緑黄色の照明に照らされた中で、キーボードを叩く男がいる。
キーを叩く指の動きは軽快で、心底その作業を楽しんでいるようだ。
無造作に伸ばされた髪の毛やくたびれた白衣。口元に薄っすらと浮かんだ笑みは、いくつもの要素が絡み合って狂気的にすら見える。
部屋の壁には培養槽が並んでいた。
中に入っているものは人であり、そのどれもが顔色に精彩を欠いている。
ともすれば人形に見えそうなものだが――微かに上下している胸が、それを否定していた。
男は、鼻歌交じりにキーを叩く。
ふんふん、と流れるメロディーに同調してキーが叩かれ、関係がないはずだというのに一つの旋律となる。
才能の無駄遣いというべきものだが、行っている本人は満足そのもののようだ。
そんな作業を飽きずにずっと続けていると――不意に、彼の目の前に通信ウィンドウが現れた。
『ドクター』
「……ん、なんだい? 定期報告まではまだ間があると思うんだがねぇ」
どこかのんびりした口調で話す彼だが、キーを叩く速度はまったく落ちない。
だが、それもいつもの光景なのか。
ウィンドウの向こうに移っている女は気にした風もなく、先を続ける。
『レリックウェポン計画の件です。少し興味のある情報を掴みました』
「ほおぅ。聞かせてくれたまえ」
『PT事件の際に発見されたプロジェクトFの成功作なのですが――死亡した、と』
「ふむ」
『博士がサンプルとして大変興味を抱いていたようなので、一応の報告を。
いかがいたしますか?』
「確保してくれると有難いが、可能かね? もうそろそろ試作機の製作を開始したいと思っていたところなのだよ」
『分かりました。サンプルの詳細情報をデータ転送します』
一拍置いて、男の正面にウィンドウが展開した。
そこには、エスティマ・スクライアと名前があり、彼の出生から魔導師ランクまで、およそテキスト化が可能なことが網羅されている。
添付された画像データの中には、一般には出回っていないはずの、海鳴で行った戦闘の場面なども。
男はその中の一点――稀少技能、という文字を見て、愉しげに目を細める。
口元は下品に広がり、おお、と言葉が漏れた。
「やはり悪くないじゃないか、これは」
瞬間、男の頭の中でこの魅力的なサンプルをどうするか、と思考が駆け巡る。
レリックウェポン計画は検証の段階でまだ完全とは言えない。そんな段階で果たしてこのサンプルを完成させることは出来るのか。
死亡したというのならば拒絶反応を無視して如何様にでもデザインできるし、人造魔導師なのだからレリックとの融合率も期待できるが、さて。
データ収集のために使い潰すには余りにも惜しい稀少技能。いずれ始まる決起の時には、間違いなく戦力となってくれるだろう。
……だが、それまでこれをどう運用するかだが――
「スクライア、か……」
呟き、よろしい、と繋げて、彼はウィンドウの向こうにいる女へと声をかけた。
大仰に両腕を広げて。
「ふむ、彼をこのラボに招待したまえ、我が娘! もてなしは丁重に、典雅さが欠けぬように!」
『了解しました、博士。
方法は如何いたしますか? いつもどおりに――』
秘密裏に、と続けようとした女を、チチチ、と男が人差し指を立てて遮る。
「今回は少し趣向を凝らそうじゃないか。偽装の七番。あれで、頼めないかい?
もし遺族が同意してくれるのならば、スクライアがレリックを発見した場合、最優先でこちらへと回してもらえる条件で……」
ははは、と男は笑い、
「蘇らせてあげよう、エスティマ・スクライアくん!
君に二度目の生を与えよう、盲目の生贄としての!
さあ、我が娘よ、現在時刻を記録せよ!」
喝采せよ! 喝采せよ!
リリカルin wonder
息が弾む。
それもそのはずだ。ここまで休まず、ずっと走ってきたのだから。
曲がり角の向こうに見えたのは、赤いランプの点灯した手術室。
ドアの前には、いくつもの見知った顔がある。
しかし、人数自体は少ない。
自分も早く着いたほうなのだろうと――そう、フェイトは結論付けると、真っ先に目に留まった友人へと駆け寄った。
「あ……フェイ――」
「なのはぁっ!」
別に彼女が憎いわけでもなかったが、フェイトはなのはの胸倉を両手で掴むと、倒れこむようにして壁へと叩き付けた。
……だが、フェイトは気付くべきだっただろう。
なのはの瞳に浮かんでいるのは怯えであり、それはフェイトがくるずっと前から宿っていたことを。
「兄さんは!? 兄さんはどうなったの!? なのは……!」
「あ……あの、その……」
「早く答えて! 兄さんが危篤って、どうなって――!」
「フェイト、ちゃん。わた、私は……」
「止めるんだフェイト!」
曲がり角から二つの影が姿を現す。
一つはユーノ・スクライア。そしてもう一つはフェイトの使い魔であるアルフだ。
ユーノはなのはからフェイトを引き剥がすと、そのままアルフへと引き渡す。
離して、と尚も叫び続けるが、アルフが抑えているせいで身動きが取れない。
……フェイトを羽交い絞めにしているアルフの表情も、悲壮なものだった。
気遣いや憐憫に混じり、仄かに燻った怒りが滲んでいる。
だが彼女はそれを表に出さず、ただ主を落ち着けようと言葉をかけていた。
それを横目で確認するとユーノは、なのはに笑いかける。
どこかぎこちない笑みだが、ここ数時間誰も浮かべなかった表情。
それを目にして、じわり、と彼女の瞳に涙が浮かんだ。
「ユーノ、くん」
「うん、なのは。何があったの? ゆっくりとで良いから、教えて」
年齢に不釣合いな柔らかな声で、ユーノはなのはを宥めるようにして声をかける。
なのははぎゅっと目を瞑って小さく頷くと、おずおずと口を開いた。
「あの……私、嫌な予感がして、ジュエルシードのときみたいで、怖くなって……だから、エスティマくんを探しに出て」
「うん」
「そうしたら、公園で――変なことろなんて何もなかったのに、血がいっぱい出てて……」
それでエスティマくんが、となのはは嗚咽を漏らした。
うん、とユーノは彼女の頭を撫でつつ、脳内で話を繋げてみる。
……だが、それで分かることなど何もない。
なのはは単純にエスティマを発見しただけだ。それ以外の何も分からない。
しかし、ここまでなのはが動揺したのだ。それだけのことがあったに違いない。
彼女の芯がどれだけ強いのか、ユーノは誰よりも知っているつもりだった。
ずっと側で見てきたのだ。それ故に、ここまで追い詰められたなのはの様子から、尋常じゃないことがあったのだと予想できる。
……一先ずは、エスティが無事かどうかが、一番大事だよね。
何も出来ないようなものじゃないか、と嫌になるが、自分に出来ることなんて何もない。
そんな自分に腹が立つ。
奥歯を噛みしめ、しかし、努めて平静を装いながら、ユーノはなのはをソファーに座らせた。
「……ユーノ」
「なんだい、フェイト」
「兄さんは?」
「まだ分からないよ。今は手術中」
「大丈夫だよね? 兄さん、なんともないよね?」
頼むから、とフェイトは言葉を続ける。
だが――
「分からない。危篤って話だから」
「――っ、なんで!? なんで、大丈夫って言ってくれないの!」
アルフから刺す様な視線が向けられ、睨み返したい衝動に駆られながらも、ユーノは必死で自制する。
この場で取り乱してはいけない。せめて自分ぐらいは、と。
……取り乱してエスティが五体満足でいてくれるなら、いくらでも取り乱してやる。
けど、そういうわけにもいかない。
エスティがいない今こそ、自分は頑張らなければならない。
自分は、エスティとフェイトのお兄さんなのだから。
だから、この程度のことで慌てるわけには。
そのとき、不意に手術室のランプが消えた。
手術室前にいた者たちは一斉にそちらに視線を送り、フェイトが真っ先に飛び出そうとする。
『……アルフ、お願い』
『あいよ』
心底不満げながらも、アルフはユーノの念話に従ってフェイトを押さえつける。
それを視界の隅で捉えながら、ユーノはゆっくりと一歩を踏み出した。
「あの、僕、エスティ……エスティマ・スクライアの親族です」
いやに乾いた声が出たことに、自分でも驚いた。
それでもかまわず、ユーノは先を続ける。
「……僕の、弟は?」
「……残念ながら。ここへ搬送された時点で、既に心停止状態でした。その上、出血が――」
医師の言葉が耳を素通りする。
いけない、と思いつつも、しっかりしないと、とぐらぐらと頭が揺れる。
膝から下が力を失い、今にも崩れ落ちそう。
風景がじわじわと歪み、色んなものが決壊し――
「……嘘だ」
感情の一切が込められてない声を聞き、正気に戻った。
振り返れば、そこには抵抗を止めて、アルフに抱きとめられているフェイトの姿がある。
誰かに支えてもらっていなければ、倒れ込んでしまいそう。
……見てられない。違う、見てないといけない。
ここで自分がしっかりしていないと、いけないのだ。
しかし、
「嘘だよね? ねぇ、アルフ、嘘だよね?
なのは、ユーノ。兄さんが死んだなんて、何かの悪い冗談で――
そ、そう、そうだ。なのはが他の人と間違っちゃって……!」
「……フェイト、ちゃん」
堪え切れなくなったのか、なのはがフェイトに手を伸ばす。
そっと頬に触れられるが、それでもフェイトは反応せずに笑みを浮かべる。
引き攣った、決壊一歩手前のものを。
「なのはぁ……ねぇ、兄さんはどこ? どこに――」
「鎮静剤を打ちますから、こちらへ来ていただけますか?」
「あ、はい。フェイト、行くよ?」
「やめてアルフ! 兄さんが、違う、兄さんのところに行かないといけないの!
兄さんが……!」
「うん、そうだね。ほら、行こう、フェイト」
駄々っ子をあやすような口調でフェイトをあやし、アルフは主人を連れてゆく。
それを見送り、なのはと二人っきりとなった時――ようやく、ユーノは膝を折った。
そのまま背中を壁へと打ちつけ、呆、と視線を天井の蛍光灯へと向ける。
……なんでエスティが。
……誰がこんなことを。
そんなことを考え、
「……ユーノくん」
声を掛けてくれたなのはを見て。
もっと早く彼女が見付けてくれたら……!
不意に湧き上がってきた衝動が、噴出しそうになる。
だが、それだけは口に出してはいけないと、千切れんばかりにユーノは唇を噛みしめた。
ぬるりとした感触に鉄錆の味。
熱さや痛みが滲んでくるが、どうにも遠いもののように感じられた。
自分の身体だというのに、現実感がない。
いや、いっそ現実じゃないのなら有難い。
「……何かの悪い夢かな、これは。
いや、ごめん。うん。そっか。……エスティが、死んだのか」
「ユーノくん、ほら、立って」
「うん……ごめん、ありがとう」
握った彼女の手は、何故か冷たかった。
見てみれば、握り締めていたのか皮膚からは血の気が抜けている。
……そうだ。耐えているのは自分だけじゃないんだ。
他の人がそうしているから、という根拠の無い義務感だけを頼りに、ユーノはなんとか立ち上がる。
それでも、壁に背中を預けたままだったのだが。
「殺しても死なないって、思ってた。どんなに無茶をしたって、きっとエスティなら大丈夫だって、どこかで思ってた。
だからかな。きっと今回のも悪い冗談だと思うけど……違うんだよなぁ」
「うん、そうだね。エスティマくん……強かったもん」
「そうだね」
「……それなのに、さ」
手を額に当てて俯く。
エスティは一体何をされたのだろう。
どんなことを思って死んだのだろう。
どんどんと感情が沈んでいくのを自覚しながら、ユーノはこれからのことを考える。
僕は――
「失礼。エスティマ・スクライアさんのご家族の方ですか?」
不意に掛けられた声に、ユーノは顔を上げる。
そこにいたのは見知らぬ女。
管理局の制服を着ているのが特徴らしい特徴。
「失礼。申し遅れました。私、こういった者です」
彼女はにっこりと、友好的で事務的な笑みを浮かべると、名刺を差し出す。
そこに書いてあったのは、彼女が管理局の医療研究機関に所属していること。
その程度だが、はて。
何故彼女がこんな場所に来ているんだ?
「エスティマさんのことは大変残念でした」
「いえ。……それで、なんでしょうか? 管理局が僕になんの用です?
回りくどい言い方をするなら帰れ。そんなのを聞いてる余裕なんてないんだ」
行き場を失っていた怒りが矛先を求めて暴走する。
もし、なのはがもっと早く――
もっと管理局がしっかりしていたら――
誰も悪くない。それは分かっているというのに、目の前の女が悪意を持ってここへ来たのだと錯覚してしまいそう。
下手に堪えるせいで、ユーノの心は軋みを上げていた。
そんな彼を見て、その場の誰にも気付かれないほど僅かに、女は微笑みを浮かべた。
しかし、すぐにそれを打ち消すと、神妙な顔で言葉を紡ぐ。
「では、単刀直入に。
エスティマさんがまだ助かるとしたら……どうしますか?」
「……なんだって?」
唐突にもたらされた一縷の望みに目を見開くと同時、ユーノは悪寒を感じた。
死亡、とされたエスティマを助ける手段がある。それは、この場にいる誰もが望んでいることかもしれない。
だが――何故この女はそんなことを口にする? そんなことを口にできる?
「私達の部署は、クローニングを使っての医療技術を研究しておりまして……。
それを使えば、あるいは、と」
「……そんな人たちがなんでエスティを助けるんです? 何を望んでいるのですか?」
「話が早くて助かります。実は、我々は一つのロストロギアを集めておりまして」
瞬間、ユーノの目の前にウィンドウが開く。
そこに映っているのは赤紫色に輝く宝石。それを目にして、そういうことか、とユーノは納得する。
「スクライアがこのロストロギア――『レリック』を発見した場合、我々に最優先で提供してもらえるならば、エスティマさんを助けるのに力をお貸ししましょう。亡くなってから時間の経っていない今ならば、蘇生は可能かもしれませんよ?
ああ、もちろん、レリックはそれなりの値段で買い取らせていただきます。……どうでしょうか」
そちらにも悪くない話だと思いますが、と終わらせ、ユーノに視線を送ってくる。
ユーノとしては今すぐにでも飛びつきたい話なのだが……。
「こうしている間にも、徐々にエスティマさんが助かる確率は減ってゆきますよ?」
『――っ! ユーノくん、なんで返事をしないの!?』
『分かってるよ! けど……こんなこと、僕が返事を出来るわけがないじゃないか』
そうだ。
価値も分からないロストロギア。それをいかにも怪しい集団に売却するなど――運が悪ければスクライアが管理局に目をつけられる。
同じ管理局内の研究機関と言っても、正規の手続きを踏まなければ売却することは出来ない。
そんな取り決めを一人で行うなど、今の自分に出来ることではない。
自分一人が面倒を背負い込むのならば良い。
だが、一族全体を巻き込むとなると、簡単に返事をするわけには――
「その交渉、少し待ってもらえないかね?」
柔らかな、しかし、強い意志を感じさせる声が響いた。
ユーノになのは、女が一斉にそちらへ振り向くと、一人の男がいる。
彼の服装は病院だと異様に縁起が悪い。だというのに気にした風もなく、男――ロジャー・スクライアはサングラス越しの視線を女へと向けていた。
「……あなたは?」
「スクライア専属の交渉人、ロジャー・スクライアと申します、お嬢さん」
よろしく、とサングラスを外し、ロジャーは握手を求める。
女はそれに応じると、ああ、と思い出したように声を上げた。
「『あの』有名なロジャーさんでしたか」
「ええ。『あの』有名なロジャーです。
……では早速、交渉といきましょう」
女と共にロジャーがその場から立ち去る。
その去り際、ロジャーからの念話がユーノに届いた。
『安心したまえ。長老様から、救えることなら救え、と指示を受けている。
彼を見捨てることがないよう、話を進めるさ』
『ありがとうございます!』
『はっはっは、気にしなくて良いよ、ユーノくん。
しかしアレだね。もし生き返っても馬車馬の如く働かされるんじゃないかなエスティマくんは。
ひょっとしたら生き返らないほうが良いのかもしれないね』
……この人って、最低だ。
ふと、そんな言葉がユーノの脳裏に浮かんだ。
エスティマが助かるかもしれない。
その希望が見えただけで、ユーノとなのはの心は随分と救われただろう。
しかし……。
フェイトが寝かされている病室に辿り着き、控えめなノックをする。
中から聞こえてきたのはアルフの返事。
そっとドアを開くと、カーテン越しの街灯り以外、光源は存在しなかった。
そんな暗闇の中、ギリリ、と何かを噛み鳴らす音が響く。
なんだろう、とユーノが電灯のスイッチへと手を伸ばし、
「点けるな、ユーノ」
深く沈んだアルフの声に止められた。
なのはに小さく頷き、二人とも病室へと入る。
まだ暗闇に慣れていないため良く見えないが、ベッドには確かにフェイトが眠っているようだ。
その側にいるアルフは、パイプ椅子に座り、肘を膝についた状態で深く腰を下ろしている。
「あのさ、アルフ……」
「なんだい」
「ひょっとしたら、なんだけど……エスティ、助かるかもしれない」
「……本当かい?」
俯いたままだった顔が上がる。
うっすらとしか浮かび上がらない薄闇の中でも分かるほどに、アルフの目は爛々と輝いていた。
それは先ほどまで沈んでいた感情の残滓だろうか。
とても真っ当な感情とは言えないそれに、思わずユーノは後退った。
「アイツ、死んでなかったのかい?」
「……ううん。けど、助かるかもしれないって」
「なら――!」
「待って、アルフ」
フェイトに知らせないと、といきり立つアルフを、ユーノは制止する。
「まだ助かるって決まったわけじゃない。可能性があるだけなんだ。
……だから、フェイトには」
「だからどうしたっていうんだい」
フェイトを起こさないよな音量で、しかし、しっかりとした意志のこもった声が届く。
思わず口ごもりそうになりながらも、ユーノは先を続けた。
「盲目の希望なんて、下手な絶望より質が悪い。
だったら、完全にエスティが助かると分かるまで、黙っていた方が良いと思うんだ」
「関係ないね。助からなかったら使い魔でもなんでも作れば良い。
ソイツをあの馬鹿に変身させれば充分さ」
「……アルフ。自分が何を言っているのか、分かっているの?」
それは、自分の存在すら否定しそうな一言だった。
しかし、それでもかまわないと、アルフは鼻を鳴らす。
「エスティマはフェイトを幸せにするってアタシと約束した。
だっていうのに――これはなんだい?
またフェイトは傷付いて、責任取らずに勝手に逝って……」
ギチリ、とグローブが悲鳴をあげるほどに握り締め、
「だから、死んでも責任を取るべきだ。嘘を吐き続けるべきだ、アイツは」
それならば、例え自分と同じ使い魔がエスティマという存在を引き継いでも良い。
「どいつもこいつも勝手なんだよ。
なんでフェイトばっかりこんな目に遭わないといけないんだい……!
絶対、絶対に見つけ出して殺してやる。
くそ、なんなんだい、もう!
エスティマだって、殺されるようなことなんか、一つもしてないじゃないか……!」
搾り出された最後の言葉。
それがアルフが始めて口にした、主人の兄に対する怒り以外の感情だった。
そして、
「フェイトが屈託なく笑うようになったのも、明日を楽しみにするようになったのも。
全部アイツのお陰だったのに……!
まだフェイトは誰かに支えてもらえなきゃ一人で歩けないんだ。
けど、それはアタシじゃ駄目で、あの馬鹿以外の誰も出来ないことだったのに……!」
嗚咽交じりに、血を吐くように。
アルフは肩を震わせた。
薄ぼんやりとした光のない部屋なので、彼女の表情を見ることはできない。
だが、分かる。この場にいる、眠ってるフェイトだって、同じ感情を抱いているだろう。
服の裾を掴まれた感触に、ユーノは視線を落とす。
隣に立っているなのはは、ただフェイトを見詰めながら、無言で訴えかけてくる。
……どうしてこうなっちゃったのかな?
それを、知ったことか、と気って捨てられるほどユーノは感情に飲まれていなかった。
今までのように鬱屈としたものを飲み下し、冷静に、と自分自身に言い聞かせる。
……自身のこと故に、彼は気付いていない。
この中で最も険しい目つきをしているのは、自分だということに。
「……ただいま帰りました」
「おー、お帰り。シグナム、シャマル。
エスティマくん、ちゃんと帰ることが出来たか?」
「……はい」
背後のシグナムを身体で隠しながら、シャマルはいつもどおりの笑みを主に向ける。
そか、とはやては小さく頷くと、車椅子を操作して台所へと向かった。
後姿はご機嫌そのものだ。
口ずさんでいる鼻歌も、アップテンポなもの。
きっと今日一日は、彼女にとって良い一日だったのだろう。
『……シグナム?』
『すまない、シャマル』
振り返ったシャマルの視線の先には、強張った顔のまま床に視線を落としている、烈火の将の姿があった。
シグナムは申し訳ないと思いながらも、どうしたって顔を上げることが出来ない。
こんな顔をしていては、はやてに何か感付かれるかもしれない。
だというのに、弓を爪弾いた感触は未だ残っている。消すべきだ、忘れるべきだと分かっていても。
『……すまない。少し、外に出てくる』
『遅くならないようにね』
『ああ』
仄かに漂ってくる夕食の香り。
だが、それがシグナムに平常心を取り戻させることはなかった。
鼻の奥には血の匂いがこびり付いている。
もう慣れた筈なのに、何故こうも――
「シグナムー?」
「……なんでしょうか、主」
「ご飯もうすぐ出来るから、はよ帰ってきてなー。
ほかほかが一番や」
「……はい」
はやての声を聞き、そうか、とようやく思い至る。
主の日常を形作る一つの欠片を、切り捨てたのだ。
危険『かも』しれないというだけで、力を貸すと言ってくれた者を屠った。
……忘れるな、と何かが囁く。
自分の犯した罪を忘れるな。
あれを切欠に動き出す組織があることを忘れるな。
主の友人が教えてくれたことを忘れるな。
……もう自分には、はやての笑みを向けてもらえる資格がないことを、忘れるな。
「……主。少し、帰りは遅くなるかもしれません。
私の分の夕食は、結構です」
「そうなん? 分かったー!」
台所から聞こえてくる間延びした声に微笑みを浮かべ、シグナムはドアを開く。
自分がいなくなれば主が悲しむ。そう囁く弱さを切り捨て、
『シャマル』
『何?』
『あとのことは、頼んだ』
それっきり。
念話を切り上げ、シグナムは八神家から出て行く。
この日から、シグナムが八神家に姿を現すことはなくなった。