※キース教官のキャラがやや崩壊気味です。
キース・シャーディスは今日も壁の上に来ていた。
調査兵団の団長を務めて幾星霜。後任をエルヴィン・スミスに託したその後も訓練兵団を率いる教官として働き続けて幾年月。
結婚もせず、今まで趣味と呼べる趣味も持たず、ただがむしゃらに仲間を食らい殺した巨人どもを駆逐する事だけを考え続けて生きてきた。
ところがどっこい。壁外が突然海になり、知らないうちに壁内の食糧事情が大幅に改善され、巨人の代わりに湧いて出てきた魚型巨人は完全海棲で陸地での活動が不可能だ。
諸々の事情が安定したせいか、ずっと巨人殺しの術を叩きこんで鍛え上げてきた教え子たちは今や人気アイドルやら敏腕マネージャーやら歌手やら戦隊ヒーローやら養蜂園の主になっている。どの訓練兵もそれぞれの道を歩み始め、この前はジャン・キルシュタインから身内用だとシガン☆しなのライブチケットとメンバーのサイン入り色紙を頂いた。
ウォールシーナで開かれた壁内戦隊ケンペイダンの小劇を見に行けば、憲兵団に進んだアニ・レオンハートとマルコ・ボットがケンペイダンイエローとグリーンに扮していて、小さな子供から歓声と共に多大な賞賛が送られているのを見た。
駐屯兵団に行ったミーナ・カロライナ他、女子勢は駐屯兵団広報隊で歌手をこなしていると聞き及ぶ。
ついでに言えば出来ちゃった婚で退団し、ウォールローゼの東側で養蜂を始めたフランツ、ハンナの両名からは先日高価なハチミツが大瓶で送られてきた。
また、立体起動の訓練は兵団のカリキュラムに組み入れられているにはいるが、外海の人魚達から魚介類の輸入が出来て、妖精社が何故か壁内に食糧をばらまいていて、おまけに外から巨人が入ってこない、こんな楽園みたいな状況が続くなら別に無理して外に出なくても良いんじゃないかなーなんて雰囲気がちらほら出始めた昨今。
今までずっと仕事一筋。訓練兵からは鬼教官と呼ばれ続けたキース・シャーディスにもようやく趣味が出来ようとしていた。
「今日はこの辺りで釣ってみるか」
そうぼやきながらキースは壁の上で道具を揃え始めた。
竿は黒金竹で作られた丈夫な投げ釣り用ロッド。靱性に富み、既存の物に比べるとそう簡単に折れないのが特徴だ。
釣り糸はこれもまた黒金竹の繊維を特殊加工したもので、麻や綿で作られた糸よりも格段に切れにくい。
そして何より、手元に備え付けられた自慢のリール。これはとある工房がつい最近考案したばかりの新製品で、これさえあれば今まで手が届かなかった沖の魚を狙えるようになる。まだ量産体制は整えられておらず、特注でやっと手に入れた高価な代物だ。今まであまり使わなかった給金の殆どをこいつにつぎ込んだと言っても過言ではないだろう。
釣針にゴカイを取り付け沖合を睨みつける。
「ふんっ!」
気合い一発、勢いよく竿を振ると糸は弧を描いて飛んで行き、はるか遠くの沖合へ上手い具合に着水した。
そんなキースの隣に座るのは、一羽の鳥幼女。
「ジジ、じょうず!」
「待っておれハーピー。美味い魚を釣ってやる」
「wktk、wktk! ハーピー待つ!」
今まで誰とも結婚せず、子供も作らず、訓練兵からは鬼教官と呼ばれ続けた男は今やただの爺馬鹿と化していた。
☆ ☆ ☆
シーラカンスから深海魚のトラウマを与えられた後、立体起動訓練のための下見にいった森の中で出会ったハーピーとキースは何故か物凄く意気投合してしまったのだ。
いや、正確には最初こそキースはハーピーから情報を引き出すなり、訓練をつけて後の兵団の役に立てるべきかと思っていた。のだが、残念ながらハーピーは三歩で全てを忘却する鳥脳だった。
(そういえば、魚どもやむろみ嬢を初めとした人魚は皆、猫よりも自由すぎて兵士向きでは無かったなぁ……)
あの日の魚の訓練でほとほと人外を相手に訓練をつける事に疲れてしまったキースは、世の中の平和な論調も災いして(もう人外はどうでも良いかな)と思ってしまったのであった。
第一次接近遭遇後もハーピーとキースは何度かの接触を繰り返した。その度にキースは干し魚で餌付けをしたり釣った魚で餌付けをしたり自分の食糧を分け与えて餌付けをしたりした。そのうちにハーピーはキースを忘れなくなり、いつしか二人はすっかり爺と孫の関係になっていたのであった。
☆ ☆ ☆
海へ垂らした釣り糸が魚に引かれる気配がした。
「今か!!」
「ジジ! ヒット! ヒット!」
キリキリと糸を巻き上げるリール。波間に跳ねる魚影を見るに、釣針の先には七十センチはあろうかと言う魚がついていた。
「ぬぅ、重いな!! だがこれからだ!!」
しなる釣竿。重たい手ごたえ。暴れる魚を抑え込み、近くまで引き寄せた所で思いきり引き上げるとザバンと音を立ててハマチに似た魚が引き上げられる。
「キース△(さんかっけー)!」
「ははは。さぁこの場で捌いて食うとするか」
釣った魚を前に、にこやかにナイフを取り出すキース。もしもこの場を訓練兵が見ていたら「お前誰だ!?」と言われるほどキャラが崩壊していたのだった。
「しかし、この歳になって子より先に孫を持つとは思わなんだな」
刺身にした魚に魚醤をかけて、フォークで刺しつつぼやく。
「マゴ、何?」
キースのぼやきが聞こえたのか、隣に座ってばくばくと魚を食べていたハーピーが首をかしげた。
「孫と言うのは、まぁ平たく言えば家族みたいなものだ。私は仲間以外の家族はついぞ持たなかったからな」
「ハーピー、カゾク?」
「そうだな。お前さんの実年齢は知らんが、ハーピーは私の初めての孫みたいなものだ」
「カゾク、家族?」
ハーピーは暫く首を傾げていたが、ぱっ、と思いついたように立ち上がり羽をはためかせた。
「ジジ、ハーピーの家族。ならイエティもジジの家族?」
「イエティ? それはハーピーちゃんのお友達かい?」
聞きなれない名前は一体誰のものか。軽い気持ちで聞いたつもりだったが、ハーピーはやる気満々のように両手を上げた。
「イエティ! 俺の嫁!! ジジ、ハーピーの家族! ならばイエティ、ジジの家族! ジジ、イエティ会うがよろし!」
「む!? 一体何を!? ハーピー!?」
言うや否や翼を羽ばたかせたハーピーはキースの両肩を力強い鳥の足でガッシリと掴むと天空はるか高くに飛び上がった。
「おおおぉぉぉぉああぁぁあ!!!?」
突如として体が上昇していく。
いくら立体起動で高所に慣れているとは言っても、それは精々立体起動で登れる巨大樹程度の高さである。こんな、地平線のはるか先まで見渡せるようなような高さは初めてだ。
「ハーピー、何をするつもりだ!?」
「ジジ、ヒマラヤ行くべし!!」
「ヒマラヤ!?」
そしてキースの両肩を掴んだハーピーは壁上からジェット機をも凌駕する猛烈な飛行スピードで、地平線の先に向かって飛び出した。
☆ ☆ ☆
おそらく、こんな所まで来た人間は今までにいないに違いない。少なくとも壁内史上ではキースが初めてだろう。
下を見下ろせばそこは一面の大海原。上を見れば、まるで吸い込まれそうなほどの青。当たり前の事だが、やはり空の上には巨人はいなかった。巨人どころか生きているものはどこにもおらず、手を伸ばせば雲さえ掴めそうなその場所で、両肩をハーピーに捕まれたキースは呆然と周囲を見回していた。
(一体、どこまで行くつもりなのだろうか)
ハーピーはヒマラヤと言っていたが、キースにはヒマラヤがどこにあるのか見当もつかない。そもそも人類が壁に囲まれて以来、壁の外の事を知っているものは殆ど居ないのだ。
まるで夢でも見ているかのような気分だが、体に当たる風は紛れもなく本物で、そして何より眼下に広がる遥かな世界は目を奪われるにふさわしい。
(あれは一体……)
眼下に広がっていた大海原はいつの間にか陸上になっていて、そこは真っ白で巨大な砂漠が広がっていた。見る限りでは動く物は何もない、ただ一面の砂の雪原。ハーピーの飛行速度は凄まじく、それも流れるように過ぎ去ると、今度は大きな山々の中央にグズグズと蟠る真っ赤な溶岩が煮えたぎっているのを見た。瞬間、ゴゴゴと地鳴りのような音を立て、火を噴き上げた山から流れ出るのは正しく炎の水である。それらもあっという間に過ぎ去って、ハーピーは更に高度を上げていく。
空気が段々と冷えてきて、まるで雪の中に放り込まれたような低温に体が震えたその瞬間、キースは目の前の光景に驚嘆した。
「な、何だこれは!?」
大気圏のギリギリまで上昇したハーピーから見た風景。それは、眼前一杯に広がる地球の形であった。弧を描いた地平線のその向こうにある白い大陸は、おそらくかつての人類が『氷の大地』と呼んだものだろうか。それにしても恐ろしい。何十年もの昔、壁外調査をするにあたって閲覧したどこかの文献。その中に異端が唱えた学説が載っているのを読んだことがあるが、誰しもが一笑に尽くした学説だった。あれはどこの誰が書いた文献だったか。そして世界が丸く閉じられているなど、一体当時の誰が信じようか。
しかし、それが、真実として目の前に突き付けられていることにキースは身震いした。
今なら人を食う巨人はが居た事はベッドの中でキースの見たただの悪夢だと言われても信じたに違いない。
世界は丸い。
壁の中に居たら絶対に知りえない真実を知ってしまった恐怖が全身を泡立たせた。
「砂の雪原、炎の水、氷の大地……そして丸い世界……この、全てが本当だったというのか!?」
壁外に出るに当たって調べた資料に見かけた単語の数々。そんなもの、有りはしないと笑った現象。全てが夢物語の産物だと思われていた物が、次々とキースの目に飛び込んでくる。
「……エレン・イェーガー辺りに見せたら狂喜乱舞しておったろうな」
なんとも勿体ない。と笑うキースに、ハーピーが囀った。
「ジジ、もうすぐ! もうすぐ!」
「ん? なにが……ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
いきなりハーピーが急降下し始めた。
両肩にかかるGは上昇時の比ではなく、今まで鍛え続けてきたキースの肉体で無ければ骨が粉々に粉砕されていたに違いない。
しかし、肉体的には何とか無事でもスピンをかけた上に猛スピードで落ちるように降下するハーピーに全身を振り回されたキースはいつの間にか失神していた。
☆ ☆ ☆
「はっ!? 私は一体!?」
気が付くと、そこは見知らぬ場所だった。何とか痛む体を起こして辺りを見回すと、湿った空気とゴツゴツとした岩の壁。
察するに、どうやら洞窟の中らしい。
「お爺さん大丈夫ですか?」
ふとかけられた声の方を見やると、全身がモコモコした毛で覆われた子供がちょこんと坐っていた。
「お前さんは……」
誰か、と聞こうとしてと周囲に誰かが居ることに気が付いた。
「ジジ、おはよ! おはよ!」
「おー、キーやん目覚めたと。鳥なんぞに攫われて大変やったっちゃろ?」
そこには、むろみさんとハーピーがこじゃれたウッドチェアに座ってお茶を飲んでいた。
「ごめんなさい。ハーピーが無理やり連れてきちゃったみたいで……」
モコモコの子供がとても申し訳なさそうにしている姿は、何故か守ってやりたい気持ちになるがそれはとりあえず置いといて。
「もしかして、お前さんが」
震える声でその名を呼ぼうとすると、ハーピーがぱっと近寄ってくる。そういえば、紹介するのを忘れてた。とでも言いたげにキースの前に立つ。
「いえ、てぃ!!」
両手でモコモコの子供ことイエティを指した。
「ということは、つまりここは……」
キースは頭の中が次第に真っ白になりつつあるのを自覚した。ここにハーピーとむろみさんが居て、イエティがいて、ついでに洞窟みたいな場所で、ということはつまり……。
「ここは母なる山。ヒマラヤです」
「まぁ、キーやんから見れば壁の外の遥か遠くって事っちゃね」
イエティとむろみさんがお茶を飲みながら答え、ハーピーが「ヒマラヤ♪ ヒマラヤ♪」と囀った。
「まぁ、キーやんも今日はここに泊まっていくと良かね。イエティもえぇっちゃろ?」
「うん。僕は良いよ」
入口らしき方向を向いてみると、雪山訓練でも見たことが無いような猛烈なブリザードが吹いている。
その日、色んなことがありすぎたキースは本気で頭を抱えた。