ウォールローゼ、シガン☆しなライブ前日。
とうとう翌日に大規模ライブを控えた調査兵団は兵舎全てがお祭りムード一色に染まっていた。
翌日の為に用意した大量の販売用グッズ。例えば応援用のサイリウムにキャラクター団扇、付け耳、手彫りキーホルダー、銘入りペン、パンフレット等々は既に倉庫から溢れだすほどに用意してある。
ライブ会場の大広場にも大きな櫓を立て終えて音響設備もどうにか整えた。当日の混雑を予想して簡易トイレやゴミ箱、案内板の設置ともしもの時のための警備班と救護班の準備と割り当て。物販ブースの確保。その他の雑事諸々を整え、あとは本番を迎えるだけだ。
「とうとう、明日なんだな」
とある一室にて、マイクを手に持ったエレンが目の前の二人を見ると、ミカサとアルミンが頷いた。
「まだ本番は明日なのに、今からちょっと緊張するね」
アルミンが緊張した面持ちではにかむと、いつもよりもほんの少し穏やかな表情のミカサがアルミンの肩をぽんと叩く。
「アルミン、大丈夫。今の私たちなら、どんなに観客が多くてもきっと……いいえ、絶対上手くやれる」
「ああ。その為に練習してきたんだもんな。俺達なら、きっと大丈夫だ」
エレンの力強い眼差しを見て、二人はもう一度頷いた。
壁内が海に閉じ込められてからこれまで、長いようでとても短かったように思う。
最初は、訓練兵として兵士を目指していたはずだった。
訓練兵として修練を積み、その後は兵士として巨人と戦う事になると思っていた。ところが、何の因果かアイドルとして資金集めをすることになってしまった。
最初は凄く嫌だった。
ダンスの練習もキツイし、歌なんて今まであまり歌ったことが無かった。
知らない人の前でパフォーマンスなんて見世物みたいなことを、なんで俺達兵士がやらなくちゃならないんだと思ったりもした。
今でも壁外への憧れは強く持っているし、巨人への憎しみは決して消えていない。けれど、色々な人から「元気をもらった」「明日の希望が見つかった」「また歌を聞かせてほしい!」という言葉と、沢山の笑顔を貰ううちに、こういう仕事も悪くは無いように思えてきたのもまた事実だった。
「何かもう俺達、兵士でも何でもねぇけどさ、壁の外に出られる手段が見つからねぇうちは、こういう仕事も悪くねぇ……んだよな? 多分……」
戸惑うようにエレンが二人に聞くと、ミカサはしっかりと頷いた。
「えぇ。きっと、これも大事な仕事」
部屋の中央に置かれた机の上には、乗りきらないほどのファンレター。お年寄りの達筆な字で書かれた物もあれば、拙い字で下手くそな絵と共に送られてきたものもある。
部屋の角に積まれているのはファンが送ってくれた沢山の贈り物。シガン☆しなの銘が掘られた金貨からシガン☆しなの名のついた蜂蜜瓶。似顔絵の刺繍が入ったハンカチ、手作りの人形まで様々だ。
どれもこれもが、シガン☆しなにとって大切な宝物。
もしも三人が普通の兵士だったなら、こんなに沢山の『心』が送られる事は未来永劫無かっただろう。
「何かさ、今、本当に変な感じだよね」
「ああ、本当に変だ」
「うん。変。でも、とても面白い」
そう言い合って三人は笑った。
壁内で知らない者は誰も居ない、人気ナンバーワンアイドルユニット『シガン☆しな』。しかし、その正体はただの十五歳の少年少女なのだ。
「おい、テメェら。準備は良いか?」
三人が今までの事に思いを馳せていると、ドアからジャンがひょこりと顔を覗かせた。
「あ、ジャン。そっちの準備は良いの?」
「おう。ばっちりよ。最後のリハーサルだ! 明日の本番と同じようにしっかりやれよ!」
『シガン☆しな』敏腕マネージャーのジャン・キルシュタインが親指で示した先は、調査兵団の訓練場だ。
今までの練習とはちょっと違う。運び出された簡易舞台の周りには調査兵団の団員全員が本番さながらに取り巻いてシガン☆しなの登場を待ちわびているのだから。
「よし、行くか!!」
「ああ、行こう!」
「私たちのステージに!」
そして、三人はそれぞれのマイクを手に立ち上がる。
☆ ☆ ☆
とある広場。
翌日のシガン☆しなライブに向けてとあるファンクラブは最後の練習に励んでいる最中であった。
「よっしゃテメーら明日に向けて最後の特訓だ!! 『恋の壁外逃避行』最初から行くぞ!!」
『はいッ!! ブラウン隊長!!』
ライナー・ブラウンを中心とした総勢三十名程の訓練兵団104期生。
彼らこそ、泣く子も黙るシガン☆しな同期親衛隊。
シガン☆しなのファンクラブ自体は壁内中に数多く存在するが、三人と同じ104期生のみで構成されたこのファンクラブは他と比べて新しいながらも一味違う。
背中にシガン☆しな親衛隊と書かれた法被を羽織り、額にはシガン☆しな親衛隊特製ハチマキを巻き、両手に携えたサイリウムと全身を使って訓練兵仕込みの激しくも整った動きで客席を鼓舞する。それを最初に始めたのがシガン☆しな同期親衛隊だ。
親衛隊長はライナー・ブラウン。
そのカリスマ性とシガン☆しなに対する情熱でもって高い信頼を得て隊長を務めているのだが、何故かアニ及びベルトルトからはとても冷ややかな視線を受けていた。
ちなみに蛇足だがライナーは『壁内戦隊ケンペイダンファンクラブ第一号』保有者でもある。
「テメーら気合いが足りねぇ!! それでも我らがシガン☆しなを愛してるのか!! もっと腰に力を入れろ!!」
『はい!! ブラウン隊長!!』
広場で応援の練習を熱心に行うライナー達を、ベルトルトとアニは少し離れた場所で眺めていた。
「一体、何してるんだか……」
「さぁ……当てられたんじゃない? この熱気と平和さに」
激しく応援の練習をするライナーをしばらく呆れ顔で見ていた二人だが、ふと思い出したようにアニがベルトルトを見上げた。
「で、そう言うアンタは兵団選びもせず何してるんだい?」
じろっと睨まれて、ベルトルトが狼に睨まれた子羊のようにたじろいだ。
「え、うーんと。だって外が海で故郷もどこだか解んないし、今の所入りるべき兵団も解らないし……どうせこのままならギリギリまで様子見してようかなって」
優柔不断な意見にアニはふんっ、と息をつく。
「まぁ、それでもいいけどさ……ところでアンタ、次の休日は暇?」
「えっ、今の所、毎日暇だけど」
突拍子も無くアニに尋ねられ、戸惑うベルトルトの前に紙切れが一枚差し出される。
「えっと……これは?」
「ケンペイダンのチケット。次の話はイエローが主役なんだよ。どうせ子供だましだけど、暇なら見に来な。それじゃ、アタシも練習があるから」
驚いた。
壁内戦隊ケンペイダンは毎回見に行ってるが、アニから直接チケットを貰ったことは今まで一度も無かったのだ。
ベルトルトが戸惑っていると、ひらひらと宙に揺らしていたチケットを無理やり胸に押し付けたアニはくるりと身を翻す。
「あ、ありがとうアニ!! 行くよ!! 僕、絶対行くから!! 楽しみにしてるよ!」
アニの背中にベルトルトが呼びかけると、アニは振り返りもせず右手を上げて軽く振った。
☆ ☆ ☆
その頃、むろみさんはトロスト区の壁の上で釣りをしていた駐屯兵団の兵士によって釣り上げられていた。
「ゴカイうまかっちゃん!!」
ざばぁっと海から引き揚げられたむろみさんを見て、駐屯兵団ミタビ・ヤルナッハ班長はげんなりした表情を浮かべた。
「なんだよ。またむろみさんかよー」
「いやー、目の前にうまそーなモンがぶら下がってたら食いつかないワケにゃいかんっちゃろ」
むろみさんに刺さった釣針をミタビが外してやっていると、隣で釣りをしていたイアン・ディートリッヒが笑った。
「あれ、ミタビさんまた魚じゃなくてむろみさん釣り上げたんですか?」
「うるせーイアン。ボウズのテメェに言われたくねぇ!! ちっくしょー前のチケットといい、ホント最近ついてねぇよ……」
がっかりしてエサを付け直すミタビに、むろみさんがニヤリと笑いながらイアンに近寄る。
「何なに? ミタビやんってばまだシガン☆しなのチケット取れなかったこと悔しがっとー?」
「そうなんですよ。自分の部下に倍額払うからチケット売ってくれって頼みこんだりして……」
「うっわ大人げなー」
「うっせぇイアン!! てめぇに愛しのうさミンを間近で見れないこの悔しさが解るか!? わかんねぇよな!!」
「へっへーん。アタシは是非にって本人からチケット貰ってるもんね」
「ちくしょー羨ましいな! むろみさんそれ売ってくれ!!」
「残念ながらアタシ名義の特別チケットやけん。アタシ以外使えんよ」
「っていうかミタビさん、駐屯兵団ならウチの広報隊応援しましょうよ。この前なんて、リコがドレス姿で歌ってたんですよ? シガン☆しななんて目じゃねーくらい美人でしたよ」
「あぁ、リコちゃんたちもがんばっとるけんな。アタシもよく酒場に聴きに行っとーよ。国民的アイドルとはまた違ごてしっとりした歌声が酒に合って良かったっちゃねぇ」
「お、むろみさんもそう思う? そうそう。お子ちゃまにゃ良さが解らない歌なんだよな」
ねー。と楽しそうに頷き合うむろみさんとイアンに、ミタビはぐぬぬと唸る。
「ンなこた解ってる。俺も広報隊は好きだ。歌も上手いし美人もそれなりに多いしな。だがしかし、それとうさミンとはまた別なんだよっ!!」
語尾に気合いを入れてひゅっ、と釣針を海に投げたミタビが下を見ると、数頭の巨人面魚が壁の真下の海面からにゅるっと顔を覗かせていた。
「ちっ、イヤなもん見ちまったぜ」
「どうしたんですか?」
舌打ちしたミタビがイアンを振り返る。
「いや、何か海から巨人面魚どもがこっち見てるんだよ。気色悪ぃったらねぇぜ」
「マジですか?」
「ん? ほんなこつ? さっきまではおらんかったよ」
イアンとむろみさんもそっと壁の真下を覗いてみると、そこに居たのは既に数頭処では無い。数十頭もの巨人面魚どもががわらわらと集まり出してきていた。
「なんですかね? 妙な感じだ」
「……まるでエサに集る鯉の群れたい」
「一応本部に報告しとくか? 多分陸には上がって来れねぇと思うが……」
「ちょっと待って下さい。何かおかしい感じが……?」
ビチビチビチとお互いの体に乗り上げるように水面で跳ねる数十頭の巨人面魚の群れには、全てに足がついていた。
二本の足をもがかせて、懸命に海面から上がろうとしている巨人面魚の姿を三人が息を飲んで見ていると、一頭の三メートル級の巨人面魚が水面から大きく跳ねて壁に飛びついてきた瞬間、三人に戦慄が走った。
「イアン……至急本部に伝えるぞ。緊急事態だ」
しかし、イアンとミタビとむろみさんが逃げ出す寸前に、それは起こった。
振り返ると、そこには人の手足を持った、まるで中途半端に変態したオタマジャクシのような姿の十メートル級の巨人面魚が三人を壁の上から満面の笑顔で睨みつけていた。
☆ ☆ ☆
調査兵団訓練場。
リハーサルをしていたシガン☆しなが数曲目の歌唱とダンスを終えた時、最高潮に盛り上がった調査兵団の只中に一人の駐屯兵が全速力で馬を駆って転げ込んできた。
「伝令!! 伝令!! 緊急事態だ!!」
何事かと振り向く調査兵団に向かって、駐屯兵は馬から降りるのももどかしいのかその場で叫ぶ。
「何だ!? 何が起きた!?」
団長のエルヴィンが飛び込んできた駐屯兵の前に出ると、青い顔をした駐屯兵はヤケクソのように大声で叫んだ。
「トロスト区、及びウォールローゼ南部から巨人面魚が侵入!! 壁は壊されてませんが、海から次々と壁を登ってきてます!! 我々駐屯兵団ではもう手に負えない数です!! 調査兵団に至急応援を要請します!!」