暗闇の中で、オレは浮いていた。自分が寝てるのか立ってるのかもわからない。
けれど。
熱い。
そんな中でそれだけは感じた。
体のあちこち、特に両腕は酷い。
マグマに腕を突っ込んでるような感覚だ。
その熱さは徐々に痛みを伴いはじめて、感覚の殆どを失って、精神的に追い込まれてるオレに追い討ちをかけてくる。
痛みは徐々に増して行き、やがて、熱さを上回り、体中が痛みに支配される。
苦しい、辛い、そんな事を思う前に痛い。
痛みで頭がどうにかなりそうになった時。
オレは目覚めた。
薄らと開けた目にぼやけた女性の顔が映る。
「……はや……て……?」
「残念ね。愛しの彼女じゃないわよ」
聞き慣れた、しかし、最近は直接聞く事がなかった声が耳に届く。
からかいが混じった口調は変わっていない。
視界が鮮明になる。
茶色の髪を肩口で切り揃えた中年の女性がイヤミのない笑みを浮かべて、オレを覗き込んでいた。
「……かあさん……?」
「あら? 残念そうね? 目覚めて最初に見るのが私じゃ嫌? 子供の頃は私を見る度にきゃっきゃっ言ってたのに」
「……覚えて……ないよ……」
喋るのが辛い。
いや、それだけじゃなくて目を開けてるのも辛い。
頭が混乱して、まとまらない。
何で、オレは寝ていて、傍に母さんが居るのか。
「混乱してるわね。まぁ二週間ぶりに目を開けたんだから仕方ないかしらね」
母さんの一言に愕然とする。
今、確かに母さんは二週間ぶりと言った。
二週間も何で、オレは寝ていた。
「覚えてないの? カイト、あんたは任務中に重傷を負って、一時は生死を彷徨ってたんだよ? 容態が安定してから、私が入院してるこの病院に移されたの」
母さんはそう説明する。
任務。
そう任務中だった。
オレははやてを。
護衛してた。
「は、やて……は……?」
オレが必死に絞り出した言葉を聞いて、母さんは溜息を吐く。
「無事って聞いてるわよ。怪我一つないってヨーゼフさんは言ってたから、あんたは自分の事をまず考えなさいな」
「……よかっ……た……」
オレはそう言うと、抗い難い眠気の波にのまれて、静かに目を閉じた。
◆◆◆
新暦75年7月29日。
ミッドチルダ北部・私立病院。
「目を覚ましたみたいだな?」
「ええ。さっき少しだけ。自分の事をそっちのけで、はやてって子を心配してましたよ」
病院の屋上で広がる自然を眺めていた私の後ろから、老いても衰えを知らない老人、ヨーゼフ・カーターが声を掛けてくる。
動かぬ足の代わりをしている車椅子をスティックで操作して、百八十度向きを変える。
向き合う形になったヨーゼフさんの顔を見つつ、この老人との不思議な縁に私は感謝した。
管理局地上の英雄。
地上本部のストライカー。
幼い頃、何度か画面の向こうで見た管理局の局員が、まさか息子の師匠となるとは、あの時は想像すらしなかった。
「あの馬鹿弟子が心配か……。自分勝手な話だな」
「そうですね。二週間も眠り続けて、起きたら女の子の心配だなんて。随分な話です」
表面上は溜息を吐いて、呆れつつも、心の中では安心が大部分を占めていた。
ヨーゼフさんに弟子入りし、訓練校に入り、管理局に入局し、多くの事件や人に出会ったおかげで、カイトは成長した。それこそ、赤ん坊が言葉を話せるようになるくらい、劇的な成長を見せた。
自分の身よりも大切な誰かを、何かを持っている人はとても少ない。
成長し、自分よりも大切な誰かを見つけられた。それだけで、あの日、入局に反対しなくてよかったと思える。
違う。それがなければ、とてもよかったなどと肯定的には捉えれない。
入院の報告を聞く度に心はざわついていたけれど、入院している姿を見ると、私はとんでもない過ちをしてしまったのではないかと思ってしまう。
人々を守る管理局の局員。
その一員となったからには、一人の対等な人間と扱おうと決めて、カイトの生き方には一切、口を挟まなかった。そのツケが今になって来てる気がした。
「馬鹿弟子の体のダメージはそこまで深くはない。どんな理由があるかは知らんが、戦闘記録を見る限り、敵は力をセーブしていたようだしな」
「それは朗報ですね」
「それがそうでもない。あいつの両腕は思った以上に深刻だ。治るまでには時間が必要だろうさ」
「どれくらいですか?」
「長くて数年。早くて、これは俺の場合だが、数ヶ月。俺が似たような状況になった時よりは軽い症状だから、まぁ動く分には動けるだろうがな」
あまり嬉しくない情報だ。
動ければ、動くはず。あの子の性格からして、待っている事は出来ない。
この病院はリハビリにとても力を入れてる病院だから、もしかしたら、すぐに動けるようになってしまうかもしれない。
無茶や無理する姿は見たくはない。
「無茶をさせないようにしてくれませんか?」
「まぁ、その為に来たようなものだしな。少なくとも、同じ事を繰り返させないように、扱い方を教える必要がある」
「確か……ミーティアでしたか?」
ヨーゼフさんは小さく頷くと、病院の屋上から周囲を見渡しながら説明を始める。
「バリエーションの一つと言うべきか、本来の使い方と言うべきか。ミーティアは元々、旧暦の時代に考案された特攻用の魔法だ。本来なら使えば数分と持たずに体が限界を迎える。それにリミッターを付けたり、反動への防御をあげたりする事で使用可能レベルにしている。馬鹿弟子はそれを無意識に超えてしまって、体への反動を度外視した本来のミーティアを使ってしまった。時間や回数の関係で腕だけで済んだが、使い方がわからないまま乱発すれば死を招く」
「ヨーゼフさんはそれを安全に使えるんですか?」
「俺も自由自在に使える訳じゃない。だが、効果を限定して、回数制限付きの魔法として使う事には成功した。俺の切り札だった魔法だ」
つまり、カイトは教わっていないものを無意識に使ってしまったと。
この常識離れした老人ですら教えなかった魔法だ。言葉の通り、死の危険性が高いのだろう。
ヨーゼフさんですら切り札としておく魔法と言う事は威力も相当なモノのはず。
そんなモノをカイトが扱えるようになってしまったら。
「また無茶をするはず……」
「だが、教えない訳にはいかん。一度使えば、あの馬鹿弟子の事だ。追い詰められれば、もう一度と思うだろう。次は今回のように命が助かる保証はない。それに」
「分かってますよ。あの子は力を必要としている。昔のようにあなたへの憧れと言う漠然としたものの為ではなく、守りたい人の為に」
カイトは変わった。
子供の頃からの憧れであるヨーゼフ・カーターと言う遠くに浮かぶ英雄から、もっと自分に近い像を見て、近づこうとし始めた。
それは明確な目的が見つかったから。
「夜天の王にして闇の書の事件の当事者、八神はやて。俺が望んだ通りにあいつは距離を縮め、守ろうとしている」
「それは違いますよ。はじまりはあなたかもしれませんが、今、カイトがそのはやてと言う子を守りたいと言うのは、あの子自身の意思のはず。そこにあなたの思いは関係ない。あなたの後継者として守りたいと思ってる訳じゃない。あの子が、カイトが守りたいと思っているから、守っているんです」
私の言葉にヨーゼフさんは微かに目を見開き、静かに閉じる。
ヨーゼフさんからカイトを弟子にした理由やヨーゼフさん自身の思いは聞いている。
そして、カイトはとてもヨーゼフさんに影響を受けている。その力、考え方、生き方、思い。
それらは確かにカイトに引き継がれているけれど、それはヨーゼフ・カーターの代わりとして引き継いでいる訳じゃない。カイトがカイトとして、その内にヨーゼフ・カーターの多くを取り込んでいるだけ。
「カイトは確かにあなたの後継者かもしれないですが、あなたの代わりじゃない。なにせ、ヨーゼフ・カーターの弟子ですから。しっかり、自分の意思を持っていますよ」
「そうか……。そうだな。しかし、流石は母親。息子の事はよく分かっているな?」
「ええ。母親ですから。ですけど……一つだけ予想外が」
私の言葉にヨーゼフさんが首を傾げる。
小さく溜息を吐き、頬に右手を添えながら言う。
「まさか古代ベルカの王を好きになるなんて。母親としてはもう少し身の丈にあった女の子を選んで欲しい所です」
◆◆◆
同日。
機動六課・本部隊舎・部隊長室。
私の襲撃事件から二週間。
事件の担当は特別捜査一課になってしまい、謎の傀儡兵に襲撃されたアトスたちは隔離された病院へ搬入され、事情聴取の許可は容態が安定しない事を理由にいつまで経ってもおりて来いひん。
カイト君は母親からの希望もあって、ミッド北部の私立病院に移された。
二週間。
機動六課の仕事に忙殺され続けてもうた。
そう考えて、小さく首を振る。
忙殺されたなんて嘘や。自分から仕事を抱え込んだ癖に。
仕事が終わって、手が空くとどうしても思考の海に沈んでまう。
どうしてあの時動けなかったのか。どうしてもっと上手く対策を立てられなかったのか。どうして、最後の最後で傀儡兵の襲撃を許してしまったのか。
アトスたちからは未だに情報を得られない。
私は黒幕に近づく千載一遇のチャンスをふいにしてもうた。
何も残せへんかった。
カイト君の助けには入らず、アトスたちからは情報を得られず、私は何がしたかったんやろうか。
残ったのは重傷のカイト君とアトスたち。
事件の担当は特別捜査一課である以上、機動六課としては動けない。なにより、機動六課にはそこまでの余裕はあらへん。
協力関係にある110部隊もカイト君を欠いたせいで、前よりも余裕を失ってしもうた。スムーズな捜査は期待出来ひん。
アトス達という手がかりをモノにできなかった時点で、捜査は振り出しに戻ってしもうとる。それもこれも。
「私のせいや……」
あの時。カイト君と一緒にアトスたちと戦っとったら、また違った展開があったはずやのに。
どうしてあそこで家の子たちとアトスたちを重ねたのか。
どうして目の前でカイトが血を流すのを見てるだけやったのか。
後悔ばかりが頭をよぎる。
あかんと思っても、気持ちがネガティブになるのを止められへん。
いつもならこう言う時はカイト君と話をしとったのに。
今はそのカイト君は居らへん。
「結構……頼っとったんやなぁ……」
なのはちゃんやフェイトちゃんとはまた違った意味で、居なくちゃ駄目な人やった。分かってるつもりやった。けど、自分で思ってたより、カイト君の存在は大きかった。
居なくなって、どれだけ頼ってたかわかる。
そんな人を私は見捨ててもうた。
私の命を狙った犯罪者と天秤に掛けてもうた。
裏切りと言ってもええ。
自分のした事が今になっても信じられへん。
何であの時動かんかったのか。
何であの時魔法を撃たなかったのか。
選択肢は幾らでもあったはずやなのに。助ける手段は幾らでもあったはずやのに。
それを選ばなかった。自分の意思で。
助けられなかったんと違う。助けなかったんや。
何度も助けてくれた人を。何度も励ましてくれた人を。
私は見捨てた。
それだけでも許されないのに、今、私はカイト君に会いたがっとる。
話がしたい。それだけでええ。
ただ話ができればええ。いつもみたいに。
目が覚めたカイト君が私にどんな感情を抱いて、どんな言葉を投げかけてくるか分からへん。それは考えたくない。
そういう事は置いておいて、今、話がしたい。声が聞きたい。
随分と遠くの病院におるから、今どんな状態なのかもわからへん。目が覚めたのか。それともまだ眠ったままなのか。
知りたい。会いたい。話したい。
「……都合の良い時だけ頼りたがるなんて……最低やな……」
そもそもカイト君が私を許すはずがない。
幾らなんでも見過ごせる事やない。
カイト君が許してくれても、私が私を許せない。少なくとも、私は私を許す気はあらへん。
ゆっくり息を吐いてから目を瞑る。
リセットせんと。頭の中を空にせんと。
十秒ほどで自分を落ち着かせた後、私は気を紛らわす為に部屋から出る事を決めて、部隊長室を後にした。