情報端末を睨みつつ報告書の格闘。
執務官補佐なんて地位でもやることの大半はこんなもんだったりする。
戦うのは基本的に武装隊のお仕事。
高ランク魔導師が必要な局面だったら現場に出張るわけだが、早々大事件が起こるわけもなく、この仕事を始めてから半年以上経った今でも出撃した回数なんて数えられる程度しかなかった。
うがー、書類整理はもう飽きましたよ。
なんてことを分割した思考で思いつつ、せっせと書類作成。しつつ、受験勉強。しつつ、脳内で仮想戦闘訓練。しつつ、今度の休日はどうしようかと考える。
マルチタスクすげえ便利。そのせいで仕事の量が殺人的だけど。
定期検診はこの間済ませたので、今度はフェイトのところに顔を出して……いや、スクライアに行って護衛隊の面倒を見るのも悪くないか。
そういやぁエイミィさんに遊びに誘われてたなぁ。クロノも交えてのやつ。
んー、いや、休日をそのままセッターの解析に当てるのも。
いや、セッター、使われている技術が非常にアレなんですよ。
未知のテクノロジーってわけじゃないが、まだ一般には出回っていない実験段階の代物。教導隊での運用試験すら始まってないのだ。
高ランク魔導師、それも魔力保有量がずば抜けている者専用の構造と材質を使用した次世代型デバイス。
カートリッジシステムの搭載が多くの魔導師の戦闘能力の底上げならば、こっちは一握りのエースを強化するためのプラン。
たったの5%しか存在しない高ランク魔導師のためと言っても過言じゃないんだ。そりゃあカートリッジシステムよりも後回しにされるだろうさ。
それはともかく。
原作でセッターの技術を使われているデバイスが存在しなかったことから、正式配備には十年以上の時間がかかるんだろうと推測できる。
そして、その技術。魔力を注がれると硬度が変化する液体金属をフレームの基本構造に使用して、膨大な出力に耐えようとする物だ。
ぶっちゃけた話、魔力さえあればセッターはフレームだけでもアームドデバイスじみた戦闘が可能。外装はセッターにとっての武装のようなものだ。
……そんなものを俺に渡すかね。一度死ぬまでAA+程度の魔力しかなかったっていうのに。
これは俺の魔力保有量が爆発的に増えることを見越してのことだったんだろうが、さて。
……執務官になって最初に始める捜査はフィアットさん周りのことにするか、どうしようか。
陸配備を希望するつもりだから、時間を見付けて――
……いや。
しばらくの間はそんなことをしている暇はないだろう。
当面の目的は戦闘機人事件の結果をより良い方向に転がすこと。そのためのベストはゼスト隊に入ることだが……。
ううむ。そう都合良く行くわけないからなぁ。
……そうだな。ゼスト隊に配備されることが不可能だったら、俺の身体を良いように弄くり回している研究機関を嗅ぎ回ろう。
それまでは怪しまれないように変な動きをしない方が良いかな。
うん。そうだ。それで良いはずだ。
などと考えていると、不意に部屋のドアが開いた。
姿を見せたのはクロノ。この野郎。入るときはノックしろといつも言ってるのに。
「クロノ。入るときは――」
「ノックをしろ、だろう? 別に気にすることもないと思うのだが。見られて困ることをしているわけでもないだろう」
「ばっかお前、ソロプレイしていたらどうするんだよ」
「……すまん」
「……いや、ごめん」
若干引いて謝ってくるクロノにこっちも頭を下げる。
すみませんでした。っていうか、まだソロプレイとかできないしねこの身体。
「で、どうしたんだよ。また仕事?」
「いや、今度の休日のことをだ。エイミィと一緒に遊びに行くヤツ。……まぁ、仕事もあるんだがな」
追加だ、と書類が机に置かれる。ドサ、とか重い音を立てて。
オー人事オー人事。ここに部下を過労死させようとする鬼がいます。
ちら、と書類に目をやって溜息。っていうか、
「なんで俺がなのはのぶっ壊した建物の被害総額の報告なんか書かなきゃいけないんだよ!」
「雑務は君の仕事だろう。……スクライアに帰るか?」
「やるよ! やりゃあいいんだろうやりゃあ!」
この野郎……!
「ああもう。片付けても仕事が減った気がしないぞ。……アースラ、色んな世界に出張りすぎなんじゃないか?」
「他の次元航行艦と比べて働いていることは否定しない。が、仕事が減らないのは君の自業自得だ。
休みを多く取るんだから、その分の仕事はきっちりやってもらう」
「分かってるよ。……で、今度の休日だけど、どうする?」
「ああ、クラナガンのデパートでバーゲンがあるとか。そこに行くらしいんだが、君は行きたい場所の希望はあるか?」
「特には。……んー、いや、デバイスのパーツショップを巡りたいかな」
なんて話をしていたら、不意にメールの着信音が響いた。
送り主を見れば、それははやてから。『参観日どうするんー?』といった題名。
片手でキーボードをタイプしつつ、仕事があるからやっぱり無理、と送ろうとして――
「……参観日?」
「ん、ああ。シグナムの通ってる学校で父兄参観があってさ。それにきてくれって話」
「行かないのか」
「仕事入ってるし」
「よし、休みをくれてやろう」
「んな簡単に!? っていうかそうすると余計に仕事が!」
「クラナガンに遊びに行く休みを削れば良いだろう。非常に残念だが、な」
「欠片も残念だと思ってないなお前!」
そんなことはない、とクロノは肩を竦める。
うん、表情変えずにそれはどうかと思うよ。
「……父兄っつったって、別に俺はそんな立場じゃないぞ?」
「前に、父上と呼ばれている、と言っていたじゃないか。つまりは、シグナムは君を父親だと思っているということだ」
「だからってさぁ。……スーツとか持ってないし、どう見たって兄とかじゃないし」
「今着ている執務官候補生の制服があるだろう。管理局の制服は一級の礼服だ。それに、兄云々なんてどうにでも誤魔化せるだろう?」
「……いや、でもなぁ」
「……行きたくないのか?」
どうなんだろう。
……いや、行きたくないのだろう、俺は。
その証拠に、俺は未だにシグナムと上手くコミュニケーションを取れていない。彼女にどんな言葉をかけて良いのかさっぱりなのだ。
父上、と俺を呼ぶシグナム。そんな風にしてしまった原因は俺であり、そんな人間が彼女に影響を与えて良いのかと、どうしても思ってしまう。
なのはぐらいに割り切れれば楽なんだろうが、生憎と俺には妙なわだかまりがあって上手く接することができない。
それに、シグナムにどう思われているのかだって分からないし。彼女の近くにははやてやヴィータ、ザフィーラがいるんだから部外者の俺が首を突っ込むのもどうかと思う。
……などと考えている内に、クロノは呼びだした情報端末でシフトのやりくりを終わらせていましたよ。
「おいこの野郎」
「上司に対する言葉遣いじゃないな。……そういうわけだ。君は気兼ねなく参観日に行くと良い」
「お前、絶対、ロクな死に方しない」
「それは怖いな。……なぁ、エスティマ」
ふと、クロノが真面目な顔になる。
心持ち姿勢を正すと、俺は首を傾げながら口を開いた。
「なんだよ」
「親がいる、というのは子供にとって重要なことだ。そして、かまってもらえないのは寂しい。
……それだけは覚えておけよ」
リリカル in wonder
参観日。
シグナムはいつものように登校し、いつものように――
というわけではなかった。
身に付けている学校の制服は乱れがないようにしっかりと気を付けたし、髪の毛は念入りに手入れしてお気に入りのリボンで纏めてある。
それを一日中維持するように努めて、とうとう時間がやってきた。
予習も完璧。どんな問題だろうと解く自信がある。
お昼休みが終わると、背筋を伸ばして椅子に座り、数分置きに教室の後ろを見つつ、気を張っている。
……見ていてください父上。騎士シグナム、ぶざまはさらしません。
ぐっと握り拳を作りつつ、彼女は気合いを入れる。
三日前、エスティマからはやてへときたメール。
返事は、参観日にはちゃんと行くよ、といったもの。
きてくれないのではないか、と心配していたのだが、それは杞憂だった。父上はきてくれるのだ。
良かったやん、あの馬鹿ようやくか、くるだろうと思っていた、と八神家の反応は様々だったが、それはシグナムにとってあまり関係がない。
父がくる。それだけで、シグナムの機嫌はここ数日良かったのだ。
立派な姿を見れば、きっと父上だって喜んでくれる。
そう意気込んで――
「保護者の方も集まってきたようなので、授業を始めましょう」
その声を聞き、シグナムは再び、さり気なく教室の後ろに視線を向けた。
そこには同級生の父兄が並んでおり、しかし、その中にエスティマの姿はない。
きてくれないのかと不安が過ぎり、その時、扉を開いて一人の少年が教室に入ってきた。
後れ毛だけを伸ばして、それ以外の髪の毛は無難な長さの金髪に赤い瞳。
着ている服はシグナムが見たことのない、黒いスーツだった。首に巻かれているのは横幅の広い、赤いリボンタイ。
肩の部分が特徴的だから、管理局の制服だろう。
その姿を見て、格好いい、と素直な感想が浮かんでくる。
「ほら、シグナムさん。ちゃんと前を向きなさい」
「は、はい!」
ビクッと身体を震わせつつ、シグナムは黒板に向く。
なんというふかく……! これ以上は……!
シャーペンを握る手に力がこもり、む、と眉根を寄せる。
落ち着いてください、とレヴァンテインから念話が聞こえきて、分かっている、と返答した。
授業が進み、時折、教師が生徒に質問を投げる。
さあいつでもこい、とシグナムは待ち構え、遂に自分の番に。
勢い良く席を立ち、そのせいで真後ろの生徒が迷惑そうな顔をしたが、気付かずにシグナムは口を開こうとする。
だが、その時になって、自分の言おうとしている答えは正しいのか、と疑問が湧いてきた。
すぐに答えるべき、間違いじゃないのか、と頭の中をぐるぐると思考が巡る。
あの、その、と言葉が漏れるが、上手く形にならない。
そうしている内に同級生から向けられる視線に気が付き、焦りが加速。
顔が熱くなって、唇を噛み締めながら俯いてしまう。
「お兄さんがきて緊張しちゃったのかな? じゃあ、次の――」
着席する。
違う。兄じゃなくて父上で。
違う。そうじゃない。それじゃない。
……せっかく良いところを見せようとしたのに、こんなことになるなんて。
くっ、と顔を俯かせて、シグナムは背中を丸める。
どうしよう。ガッカリされたかもしれない。
足元がガラガラと崩れ落ちそうな錯覚すら覚える。そんな風に自己嫌悪に陥っている内に、いつの間にか授業が終わっていた。
教師の号令に従って起立し、礼。
この後は保護者懇談会があると聞いている。これにはシャッハが出て、自分は父と共に帰ることになっているのだが――
「シグナム」
名を呼ばれ、ビクッっとシグナムは肩を震わせた。
おそるおそる振り返ってみると、そこにはエスティマが。
どうしても父の顔を直視できずに、シグナムは目を逸らしてしまう。
どうしよう。怒られるかもしれない。
そんな考えがふと浮かんできて――
「あ、おい!」
鞄を手に取ることもせず、シグナムはその場から逃げ出した。
軽い足音を立てながら教室を抜け出して、開いている窓から身を投げ出す。
そして飛行魔法を発動すると、行く先も決めずに飛ぶ。
「うう……どうして、私は」
手の甲で目元を拭い、ぽつり、とそんな呟きを溢した。
……参ったな。
ガリガリと後頭部を掻きつつ、溜息一つ。
怖がられてるのかね、俺は。あんな風に脇目もふらずに逃げられるとは、予想もしなかった。
「追ってあげてください」
「ん……シャッハさん」
振り返ってみれば、そこにはシャッハさんが。
彼女はにっこりと笑みを浮かべる。
「いや、俺、なんか怖がられているみたいだし」
「ええ、そうですね。けど、それはあなたの考えているのとは少し違うと思いますよ?
あの子と話をしてあげてください」
「はぁ……」
首を傾げつつそう返答して、教室を出る。
さて、追うと言ってもどこに行ったのか分からないわけだが。
……しゃーあんめぇ。
中庭に出ると首元に下がったセッターを手に取る。
「セットアップ。バリアジャケットは展開しなくて良い」
『スタンバイ・レディ』
黒いデバイスコアを覆うように黄金のフレームが出現し、白の外装が装着される。
そうして現れた白金のハルバードを手に取ると、ワイドエリアサーチの術式を構成。
足元にサンライトイエローの魔法陣が展開し、魔力に物を言わせて二十個の光球を生成。
戦闘をしながら探知をするわけじゃないので、これぐらいは可能。執務官補佐を嘗めんな。
思考を全部エリアサーチに傾ければ、そう時間をかけずに見付けることができるだろう。
『旦那様』
「なんだ」
『質問です。何故、守護騎士は逃げたのですか。こちらに敵意はありませんでした』
「俺が知るか。それと、俺に敵意がなくても向こうに事情があったら逃げるさ」
『その事情とはなんですか』
「さあね。人の気持ちを知ることなんて、俺にはできないよ。
そんぐらいの常識は学習してくれ」
『了解』
セッターが黙ると、俺はエリアサーチの送ってくる情報の解析に集中する。
そうしている内にそれらしい反応を発見。場所はどこぞの建物の屋上か。
学校の敷地外だから足で行くしかないなぁ。飛行許可なんて取ってないし。
タクシーを使おうかとも思ったが、行き先の名称を知っているわけがないからやっぱり徒歩で。
シグナムを発見したエリアサーチを維持したまま、セッターを待機状態に戻していざ出発。
……それにしても、見付けたらどんな言葉をかけるべきなのだろう。
そもそもシグナムに逃げられた理由が良く分からないし。反応からなんとなく怖がられているってことは察することができたが。
どうにも弱った。フェイトぐらいに分かり易いと助かるだけどねぇ。
ふと、クロノに言われた言葉が浮かんでくる。
「……かまってもらえないのは寂しい、か」
どうだろう。そうなのかもしれない。
自分の場合はどうだったかな、と思い出してみる。
記憶は随分と色褪せてしまって、セピアを通り越して日焼けして見づらい写真のようになっている。それをなんとか思い出して、呻き声を上げた。
別に不幸だったわけじゃない、ごくごく普通の幼少時代。
年齢が上がれば自然と鬱陶しくなって、それを通り越したら今度は大事に思えた両親。
それを遡って、ガキの俺は何を考えていたのかを掬い上げてみる。
それとさっきのシグナムを照らし合わせて、
「……合わせる顔がなかった。失敗を怒られるのが怖かった、か」
どうだろう。シグナムが俺のことを本当に父親だと思っているのだとしたら、そんなところな気がする。
ガキの俺がそんなことを考えていたとき、両親はどんな言葉をかけてくれたっけか。
……駄目だ。思い出せない。次の日は何もなかったように過ごしていた気はするが、そこに至った過程がさっぱりだ。
「……親って大変なんだなぁ」
『不明。養うだけならば、今でも充分に可能だと思えます』
「養うだけが親の仕事じゃないんだろうさ。……黙ってろって言ったろ」
『申し訳ありません』
最近、セッターも命令を聞かなくなることが増えたな。
少しずつ賢く……なっている気がしない。
押し問答しているような気分になるから、こいつと喋るのは疲れるんだよな。
などと考えつつ、ようやくシグナムがいるであろう建物にたどり着く。
……教会か。これの屋上に行くことって、できんの?
やれやれ、と頭を振って飛行魔法を発動。セッターからはログを消しておこう。
軽く跳躍して屋根に降り立つと、滑る足元に注意してシグナムの姿を探す。
発見。鐘のすぐ近くで体育座りをしている。
「シグナム」
「あ……ちち、うえ」
「急に逃げ出すな。驚くだろう」
「……ごめんなさい」
しゅん、としてシグナムは両腕で強く膝を抱き寄せた。
どうしたもんか、と思いつつ、シグナムの隣に腰を下ろす。
……何を言ったもんか。怒るのは違うだろうし、気にしていない、って言うのもなんか違う気がする。
こんな時、どんな言葉をかけていいのやら。
溜息を吐きたい気分になるがそれを我慢して、視線を流す。
……ん。
「存外、良い眺めだな」
煉瓦造りの建物が並ぶベルカ自治領。それを高い場所から見渡すのは、悪くない。
イタリアとかの写真で見たことがあるけど、実際に目にしてみると、けっこう違うもんだ。
「……お気に入りの場所、です」
「……ん?」
「夕日がしずむ時間が、一番きれいです」
「そっか」
ぽつり、とシグナムが漏らした言葉に、きっとそうだろう、と同意する。
時間帯で随分と変わりそうだ、この眺めは。早朝とかはどんな風になるんだろう。
「あ、あの、父上」
「なんだ?」
「今日は、もうしわけありませんでした。あんなことは、もう二度と……」
「良いよ。誰にだってあることだし、気にしなくても。俺だってガキの頃は――」
そこまで言って、俺今ガキじゃん、と思い至る。
うわー、変に思われないかなぁ。
思わずシグナムの方に視線を送ると、彼女は心底驚いたように目を見開いていた。
……ええと?
「どうした?」
「父上も、ですか?」
「あ、ああうん。急なことにテンパるなんて普通に今でもあるよ。だから気にしなくても良いって。
次は気を付ければ良いだけだからさ」
「はい、気を付けます。……けど、おどろきました。父上も私と同じだったなんて」
「……あのー、シグナム? 俺のことをどんな風に見ているの?」
「え、あの、それは……」
と、どもってしまう。心持ち頬が赤い。
変に急かすのも悪いと思い黙っていると、おずおずとシグナムは口を開いた。
「立派だと、そう、思います。騎士ヴィータやザフィーラから聞きました。
手負いだというのに単身で夜天の魔導書と渡り合う力を持っていて、多くの人に信頼されていて。
……だから、父上の守護騎士として、私も強くあらなければならないのに」
と、再びシグナムは沈んでしまう。
その様子を見て、フェイトにするように思わず手が伸び、頭を撫でてしまう。
……そういえば、シグナムにこうするのは初めてかな。
「まだまだシグナムは学ぶことが多くあるんだ。最初から強い奴なんていないよ。
だから、そんなに沈むことはないさ」
「……そうなのですか?」
「そうなの」
そう言って無理矢理納得させる。
さて、と。
「さあ、シグナム。もう帰ろうか」
「え……あ、はい」
立ち上がって手を差し伸べると、どこか残念そうにシグナムは目を伏せた。
そして、どこか怯える様子で手を掴もうと、ゆっくり腕を伸ばす。
……ううむ。
なるべく優しい手つきでシグナムの小さな手を取る。
彼女はびっくりしたように、あ、と声を上げるが、ぎゅっと握り返してきた。
手を繋いだまま屋上から降りると、はやての元へ脚を向ける。
このまま帰って――
……いや、そうだな。
「シグナム」
「はい」
「おやつでも食べるか。ここら辺、喫茶店とかあるかな」
「……良いのですか?」
「ああ。頑張ったご褒美さ」
うん、そうだ。
ご褒美ぐらいはあげるべきかな。
結果はどうあれ、ガキの頃、頑張ったときは何かしらご褒美をもらっていた気がする。
いや、どうだったかな。
爺ちゃんとかに遊んでもらったのとごっちゃになっているかも。
などと考えていると、俺の顔を見上げているシグナムに気付いた。
視線を合わせると、照れたように前に向き直る。
……親って偉大なんだなぁ。
自由奔放に子供を育てるってのが如何に難しいか、なんか実感させられる。
父親……俺にできるのかね。
おかえりを言ってやることもできないし、俺ができることなんて体験したことの模倣だけだし。
いや、できるできないじゃない。やらないといけないのか。
既にシグナムは俺を父親だと思っているんだ。それは、先程のやりとりで充分に分かった。
今更放り投げるわけにもいかず。シグナムのマスターを俺に設定して構成した時点で、もう逃げ出すことはできなくなっていたんだな。
……はは、なんてこった。
「父上?」
「……ん、いや、なんでもないよ」
自嘲が顔に出てしまったみたいだ。
笑顔を作り、シグナムに笑いかける。
仕事にかまける駄目親父にしかなれないだろうになぁ。
アースラへと戻ると、速攻でリンディさんに呼ばれた。
何事だ。仕事はトチ……ってないと良いなぁ。
基本的に雷を落としてくるのはクロノなのだが、ううむ。
もしかしてヤバイ類のミスでもやらかしたか?
内心で戦々恐々としながらなんとか平静を装って艦長室へ。
ドアを開き、部屋の中に。
なのはたちが訪れたときと違ってなんちゃって和風が若干緩和されているが、それでも所々に盆栽があったりする。
「お疲れ様、エスティマくん。休日は楽しく過ごせたかしら?」
「はい」
「そう。……ささ、座って。コーヒーで良いのよね? たしか、ブラック」
「あ、いや、わざわざそんなことをしてもらわなくても……」
「良いの。少し話が長引きそうだしね」
と言いつつ、リンディさんはドザーとインスタントコーヒーをぶちまけてお湯を注ぐ。
……濃い目は好きだけど、ちょっとそれは度が過ぎてるんじゃないかなぁ。
どうぞ、と渡されたコーヒーを口に運んで、思わず顔を顰める。
濃い。濃すぎる。苦みが云々とかじゃない。濃すぎて飲めたもんじゃない。
やっぱりこの人は味覚がぶっ壊れているんじゃないだろうか。
「エスティマくん。シグナムさんの様子はどうだった?」
「特には何も。問題はありません」
「あら、そう? クロノに聞いた話とは、少し違うみたいね」
なんだとぅ。あの野郎。
まぁ、クロノがなのはさんから聞いたのを耳にしただけなんだけどね、とリンディさんは続けて、微笑みを浮かべる。
「あまり上手い付き合いはできていないようね」
「……まぁ。父親として上手くはできていません」
「それもそうでしょう。父親になるには、あなたはまだ早すぎるもの。
フェイトさんのお兄さんとしては上手くやっているようだけど、それとこれとは勝手が違うし」
「そうですね」
そこで会話が途切れた。
沈黙を誤魔化すようにコーヒーのような何かを口に含むが、やっぱり味がヤバイ。
呻き声を上げそうになるのを我慢しながら、唇に付いた苦みを舐め取る。
「私はね」
不意に上がった声に、逸らしていた視線を再び向ける。
リンディさんは遠くを見ているような目つきをしながら、どこか自嘲するように先を続けた。
「クロノの母親としては、きっと失格だった。
周りの人たちがあの子を見ていくら立派だと言っても、私にとっては慰めでもなんでもないわ。
……執務官だって言っても、まだ子供なのよ。それを戦場に駆り立てることは、親としては最悪でしょう。
あの子がどう考えていても、ね。
クライドが死んで、あの子が執務官を目指して――その時、私はどうしても止めることができなかった。
自分のことだけで精一杯だったのよ。知らぬ間に大人になって――なんて、勝手なことだって考えたわ」
「……つまり、何が言いたいんです?」
思わず、冷たい声が零れた。
口に出してから、随分と酷いことを言っている、と気付いたが、手遅れだ。
それでもリンディさんは気にした風もなく、ごめんなさいね、と苦笑した。
「言いたいことがどうしても纏まらなくて、ね。
うん。……エスティマくん、今のあなたにこんなことを言うのは酷だと思うけど、シグナムさんにはちゃんと接してあげて。
育ってからでは遅いのよ。あの時もっとかまってあげれば良かった、なんて考えないようにね」
「艦長を反面教師にしろと?」
「それで役に立つのならかまわないわ。
……良い? エスティマくん。子供は自分と同じ、一人の人間なのよ。
そしてその人は、親を見て何が正しいのか、何が間違っているのかを覚えてゆく。
あなたも一人の人間なのだから、何をしたってかまわないけれど――せめて子供の前だけでは、手本であるように心がけてね」
……手本、ねぇ。
どうなんだろうか、それは。
俺の考えていることがそのままシグナムに伝わることはないだろうが、それでも、一挙手一投足が影響を及ぼすというのなら。
……それは酷い人間ができあがりそうだ。
だから、それを気取られないように、立派な人で在り続けなければならない、と。
参ったなぁ。
ただでさえシグナムにヴィータやザフィーラが妙なことを吹き込んで、彼女の中で俺が半ば偶像化しているって言うのに。
それを貫けって言うのか、この人は。
地味に残酷なことを言っているのに、気付いているのだろうか。
……いや、気付いているんだろうな。
そうじゃなかったら、今のあなたに――なんて話の纏め方はしないだろう。
「……リンディさん」
「何かしら?」
「子育てってどうすれば良いんでしょうか」
唐突に投げ掛けた質問に、リンディさんは目を丸くすると、次いで柔らかな笑みに変わる。
その後、いくつかのアドバイスをもらって艦長室を立ち去って、どうすっかなぁ、と眉根を寄せる。
……取り敢えずは同居することから始めたら? ね。
まぁ、陸配備になったらそうなるだろうと考えていたし、かまわないんだが。
本当、どう接すれば良いんだろう。