オレの手に握らせる。
ヴァリアントが名前を呼んだりする場合にはルールがある。
相棒と認めた使用者が名前で呼んでいない場合は、呼ばない。これは殆ど例外がない。
しかし、オレはこのホールトン顧問官を知らない。それなのに随分と親しげだ。こういうのは前にもあった。
師匠の知り合いと会うときは大体、こんな感じだ。
「ホールトン顧問官……。その、お伺いしたいことがあります」
「私と君の師匠との関係かな? 色々あるよ。私が被害者であいつが加害者。私が研究者であいつが被験者。私が財布担当であいつが出費担当」
「ご友人なんですね……わかりました……」
「うんうん。そうとも言うね。腐れ縁とも言うし、悪友とも言うね……。でも親友が一番しっくりくるね」
何度も頷きながら笑うホールトン顧問官は最後にそう締めくくる。
この人も師匠と共に管理局を支えた人。
『レイは俺の開発者でもあるんだぜ? デバイス開発の第一人者だ』
「ヴァリアントの!? では、今もデバイスを?」
オレの質問にホールトン顧問官は悲しげな表情を浮かべて首を横に振る。
「私はもうデバイスを作らない。アドバイスはするけれど、自分の手で作る事はこの先もないとおもうよ」
「何故ですか? お言葉ですが、優秀なデバイスは魔導師の力を飛躍的に向上させます。ヴァリアントほどのインテリジェントデバイスを作れるなら……」
「私のデバイス作りは十年前に終わっているんだよ。最高傑作を作ってしまってね」
最高傑作を作ったと言う割には全く嬉しそうじゃない。それどころか逆に後悔しているような雰囲気がある。
「しまった?」
「十年前。私はグレアムの要請で一つのストレージデバイスを作る事に協力した。名は氷結の杖デュランダル。グレアムは何も話さなかったが、私には分かっていた。これで闇の書の主を封印するつもりなのだと。分かっていながら、私は協力した。私も親しい者を闇の書の暴走で失っていたし、一人の犠牲で、どうにかできるなら、それで良いと思っていた」
「それがデバイスを作らない理由ですか……?」
「その後が理由だよ。事件が奇跡的な結果に終わり、その時はじめて、私は闇の書の主がまだ九歳の女の子と知った。それから私はデバイスを作らない事を決めたんだ。まぁ私の昔話はこのくらいにしよう。つまらないし、今は関係ないしね」
ホールトン顧問官は照れたように笑うと、外の景色へ視線を向ける。
それに釣られて、オレも外の景色を見る。
「今は、この街を守る事を考えないとだからね」
「そう言えば、オレは本部長に呼び出された筈なんですが……?」
オレがそう聞くと、ホールトン顧問官は何やら笑い始める。
多分、ここにホールトン顧問官がいると言う事は、ホールトン顧問官が手を回してくれた筈なんだが。
「いや、すまないね。君をこちらに来させるように言ったのは私なんだが、流石に私が直接言うのは問題でね。だから本部長を動かしたんだ。いや、本部長の地位にいるのに先輩には逆らえない男だから、不憫でね」
だから笑ってしまったと。
確かに地上本部のトップのはずなのに傀儡化されてるのは哀れとしか言い様がないが。
「レジアス中将の後輩でもあるとか?」
「そうだよ。首都防衛隊のね。しかし、少しキナ臭いのも事実だ」
「どう言う事ですか?」
「最近、傀儡だった本部長がいろいろとやっているんだよ。特別捜査一課の設立も本部長の案で、今も管轄は本部長の直轄に近い。本部で何かが起きてるのは確かだよ。ってランディ君に伝えてくれるかな?」
なるほど、この人が動いたのは部隊長の頼みからか。
しかし、特別捜査一課は本部長絡みなのか。管理局地上の形式上はトップなのに。
オレが敬礼して、伝言を復唱すると、ホールトン顧問官が小さく笑い、この後の事を聞いてくる。
「この後に予定は? 無いなら食事でもどうかな?」
「その……会いたい人がいるんです……」
「会いたい? 誰にだい?」
「コファード一佐です。アポイントも取ってあります」
「凶悪犯罪対策課のコファード君か……。彼に会いたいと言う人間の用件は大抵一緒だから、彼の補佐官が先に対応して殆どを断っているのを知ってるかい?」
それは初めて聞いた。オレはゆっくり首を横へ振る。
何て事だ。よりによって会えないなんて。
会っても話を聞いてもらえない可能性はあったが、まさか会えないだなんて。
「まぁ君を信頼してみようか。会わせてあげるよ」
そう言うと、ホールトン顧問官は白衣を翻してさっさとエレベーターの方向へ向かっていく。
はっとして、オレは慌ててホールトン顧問官を追った。
◆◆◆
地上本部・凶悪犯罪対策課。
凶悪犯罪対策課はクラナガンで起こる陸士部隊の捜査では対処しきれない事件を担当する課で、特別捜査一課ができるまではクラナガン最高の捜査担当だった。
とはいえ、特別捜査一課ができたからここが仕事に困ると言う事はない。
怒号のように各局員が書類やデータを持って動き回り、どんどん室内に出ては入ってきている。
入るのすら躊躇いそうになる状況を見ても、気にした様子もなく、ホールトン顧問官はすいすいと局員の間を縫って、進んでしまう。
置いてかれないように後を追うが、何度か大柄な局員や鬼気迫る表情の局員とぶつかり、睨まれてしまう。
ここは恐ろしい所だ。
どうにか局員の密集地帯を抜けた後、未だにバクバクとうるさい胸を右手で押さえながら、そう心の底から思った。
「大丈夫かい? 少し忙しそうだし、早く済ましてしまおう」
ホールトン顧問官は今、少しと言った。これでか。
なんて場所だ。
いや、当たり前か。彼らの管轄はクラナガン全体だ。陸士110部隊のように限定された管轄区域を持っている訳じゃない。クラナガンで起こる事は凶悪犯罪は彼らの担当なのだ。
「こんにちは。コファード一佐」
「これは顧問官。何か御用ですか? 見ての通りの状況なのですが?」
大きめのデスクに座っている壮年の男性、コファード一佐が顎で室内の様子を示しながら顧問官へそう返す。
明らかに邪魔と言っている態度だが、ホールトンは全く気にしてないのか笑顔で話を進める。
「すぐに終わる筈だよ。とりあえず、デバイスの強化案は私が推薦しておくよ」
「それはありがたいですな。それで? その代わりに何をしろと?」
「彼の話を聞いてあげて欲しい。君にどうしても聞いて欲しい事があるそうだよ」
そういうとホールトン顧問官はこの場から離れてしまう。大きめのデスクを挟んで、オレはコファード一佐と向き合う。
強面の顔が少し険しくなる。オレなんかに関わっている暇をないと言った所だろうか。実際、その通りだろうが、ここでティアナの話を耳に入れとかないと、この人はティアナに真実を話す機会を逸してしまうかもしれない。
「陸士110部隊所属のカイト・リアナード陸曹長であります」
「知っている。ガジェットへの対策の時に話をしていたな。それで? 顧問官まで引っ張り出して何のようだ?」
鋭い眼光に思わず萎縮しそうになるが、腹に力を入れて視線を合わせる。
今は時間がないから、一々ホールトン顧問官について説明している暇はない。必要な事をしっかり伝える。
「ティアナ・ランスターと言う局員をご存知でしょうか?」
「……これからの発言に気をつけろ。陸曹長」
鋭い眼光に威圧感が増す。
これだから古参の局員の人と話すのはキツイ。いくつも死線を潜ってるせいか、異様に目に力がある。
「はっ! そのティアナ・ランスターは現在、本局所属の機動六課に居り、先日、模擬戦で問題行動を起こしています」
「それがどうした?」
「兄の死の影響で、随分と追い詰められていたようです。今は問題も解消されて、精神的に落ち着いています。六課の情報は本部には来ないので、お耳に入っていないかと思い、お伝えしました」
「貴様は何故、機動六課の情報が本部に来ないか分かっているのか?」
「本局が地上本部に突つかれないように情報を遮断しているからです」
オレが正直にそう答えるとコファード一佐の目から威圧感が無くなる。
コファード一佐は溜息を吐くと、デスクの上にあるお茶を一口飲む。
「私がそれを地上本部に広めれば、六課の不安材料になるかもしれんぞ?」
「ガジェットへの対策を受け持つ一佐が、地上に置けるガジェット対策の有効手段である六課に不利になることはしないと判断しました」
「それだけでは薄いな。本命はなんだ?」
こちらを見透かすように目を向けてくるコファード一佐に内心、焦りつつ、表面上は冷静にオレは本命の理由を告げる。
「ランディ部隊長が信頼している方なら信頼できると思いました。それに……部下を大事にすると言ってもおられたので」
「ハルバートンめ。話をもらしたのは奴か。部下を大事にする男だから、部下の親類も大事にするとでも思ったか?」
「では、どなたが親類の居ないティアナ・ランスターを支援していたのでしょうか?」
「さぁな。私が知る訳ないだろ? まぁいい。話は終わりだ。私は忙しい」
コファード一佐はそういうと手を振ってオレを追い払う。
それに敬礼で答えつつ、オレは踵を返す。
「リアナード陸曹長」
「はい?」
「ティアナ・ランスターは元気か?」
「友人や先輩と仲良くやっているようです」
「そうか。では行け」
呼び止められた後、全く興味なさ気な感じでコファード一佐が聞いてきた。
デスクの書類に視線を落としているし、本当に興味がない可能性もあるが。
『素直じゃねぇ男だな』
「どうだか。まぁ六課の事は言わないだろうし、ティアナの事もこれで考えてくれるんじゃないか?」
『そうだな。成長してるって分かっただろうしな。しかし、どうしてこんな性急に動いたんだ?』
「ティアナは執務官志望らしいから。本局に行ったら話す機会がなくなるだろ? おそらく六課が解散するまでが最後のチャンスだ」
オレはそう言うと凶悪犯罪対策課から出て、ホールトン顧問官を探す。
少し離れた所にある自販機の前に居たホールトン顧問官がこちらに笑みを向ける。
「上手く行ったかい?」
「まぁまぁです」
「そうかい。それじゃあ食事と行こう。オライオンと言う美味しい店を知っていてね」
「それは楽しみです」
上機嫌なホールトン顧問官の言葉に笑いを噛み殺しながら、オレはそう答えた。