「はい……はい……そうです。ええ。エスティマのことでお聞きしたいことが。
はい。待ち合わせは海浜公園で。はい。それでは」
がちゃり、と受話器を置いて、ユーノは口の端を吊り上げる。
今、彼が連絡を取っていたのは八神はやて。
他の住人に電話を取られたら、という不安もあったが、どうやら運が良かったらしい。
幸先が良いなぁ、と呟きながら、彼は転送ポートへと向かう。
今の海鳴は昼すぎ。向こうにつくころには、夕方になっているだろう。
エスティがやられた時間に近い。変な偶然もあったものだと、彼は苦笑する。
……エスティマと八神はやてに繋がりがあると確信してから、ユーノは八神家に住んでいる者たちのことを調べていた。
女ばかりが四人と犬が一匹。その内一人は、未だ八神家に戻ってきていない。
ユーノの中では、その一人がヴォルケンリッターであると決め付けられていた。
盲目にも似た状態。それ以外の情報を探さず、これと決め付けるのは駄目なのだが――どんな偶然か。
彼の調べたことは真実を欠片も掴んでいないというのに、憶測だけで正解へと辿り着いている。
だが、それを指摘する者はいない。故に、彼も疑問に思わない。
何を聞くかは決めている。切り札もある。あとは捕まえて、公の場に引きずり出すだけだ。
例えそれが叶わず、戦闘になるのだとして、せめて相打ちには。
そんなことを考えながら、ユーノは転送ポートへ入った。
光が満ち、違う場所へと視界が移る。
さあ始めよう、と目を閉じて、彼は海鳴へと跳んだ。
リリカル in wonder
エスティマが大怪我をした。
その電話を受けて、はやては外出の準備もそこそこに待ち合わせの場所へ赴こうとする。
その様子に驚いたのは、リビングにいたザフィーラとヴィータだ。
最近はめっきり元気がなくなったというのに、この慌てよう。
彼らではなくとも、はやての焦り方を不思議に思うだろう。
「ど、どうしたんだよはやて!」
「あ、うん。ごめんなヴィータ。ちょっと用事ができたから、外に出てくるわ」
「主。まずは落ち着くべきだ。何があった?」
二人と違って冷静な守護獣の声に、目に見えた変化はないが、少しだけ落ち着く二人。
はやては額に手を当てながら、小さな声を出した。
「あんな。……エスティマくんがこっちに遊びにきた帰りに、その……通り魔に酷い怪我をさせられたらしくて。
何か知ってることがあったら、教えてくれって、お兄さんから電話があったんよ」
「通り魔……ひっでー話だな」
「ふむ」
「お兄さん、これからこっちくる、ゆうてたから。だから、私も急がないとって」
「時間がないのか?」
「……いや、一時間後」
「だったら慌てることねーよ。ちゃんと支度して、ゆっくり行こうぜはやて。
焦ってたら、思い出せるものも思い出せねーよ」
「ん……ありがとな、ヴィータ」
良いって、とヴィータは笑みを浮かべ、はやての車いすを押す。
着替えてくるのか、とザフィーラは判断すると、人間形態となりシャマルへの書き置きを残した。
彼女は今、買い物に出掛けている。念話で事情を説明することも出来るが、シャマルのことだ。
余計な心配をさせたら、頼まれた物と違う品物を買ってきそうだ。
仕方がない、と溜息を吐きながら、ザフィーラは広告の裏に文字を綴る。
そうして狼形態に戻ると、はやてたちが戻ってくるのを待っていた。
十分もしない内に二人は二階から降りてくると、そのまま三人で海浜公園へと向かう。
はやての表情は、いつにも増して暗いものとなっていた。
それもそうだろう、とザフィーラは気付かれない程度に鼻を鳴らす。
突然途絶えた手紙。その原因はエスティマ・スクライアにあるわけではなかったのだから。
家族が失踪し、友人がどこの誰とも知らない者に傷付けられた。
もしかしたら、自分の不幸を嘆いているのかもしれない。
だが、それは仕方のないことだ。
あの日、エスティマ・スクライアの見送りにはシグナムとシャマルが付いていた。
あの二人がいながら通り魔に襲われるなど、有り得ない。彼が襲われたのは、きっとこの街の外でなのだろう。
どうしようもないことだ。少し考えれば、その結論に達するが――
……いや、違うか。
きっと主は、仕方がなかったとしても、自分が悪いのではないかと思い詰めているのだ。
あの日、自分に会いに来なければ。
きっと、その辺だろう。
困ったものだ、と顔を上げ、ヴィータの顔を見上げる。
はやての車いすを押している彼女は、はやての顔が向いていない時、終始顔を歪めていた。
それもそうか。はやてに溺愛されている彼女のことだ。はやてが怒らない分、ヴィータが怒っているのだろう。
何も悪くはないというのに次々舞い込んでくる理不尽。
きっと今は、手紙を送らないエスティマの不義理に対する怒りが通り魔へと移っているのではないか。
……今夜は眠れなそうだな。
きっとヴィータのことだ。犯人を捕まえると言い出して聞かないだろう。
それを主は……止めるだろうか。
分からないな、とザフィーラは頭を振る。
未だかつて、はやてが激しい怒り――憎悪と呼べる感情を浮かべた場面を、見たことがない。
もしそうなればどうなるだろうか。
彼女の力である自分たちが、主の代わりに出張ることになるのだろうか。
そうだとしたら……悪い気はしない。
別に闘争が好きなわけではない。ただ、自分たちはそもそも剣として生み出された存在だ。
それが正しい理由の元で使われる。家族としてはやての側にいるのは居心地が良いが、それとは別に、自分の存在意義を感じることができるだろう。
そんなことを考えている内に、三人は海浜公園へとたどり着いた。
待ち合わせの場所には、一人の少年が居る。
ハニーブロンド。緑のパーカー。ザフィーラの鼻は、彼がこの世界の住人でないことを理解させる。
……エスティマがどの程度の魔導師かは知らないが、彼に重傷を負わせた相手、か。
まず間違いなく相手は魔導師だろう。もし敵が手練れならば、自分たちの正体をバレないように捕獲するのは難しいかもしれない。
「あの……エスティマくんのお兄さん、ですか?」
「ん……ああ、はい」
「初めまして。私、八神はやて、言います。
その……エスティマくんは……」
「……まぁ、それは後で」
……なんだろうか。
ふと、ザフィーラは違和感を覚えた。
ユーノ・スクライアと名乗った少年は、柔らかな笑みを浮かべているが――先程はやてが言葉を発したとき、一瞬だけ表情が歪んだ。
何か思うところがあるのか?
分からない。そう結論づけ、取り敢えずは話を聞こうと、ザフィーラはその場に座る。
ヴィータはベンチに。はやてはそのままで、ユーノが口を開くのを待った。
「……それで、聞きたいことなんですが。
あの日、エスティが何をしていたのかを知りたくて、僕はここにきたんです」
「はい。私に分かることだったら、なんでも言いますから。
なんでも力になります。エスティマくんは、大事な友達やから」
「……ありがとう」
まただ。
少年の言動に、違和感が付きまとう。
彼ははやてを見ようともせずに、微妙な距離を取って話を続けようとする。
「あの日、エスティマがこの街にきた。これは間違いないですか?」
「はい。お昼頃からお話しして、夕方には別れたんです。
シグナムとシャマル――あ、私の家族なんですけど、その二人に駅まで見送って貰って……」
「おかしいね、それ」
急に敬語が崩れた。
見れば、ユーノの口元が歪んでいる。
嫌な笑みだ、とザフィーラは眉を潜める。
ヴィータも同じように感じたらしい。やや目つきを鋭くしながら、彼女はユーノに視線を送る。
それにかまわず、ユーノは先を続けた。
「エスティが襲われたのは、この場所だから」
「……え?」
「だから、この公園の、この場所だって」
「そんな……だって、シグナムとシャマルは、ちゃんと送ったって……」
「……そう」
考え込むように、ユーノは口元を手で隠す。
きっとはやてにはそう見えただろう。
だが、下から見上げているザフィーラには、彼の口元が思いっきり引き攣っているのだと理解できた。
……なんだ?
何故、彼はこんな表情をしている?
「……話が変わって悪いんだけどさ。
君は、通り魔の犯人を、どう思う?」
「……え?」
「まさか、なんとも思ってないの? 友人だったんでしょ?」
「おいテメー、いきなり何を言い出すんだよ!」
ユーノの言葉に耐えきれなかったのか、ヴィータが噛み付かんばかりに吠える。
それをはやては手で制して、彼女を宥めると、口を開いた。
「許せない。そう、思います。
友達が酷い目に遭わされて、黙っていることなんてできへん。
だから、ユーノさん。エスティマくんがどんな目に遭ったのか、教えてくれんかな。
私、絶対に力になれる。ザフィーラもヴィータもシャマルも、力になってくれる。
絶対犯人を捕まえて、エスティマくんに謝らせる。
だから――」
「……もう、いい」
はやての声を遮って、掠れた声でユーノは言葉を絞り出した。
そして頭を抱え、音が聞こえるほどに歯を噛み慣らす。
……これは怒りか?
ユーノの表情を観察しながら、ザフィーラは首を傾げた。
自制はしているのだろうが、言葉の端々に現れる悪意。
そう、あれは悪意だ。
なんのつもりか知らないが、この少年は悪意をもって主と接している。
何故そんなことを。そう思うも、分かるはずがない。
精々が、逆恨みでもしているのかと邪推をするぐらいだ。
ミッドチルダの者ならば、念話ぐらいはできるだろう。
そう思い、真意を確かめるべく――
「……ヴォルケンリッター」
不意に、少年の唇が聞き慣れた単語を紡いだ。
……何故、それを?
俯いていた顔を上げた少年は、真っ直ぐにはやてへと視線を向けた。
身を竦ませた気配。
はやてが怯えていると感じ、ザフィーラとヴィータはいつでも動けるように身体からある程度の力を抜く。
「エスティを殺したのは、ヴォルケンリッター。
その剣士だ。君は闇の書の主だよね? いや、そのはずだ。
そうに決まっている」
「え……? な、え? 殺したって……」
「だから、君が殺せって命じたんだろう!
それなのにあんな言葉を吐いて――許せるもんか!」
瞬間、少年の足元にミッド式の魔法陣が展開した。
いやに巨大な、翠色の光。
それを目にして、はやては息を呑む。
「え、エスティマくんは……怪我をしたって」
「嘘だよ。エスティは殺された。例え蘇生したとしても、それだけは覆らない!
謝れよ。あの剣士の主人は君だろ!? だったら、謝れ! 今すぐ償いをしろ!
エスティの友達面を、今すぐ止めろ!」
「あの馬鹿ならもういねーよ! それに、はやては魔力の蒐集なんて望んでねー!
シグナムが勝手にやったことだ!」
「え……ヴィータ?」
「なんだと!?」
真っ青な顔で聞き返すはやて。怒号を上げるザフィーラ。
反応は違うが、考えていることは一緒だ。
……シグナムが人を殺した。そして、ヴィータはそれを知ってて黙っていたのか?
「答えろヴィータ。お前は、シグナムが魔力の蒐集をしていたことを――主の友人をその手にかけたことを、知っていたのか!?」
「人を殺したのはアタシだって今知ったんだよ! くそ、やっぱりあの時、殴るだけで済まさなきゃ良かった!」
怒りを吐き出すようにヴィータが怒声を上げる。
ザフィーラも態度には出さないが、言葉に出来ない怒りを感じている。
だが、ただ一人。
話の流れについていけていない――シグナムがエスティマを殺したと、その一点で思考を停止させているはやて。
彼女は目を見開いたまま身体を震わせ、かちかちと歯を鳴らしていた。
「そんな……シグナムが、そんなこと、するわけ……」
「じゃあエスティは誰に殺されたんだ!? 闇の書の主が、他にいるのか!?
ヴォルケンリッターは、もっといるの!? 違うだろ!」
「ひっ……」
掴み掛かろうとしたユーノを、横から入ったヴィータが止める。
両者は射殺すような視線を放ちながらも、引こうとしない。
ユーノはただ……この一月以上の時間、溜め込んでいた怒りをぶつけるべく、言葉を吐き出し続ける。
「本当に知らないみたいだから教えてやる。
ヴォルケンリッターの剣士が殺した人の数は、今日までで二十二人。
怪我人はその五倍以上。こうやって君が息をしている間にも、誰かを殺しているんだ!」
「そんな……シグナムが、そないな」
「現にしてるじゃないか! それなのに君は何も知らなかったって言うのか!?
懲りもせずこんな手紙を寄越して……大切な友達? よくそんなことが言えるね!」
ユーノは鞄から手紙を取り出すと、それを地面にぶちまける。
それは、はやてがエスティマに送った手紙の数々。
返信が途絶えてからも、定期的に送っていたもの。
それを目にして、あ、と、はやては全身から力を抜いた。
「……もう良い。君が現実を認めないのなら、かまわない。
君を憎んでいる人は大勢いる。裁かれるべきだ、君は。彼らに」
「……待てよ」
「のうのうと平穏な暮らしを続けている君は、彼らに――」
「待てよ!」
何度目かの怒声が上がる。
ヴィータは目に涙を溜めたまま、キツく唇を噛み締めている。
「シグナムが何をしたのか、分かってた。けどよ、それを止めなかったのはアタシの責任だ。
だから、はやてを責めんな。悪いのは、全部アタシだから。
オメーの気持ちも分かるから。だから、頼む。
はやてだけは、責めないでくれ」
頭を下げる。
深々と、腰を折って、ヴィータはユーノに頭を下げる。
彼女が頭を下げている光景。それも、ここまでのものをザフィーラは見たことがなかった。
だが――
「……そんなことで、許されると思っているのか?」
上擦り、震えた声が発せられる。
見れば、ユーノは笑いを堪えたような――その実、怒りの矛先を見失った表情で、手を握り締めていた。
「君たちが家族だっていうんなら……誰かが殺されたと考えてみろ!
その程度で、誰が許してやるもんか!」
少年の腕が動き、翠色のチェーンバインドが放たれる。
三組のそれはヴィータとザフィーラ、はやてを拘束すると、ぎちり、と音を上げた。
……解除は容易い。だが、自分たちはそんなことをして良い立場ではない。
それをヴィータも分かっているのだろう。彼女もバインドを解除する様子がなく、黙って縛られている。
だが、その態度が気に入らないのか。
ユーノは盛大に舌打ちすると、握り締めた拳を振り上げ――
「ユーノくん!? 何やってるの!」
公園の入り口に現れた少女の声で、手を止めた。
見れば、そこには小学校の制服を着た少女がいる。
彼女は駆け寄るとユーノの前に立ち塞がり、両手を大きく広げた。
「魔法まで使って……駄目だよ、何しようとしてるの!?」
「……どいてよ、なのは。そいつらがエスティを見殺しにしたんだ。
闇の書の主。そんな奴を、許せるはずがない」
「……え?」
闇の書の主。
その単語を聞いて、なのはは振り返った。
その先には、車いすに座った少女がおり――
なのはの表情に僅かに浮かんだ怒りの色を見て、頭を下げた。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
壊れたように、それだけを呟く。
それをヴィータは痛々しげに見るが、言葉をかけることはできない。
……いくら自分が悪いと言ってもはやてが責任を感じないわけがない。
「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……」
そしてザフィーラも、主にどう言葉をかけて良いのか分からなかった。
下手なことを言っても意味がない。慰めなど、今のはやてには逆効果だろう。
「ごめんなさい。ごめん……な、さ――」
……言葉を紡ぐことも出来ず、嗚咽と共に涙を流している彼女には、どんな言葉も届かないだろう。
その様子に、駆け付けた少女は同情的な視線を向けてきた。
だが、ユーノは。
彼は怒りの色を一層濃くして、唇を噛む。紅い筋が顎を伝い、彼の怒りを表しているようだった。
「今更……!」
「ゆ、ユーノくん。大事な話があるの!
この事件の黒幕が見付かったって、話を聞いて欲しいって、エスティマくんが!」
慌てて、なのはは言葉を遮る。
それを迷惑そうにしながらも、彼はなのはの方に興味を移す。
「……黒幕?」
「うん。本当に裁かれるべきは彼らだからって……だから、そっちをお願い」
「……八神さん。逃げるつもりは、ありますか?」
それに対して、はやては泣きながら顔を横に振る。
それに溜息を吐きつつ満足して、ユーノは足元の巨大魔法陣を解除。
転移魔法陣を展開して、この場にいる全員を対象とする。
「このまま本局に行くから。……なのはも、それで良い?
家に帰らなくて大丈夫?」
「うん、大丈夫。私、ちょっとこの子とお話ししたいし」
「そう」
興味なさげに肩を竦め、ユーノは転移を開始する。
横目ではやてを見る。
彼女は手で口を押さえたまま、なんとか嗚咽を堪えようとしていた。
……いい気味だ。
晴らしきっていない恨みを言葉に出さず、胸中に留める。
これを晴らすべき相手は別にあるらしい。
それがどんな顔をしているのか。
楽しみなようなそうでないような。
そんな気分となりながら、ユーノは本局を目指した。