時空管理局地上本部。天を突かんとそびえ立つ、超高層ビルの最上階付近。
そこにある執務室で、自分のデスクに座りながら、レジアスは定時連絡を待っていた。
今の彼は平時と比べてどこか覇気が欠けていた。おそらく、彼をよく知る人物が見たら、気遣いの一つでも見せるぐらいには。
その原因は、五日前に起こった戦闘機人事件のことだ。
自分が遠ざけるよりも早く戦闘機人プラントへ踏み込んでしまった、首都防衛隊作戦部第三課。
その結果、志を共にすると誓い合った親友は殉職してしまった。
あと一日でも早くゼストを違う案件に当てていれば――そんな後悔が、あの日からずっと続いている。
「……ゼストよ。なぜ、お前は」
呟き、しかし、そこから先の言葉は出てこなかった。
なぜゼストが戦闘機人プラントへの突入を強行したのか。きっとそれは、自分の不正を暴くためで――そして、それを正すためだったのだろう。
……志を共にしたからこそ、その裏切りとも言える俺の行為を防ぎたかったのか。
机に肘を突き、両手で顔を覆いながら、レジアスは呻き声を上げる。
どんなことをしてでも、それが地上の平和に繋がるならば、と自分自身を宥め賺してきた。
しかし――それは、本当に騙し騙しやっていただけなのだと、今更になって痛感する。
なぜならば、小さな犠牲は仕方がないと、そう、どこかで決めていたはずなのに、ゼストを失っただけでこうも自分は負い目を感じている。親友を失ったことを悔やんでいる。
……だからと言って、もう後に退くことはできない。
すべてを投げ捨てて逃げ出したとしても、最高評議会の傀儡が自分の後を継ぐだけだ。そして、余計なことを知りすぎた自分も愛娘であるオーリスも、きっとロクな目に這わない。自分を慕い、同じ理想――ミッドチルダを守る――に燃えている部下たちを投げ出すわけにもいかない。
逃げるにしても、もう、自分は大切なものを持ちすぎたのだ。既にこの身は、自分一人のものではないのだから。
「教えてくれゼスト……俺はあと何回、お前を殺すようなことをすれば、失った代償に見合った結果を手に入れることができる……」
まるで果てが見えない。
自分たちが悪と断ずる存在の手を借りて力を増している以上、それを根絶することがどれだけ難しいかなど、身に染みて分かっている。
スポンサーに飼い慣らされてしまった今の自分では、手の出せない者たちを捕らえることなどできはしない。
もし捕まえたとしても、すぐに野に放たれて再びミッドチルダに火種をばらまくに決まっている。
どうすれば良い。レジアスは、そんな思考の迷宮に陥っていた。
そのときだ。
不意に、情報端末に通信が届く。
宙に浮かんだディスプレイに映る名に顔を顰めるが、なんとかそれを打ち消して、彼は通信を繋げた。
そうして画面に現れた顔は、良く見知った人物のものだった。
金色の瞳に、紫がかった頭髪。端正な顔は、浮かんでいる嘲笑めいた頬の引きつりに、いつも歪んでいる。
ジェイル・スカリエッティ。忌むべき犯罪者で、自分の協力者。
彼は大仰に、馬鹿にしているのかとでも言うような仕草で一礼すると、口元を綻ばせながら口を開いた。
『やぁゲイズ中将。今日は良い天気だねぇ』
「……早く用件を言え。俺も忙しいんだ」
『やれやれ、余裕がないねぇ。まあ良いさ。
……さて、まず一つ。エスティマ・スクライアくんのことなんだが』
その名を聞いて、ぴくり、とレジアスは頬を動かした。その下では、きつく歯が食いしばられている。
弱冠十歳で執務官の資格を取り、陸には稀少な存在である高い魔力をその身に宿した少年。
そして、レリックウェポンであり、左腕を戦闘機人化された、ある意味では計画の中心にいる人物。
第三課の被害報告に目を通したため、彼の容態をレジアスは知っていた。
全治二週間の軽傷――ただ、本来ならば重傷である――を負い、部隊が壊滅したショックからか、今は意識昏迷状態となって先端技術医療センターで治療を受けている。
彼もまた自分の支払った代償の一つなのだろう。上司が倒れてゆく中で最後まで戦い、部下を逃がして壊れてしまった少年。
レリックウェポンといえどもまだ子供――そう、まだ子供なのだ。回復するかもしれないが、回復しないかもしれない。一人の人間の未来を奪い取ったようなものだ。
それも小さな犠牲の一つなのだろうが……。
……だから自分は高ランク魔導師といえど、子供を戦場に入れるのは反対だった。
しかし、せめて、と思いゼスト隊へと向かわせたところでこの体たらく。子供を守るはずの大人が子供に守られ、その結果、潰してしまった。
こんなのは自分の忌み嫌う海の連中と同じだ。
そんな憤りを飲み込んで、レジアスは絞り出すように声を返した。
「……奴がどうかしたか」
『ああ、少し聞きたいことがあってねぇ。
第三課が研究施設の調査に赴いた際に判明したんだが、どうやら彼は、僕らのことを知っていたらしい。
いや、僕のことを知っているのは問題はないよ? 有名人だからねぇ。
けど、ナンバーズのことまで知っているのは些かおかしいとは思わないかい?
名前だけではなく、ISの効果まで知っているような戦い方をしているし。
……彼に、何か入れ知恵をした者がいる、と考えているのだけれど、どうだろう。心当たりはないかい?』
「知るか。自分の首を絞めるようなことを、俺がするわけないだろう」
『それもそうだねぇ。あなたは、自分を疑う者ならば、たとえ親友だとしても切り捨てるような人なのだから。
ははは……! ああ、失敬。あれは事故だったね』
この男は……!
ディスプレイ越しではなく、もし目の前にいるのならば殴り飛ばしてやる。
激情を必死に抑えながら、ただ睨むことしかできず、レジアスは目の端を吊り上げた。
その様子を楽しんでいるスカリエッティは笑いを噛み殺すと、息を吐く。
『まぁ、分からないのなら仕方がない。もし判明したのなら教えて欲しいね。
……さて、重要なのがもう一つ。
確認したい。エスティマ・スクライアくんの辞職のことだ。
いや、辞職と言うのは正しくないんだったね』
「……今週末で辞職は受理されることになっている」
『それは重畳。あなたは黙って見過ごしてくれれば良いよ。先日の、ルーテシアの時と同じようにね』
それでは、と断りを入れて、スカリエッティからの通信は途切れた。
レジアスは数秒間、何も移らなくなった画面を睨み付けていたが、やがて糸が切れたように椅子へと身体を沈み込ませた。
……今週末、エスティマ・スクライアは管理局を辞める。
彼の親族が手続きを踏み、エスティマはスクライアに戻ることになっている。なってはいるが――
おそらくは、最高評議会の手によってスカリエッティの元へと運ばれるのだろう。
その後の彼がどんな目に遭うのか、自分には想像ができない。
想像できるだけの感傷など、もう、残っていない。
自分の手が届く範囲ではないのだ。既に。
リリカル in wonder
先端技術医療センターの廊下を俯きがちに歩きながら、ユーノはエスティマの病室に向かっていた。
擦れ違う看護士になんとか笑みを浮かべて会釈をしながら、肩にかけた鞄のベルトの位置を直す。
……エスティが倒れてからもう五日。早いものだ、と彼は胸中で呟く。
あの日、途切れ途切れの言葉ではやてからエスティマの負傷を聞いて、ユーノはすぐにミッドチルダへと飛んだ。
急いでベルカ自治区にたどり着いて目にしたのは、医療機器に囲まれたエスティマの姿。
その光景にショックを受けたのは確かだが、しかし、前にも一度あったことだ。自分でも驚くぐらい冷静に、ユーノは何があったのかを受け入れた。
そして、シスター・シャッハから事件の状況を聞いて、エスティマを助け出したのがヴォルケンリッターなのだと聞いたり。
今回ばかりは悪くないはやてに延々と謝られたり。
学校になんの許可も取らずに飛び出してきそうなフェイトを宥めたりと、色々とあった。
色々とあったが、それらもすべて、落ち着いて対処できたと思う。自分では。
なんでこんなことに、と思うことも、特にはなかった。
管理局員として働くのならば、危険な目にも遭うだろう。PT事件や闇の書事件を通して、どれだけの危険があるのかを充分に知った。
しかし、その危険な道もエスティマが選んだことならば仕方がないのだと、そう思えば、怒りはあまり湧いてこなかった。
……しかし。
脚を止め、病室のドアをノックする。中からフェイトとアルフの声が聞こえてきたのを確認すると、ユーノは病室へと足を踏み入れた。
真っ先に目に入ったのは、上部を起こしたベッドに背を預けたエスティマの姿だ。
肌の色は悪くないし、左腕に巻かれているギプスが取れれば、以前と同じように見える弟。
しかし、それは見えるだけで、以前と同じではない。
フェイトと一言二言言葉を交わし、彼女が学校の寮に荷物を取りに行くと言ったのを聞くと、ユーノは彼女と入れ違いに椅子へと腰を下ろした。
「やあ、エスティ。今日の調子はどうかな?」
あまり広くもない部屋にユーノの言葉が広がる。
が、それに応える声はない。
エスティマはただ、何もない空間に視線を注いでいるだけで、なんの反応も見せない。
精神疾患。それが、エスティマが患った、怪我よりも重い病。
別になんの反応もしないわけではない。特定の単語を聞いたら呻き声を上げたりはするが、しかし、今の彼と会話をすることは望めない。
どんな風に声をかけたとしても、以前のように、皮肉混じりに声を返してくれたり、困ったように笑うこともしない。
固い殻に籠もってしまったような――何もかもに興味がなくなってしまったような。
そんな状態が、続いている。
今のエスティマは、部隊が全滅したことを切っ掛けにこうなったのだと医者に説明を受けたが、それだけではないことをユーノとフェイトだけは知っていた。
エスティマの着替えを取りに行ったとき、彼の部屋に入った。
その時、彼の机の上にあった錠剤と、処方箋の写しを見て、今の状態にエスティマを追い込んだ原因は自分たちにあることを知ってしまったのだ。
トランキライザー。それを以前からずっと服用し続けながら、板挟みの生活を続けて、部隊が壊滅するだなんてことが起こって――その果てに、今の彼がいる。
無理が祟ったのだと、何も知らない人ならば言うだろう。
しかし、違う。
無理を強要させていたのは自分たちだ。
確かにエスティマが甘受していたこともあるだろう。けれど、それに甘えて押し付けたのは自分たちだ。エスティマならば大丈夫という、根拠のない理由を頼ってこうしてしまった。
板挟みの状態で、自分もフェイトも歩み寄りをしようとせず。
いや、フェイトはまだ良い。自分は、歩み寄ったように見せて、重荷を積み上げていったようなものなのだから。
だのに、文句一つ自分たちには言わずに進み続けて、もう二度と立てないかもしれない転び方をしてしまった。
……誰が悪いわけでもない。違う、誰が悪いと言えない。本人を含めた、エスティマに重荷を背負わせた者のすべてが悪い。
そんな状況だろうか、今は。
「そうそう、エスティ。今日、ようやくSeven Starsが返されたよ。
事件のログは全部消されたみたい。本当、何があったの? 僕で良ければ、話を聞くけど」
言いつつ、ユーノはポケットから取り出したSeven Starsを掌に乗せて差し出す。
そうすると、エスティマの眼球が唐突に動いてSeven Starsを捉えた。
彼の動きに、もしかして、と期待が沸き上がる。が、それも束の間で、エスティマは興味がなさそうに一瞥しただけだった。
『旦那様。ただ今、復帰いたしました』
Seven Starsの声が虚しく木霊する。
反応はない。
が、デバイスに反応はした。
ということは……。
「エスティ。Larkを、待ってるの?」
ピクリ、とエスティマが身体を震わせる。
その様子に、やっぱりか、とユーノは苦笑した。
エスティマのデバイス。もしかしたら――否、きっと、自分よりもエスティマのことを理解した存在。
闇の書事件で大破した彼女は、未だ、エスティマの心の中で大きなウェイトを占めているのだろうか。
そういえば、と思い出す。
エスティマが薬を飲むようになった切っ掛けは、重荷に耐えきれなくなったことではなく、Larkがいなくなったからなのだろうか。
だとしたら……今の状態から、エスティマが回復することができるのかと、気分が暗くなる。
……駄目だ。
「え、エスティ。あのさ……」
誤魔化すように、とりとめのない会話を始める。
カウンセラーには、根気強く話しかけてやれと言われている。そうすることでエスティマを繋ぎ止めることができるなら、いくらだってやってやる。
精神を冒された場合、その身内も辛いと聞いたことはあるが――確かにこれは辛い。
まるで果ての見えない今の状況が続くのだと考えただけで、心根が折れてしまいそうになる。
だが、駄目だ。
エスティマは自分を誤魔化してまで頑張ったのだから、ここで自分が諦めてはいけない。
エスティマがこうなってしまった以上、自分たちが諦めれば、もう彼には何も残らない。
それだけは許してはいけない。エスティマが耐えようとしたものを無駄になんかしてはいけない。
ヴォルケンリッターや八神家が気に食わないなど、二の次だ。
それがどんな物であれ、弟が必死で繋ごうとしていたものを壊すことなど、できるわけがない。
だからユーノは、今日もエスティマに声を掛け続ける。
夕日に照らされたクラナガン。帰宅ラッシュの始まろうとしている街並みをフェイトはアルフと共に歩いていた。
車が脇を通過する歩道を淡々を歩き、レールウェイの駅を目指す。
その後ろを着いて歩くアルフの表情は心配そうだ。
しかし、かまうことなく、フェイトは思考に沈みながら脚を動かし続ける。
頭の中を締めているのは、無論、兄のことだ。
エスティマのことだけをずっと考えて、彼女は黙々と動いている。
……思い返すのは、二日前のこと。
なのはとクロノが見舞いにきてくれて、二人を送り出すために席を外したときのこと。
自分が見ていないところで何があったのだろう。それは分からない。
ただ、ようやく目を覚ましたエスティマが、見たことないほどに怯えた様子だったのは確かだ。
――ドア越しに微かに聞こえた呻き声。何かがあったと思い飛び込んでみれば、ベッドの上でエスティマは丸まっていた。
まるで、怒られるのを怖がる幼子のように両手で頭を抑えて、何かに恐怖した様子で、全身を震わせて。
口から漏れていたのはただ一つ。謝罪の言葉ばかりが吐き出されていた。
目は虚ろで、しかし、忙しなく何かを探すように動き続けていて、口の端からは涎を垂らして――とてもじゃないが、信じられない、兄の姿だった。
そのときは、鎮静剤を打たれてベッドに拘束されるエスティマを横目に、きっと悪い夢を見たせいなんだと無理矢理に自分を納得させた。
しかし、違ったのだ。
後に――そう、手遅れになってからユーノに聞いたこと。ずっとエスティマは、薬で無理矢理に心を補強して背伸びを続けていたのだと。
だが、そんなことを聞いても遅かった。
その事実を知ったときには、既にエスティマは何もできない状態になっていたのだから。
その手遅れになった瞬間に、フェイトは居合わせていた。
兄の同僚の家族であるナカジマ一家が訪ねてきたとき、会話の途中だというのに、不意にエスティマは何も言わなくなってしまったのだ。
どんなに言葉をかけても反応せず、今度は薬なんかではどうにもならず――本当に、兄の心は手も声も届かない場所に行ってしまった。
……許せない。
ぎり、とフェイトは爪が食い込むことにもかまわず、手を握り締める。
あんな状態に兄を追い込んだ全ての要因――自分を含めた、あらゆるものが許せない。
ずっと自分を守ってくれていた、どんなことをしても困ったように笑って許してくれた兄の面影は欠片も残っていない。
そんな風になるまで、なんで気付かなかったんだろう。そんな、自責の念が沸き上がってくる。
いや、違う。気付こうとしなかったんだ。
「……私、兄さんに甘えてた」
「……フェイト」
ぽつり、と呟いたフェイトに、アルフが声を返す。
心配そうな色の溢れた声に、フェイトは少しだけ穏やかな気分となる。
「ねぇ、アルフ」
「なんだい?」
「兄さん、優しかったよね」
「ん……ああ、そうだね」
「うん。だからきっと……たくさんのことを背負って……」
そして、潰れた。
お節介なんかじゃない。兄さんは優しかったんだ、と、フェイトは断言する。
けれども。
「……この二日でね。気付いたことがあるんだ」
「うん、なんだい?」
「兄さんの肩って、私と同じぐらいしかないんだなって。もっと広いと思っていたよ。
身長だって、私より少し高いぐらいで……私との違いなんて、きっと、それだけだったんだ」
「……フェイト?」
「胸だって、きっと、私一人を抱き締めるのが精一杯なぐらいで、腕だって、伸ばしても遠くには届かない。
もっと、大きいものだって思ってた。
どんな困難もはね除けて、強くて、強くて……けど、うん。やっぱり、私と同じぐらいだったんだなって」
それなのに、あまりにも心地良くて、どうしても甘えたくなって、それを知らなかった。気付こうとしなかった。
エスティマの好意は居心地が良すぎた。どんなに拗ねても見捨てようとしなくて、だから、どこまでも甘えて良いのだと勘違いしてしまうほどに。
「決めたよアルフ。私、兄さんを守る。もうこんな目には遭わせない。
兄さんを傷付けようとするものから、守ってみせる」
「……フェイトがそうするって言うのなら、アタシは反対しないよ。
きっとエスティマも、喜んでくれるさ」
「そう……かな。そうだと良いな」
喜んでくれる。そんなアルフの言葉に、フェイトは思わず表情を和らげた。
私は兄さんを守る。
そうしたら……褒めてくれるだろうか。
良くやったね、と、そう言って、頭を撫でてくれるだろうか。抱き締めてくれるだろうか。ありがとうと、言ってくれるだろうか。
そう考えると、心持ちフェイトの足取りは軽くなった。
そして、そんな様子のフェイトを見るアルフは、複雑な心情を瞳に浮かべて、主人の背中をじっと見る。
アタシはフェイトに従うだけさ、と、半ば思考を放棄した言葉を脳裏に描きながら。
夜。ベルカの学校から帰ってきたシグナムが向かうのは、八神家だ。
父親であるエスティマがあんなことになった以上、彼女一人で生活することはできない。
炊事も洗濯も、父に頼らなければ何一つできない。それは、子供なのだからしょうがないのだが。
自宅に鞄を置いて、今日も八神家へと世話になる。
「おじゃまします」
「おう、シグナム」
扉を開けると、すぐそこにヴィータがいた。
どうやら少し遅かったせいで、心配をかけたようだった。迎えに行くところだったんだよ、と声をかけられ、ごめんなさい、と頭を下げる。
リビングには八神家の全員が揃っており、既にテーブルには夕食が並んでいる。
はやて、リィンフォース・エクス、ザフィーラ、ヴィータ。その中に加わり、シグナムは箸を手に持つ。
口に運ぶ料理はいつもと同じ、はやてのもの。しかし、一緒に食卓を囲む人たちは違う。
茶碗を手に持ちながら、シグナムは箸を止めてそれぞれの顔を見る。
八神はやて。優しくしてくれる良い人。父上には、お世話になったのだと、ことある毎に口にしている。
エクス。夜天の魔導書の記憶を引き継いだ、ストレージデバイス。あまり口数が多い人ではないが、それでも自分に優しくしてくれる。
ヴィータ。稽古を気まぐれに手伝ってくれる、古代ベルカの騎士。自分のことを妹のように可愛がってくれている、良い人。
ザフィーラ。喋ることはほとんどないけれど、黙って見守ってくれていることが分かる。どこか不器用な人。
なぜこの人たちは優しくしてくれるのだろう。そんな、今更のことを、シグナムは考える。
以前自分は夜天の主を守る守護騎士だったと聞いている。その縁で世話を焼いてくれるのだろうと、なんとなく分かる。
けど。
……けれど。
どんなに自分に優しくしてくれる人たちがいるのだとしても、シグナムは物足りなさを覚える。
いつもならば学校であったことを、つっかえつっかえしながらエスティマに話している時間だ、今は。
それができないことが、どうしても物足りない。
きっと八神家の皆は自分の取り留めもない話を聞いてくれるだろう。けれど、それをしてしまうのはどうしても憚られたのだ。
……父上じゃないと嫌です。
しかし、その父は、ここにはいない。
執務官として任務に赴き、大怪我をした。
一度だけ父の顔を見に、きっと元気でいるだろうと期待して足を運んだときのことを思い出して、シグナムは目を瞑りながら頭を振る。連動して、ポニーテイルの毛先が踊った。
そして、その明らかに怪しい挙動にはやては箸を止めて苦笑する。
「シグナム、どうしたん? ご飯、美味しくなかったかなぁ?」
「……いいえ。おいしいです。気にしないでください」
心配そうなはやての声。
弱いところを見せちゃ駄目だと、シグナムは上手く言葉に出来ない感情に耐えながらご飯を口に運ぶ。
だが、胸に溜まる重みのせいか、決して不味くはないというのに、食事を楽しもうという気が起きない。
そして結局、シグナムは夕食を半分ほど残した。
気にせんでええよ、というはやての気遣いに申し訳なさが込み上げてくる。
……私は何をしているんだろう。
食後のお茶。緑茶の水面に映る自分の顔を見て、溜息を一つ吐く。
……エスティマがベルカ自治区の病院に担ぎ込まれてから、シグナムは一度しか父の見舞いに行っていなかった。
きっと、このもやもやとした、良く分からない感情はそのせいなのだ。
きっと、もう一度見舞いに行けば消えるんじゃないかと、そう思っている。
思ってはいるが、そう簡単には――
「おいシグナム。どうしたんだよ、暗い顔して」
ふと声をかけられ、俯いていた顔を上げる。
ヴィータはマグカップに入ったココアを飲みながら、こちらに視線を向けていた。
その後ろには、何とも言えない表情をしたはやてがいる。
……ここで心配させるようなことをいってはいけない。これ以上、迷惑をかけちゃいけない。
それだけを考えて表情を引き締める。
「なんでもありません。少し、つかれていて」
「嘘吐くんじゃねーよ。……エスティマのこと、心配なんだろ?」
「……はい」
見透かされていた。カッと頬に熱が灯るのを自覚しながら、シグナムは顔を俯かせてしまう。
それにかまわず、ヴィータは言葉を続ける。
「なぁ、シグナム。なんでオメーがアイツの顔を見に行かないのかは、なんとなく分かる。
けどさ。そうやって塞ぎ込んでて、それで満足なのかよ?」
静かだが、強い言葉。
思わずびくりと身体を震わせて、手を握り締める。
「うじうじ悩んでる必要なんてねーだろ。
……それとも何か? アイツの見舞いに行っても、それで怪我の治りが早くなるなんてことはないって、妙な割り切りをしてんじゃねーだろうな?」
「そんなわけありません!」
唐突に声を荒げ、シグナムは顔を上げた。
細めた目で、真っ直ぐにヴィータの目を見据える。
「私は父上の守護騎士です! どんなことがあったって、父上の側にいるべきだって――そんなことは分かってます!
けど……!
どんな顔をして会いに行けばいいのですか!? 守護騎士なのに、父上があんな姿になるのを黙って見ていて……違う、そんなんじゃない。
父上が戦っているとき、何も知らずに寝こけていて……そんな私が、どうして……!」
血を吐くように、シグナムは心情を吐露する。
あの日。エスティマが病院に担ぎ込まれた日。
眠っていたところを起こされてはやて達に着いていき、見た光景。
あれほど自分の無力を痛感したことはない。
まだ子供だからなんだというのだ。だとしても、自分は守護騎士であり、主人を守るための存在だというのに。
……それなのに。
「そこまで言うなら教えてください、騎士ヴィータ! 私は何をすれば良いのですか!?
戦うためのプログラムなのに何もできなかった私が、父上に何ができるのですか!」
「……何もできねーな」
知っている。そんなことは分かっている。
だからこそ、それを確認するようなことを、自分はしたくなかったのだ。
怖い。
無力な自分が怖い。そんな自分に注がれる周りの目が怖い。目を覚ました父上が何を言うのか分からないのが怖い。
もし気にするななど言われたら、その時は、なんのために自分がいるのか分からなくなってしまう。
本来ならば守る側の存在である自分が、守ってもらうことしかできないなど、考えたくもない。
……自分の根底にある、『主人の騎士である』という矜持を今日ほど恨めしく思ったことはない。
エスティマからの経験フィードバックを断たれているせいで、成長と共に学ぶことしかできない自分に腹が立つ。
……本当に、心底から、シグナムはエスティマに合わせる顔がないのだ。
「なぁシグナム」
「……はい」
「守るべきものを守れなかったことなんて、一度や二度じゃねーんだ。アタシも、ザフィーラも。
けどな。だからこそ、次こそは、って思えるんだよ。
……もう諦めるのか? 申し訳ないってのを言い訳にして、いつまで顔を逸らしてんだよ」
「……けど」
「分かってる。こんなことをオメーに言うのは残酷だって知ってるさ。
それでもな。オメーがヴォルケンリッターのシグナムである以上、こんなことは、この先何度もついて回るぜ?
泥を啜る覚悟をもって挑んでも、力及ばないことが何度もな」
どうすんだ、と問われ、どうしてもシグナムは言葉を返すことができない。
できなかった。
薄暗い照明が廊下を照らす場所。光と言えるものは何一つなく、人工的な灯りのみが彩っている研究施設。
その一角にある部屋に、使い魔、リーゼ・ロッテはいた。
意識が朦朧として、全身が軋む。
どこか熱っぽい頭に気持ち悪さを感じながら、彼女はここへ来るに至った理由を思い出そうとする。
……あれがいつのことだったのかは思い出すことができない。が、随分と前のことだったような気がする。
檻の中に囚われ、双子の姉妹であるアリアとも連絡が取れず、主人の顔を見ることもできず。
日々を刑務作業をまっとうするだけに費やし、果ても面白みもない生活を続けていて――
ああそうだ、と思い出す。
妙な女。それがきて、自分を外に出してくれた。
そう。そうだ。自分は、復讐をするために外へ出たのだ。
思い出した瞬間、体の芯に火が灯る錯覚を抱いた。
それで気怠さは一気に吹き飛び、痛みを訴える全身に鞭を打って、立ち上がる。
そしてバリアジャケットを展開しようとし――
「……魔力が?」
ほぼ底を着いている。それこそ、自分の身体を維持できないほどに。
どうなっているのだろう。最低限の魔力だけは、父様から送られているはずなのに。
そこまで考え、当然か、と苦笑する。
自分がどういう扱いで外に出たのかは分からない。死んだことにされて連れ出されたのか、脱獄とされたのか。
どちらにしろ、魔力のリンクが切れてなければおかしいのだ。こうなっているのは当然か。
準備良く折りたたん置いてあった毛布に身体を包むと、ふと疑問が湧いてきた。
……ならばなぜ、私は生きてる?
「ぐ……うううう……!」
痛い。少し身体を動かすだけで、間接に異物が挟まったような違和感と痛みが脳を刺激する。
耳を澄ませば、身体のそこかしらから、以前は聞こえなかった機械音が届いた。
……まさか、機械化されたの?
思い当たる節はいくつかある。戦闘機人。まだ管理局の職員として働いていたときに、何度か耳にした単語だ。
まだ断言はできないが、もしそうならば、なんて皮肉。
身内面して管理局を裏切り捕まって、今度は管理局の元から抜け出して、今に至っては非合法研究の素体。
なんて尻軽なんだろう。まるで節操がない。
……けど、今は。
どこかに情報端末はないかと、ロッテは部屋を歩き回る。
そうして、部屋の隅にあった物を見つけ出し、立ち上げた。
まず調べることは、今がいつなのか。
確か、女が誘いにきたときは丁度戦技披露会があった日だと覚えている。
その日から逆算して、既に二ヶ月の時が経っていることを知り、ロッテは目を見開いた。
……アリアはどうしているんだろう。ふと、そんなことが脳裏を過ぎる。
魔力のリンクと同じように、アリアとの間にもあったリンクも途絶している。
まるで、感覚を一つ潰されたような心地だ。慣れない。
どんなに離れていても身近にあった父と姉妹の絆が、見えなくなってしまったようだ。
ロッテは唇を噛んで感傷を押し殺すと、次の調べ物に移る。
どうやらこの情報端末は管理局のデータベースにも繋がっているようだ。それも、何故か正規のパスで。
だが、それをどうでも良いと切って捨てる。都合が良いのなら、それに越したことはない。
復讐。そう、自分は、復讐をするために動くのだ。
散々世話をしてやったというのに自分たちを裏切ったクロノ。関係がないのに首を突っ込んできたクソガキ、エスティマ・スクライア。
良い暮らしをさせてやっていたというのに、思い通りに動いてくれなかった守護騎士とその主。
そのどれもを、許すつもりはない。
八つ裂きにしても飽き足らない。自分たちを破滅に追いやった、父の悲願の邪魔をした者たちに罰を与えなければならない。
激情に焦がれながら、ロッテはページの読み込み時間に苛立ちながら項目を探す。
そうして目に留まった一つ。エスティマ・スクライアが今どうなっているかを見て、身体の痛みも忘れて、ロッテは吹き出した。
そして腹を抱え、画面を指さしながら、笑い声を上げる。
「あのガキ――あはは……! ざまぁ見ろ!」
いつの間にか執務官となり、陸へと所属を移していたエスティマ。
彼の所属していた部隊は機械兵器ごときに壊滅させられ、本人も意識不明の重体。それを経て、今は心を壊している。
ざまぁ見ろ、と、声高くロッテは笑う。目尻に涙すら浮かばせて。
これが報いだ。ロッテ自ら手を下す必要もない。
大切な者を奪われた苦しみを、アイツも味わっている。そのことがたまらなく愉快でしょうがない。
そうしていると、不意に空気の抜けるような音と共にドアが開いた。
瞬間、ロッテは哄笑を止めて身構える。そうした瞬間、身体の中の歯車が噛み合うような錯覚と共に痛みという痛みが消えた。
「誰だ……!」
「そう身構えなくとも大丈夫ですよ。お忘れですか?
あなたをここへと連れてきた者です」
言われ、ロッテは茫洋としたイメージを記憶の中から掬い上げた。
……金の瞳。紫の髪。確かに、そうかもしれない。
「……ここはどこ? アタシに何をしたの?」
「順を追って説明しましょう。……まずは、これを」
そう言い、女はポケットから一つの弾丸を取り出した。
カートリッジ。それをなぜ、と疑問が湧く。
「腕を出してください。そう……」
言われるままに腕を差し出し、女の指が肌に食い込む。
そうして、微細な機械音が上がると、手首にスリットが開いた。
そこへとカートリッジを押し込み――甲高い炸裂音。
衝撃に呻き声を上げながら、ロッテは身体に魔力が満ちることに気付く。
「これは……」
「あなたは今、主人からの魔力を断たれた状態です。故に、外部からなんらかの方法で魔力を得なければ生きることは叶いません。
これは、その手段ですよ」
魔力が供給されたことにより、気怠さは吹き飛んだ。それでも体中から上がる痛みは引かないが、さっきよりはずっとマシだ。
……父様以外の奴の魔力で生きるのは、本当に嫌だけど。
……そうだ。
「ねぇ。さっき、魔力は断たれた状態って言ったわよね。
つまり、どういうこと?」
「……順を追って説明すると――まぁ、良いでしょう。
端的に言うと、あなたとギル・グレアムの間にあった契約は破棄されました。
それにより、魔力の共有や精神リンク。使い魔の特性といえるものの全てはなくなっています」
「あ……うん」
予想の範囲内だったが、実際に言われてみると堪えるものがある。
自分は捨てられたのか。そう思うが、しかし、こうして生きている限りは父様の使い魔なのだ。
それに、リーゼ・ロッテ個人としても、成すべきことはたくさん残っている。
契約を破棄されたぐらいでは、何も変わらない。
そう、変わらないのだ。
「……話を聞かせて。今の私がどんな状態なのか。そういったものを、すべて」
「ええ、分かっております。では、こちらへ」
たった今供給された魔力でバリアジャケットを構築すると、女に先導されてロッテは部屋をあとにする。
きしきしと悲鳴を上げ続けるこの身体。
必要なのは、今の自分に何ができるのか把握すること。
それだけだ。
「経過は良好……といったところかねぇ」
ウーノの視点から送られてきた映像を見ながら、スカリエッティは溜息を吐く。
声にはすっかり好奇心といったものが失われており、手は前髪を弄って枝毛を探している。
リーゼ・ロッテが目を覚ましたと報告を受けたので様子を見てみたが、存外、自分の興味は彼女から遠離っていたようだった。
前の拠点であった研究施設に踏み込んできた首都防衛隊作戦部第三課。
壊滅ついでに回収したサンプルの内二つはレリックウェポンとしての適正があり、残る一つは噂に聞く戦闘機人タイプ・ゼロの素体となった人物。
それだけの材料が揃った以上、もう暇潰しをする必要などないのだ。
知的好奇心を注ぐ対象が手元に転がり込んできた今、余計なことをしているほど暇ではない。
こうなった以上、派手に散って道化として楽しませて欲しいものだ。そうしてくれれば、酒の肴ぐらいにはなるだろう。
「ううむ……どうしたものか」
若干当ては外れたが当初の予定通りに、今週末に搬入されるエスティマを修復して、それの当て馬にしてやろうか。
それとも、これから生まれるナンバーズの噛ませ犬として飼い続けるか。
「ふむ。こうやって考えてみると、地味に使い道はあるものだね」
最高評議会の老人たちは使い魔の戦闘機人に大きく興味を持っていたようだが、正直なところ、スカリエッティは気が進まなかった。始めたのは彼自身なのだが。
……使い魔。兵器として考えれば、そう悪くはない存在。
魔力を喰うという欠点はあるものの、高ランク魔導師が使い魔を生み出せば、並の魔導師よりはずっと使える戦力となる。
万年戦力不足と嘆いている管理局からすれば、使い魔の使役は推奨したい事柄だろう。
そんな存在を機械化して――人を機械化するよりは世論の反発も少ないだろうし――より強大な戦力とする。
別に機械化が失敗したところで破棄すれば良いだけの話。人間以上に量産の利く戦力なのだ。ただでさえ安い人の命以下のものに、価値らしいものなどないだろう。
ただでさえ良心というものを肉体に置き忘れたような輩だ、最高評議会は。おそらく、考えているのはそんなところか。
……だが。
「……典雅さが足りないよ、やはり」
何も分かっていない、とスカリエッティは嘆息する。
戦うだけなら犬でもできる。
しかし、違うのだ。人は、自らの欲望に忠実に生きるからこそ輝く。
生きる意味を持とうとしない使い魔などを戦わせたところで、そこに意味はない。価値もない。
あくまで人であることに拘るべきだ。何を作るにしても。
「……誰か私を楽しませてくれないものか」