人気の少ない訓練室。
そこにある人影は三つ。
クロノとアルフ、そしてフェイトだ。
二人は、荒く息を上げ、軋みの上がる身体を酷使してドローンを破壊して回るフェイトを見ていた。
気迫を通り越し、鬼気と言ってもいい代物を纏っているフェイトの姿に、クロノは気付かぬ内に手を握り締める。
……こんなはずじゃないことばかりだ。
PT事件が終わり、以前と比べれば穏やかと言っても良い生活をしていたフェイトがこんなことをしているのは、闇の書事件にエスティマが巻き込まれたせい。
自分と同じ境遇の人間が増えた。決して自分のせいではないが、また救えなかった、とクロノは自責の念に駆られてしまう。
今まで執務官として働き、救えなかった者はいくらでもいる。
しかし今回は、一度は救ったはずの少女が自分とまったく同じ状況になってしまっているのだ。
そのことを誰も責めない。責める必要はない。全てを救えるほど執務官は万能ではないのだから。
だからこそ、クロノは闇の書事件を終わらすために躍起となっている。
だが、それは未だに実を結んでいない。
ヴォルケンリッターが大人しくなる様子は微塵もなく、憎悪は募る一方。
それを目に見える形でクロノに届けているのは、フェイトの姿だ。
……ああいった状態の人を見たのは、一度や二度じゃない。
彼女にはいくら言葉を尽くしても無駄だろう。最も近しい者を失った彼女を止められる者など、いない。
使い魔であるアルフは結局のところフェイトを肯定するしかないし、ユーノはフェイトと同じ側の人間。
なのはは……どうなのだろうか。今のフェイトを止めることが、彼女に出来るのだろうか。
分からないな、とクロノは頭を振る。
恨むぞ、と彼は呟いた。
それは、ここにいないエスティマに対しての言葉だ。
勝手にフェイトの面倒を見ると言い、勝手にいなくなった少年。
自分が中心となってPT事件を終わらせたという自覚が彼にはないのだろうか。
あの事件の最中に育んだ絆の中心に自分がいたのだと、分かっていたのだろうか。
核となっていた者がいなくなれば、空中分解するなど誰でも分かるだろうに。
本当に――
「お邪魔します」
不意に、背後のドアが開いた。
それと同時に届いた声に、クロノとアルフは身体を強張らせる。
まさか、と思いつつも、錆び付いたように顔を向け――
「化けて出たか!?」
「なんでアンタがここにいるのさ!?」
「いきなり失礼だな!」
何故だか右頬を腫れ上げさせたエスティマ・スクライアの姿がそこにあった。
彼は憮然とした表情で腕を組むと、首を傾げる。
「ユーノといい、なのはといい、この態度はなんなんだ一体」
「それはこっちの台詞だ! そんな平然とされたらこっちが慌てるぞ! どうしてそんなに元気そうなんだ君は!」
「フェイト! フェイト! ちょっとこっちにきな!」
軽い恐慌状態。
アルフはフェイトに向けて声を張り上げているし、クロノは今にも掴み掛からんばかりの剣幕で詰め寄る。
エスティマは引き攣った笑みを浮かべながら、あはは、と乾いた笑いを上げた。
「怪我はもう治りました。エスティマ・スクライア、復帰します」
「ほう……そうか、そうか。言いたいことと聞きたいことは山ほどあるが、取り敢えずは先にあっちだ」
がし、とエスティマの肩を掴むと、クロノはフェイトの方にエスティマを押し出す。
心の準備が、とエスティマが文句を上げるが、無視だ。
どれだけ人に心配をさせたのか、まずはフェイトと会って実感して貰わないと――
「あ、兄さん?」
――そう思い、エスティマを突き出したのだが。
酷く穏やかな声が聞こえ、クロノは思わず目を見開く。
視線を向けてみれば、フェイトの隣に立つアルフも似たような表情をしていた。
彼女、フェイト・T・スクライアは、所々に巻いた包帯を汗で濡らしながら、乱れた髪を直そうともせず、笑みを浮かべている。
「……フェイト?」
「うん。待っててね、兄さん。次はちゃんと終わらせるから」
「いや、フェイト、何言ってるの?」
「大丈夫。もうすぐ会えるから。だから、待ってて」
「いや、会えるって……フェイト?」
エスティマが聞き返すも、彼女はにこにこと笑みを浮かべたままだ。
近寄ろうともしない。
ただ兄と距離をとったまま、ここ最近では見られなかった笑顔を浮かべている。
……可愛い、と言っても良いだろう。そのはずだ。
しかし、クロノは言葉に出来ない不安を感じ、素直にそう受け止めることができなかった。
「……どうしたんだ?」
言いつつ、エスティマはフェイトに歩み寄る。
手を伸ばし、頬に触れるが、フェイトはなんの反応もしない。
ただにこにこと笑っているだけで。
目の焦点は兄に向いているのだが、どこか別のモノを見ているようで――
「――ッ、エスティマ!」
クロノは声を上げ、エスティマの襟首を掴むと出口へと向かった。
いきなり何を、と彼が声を上げるが知ったことじゃない。
後は任せる、とアルフに念話を送り、クロノはそのまま訓練室を後にした。
リリカル in wonder
……一体、どういうことだよ。
クロノに無理矢理連れてこられた先は、休憩所。
自販機とベンチの並ぶ一画にくると、ようやく野郎は俺の襟から手を離した。
それとなく文句を込めた視線を送るが、本人はどこ吹く風。
こんなところで油売っている余裕はないっつーのに。フェイトの様子もなんかおかしかったし。
……仕方ない。順序が逆になるけど、クロノからも俺がいない最中にあったことを――
「……退院おめでとう、とまずは言わせてもらおうか」
「ああうん。どうも」
「そして、筋違いだとしても一つだけ文句を言わせてくれ。
……何故、君はフェイトを一人にした!」
「……それは」
唐突に叩きつけられた怒声。
それに対し、思わず口ごもってしまう。
どんな言葉を返して良いのか分からない。
それを察したのか、違うのか。クロノは俺が応えるのを待たずに、先を続けた。
「ああ、君は悪くないだろうさ。悪いのはヴォルケンリッターであり、魔力の蒐集を命じた闇の書の主だ。
だが、それでも、君がいなくなって、どれだけのバランスが壊れたと思っている!
君はいなくなるべきじゃなかった。その証拠に彼女はあんな様子で、誰もが参っているんだぞ!」
「……ごめん。迷惑掛けた」
「いや、良い。……僕も大人げなかった。すまない」
軽く頭を下げ、クロノは溜息を吐く。
……しかし、そうか。
ここまでクロノを怒らせるとは思ってなかった。
それぐらいに心配させてたってわけで、だとしたら軽薄だったよな、俺の態度。
……いや、まぁ、どんな顔して会えばいいのか分からなかったのだけど。
それにしたって、って感じか。
「……フェイトのことだが」
「ん、ああ」
「あの子は、随分と参っている。多分、だが……君がここにいることを、分かっていない」
「は?」
「さっきの様子から、なんとなく分かった。
最近、彼女は君と話していると言っていてな。夢か何かだとアルフと話していたんだが……」
……待て。どれだけフェイトは追い詰められているんだ?
というか、どうなったらそうなるんだ。
それに、なんでそんな状態で訓練室なんかに出入りしている!
「……まさかクロノ。あんな状態のフェイトを戦闘に参加させていないよな?」
「……すまない」
「ふざけんな! どう見たって普通じゃないだろ、今のフェイトは!」
「分かっている。あそこまで酷いなんて、誰も知らなかったんだ。
……あんな姿を見た以上、彼女を戦わせようと思っていない。
ただ……」
「ただ、なんだよ」
「フェイトはそれでも戦いたがるだろう。君を取り戻すために。
彼女にとってのエスティマ・スクライアは、ヴォルケンリッターに奪われたままだからな」
そう言い、クロノは俺に真っ直ぐな視線を向けてきた。
「彼女を止めることは君にしかできない。他の誰にもできないことだ、これは」
「分かってるよ。くそ、なんで……」
いや、分かっている。
俺はフェイトについていてやるべきだ。
しかし、そうするとかなり行動が制限させる。
……はやてを取るか、フェイトを取るか。そういう選択になるのだろうか、これは。
はやてを救うためにはフェイトを誰かに任せて動き回るしかないが、フェイトを安心させるには――たとえ彼女が俺のことを正しく認識できないのだとしても、側にいてやるしかない。
どちらかを選ぶしかないのだろうか。
天秤にかけること自体が不可能な二つの事柄。
取捨選択を行うしかないのか?
だとしたら……。
だとしたら、俺は――
「……クロノ」
「なんだ?」
「フェイトのこと頼めないか?」
「……君は僕の話を聞いていたのか?」
射殺すような視線を向けられる。
分かっている。クロノの怒りを買うのは当然だ。
……けど、今は。今だけは、はやてを選ばせて欲しい。
フェイトのことは絶対に見捨てない。だから、今だけは。
「頼む、クロノ。俺はやらないといけないことがあるんだ」
「それはなんだ。フェイトを見捨てるだけの価値があるのか、それは」
「……今は、言えない。けど、必ずあとで話すから。
フェイトのことだって見捨てない。だから、頼む」
言い切ると同時に頭を下げる。
口を開き辛い沈黙。突き刺さる視線で脳天がちりつくような錯覚を受けそう。
そうして一分ほどが経った後、クロノが口を開いた。
「……絶対だぞ。もし納得のできない理由だったら、僕の部下としてコキ使ってやる」
舌打ち交じりに言われたこと。
一応、納得はしてくれたのだろうか。一応、だろうが。
頭を上げ、ありがとう、と言うと、奴は呆れたように溜息を吐いた。
……分かってるよ。充分な外道だ、俺は。
案の定ロクな死に方しなかったし、いずれは地獄に落ちるだろうよ。
ヴォルケンズを暴走させた切っ掛けは俺だし、みんなに迷惑を撒き散らしている。充分に諸悪の根源といえる存在だよ。
けど、だからこそ、責任を取らなければならない。
はやてたちを救わなければならない。
フェイトやユーノをこれ以上悲しませたくないし、なのはやクロノにも迷惑をかけることはできない。
手の届く限りの人を、少なくとも、俺がいるせいで幸せを逃そうとしている人を助けなければならない。
……それがきっと、この世界に残ることを選択した俺の責任だ。
俺は、みんなを、助けなければならない。
周りが全て敵になろうと、俺だけははやての味方になってやらなければならない。
……はは、矛盾してら。
はやてに肩を入れれば、憎悪をたぎらせているユーノやフェイトとぶつかることになるかもしれないのに。
そんなことになれば、もう、大団円なんて不可能に近いだろう。
……だから俺は、はやてを管理局側から助けきゃならないんだ。
「……なぁ、クロノ」
「なんだ。まだ何かあるのか」
「例え話だ。聞き流してくれれば良い。ちゃんと答えてくれたら嬉しいけど」
「器用なことを要求するな、君は。それで?」
「もし。もし、の話だ。
闇の書の主が魔力の蒐集を望んでいなくて、勝手にヴォルケンリッターが暴れまわっている場合、どうなる?
闇の書の主は罰せられるのか?」
「……なんのつもりかは知らないが、例え話なんだな?
ヴォルケンリッターがプログラムだとしても、一個の人格を持っているということは調べてある。
そういうこともあるだろう。
もし闇の書の主が魔力の蒐集を望んでいなかった場合、担当した執務官次第だが、罰らしい罰は与えられないはずだ。
闇の書の転生はあくまで偶然。悪意をもって闇の書の力を使っていないのならば、主は被害者でしかない」
「そして、もう一つ。
先に謝らせてくれ。ちょっと古傷を抉る。ごめん」
「……今更なんだ。闇の書の話をしているだけで充分なのだが?」
どこか不敵にクロノは笑う。
それが、俺に気にするなといっているようで、少し救われた。
「あくまで例えなんだけどさ」
「ああ。例え話だな」
「お前は闇の書の主を逮捕したとき、復讐に走るか?
私怨を晴らすために、救えるはずの手を打たないか?
言葉を尽くして、闇の書の主が非力な存在だと、遺族にアピールすることは出来るか?」
「……あのな、エスティマ。何故、闇の書の主が非力な存在になる。
闇の書の転生先となるだけで、魔法の素質は折り紙付きと言われているようなものだぞ?」
「あー、それは……」
「まあ良い。例え話、なんだろう?」
そう言い、クロノは話を元の方向に戻す。
……ほんっとうに悪い。俺は一生コイツに頭が上がらないんじゃないだろうか。
「……僕は、時空管理局の執務官だ。
そうやって生きてきたし、これからもそうするだろう。
権力を振りかざして犯罪者の事情を無視して捕らえ、遺族の怨嗟を無視しながら弁護をする者だ。
そうあるべきだと思っているし、それ以外の姿はあってはならないとも思っている。
そこに私情を挟むつもりは、毛頭ない」
「……悪役だなぁ」
「そうとも。何を今更」
くく、と笑い合う。
……執務官、ね。
きっと俺は、こうはなれないんじゃないだろうか。
私情挟みまくりの人間が、こうも格好良くなれるはずがない。
「……最後に一つ」
「ああ」
「私怨で闇の書をその主ごと葬ろうとしている馬鹿がいたら――お前はそれをどうする?」
「裁く。犯罪者は捕まり、罪を償うべきだ。どんな事情があろうと、殺人を許そうとは思わない」
「そっか」
……今の言葉は、きっとシグナムとシャマルにも適応されるんだろうな。
どんなに手を尽くそうと、犯してしまった罪を消すことはできない。
彼女たちには、それ相応の報いがある、か。
……それは俺もだ。
誰も俺を裁かないのならば、自分自身で贖罪を行わなければならない。
だから、俺は――
夜の八神家。
住人が眠りについた中で、一人動いてる者がいた。
それは闇の書。夜天の書。今はリインフォースと呼ばれている存在だ。
彼女は主と、鉄槌の騎士、盾の守護獣の意識にアクセスする。
操作するのはシグナムとシャマルから伝わる精神リンク。
彼女たちが何を行っているのか。何を考えているのか。それらの一切を、八神家に残っている者たちから忘れさせる。
……主はやて。申し訳ありません。
彼女たちはあなたを救おうとしています。そしてあの二人は、もう立ち止まることができない。
自らを犠牲にして、闇の書の呪縛からあなたを救おうとしています。
『きっと、あなたは悲しまれる』
夢の中、白い世界で眠る主の頬に、リインフォースは手を伸ばす。
全てを主が知れば、きっと修復不可能な傷跡が心に残るだろう。
戦うだけの存在である自分たちを家族と言ってくれた少女。
それは甘さか優しさか。見るものによっては違うだろうが――
しかし、少なくともヴィータとザフィーラは救われている。平穏の中で暮らすことが当然だと思うぐらいには。
自分にも名前を与え、人の姿を取れないというのに家族として扱ってくれる。
それは甘さかもしれない。近しい人がいない少女が寂しさを埋めたいだけなのかもしれない。
だが、それでも。
それで自分達は救われている。
一時でも、戦うだけの存在じゃないと思えることができた。
たとえ目を開いて現実を目にすれば消え去るような、儚い夢のようなものだとしても。
『あと少し。あなたの身体を蝕む私は、罪と共に消えます。
だからどうか、それまでは、優しい夢を見ていてください』
そう呟き、リインフォースは作業を続行する。
シグナムたちとの精神リンク切断の他に、夜天の書からのデータ移動。
ヴィータとザフィーラを維持する術式をはやての中に、負荷のかからない範囲で、ゆっくりと移す。
……もしシグナムたちの計画が上手くいけば、自分たちは消滅する。
その際、何も知らないヴィータたちを巻き込むべきではない。
過去は全て自分たちが連れてゆく。
故に、未来は残った騎士に託そう。
つつ……、と頬に一筋の涙を流しながら、リインフォースは作業を続ける。
泣いているというのに、彼女の顔には笑みが浮かんでいる。
それは、どこか幸福そうだった。