海の空気も、たまに吸うのなら悪くない。
いや、いつぞやの狂った世界を思い出すから少しだけブルーになるんだけど。
久々に降り立った海鳴の空気を吸いつつ、そんなことを考える。
場所は以前と同じ海浜公園。人気のない場所へと転送されたのだ。
腕時計に視線を落とすと、時刻は午後の三時。
……今頃、双子猫、グレアム、ハラオウン家族は墓参りへと出向いている。
クロノから聞き出したから確実だ。
もし感づかれたとしても、クロノの前で行動を起こしはしないだろう。
そして、この世界にすぐ転移してくることも不可能。ミッドからはそれなりに離れている。
今からの数時間だけは、好き勝手に行動させてもらおう。
今日は八神家へ行くことになっている。来訪は、なのは経由で送った手紙で知らせてある。
この世界へと赴いた表向きの理由はレイジングハートの整備だが、それは後回しだ。
今はただヴォルケンリッターとの顔合わせだけを考えよう。
一歩を踏み出す。
さて、良い方に事件が転がってくれれば良いんだけどな。
住宅街の方を目指し、海浜公園を出る。
はやて及びヴォルケンリッターだが、なんの権力も持たない俺が出来ることと言えば魔力蒐集の手伝いとフォローぐらい。
そのフォローの方は、未だに自分でも納得していないが、仕方ない。
……闇の書の存在をミッドのマスコミにリークして、カメラの前ではやてが如何に可哀想な境遇か、そして管理局職員が秘密裏にやっていた事件の隠匿を暴露する。
オマケで、はやてがヴォルケンリッターしか身内と呼べる存在がいないこと。
彼らは昔と違って感情らしい感情があること。
無論反発もあるだろうが、そこら辺ははやて本人に任せよう。
流石に家族を貶められて黙ってはいないだろうし、ね。
ロジャーさん辺りとかに力を借りないといけないし、クロノにも睨まれるだろうが、仕方ない。
特にはやてには……嫌われたってしょうがないだろうさ。
どこまで上手くいくかやってみなければ分からないが、俺に出来る限界はこんなところだろう。
などと考えている内に到着。
少しだけ躊躇しながらインターフォンを押すと、柚木ヴォイスがスピーカー越しに聞こえてきた。
リリカル in wonder
「エスティマくん、お久し振りー。『エスティマ』くんは元気でっか?」
「元気すぎて困るぐらい。はやても、元気みたいで安心したよ」
フェレットのことを聞いてくるはやてに笑い返し、それとなく視線を逸らす。
ソファーに座ったはやての足元にはザフィーラ。その隣にはヴィータ。
シグナムは腕組みしつつ目を瞑り、部屋の隅っこ。シャマルは、はやての作ったお菓子を盛りつけている最中である。
……わーい。何ここ。マジ怖い。
しかもヴィータからは敵意がビンビンだ。
なんでだよ。
「そうそう、この前送って貰った写真、見たよ。エスティマくんとそっくりやね、妹さん。
めっちゃ可愛いわー」
「ありがと。フェイトって言ってさ。ついこないだようやく会えたんだ――って、これ、手紙に書いたよね」
「ううん。こうやって直接聞くとやっぱり違うわ。良かったやん」
まるで自分のことのように祝福してくれるはやて。
若干ヘビーな内容でも普通にスルーだ。
ちなみに、最近生き別れの妹が見付かったって設定です俺。
まぁ、嘘ではない。
などとやっていたら、シャマルが台所から出てきた。
「はい、どうぞ。これ、はやてちゃんが作ったんですよ」
「あ、どうも。いただきます――」
と、クッキーに手を伸ばしたら、横から目標をかっ攫われた。
……気を取り直してもう一度。
そして再び消えるクッキー。
「……ヴィ、ヴィータちゃん、何をするのかな?」
「ふん。おめーがちんたらやってるからだろ」
何コレ。
なんで俺、そんなに嫌われてるの。
「こら、ヴィータ。意地悪はあかん。ごめんなエスティマくん。
この子、人見知りするんや。エスティマくんが来るって聞いてから、ずっとそわそわしてて」
「な……んなことねーよ!」
「あらあら。そうだったかしら、シグナム?」
「ヴィータの様子を見れば一目瞭然だな」
「おめーら!」
ガー、と吠えるヴィータ。
その隙にクッキー頂きます。
あ、美味しい。お菓子作りもいけるのね、はやて。
……ふと、視線を感じた。
視線を向けてみれば、そこにはザフィーラが。
ふむ、なんだろうね。
今のところボロは出してないと思うんだけ――
『エスティマ・スクライア』
不意に飛んできた念話。
送り主はシグナムだ。
彼女の方に視線を向けず、はやてと会話を続けながら、俺は念話に応える。
『なんでしょうか』
『お前は、ミッドチルダの者だな?』
『……良く分かりましたね』
内心の驚きを隠しつつ、なんとか応える。
シグナムも俺と同じようになんでもない風を装いながら、念話を続行。
『我らの中には鼻が利く者がいてな』
『ああ、そうか。守護獣の鼻を誤魔化すことは出来ないですねやっぱり』
『……お前』
それとなくプレッシャーが向けられる。
居心地の悪さを感じながらも、
「ヴィータちゃん。そんなに嫌わなくても良いと思うんだけど」
「うるせー。っていうか、ちゃんって付けるなよな」
「……はいはい」
なんとか会話も続行。
『シグナムさん。俺のことははやてから、どんな風に聞いてます?』
『以前拾ったフェレットの飼い主で……大切な友人だ、と』
『そうですか。……はい、そうですね。友人と思われているのなら、隠し事は良くないか』
『お前は何を隠している? 管理局の者だというのなら――』
『違います。嘱託ではありますが、管理局の犬になった覚えはない。
今日ここに来たのは、友人に会うためと、確認に』
『確認?』
『はい』
さて、いよいよ本題に入ろうか。
なんてことを考えつつ、
「ねぇ、はやて。この前手紙に書いてあったけどさ」
「なぁなぁ、はやて!」
「……なんで俺が話をしようとすると横槍を入れるのかな? ヴィータ」
「偶然だろ」
……誰かなんとかして。
『まず最初に。あなたたちは、ヴォルケンリッターですね?』
『……そうだ』
『やっぱり。俺はスクライアという一族で……ロストロギアに関してはそれなりの知識があります。
だからこそ、はやてのことが気になった。彼女の持っている闇の書……いえ、夜天の書に』
『……待て。今、なんと言った?』
『夜天の書、と』
視線をヴィータたちから逸らし、シグナムへ。
彼女は目を見開きつつ、虚空を、呆、と見詰めていた。
「シグナム、どうしたん?」
「い、いえ……少し、用事を思い出しまして。
外に出ます。申し訳ありません」
「ええよ。気ぃつけてな」
「はい」
『すまない。念話を続けよう』
『はい』
ドアが開き、閉じられる音。
どうやら妙な様子をはやてに見せたくないらしい。
『待たせた』
『いえ、気にしないでください』
『では、続きを話そう。
……我々の存在を知っているなら話は早い。お前は何を望んでいる。
主の友人を名乗り、魔導師という身分を隠し、何をするつもりだ』
『はやてを救うつもりです』
『主は充分に今を幸せだと言ってくれている。
我々も、これ以上を望むつもりはない。それなのに――』
『その幸せに時間制限があるとしても?』
そこで、ピタリ、とシグナムから念話が止まる。
それはそうだろう。
正に寝耳に水といったことなんだから。
『シャマルさんに調べて貰もらえば分かります。
リンカーコアが未発達なはやてに夜天の書が取り付いた所為で、神経系への浸食が始まっている。
原因を取り除かない限り、治ることのない死に至る病。
……はやてのリンカーコアが育ちきるよりも早く、夜天の書は宿主を殺しますよ』
『なんだと!? 貴様、冗談でも言って良いことと悪いことがあるぞ!』
『落ち着いてください。俺ははやてのことに関して嘘を言うつもりはない』
『……正体を主に黙っている者が言えた義理か?』
『……すみません。
けど、それなら今この場で明かしてもかまわない。
時間がないんです、シグナムさん。あと半年もすれば、はやての麻痺は心臓に及ぶ。
それまでに俺は彼女を救いたい』
『……分かった。主の死期が近付いていると、仮定しよう。
それでお前はどうするつもりなのだ? どうやって救う? 手段があるならば言ってみろ!』
『……それは』
どこまで喋って良いのかと、考える。
……結局、ヴォルケンズにも黙ることはあるな。
全ての考えを喋って決別されたら助けられるものも助けられない。
苦々しく思いつつも、それがどうした、と叫ぶ何かに突き動かされ、俺は念話を送る。
フェイトだって騙しているんだ。今更何を躊躇う必要がある。
『魔力の蒐集を終わらせ、ユニゾンが始まった時点で、はやての管理者権限による防衛プログラムと無限再生機構の切り離しを行うつもりです。
それなら――』
『夢物語だ。ユニゾンが始まった時点で主に意識が残っているという保証はない。
そんな危険な賭に主を付き合わせられるわけがないだろう』
『シグナムさん!』
『黙れ!
……分かってはいる。闇……いや、夜天の書のことをそこまで知っているお前が言うならば、その方法には可能性があるのだろう。
だがそれでも、主を危険に曝すわけにはいかないのだ』
『そうでなければ、はやての命が危ないんですよ!?』
『……分かってはいるさ』
苦虫を噛み潰したような思念。
もし対面していたのなら、歯軋りの音でも聞こえてきそうなほど。
『だが、それでも――』
「エスティマくん、次にこっちに来るのはいつなん?」
「んー、半年後ぐらい、かな? もしかしたらこっちで暮らすことになるかもしれないから、その時はよろしく」
「ほんま!?」
「ほんまほんま。まぁ、どうなるかは親の都合なんだけどさ」
言いつつ、はやての車椅子を押しているシグナムさんに視線を向ける。
……結局、俺が魔力の蒐集を手伝うという申し出は却下された。
同時に、防衛プログラムを破壊する案も却下だ。
……くそ。
「エスティマくん、またお手紙書くな?」
「……ん、ああ。俺も書くよ。っていうか、今度はビデオレターとかにしようか。
そっちの方が、雰囲気出たりして良いでしょ?」
「おー、その手があったか。流石はエスティマくん」
まぁ、なのはのパクリなんだけど。
「あー、でも、私あんまりパソコンとかに詳しくない。
こっちは今まで通りお手紙書くわ。
……そっちはビデオレターでええよ? エスティマくんの声聞くの、好きやから」
はやては、どこか照れたように言って顔を俯けた。
そんな様子に思わず微笑んでしまう。
「ん、ありがとう。また、来るよ。……必ず」
そっと彼女の頭を一撫でして、じゃあね、と声を上げる。
不意に頭をあげたはやての表情は、どこか俺を引き留めるような――しかし、それを必死に我慢している顔。
……くそ。
内心の悪態を顔に出さないよう努め、ゆっくりとはやてから遠離る。
……この後はなのはの家に行かないと。
そう考えつつ、これからどうしようと考え、
「主。彼はここの地理に詳しくないでしょう。私が、駅まで送り届けます」
「あ、私も」
「ん……ありがとな、シグナム、シャマル。お願いするわ」
二人が来るまで、脚を止めた。
二人が追い付くと、はやてに手を振って高町家へと向かう。
先程の念話が尾を引いているのか、俺もシグナムさんも口を開かない。
そのせいか、シャマルさんも居心地が悪そう。
まぁ、取り敢えず、だ。
「シグナムさん。俺はまだこの街に用事がありますから、駅まで来なくても良いですよ」
「あれは嘘だ。お前とは、まだ話したいことがある」
「不誠実な騎士ですね」
「本当にな」
くく、と笑い合う。
本当、俺は嘘ばっか吐いている駄目人間だ。はやてに黙って蒐集を行ったヴォルケンズを上回るぐらいに。
絶対にロクな死に方しない。
こっちだ、とシグナムさんに案内された場所は海浜公園。
人気のない場所へと案内され、その先にはベンチが見えた。
あそこで話し合いでもするのか――
「……すまないな」
「クラールヴィント」
『Gefangnis der Magie』
――瞬間、世界が音を失った。
空高く響いていた車の騒音も、遊んでいる子供の声も。
人の上げる音らしい音が全て消え、人気が失せる。
これは……封鎖領域。
「……シグナムさん? シャマルさん?」
首に下げたLarkを握り締めつつ、振り返る。
視線の先には、いつの間にか騎士甲冑を身につけた二人の姿。
シャマルさんは夜天の書を脇に抱えながら、申し訳なさそうな表情で地面に視線を落としている。
……待て。一体どういうことだ。
なんでこんな状況になっている……!
「主の危機、防衛プログラムを切り離す方法、そして、忘れていた夜天の書の名。それを教えてくれたことは感謝する。
……だが、だからこそ、お前を逃すわけにはいかない」
「ごめんなさい。例えあなたが誰にも喋らなかったとしても、夜天の書がどこにあるか知っている人を逃すつもりはありません」
だから、と続け、シグナムは炎の魔剣、レヴァンテインを俺へと向ける。
「……我らの勝手を許してくれ。お前の口は、ここで封じさせてもらう」
「だからって……!」
『Panzergeist』
応えはレヴァンテインの展開した魔法。
完全に向こうはやる気か。
振りかぶった拳を収めるような人じゃないことは、理解している。
けど……。
違う。俺は、こんなことになるのを防ぐために……。
それなのに、なんで……!
「――っ、Lark!」
『はい、ご主人様』
一瞬の内にセットアップを完了する。
真紅のハルバードに装甲服。
それを構え、シグナムと真っ向から視線を合わせた。
ランクはsts時点でS-だったはず。故にフルドライブは可能。
だが、俺は――
「こんなの馬鹿げてる。本当にはやてを主だと思って、助けたいのなら、こんなことをしてる場合じゃないだろう!?」
「……かもしれないな」
「けど、あなたほど私たちは管理局を信じてもいないし、甘いとも思っていない。
……はやてちゃんのことを思うからこそ、不安の芽はここで摘ませてもらいます」
『Explosion』
『……カートリッジロード』
レヴァンテインに呼応して、Larkが勝手にカートリッジを炸裂させる。
そうかよ。
どうあっても話を聞いて貰えないのなら……!
ギリ、と奥歯を噛み締め、
「この、分からず屋が……!」
俺は術式を構築した。
嫌な胸騒ぎがする。
それは、魔法と出会ったあの夜と同じ感覚。
エスティマが来ると言っていた時間までまだ間があったが、大人しくしていることが出来ず、なのはは家を飛び出した。
夕日に染まった街並みは平穏そのもの。
道を行く人々だっていつもと変わらず、息を弾ませて走っている自分が馬鹿みたいだ。
だが、
『To detect against evil. Seaside Park』
海浜公園に結界、というレイジングハートの声を聞いて、なのはは足に込める力を増した。
出来ることなら今すぐにでも飛んで行きたい。
そう思ってしまうほどの焦燥に身を焦がしながら、彼女は海浜公園を目指す。
そうしてようやく目的地に辿り着いたのだが、その直前に結界は消え去っていた。
そこにあるのは、帰ろうとしている同年代の子供の姿か、散歩をしている人。
まるで胸騒ぎが無駄だったと思えるような光景だが――
『To detect distress signal. Lark, as well』
「……救難信号?」
『Yes』
「――っ、エスティマくん!」
念話を送ろうとして思わず声に出してしまう。
その後も念話を送ってみるが、反応はない。
レイジングハートの誘導に従って、なのはは救難信号の発信されている場所を目指す。
そして――
『Over there』
「……………………え?」
木陰に隠れたところ。
茂みから覗く白い肌を見て、なのはは脚を止めた。
べったりと塗りたくられたような血。それが引き摺られるように、木陰へと続いている。
知らない内に息が詰まり、膝がガクガクと笑い出した。
それでもなんとか自身を鼓舞して、彼女は進む。
むっとする慣れない臭いを堪えながら、ゆっくりと――嫌な予感を否定して欲しいと願いながら、彼女は茂みを掻き分ける。
そして現れたのは、紅。
銀と紅で構築されたLarkは赤黒い何かで染め上げられ、全身に罅を入れている。
そして、そのマスター。
ユーノが魔法の先生ならば、師匠と言える少年は。
「エス、ティマ……くん?」
応えはない。
カチカチと歯が噛み合わず、手足が震える。
ドクドクと心臓が早鐘を打ち、落ち着こうとしても息が上がる。
じわじわと涙が込み上げてくるが、それも当然だ。
だって――
「エスティマくん!」
フェイトとお揃いの黒いジャケットは重く血を吸い、四肢は大量の血を撒き散らした地面にだらりと投げ出されている。
下に着ているカットシャツはあまり血に濡れている部分がない。
だがそれは、布の面積が酷く減っているからだ。
胸から下。そこから先は、破り取られたようになくなり、ネクタイは半ばで千切れている。
その代わりに見えるのは、肌ではなく、滾々と血を流す大口の傷。
目にしたこともない、見たくもないモノを前にして、なのはは逆流してくる胃液を必死に堪えた。
「嘘だよこんなの……嘘だよね?」
『Master, Please stay calm』
「違う、こんなの、違うよ……!
嫌ぁぁぁぁぁぁあああああああ……っ!」