きらびやかな王の玉座。
国の首都にたつウインダム城。
そこはミッドランド国の象徴であり、権力の頂点である王の座す場。
王家の紋章のあしらわれたそれに、座っているのはひとりの老人。
深く顔に刻まれたシワに、長く伸びるひげや髪はすべて白髪。肉体は老け込み、枯れ木のように痩せていた。
頭に乗った王冠は、心なしか持ち主と同じように輝きを失っていた。
今の彼には、家臣と領民を第一とする「尊厳王」と呼ばれていた頃の面影は、少しも残っていない。
虚ろな瞳で国王は、思考をめぐらしていた。
……シャルロット
この一年、口を聞くことは愚か、部屋に閉じこもったきり姿さえ見せなんだ
扉越しに私が声をかけると、気でも狂れたかの様に叫び、泣きわめいた
まるで恐ろしい怪物にでも追い詰められたかの如く
『ありがとう、お父様』
その娘が、一人の男のために、彼を父と呼んだ。
「くっくっ……はははは。お父様だと……」
「愛しい男を幽閉し……嫉妬に狂い、あまつさえ、毒に冒された体で健気にも……実の娘に鬼畜にも劣る所業を行ったこの私に……お父様と……」
王冠が、王の言葉と呼応するように、頭から落ちる。
鈍い音がなるが、王はそれを意にも返さない。
「許さぬ」
泣いていた。
王は、狂気の瞳を涙で濡らす。
「シャルロットに、そう言わしせしめた……グリフィス。貴様だけは必ず……!!」
「その為ならばこんなものなど……!!」
足元に転がる王冠を踏みつけ、王は鷹に憎悪を向ける。
「……あの男、ワイアルドならば必ず貴様の首を我が下に……」
次に思うは、憎き鷹を仕留めんと、自らが差し向けた騎士団。
あの名高き黒犬騎士団と、その団長を率いるワイアルド。
あれは5年前。長引く戦による兵員不足補うため、国中の腕の立つ者達を集め、新たな兵団を結成すると決まった折のこと。
集められた囚人の中から、一人の男が私の前に進み出た。
異様な男だった。どこか人間離れした……
「……お前を団長に任ぜよと?」
「あぁ、俺達の流儀なんでな。一番強えヤツが頭をとる」
周りの罪人達が殺気立つ中、その男は言い切った。たちまちの内に野次が飛び、男に対する暴言がその場に溢れた。
その中で、更にもう一人、前に進み出てきた。
「バーボ……」
「甲胃千切りのバーボだ……!!」
何人かが、驚きの声を上げた。バーボという男は、それなりに名高い者らしかった。
男の数倍近い巨漢が、不敵に笑う。
「いいごと言うじゃねえがこのサル!!
そうさ一番強えやつがボスになるのよォ!!このオレざまがよッ!!」
「へぇ、これは笑える。猿の中にタコが紛れ込んでたのか?」
「王ざまよゥ!!こいづと勝負させでぐでぇ!!勝ったほうが団長ってこどで頼むぜェ!!」
仕方がなかった。その様なやり方でしか、あの者達はまとまりはすまい。
誰が見ても力の優劣は明らかだた。先に名乗りを上げた男に十中八九勝ち目は無かった。
逆にバーボという巨漢は扱いやすそうなので、私はその果たし合いを許可した。
ふたりの手枷が外され、果たし合いが行われた。私はこの時、男の正気を疑った。
「いらねぇよ、武器なんざァ」
武器を使用することを拒否したのだ。
体格で圧倒的に勝る相手に、武器も使わないで挑む。
私だけでは無い。その場の誰もが呆れていた。
「くたばりゃあごのサルがぁぁ!!」
流石に舐められていると、気に触ったのだろう。怒った巨漢が、男の頭を割ろうと混紡を振り抜いた。
次の瞬間、巨漢は吹き飛んでいた。
刹那の決着、男は一撃で勝負を終えた。
圧倒的、そうとしか言えなかった。一瞬のうちに懐に飛び込み、放たれた男の拳は、数倍の巨躯を誇るバーボを吹き飛ばした。
もはや達人の域。只者ではない。
誰もが予想打にしない結果に驚くとともに、男に対して畏怖と恐怖を覚えた。
その場に居合わせたすべての者が、一声も発することができなかった。
「俺が団長で文句は無いよね?」
……つい私まで頷いてしまったのは、仕方のない事だろう。
奴は戦の才だけではなく、教官としての才もあった。
奴は団長に承認してすぐに、その玄玄を振りかざし、訓練の名目で虐待を行った。
画期的、下手をしたら邪教徒に課せられるような拷問じみた訓練。
日に20時間という、頭がおかしいとしか思えない訓練時間は当たり前。
皮膚を強くするという名目で、団員を火炙りにしたり、忍耐力をつけるためだと言って手足を縛り、川に沈めた時などは、本当に殺すつもりなのでは?と考えてしまったほどだ。
当然、命の危険を感じ、その訓練に耐えられないと訴えてきた者もかなりの数、いや、殆どが申し出てきた。
だが奴はそれを意に返さず、それどころか先に弱音を吐いたものに、より厳しい課題を化した。
死者が出なかったことが奇跡的だった。
そんな試練を半年ぐらいだろうか?
そこにはただの荒くれ者の集団はなく、屈強に鍛えられた肉体を持ち、奴に対して絶対的な忠誠をもった戦闘集団が出来上がった。
そこからは怒涛のごとし。
奴の率いる黒犬騎士団は、その勇猛さにおいて、グリフィス率いる鷹の団とけっして引けをとるほどのものでは無かった。
元が罪人とは思えぬほど統率のとれた騎士団は、敵と相まみえる戦場では驚くべき功績を上げた。
その上、欲にかられて略奪なども一切行わなかった。
何せ団長自身の人格が、囚人らしからぬ程の良心を持ち合わせていたのだ。
部下にその様な事を行わぬ様に、厳しく言い聞かせていたらしい。
場合によっては体罰を行っていたようだ。
とても献上品強盗で捕まった男とは思えない程だ。
その後、瞬く間に黒犬騎士団の名は知れ渡り、国の重要な地位につく者達にとって、その注目度においては、グリフィスと並んでいた。
もしアレらが、真っ当な由来の騎士団であったなら、私はその働きに免じて白の称号を与えることを、検討していたのやもしれぬ。
黒犬騎士団の存在を疎ましく思っている者も多かった。特に白竜、白虎といった、貴族が長を務める騎士団にとっては、囚人によって形成された騎士団が武功を上げることは、気に良い事ではなかったのだ。
所詮、罪人共の集まりだ。あ奴らに戦を任せるのは軍の恥。
そう陰口を叩かれる事も多かった。
ある日のことだ。そのような不満が上層部にたまりだした頃、戦の激しさが落ち着いた折を狙うように、突如あの男は戦の間、辺境の戦場への移動を申し出てきた。
群の中区から離れることを、奴自身が望んだのだ。
あの男もわかっていたのだろう。自分と騎士団の存在が不満を募らせる原因になっていたと。
私それを了承し、奴は辺境へと戦場の場を移し、より一層腕を振るっていた。
恐らく、貴族からの圧力が無くなったために、思う存分に腕を振るえることが、嬉しく思うこともあったのだろう。
「……待っておるがいいグリフィス」
摩訶不思議、掴み所が無い奇妙な男。だが、あ奴ほどの器なら、鷹の息の根を止めるやもしれぬ。
「番犬が放たれたのだ……強大な……鬼の如き強さの番犬共が……」
王は知らない。別にワイアルドは、深く考えて移動を申し出たわけではない事を。
王は知らない。ワイアルドはとっくに王家を見限っていることを。
王は知らない。ワイアルドにグリフィスを殺す気はなく、むしろ助ける方に考えていることを。
知らなかったのだ。
◆ ◆ ◆
幾年かの月日が立ちーー
「…シャルロッ……シャルロット……」
ーー王は死の床につこうとしていた。
寂しく哀れだ。
周りに集まっている貴族達。その中で、間もなく逝ってしまいそうな王を、悲しむ者がどれだけいることか。
結局は鷹は見つからず、黒犬騎士団も姿を消した。
それによって、王の奇行は強まり、鷹への執着はなお一層深くなった。
王の人徳は、娘シャルロットが王に与える愛情は、とっくの昔に枯渇していた。
「御身内をお急ぎ下さい」
すぐ側にいる御典医の言葉も、聞こえているかどうか。
最後の時にも娘に拒絶され、その死を悲しむものは居ない。
ここまで寂しい死に様があるだろうか?
◆ ◆ ◆
「寒い……まるで凍てつく様じゃ」
王は玉座に座っていた。
周りには、頂点が見えぬ程の高い城壁。
それに、温もりは無い。
見も凍る冷たさだけがある。
ーー王は玉座にーー
「見事な城壁じゃ。しかしこれでは寒さを防ぐことはできぬ」
「石の壁など寒さが増すばかりじゃ。誰ぞ火を」
見が震える。寒さに震える。息が白い。
暖かさがほしい。何でもいい、火を、火が欲しい。
ーー玉座に、王は玉座にーー
いつの間にか、玉座の周りには屈強な兵士達がいる。王を敵から守らんがため、四方を固める。
まるで、王を閉じ込めるように。
「おお……勇壮な兵士じゃ。この城壁とこの者達が居れば、我が城も揺らぐことはあるまい」
「……だが今はともかく火じゃ。凍えてしまうぞこのままでは」
火を求める王。だが兵は火を持ってこない。
その数は増え、玉座の守りを固める。
「ええいもうよい!兵など余はいらぬと申すに!!
火じゃ、誰ぞ火を持て!!温もりを……」
不意に、光が現れた。
冷たい城壁の中、暖かみを放つ光。
愛する娘、シャルロット。
「おおっそれじゃ!余が欲しかったものは……温もりは……」
ーー玉座に、王は玉座にーー
思わず駆け出そうとする王。だか、行く手を遮る兵士達。
「何じゃ……なんのまねじゃ!?退け!!退かぬか……!!
余が求めしものはあれに……!!」
鷹が現れた。光り輝く巨大な鷹が、空から舞い降りる。
その巨大な羽で、王が求める光を包む。
「な……!?鷹……鷹じゃと!? やめろ離せ!!離さぬか!! それは余の……大切な……
は……離れぬかぁぁ!!王の命である……!!!」
怒声、そして悲鳴。王は声を荒らげ、鷹を制止する。
光を抱く鷹は、微笑みを浮かべるばかり。
不意に王は悟った。
「……そう、そうかも知れぬ…余は求めていたのかも知れぬ……お前を……」
この玉座という牢獄から 余を一人の人間として 狂気へと解き放つ救いの主として
ーー王は玉座にーー
「グリフィスウゥぅぅぅぅぅ!」
雷が落ちた。
王は落ちた。
死へとその身を。
◆ ◆ ◆
死を知らせる鐘が鳴った。
ようやく玉座から、王の束縛から開放された、一人の老人の死を。
(お父様……!!)
その音を聞き、父の死を悟った娘は涙した。
そして助けを求める
(いや……いや!!助けて!!グリフィス様)
新女王誕生。
新たに玉座という牢獄が、シャルロットを捉えた瞬間だった。
◆ ◆ ◆
「陛下が御隠れになられた……とうとう……」
「こんな時に……これからどうなっちまうんだウインダムは……この先ミッドランドは……」
王の死は城下の民にも伝わった。
王のいなくなった国の先、民を襲う不安と恐怖。
皆が手を合わせ、王の死を痛む。
誰一人として、明るい表情のものは居ない。
「ねえねえ、お山が動いてる……」
無邪気な子供が、まず最初に気づいた。ウインダムに迫る脅威を。
◆ ◆ ◆
すぐ側に迫っていた。王の死で混乱するウインダムに進軍する異教の軍。
ミッドランドと、その近隣国とは異なる甲胃と装備。
巨大な武装で身を固める巨獣。
何千万ものクシャーンの軍勢が、ミッドランドの首都を制圧しようと、歩を進めていた。
数時間後、首都ウインダムは、クシャーンに完全に制圧された。
◆ ◆ ◆
同時刻、ウインダムから遠く離れたどこか。
「……とうとう本格的に原作始動ってか」
荒ぶる天候の下、一人の使徒が上を見上げる。
感じ取ったのは劇の始まり。
五人の天使と、神による馬鹿げた運命という出来レース。
「いいねいいねぇ!ヒャハハハハハハハハハハハハハハハ」
拳を握る。
わけの分からぬ高揚感が、ワイアルドの内を満たしていた。
彼は興奮していた。誰も彼もが、運命に従うしかない、この糞ったれに理不尽な世界。
自分は傍観者。すべてのタネを知っている。だからこその余裕と笑い。
「神さんよぉ、見てるならよく聞けや!俺はきっちり耳を揃えて役を終えた!
だから、因果やら運命やら、俺の知らねえどっかで適当にやってくれやッ!
シリアスなんて糞喰らえ!俺はフリーダムだぜぇっ!ヒャッハー!」
世界の端で、本来の因果を終えた男が神に叫ぶ。そしてすべてを馬鹿にする笑い。
「ファッキングリフィス!ファッキンガニシュカ!
俺は自由だ最高だ!誰にも俺は止められねぇぇ!誰にもだァァァ!!」
湧き上がる高揚感に身を任せ、ワイアルドは『ヒャッハー』した。
翌朝、団員たちから生暖かすぎる視線を向けられたのは、説明するまでもない。
作者からの一言
今回は、断罪の塔編の前。王の死と帝国進行の際のシーンを纏めました。
初めての他者視点、なれないこともありましたが、ワイアルドが王様にどう思われていたかを、精一杯書いてみました。
有能だけど、掴み所がわからない、常識的な概念と良心を併せ持つ囚人。
そんな風に思っていたようです。
そして、主人公。王様が死んだ時、新たな原作始動にヒャッハーしてました。
直感で、世界の流れを感じ取ったのです。そして、ゴット・ハンドに対する敬意とかは全くありません。
主人公にとって、自分の周りのもの以外はすべて"軽い"物なのです。
ですが、日本人の感性は残っているため、善悪の概念はあります。
つまり変な人です