ホーネットを使う。
その一言を口にした瞬間、玉座の間に集った魔人の大半が驚愕の色を露わにした。特にメディウサやレッドアイなどはその趣味嗜好から、それがより顕著であった。
「ちょっとケーちゃん、本気なの?」
玉座に背を預ける俺の眼下で傅くホーネット。メディウサはそんな彼女に酷薄な視線で一瞥をくれた後、いの一番に抗議の声を上げた。
折角の凱旋に水を差されたと言わんばかりの彼女の発言に概ね同意らしいレッドアイも、独特な言い回しで以て俺に進言する。
「ホーネットは非常にデンジャー! だからココでキルするのがイチバン! ケイブリスが出来ないならミーが代わりにキルしてあげまショーか?」
剣呑な気配を滲ませているレッドアイの右手に、常軌を逸した魔力の奔流が集束する。彼の右腕を覆う充溢した魔力の揺らぎは、さながら灼熱の地平線に見る陽炎のようだ。
魔法に対する知識に乏しい俺でも、あれほどの魔力を運用して放たれる魔法攻撃を食らえば、相応の術者でも一撃で瀕死になるだろう事は十分に理解出来た。
手加減というものを知らないレッドアイの短絡的な殺意の波動に、しかしホーネットは臆する事もなく、ただ俺へと頭を垂れたまま微動だにしなかった。
ホーネットの胆力に舌を巻きつつも、俺はレッドアイや他の者が暴走して彼女に危害を加えないよう釘を刺す。
「黙れよレッドアイ。こいつは俺様のモンだ。俺様だけが嬲り、犯し、壊し、殺す権利があるんだよ。テメェも長生きしてェなら、こいつには【指一本触れるんじゃあねぇ】。分かったな?」
「お、オーケー。ミーは天才だから一回言われればノープロブレム!」
流石のレッドアイも、魔王の恫喝には易々と屈した。
あからさまに恐れ、動揺している彼を尻目に、俺は念を押してメディウサにも理解を求める。
「よォし、分かればイイんだよ。メディウサも、まァ、そういう事だからホーネットには【手を出すなよ】」
「…………分かった、けどさ」
「けど、なんだ?」
「この女をそこまで厚遇するワケくらい、聞かせてくれてもいいんじゃないの?」
言葉を濁していたメディウサはホーネットを指で示しながら、意を決したように俺へと疑問を投げかけた。
待ち望んでいた問いに俺は内心ほくそ笑みながら、表面上でも丁度良かったとばかりに返答する。
「おォ、それを今から説明しようと思ってたんだよ。流石に敵の大将を無傷で生かして登用なんざ、俺様が許したとしても、テメェらの腹の虫が収まらねェだろしなァ」
まぁ、主に収まらないのはメディウサとレッドアイだけだろうが。
メディウサはケイブリスに勝るとも劣らないその嗜虐性から。レッドアイは生物に対する半ば衝動的なまでの殺意から。どちらも度し難いほどに救いようが無いヤツらだ。最も、魔人としては何ら間違っておらず、むしろ花丸を与えられるくらいだろう。だからこその悩みの種でもある。
他のケイブリス派の魔人は、自身の邪魔をしないなら処遇はどうでも良いと思っているだろう。ケッセルリンクしかり、カイトしかり、パイアールしかり、サイゼルもそう。ガルティアなどは特にその傾向が顕著で、どうせ今も「腹減った」とか思っているに違いない。
現状、ケイブリス派の魔人は魔王となった俺を除けば全部で九人。レイ、ジークは既に死んでいるようだ。既に埋められてしまったらしいバボラも戦線離脱と捉えて良いだろう。
バボラがやられたという事は、人間世界は統一されたと見て間違いない。現実として起こっている物事をゲームの枠に嵌めてしまうのは非常に危険な思考方法であるが、仮に鬼畜王ランスで当て嵌めてみるのなら余程の変則プレイでもしない限り、バボラのヘルマン侵攻=ランスの人間界統一と見て良いだろう。
となれば、俺が稀有している事柄を確かめるためにも、ここは是が非でも押し通らせねばならない。
「俺様がホーネットを生かす理由ってのはな―――人間共と交渉をするためだ」
「な、んだって……け、ケーちゃん。どこかに頭をぶつけでもしたの?」
最早、ホーネットの処遇を気にする者など一人もいなかった。
騒然とする玉座の間に俺は朗々とした響きを湛えて、未だ真意を掴み兼ねている魔人達へと説明する。
「俺様もこうしてメデタク魔王になったってぇのに、今までみたくただ人間を片っ端からブチ殺すダケってのは芸が無ェだろう? だから今回はちっとばかし趣向を変えようかと思ってよォ」
ただの気まぐれ。恩情でも憐憫でもないそれこそが、ケイブリスに違和感を覚えさせない最も彼らしい理由。
「遊ぶのさ、人間でェ、ギィヒハハァッ!」
粗暴で乱雑な残虐非道のケイブリスが魔王になり、絶対無敵の存在となった彼が嫌がおうにも自覚させられた蚊帳の外という感覚。
命を奪われないという事は、即ち死なないということ。その事実を自覚した時、それは死なないという名の全能感から死ねないという名の絶望感に変貌する。
そういう状況に置かれた者が抱く感情など往々にして決まっている。まずは死にたい。次に死を許された者への羨望、嫉妬――諸々の経緯を辿り、行きつく最悪の末路が生者が死亡する道程の観察。
死という恐怖を前にもがき、苦しみ、絶望し、慟哭する様を見て感じる愉悦に心を躍らせる昏い営み。それをまた、ケイブリスも望んでいる。
そんな、傍目に見ればかつての魔王ジルを想起させる渇望をケイブリスも持っていると、俺は眼下の魔人達に認識させなければならない。
少なくとも、ホーネットのような人魔共存の理念に目覚めたなどと思わせぬようにしなければならない。
仮に俺が人魔共存を強く訴えれば、誰もが文句の一つも言わず従うだろう。しかし、それは恒久的平和への聖句であると共に、破滅への呪詛でもある。
かといって全てを包み隠さず話すというのは色々とリスクが大きすぎる。仮に健太郎と和解し、人間側との和平が成り、過激派の魔人を全て消した上でワーグにルドラサウムを眠らせてもらうとしよう。それでも、たった100年だ。
ランス世代の人間が死亡し、ワーグが飽きてルドラサウムが目を覚ます100年後―――それを想像するだけでも全身に震えが走る。100年間、アイツが目を覚ます事を恐怖しながら生きるなんて絶対にごめんだ。
仮に俺が人間だったならそれでも良かったのだが、生憎とこちらは数百年という単位で死ねないのだ。先送りされた借金の肩代わりが確定している未来ほど憂鬱なものはない。
だから、この時代で全てを終わらせる。
非常に綱渡りではあるが、やるしかないのだ。まぁ、駄目なら駄目でその時に考えれば良い。色んなものを犠牲にすれば、生き長らえる方法など幾らでもあるのだから。
「ただ遊んで壊すんじゃあ今までと何にも変わらねぇ。今の俺様はよぉ、人間共が死ぬのに怯えて、悩んで、無様に足掻くさまをたっぷり見てみたいんだよ」
「はーん、なるほどねぇ。ケーちゃん、悪趣味」
「ギャハァッ、オマエに言われちゃあオシマイだなァ。ぶわぁはぁはぁはぁはぁはぁはぁ!」
メディウサの柔和な微笑みに宿る残虐性の発露を快く受け止めながら、俺は軽口を叩いて高らかに嗤笑する。
これで一先ずはホーネットの安全を確保出来たとみて良いだろう。メディウサも、俺の命令を無視してまで彼女を害そうとはしないはずだ。少なくとも俺が魔王で、彼女の好きな残虐非道のケイブリスである限りは。
「さぁて、それじゃあ人間共と交渉するワケだが……この場合はアレか、手紙でも書いて送ってやりゃあいいのか?」
「あら、ケーちゃんの得意分野じゃない」
カミーラへのラブレターの事を揶揄しているのだろうか。取り敢えず、ニヤニヤしているメディウサが至極ウザい。
そういえば、今月はまだラブレターを送っていなかった気がする。……一応、送った方が良いのだろうか。
どうせ読まれもせずに燃やされるか、一、二行読まれて燃やされるだけのラブレターを書く。何だか果てしなく不毛な気がしてならない。
「うるせぇ。んでぇ、そこんとこどうなんだよホーネット?」
「はい。この場合は魔人に書状を持たせ、各国に使者として送り込む方がより効果的かと思われます」
「そんなこと言って、貴女の大好きな人間に変な入れ知恵するつもりじゃあないでしょうね?」
ホーネットの献言を訝り、不愉快そうに眉を顰めながらメディウサは横槍を入れる。その気持ちは分からなくもなかった。
つい先ほどまで自身の派閥と闘争を繰り広げていた派閥の長が、何の痛苦を受けることもなく味方として自陣に付いたのだから。
理解は出来ようものの、とてもじゃないが納得出来る事ではない――というのが、メディウサの心情だろう。端的に言えば、胸糞悪いと言ったところか。
ここは変に軋轢を深刻化させないよう、そしてホーネットへ入念に釘を刺すためにもフォローを入れておこう。
「まァいいじゃねぇか。それによぉメディウサ。逆にその方が、お前にとっちゃあ嬉しい誤算になるんだぜぇ?」
「どーゆうこと?」
俺の発言の意図が読めず、メディウサは目を丸くする。
「テメェらが何を言おうが、俺様はホーネットを買ってる。だが、もし仮にだ。そんな事は絶対に、万が一、億が一にも有り得ねぇ事だとは思うが、お前の懸念通りコイツが人間共に入れ知恵をしたとする。するとどーなる?」
「どーなるって……」
「この最強無敵な魔王ケイブリス様に勝てると勘違いしたクソバカ野郎共が躍起になって攻めてくるだろうさ。それだけじゃねぇ。そういう一部の間抜けのせいで会談はパァ――てぇことはだ」
言葉を区切り、一呼吸を置く。そうして生理的嫌悪感を催す己が巨躯に似合わぬ秀麗な相貌に、歪んだ随喜の情を張り付けた。
目を剥き、犬歯を覗かせて、残忍極まる破壊の衝動を滲ませるように発散する。喉を鳴らしてゲラゲラと、品位に欠ける笑声を上げながら。
「俺様としちゃあツマンねぇ結果だが、テメェらにとってみりゃあ最高の結末だろうがよ。なんたって、その瞬間、人間共にやりたい放題出来るようになっちまうんだからなァ」
無論、そのような末路を辿らせはしないが、一部の魔人を釣るには良い餌だろう。
実際の所、メディウサやレッドアイなどは嬉々とした表情を浮かべており、そうなる事をこそ望んでいるように見えた。
「そうなっちまったら俺様はもう止めねぇ。適当に人間をブチ殺して、適度に生かして、増やして、またブチ殺してを繰り返せばいい。何をしようが、誰を壊そうが、何も言わねぇよ。好きにするがいいさ」
「つまり、こういうコト? どこかの誰かさんが余計な真似をした時点で、やりたいようにやっていいと。気に入らないヤツを好きにしていいと――そういう認識で、間違ってないのよねぇ?」
メディウサはホーネットを見下しながら、最後通牒にも似た確認を取ってくる。
直接的な明言は避けているが、つまりこれは人間と戦争になった瞬間、気に入らない奴は誰であろうと―ホーネットであろうと―も殺して良いかという疑義に過ぎない。
それに対し、俺は鷹揚な頷きを以て返答する。
「あァ、好きにしろ――つーワケだ、ホーネット。絶対ェに、俺様を裏切るんじゃねぇ。それがテメェの大好きな人間共の為でもあるんだからよぉ。なァおい、分かってくれたかぁ?」
「元より承知しております」
やや婉曲な脅迫にも屈しないどころか、表情一つ変えず、声一つ震わせずにホーネットは言った。
陰惨な雰囲気に満ちた魔王城に似合わぬ酷く澄みきった声色は、この場において一種の清涼剤のような効果を齎してくれる。少なくとも、俺にとってはだが。
「やぁねぇ。透かしちゃってさ」
メディウサは最後にそう嘯くと、それ以上は何も言わなかった。
「話を戻すが――現状、人間共の国家はいくつあるんだ?」
自身の想定と実情の齟齬を埋めるべくホーネットへと尋ねる。
しかし、何よりも肝要なのはあくまでも『ケイブリス』として情報を知るという事だ。ケイブリスが知るはずのない情報を誤って口にしてしまった日には目も当てられない。まぁ、強気にゴリ押しすればどうにかなりそうな気がしないでもないが、それはそれでいつか溜まりに溜まったツケが返ってきそうなので極力避けたい。
「以前はリーザス、ヘルマン、ゼス、JAPANの四大国家と自由都市群が割拠しておりましたが、現在ではリーザスが他の国家を征服し、大陸の覇権を握っているようです」
「つまりなんだ、今はリーザスってぇ国しか無ェって事かぁ?」
「いえ。リーザスは自由都市こそ完全に掌握したものの、ヘルマン、ゼス、JAPANといった国家には傀儡政権を立てたようです」
「ほう、じゃあなんだ。一応は生き残ってるワケだな?」
「リーザスの完全な支配下ではございますが、国体の維持は出来ているようです」
恐らく、ホーネットより語られる仔細な情報はサテラかメガラス経由で伝えられたものなのだろう。丁寧かつ明快に答えつつも断定しない彼女の口振りが、その憶測をより強い確信へと変える。
「――よォし。ケッセルリンク、ホーネット、サイゼル。使者として行くのはテメェらだ」
その後、俺は彼らに向かう国家を指示した。
ケッセルリンクはゼス。
ホーネットはヘルマン。
サイゼルはリーザス。
JAPANに関しては捨て置いても良いだろう。魔人領より最も離れた位置にあり、戦力的な面でも相当に弱体化してしまったゼスをも下回る脆弱さだ。わざわざ会談に誘うまでもない。
サイゼルを除けば別段理由もない適当な指名である。
サイゼルに関しては他の二人と違い、やらせておかねばならない事もあるので色々と言い含めておいた。
現状、リーザスには四人の魔人がいる。シルキィ、ハウゼル、サテラの内、少なくとも一人は必ず帰って来させないといけない。無論、メガラスを含め全ての者が帰ってくるよう策は練っている。全ては彼ら次第の他力本願なものでしかないが、個人的な期待値はかなり高い。
「さァ、始めようか。愉しいゲームってヤツをよぉ。ギャヒ、ヒヘェハハァッ、ぶわぁはぁはぁはァハハァハァハァハァハハハハハァ―――!」
先行きへの不安を押し殺し、聞く者の耳を嬲るが如き哄笑を玉座の間に響かせる。どういう訳か、この笑っている瞬間だけは恐怖が和らいでくれるのだ。
ケイブリスに強く擬態する事で自分という弱者の存在を薄め、それにより相対的に強くなったと錯覚しているだけなのだろうが、それでも今の俺には精神安定剤の一つであった。周囲から見れば、ただのキ○ガイなのだろうが。
賽は投げられた。
後は姑息に、狡猾に、傲岸に立ち回って頑張るだけだ。
あとがき
長さが安定しないですね、ごめんなさい
次回はサイゼルinリーザスですかね。ゼス? ヘルマン? 知らんな
感想ありがとうございます。励みになります