新暦75年9月6日。
ミッドチルダ北部・病院近くの森。
師匠に連れられてやってきたのは、子供の頃、よく師匠に稽古をつけてもらった場所に似ていた。
森の中にある開けた場所。
そこでよく、オレは師匠と模擬戦のような事をしていたのを覚えている。
子供の頃だったから、師匠は全く本気じゃなく、オレの攻撃を受け、流し、たまに隙を見せると反撃が来る。当時は弾き飛ばされる度に、もっと手加減して欲しいなどと思っていたが、今思えば、師匠はとても手加減してくれていたんだろう。
目の前で高く振り上げられたガラティーンを見ながら、オレはそんな事を思った。
咄嗟に左へジャンプする。
ミーティアのギアサード。つまり、オレの最速を以てしても、ギリギリのタイミングでしか避けれない。まさに紙一重だ。
そして、そうやって攻撃を避けるのに一々、集中力を持っていかれるから、いつまで経っても主導権を握れない。
体勢を立て直して、グラディウスを構えた時にはすでに師匠は次の攻撃に移っている。
今までは何とかガラティーンによる攻撃を避けれていたが、今回はタイミングが際どすぎる。
避けるのは無理だと判断して、左右のグラディウスを交差させてガラティーンを受け止める。
師匠の右からの切り払いを受け止めたグラディウスの魔力刃に一瞬でヒビが入る。
お互いに圧縮魔力刃を使っているとは言え、こっちはオレの魔力に合わせた、いわば劣化版。対して、師匠のは膨大な魔力を必要とする、旧暦の時代の圧縮魔力刃。
込められた魔力が違いすぎる。
受け止めただけでこっちの魔力刃は一瞬で崩壊してしまう。
咄嗟に後ろへ飛ぶ事が出来た為、体には当たらなかったが、グラディウスの圧縮魔力刃は子供のおもちゃのようにいとも簡単に砕けた。
開いた距離を師匠はすぐには詰めてこなかった。
体勢は崩れていたし、圧縮魔力刃も無い。今、詰められれば終わりだった。詰めてこなかったのは、これが修行だからだろう。
「どうした? 今まで通りやっていたんじゃ、俺には一太刀も入れられんぞ?」
「それは重々承知してますよ……」
「ならさっさとアーガスからの贈り物を使え。飾りにしてちゃ心意気が無駄になるぞ?」
そう言って、師匠は顎でグラディウスを示す。
オレが今使っているグラディウスは今まで使っていたものより大型化し、フォルムも多少変わっている。
それはグラディウスに新機能が搭載されたからだ。
それは教導隊が開発した試作型のリボルバー式カートリッジシステム。もっと言えば、それに付随するカートリッジが試作型だ。
魔力を充填し、必要な時にそれを使う事で、魔力総量や威力の底上げをするのがカートリッジシステムだ。
しかし、扱い辛さと使用者への負担の大きさから、魔力の扱いに優れた者や膨大な魔力と言う素質に恵まれた者と言った風に、十年前よりは技術が進歩しても、未だに使い手を選ぶシステムである事は変わらない。
今まで使っていなかった事から分かるように、オレは魔力の扱いや魔力総量が優れている訳ではない為、使用を見送っていた。
だが、アーガスさんはグラディウスにそれを搭載した。オレでも使えると判断しての事だ。
アーガスさんはミーティアやガラティーンなど、高威力の魔法を一般の魔導師でも使えるようにする事に殊更力を入れている。
この試作型のカートリッジシステムもその過程で製作されたものだ。
従来のカートリッジシステムとの最大の違いは、カートリッジにタイプが存在する事。
魔法は魔力を用いるが、その魔法に合わせて、魔力に調整を加えなければならない。今回、グラディウスに搭載されたカートリッジシステムは、幾つかのタイプのカートリッジを選択して使用できるものだ。
アーガスさんが用意したカートリッジは二つ。
加速魔法用に調整されたカートリッジⅠと魔力刃用に調整されたカートリッジⅡ。
使う魔法が限られているオレにとっては正にピッタリのシステムだ。
更にカートリッジの小型化と充填する魔力量を減らす事で、扱いやすさも従来のカートリッジシステムより増している。
オレ向きと言うよりは、ドレッドノートを使う魔導師向けのシステムだ。
ドレッドノートに強い思い入れのあるアーガスさんが開発に携わったのだから当たり前だが、そのシステムにオレは戸惑っていた。
今まで使った事のないカートリッジシステムと言うのもあるが、それ以前に恐怖が頭から離れないのが一番の原因だ。
カートリッジシステムを使うと言う事は、今より上の速度を出すと言う事だ。
アトスとの一戦でリミッターを超えた加速からの一撃を放ったが、その時の感覚は今でも忘れていない。あの自分の思い通りにならない加速は初めてだった。
操作が出来ない車に乗っている気分だった。ただ真っ直ぐにしかいかない。
そして気づいた時にはそのスピードに自分もやられていた。
操作が効かない速さへの恐怖。そして、それによってもたらされる痛みへの恐怖。
それがオレにカートリッジを使わせなかった。
師匠が距離を敢えて詰めなかったのは、オレにカートリッジを使わせる為だろうが、オレは使わない。いや、使えない。
躊躇うオレを見て、師匠はため息を吐く。
「壁に当たった人間は、その壁を超えない限り先には進めない……。カイト。お前はその恐怖を克服しなければ、これから先、何も出来はしない」
暗にはやてを守れないと言ってきた師匠に対して、オレは何も言えずにただ押し黙る。
分かっている。今のままじゃ戦う事なんて出来やしない。それは一番、オレが分かっている。
けれど、体が動かない。
『相棒。前とは違う。あの時は防御が不完全だったのと、威力を腕に集中し過ぎた。加速移動だけなら問題はない』
「分かってる……。けど」
「体が動かないか……。カイト。人が一番、動ける時はどんな時だと思う?」
師匠の唐突な質問にオレは咄嗟に考える。
一瞬の後。
後ろから正解が告げられた。
「身の危険を感じた時だ」
横から来た衝撃の後、真横に吹き飛ばされた。
状況が飲み込めなかったが、とにかく攻撃を食らったのは分かった。
一体、誰に。と考えるまでもなかった。前後の会話に、周囲の状況もそうだが、もっと明確にオレに攻撃した人間が誰なのかを示す事があった。
かなりの距離を吹き飛ばされ、どうにか四つん這いになって勢いを殺した後、顔を上げたら、目の前にガラティーンを振り上げている師匠が居た。
先ほどまでとはガラティーンに込められている魔力が違いすぎる。
受け止めたら拙い。
そう咄嗟に判断し、真横に転がる。
その判断が正しかったとすぐわかった。
今までオレが居た場所はガラティーンのひと振りで地面が抉られ、十数メートル先まで余波で木々が薙ぎ払われていた。
拙い。師匠は本気だ。
止まってたらやられる。
そう思った時にはミーティアで距離を取っていたが、オレと師匠の距離は変わらない。
引き離せない。
「シュヴァンツ!」
右手を師匠に向かって振る。
しっかり二重機構を発動させて、強度を上げたシュヴァンツが師匠に襲いかかる。
だが。
「こんなモノが俺に効くと思っているのか?」
高速で向かっていくシュヴァンツを師匠は左手で掴むと、何の躊躇いもなくガラティーンで断ち切った。
試作品のシュヴァンツの修理は難しい。それは師匠だって知っている筈なのに。
「戦う為の武器を壊されたくらいでショックを受けるな」
後ろから聞こえた声に咄嗟にグラディウスを頭上へ上げ、防御の体勢を取る。
体の芯まで響く衝撃がグラディウスから伝わってくる。
重い。
衝撃で体が麻痺するが、それを理由に師匠は待ってはくれない。
腹部に来た衝撃によって、オレは数メートルほど吹き飛ばされる。
蹴られたと言う事に吹き飛ばされてから気づいた。
「……はぁはぁ……」
「まさか俺が手加減するとは思ってないよな? いつはやてが襲われるかわからん状況だって分かってるのか? 加速への恐怖で太刀筋も判断も鈍りすぎだ。そのままじゃ死ぬぞ?」
師匠はそう言いながら、しゃがみこんで呼吸を整えようとしているオレに近づいてくる。
決して優しく手を差し伸べる為じゃない。オレに追撃する為だ。
今、自分で恐怖を乗り越えないと、戦場に出る前にこの人に殺されかねない。
「お前は自分とはやてだったらどっちが大事なんだ?」
ガラティーンが振り上げられる。
体がまだ上手く動かない。
ここで師匠にやられれば、はやての事は師匠が守るだろう。
もう自分の手で守る事に拘らないと決めた。はやてさえ無事ならいい。
そう思っているのに、はやてとの約束が頭に過ぎる。
一緒に戦おう。
そう約束した。
その約束を破る訳にはいかない。
「ヴァリアント……カートリッジⅡロード」
『オーライ』
柄にあるリボルバーが回転し、カートリッジをロードする。
瞬間。体に魔力が溢れて、グラディウスの魔力刃が強化される。
そのまま強化されたグラディウスを頭上に交差して掲げる。
ガラティーンとグラディウスの魔力刃が接触する。
今までは力負けしていたが、今回はしっかりと受け止める事に成功した。
「オレは……はやての隣に居ると決めた……」
「それには力が必要だ。今のお前にあるか?」
師匠の言葉に対してオレは言葉ではなく行動で応じる。
しゃがみこんだ状態から立ち上がる勢いを使って、ガラティーンを一瞬押し返すと、その隙に後方へミーティアで下がる。
ムーヴとアクションを併用した最大加速だ。
当然、師匠は追撃してくる。
徐々に距離が詰まる。師匠はオレより速い。カートリッジを使ってもまだ及ばないかもしれない。
だが、それならそれでいい。
師匠の速さまでならとりあえずは問題ないと言う事だ。
「ヴァリアント! カートリッジⅠロード!」
『オーライ』
体が一気に加速する。そんなオレを師匠は更に加速して追ってくる。
今までより速い。
慣れないスピードに思考と感覚が追いつかない。
けれど。
「気にしても仕方ない!」
自分より速い相手と戦う時に一番やってはいけない事は直線的に動く事だ。
直線はもっともスピードがモノを言う。
相手の有利な土俵では戦わない。
オレは木々の間を抜けながら、変則的な機動を開始する。
ジグザグに動き、時には木を蹴って方向を変更しつつ、師匠との距離を引き離す事に専念する。
『流石に元相棒には生半可な奇策は通じないな』
苦もなく追ってくる師匠に対して、ヴァリアントがそう言う。
経験が違い過ぎる。
先ほどから後ろに回り込む機動に切り替えているが、全く隙がない。
それでも。
「力を見せなきゃ納得してはくれない」
『勝負に出るか?』
「師匠の出方次第だ」
考えても師匠を上回っているモノなんて一つもない。
けれど、一つだけ師匠に対して優位に立っているモノがオレにはある。
それは。
『速度が上がった!? 決めに来るぞ!』
「それは……」
後ろから猛然と迫ってきている師匠の姿は予想出来る。
オレは目の前にある大木に両足を付ける。
オレが師匠に対して優位に立てる点は、オレが師匠の弟子であると言う事だ。
師匠がオレの考えを読めるように、オレも師匠の考えを読める。もっと言えば、ほぼ完成され、現役を引退している師匠に成長はないが、オレはまだ成長している。
師匠の中ではオレの動き、考えは自分の手元に居た時からの成長を予想したものだろうが。
「読んでいる!!」
オレの成長は師匠の想像を超える。
大木を蹴って、師匠に向かって加速する。
必ず突撃で仕留めに来ると思っていた。
その突撃にカウンターを仕掛ける。
すれ違い様にやられない為に、師匠はオレを迎撃しようとするが、この超加速状態で一瞬の遅れは致命的だ。
ガラティーンはその大きさから小回りはそこまで効かない。
一方、グラディウスは小回りと消費魔力の低さから来る生成の速さが売りだ。
右から来るガラティーンのなぎ払いを右手のグラディウスで受ける。
カートリッジで強化していない為、グラディウスにヒビが入るが、それは問題じゃない。
既にオレは師匠の懐に入っている。
グラディウスの魔力刃を破壊したガラティーンがオレに迫るが、下へしゃがみこむ事でそれを躱し、オレは左手のグラディウスを師匠へ突き出す。
瞬時に引き戻されたガラティーンの根元がグラディウスを受け止めるが、瞬時に生成し直した右のグラディウスを突き出す。
「ちっ!」
師匠は舌打ちしつつ、防御魔法で右手のグラディウスも受け止める。
だが。
「ヴァリアント!」
『カートリッジⅡロード!』
カートリッジがロードされ、魔力刃が強化される。
防御魔法にヒビが入る。
しかし、その僅かな時間の間に師匠はガラティーンを構え直す。
グラディウスの魔力刃が防御魔法を貫くと、師匠のガラティーンが振り下ろすのはほぼ同時で、オレのグラディウスは師匠の首元で、師匠のガラティーンはオレの目の前で止まった。
「……まぁ合格としてやろう」
「……ありがとうございます」
オレは力なく地面に崩れながら何とかその言葉だけは絞り出した。