海浜公園。
現場検証を行うため、管理局の魔導師たちはそこへと赴いていた。
結界を張って人の出入りを禁じ、ここで何があったのかを調べる。
調べた先から血痕を消し去り、飛び散った肉片などを回収し、現場を見てしまった一般人に処置を施す。
時刻は既に夜。
公園にやってくる人は決して多くはないが、零でもない。
それらの人が結界内へと侵入しないよう細心の注意を払いつつ――
「……なんだ?」
違和感。
いや、そんなものではない。
目に見えて現れた異変に、管理局の魔導師は眉根を寄せる。
デバイスを起動し、警戒態勢へ。同僚達へ注意を促し、背中合わせに周囲を見る。
管理局の展開した結界を上書きするように現れたのは、無音の世界。
封鎖領域。
これは、数時間前に少年が殺害された時と同じ種類か。
「失礼する」
不意に響いた声に、魔導師たちは一斉に身構えた。
公園の電灯の下。
まるでスポットライトに照らされた場所へ、一つの影が近づいてくる。
赤紫の髪を一つにまとめ、長剣を片手に持った女。
ベルカ式の甲冑姿。
コイツ、殺害された少年のデバイスのデータに――
魔導師の足元にミッド式の魔法陣が浮かびあがる。
それを目にして、女は剣を構えると、
「お前たちに恨みはないが――」
『Panzergeist』
ガシャン、とカートリッジがロードされ、
「――その魔力、貰い受ける」
戦闘という名の蹂躙が、始まった。
リリカル in wonder
「おーい、フェイトー」
誰がが呼ぶ声。
薄っすらとフェイトは目を開くと、そこには兄の姿があった。
あー、兄さんだー、と頬が緩むのを感じつつ、
「ご、ごめんなさい!」
跳ね起きる。
何寝ぼけているのだろうか自分は。
普段は自分がエスティマを起こすはずなのに、逆に起こされるだなんて。
……妹として、屈辱だっ。
そんな風に一人悔しがるフェイトを尻目に、エスティマはただ首をかしげている。
そりゃあ今のフェイトを傍から見たら、単に寝起きが悪い人である。
「フェイトってこんなに寝起き悪かったっけ?」
「……ううん。なんでもない。おはよう、兄さん」
おはよう、と返してもらい、フェイトは笑みを浮かべる。
先に飯場に言ってるよ、と、エスティマは手をひらひらさせて部屋から出て行った。
それを見送ると、うん、と頷き、着替えを始める。
動きやすいように白の短パン。黒のブラウス。
その上からスクライアの部族服を頭から被り、最後になのはからもらったリボンで髪を結んで準備完了。
鏡で外見をチェックすると、フェイトは部屋の外に出た。
それにしても、と思う。
よく兄さんが無事だったものだ。
一時は死んだなんて聞いたけれど、やっぱり兄さんは兄さんだった。
理屈は抜きでも、兄さんは兄さんだから大丈夫なのだ。
廊下を歩いているとスクライアで知り合った友人などと顔を合わせ、挨拶をしたり。
今日も一日頑張ろう、と言い合いながら、飯場を目指す。
おしゃべりをしつつ辿り着いた場所には、いくつも並んだテーブルと列を成している皆の姿。
ご飯をもらうために列に並ぶと、ふと、目の端にエスティマの姿が映った。
彼もフェイトに気付いたのか、手を振ってくる。
『フェイトの分ももらってあるから、早くおいでー』
『ありがとう』
また面倒をかけさせてしまった。
いけないなぁ、と思う反面、甘えさせてくれて嬉しく思う。
エスティマの座っているテーブルには、ユーノとアルフがいた。
いつもの面子だ。
「おはようフェイト。寝坊かい?」
「うん。昨日は少し夜更かししちゃって」
「フェイト、あんまり夜更かししちゃいけないよ?
綺麗な肌が荒れたりしたら、アタシは悲しいよ」
「ごめんね、アルフ」
席に着く。
自分の分の朝食はまだ湯気が立っており、運んでもらってからそれほど時間が経ってないことが分かる。
スクランブルエッグにベーコン。サラダにライス。
盛られている量は他の人と比べたら若干量が少ないが、それは自分が小食だからだ。
……兄さんが取ってきてくれたみたい。
アルフは大盛り。ユーノは普通。エスティマは小盛り、と、持ってきてくれる人によって盛り付け方が違うのだ。
今日は兄さんにばかり頼りっきりだなぁ、と思いつつ、頬が緩む。
「……やっぱりさぁ。それだけじゃ少ないって、フェイト」
「アルフ。あんまり多くしたって、食べられないものは食べられないって。
残すのも残されるのもどっちだって嫌な気分になるんだから、これで良いだろ?」
「あのねぇ、エスティマ。食べるもの食べなきゃ、大きくならないだろう?
フェイトは美人になる要素が詰まりに詰まっているんだから、こう、ねぇ?」
と、話を振られて、それとなくユーノは視線を逸らす。
「……そうだね」
「おいクソ兄貴。その逸らした先がアルフの胸元ってのは人としてどうよ」
「ちょ、朝っぱらから何言ってるんだよエスティ!?」
「あっはっは! 良いんじゃないのかい? 別にさぁ」
と、アルフから流し目を送られてユーノは頭を抱えた。
……いつもの光景だ。
本当に良かった、とフェイトは微笑む。
こんな毎日がずっと続けば良い。
大きな変化などなくても、こうやって穏やかな毎日が続くなら、私はそれで良い、と。
……夢を見ていた。
ゆっくりと目を開く。
そこに兄の姿があるわけもなく、広がるのは知らない天井と、暗闇。
ぼんやりとした頭で、何があったっけ、と思い出す。
何が――
「う……あ……っ」
両腕で自分の身体を抱きしめる。
ギリ、と二の腕に爪を立て、じわじわと血が溢れ出す。
身体が震える。爪が突き立った傷口が痛い。
いや、違う。痛いのは、そこじゃない。
胸を庇うように身体を折り曲げ、ドクドクと高鳴る鼓動と共に額から汗が、腕からの血がシーツに垂れる。
「ああああ……っ」
目を中心に頭が熱くなる。
鎮静剤を打たれる直前。医者が言っていたことを思い出し、
「ぐっ……うううう……」
堪えようとしても、どうしようもない嗚咽が漏れ出す。
際限なく湧き上がってくる涙に、息が出来ないほどの胸の苦しさ。
しゃくり上げながら、フェイトは爪に一層の力を込める。
薄皮だけではない。その下の肉も剥がし、しかし、それでも足りないとフェイトは抱きしめる力を増す。
「……兄さん――エスティ、マ……」
ぶつん、と鈍い音。
兄の名を呟くと同時に、フェイトの爪はそれぞれの二の腕に五本の線を引いて、皮膚を裂いた。
そして腕を振り上げ、
「あああああああああ……!」
ベッドの落下防止用の柵に、左腕を叩きつける。
意味などない。ただ何かを壊さないといけない、そうしないと自分がどうにかなる、と無意識に思い、フェイトは全力を込める。
金属に肉が打ちつけられる音。喉が枯れようと止まない絶叫。
狭い個室に木霊するその声には数々の感情が混ざりすぎて、既に元がなんなのか分からなくなっている。
いや、これは既に感情の域を超えたものではないだろうか。
「フェイト!?」
それを聞きつけ、アルフが勢い良くドアを開いた。
目を驚愕に見開き、フェイトの恐慌を止めるべく抱きついてくる。
だが、フェイトにとって関係ない。
ただ八つ当たりの対象が増えただけで、拘束から逃れようと必死で暴れる。
たった一人しか残っていない大切な肉親が死んでしまった。
自分に毎日が楽しいと教えてくれた存在が、いなくなってしまった。
……そんなことを認めるわけにはいかない。
こんなのは嘘だ。夢であれ、と、フェイトは闇雲に身じろぎをする。
喉から漏れる叫びが止むことはない。
空気を振るわせる形のない言葉は、そのままフェイトの心境を表しているようだ。
こみ上げてくる衝動を抑えきれることができず、フェイトはただ胸の内で渦を巻いている衝動を吐き出すべく、否定するために――
「――から!」
「……え?」
不意に、偶然に耳が拾った音。
それを聞き返すべく、フェイトは声を上げる。
焦点の合わない瞳には微かにだが正気の輝きが戻り、自分をきつく抱きしめるアルフへと視線を向ける。
「大丈夫だよフェイト。エスティマ、生きてるから。アンタの兄さんは死んじゃいないんだよ」
「……そうなの?」
「そうさ。今はちょっと会えないけど、怪我が治ったらまた一緒に暮らせるから」
だから大丈夫さ、と、アルフはフェイトの髪の毛に顔を埋める。
それでようやくフェイトは動きを止めた。
高鳴っていた鼓動はゆっくりと正常なものに戻り、無意味にこもっていた力が抜けてゆく。
……その様子に、アルフは安心しただろう。
このとき、彼女はフェイトの目を見るべきだった。
なぜならば。
ようやく宿った正気の色は――
刹那の内にどろりと濁ったのだから。
スクライアの嘱託魔導師が『重症を負った』のを切欠に、管理局はこの事件に取り掛かることとなる。
現場検証を行っていた魔導師が酷くリンカーコアを損傷していたこと。
襲ってきた者が過去の闇の書事件で目撃されたヴォルケンリッターと酷似していること。
この二つをもって、これは『第97管理外世界・闇の書事件』と呼ばれ、対応にはアースラが派遣された。
だが、海鳴に派遣した魔導師が次々と魔力の蒐集を受け、ヴォルケンリッターを捕獲することは叶わず。
アースラの執務官はこれに痺れを切らし、大胆な行動を決断する。
……それが、事件が発生してから半月後の出来事。