次元震の発生源が消滅。同時に、その場所で大規模な爆発な発生。
その報告を受けて、プレシア・テスタロッサの研究室に向けている足に、クロノは一層力を込めた。
時の庭園は崩壊が始まっている。
次元震が起きることはなかったが、それだけだ。
中枢で起きた爆発により、時の庭園の基部は大打撃を受け、フロアごとが切り離されつつある。
クロノの使命は、この場所が完全に崩壊するよりも早く、ユーノ・スクライアとエスティマ・スクライアを保護することにあった。
エイミィのナビゲートに従って進む通路には、稀に傀儡兵の残骸が転がっている。
研究室への直通ルートだけではなく、視界の端に映る路地などにも、だ。
一体何があったのかと考え――まさか、と頭を振る。
脳裏に浮かんだのは、敵に捉えられているはずのエスティマだ。
だが――先程の念話で、彼のいる場所と目的地が一致していることは分かっているし、彼には撤退しろと伝えた。
きっとアースラに戻っているはずだ、と思いながらも、焦りが膨らみ続ける。
頼むから無茶をしないでくれよ、と上がる息を忌々しく思いつつ、クロノは疾駆する。
ブレイズキャノンで壁を破砕し、近道としてダクトを滑空し――クロノは、下降を止めた。
視界の隅に何かが映ったからだ。
横穴を通って、点滅する灯りを忌々しく思い、ハ、と息を呑む。
見間違いではなかった。振動が崩壊を伝える通路に、二人の少年がいたからだ。
金髪の少年、エスティマを背負い、罅だらけの紅いハルバードを脇に抱えて黙々と足を動かすユーノに、クロノは声を掛けた。
「何があった!?」
思いの外大きな声が出たことに、クロノは自分のことながら驚いた。
どうやら自分は本当に焦っているらしい、と。
そんな彼の内心を知ってか知らずか、ユーノはゆっくりと振り向く。
彼は顔に濃い疲労の色を浮かべながらも、背中に背負ったエスティマの腕をしっかりと掴みながら、口を開く。
「……ジュエルシードは全て封印。丸く収まった、かな」
「……彼は?」
「傷が深すぎて、僕だとどうしょうもない。魔力も尽きて……、早くアースラへ――」
「分かった。僕が運ぼう」
言われ、ユーノはゆっくりとエスティマを床に下ろす。
そして、傷が深すぎる、というユーノの言葉を理解する。
治癒魔法は既に掛けたのだろう。絶え間なく傷から血は零れているが、致命的なものはない。
しかし、それだけだ。
何があったというのだろうか。両の掌は酷い水ぶくれが浮かんでおり、重度の火傷ということが一見して分かった。
脇腹には不自然な隆起がいくつかある。肋骨が数本やられているのだろう。
顔には傷らしい傷はない。が、額から流れた血が乾き、死人だと思ってしまうほどに白い肌と赤黒い血が不吉なコントラストを表している。
胸が上下しているのが唯一の救いだろうか。
「……何があったらこうなるんだ」
思わず、呆れて声に出す。
まあ良い。それは後回しだ。
クロノはエスティマを持ち上げず、飛行魔法を彼にかける。
そして首根っこを掴み、引っ張りながら走り出す。
エイミィへと通信を送り、手術室を開けるように指示。
他に出来ることはないかと、ユーノへ視線を送り、首を傾げる。
「デバイス、スタンバイモードにすれば良いだろう」
「本体が全損して、システムダウンしてるんだ。無理かな」
……どこまでもボロボロだ。
一度だけ見たフルドライブモードの状態でLarkは機能を停止している。
刃は半ばで砕け、砲身は根本があるのみで丸ごと吹き飛んでいる。回転式弾倉を支えるシャフトは折れ曲がり、今にも弾倉が落ちそうだ。
その下にある放熱器は完全に熱でやられており、溶けたチョコレートのよう。両手の火傷はこれにやられたのだろうか。
見るも無惨なジャンクといった有様だが、しかし、コアが原型を留めているから、修復は可能だろう。
まったく、何をやったらこうなるんだ。
何があったのか、きっちり聞き出してやる。
呆れと怒りとその他諸々を溜息で吐き出して、クロノは足を動かす速度を上げた。
リリカル in wonder
……目を開く。
なんだかいやに電灯の明かりが目に痛い。
というか、猛烈に眠い。
視界は目覚め特有の、ぼやけたもの。
このまま寝ればいい、と考えてしまうが、そうは問屋が卸さない。
なんか、人間の最強欲求である睡魔と互角に格闘する痛みがそこら中から上がっているのですがー?
いや、頑張れば眠れるんだけどさ。
まあ取り敢えず。
「知らない天井……じゃねえ。アースラだここ」
失敗した。
なんて空気を読まないんだろう。誰がだ。
取り敢えず身を起こしてから、と力を入れ――
「ぎゃっぐ、おおおおおおおお……!」
悲鳴を上げようとして失敗。それを噛み殺そうとして失敗。最終的に呻き声へ。
痛い。痛すぎる。
何があったこれファック。
たまりかねてベッドをタップしようとしたら、叩いた瞬間手の平がまるで針にでもさされたかのよう……!
「フヒヒヒ……!」
ついそんな奇声が出た。
いや、しょうがないじゃないですか。
有り得ないってこれ。パねぇ。
しかも右腕はギプスに包まれて動かせないし。
説明を要求する……っ!
などとやっていると、不意に空気の抜けるような音がした。
脂汗をだらだら流しつつそちらを見ると、
「うわぁああ!? 何やってんのエスティ!」
「まだ寝てなきゃ駄目だよエスティマくんー!」
俺の姿を見た瞬間、目の色を変えたいつものコンビがいた。
はぁはぁ息を吐きながら、なんとか平静を装う。
俺が落ち着いたのを見て、なんとか胸を撫で下ろす二人。
「もう、大人しくしていなきゃ駄目だよ? お医者様の話だと、一週間は絶対安静なんだから!」
めっ、と腰に手を当てて怒るなのは。
いや、全然迫力ないんだけどね。
思わず苦笑すると、彼女はほっぺを膨らませたり。
「もうっ、エスティマくん散々私に無茶をするなって言ったのに、自分が死にそうな目に遭うなんてどういうことなの!?」
「無茶?……ああそうか、無茶をやらかしたのか俺」
言われ、ようやくこの様になった理由を思い出す。
暴走したジュエルシードに特攻したんだった。神風も真っ青なレベルで。
なんてったって、突っ込んだあとに主砲発射ですからね。
なとど一人納得している俺を見て、なのはは更に眉を釣り上げる。
「言い出しっぺがこれじゃあ、説得力が全然ないの!」
「まあまあ、なのは。俺は生を噛み締めているだけだから気にしないでもらいたいね。なぁユーノ?」
「自業自得なんだから、反論の余地無しで全部エスティが悪いと思う」
「なんだとこの野郎カートリッジを渡したのはどこの……!」
「えい」
「……っ!…………っっ!!」
脇腹を突かれ、悶絶する俺。
お前似たような目にあったら仕返ししてやるからな!
で、なんとか痛みが引いたところで俺が意識ごとぶっ飛んだあとのことを聞くことに。
零距離ディバインバスターは確かにジュエルシードを打ち抜き、沈静化に成功。
しかしメルトダウン寸前だったジュエルシードは大爆発という土産を残し、吹っ飛ばされた俺は更にぶっ飛び、重傷。
ちなみにプレシアの研究室は区画ごと壊滅。そんな中でユーノが俺を見つけることが出来たのは幸運だったとか。
どうやら、寸前まで構築していた結界のお陰で野郎は無事だったらしい。
その後、ユーノは俺の『トイボックス』にジュエルシードを収納、クロノと合流してアースラに戻ってきた。
で、俺の傷。アースラが本局についたらそのまま入院で、退院まで一週間。全治一ヶ月。
リハビリには更に一月と予想されているとか。そして魔法の使用、二週間の禁止。マジかよ。
軽いんじゃね? と思われるかもしれないが、治癒魔法が発達している管理世界では、かなりの重傷である。
「はー、大変だったんだなぁ」
「え、何その人事っぽい反応。エスティ、君のことだよ?」
「ううむ。イマイチ実感湧かないんだよね。事件が終わった、って言われてもピンとこないんだ。
最後まで――」
そこまで言い、割と致命的なことを思い出した。
何が致命的って、ここで寝ていることが致命的だよ!
「クロノを呼べ! 奴に話さなきゃならんことがある……!」
「ちょ、エスティ、まだ麻酔が効いてるんだから寝ててよ!」
「暴れちゃ駄目だってばー!」
「ええい離せ離せ、掴まれると――」
そこまで言い、あ、と三人同時に同じ言葉が漏れる。
なんでかっていうと、ぶしゅーと額から血が飛び出たからである。
「うわああ、血、血、ユーノくん、エスティマくんが大変ー!」
「うわわわわわ!?」
目を回す二人。んでもって意識が遠退きそうな俺。
その後、騒ぎを聞きつけてやってきた船医のお姉さんに助けられるまでこれは続いたり。
……猛烈に眠い。ぶっ倒れたい。
「……で、話とはなんだ。僕も事情を聞きたいのは山々なのだが」
ちら、とクロノが視線を動かす。
その先には、両腕を組んだ船医が。キツイ目でこっちを見てます。
はぁ、と溜息を吐くクロノ。
怪我人に無茶をさせるな、と言われているらしい。
「まず最初に一つ。あれからどれぐらい時間が経った? フェイトとアルフはどうなった?」
「二つ聞いてるじゃないか。……まず一つ目。次元震が収まってから、半日だ。
フェイト・テスタロッサは現在眠っている。酷く衰弱しているが、傷は君よりずっと浅い。
彼女の使い魔は、事情は君に聞けと黙り込んでいる」
思わず胸を撫で下ろす。
フェイトより先に目を覚まして良かった。運が悪かったら、口裏を合わすことが出来ないしな。
……あー、アルフもだ。ある程度事情を話しているとはいえ、ね。
さて、どうなることやら。
「さて、次はこちらの番だ。あの時、次元震が発生しようとしている時、君は何をした?
ユーノ・スクライアからある程度の話を聞いてはいるが、本人の口からも聞かせてくれ」
「ああはい。ジュエルシードの暴走を目にして、撤退しても無意味だと判断。
暴走を抑えるために、ジュエルシードに魔力攻撃を敢行。沈静化……できたのかな? 生きてるのを見ると」
「ほう……そうかそうか」
そう穏やかに言いつつも、クロノの頬は引き攣っている。
ついでに言うと、こめかみには特大の血管が浮かび上がっていたり。
「なぁ、エスティマ・スクライア。僕は念話で、君になんと言ったかな?」
「『次元震の――それも、大規模の兆候が観測された! 巻き添えを喰らうぞ』。
いやー、巻き込まれなくて良かったね?」
「違う! 君は僕をおちょくっているのか!」
思わず怒声を上げたクロノに、お静かに、と船医が声をかける。
それにぶすっと黙り込みながらも、話を続けるクロノ。
「撤退しろと言ったはずだが?」
「撤退しても次元震を抑えることはできなかった。ユーノと後で合流したことを考えれば、クロノも間に合わなかっただろうし……。
そんなに悪い判断じゃないと思っているんだけど」
「ああそうだ。アースラが沈まなかったのも、誰一人として欠けることなく事件を終えられたのも、君がジュエルシードを止めてくれたお陰だろう。
僕も結果論は大事だと思っている。君には感謝すべきだと、分かっている。
……だがな。
運が悪ければ君はここにいないんだぞ!? それを分かっているのか!」
「助かったんだから良いじゃないか」
言いつつ、あれ、と自分で首を傾げる。
なんだろう。
どうにも、自分の命を軽く見ている言動だなぁ、さっきから。
いや、今までだって無茶はしてきたけど、それは死なない範囲で、って話。
本気で死にそうな目に遭ったのは、あの特攻でリリカル人生二度目の体験なんだけれども。
「……っかしいなぁ」
「何がだ?」
静かな怒りが蓄積された様子なので顔を向けると、そこには茹で蛸のごとく顔を真っ赤にしたクロノが。
まぁ、俺のことは後に回すとして。
「ごめんクロノ。心配かけた」
「……ふん。協力者といっても、君は管理局の守る対象の一つなんだからな。
死なれちゃ、執務官の名折れだ。今後は今回みたいな馬鹿みたいなことをするな。
絶対だぞ」
「ああうん」
約束できないなぁ、と思ったので、空返事。闇の書事件もあるし、JS事件もあるし。
すると、言うだけ無駄と思われたのか、呆れたようにクロノは額に手を当てた。
「もう良い。次だ。君が連れ去られてから何があったのか、何をされたのか。
それを聞かせて貰おうか」
そこから事情聴衆開始。
嘘いつわりなく、時たま、フェイトは優しい良い子だよ、プレシアに使われていただけなんだよ、と交えつつ説明。
ふんふん、と頷いて事情を聞くクロノの顔は執務官のそれ。
きっと頭の中では既に、フェイトの減刑云々を考えているのだろう。
口は悪いが良い奴だ。
で、ある程度事情を話し終えると、
「……話は脱線するが、一つ良いか? 結局、君とフェイト・テスタロッサはどういう関係だったんだ?」
「うん。時の庭園に連れて行かれて色々と思い出した。
スクライアに拾われる前、確かに俺はあそこで暮らしていた。
で、捨てられた理由もなんだが、今なら分かる。
プロジェクトF、って単語に聞き覚えはあるか?」
瞬間、クロノは目を見開いた。
どこまでクロノが知っているのか分からない以上、俺から口は開けない。
そして、野郎が口を開くのを待って、一分ぐらい。
「……プレシアの研究室跡を調査した時、その単語が出てきた。
ただ、データのサルベージが絶望的でな。辛うじて残っていた紙媒体のも、構想段階のそれだけだ。
調査は進めているが、どうにも」
「そっか」
クロノにバレないよう、安堵の息を吐く。
流石に研究区画ごとぶっ飛べばどうしようもないか。
……よく生きてたなぁ、俺。
まあ良い。取り敢えず――
「人造魔導師を生み出す計画。それがプロジェクトF。
俺は、その落とし子ってことらしい」
――そんな嘘を、吐いてみる。
いや、嘘ではない。嘘ではないが、今の言葉には『俺だけ』というニュアンスを混ぜた。
データのサルベージが出来ないのならば、チャンスだ。
フェイトにはアリシアの記憶が焼き付けてある。なんだかんだ俺が吹き込めば、自分がアリシアだと思うことだって可能だろう。
「……そうか」
なにやら、お気の毒、といった感じのクロノ。
よし、今の内に一気に畳み込む。
「なんで作られたのかは不明だけど、ね。
……ま、子供の頃、そのプラントに足を踏み込んでダストシュート、って感じ。
多分、アルフもフェイトもそのことは知らない。
だから悪いんだけど、このことは秘密にしてもらえないかな」
「……何故だ?」
「妹に変な心配をさせたくないからさ」
「……それが偽りのものだとしても、か?」
「ああ」
沈黙が流れる。
クロノは口を開きづらそうにしているわ、視線をずらしてみれば船医さんは気の毒そうな顔をしているわ。
ああもう。
嘘なんだから、そんな顔されたらこっちが参るっつーの。
「……悪いが、フェイト・テスタロッサを裁判にかける以上、黙っていることはできない。
遠からず、彼女はこの真実を知るはずだ」
「ですよねー」
「だが、配慮はしよう。せめて、彼女が落ち着くまでは」
「……ありがとう」
「当たり前のことだ。母親が死んだんだ。
そんな精神が安定しない状態で、更に錯乱させる必要はない。
そんな死人に鞭を打つようなことをするような――」
「……え、死んだ?」
「ん、ああ」
しまった、とクロノは視線を逸らす。
だが、そんなことにかまわず、俺は思わず身を起こす。
脇腹に痛みが走るが、知ったことか。
「死んだって、あのプレシアが?」
「……ああ。研究所の跡に、プレシア・テスタロッサの遺体が見付かった。
……フェイト・テスタロッサの使い魔に身元の確認をしてもらったので、確実だ」
……なんてこったい。
まあ、少し考えれば、そうか。
ジュエルシードを道連れにしてアルハザードへと行くはずだったのに、あの場にあったのはロストロギアだけ。
だったら、不慮の事故があったと見るべき。
……それにしても、死んだのか、アイツ。
俺としては行方不明の方が有り難かったんだけどなぁ。
参った。
フェイトのダメージが洒落にならないぞ。
……くそ、取り敢えずここでもう一回芝居だ。
「……あの人、死んだのか」
「君が殺したわけではあるまい。気にするな」
「……なんだ、言い切れるのか? 捨てられた恨みを込めて俺がやったのかもしれないじゃないか」
「デバイスの記憶を覗かせてもらった。それはないと言い切れる。
……無闇に下手な発言をしない方が、身のためだぞ」
「そうだな。悪い」
どっかりと起こしたベッドに倒れ込む。
……ああ、ある程度の事情を話したら、本気で眠くなってきた。
「……おい大丈夫か。顔色が悪いぞ」
「喋らせている本人が一体何を。……ま、他にも聞きたいことがあるし平気」
などと言ったら、船医さんから射殺すような視線が。
すみません。
「すまないけど、疲れた。一眠りして良いかな?」
「ああ。君の意見、参考にさせてもらう。疲れているところ、悪かったな」
「……良い、って」
言葉を発しつつも、睡魔が猛烈な勢いで迫ってきている。
もう駄目やも。
それを最後に、ぷっつりと意識が途切れた。
それから三日後。
痛み止めを飲めばある程度動けるようになると、フェイト、アルフとの面会が許可された。
駄目、と言い張るクロノに、リンディ艦長が許可を出してくれたのである。
優しい人だ。
それにつけ込むようで悪いが、フェイトにはある程度の口裏合わせをしてもらえるよう、それとなく誘導しよう。
車椅子を押してくれるユーノに断りを入れて、フェイトとアルフがぶち込まれている一室へと入る。
怪我は完治したのか、拘束着を着たフェイトは俺の顔を見て、暗い顔を輝かせた。
アルフはアルフで、そんな様子のフェイトに苦笑している。
が、半分ぐらいミイラになっている俺である。再び顔を暗くし、慌てるフェイト。
「ど、どうしたの兄さん!?」
「あれまぁ……ミイラ男になっちゃって」
「うん、ちょっと無茶しちゃってさ。色々あったんだ」
「……ごめんなさい。私、兄さんを助けに行くことができなかった」
「気にしなくていいから。こんなの、一月もすれば治るし」
言いつつ、力こぶを作る。
ちなみに背中は脂汗びっしょりである。蝶痛い。
だが、その甲斐あってかフェイトは微笑みを浮かべたり。アルフには、無理しちゃって、と笑われた。
くそう。
「……なのはと戦ったって?」
「うん。負けちゃった」
「はは、あの子、強いからね。桜色の砲撃、ちょっとしたトラウマでしょ?」
「ちょっとね」
強張った笑み。どうやらちょっとどころじゃないらしい。
そりゃー視界を覆うほどの桜色なんて目にしたら誰だって夢に見るわ。
「で、アルフは大立ち回りをした末に捕まったとか」
「ふん、捕まってやったのさ。フェイトが倒れた以上、戦う意味なんてなかったからね」
「……まあ、フェイトもアルフも無事で良かった。球のような肌に傷でも残ったら、兄としては由々しき事態ですから」
「もう、何言ってるの」
控え目な笑みが浮かぶ。
どうやら思ったよりも元気なようだ。
それはそれで良いんだが――
「ねぇ、兄さん。母さんはどうなったの?」
やはりそれが気になるか。
どうやって誤魔化すべきかなぁ。
「母さんは……ごめん、分からない」
「……そっか」
先程の笑みから一転して、再び暗い顔。
アルフは、下手なことを言うなと鋭い視線を送ってくる。
……ここで嘘でも吐けば元気にでもなるんだろうが、それだと真実を知った時の反動がヤバいだろう。
今の俺には、グレーな解答をすることしか出来ない。
ちょっと歯噛みしたい気分になりながらも、努めて笑顔を。
一つだけ、どうしてもやらなきゃいけないことがあるんだ。
いくつだって嘘を吐いてやる。
その覚悟を持って、俺はここへ来たんだ。
「……ねぇ、フェイト」
「何?」
「そういえばさ、いつの間に名前を変えたの? 前はアリシアって呼ばれていたよね。
なぁ、アルフ?」
「いや、私は知らないけど」
「……アリシア?」
「そう。フェイト、ってアルフに呼ばれていたから分からなかった。
母さんにも妹がいるとは聞いてたけど、違う名前だったからさ」
「…………アリシア」
言葉をかけても反応せず、アリシア、と呟く彼女。
どこか瞳は虚ろで、何かを思い出しているようだが、さて。
……どう転ぶ?
「……私、アリシアって呼ばれてた?」
「俺はそう聞いてたよ」
「そっか。なら……うん。私はアリシアだった。そう呼ばれていた覚えがある」
「……ねぇ、フェイトとアリシア、どっちの名前が良い? 好きな方で呼ぶけど」
内心ドギマギしているが、なんとか顔に出さないよう努力して、言葉を続ける。
なんとも居心地の悪い沈黙が一分ほど。
そしてフェイトは俯いていた顔を上げると、真っ直ぐに俺を見た。
「フェイト。……辛い思い出はたくさんあるけど、こっちの名前の方が思い入れがあるから」
「ん、分かった。じゃあこれからも、フェイトをフェイトって呼ぶよ」
そこからは取り留めもない話をしたり。
初めて顔を合わせた時はお互いにビックリしたとか。
稀少技能は反則だとぼやかれ、こっちこそフェイトの魔力変換資質は卑怯だと言ったりとか。
怪樹戦でアンタに吹っ飛ばされたのは屈辱だったけど、まだ負けてなかったと負け惜しみを言われたりとか。
そんな、当たり前のことを話して、その日は別れた。
それから更に四日。事件が終了して一週間。
まだ時の庭園には調査隊がいるらしいが、壊滅状態の研究施設からはロクな情報を得ることが出来ていないらしい。
そんなことを、調査に同行したユーノから聞いたり。どうやらロストロギアがあったから意見を聞かせに行ったんだとか。
さて、今のところ俺のメッキは剥がれていないよう。
フェイトもアリシアという名を昔の名前だと思い込んだようだし、アルフは捜査に対して非協力的な態度(ただ黙っているだけである)を取り続けている。
どうやら本人、自分がうっかり口を滑らせるのが怖いらしい。
そりゃあ、自分の発言一つでフェイトの未来が左右されるのならば、迂闊なことは言えまい。
フェイトはフェイトで、割と協力的。
ただ、彼女自身が知らないことが多すぎてどうにもならない。
何故プレシアがジュエルシードを集めていたのか。
何故自分は名前を変えることになったのか。
彼女が口にする発言は、プレシアがフェイトに犯罪を強要していた事実を浮き彫りにするだけだ。
いくら彼女が母親を庇おうと、悪い人じゃないと言おうと、何一つ変わらない。
同情的な視線を送るクロノやリンディさんから見れば、フェイトは犯罪者とはいえ、被害者としか思えないのだろう。
アリシアという名を自分の名前だと思い込んでいる今の彼女に見えてくる真実など、何一つありはしない。
ちなみに、フェイトの身元がはっきりしないことから業を煮やしたクロノは、アリシアの死亡を診断した病院へかっ飛んで行き頭を抱える羽目となった。
隠蔽されていた事実。アリシアの遺体が何者かに持ち去られていたのだ。
これにより、管理局はフェイト・テスタロッサとアリシア・テスタロッサを同一人物と捉えるようになった。
アリシアに魔法の素質がなかったのでは、といくつか疑問が残ってはいるのだが、それ以外の方向に話が逸れないよう、それとなく誘導。
リンディさん辺りは若干気付いている節があるが、何も言ってこない。
きっと何かしら思うところがあるのだろう。これ以上フェイトに知らなくて良い現実を見せなくて良いとか。
きっと彼女一人が感づいていれば伝えていたのだろうが――俺が率先して事実を隠蔽しようとしているからか、彼女は黙っている。
その好意――好意と言えるかどうか微妙だが――に甘える形となって、俺に都合の良いよう、事件は収束に向かっている。
……きっと俺はロクな死に方しないんだろうな、と最近思うようになった。
ああちなみに、遺棄プールの跡地が見付かり、少しだけ騒ぎになったらしい。
何人もの、似た、しかし別物の魔力反応がこびりついた区画。
何か知らないかと問われ、躊躇いなく俺はこの手で吹っ飛ばしたと白状した。
無論苦い顔はされたが、それだけ。
いやまぁ、一時間ほど小言を言われ、今後、管理局と協力する時は勝手な真似をするなと釘を刺された。
そして、ある程度フェイトが落ち着いた頃を見計らって――
彼女に、プレシアの死が伝えられた。
存外、俺が思っていたよりもフェイトの反応は薄かった。
いやまぁ、俺が最悪の場合を想定していただけなのだが。
きっと他の人から見たらフェイトの反応は当たり前で、悲痛なものだっただろう。
泣きじゃくるフェイトをあやし、俺がいるからと宥め賺し、精神リンクでフェイトが悲しんでいるのを知ったアルフに責められ、散々な目にあった。
散々な目に遭ったが、それでようやく気付いたことがある。
それは、俺にしがみついて泣いているフェイトを抱き締めている時に気付いたことなのだが。
どうやら俺は、少しだけ自暴自棄になっていたらしい。
それもそうか、と納得する一方、悪い兆候だ、と苦い気分になる。
……元の世界に帰る方法を自らの手で粉砕して、此方側に残ると決めた。
知らず知らずの内に、そのことが尾を引いていたらしい。
自殺じみたジュエルシードへの特攻。
死地から生きて帰ったのに、イマイチ生きている実感がない現実。
まるで夢の中にでもいるようだ。全身の傷からは悲鳴が上がっているのに。これが現実だと知らされているのに。
そして、そんなしこりがあったからこそ、悲しんでいるフェイトを前にして動揺した。
まるで唯一の拠り所を離すまいとしている彼女に、目を覚まさせられた気分になった。
……思い出すのもあれだが、俺はそのとき、一緒になってフェイトと泣いた。
その時になってようやく、元の世界に戻れないと、本気で理解したのだ。