新暦75年8月5日。
意識が回復し、ようやく体を起こせるようになったオレに待っていたのは、自分が負ったダメージの深刻さについての話と、アトスたちが襲撃を受け、隔離病院に搬送され、結局、はやてを狙っていた黒幕が掴めなかったと言う報告書だった。
「動けるようになるまで、どれくらい掛かりますか?」
「腕以外の完治は二週間ほどかと。ただ、腕に関しては全く見当もつかないと言うのが正直な所です。何せ、リアナードさんの腕の状態は今まで見たこともない状態ですから……」
重傷を負い、それでも現場に向かいたいと思い、リハビリをする管理局の局員を大勢見てきた医師が言うのだから、相当ヤバイ状態なんだろう。
まぁ見た目からして真っ黒らしいし。今はギブスと包帯で真っ白だが。
腕に関しては今は考えても仕方ない。
いや。考えたくないが正解か。
そうは言っても、考えた所でどうにもならない。
オレへの話を終えて、病室から出て行く医師に礼を言いつつ、先ほどまで目を通していた報告書を再度、見る。
病室に備え付けられているモニターに映された報告書に纏められているのは、大きく分けて二つ。
分かっている事と分かっていない事だ。
恐らく、報告書を纏めたのは分隊長だろう。簡潔に、そしてわかりやすい。
分かっている事は、はやてを狙う黒幕の指示で動いていたであろう重要参考人。つまり、アトス、ポルトス、アラミスの三人が襲撃を受けて、管理局直属の隔離病院に居ると言う事と、事件の担当が特別捜査一課になったと言う事。
そして、特別捜査一課からの情報提供が一切なく、機動六課、陸士110部隊が保有していた捜査資料は全て特別捜査一課に移動させられたと言う事。
ここまでは確定事項。
次に分かっていない事だ。
まず、アトスたちを襲撃した傀儡兵。
便宜上、傀儡兵と言っているが、傀儡兵なのか全身を武装した騎士なのかは分かっていない。ただ、消耗していたとは言え、アトスたち三人を瞬時に切り伏せる力を持っており、アトスと類似の移動手段で逃走を図った事などから、アトスたちのデータを元に作られた特殊な傀儡兵かもしれないと、陸士110部隊の技術班は考えてるらしい。
その傀儡兵のシルエットは鎧を着た男性の騎士のような型で、背丈は190センチ程度。
全身が真っ黒で、人が全身に鎧を装着していると言われれば、信じてしまいそうなほど、滑らかに動く。殆ど人間と変わりはない。
最近多発している傀儡兵とも武装や一部の形状に類似する部分もあるため、はやてを狙っている黒幕は、傀儡兵を操っている黒幕と同一人物か、または協力関係にあるという可能性も有り得る。
分からない事はまだある。
なぜ特別捜査一課が事件の担当になるのか。
クラナガンで起きる難解な事件を特別捜査一課が担当する事はおかしくはない。しかし、機動六課と陸士110部隊という、優秀な捜査班を抱える部隊の事件をわざわざ担当するのはおかしい。特別捜査一課も暇では無いはずだ。彼らはクラナガン全体の難解事件を多数抱えているのだから。
前回、アトスたちが現れた時も不自然なまでに特別捜査一課はこちらに干渉してきた。
それにこちらの捜査資料も持って行ってしまった。
これをどうみるべきか。
偶然とするべきか。それとも、偶然ではないとするべきか。
それ次第でこちらの動きは色々と変わってくる。
とりあえず、陸士110部隊の第一分隊は特別捜査一課を探ってみる事に決めたらしい。
部隊長の事だ。色々と考えを張り巡らせながら動くだろうけど、あの人の得意技は繋がりを使う事だ。誰が信頼出来るか分からない状況で、どうするのか。
そんな事を考えていると、病室のドアが開いた。
こちらに伺いもたてずに入ってくるのはこの病院には二人しか居ない。
師匠と母さんだ。
「あら? 元気そうね……」
「息子が元気になったのに、残念そうにするの止めてくれないかなぁ……」
ベッドの上で体を起こしていたオレを見て、車椅子に乗った母さんは、頬に手を当てて残念そうに呟く。
母さんの車椅子を押してきた師匠は、母さんをベッドの右まで送ると、自分は肩を何度か回しながら、ベッドの左にある椅子へ向かう。
「最近、肩がこるって事を初めて体験してなぁ。意外と辛いもんだ。俺も年を取ったもんだなぁ」
「その年で初めて肩をこったんですか!? 今まで一度もなかったんですか!?」
「あるわけないだろう」
「夜勤明けでも!? 任務明けでも!?」
「ない。何だ? お前はあるのか?」
驚くオレに対して、師匠は聞いてくる。
肩をこる程度なら何度もある。というか、割とハードな任務明けはかなり肩がカチカチだ。
「ありますよ……」
「若いのに情けない。だから馬鹿弟子なんだ」
「私もあんまりないわねぇ。ねぇ、カイト。肩揉んであげましょうか?」
「いいよ、今はこってないし……あと、師匠。オレがおかしいみたいに言ってますけど、管理局の激務で肩がこらない師匠の方がおかしいんですよ?」
オレがそう指摘をすると師匠は鼻で笑い、椅子の背もたれに体重を預けると、こちらを馬鹿にしたように言う。
「あーです、こーですとうるさいぞ。馬鹿弟子。だから、負けるんだ」
まったく言い返せない。
今の話の流れで何で、オレが負けた話に繋がるのかわからないけど、とりあえずそこにツッコミを入れても、手痛いしっぺ返しを食らうだけだから止めておこう。
「でもなかなか善戦したんでしょ?」
「違うよ。管理局員に求められるのは結果。善戦した所で、結果を出せなければ、市民は納得しない。オレたちはそれが仕事で、やって当たり前だから」
「ならカイトは目的を果たせてるし、結果を出してると取れるんじゃないですか?」
オレは首を捻る。
はて、結果を出した覚えはないけれど。
「守れたんでしょ? そのはやてちゃんって女の子を。なら、いいじゃないの」
「オレは守れてない。オレは……」
「結果が求められるんでしょ? なら結果は出てるじゃない。狙われた子は無事なら、守ってた側の勝利でしょ? 悪いけど、私たち市民は管理局のカイト・リアナードって言う個人に何かして欲しい訳じゃないわ。誰もあんたが負けた事なんて気にしないわよ」
「オレが気にするんだよ……」
母さんは励ましてるつもりかもしれないけど、全く励みにならない。逆に落ち込んでしまうから止めて欲しい。
回復までどれほど掛かるか分からない怪我をして、オレが得たものは何もない。
「随分とわがままになったものね。自分の納得まで求めて。一番大切な人が無事なら、後はどうでもいいってくらいじゃないと、その一番大切な人を失うわよ?」
呆れたような口調で母さんがそう言う。
それは確かにその通りだ。オレ程度の実力で多くを求めれば、本末転倒な事態になりかねない。
それは分かってる。分かっているけれど。
「迷いは何れ足を引っ張る。また戦うつもりなら、今の内に考えておくことだな。まぁ今のお前に出来る事なんて、考える事しか出来ないか」
「……未熟ですから」
「未熟者は自分を未熟とは言わん。お前のそれはただの甘えだ」
怒るわけでも叱るわけでもなく、師匠はそう指摘して、椅子から立ち上がる。
オレはそんな師匠にあることを聞く。
ずっと気になってた事だ。
「師匠!」
「何だ?」
「あの……ヴァリアントは……」
「今は本局で改修中だ」
「改修中?」
「正確には元に戻してるだがな」
全く話が読めない。
本局の設備を使って、元に戻してるってどういう事だ。
考えが纏まらない内に、師匠が告げる。
「つまり、俺が現役の時代に使ってた仕様にしてる」
「……どういう事ですか……?」
「俺がヴァリアントを使う可能性もあるって事だ」
それはつまり、師匠が直接、前に出てくる可能性があると言う事だ。
今日までどれだけはやてが危険になっても自分から動く事はしなかった師匠が、可能性とは言え、動く事を示唆するなんて。
「オレが……動けないからですか……?」
「違う。相手が悪いからだ」
「!? 相手!? 師匠! まさか! はやてを狙っている人間を知っているんですか!?」
オレの呼びかけに師匠は首を静かに横に振る。
「知ってる訳じゃない。勘だ。まだ何も確証はない」
「一体、誰ですか!?」
「お前に話す訳にはいかない。バレるからな」
そう言うと、師匠は病室から出て行ってしまう。
バレる。
それはオレと近い存在と言う事なのだろうか。
いや、そうとは言い切れない。だが、少なくとも、オレを見ている事が出来る人間だろう。
だが、近しい人間でもオレの行動を把握出来る人間でも、オレの全ては把握は出来ない筈だ。と言う事は、オレは監視されているんだろうか。だから、師匠はオレには言わないのだろうか。
思考が絡まった糸のようにこんがらがってくる。
「考えてないで調べてみたらどうなの?」
「調べるって何を? どこに手をつければ良いのかだってわからないんだよ?」
「馬鹿ねぇ。管理局とは距離を置いてるヨーゼフさんが、今回の事件を聞いただけで何かを感じたのよ? それは多分、ヨーゼフさんに近しい人か、関係のある人が関わっているからじゃないの?」
「それは安易じゃないかなぁ。師匠も勘だって言ってたし」
「勘って言うのは今までの経験から導き出される予想よ。調べてみなさい。ヨーゼフさんとヨーゼフさんに関わりのある人たちについて」
母さんはそう自信満々に言うと、手馴れた様子で車椅子を操作して、病室から出て言ってしまう。
残されたオレは溜息を吐く。
そうは言われても、この病院からアクセスできるデータなんて、たかが知れてる。
機動六課に連絡しようにも、はやて達は忙しいのか、オレが送ったメッセージに反応がない。
と言って、陸士110部隊に連絡して、師匠が勘で犯人だと思っている人間が居たら問題だ。
さて、どうしたものか。
師匠の事を調べるにしても、しっかりと調べる事に適した環境じゃなきゃ調べる事はできない。
そして問題なのは、オレはこの場を動けないと言う事だ。よって、誰かに頼まなければいけない。
急いでいる訳じゃないが、何か手がかりが掴めそうな時には動くべきだ。未だにオレは師匠について調べる事に意味があるかについては半信半疑だが。
それでも、このベッドから動く事の出来ないからと言って、何もしないと言うのは性格上、不可能だ。
誰か居ないだろうか。オレと関わりが薄く、調べ物に適した人。
流石に居ないか。まず、師匠クラスの人を調べる事が出来るなんて無限書庫くらいだ。それにしたって、すぐに見つかるのは過去の事件の報告書くらいだろうから、詳細には調べられるかは、調べる人次第になってくる。
「うん?」
今、とても重要な事を考えた気がする。
そうだ。そうだ。
居る。
オレと関わりが薄くて、調べ物のスペシャリストで、しかもおそらくオレの事を知っているであろう人間が。
「無限書庫の司書長!」
そう大きめの声で言うと、オレはすぐに本局へ通信する為の準備に取り掛かった。