メディウサに全員を召集するよう通達してから一日と経っていないにも関わらず、ケイブリス派に属する魔人は一人の例外も出すことなく勢揃いした。
ケイブリス城の玉座の間――総勢九名の魔人達が片膝をついて頭を垂れる様は圧巻というか、荘重である。なぜか罪悪感を覚える程度には。
今すぐ「すいません調子に乗りました」とか言って逃げ出したい気持ちになるが、そんな事をしたら色々あってアベルのような末路を辿りかねないので、己を鼓舞して踏ん反り返る。
「フン。遅刻するような間抜けがいやがったら見せしめとして俺様直々にブチ殺してやろうかとも思ったが。
ゲェハッ、テメェらの厚い忠誠心を目の当たりに出来て俺様は感動感激感無量ってヤツだぁなァ。嬉しすぎてナミダがチョチョ切れそうだぜェ、ギャハァハァハァッ!」
特に時間指定もしていないのだから遅刻も何も無いのだが、とりあえず魔王としての威厳を出すために適当な事を云って嗤う。
かなり品行下劣な言い回しではあるが、これは相対的な力関係を背景に行う通過儀礼のようなものである。一種の洗脳になるのだろうか。
絶望的なまでに強い相手が高圧的な態度で以て臨めば、弱者はただ平伏すしかない。稀に反抗するような者もいるが、そういう奴は身を以て分からせてやればいい。
今回は俺の力が強すぎたのか、それとも皆が従順なのかは知らないが、特に『誰か』を血祭りにあげるようなデモンストレーションはやらずに済んだ。正直、ホッとしている。
「今回あえて集めたのは他でもねェ。この俺様の姿を見て、感じて欲しかったのよ。魔王ってのがどういうモンなのかをなァ――!」
玉座から立ち上がり、身体の奥底より無尽蔵に湧き上がる力の一部を開放した。
その瞬間、俺と魔人達を内側に包み混んだ旋風がとぐろを巻くようにして大気を震撼させた。やがてそれは暴風となって荒れ狂い、城の壁を、天井を、ケイブリス城の全てを嬲るようにして駆け回る。その様は正に狂乱の如く、主の正鵠を射たとばかりに唸りを上げる烈風は、収まるどころか加速度的にその風力を上げていく。
既にして玉座は俺の全身を包むドス黒い瘴気の如き魔力の放出に耐え切れず、砂塵となって消え失せていた。
「ギャハゲェハァハァハァ! これで分かったろうがよ! 誰が魔王に相応しいかってのがよォ!」
瓦礫の山と化したケイブリス城の残骸の中で、俺は天に輝く満月を睨んで咆哮する。
眼前の魔人どもに。遥か彼方の人間の国にいるであろう二匹の魔人に。そして、魔王城に向かって――
「あんな弱っちい人間が魔王? 有り得ねェ! なら人間なんぞと仲良くなりたがってる甘ちゃんのホーネットか? それも違う!」
天から地へと視線を戻し、未だ平伏している魔人達を睥睨する。念の為、瓦礫が彼らに当たらないよう調整しておいたので、俺と彼らの周りだけは残骸の一つもなく綺麗なままだった。
平静を装っているようだが、感情の起伏に差異はあれど皆例外なく俺の力に驚嘆しているのは容易く察する事が出来た。
やはりデモンストレーションをやっておいて良かった。カミーラやサイゼル辺りはいつ裏切るか分かったものじゃないからな。ありがとうケイブリス城、君の犠牲は無駄じゃなかったよ。
「俺様だ! 俺様だけが魔王になる資格があるんだ! 違うかテメェら!」
「その通り。ケイブリス様こそ最も魔王に相応しき至高の御方」
最初に返事をしたのはパイアールであった。面を上げ、恭しい口調でケイブリスという魔王の誕生を礼讃する。
やがてそれに呼応するかのように、メディウサが、ケッセルリンクが、レッドアイが―――傲然と振る舞う俺に賛辞を送った。
そして、残るは――
「カ、カ、カミーラ……さんも、何か俺様に言う事は、なっ、ないかな?」
「ふん……」
とりあえず「魔王になったからちょっとだけ強気に出るぜ!……駄目だったぜ!」みたいな感じのケイブリスを想像してやってみたが……案の定、帰って来たのは普段と変わらぬ冷然とした対応だった。
さて、ここからどうしようか。ここで彼女を許すというのはケイブリスらしいと言えばらしいのかもしれない。だが、既にしてケイブリスは魔王。あらゆる生物の頂点に立つ存在だ。カミーラに並ぶ男となるべく努力し、そうして昇りつめた果てに得たものがこの返事では、流石のケイブリスもプッツンすると考えるのが妥当か。
それに何より、ここで言質を取っていた方が、後で色々とやりやすくなる。なので此処は強気に攻めるとしよう。
「カ、カミーラさん? ぉ、俺様、いや僕は貴女にずっと尽くしてきました。ずっとずっと、貴女のために色んな事をして。ずっとずっとずっと、貴女だけを想って、手紙も、書いて……けど、カミーラさんは一通も返事をくれなくて。いやっ、その事を責めているわけじゃないんだよ本当だよ? ただ、ただ―――」
何だかストーカーが好きな子に振り向いてもらえず逆ギレするみたいな感じになってるが、実際問題そんな感じの関係だから始末に負えない。
「ぼ、僕は貴女に振り向いてもらうためにいっぱいいっぱい努力しました。必死に必死に頑張って、それで、こうして魔王になったんです。カミーラさん、今の僕はこの世界の誰よりも強いんだよ? なのに、なんで……どうして僕を好きになってくれないんですか?」
空気が凍ったような気がした。いや、俺がそういう風に仕向けた。
凍らせたのはカミーラを含む主に空気が読める魔人。色恋沙汰に興味のないガルティアも、尋常でない雰囲気に己の空腹も我慢し、口を噤んでいるようだった。
「ねぇ、答えてよカミーラさん。ねぇ……なぁ………おい。答えろよ――カミーラ」
子供が母親の顔色を窺うような、甘えるような言葉使いは次第にケイブリス本来のモノへと変わっていく。
恐らくは初めてであろうケイブリスがカミーラを呼び捨てにする様を見て、我関せずを貫いていた魔人達が一斉に顔を上げていた。その面貌に驚愕と焦燥の色を張り付けて。
やがてカミーラの隣に傅いていたケッセルリンクが一層焦りの色を濃くして何やら彼女に囁き始めた。説得を試みているのだろうが、当の本人は深紅の絨毯を親の敵のように睨みつけたまま一顧だにしていない。よく見れば、カミーラの身体が僅かながら震えていた。果たして、それは如何な感情に起因する内面の発露なのだろうか。
「…………」
沈黙を貫くカミーラの心情が手に取るように理解出来た。
強者が弱者の心情を推し量る時、大凡にして相手の経歴やら何やらを知る必要など皆無だ。強者に脅される弱者の心の機微というのは、心理学に疎い人間でもそれなりに推し量る事が出来てしまう。
黙して耐える彼女の姿に、大きく揺らぐ天秤が見える。
誇りに殉ずる死か、屈辱の果てにある生か。
日々を頽廃的に生きている彼女であっても、どうやら命は己が誇りを天秤に掛け得るだけの価値があるようだ。
一先ずホッとする。この茶番をやっておいて正解だった。
「なんちゃって。ごめんねカミーラさん、こんなのみんなの前じゃあ答えにくいもんね。流石の俺様もコイツらの前で告白されちゃうのはちょっと恥ずかしいしなァ! ギャハァハァハァッ!」
「そ、うだな……」
振り絞るような声だった。想像を絶する屈辱なのだろう、硬く握りしめられた彼女の右手からは血が滴っている。
聞き逃しそうな程にか細い声量であったが、残念ながら俺の耳は彼女の相槌を聞き逃さなかった。
「うん、うんっ、そうですよねカミーラさん分かっておりますとも! いや、俺様はぜぇーんぜん分かっていなかった。自分の事ばかり考えて、カミーラさんの気持ちを考えていなかった。ごめんなさいカミーラさん。こんな見せ物みたいなのは嫌ですよね?」
「……あぁ。それに出来る事なら、もう少しだけ考える時間が欲しい」
狙い通りの回答に、思わず口元が吊り上がりそうになった。
それを自制し、あくまでも「カミーラに夢中のちょっとお馬鹿、だけど魔王になって強くなったんだからグイグイ行くぜ」なケイブリスを演じる。
「そ、そうですよね! 大事なコトですもんね! なら取り敢えず、うーんそうだなぁ――あぁそうだ! ホーネットのクソ共をブチ殺した後っていうのはどうですか?」
「……それでは早すぎる」
「ねぇ、カミーラさん。僕が貴女を好きになって、貴女に手紙を送ったその日から今まで、一体どれだけの時間が経っていると思います?」
「…………」
カミーラにしてみれば、そんなもん知ったこっちゃないだろう。
しかし、それを言っている相手は魔王なのだ。如何な暴論も、圧倒する力によって罷り通らせる事が出来てしまう。
「――でも心配ないですよ。ゆーっくり、じわじわと、ボロボロのグチャグチャのメタンメタンになるまで遊んでやりますから。ですから、カミーラさんが考えているほど早くはないと思いますよ。グェヘッ、ヘハァヒヘェ、ギャハハァッ!」
陰惨に嗤う俺の言葉に、最も強い反応を示したのはサイゼルであった。
先ほどから微動すらせず、沈痛な面持ちのまま一寸前のカミーラのように絨毯を見つめている。しかし、その双眸に彼女のような苛烈さはなく、むしろ悲愴感に満ちていた。
さて、もういいだろう。望む答えは得られた。これ以上は蛇足に過ぎない。
「さぁてェ、そろそろ行くとしようかァ! 遮るクソも抗うダニも、みんなみぃんなブチ殺せ! そんで会いに行こうじゃねぇか。
魔王城でビクビク震えて待ってるホーネットサマによォ!! ギャハッ、ぶわぁはぁはぁははははァ!!」
魔人が一斉に立ち上がる。数人はどこか顔色が優れないものの、そんなものは些事でしかない。
取り敢えず、心の中だけでも謝っておこう。ホーネットさんごめんなさい。
- - - - -
魔王の凱旋は予想以上に容易であった。
俺の姿を視界に収めただけで魔物達は逃走か隷従を選択した。抗う者が一人もいない現状に拍子抜けし、肩透かしを食らってしまった。
魔王城までの道のりに魔人が一人もいなかったのは、恐らく魔王による【命令】を警戒しての事だろう。
そもそもにして敵方に魔王が生まれた以上、中枢の人材が魔人でのみ構成されているホーネット派にはどうする事も出来ない。
「これならわざわざお前らを呼ぶ必要なんてなかったな。それにしてもホーネットがここまで腰抜け腑抜けの間抜け野郎だとは思わなかったぜ。
マァ仕方ねぇわなァ。なんたって俺様は魔王様なわけだからよぅ。たかが魔人風情が敵う相手じゃあねぇって事だわなァ! アギャハァハァハァハァ!」
彼方に見え始めた魔王城。果たしてそこに籠城する住人に、この下劣な哄笑は届いているだろうか。
俺の背後には九人の魔人が控え、その後ろには数十万の魔物が隊列を組む事もなくバラバラに前進している。上空から眺めればさぞ圧巻だろう。
「あーもうめんどくせぇや。おい、俺様は先に行って連中をコマしとくからよォ、テメェらは適当にぶらぶらやっててくれや。何ならもう帰ってもいいぜ」
「ハァ!? ちょ――」
抗議の声を上げようとしたメディウサの姿が掻き消える。いや、正確には彼女達の前から俺が消えたのだ。
空間転移――魔王が使える非常に高度な魔法の一つである。向かう先は無論、決まっている。
刹那の暗転を経た後、俺の視界に飛び込んできたのは少しばかり悄然とした面持ちではあるものの、その双眸に強い意志を秘めたホーネットの姿であった。この絶望的な状況にあってもなお揺るがぬその信念と覇気は敵ながら敬服に値する。
「――よォ、意外と元気そうじゃあねェか。部屋の隅でガタガタ震えて死んだ親父にでも泣いて縋ってんのかと思ってたぜ」
「ケイブリス……!」
「あァ? なぁに気安く呼んでんだ。魔王様、だろうが」
転移した先は魔王城の玉座の間であったようだ。
ケイブリス城にある玉座の間よりも広く造られた室内。その中においてホーネットは仲間も配下もなく、たった一人で佇んでいた。まるで、俺を待っていたかのように。
俺の想定通りにホーネットが聡明ならば、ケイブリスが空間転移で以て直接城に乗り込んでくるのは予想していただろう。
そして何より、己の敗北が既に必然となってしまっている事も理解しているはず。そういう状況に際しては彼女、というよりも、情に厚い敗軍の将が取る選択肢は限られてくる。
それを考慮したうえで最もケイブリスらしい発言、行動を取りつつ、しかし彼女らの身の安全も確保する。俺としては、そうした展開が最も望ましい。
「二択だ、選ばせてやるよ。今死ぬのと、後で死ぬの。ドッチガイイ?」
抵抗は己の寿命を縮めるだけだと悟ったのか、ホーネットはその場に片膝を突いて臣下の礼を取った。
敵対勢力の長が魔王として眼前に現れ、今まさに自身の生殺与奪を握っているという絶望的な状況にも関わらず、ホーネットの顔には恐怖の色が微塵も見えない。かといって、この現状を諦観している訳でもなかった。
気品に満ち、知性に溢れ、思慮の深さを想わせる女。それは今も絶えず、変わらず、色褪せず、それがより一層彼女という存在を優美で気高きものへと昇華させていた。
「……早々に殺してしまっては魔王様の気も収まらないのでは?」
「カヘッ、ギャハァハハァッ、なんだテメェ! 俺様に嬲られてぇのかよ!」
「それを魔王様がお望みならば」
淀みも濁りもない朗々とした口調で、ホーネットは言う。
俺に玩弄され、汚辱に塗れることを是として受け入れると、そう彼女はのたまったのだ。
「……ふへっ、ぶわぁはぁはぁはァハハァハァハハハハハハァハァ! どうやらテメェにも理解出来たらしいなァ、俺様の偉大さってヤツがよォ! ギャハァハァハァハァハァ!」
己の末路を受容し、決意を固めているホーネットの揺らぎない精神に、俺は態度にこそ出さないものの酷く狼狽えた。
これでは不味い。このままでは俺は彼女を犯さなければならなくなる。それはそれでオイシイ思いが出来るといえばそうなのだが、長期的なスパンで見ればどう考えてもホーネットを犯すのは悪手だ。というか、どれだけ手心を加えても俺が犯れば「ひぎぃ」などというレベルでは済まない事は確定的に明らかである。
かといって此処でホーネットを無条件で迎え入れるというのは非常に難しい。女性に寛大なケッセルリンクや特に興味の無いガルティア辺りはどうとでもなるが、レッドアイやメディウサといった連中と彼女が衝突するのは火を見るよりも明らかだ。
【命令】して利用するという手も無きにしもあらずだが、ホーネットはジルを殺したあのガイの娘だ。獅子身中の虫はいずれ俺に災厄を齎しかねない。しかし、だからといって殺したりすればもっとヤバイ事になるだろう。
穏健派たる彼女を血祭りに上げるという事は、真の意味で魔人達のストッパーが消滅する事を意味する。ケイブリスは残虐非道な魔王だ。人間を庇うような真似をするというのは過去の所業を鑑みた場合、絶対に有り得ない。仮に魔人達には【命令】でゴリ押し、こちらから人間への不可侵を貫いたとしても、人間側の大将であるランスと復讐の虜となった健太郎が必ず俺の首を取りに来る。
そうなったが最後、魔人達は一人残らず駆逐されるだろう。けれど、それでも彼らには俺を殺す事が出来ない。という事はつまり、俺が彼らを殺すしか道は無くなる。出来ればそれは勘弁願いたい。魔物ならともかく、殺人は少々ハードルが高すぎる。
こんなデカイ図体で逃げ回るクソもないが、仮に逃げ切れたとしても、平和と安寧が齎された世界にルドラサウムは何の興味も抱かない。それは即ち、世界の終わりを意味する。
そういう諸々の事情を考慮した結果、ホーネットには死んでもらっては困るのだ。彼女にはまだ利用価値がある。
「まァそれはそうと、シルキィとハウゼルはどーした?」
「それは……」
「【答えろよホーネット】」
「ッ、サテラ達の許に行かせました」
魔人は魔王に逆らえない。その現実を実感し、ホーネットは形のよい眉を沈痛に顰めた。
「【何処だよそりゃあ?】」
「リーザスと、聞いております」
やはり歴史は順当に進んでいたようだ。
しかし、シルキィやハウゼルが逃げたというのは予想外だった。恐らくはホーネットに上手く言い包められたのだろう。
「ギャハッ、なんだぁそれはァ! ンなことォして俺様から逃げ切れるとでも思ってんのかぁ!?
甘ぇ甘ェアマすぎだぜホーネットちゃんよォ! ゲェハァハハハァハァハァ!」
解せない答えだった。
魔人筆頭であるホーネットがよもや魔王の強制力を知らない訳がない。
下手な抵抗や逃亡を謀ったところで、そんなものは魔王の【命令】の前には児戯にも等しい抵抗でしかないのだ。
そのような全く以て意味に乏しい策をホーネットが取るとは考えにくい。悪足掻きをするよりも無抵抗を貫き、少しでも相手の心情を良くするよう心掛けた方が幾分もマシなような気がするのだが。
しかし相手があのケイブリスという事を考慮すれば、どれだけ心証を良くしても嬲られる時間の長短が変化するだけと取られても仕方がない。しかも、そうした末に待っているのは犯され、壊された上での死でしかない。ゆえにこそ、ホーネットも苦肉の策に一縷の望みを託したのだろうか。
「【何時、此処を発ったんだ?】」
「魔王様が覚醒なされたのと同時期でしたので、二日前と記憶しております」
「二日、二日ねぇ……」
魔人である彼女達なら、48時間もあればリーザスまで軽く往けるだろう。
しかしそんなものは無意味だ。大陸に生きるあらゆる生物が束になって掛ったところで、魔王には絶対に敵わない。いずれはリーザスにまで手を伸ばし、落ち延びた魔人を嬲り殺す。
無敵結界の無かったククルククルやアベルの頃とは話が違うのだ。
「俺様はな、オマエが、ナニを、ダレに伝えたかなんぞどーだっていいんだよ。今の俺様の関心はたった一つだ」
触手の一つでホーネットの顎先に触れ、強引に顔をこちらへと向けさせる。必然として彼女の黄金色の瞳が俺を見据えた。
刹那、俺は今まで感じた事が無い程の、激烈なまでの欲情をホーネットに感じてしまった。その事実に嫌悪を覚えながら、しかし自分はケイブリスだからという免罪符を掲げてその愉悦を受容する。
「テメェを、シルキィを、ハウゼルを、サテラを、どう嬲ってやろうか……グェヘハハァハァハァ! 考えるだけでおっ勃っちまいそうだぜェ!」
「……私だけ、という訳にはいかないのですか?」
「そうする理由がねぇな」
だから考えろ。大切な友人を守りたいと思うなら、必死にその頭で考えて最善の結果を手繰り寄せろ。
聡明な貴女ならやれるはずだ。こんなリスの化物なんぞ容易く論破してみせてくれ。
「命乞いする時のコツってのは二つある。一つは命を握ってる野郎を愉しませる事。もう一つは、ソイツを納得させる理由を述べる事だ。今のテメェはまだ、そのどちらも満たしてねェ」
興が乗り、嗜虐的な気分で以てホーネットを見据える。
これほどまでに美しい女性を屈服させているという現実が、俺の心に一種の陶酔感を引き起こさせていた。
本来の目的を忘れてはいないものの、少しくらい遊んでもいいのではないかという誘惑が俺の理性をじわじわと侵し始める。
「さあ、此処が正念場だぜ魔人筆頭。踊って見せろよ……俺様が、貴様らを助ける義理がどこにある?」
ホーネットは目を瞑り、自身の心を静めるように深く息を吸い込み、吐き出した。
そうして開かれた双眸には、確固とした自信と深遠の知慮が窺えた。
「――勇者、と呼ばれる存在を御存知でしょうか?」
「あ?」
ククルククルの代より生き続ける最古の魔人ケイブリスが、その名を知らぬ訳がない。
かつて、ナイチサという魔王がいた。ナイチサは歴代の魔王の中でも最も魔王らしい、ゆえに人間にとっては最悪の存在であった。最も、後にその最悪を遥かに凌ぐ残虐無比にして史上最悪と名高い魔王ジルが生まれる事になるのだが、それはまだ先の話だ。しかし、そのジルをして単純な人間の殺害数はナイチサの時代に大きく劣る。
刹那的な快楽に溺れ、世界を人間の死で飽和させたナイチサ。そうして彼は、遂に勇者の台頭を許してしまう。その因果は報いとなって、ナイチサの寿命を大きく削るに到ったのだ。
当時、ナイチサは勇者という存在自体を知らなかった。
そもそも、勇者は魔王スラルが超神プランナーに謁見し、無敵結界を手に入れた事で生まれた『システム』である。魔王、魔人への攻撃手段を失った脆弱な人間達が容易く滅ぼされぬよう、全ては己が主―ルドラサウム―を愉しませるべく取り入れた仕様。まるで、というより正にゲームバランスの調整である。
スラルの後を引き継いだナイチサは、その事実を知らなかった。当然だろう、その時代、大陸に生きる全ての者達は勇者という存在すら認知していなかったのだから。
勇者に敗れたナイチサは、後継者たるジルに勇者システムの危険性と対策法を伝え、表舞台から姿を消した。
魔王にしてみれば忘れようとも忘れられぬ忌々しくも恐ろしい記憶だが、話の流れとしては知らないで通した方がよさそうだ。ここはケイブリスのキャラを上手く利用させてもらおう。
「あー、そんなヤツもいたっけか……? んでぇ、それがどうしたよ」
「魔王様は元より、魔王様の幕下におられる方々の中には人間を軽視する者も少なからずいると聞き及んでおりますが、いかがでしょう?」
「当たり前じゃねぇか。人間なんざその辺を這ってるアリンコみてぇなモンだろうが。ウジャウジャいる所もそっくりだしよ」
メディウサ、レッドアイは間違いなく人類にとって害悪でしかない。同情の余地も無い事はないカイトも、他人にしてみれば迷惑以上の何物でもない。
パイアールは姉のためなら何だってするという、ある意味ではレッドアイ、メディウサに比肩する危うさを持つ。
逆に比較的まともと言えるのはレイ、ガルティアぐらいか。バボラも単体では無害といえば無害であるし、ケッセルリンクも人間を嫌悪しているとはいえ、自身から積極的に殺そうとはしないタイプだ。
ジークは紳士的で物腰は柔らかいものの、ホーネットではなく俺なんぞを支持する時点でまともとは言い難い。しかし、ケッセルリンクと同様に魔人達がホーネットの意見を呑みさえすれば、自身もそれに追従する姿勢を見せるだろう。
カミーラ、ラ・サイゼル辺りは人間を正しく虫けら同様に思っている。魔人としては正しい価値観なのだが、やはりこれも人類にすれば堪ったものではない。不幸中の幸いなのは、両者ともに人間なんぞどうだっていいと思っている事だろうか。カミーラは頽廃的な性格から来る無関心で、サイゼルは自身の目的の邪魔をしなければどうでもいいという至極真っ当な理由で。
ワーグは、どうだろう。一応は無害なのだろうが、その能力は非常に危うい。感性も魔人というよりはルドラサウムに近いものがある。
「つーかよぉ、それはテメェん所だって同じなんじゃねぇのか。むしろ、人間なんぞを庇い立てするオマエの方が余程稀少に見えるんだがな」
「仰る通り、そうなのかもしれません。ですが、だからこそ我々には利用価値があるのではないでしょうか」
「ほぉ……言ってみろよ、その利用価値ってヤツを」
「魔王様は大陸を統治するに当って、最も憂慮すべき懸案事項は一つ――勇者の覚醒です」
「あァ……」
たった今、思いだした風を装いながら、相槌に鬱屈とした気分を乗せて続きを促す。
こちらの意を察したホーネットによって語られる講釈を聴きながら、俺は背後にあった玉座へと腰を下ろした。
「御承知かと思われますが、勇者の覚醒には条件があり、それを満たす毎に本来の力が解放されます」
「条件ってぇのはたしか、10%で勇者の武器が解禁、30%で魔人に匹敵する力、50%でようやく魔王を殺せるレベルになるんだったか」
目を瞑り、指でこめかみを押さえる。
そうして出来の悪い脳みそからひり出した知識を披露していると、ホーネットから予想外の答えが返ってきた。
「――そう、なのですか?」
「……は?」
明晰な頭脳を持つ聡明な彼女より、まさかそのような問いが返ってくるとは夢にも思っていなかった。
想定していたどの答えとも違う埒外の回答に俺は呆然としつつ、半ば素の混じった声を上げて彼女を見やる。
対する彼女も俺と同じく呆気に取られ、その精緻なまでに整った美貌を驚嘆の色に染めていた。
そんな彼女の様相を見て、ようやく俺は自身が失態を犯した事実に気が付いた。
知らないのは当たり前だ。彼女が知っているのは『人間を殺し過ぎれば勇者が覚醒する』という極めてアバウトな情報に過ぎない。
なぜなら、勇者という存在を実感したナイチサ自体が、一々自分の殺した人間の数だとか割合だとかを調べるような奴ではないからだ。
「なんだぁテメェ、ンなことも知らなかったのかよ。魔人筆頭が聞いて呆れるぜェギャハァハァハァハァ! まァ、いいさ。続けろよ」
「……勇者の覚醒を止める方法はたった一つしかございません」
適当に見下し、豪快に笑って誤魔化すという愚策を突発的に取った俺に対し、ホーネットは僅かな沈黙を置いて話を再開した。
「人間を殺し過ぎるな、ってか?」
「はい。度が過ぎれば、いずれ自身の首を絞める事になるかと」
「あぁはいはい分かったよ、分かりましたとも。だがよぉ、ホーネット。それがテメェらを助ける理由と、一体何の関係がある?」
既に答えは出ていたが、あえてこの蛇足を続ける。
俺と彼女だけの関係ならば意味はないが、俺にはケイブリス派の長としての顔が、彼女にはホーネット派の長としての顔がある。
建前としては、ケイブリスはホーネットに温情を与えるのではなく、あくまでも利用するために生かしているのだと、そう皆に納得させなければならない。
そういう意味合いにおいても、この諧謔じみた問答は必要な作業であった。
「単刀直入に申しますが、魔王様の派閥に属する魔人の皆様方は、人間を殺す術には長けていても、人間を統治する能力は乏しいかと思われます。無論、例外の方もおられますが」
「…………」
ぐうの音も出ないくらい正論だった。
「魔王様が命令すれば、魔人達は殺人を止めざるを得ないでしょう。ですが、その魔人の手足となって働く魔物達はどうでしょう?」
「無理だな。流石の俺様でも、一々木端の魔物なんぞ気に掛けていられねぇ」
「魔王様は、いずれは全ての人間国家を征服する御算用なのでしょうが、そうなった場合、確実に勇者が復活することを此処に断言しておきましょう」
「だから、オマエを――いや、オマエラを使えと?」
「はい」
ホーネットの目に揺らぎは無かった。
「……いいだろう、命だけは助けてやる。だがなァ、それでテメェらを嬲っちゃならねぇってコトにはならない筈だぜぇ?」
「――シルキィは気丈なように見えてその実、精神的にやや脆い所がございます。それは恐らく、サテラも同様でしょう。
ハウゼルに手を出せば、魔王様の陣営におられるサイゼルが精神を病む可能性も否定出来ません」
「俺様は別に構わねぇぜ。犯したヤツがどーなろーが知らねェよ」
「そういう訳にも参りません。魔王様は普通の男性とは一線を画しておられます。そのような方が満たされるまで相手を求めるとなれば―――」
「ブッ壊れちまうだろーな。だから、それがどうしたってんだよ?」
「実務に、支障を来しかねません」
俺の陣営で能力があり、かつ使えそうな奴はケッセルリンクくらいだろう。カイトは微妙な線だ。ジークがいれば良かったのだが、どうやらアイツはカオスの件でランスに殺されてしまっているようだし。
対してホーネット側はメガラスを除く全ての魔人が使える。唯一難がありそうなサテラも、こちらの連中に比べれば全然やれるレベルだ。何よりも、人間を無暗やたらに殺さないというのが大きい。
「…………ハ」
堪らず、笑みが零れた。
ホーネット自身、理由付けとしてはやや弱いと見ているだろう。だが、俺としては十分だった。
あの状況から恐怖に屈せず、これだけの言葉を並べたてられるその知性、胆力、利発な頭脳。何もかもが俺の理想通りの方だった。
「ギィヒハハァ、ぶわぁはぁはぁははぁはぁはぁ! いいぜ、いいだろう。認めてやるよ。貴様らを使ってやる」
「――魔王様の恩情、心より痛み入ります」
「ああ存分に感謝しろ。だがな、自由にさせるのは二人までだ。メガラスは、まァいいだろう。ホーネット、シルキィ、ハウゼル、サテラ――この四人の内、二人は魔王城で謹慎してもらう事になるが、それは構わねぇよなぁ?」
「……御随意に」
「安心しろや。別に手を出したりしねぇよ。テメェらが俺様を裏切らない限りはなァ、ギヒッ、ヒャハァッ、ギャハァハァハァハハハハァハァハァハハァハァ―――!!」
玉座の間に響き渡る哄笑が中々どうして心地よい。
非常に穿った方法ではあるが、一先ずはホーネット達の身の安全は確保出来た。
後はメディウサ辺りが色々言ってくるのをどう誤魔化し、茶を濁すかだが……今はただ、この場を凌いでくれたホーネットに感謝しよう。
しばらくして、ケイブリス派に属する面々が玉座の間へと集まった。カミーラを除いて。
あとがき
なんとなく続けてしまいました
久しぶりに鬼畜王ランスをダウンロードしてやろうとしたら色々バグってて挫折してしまったorz
キャラの口調や設定など、おかしい点がございましたらアドバイス下さい。お願いします