ディスプレイに浮かんだデータ。
あの日のエスティマのスケジュール。
それを睨み付け、ユーノは腕を組む。
転送ポートの履歴と、彼がなのはの家に行く予定となっていた時間にはかなりの差がある。
その間、彼は果たして何をしていたのか。
ずっと調べてきたことだった。
それこそ寝る間を惜しみ、気がささくれて、投げやりともなればフェイトの面倒すら見ようと思えなくなるぐらいに。
エスティマのデバイスであるLarkは、海鳴に着いてからシャットダウンされていたと言っている。
事実なのだろう。多分。
彼女のメモリーを覗かせてもらったが、確かに、海浜公園へと転送されてからの記録は残っていなかった。
転送されてから、殺害されるまでの空白。
その間に何があったのか――
ずっと調べ、ようやく解明の糸口が見えた気がする。
机の上には、色とりどりの、ファンシーな便箋が散らばっている。
エスティマの机の引き出しから失敬した物だ。
差し出し名は八神はやて。手紙の内容に前回の返答のようなものが書いてあったことから、文通をしていたのだろう、とユーノは当たりをつけていた。
住所は海鳴。知り合いだろうか。PT事件のとき、現地の者と会っているような余裕は――
否、あった。
彼が日中どこで暮らしていたのか、ユーノは知らない。
その時に別次元の者と交流を持っていたとしてもおかしくないだろう。
自分だってなのはと友人になっていたのだから。
「……鍵は彼女、か」
ふぅ、と息を吐き出す。
今度は当たりだろうか。
エスティマがヴォルケンリッターに襲われてから、今日で丁度一ヶ月。
前回の戦闘から半月だ。
重傷を負ったなのはとクロノ、フェイトはようやく回復した。
フェイトの怪我はその中で最も酷かったのだが、早期にユーノが治療をしたため、退院が早くなったのだ。
もっとも、フェイト自身が寝ているだけの生活を酷く嫌がったというのもあるが。
ともかく、一月。
この間、ユーノはいくつもの可能性を調べ、何度も回り道をしていた。
海鳴へ行く前にエスティマは違う世界に行っていたのか。それを調べるだけでも時間がかかったし、スクライアが高ランク魔導師を抱き込んでいる状況を良く思っていない管理局の俗物が原因か、とも考えた。
しかし、どちらも空振り。
そして今日、一度初心に戻って、と思いエスティマの部屋を掃除がてらに手がかりを調べ、あまりにも単純な見落としにユーノは頭を抱えた。
海鳴にはなのは以外にもエスティマも知り合いがいる。相手の返信しか読むことはできないが、それでも、酷く親しい仲だということは分かる。
「ここまで親しげな文章を書いておいて、もしエスティを騙しているだけだったのだとしたら――」
許しはしない。
手紙に視線を落とし、それを握り潰したい衝動に駆られながらも、自制する。
まだこの子が犯人だと決まったわけじゃないんだから。
海鳴に飛んでいって事実を確かめたい衝動に駆られながらも、ユーノは頭を振って我慢する。
相手のことを何も知らない状況で飛び込んでどうする。
自分には力がない。フェイトのような速さも、なのはのような砲撃も、クロノのような完成度もない。
だからこそ、実力行使で訴えられない部分。
そこで勝負するしかないのだ。
リリカル in wonder
目が覚めた。
頭が呆けて、電灯の明かりが目に痛い。
フェイトは目元を擦りながら身を起こすと、そうか、と思い出す。
また倒れたのだ、自分は。
現在彼女がいるのは、時空管理局の海の本局。その医務室。
最後の記憶は、訓練室で新たな技を練習していた場面。
限界を突破しようと無理を続け、そこで記憶が途絶えている。
「……いつものこと」
そう。
兄の敵を殺せなかったあの日から、半月が経った。
自分の全力を注ぎ込んで、しかし、傷らしい傷をつけることも出来ずに自分は負けた。
全力のプラズマザンバーブレイカーも直撃させたというのに、無傷だった敵。
どんな手品を使われたのかは知らないが、それでも、自分の力が及ばなかった事実は変わらない。
……もっと速く。もっと鋭く。
心を苛む言葉が浮かび上がってくる。
力も速度も足りなかった。だが、足りないのならば足せばいい。
魔力が足りないのならカートリッジを使えば良いし、速度が足りないのならソニックフォームを改良すれば良い。
そうすれば、今度こそ。
今度こそ兄の敵を討てる。
ギリ、と奥歯を噛み締め、フェイトはベッドから身を起こした。
疲労が重くのしかかってくるが、知ったことではない。
ガクガクと震える足に力を込めて無理矢理歩き出すと、ベッドサイドにあったバルディッシュを握り締める。
「バルディッシュ。行くよ」
『sir』
淀みなく、バルディッシュは主人に応える。
それに少しだけ微笑みを浮かべると、フェイトは医務室から――
「あ……フェイト、ちゃん」
「なのは」
ドアが開いた向こう側にいた少女。なのはを目にして、短く、名前だけを口に出した。
なのはは弱々しく笑みを浮かべると、床へと視線を落とす。
その様子に、フェイトは表情に出さない程度の苛立ちを感じた。
兄の仇に負けた後から、なのはの様子はずっとこんな感じだ。
以前の活発さは成りを潜め、珍しく周りの人に励まされている。
フェイトはあとで聞いたのだが、なのはとクロノは手酷くヴォルケンリッターにやられたらしい。
この変貌具合を、最初は敗北らしい敗北を味わったせいだとフェイトは思っていたのだが、違うようだ。
怪我が完治しても調子が戻ることはなく、むしろ一層沈んだように見える。
……戦う気がないのかな。
そう思い、フェイトは自覚しない内に目を細めていた。
「どうしたの、なのは」
「あ、うん。その……フェイトちゃん」
「何?」
「あんまり身体を虐めるのは、良くないよ。
……お医者さんもそう言ってるし」
「ふうん、そう」
そういうことか、とフェイトは肩を落とす。
なのはが口にした注意は、ここ最近、耳にたこができるほど聞いていた。
アルフは口に出さないが気を遣ってくれているし、クロノが苦い顔をするのは毎日のこととなっている。
そして、医師に説得されるのも。
だが、なのはにこんなことを言われるのは初めてのことであり――
……なのはがそれを言うんだ。
フェイトは、酷く裏切られた気分になった。
自分のときはあんなに食らい付いてきたのに、外から見ても無謀だと分かる勝負を何度も仕掛けてきたというのに、そんなことを口にする。
エスティマがやられたというのに、そんなことを口にする。
なのはにとって兄とは、その程度だったのか。
殆どがフェイトの思い込みだが、彼女はそう受け止めてしまう。
強くなってあの剣士を殺さなければならないのに、そうしなければ兄は戻ってこないのに、なのはは自分を止めようとするのか。
……なら、どうでも良い。
なのはなんて、どうでも良い。
「邪魔だから、退いて」
「フェイトちゃん?」
「私は、強くならないといけないの。アイツを殺さないと、兄さんが帰ってきてくれないから――」
「……何言ってるの? それに、殺すって、そんなの駄目だよフェイトちゃ――」
「うるさい!」
瞬間、フェイトが唐突に感情を爆発させる。
なのはの胸倉を掴み上げると、そのまま壁へと叩き付ける。
何を言っているのか分からないのは、こっちの台詞だ。
……仇を殺さなければ兄さんは帰ってこないのに、なのははそんなことも分からないの?
握り締めた衣服がギリギリと締め上げられ、なのはは苦しそうに息を吐く。
彼女は一瞬だけフェイトと目を合わせると、すぐに視線を逸らした。
そして、フェイトの瞳を見ずに、逃げるような口調で言葉を放つ。
「駄目だよ、フェイトちゃん。フェイトちゃんが人を殺したりなんかしたら、きっとエスティマくんが悲しむよ?
だから、そんな悲しいこと――」
「……なのは。なのはにとって兄さんは、その程度だったの?」
「……え?」
「兄さんを殺したんだよ、アイツは。どうしたらあんなのを許せるの?
兄さんだけじゃない。たくさんの人を殺して回っているような殺人鬼を、どうして殺しちゃいけないなんて言えるの?」
「そ、それは――」
「ガッカリした。さよなら」
それっきり。
フェイトは興味が失せたようになのはから手を離すと、踵を返す。
背中に声がかけられることはない。
反論など聞く気もなかったが、フェイトはそのことに少しだけ落胆した。
執務室。
時空管理局の提督であるグレアムは、シグナムの出している被害の報告を見て頭を抱えていた。
魔力の蒐集によって死亡した人間は、今日で二桁に入ってしまった。
死亡した人間のどれもが、AAAランクか、それに近い魔導師。
オーバーSの魔導師は未だやられてはいなかったが、それも時間の問題か。
おそらく、実力が近い分手加減をすることができなかったのだろう。
戦闘で致命傷を負わせた後に魔力を蒐集されれば、間違いなく命を落とす。
確かに魔力を蒐集するのならば高ランク魔導師を狙うだろうが、それにしたって――
「……まずいな」
雑兵がいくらやられようと問題ない。時空管理局はそういう場所だ。遺族は黙っていないだろうが、上層部からしてみれば数少ない高ランク魔導師を失う以上の痛手はない。
それ故に、まだ低ランク魔導師が蒐集されるまでは良かったのだが、それも終わりに近付いている。
これ以上の高ランク魔導師を失わないためにも、管理局は本腰を入れてこの事件の捜査を始めるだろう。
腐った仕組みだと彼も分かってはいたが、それまでがグレアムの猶予期間だったのだ。
もし闇の書の覚醒よりも早く八神はやてが見付かってしまえば、計画が泡と消える。
もう二度と悲劇を繰り返さないために積み上げてきた努力が、水泡と化す。
どうするか。ロッテとアリアを仕事から引き上げさせて、八神家のガードに回すか。
それとも、管理局の手が届かない場所に八神はやてを保護するか。
いくつもの考えが脳裏に浮かんでは消え、その度にグレアムは溜息を吐く。
現在、どの程度頁が集まっているのか知ることができるだけでも、気が楽になるのだが。
急転する事態に飲み込まれないよう気を付けながら、グレアムは双子の使い魔へと連絡を繋ぐ。
静かな足音を立てて遠離るフェイトの背中を見て、なのはは愕然としていた。
口を開こうとしても、言葉が出てこない。
『……なのはにとって、兄さんはその程度だったの?』
先程の言葉が脳裏でリフレインする。
そんなわけないと叫びたかった。
大切な友達を傷付けられて平気でいられるわけがない。
殺意が微塵もないと言ったら嘘になる。
だが――
「……こんな私が何を言ったって、説得力ないよね」
そうだ。
血塗れのエスティマ。向けられた切っ先。踏みつけられたレイジングハート。
少し気を抜けば、それらの光景がフラッシュバックしてなのはの手は震え始める。
怖い。
戦うことが怖い。もう一度戦って、今度も役に立てなかったら、きっと自分は魔法を失ってしまう。
魔法を使う資格がなくなってしまう。
誰かを助けるために、助けたいから魔法という力を手にしたというのに、自分ができたことなど何一つない。
エスティマを助けることもできず、今のフェイトにかける言葉も見付からず、力も弱い。
……痛いよ、エスティマくん。
心の中でそう呟き、なのはは自分の身体を抱き締める。
リンカーコアを引き抜かれた時の痛み。その幻痛が身を苛む。
助けてくれる人はいない。
ユーノはスクライアの集落に帰ってしまったし、フェイトには見限られてしまった。
クロノは仕事が忙しくてなのはに構っている暇などないだろう。アルフだって、フェイトのことで精一杯だ。
……そして、自分の少し先を歩いて手を差し伸べてくれていた少年は、自分が間に合わなかったせいで殺してしまった。
グス、と鼻を啜る。
気付かぬ内に、涙が頬を濡らしていた。