ドアがノックされた事で、オレは来客が来た事を知った。
この病院で、オレの部屋に入る時にノックするのは病院関係者くらいで、その病院関係者も決まった時間以外に来る時は予め連絡をくれる。
それを考えれば、このノックの主は外部からの来客という可能性が高い。
外部との連絡が何者かに妨害されているオレを訪ねてくる可能性のある人物。
十中八九、機動六課の隊長陣の誰かだろう。
はやてに会いたいと伝えて欲しいとは言ったが、はやての忙しさと立場を考えれば、はやての代わりにフェイトやなのはが来る事も有り得る。
できれば、心情的にはやてが一番だが、オレが今、抱えてる問題の多くを解決するのに、はやてじゃなければいけないと言う事はない。
ただ、はやてとオレの間にある問題は、一対一で話し合わなければならないと思うが。
オレがどうぞと言うと、ドアが開く。
見知った顔を見て、オレは安堵の息を吐く。
「いらっしゃい。はやて」
師匠からは無事である事を聞いていたが、聞くのと、こうして自分の目で無事な姿を見るのとでは安心感が違う。
しかし、その安心感も、はやての困惑した表情にかき消されてしまう。
「どうしたの……?」
「……さっき……お母さんに会った……」
困惑というよりは驚いているような表情で言ったはやての言葉を理解するのに、オレはしばしの時間を要した。
はやてのお母さんと言うのは有り得ない。はやてが幼い頃に亡くなっているし、そもそも、ここははやてが住んでいた管理外世界・地球ではない。
では誰のお母さんか。
考えるまでもないけれど。
「オレの……?」
「うん……」
何をしてるんだ。あの人は。
移動が困難な人用のフロアに入院している母さんは、基本的にそこから抜け出す必要はない。あまり移動しなくてもいいように、大体の物をそのフロアで揃うし、頼めば、病院側が揃えてくれるからだ。
はやてと会ったと言う事は、このフロアか、一階かだろう。
この時間帯は診療の時間帯な為、普通は母さんは病室に居る。
それを踏まえれば、母さんがはやてに会う為にわざわざ移動したと言う事だ。
確かに、はやてを間接的に呼んだ事は、師匠と母さんに通信が遮断されている事を告げた時に一緒に話した。
だからと言って、いつ来るかもわからない人間を次の日から探すなんて、相変わらず変わった人だ。
「そっか……。感想は……?」
「自分を持っとる人やと思って、凄い人やなぁって思ってたら、息子によろしく。なんて言うから、めちゃくちゃビビったわ……」
「まぁ師匠と友達になれるくらいだからね。かなりぶっ飛んでるよ。でも……いつも大事なことを気付かせてくれる、いい母親だけどね」
「私も、カイト君のお母さんと話してみて、少し思った事があるんよ。私は少し勘違いしとったんやないかなぁって」
勘違いと言う言葉を使ったはやては、ゆっくり目を閉じる。
はやてはおそらく、アトスとの戦いの時に、自分が動けなかった事を悔やんでる。そして、今現在でもあの時、何が正しく選択で、何が正しくない選択だったのかを決めきれてない。
正しい、正しくないなんて言うのは、所詮は自分が決める事だ。
あの時、はやてがオレに加勢して、アトスたちを捕らえる事が出来ても、あのアトスたちへの襲撃を防げたかどうかは分からない。
それとは別にしても、オレ個人であの時、アトスに勝てる可能性はほぼゼロだった。
師匠の話を聞く限り、またオレはアトスに手加減されたらしい。手傷を負わせる事は出来たが、結局、手加減されながら、オレが出来たのは時間稼ぎだけだった。
あの時は間違いなくヴォルケンリッターが来ると思っていたし、実際、彼女らは来た。
結局の所、あの時、はやてがオレに加勢しようがしまいが、アトスたちは口封じ目的の攻撃を受けただろう。
終わっているから言える事ではあるけれど、あの時、はやてがどう行動しようと結果はおそらくほとんど変わらなかった。
だから問題なのははやてがどう、あの時の自分に折り合いを付けるかになってくる。
「どんな勘違い?」
「今まで、私は自分を犠牲にしてでも……闇の書の事件の罪を償わきゃいかん思っとったんよ」
「それが勘違い?」
オレの言葉にはやてはゆっくり首を横に振る。
当たり前か。母さんと話をしただけで、はやてがこれまでの生き方を否定したり、変えたりするはずはない。そんなに闇の書の罪を背負い、償う事を決めたはやての決断は軽くはない筈だ。
「間違ってるとか思った事はないんよ……。今の生き方。ただ、もっと違うやり方があるんやないかと思ったんよ……」
「そっか。どんなやり方を思いついたの?」
「……ずっと、私が犠牲になってでも……償うんやって思ってた。けど、それじゃあ、周りは幸せになったりせへぇん。私は家族と一緒に居て、みんなが幸せならいいけど……多分、周りのみんなは私の幸せを願っとる……!」
「……うん。ヴォルケンリッターも、なのはも、フェイトも、勿論オレも。みんなはやての幸せを願ってるよ。ただ、笑ってくれてれば……そう思ってる」
はやての表情が微かに歪む。
それがどんな感情から出たものかはオレにはわからないけれど、多分、そんなに嫌な感情じゃ無い筈だ。
「……せやなぁ。だから……私の犠牲の上に成り立つ幸せは……みんな受け入れへんって気づいたんよ……」
「どうして……今になって? 母さんと話したから?」
はやてが何かを堪えるように俯きながら首を横に振る。
それじゃあ何が原因だろうか。
少し考えたオレにはやてが答えを教えてくれた。
「カイト君が……カイト君が傷ついて、倒れて……それで私が助かっても……私は何も嬉しくなかった! だから、わかったんよ……。誰かの犠牲で助かっても、許されても、救われても……幸せになんかなれへん!! 嬉しくなんてあらへん!!」
「はやて……」
はやての言葉を聞いて、オレは、オレ自身が思いもよらぬ所ではやてを傷つけていた事に気づいた。
はやてを守れればいいと思いつつ、はやてが無事でいるなら良いと思いつつ、この手で守る事にオレはこだわっていた。
その結果が今のはやてだ。
涙を静かに流しながら、はやてはオレを見ている。
「……私は……誰かと共に居たい! 家族と、友達と! 大切な人たちと一緒に居たい! 一人は嫌や! だから、だから……次からは……私も一緒に戦うから……」
「……」
押し黙るオレに向かって、はやてはゆっくり歩いてくる。
ベッドの傍までくると、包帯が巻かれたオレの動かない右腕に触れる。
薬で痛みすら感じない右腕に微かに熱が伝わる。
「ちゃうんよ……。こんな事を言いたかったわけやない……。まず謝って、それから話し合って……」
「大丈夫だよ。色々と伝わったから。だから泣かないで。はやての泣き顔は苦手だから」
「ごめんなぁ、ごめんなぁ……。私のせいやなのに……意味わからん事いうてもうた……。カイト君の顔みたら、頭がこんがらがってもうた……」
震えた声ではやてはそう言った。
言いたいことがまとまらずに混乱しているはやてを安心させるために、できるだけ優しい声色で、はやてに答える。
「でも、それでも伝わったよ。約束するよ。オレはもうはやての為に一人じゃ戦わない。一緒に戦おう。だから、はやてももう、自分を犠牲にしないで」
オレの言葉にはやては小さく頷き、オレの右手を握ったままベッドに顔をうずめた。
「カイト君……ごめんなぁ……」
「気にしないで。お互い様だよ」
◆◆◆
泣き疲れたのか、寝てしまったはやての寝顔をみていると、ノックもなしにドアが開いた。
この病院にノックも無しで入ってくる人間は二人しか居ない。
「ノックは礼儀だと思いますよ? オレだけじゃありませんし」
「弟子に礼儀が必要か? それに女の寝顔を凝視してる方が礼儀がないと思うが?」
「動けないんですよ……」
オレが小さく溜息を吐くと、はやてが小さく身じろぎする。
起こしたかとも思ったが、すぐに静かな寝息をたて始める。
疲れていたのか、そもそも寝ていなかったのか。無理を始めれば、とことん無理をするはやてだ。
今回の事で思いつめて、不眠で働いていてもおかしくはない。
「無理も無茶も、オレの十八番のはずなんだけどなぁ……」
「周りに無理や無茶な奴だと認識されている時点で、お前が未熟だという証拠だ」
「分かってますから、そう痛いところを突かないでください……」
はやてとは反対側、オレの左側に回った師匠は安心しきった顔で寝ているはやてを見て、ため息を吐く。
「無用心な子だ。お前の横で寝るとは」
「どういう意味ですか……?」
「そのままの意味だ。それと無用心なのはそこだけじゃない」
「その意味が分からないから聞いたんですけどね……。他に何か問題が?」
師匠は病室にある窓から日が落ち始めた空を見上げて、疲れたように小さくため息を吐く。
師匠が呆れた時以外でため息を吐くのは珍しい。
「何かありましたか?」
「一人で来たのは流石に無用心だった。せめてヴォルケンリッターの誰かを連れてくる筈と思っていたがな」
「ヴォルケンリッターは六課の中核ですからね。敵ですか?」
「魔導師が二人、病院を見張っている。来た時に何もしなかったのは様子見か、監視だからだろう。運がよかったが、このままと言う訳にもいかんだろう」
師匠はそう言うと、外を見るのを止める。
しかし、はやてを狙うなり、見張るなりするのは、かなりリスクがある行為だ。
多くの人間を敵に回しかねない。
「管理局でしょうか?」
「だろうな。問題は、俺がどう動くかだ。今は色々とキナ臭い。地上本部が何かしようとしてるのか、それとも誰かが地上本部に何かをさせようとしているのか。どちらにしろ、俺には動いて欲しくはない筈だ。はやてに手を出さなかったのもそれが理由だろう」
「なるほど。確かに師匠に第三勢力として動かれるのは厄介ですね。一つ聞いてもいいですか?」
「何だ?」
オレは色々と考えを巡らしつつ、前々から気になってた事をいい機会だから聞く事にした。
「オレを聖王医療院から移動させた理由を聞きたいんです」
「あそこは管理局の目が強すぎる。俺が動くに動けん」
師匠のその言葉で、オレは一つの事を察する。
師匠は静観する気はない。
確実に動く気でいるんだろう。どういう形であれ。
「それはオレの代わりにと言う意味ですか?」
「馬鹿弟子が。お前の代わりに動く気なら、わざわざ手間を掛けて、お前をここまで移動させたりはしない。老兵はただ退くのみ。表に立ち続けたり、表に戻れば、グレアムのようになるのがオチだ」
老いれば思考は硬直し、考えは変わらなくなる。その状態で権力なり、影響力を持ち続ければ、やがて、老いた者は害になる。
昔、師匠がそう言っていたのを思い出す。
こんな状況で、オレがこんな状態でも、そのスタンスを崩す気はないようだ。
「なら、今まで通りと言う事ですか?」
「その予定だ」
今まで何があっても表には出てこなかった師匠。その師匠の代わりにオレがはやてを守る為に動いていた。
別に話しあって決めた事じゃない。そもそも師匠の下を去った後は、はやてと出会うまで連絡を取っていないし、その後も直接会う以外の方法で連絡を取った事はない。
師匠の後継者としては些か実力不足ではあるけれど、はやての近くで自由に動けるのは、はやての友人や師匠の知り合いを含めて、オレ以上の適任者はいない。
これまで上手くいったり、いかなかったりだったが、どうであれはやては無事だった。
今回の件で、オレには任せておけないと考えを改め、師匠が出てくる事も考えたが、そう言う事はないらしい。
そうなれば、師匠が動く方向性は一つ。
「師匠は昔、今のオレと似たような状態になった事があると聞きました」
「ああ。俺も全く同じ状態になった」
「では聞きます。どう治したんですか?」
「それはまだ戦う意思があると言う事か? おそらく、最後の分かれ道だぞ? これから八神はやてと言う人間に関わり続ければ、お前は何度も窮地に立つ。ここでもう一度、関われば、これから先、ずっと関わり続ける事になる。それでもいいのか?」
「さっきも言いました。今まで通りです。オレははやてを守りたい。それはこれから変わる事はありません。教えてください。どうやって治したんですか!? オレはもう一度、はやての横に立ちたいんです!」
オレの言葉を聞いて、腕を組んだまま、師匠はゆっくり目を瞑り、そのまま押し黙る。
それから数分ほど、師匠は何も喋れず、存在が希薄になるほど微動だにせずに熟考した。
師匠が答えを出すまで何時間でも待つつもりでいたオレは、数分で目を開けた師匠に拍子抜けする。
「お前には謝らなければいけない事が沢山ある」
「師匠……?」
「俺がしなければならない事。俺がしたい事。それをお前にさせるために多くの事を教え、しかし、大事な事はいつも後になってから教えた。だからお前は傷つき、時には倒れた」
「オレが未熟だっただけです。それに、多くの事は自分で気づかなきゃいけない事でしたから……」
「お前が移送されてきた時のエリザの表情を……俺は忘れられん。未熟と知りながら、自分の目的の為にお前を手元から離した俺の責任だ。師匠らしい事を一切してこなかった俺の為だと言うなら……気を遣う必要はない」
そう言った師匠の顔はひどく疲れて見えた。
師匠は師匠で色々と抱えてきたんだろう。
母さんと平然と接しているように見えても、内心は多くのモノを感じていた筈だ。
「師匠……。オレはあなたの弟子です」
「知っている。似なくていい部分ばかりがそっくりだからな」
「それは生まれつきですよ。オレは師匠の弟子ですが、それに縛られるつもりはありません。もう、地上の英雄・ヨーゼフ・カーターに憧れる子供は卒業したつもりです。今は、師匠の事とか、夜天の書を抜きにしても、オレははやてを守りたいと願ってる。これはオレ自身の意思です。だから、遠慮せず。オレが望んでいる事です。どんなにつらくても乗り越えてみせます」
「……そうか。詳しい方法ははやてが帰ってから話す」
師匠は短くそう告げると、ドアに向かって歩き出す。
師匠を見送ろうと思って、視線で追っていると、師匠がドアの手前で立ち止まる。
「カイト」
珍しく名前で呼ばれた。
管理局に入る前はずっと名前で呼ばれていたが、最近はめっきり呼ばれなくなっていた。
「はい」
「……すまんな」
「……気にしないでください。オレがしたい事です。それにオレは師匠に感謝してます。師匠はオレに力をくれました。今こうして、はやての傍に入れるのは師匠のおかげです。だから……もう一度、力を下さい」
「わかった。オレの全力をお前にやる。今日はせいぜい、惚れた女の寝顔でも楽しんでおけ」
「そうですね。そうします」
ドアから出て行く師匠の後ろ姿を見送った後、オレははやての寝顔に視線を移す。
気持ちよさそうに寝ているため、まだ起こさなくてもいいか。と小さく笑いながら呟き、オレはしばしの間、役得を楽しむ事にした。