人類が海に囲まれてしまって一週間。
「いやはや、まさか壁外が魚型の巨人に囲まれているとは思わなかったよ」
壁の端際を歩きながら分隊長ハンジ・ゾエは後ろを振り返る。後からは三歩ほど遅れて不機嫌な顔をしたリヴァイがついてきていた。
「おまけに見える範囲に陸は無く、かといって周囲の水圧で壁が潰れることも無くおまけに川からの逆流も無いなんてホントに理由がさっぱりわからねー!!」
「おい、そんな端を歩くな。落ちるぞクソメガネ」
「大丈夫だいじょうぶ。そんなヘマはしないよ」
壁外の陸地が海になってしまったことにより、調査兵団はどうしようもなく暇を持て余していた。調査しようにも海の存在そのものを知る人物が殆どおらず、文献の類も殆どが異端としてどこかに収容もしくは焚書されてしまっている。
海の中には巨人にとって代わって魚型の巨人……いわゆる巨人面魚がウヨウヨと泳ぎ回っているうえに、おまけに海中では馬も立体起動も殆ど役に立たないありさまだ。
巨人以上に解らないことが多すぎる上、余りにも危険すぎるという理由で壁外の調査は無期延期。ひとまず待機命令を下された調査兵団の行動は地道に訓練をするか海を見に来ているかの行動が大半を占めていた。
「チッ、せめて奴らが海面に出てきやがればどうにかなるんだがな」
リヴァイが海を見下ろすと、底の見えない薄暗い青がどこまでも続いている。波間には小さな魚影がところどころに写っているが、肝心の巨大人面魚の姿は見えなかった。
「でもまぁ魚だからね。壁の中にはほぼ入ってこれない。例え入ってきても陸上活動が出来ないのが救いと言えば救いなのかもしれないね」
調査兵団としてはしばらく動けそうにない事はエルヴィンからも聞いている。それ自体は仕方がない。ただ、酷く物足りなかった。仲間を殺した巨人をこの手で殺せない事も胸糞悪いが、なによりこの海に囲まれた世界がまるで籠か生簀の中に押し込められているようで息苦しい。
「俺達はこんなところでブラブラしてる暇はねぇように思うんだが」
「そんなこと言ったって仕方ないだろ。まずは陸上から出来ることをするのが先決。それに見たことも無い形の巨人が居るんだよ。わくわくするじゃないか!」
ハンジに向かって愚痴を言ったり舌打ちしたりしながら歩いていると、海面でキュイキュイと聞きなれない音が聞こえた。
見れば、知った顔が壁から身を乗り出してキャアキャアと楽しそうにはしゃいでいる姿がある。
「なんだあれは」
「さぁ? 海の生き物なんて巨人以上にさっぱり解らないよ」
「奴らはバンドウイルカ。もしくはハンドウイルカ。いけすかねぇハクジラ亜目マイルカ科ったい」
後ろに現れた人外の気配にいち早く対応したリヴァイがほぼ反射的に間合いを取り腰の刃を抜き放つ。
「ちょちょちょ、やめったい話せばわかるとよ!!」
「リヴァイ、彼女は敵じゃないよ。報告にあった人魚さんじゃないか」
「……紛らわしい」
舌打ちをしながら刃を収めるリヴァイに、むろみさんは額の汗をぬぐう。
「もうちっとで刺身にされるところやったい」
「あ、兵長ー!! ハンジ分隊長ー! 見てくださいこの子たちすっごく可愛いんですよ!!」
こちらに気づいたペトラが手を振って二人を呼ぶ。その間にイルカと呼ばれた生き物は笑うような声を上げてその場で大きくジャンプして見せると、おお、と衆目からの感嘆の声が上がった。同時に誰かがイワシの切り身を投げ入れると、イルカは上手に口でキャッチする。
「おお、凄いねぇ。飼いならされても居ないのに」
「三日くらい前に魚釣りしてたらこの子たちが来たんです! 釣ったお魚の頭とか切り身を分けてあげてたらすっかり懐いちゃったみたいで……」
ハンジもリヴァイもイルカの行動に関心を示す中、一人だけむろみさんが大きく舌打ちした。
「奴ら、エサが貰えりゃ誰にでも媚びると。これだから水棲哺乳類風情は好かん。あんたら野生のプライドってもんが無いんかい!」
海に向かって罵倒すると、イルカはあからさまにそっぽを向いた。
「くぉらー!! 無視すんな!!」
「ちょ、むろみさんこの子たちと仲悪いんですか?」
「出来ることなら顔も見たくないっと!」
ぶんすか頬を膨らませるむろみさん。その時、イルカをじーーーーーーっと見つめていたリヴァイがおもむろに彼女の肩を叩いた。
「おい」
「なに!?」
「あいつら泳ぎは早いのか?」
「うん? まぁ、アタシよりは遅いけど海中の人面魚よりかは早かとね」
「そうか……」
海面のイルカどもを見つめてぼやくリヴァイの横顔を見て、ハンジは「あ、これは何か変な事考えてるな」と思った。
翌日。
海中からせり上がる巨大な魚影。
人の顔を持つ巨大な化け魚が人間の臭いを嗅ぎつけた。深海の奥深くから大量の水を飲み込みながら海面に牙を剥いたその瞬間、獲物はひらりと身を躱し海を走る。
「チッ、上に引きずり出しても海面からの攻撃は難しいか」
攻撃に失敗した巨人面魚はすぐに海の中に身を隠す。
「おい、次が来るぞ。食われたくなきゃ死ぬ気で避けろ」
「キュ……キュイ!」
「兵長すごい!!」
「リヴァイ、それすっごい最高だよ!!」
「兵長ー! 危ないですからそろそろ帰ってきてくださいよ!!」
イルカに乗ったリヴァイは襲い来る巨人面魚の猛攻をかいくぐりながらニシンの切り身を放り投げる。器用に空中でキャッチしたイルカは、乗り手の要望に応えるように高みを目指し、大きく弧を描くように海上をジャンプした。
「悪くない」
ゲラゲラ笑うハンジと純粋に応援するペトラ。足の筋力だけでイルカの背にしがみついているリヴァイは口の端で笑った。
「ぐぎぎぎぎ、どいつもこいつも、あんな水棲哺乳類のどこがええったい!!」
新たな可能性を見出した調査兵団は目を輝かせ、そしてむろみさんは岩陰で頭を抱えていた。
人類は未だ壁の中。