間延びしたチャイムの音が鳴り響き、それに少し遅れて教師の号令でHRが終了する。
一斉に立ち上がってこの後のことを話し合う子供たちの中で、ぽつんと一人立っている少女がいる。
シグナムだ。
彼女は机の横に引っ掛けてある鞄を手に取ると、足早に教室を後にする。
教室を出る際に、楽しげに談笑するクラスメイトを一瞥。気付かない内に溜息を吐くと、シグナムは正面玄関へと向かった。
誰に声をかけられることもなく校門を通りすぎ、一人で通学路を歩く。
校舎の中を歩いていたときのような速度ではなく、ゆったりと、どこか進むのを拒否しているような歩み。
そうして歩き続け、誰の姿も見えなくなると、彼女は不意に口を開いた。
「……授業参観」
鞄の中に入っているプリント。
帰宅すればはやてに、そしてシャッハに見せることになるであろうそれのことを考えて、気分が沈む。
保護者が子供の授業風景を見に訪れるイベント。
それを鬱陶しがったり、張り切ったりと反応は様々で、シグナムの気分が沈んでいるのもその内の一つだろう。
シグナムは自分の立場――守護騎士であるということを隠し、人として振る舞っている。
もし自分のマスターであり父でもあるエスティマが授業参観にくれば、妙に勘ぐられるかもしれない。
プログラム体であることがバレるようなことはないだろうが、それでも変に思われるだろう。
いや、それは良い。別に良い。というか、幼いシグナムはそこまで考えていない。
彼女の悩んでいることは――
「……父上は、きてくれるだろうか」
それである。
週に一度は聖王教会に顔を出してはくれるが、あまり仲が良いとは言えない。
はやてやヴィータ、なのはが間に立ってくれなければ、どんなことを話して良いのか分からないのだ。
学校であったこと。日常でどんなことがあったのか。
そういったことは、はやてが先に喋ってしまって会話の種がなくなってしまうのだ。
それに、どんなことを話したら父上が喜んでくれるのかさっぱり分からない。
折角会いにきてくれているのだから――と考えてしまうと、どうしても楽しんでもらおうと思ってしまって、何をして良いのか分からなくなる。
……口べたで、かわいげもない。だめな娘だ、私は。
そんな風に自嘲しつつ、シグナムはようやく自宅へとたどり着く。
「ただいま帰りました」
「おかえり、シグナム」
柔らかな声。はやての声を聞いて、居心地の良いような、悪いような気分となる。
自分に声をかけてくれるのは父ではない。迎えてくれる人がいるのは嬉しいが、それでも、と。
鞄を部屋の隅に置いて、ソファーへと座る。そうしていると目の前に緑茶の入った湯飲みとお茶菓子が置かれる。
「おかえりシグナム。学校はどうだった?」
「あ……はい。今日も、いつも通りで」
「そっか」
にこにこと笑いかけてくるヴィータに、どもりそうになりながら声を返す。
その様子をじっと誰かに見られているような気がして視線を向けてみれば、寝ているのか起きているのか判別のつかないザフィーラの姿があった。
いや、ゆっくりと尻尾が動いているから起きているのだろう。
「お邪魔しまーす!」
「ただいまー」
「ん? あ、なのはちゃん、シャマル!」
とたとたと歩いてくるシャマル。彼女は真っ直ぐにはやてへと歩み寄ると、えへー、と笑みを浮かべた。
そしてはやてに頭を撫でられ、気持ちよさげに目を細める。
「はやてちゃん、これ、お土産」
「ありがとな、なのはちゃん。……お、シュークリームやん。お家の?」
「そうなの」
「わたしも作るのをお手伝いしたんですよ?」
「おおー、シャマルもやるなぁ」
天真爛漫な笑みを浮かべる自分の姉妹とも言える守護騎士。
それをただ、じっとシグナムは見詰める。
そして視線を逸らすと、そっと溜息を吐いた。
リリカル in wonder
「待たせたか?」
「いえ、今きたところですから」
そうか、と苦笑するフィアットさん。いやまぁ、待ち合わせ時間を少し過ぎているから嘘だってバレバレなんだろうけど。
今日は定期検診の日。その前に飯でも食べようと、こうして外で待ち合わせをすることになったのだ。
いつぞやの約束。フィアットさんの予定が合わずに先延ばしになって、闇の書事件から半年以上経った今になってようやく果たせる。
……しかし、なんか意外だなぁ。
「フィアットさん」
「な、なんだ?」
「そういう服も着るんですね。なんだか意外です」
「む……似合ってなかったか? 妹に着せられたのだが」
「いや……」
今日のフィアットさん。
いつもはストレートの綺麗な長髪が所々三つ編みで彩られており、それだけでも随分と印象が変わっている。
いや、髪型はあまり。最大の違いは服だよやっぱ。
黒のワンピース。胸元にリボンがあり、細かなフリルが下品にならない程度に。ゴスロリっていうのかな、これも。
「いつもナース服ばかり見ていたので、新鮮で驚いちゃって。似合ってますよ、可愛くて」
「そ、そうか――と、待て。可愛い? いや、これはだな、大人の魅力というか」
若干テンパった様子で弁解しようとするフィアットさん。
うん……妹さんに騙されたな。きっと悪戯好きなのだろう。
それに便乗して、
「いや、フィアットさんはこういう可愛いのの方が似合うと思いますよ? 体つきが華奢なのもあってすごい絵になってるし」
「む……い、いや、そうではなくてだな!」
「こう、ゴスロリって似合う人とそうじゃない人がはっきり別れますけど、フィアットさんは似合う方ですよね。
見てみたいなー、完全なゴスロリ。きっと似合うんだろうなー」
「そこまで言うなら――ではない! お前、私で遊んでないか!? いや、遊んでいるな!?」
「ははは、嫌ですね。……弄んでいるんですよ?」
「お前という奴は……!」
襟首掴まれてガクガク揺さぶられた。
……ちょ、ギブギブ。力が強いです。
腕をタップしてなんとか離してもらうと、二人してぜーはーと息を整える。
うん。この人をからかうのは危険だ。
「……ふぃ、フィアットさん」
「……なんだ」
「取り敢えず飯を食いに行きましょう」
「不毛な争いを始めたのはお前の方じゃ……まあ良い」
「聡明で助かります。何か食べたい物はありますか?」
「ない。お前に任せる」
「む……なら、好きなものってなんでしょう」
「甘い物が好きだな」
……何かの嫌がらせか?
と思いつつじろじろフィアットさんを見ていると、首を傾げられた。それと同時に、長い髪の毛が揺れる。
「なんだ?」
「いえ、なんでもないっす」
ううむ。奢るんだからちょっと高い店にでも行こうと思ったけど、こりゃーファミレスで良いかもね。
まぁ、ファミレスって言っても値段の落差を考えたらそれでも高い安いの違いはけっこうあるんだけどさ。
取り敢えず洋食がメインのファミレスへ。
値段が若干高いこともあってか、店内は割と空席が目立っていた。
ウェイターがくるまで待とうと思っていると、不意に袖を引かれる。
なんぞ。
「おいエスティマ、券売機がないぞ」
「……ここはオーダー制だと思います」
「む……そ、そうか」
どこか落ち着かない様子で店内を見回しているフィアットさん。
どうしたんだろうか。
などと思っている内に席に案内され、それぞれメニューを見ながら何を食べるか決めることに。
どうしよっかなー。特に何が食べたいとかはないし、ハンバーグで良いか。
で、フィアットさんは、
「………………」
メニューをガン見していた。眉間に皺を寄せて。
「……あ、あの、フィアットさん?」
「ん?……ああ、少し待って欲しい」
と言われ、待つこと五分。
フィアットさんはメニューとにらめっこを続けています。
……煙草が欲しい。この、微妙な沈黙っつーか待ち時間、非常に煙草が吸いたい。
しかしお子様な俺なので無理なのでした。畜生。
退屈を紛らわすために携帯電話を取り出して、メールでも……と、はやてからきてるな。
んー……、父兄参観日? この日は仕事が入ってるなぁ。
それにしても父兄参観日か。一応保護者は俺だからなぁ。
どうしたもんかねぇ……。
「良し、決めたぞエスティマ!」
「おお、何にしたんです?」
「このトリプルバーグというのが、実に美味そうだ」
言いつつフィアットさんが指さすのは、三段重ねになったハンバーグ。
フィアットさん、子供が食べるには若干グロい量ですそれ。
しかし、ものっそい楽しみにしている様子なので突っ込むわけにもいかず大人しく頼むことに。
結果。
「……すまんエスティマ」
「いえ。気にしないでください」
ハンバーグ美味しいです。お腹いっぱいなのでしばらく食べなくて良いです。
溜息を吐きつつなんとか腹の許容量を浮かそうとしていると、不意に視線を感じた。
「……なんです?」
「そ、その、なんだ。……私の食べかけなんだが、それは」
「残すのは勿体ないでしょう?」
「いや、そうでなくて……!」
ガタン、とテーブルを揺らして身を乗り出すフィアットさんだが、途中で諦めたらしく脱力した。
何故だか心持ち頬が赤い。彼女は居心地悪そうにそわそわしている。
どうしたんだろう――って、ああそうか。
「間接キス?」
「ななななななななななっ……!?」
「じゃないよなぁ、これ。口移し……なわけでもないし。この場合ってなんて言うんだろう」
「悩むのはそっちなのか!?」
あ、あれ? フィアットさん、なんでナイフを指先で摘んでいるんです? それって投擲体勢ですよね?
「お前には恥じらいというものがないのか!?」
「ありますよ恥じらい。まぁ、お子様なんで気にすることもないでしょう」
「誰がお子様だ!」
「違う! 俺のことですって!」
などとやっていると、周りの客に迷惑そうな顔をされたり微笑ましいといった視線を向けられたり。
騒がしくてすみません。
流石にフィアットさんも無神経ではないのか、むぅ、と唸って縮こまった。
そんな気にすることでもないだろうに――
って、ちょ!?
ガツン、と脛に爪先がっ……!
一人悶える俺。フィアットさんはつーんとそっぽを向いている。理不尽だ!
「……何するんですか?」
「私を弄んだ報いだ」
「そんな……弄んでなんかいません」
「ほう?」
「愛でて反応を楽しんでいるだけです」
「尚悪い!」
再び蹴りが飛んでくるが、今度はこっちもガード。
そんなやりとりを数度繰り返し、やっぱり不毛な争いなので二人して溜息を吐く。
「……止めよう」
「……そうですね」
「まったく、お前という奴は……そうだ」
「どうしたんです?」
「頼まれていた薬だ。忘れると悪いし、今渡そう」
「あ、どうも」
フィアットさんは鞄の中から錠剤の収まったケースを取り出すと、差し出してくる。
それを受け取ると、上着のポケットに突っ込む。
「ありがとうございます。最近、どうにも眠りが浅くて」
「いや……それより、疲れているのか? 前に会ったときより、隈が酷いぞ」
む。
言われ、思わず目の下を擦る。
ちゃんと眠りはしているんだけど……いや、そうでもないか。睡眠時間の割には疲れが取れないしなぁ。
「あんまり周りの奴らには言われないんですけどね」
「私は一月置きにしかお前に会わないからな。だから、ゆっくりとした変化でも急なものに思えるのだろう。
……すまないな、エスティマ」
「なんでフィアットさんが謝るんですか」
苦笑しつつ言うと、彼女はどこか陰りのある笑みを浮かべた。
なんだろう。どこか無理をしているというか、そんな感じ。
「……なぁ、エスティマ」
「なんですか?」
「執務官補佐になってそれなりの時間が経ったが……どうだ? 欲しいものは手に入りそうか?」
「……なんとか、といったところですかね。心配してくれてありがとうございます」
「礼なぞ言うな。心配するぐらいしか私にはできない。力になってやりたいが、お前には拒まれてしまったしな」
「うう……ごめんなさい」
「冗談だ。……ふふ、してやった、といったところだな。私をからかうお前が悪い」
……微妙な茶目っ気だ。
「……しかし、お前もよく頑張るな。執務官補佐をしつつ勉強。そして、保護観察を行っているんだろう?
辛くないのか?」
「……辛くないわけ、ないじゃないですか」
つい本音が漏れてしまった。
だが、しまった、と思うこともなく俺は先を続ける。
「けど、俺を頼ってくれる人がいるのなら、それを裏切るわけにはいかないし。
少しの無茶ぐらいで泣き言を言っている暇はありませんって」
「んー? 今私に言っているのは、泣き言じゃないのか?」
「ぐ……」
「まぁ、頼られるのは悪い気はしない。これも包容力のある年上の魅力というヤツだ」
「いや、それは違うんじゃないかなー」
「何か言ったか?」
「はい、いいえ。何も言っておりません」
「よろしい」
そんなやりとりを交えつつ、なんとか完食。食べ過ぎでちょっと気持ち悪い。
会計を済ませて外に出ると、ふと、聞こうと思っていたことを思い出す。
「フィアットさん」
「なんだ?」
「左腕のことなんですけど、なんかおかしくて」
「……調子が悪いのか?」
「いや、良いと言って良いのか悪いのか」
左腕。フェイトのザンバーを受け止めて無理矢理治癒した傷口。
それは闇の書事件が終わってからすぐに治したのだが、それ以降どうにもおかしいのだ。
不都合があるわけじゃない。ただ、妙なことが一つ。
「魔力変換資質って知ってます?」
「ああ」
「俺にそれはなかったはずなんですけど、最近はなぜか左腕から魔力を出すと勝手に電気変換されるんですよ」
言いつつ、左手に魔力を集中。バチ、と爆ぜる音共に雷が散る。
最初は電気変換がし易くなった程度だったのだが、ここ最近は左腕を通した魔力が完全に変換されてしまう。
どういうこった。
「それは、だな……」
フィアットさんはそこで黙ると、顔を俯かせて口元を抑える。
そしてすぐに顔を上げると、たぶん、と前置きして口を開いた。
「エスティマ、私のいる研究施設がクローニング治療を研究していることは知っているな?」
「はい」
「それで、だな……ええと、そう。今まで黙っていたが、左腕は肩から先を交換したんだ。
そのせいで、なんらかの変異があったんだと思う」
「肩から先を交換……」
俺は義体か何かか。
「……黙っててすまなかった」
「いえ、そんな、良いんですよ。責めてるわけじゃないですから。むしろ使い勝手が良くなったようなものだし」
そう言い、左腕をぐるぐる回してみる。
「この通り、調子も良いですから」
「そうか。それは良かった。ちなみに、骨にも手を加えてあってな。市販のナイフていどならば腕で受けることができるし、ちょっとやそっとの圧力じゃ砕けない耐久性も備えているぞ。
ああ、それと――」
「ちょっと待てぇえええええい!」
なんだそれは!?
俺は戦闘機人か何かか!?
……前々から疑ってはいたが、いよいよもって怪しくなってきたなぁ。
スクライアにレリックの発掘を依頼したりとか魔改造とか。
スカリエッティと直接的に関係があるかどうかは分からないけど、どう考えても俺に使われた技術は真っ当なものじゃない。
今の時期ならスバルやギンガを生み出した組織って線もあるし。
……ただ、フィアットさんの所属は真っ当な管理局傘下の医療研究施設。
だから、陸の戦闘機人計画に噛んでる線もあるし。
……今の時期じゃ心当たりが多すぎてどうしようもない。
黒幕が見えない状態でまた一人で突っ込んだら泥沼化する可能性だってあるんだ。迂闊な行動は控えるべき。
……なんてのは。
「……おい、エスティマ」
「ん、はい」
「難しい顔をしているぞ。私といるというのに、なんだそれは」
「すみません」
苦笑してしまう。
どうにもこの人と一緒だと、居心地が良い。
下手に動いたらこの関係が壊れてしまうんじゃないか。
……そんな弱さなんじゃないかと、思ってしまう。