新暦75年8月24日。
ヴァリアントがオレのところに戻ってから十日が過ぎた。
両腕の篭手に魔力が吸い取られる事にも慣れ、腕以外の傷は大分治った為、既にベッドの上からは卒業出来ていた。
肝心の両腕は握力や腕力は全く無いが、篭手さえ付けていればと言う制限付きだが、とりあえず動かす事は出来るようになっていた。
そんな腕で適度なリハビリを行いつつ、通信妨害の結界を張った人間、または組織をオレたちは追っていた。
この十日で幾つか分かったのは、本局との通信のような、中継を使わなければならない遠方への通信は問題なく使える事。そして、通信の行き先が変えられるのはクラナガン周辺から来る通信とクラナガン周辺へ送るものだけだと言う事だ。
オレの知り合いやら協力者やらはクラナガンに集中している。
クラナガンとの連絡を絶たれるのはオレにとっては非常に痛い。痛いが、連絡が取れた所でオレに出来る事は少ない為、機動六課や陸士110部隊にとっては大した痛手じゃない。
そうなると機動六課や陸士110部隊の戦力ダウンや妨害を狙ったものじゃない。
そこで、オレや師匠が出した結論は、オレの体の治り具合が知りたいのではないかと言うモノだった。
オレの体が治れば師匠も病院を離れるだろうし、オレも戦線へ復帰する。
その時期が知りたいのではないか。もしくは計算したいのではないか。
ようは来ると分かっていれば対処も出来ると言う事だろう。それなりにはオレを、そしてオレの動向次第では動くであろう師匠をとても警戒していると言う事だ。
とは言え、それがどこの誰なのかはわかってない。
「しかし……全くわからん」
椅子に座り、腕の屈伸運動を続けながら、オレは机に広げた教導隊の教本に目を通しつつ、そう呟く。
その呟きに対して、オレの横の宙空。そこで小さく上下動をしながら浮いているヴァリアントが答える。
『そりゃあそうだろうよ。その教本は教導官が読む教本だ。相棒に理解できるレベルで書かれてたら、それこそ問題だ』
「さらっと貶すのは止めてくれ……」
『事実だろ? とはいえだ。元相棒が読めって言ってたページの内容は難しすぎる。分からないのはしょうがない気もするけどな』
ヴァリアントにそう言われて、そうだよなぁ。と思った瞬間、後ろから思いっきり殴られた。
久々だが、昔、よく食らった攻撃だ。
「妥協するのはお前の悪い癖だぞ」
「……すみません。師匠……」
まさか何も言ってないのに察せられるとは思わなかった。
流石は師匠。オレの師匠なだけあって、オレの思考パターンはお見通しらしい。
しかもいつ病室に入ってきたやら。全く気付かなかった。
『しかしよぉ。元相棒。相棒にはこりゃ難しいぜ。飛躍しすぎだ』
「別に高度な魔法を覚えろと言ってる訳じゃない。ただ、戦術を理解しろと言ってるだけだ」
「ですけど……これって上級士官の戦術ですよね? 広い視野で戦場を見渡しつつ、目の前の敵とどう戦うかって感じの事が書いてありますし……」
『複数の分隊に指示を出せる指揮官って言うのが前提だ。相棒はその階級には居ないぜ?』
ヴァリアントの言葉に師匠は頷く。
それが分かっていて、何故、オレにそれを読ませて、理解しろって言うんだろうか。
「カイト。共に戦う為に必要なモノは何だ?」
「共に戦う為に必要なモノ……ですか? そうですね……。相手との信頼関係ですか?」
「間違ってはいない。けれど、最低限、その場限りでも共闘するのに必要なモノは、相手のデータだ。どんなスタイルで戦うのか。どんな魔法が使えるのか。そして、どんな戦術を使うのか」
そこまで言われてようやくオレは気づく。
師匠は初めから、オレ視点で喋っていた訳じゃない。
師匠ははやての目線に立っていたんだ。
『なるほどな。八神の嬢ちゃんが取るであろう戦術を頭に入れておけって事か』
「戦場では現場の視点と指揮官の視点がある。大局を見る指揮官は多くのモノを取捨選択する。それが自分が敵に迫られてる時でもな。部隊を率いるはやては近くの分隊の動きや、勝敗によって色々と行動を変える筈だ。その時にお前に説明している時間はないだろう」
「だから今、理解しろと……?」
「戦場で一番、指揮官が困るのは部下が作戦通りに動かない事だ。だから部下は駒になる事を求められる。だが、お前ははやての隣に立って、共に戦うと言った。だったら駒になるな。はやてが指示を出す前に動けるくらいにはなっておけ。まぁはやてが敵に迫られたり、前線に出てきた時点で部隊としては敗北だがな」
師匠はそう言うと、机に一冊の本を置く。
そこまで厚い本ではないが、今度は一体、どんな内容の本だろうか。
「今度のも戦術ですか?」
「ああ。これはお前用だ。お前の戦術には決定的な穴があるからな」
穴があると言われて、オレは思わず開いた口が塞がらなかった。
オレの戦術はドレッドノートだ。それに穴があると言う事は、オレのこれまでも、師匠のこれまでも否定する事になってしまう。
確かにドレッドノートは一人で使用する時点で穴のある戦術ではあるけれど。
「どうした?」
「……オレはまだドレッドノートを完璧に使いこなせていないんでしょうか……?」
「ドレッドノートは後ろに居る相棒によって性質を変える。お前のドレッドノートはお前のものだ。俺のとは違うから比べられんが、まぁそこそこ使いこなせているんじゃないか?」
それはつまり、オレの実力的な問題ではなく、構造とか性質といった、もっと根本的な問題だと言う事だろうか。
ある種のショックを受けたオレに対して、ヴァリアントが否定の言葉を言う。
『相棒。何を考えてるかはよく分かるが、元相棒は俺すげーの人間だぜ? 自分の考えた戦術は最強だと考えてる男だ。否定なんてするはずがないぜ』
「確かに……」
「戦術と言っても色々と意味がある。予め選択肢を狭めて、その範囲で戦うドレッドノートは戦術の幅は狭い。それでもドレッドノートを行いつつも、使える戦術と言うのは沢山ある」
師匠はそう言うと、ヴァリアントに向かって、なんでも良いからカイトの戦いの映像を出せ。と言う。
ヴァリアントは、はいよ。と言って、一番新しいアトスとの戦闘映像を空間モニターに出す。
「カイト。お前とこのアトスと言う騎士の違いは何だか分かるか?」
「……戦術の幅でしょうか……?」
「確かにアトスは引き出しをいくつも持っているようだが、そうじゃない。お前との最大の違いは、相手を誘導出来ているかどうかだ」
「相手を誘導?」
そう言われてもピンと来ない。
誘導と言われても、この時のオレはアトスにやられこそしたが、罠に嵌ったり、地形的に不利な場所に誘い込まれたりはしなかったはずだが。
「誘導は心理的な誘導や、間合いの誘導、そして勿論、戦術の誘導と色々ある。今回、お前はアトスと戦う事になった訳だが、それはアトスに誘導されてのものだ」
「一度は逃げようとしました。けど、アトスが速かったので」
「逃げきれない。そう思ったか? それが既に心理的な誘導だ。はやてに全力でバリアジャケットに魔力を込めさせれば、お前は全速力で逃げられた。アトスにとって、それは一番やられたら困る事だった。だから、最初にその選択肢を潰しにきた」
確かに、あの時ははやてを抱えては全速力が出せないと思ったが、オレのバリアジャケットでも加速に耐え切れるんだから、膨大な魔力を持つはやてに、自分の体を防御する事に専念してもらえば、逃げる事も可能だったか。
「カイト。あの時、アトスは何と戦っていたと思う?」
師匠がそう言って、意味深な問いをオレに投げかける。
わざわざ聞いてくる以上、オレと戦っていた。と言うような単純なものじゃないはずだ。
しばらく黙って考えた後、オレは一言呟く。
「……多数の敵でしょうか……?」
「そうだ。もっと言えば、多数の敵と相対しない為に、時間と戦っていた」
「時間……」
言われて、オレはこの時のアトスが確かに、今までより無理な攻めをしてきた事を思い出す。
けれど。
「師匠。あの時、アトスはオレと無駄な話をしていますが?」
「無駄じゃない。少なくとも、アトスはそう思っていたはずだ。限りある時間を割くほどに、アトスはお前を警戒していたんだろう」
「どういう事ですか?」
ちょっと意味がわからない。
アトスがオレを警戒していたとしても、わざわざ話をする事に意味があったとは思えない。
「よくわからんって顔だな」
「……はい」
「アトスは幾つも誘導を行っていたが、状況を決定するほど大きな誘導は三つだ。最初に斬りかかった時に、お前を戦いに誘導したのが一つ。もう一つは魔力を節約する為と、お前に考える時間を与えない為に、露骨なまでに自分の本気を示して、お前を接近戦に誘導した。そして、三つ目がはやてへの揺さぶりだ。これは俺の考えだが、力押しでは容易くは勝てないと考えたアトスが、お前から冷静さを奪う為に仕掛けたものだと思う。結果的にこれは裏目に出たがな」
これはあくまで師匠がオレとアトスの戦闘を見て、感じた事だ。その全てが正しいとは限らない。
限らないが、オレとは比べ物にならない経験を持っている師匠の言っている事が大きく的を外しているとも思えない。
そして、なにより、オレ自身、言われて思い返せば、確かにアトスはオレの選択肢を削り、誘導していたように思える。
「師匠。もしも、それら全てが本当にアトスがしようとしてした事だと仮定して……なぜ、アトスは最初から大規模な魔法を使わなかったんでしょうか?」
「さっきも言っただろ? 魔力を節約する必要があったからだ」
「その理由がわかりません……」
「少しは考えろ。戦ったお前は分かっている筈だ。アトスは切れ者。いくつも先を見ていた。恐らく、はやてを攫った後もな」
そこまで言われて、オレの中で何かが繋がった。
アトスはしきりに後がないと言っていた。そして、オレを相手にする時には魔力を温存しようとした。
答えは簡単だ。
はやてを攫う事に成功した後でも、戦う可能性があったからだ。
「口封じから逃れる為ですか?」
「人質を救出するつもりだったかもしれんし、はたまた追っ手と戦うつもりだったかもしれん。いずれにせよ、アトスはお前と戦うだけじゃ終わらんと思っていたんだろう」
師匠はそう言うと、机の上に置いていた本を開く。
その本のとあるページで師匠の手が止まる。
ページの内容は、如何にして相手の弱点を攻めるか。と言うものだった。
「とまぁ、色々と話したが、お前の弱点は、相手に合わせて戦術を変えられない事だ。いつだって自分の得意な戦術、技で勝負している」
「そこに持っていく事が強さだと思うんですけど……」
「それは相手よりその部分で上回っている場合だ。お前は剣の腕でアトスに優っていたか? アトスと勝負するなら、お前が取るべき戦術は中距離からのヒットアンドアウェイか、遠距離からの奇襲だ。あの時ならヒットアンドアウェイで時間稼ぎに徹するのが最良の選択だった」
「アトス相手にそれが通用するとは思えないんですけど……」
自分で言うのも何だが、オレは不器用だ。
いつもと違う事をやれば、必ずどこかでミスをしてしまう気がする。
だからこそ、自分が自信のある事に頼る傾向があるのも承知している。
「通用する。お前の速さなら、大抵の戦術は通用する。自分の速さには自信を持て」
「その速さを存分に活かせるのは接近戦だと、師匠が教えてくれました」
「ああ。だが、時と場合と相手によってはそうじゃない時もある。お前にそれを教える事が出来なかったからな。本命のついでにお前に戦術も教えてやる」
師匠はそう言うとニヤリと笑う。
本命のついでと言うからには、他にももっと大切な事があるんだろうが、ここまでの話を聞く限り、今のオレに必要なのは戦術への理解な気する。
「オレの引き出しを多くするには、どうすればいいんでしょうか?」
「多くの敵と戦うしかない。引き出しは経験だ。様々な状況、様々な敵、それらを経験していく中で培われる経験がなければ、引き出しとは言わん。知っているだけではダメだ。使えんと意味はない」
知識だけでは駄目と言う事だろうが、それではオレはどうやって引き出しを増やせばいいのだろうか。
いつまたはやてが狙われるか分からないのに、オレは強くなれないのだろうか。
気持ちが沈み掛けた時、師匠が言葉を続ける。
「まぁ、お前は最低でもあと二つは引き出しを増やせるがな」
「……どんなものですか?」
「自分より速い敵を相手にする時の戦術、そして、自分より頭の良い敵を相手にのする時の戦術。この二つは間違いなくお前の少ない引き出しに加えてやる」
それを聞いて、オレは自分より頭の良い敵がアトスである事は察せれた。
アトスとの戦いを振り返り、何度も見返せば、確かに多くのモノが得られるだろう。
それはそうとして、自分より速い敵と言うのが思い浮かばない。
困惑していたオレに対して、ヴァリアントが正解を教えてくれる。
『よかったな。相棒。元相棒が本気で相手をしてくれるらしいぞ』
ヴァリアントに言われて、ようやく気づく。
師匠がオレより速い事に。