ヤタガラスに乗ったミカサはエレンを探すべく、見つけた巨人面魚を片っ端から屠っていた。
やり方はハーピーに乗ったイエティとほぼ同じで、ヤタガラスの機動力を両手に構えた二本の刃に乗せて、すれ違いざまに敵のうなじを削ぎ落す戦法だ。
「ミカサはん! 前方にまた化け魚が!」
「誰か追われてる? ヤタガラス、少し急いで」
それは、ウォールシーナへ向かう逃げ遅れた民間人の一団であった。
馬車に乗る事も出来なかったのか、己の足を動かし必死で走って逃げる人々。しかし、そのすぐ後ろには数匹の巨人面魚が迫っていた。
口々に悲鳴を上げて逃げる人々のうち、まだ幼い子供が足をもつれさせて転んでしまう。
「ディック!!」
「ママぁ!!」
子供の母親であろう女性が振り向き、逃げる人々から離れて転んだ子供を抱き起す。が、そのころにはもう巨人面魚の大口が親子の真上まで迫っていた。
食われる、と目を瞑った母親。
しかしその時、巨人面魚の上を一陣の黒い風が駆け抜けた。
「ママ、大きな鳥さん……」
子供が指さすと同時に崩れ落ちる巨人面魚。
そして、後ろから追いついてくる他の巨人面魚も同じく三本脚のカラスが至近距離を通り抜ける度にすぐさま歩みを止めてその場に崩れ落ちていく。
「あれは……カラス……?」
最高級の墨を流したような漆黒の翼をもつヤタガラスはミカサと共に他に巨人面魚が居ないことを確認すると翼を翻し再び天へと昇って行く。
自分達を救い、太陽を背景に優雅に飛ぶ三本脚の神鳥と、それに乗った何者かを見た人々は皆、呆然と空を見上げ無意識のうちに両手を合わせていた。
「アレは一体何だったんだ?」
そのうち、正気を取り戻した一人が聞くと隣に居た男は未だ呆然としたままゆっくりと首を振る。
「知らねぇ。だが、もしかしたら……」
「もしかしたら……何だ?」
言いよどむ男になおも聞くと、彼は頭を掻きむしり、信じられないとでも言うように呟いた。
「いや、もしかしたら、神様かもしれんな……と」
☆ ☆ ☆
「恋の~へ・き・がい、逃避行~♪ イェイ!!」
シガン☆しな人気歌曲、『恋の壁外逃避行』をノリの良いダンスと共に歌い終えたアルミンに、会場から盛大な拍手が送られる。
集まる視線は皆熱く、中には体を軽く揺らして踊っている人間も居た。
会場の熱気は今にも火が付きそうで、その場の盛り上がり方も上々だ。クリスタの言うその場の『楽しさ指数』もかなり高いに違いない。
しかし――。
(ダメだ……喉が痛い。それに声が枯れてきている……)
長い間ダンスを踊り続け、全力で歌い続けてきたアルミンの体力と喉はそろそろ限界に達しようとしていた。
会場に詰めかける観客に手を振りながら、アルミンはフル回転で思考する。今よりももっと場を盛り上げるにはどうすれば良いのか。
(ミミミン☆ファンタスティック、持ってけ調査兵服、ラッキーラブリータイタンガール、ぴこぴこハーフウィング……まだ歌っていなくて場が盛り上がる曲と言えばこのくらいだけど……)
どの曲も全て喉を酷使する歌ばかりだった。特にファンタスティックは全力で叫ばなければいけない為、この場の選曲としては完全な間違いになる。現在の体力的にダンスが激しい持ってけ調査兵服もダメだとすると……。
(ちょっとキツいけど、ぴこぴこハーフウィングかラッキーラブリータイタンガールが妥当か……)
ちらりと会場から舞台袖を盗み見るとジャンがリモコンを持って次にかける曲に備えているのが見えた。
(よし)
「それじゃー皆ー!! 次はラッキーラブリータイタンガールいくよー!! 知ってる通りノリノリの曲だから、皆も合いの手ヨロシクね☆」
周囲で大きなイエーイ!! の歓声が湧きあがり、音楽が始まった。途端、アルミンの顔からサッと血の気が引いていく。
きゅるりんきゅるりんという独特のリズムとポップ調の音楽は、アルミンの知っているラッキーラブリータイタンガールの音楽とは違う。
(違う!! 違うよジャン! これはミミミン☆ファンタスティックだよ!!)
これを歌ったら、間違いなく喉が潰れる。
宣言した曲と違う曲が流れ、会場で観客の皆が困惑しているが、ここで歌を中断したら間違いなく更に場が削がれてしまう。折角ここまで温まった会場をむやみに冷やすのだけはどうしても避けたかった。
(仕方がない、やるしかない!)
軽く深呼吸をしてから、会場に向かって『次の曲名間違っちゃったテヘ☆ 今度はミミミン☆ファンタスティックだったよ!!』と言おうとした瞬間、舞台袖の階段からツカツカと上ってきた何者かにマイクを奪われた。
突然現れた人物に困惑し、どよめく会場の人々。
アルミンが振り返るとそこには――。
「フゥーーーーーーーはははははははーーーーーー!! 皆の者、このゲリラライブで歌うのは実はうさミンだけでは無い!! 今から駐屯兵団広報隊、リコ・プレツェンスカも参戦する事にした!!」
マイクのハウリングも高らかに、ド派手な赤いドレスを纏ったリコ・プレツェンスカがアルミンの横から華々しく登場したのだった。
シガン☆しなと並び、客層が違うながらも壁内の大人気歌姫であるリコの登場に、会場に居た多くの観客は驚きを隠せないようにざわめいた。
しかし、それはアルミンも一緒だ。
面食らったように目を見開いているアルミンに、リコが早口で囁いた。
「調査兵団団長、並びピクシス指令から思いきり会場を盛り上げて来いと命令された。とにかく今は歌うぞ」
「は、はいっ」
ちらりと舞台袖をみやると、そこには楽器を携えた駐屯兵団の音楽隊とジャンが何かを話しているようだった。
やがてミミミン☆ファンタスティックのやや長めの前奏が終わり、新しいマイクを受け取ったうさミンと歌姫リコは二人揃って歌い出す。
シガン☆しなの曲だと言うのに、リコの歌唱は完璧だ。会場中にうさミンの力強くも可愛らしい歌声と、リコの持つ僅かな大人の色気めいた声音が混ざり合って絶妙な音のハーモニーが響き渡った。
通常時ならば絶対にありえないスーパーアイドルと大人気歌姫の夢の共演に、最初は戸惑っていた客席からはやがて、今までに無い程大きな歓声が上がったのだった。
☆ ☆ ☆
その頃、三角巾とエプロンを纏ったクリスタとサシャはお菓子作りに励んでいた。
ハチミツを使ったクッキーやケーキなどの焼き菓子を中心に、竈に入る限界ギリギリまでの量を何度も焼き上げ、とにかく量だけは多く作った……のだが。
「ちょっとサシャ! ここに置いておいたクッキー知らない!?」
「知りませんよ!! ちなみに私は食べてませんよ!? こっちもカップケーキの生地を作ってましたから!!」
テーブルに置いておいた作り立てのクッキーが、違うお菓子を焼いている間に三つの籐のバスケットの中から消えていた。
「じゃあ、一体誰が……はっ!?」
空になったバスケットの陰に、転がる丸っこい影が五つ。
「妖精さん、食べちゃったんですか!?」
「ついがまんできず」「おいしかたです」「ゆうわくにあらがえぬでした」「あまいみちびきがー」「そぼくなおあじで」
そこには、我慢できずについついクッキーを食べ尽くし、お腹を真ん丸に膨らませて満足げに転がる妖精さん達の姿があった。妖精は妖精でも、たった五人では数が足りなさすぎる。
「えぇぇぇぇ? どうしましょう。もう材料があまりありませんよ!?」
「最初からまた作る時間だって無いよ!? どうしよう……」
焦るクリスタとサシャ。
だがその時、何者かがズカズカと音を立てて台所に入って来た。
マルコやアニではない。そこに立っていたのはユニコーンのシンボルを背にした、彼らよりももっともっと立場が上の人間だ。クリスタとサシャはその場でエプロン姿のまま、ほぼ反射的に心臓を捧げる敬礼をする。
「敬礼は良い! 人類は今未曾有の危機に晒されているが、貴様達がやっていることは本当に人類を救うのか!?」
いかつい顔で声を荒げながら入って来たのは、憲兵団師団長、ナイル・ドーク本人だった。周囲には憲兵団の部下を連れずどうやら一人でこの台所にやって来たらしい。
「恐れながら、救われるかは解りません!! ただ、無益に人が死ぬことは絶対に無くなります!!」
妖精さんが増えると、その分だけトラブルは爆増するが絶望的な人死には無くなる。クリスタが確信していることをそのまま口にすると、ナイルは眉間に皺を刻んで深く頷いた。
「ならば、貴様達が予定している菓子は全て作ることが出来たのか!?」
「それが、少々トラブルがありまして現在ある材料、時間では圧倒的に足りなくなりました!! このままでは作戦を完遂することが出来ません!!」
泣きそうになりながらサシャが答えると、ナイルはまた頷いて台所の外へ「貴様達、入れ!」と声をかける。と、どかどかと台所へ速足に入って来た憲兵団の姿を見て、サシャとクリスタは驚き、バスケットの裏からこっそりと覗き見していた五人の妖精さん達は目を輝かせた。
台所の外から現れた憲兵団が持ってきた物。それは、両手にギリギリ抱えるほど大きな木箱に入った、大量の焼き菓子の山であった。クッキー、マドレーヌ、ラングドシャにメレンゲ、ビスコッティその他もろもろ。埃避けの薄布の下から、焼けた砂糖の甘い香りが溢れ出して台所に充満する。
「あ、あの、これは一体?」
まさか憲兵団がこんなに沢山のお菓子を持ってくるとは思わなかった。
この憲兵団本部の厨房を借りる時だって、本当に嫌そうだったのだ。
困惑した表情でクリスタが尋ねると、腐った組織として悪名高い憲兵団の長は詰まらなさそうに舌打ちする。
「上官食糧庫の砂糖はもう空っぽだしバカ貴族どもからシェフを借りたせいで俺の金も無くなっちまったよ。だが、馬鹿にするんじゃねぇぞ。憲兵団とて人類が破滅するのは何としても阻止したいんだからな!」
☆ ☆ ☆
ユミルはウォールシーナ、エルミハ区の壁上からウォールローゼに向かう道を眺めていた。
エルミハ区の城門にはこのウォールシーナへ逃げてきた沢山の難民がごった返し、未だにすべての住民が門の中に納まっていないありさまだ。
「まぁ、私に出来る事つったらこれしかねぇからな」
ユミルは台所で戦うクリスタとサシャの手伝いはしなかった。台所に立つなんて柄じゃないし、そもそも料理は苦手だ。そんな人間が下手に手を出して邪魔するより、己が出来ることを探したほうが手っ取り早い。
「私もヤキが回ったよな。本当に!」
壁の外が海になる前の自分なら、こんな事絶対にしなかった。今だって本当は人類なんか滅ぼうが繁栄しようが知ったこっちゃない。だがしかし、状況が変わったのだから致し方ないのだ。
外が海では逃げ場はどこにもないし、ここでの人類の破滅はイコールして自分とクリスタの破滅でもある。
人類なんか心底どうでも良かったが自分たちの破滅だけは何とかしなくてはならない。
「そんなら、ここでやるより仕方がねぇよなぁ」
ため息をついて見回すと、ウォールシーナを守る駐屯兵団の連中が壁上固定砲の周囲で警戒している姿が見えるが、それぞれ自分の任務に一杯一杯なのかユミルを見ている者は誰も居ない。
ぼうっと空を見上げたその時、周囲から悲鳴にも似た叫び声が次々と上がるのが聞こえた。「来たぞーーー!!」の怒声と共に壁の上の駐屯兵団が信煙弾を打ち上げる。そして口々に恐れの言葉を上げながら人々が指を差す先から、奴らはついにやって来た。
駐屯兵団や調査兵団の防御を掻い潜ってやってきた、三メートルから一五メートルまでの大小さまざまな巨人面魚の群れがウォールローゼの方角から大挙して押し寄せてきたのだ。
「砲撃用意!!」
緊張感が走り、次々と大砲を向ける駐屯兵団。まだ、砲弾が届く距離では無い。
じりじりと迫る巨人面魚に狙いを定めてじっと待ち続ける兵士だが、次の瞬間現れた物に人々は目を疑い、そして再度大きな悲鳴を上げた。
「な、何だあれはー!?」
ゆったりと散歩をするように、だが突如としてどこからか現れたのは一五メートルはあろうかという二体の巨人であった。一体は黒髪で目つきの悪い男の巨人。もう一体は金髪で、誰も見たことも無い女性のような姿をした巨人であった。
二体の男女の巨人は人間を襲う事も無く、巨人同士でぶつかり合う事も無く、ただ隣り合わせに、まるでウォールシーナを守る門番のように立つと、同時に迫り来る巨人面魚に向かって一目散に駆けだした。
ウォォォォォ!!! という雄叫びと共にぶつかり合う二体の巨人と巨人面魚の大群を見て慌てふためく群衆とは裏腹に、壁上から眺めていたユミルはニィと凶悪な笑みを浮かべた。
「へぇ、私と同じ奴らが他にも居たってね」
そして、自分と同じことを考えたのであろうその二人を見たユミルは準備運動をするように首を回してコキコキと慣らし、一度だけ深呼吸をする。
「そんじゃまぁ、私もいっちょ行きますかね」
ぼやくように言うと、そのまま高くそびえる壁から飛び降りた。
風を切り、地面に衝突して無残に潰される直前、ユミルは己の手を血が出るくらい思いきり強く噛んだ。
☆ ☆ ☆
「これは一体、何がどうなっているんだ!?」
エルミハ区で避難民の受け入れ、民間人の警護、壁上から周辺の警備をしていた兵士の殆ど全員が己が目を疑った。
兵士として、いかなる不測の事態にも備えて日ごろから鍛錬をしている人間でも、目の前で起こった出来事はそれまでの予想の範疇を大きすぎるほどに超えていた。
一〇〇年前より突如として現れ、長らく人類の仇敵であったはずの巨人が三体も、人類を守るために巨人面魚どもと戦っているのだ。
これを驚かずして一体何に驚くと言うのだろうか。
巨人たちは襲い来る何十頭もの巨人面魚を次々と押さえつけ、地べたに叩きつけ、うなじを噛みちぎり、ぺしゃんこになるほど踏みつけた。
カエル種の舌を持って振り回し、体を引きちぎり、あるいは殴り、頭をもぎ取り、血しぶきを浴びながら大地を揺らして腹に響くような巨大な咆哮を空へ向かって上げる。
「ウォォォォォォ!!!!!!!」
残虐。だが、胸が躍るような光景に人類は魅入ってしまった。
あれ程恐ろしい巨人面魚をいとも容易く屠る巨人達。
人類の仇敵が人類の守護者になった瞬間。
それはまるで、魚類などに食われてたまるかという人類の怒りを体現した姿のようであった。
☆ ☆ ☆
うさミンとリコ、二人の大人気アイドルが歌って踊り、大歓声が広がる舞台裏。裏方のスタッフが走り回る、そこから少し離れた草むらにサシャとクリスタは二人きりで沢山のお菓子を荷台に乗せてやってきた。たった二人で持ちきれないほど大量のお菓子を持ってきた理由は、ひとえに妖精さん達がとてもシャイで人が多いと出てこられないという気質のせいだ。
お菓子を山のように積んだ荷台を引いていると、観客たちの楽しげな合いの手とノリの良い歌声がここまで聞こえてきて思わずクリスタたちも浮足立った気持ちになってしまう。
おそらく場の楽しい指数は限界を振り切っているであろう。
「この分なら、妖精さんたち沢山居ますかね?」
「多分……。でも、居ないと困るわ!」
妖精たちの潜んでいそうな草むらに重たい荷台を止めて、クリスタは周囲に呼びかける。
「妖精さん! お菓子を沢山持ってきたの! これをあげるから、お願いだから出てきて!」
しかしその呼びかけに反応は無く、舞台から流れる楽しげな音を乗せたそよ風がふわりと吹いたきり、妖精達は姿を現さなかった。
「妖精さーん! どうしたんですか!? お菓子があるんですよ!?」
サシャも一緒になって草むらの中に呼びかけてみるが、妖精さんはただの一人も出てこない。
「妖精さん……どこに行っちゃったの?」
このまま妖精さんが出てこなかったらどうしようかと二人が途方に暮れかけた時、「およびですか?」とあの待ちに待った舌っ足らずな声が聞こえた。
周囲を探してみると、切り株の上に一人だけ妖精さんがちょこんと坐っていた。
「どうしましたか?」
「妖精さん!! あの、うんと、お一人ですか?」
差し出した手のひらに妖精さんを乗せたクリスタが尋ねてみると、妖精さんはいつもの笑顔を浮かべたまま首を傾げる。
「ぼくはおひとりさまですが?」
「お仲間さんはいませんかね?」
サシャがおずおずと尋ねると妖精さんはくい、と首を右へ向けた。
「ならば、あっちとかいかがでしょう?」
妖精さんが指を差したその先。クリスタがそっと周囲に生えている草を掻き分けてみると、兎が掘ったような小穴が一つぽっかりと地面に口を開けていた。
二人が穴に向かってそっと耳を澄ませてみると、聞こえてくる。楽しそうに、ライブの真似をする妖精さん達の音楽と歌声が。
「居た!!」
「居ましたね!」
小声で喜んだ二人は、心の中で「邪魔してごめんね」と謝ると荷台からクッキーを一枚掴み、小穴の中に放り込んだ。
途端、音楽が止んで戸惑うような声が聞こえてくる。
「おや?」「このあまいにおい」「くっきーだ!!」
妖精さん達がクッキーに気づいたのを見計らい、間髪を入れずに今度はカップケーキを一つ放り込む。
「わぁ、けーきだぁ!」「おいしそうです!」「だれだろう?」「かみさまかもー」
反応は上々だ。気を良くしながら、今度は少し小洒落た感じにラングドシャを三枚、立て続けに投入。
「めずらしいー」「かみのおめぐみ?」「とにかくおいし」「ひさしぶりのかんみです」「さっくさくー」「さいこうのしょっかんです」
ビスコッティ、メレンゲ、ハニーラスク、マドレーヌ。二人が小穴の中にお菓子を放り込むたびに、妖精さん達の声は次々と増えてくる。しかし、妖精さんの数はまだまだ足りない。
「サシャ、これ全部いくよ!」
「マジですか女神?!」
クリスタは荷台に積んでいた、大量のお菓子が入った大きな木箱を両手で抱えてヨロヨロ持ってくると、小穴に向かって一気に傾けた。途端に大量の焼き菓子が小穴の中にざらざらざらと吸い込まれていく。
甘い香りが周囲に広がり、クリスタの肩に座っていた妖精さんも美味しそうにクッキーを齧っている。
「なんだなんだ」「おかしのだいこうずいです」「こうふくのあめあられ」「すいどうからじゅーす」「なにそれたのしー!」「こどものゆめです」「ねがいのかなうまほうとか」「えいえんのなつやすみ!」「おかしのいえみたいな!」「たべきれない、おかしのやま!」
「じゃあ、こっちもやりますよ!」
とても楽しそうな様子の妖精さん達に、今度はサシャがお菓子の入った木箱を穴へ傾けた。普通ならばこんな小さな穴の中に大量の菓子が全て吸い込まれるはずが無い。なのに、黒い穴は巨大なの胃袋のように次々とお菓子を吸い込んでいくではないか。
「次いくよ!」
「はい、次もいきます!」
二人は次々とお菓子を穴の中に注ぎ込む。荷台の中の菓子類が空になるに従って、最初はまばらだった小穴の中の声が少しずつ大きくなってきて、やがて降り注ぐお菓子に歓喜の悲鳴を上げるようになった頃、それは起こった。
周囲の大地が、ゴゴゴゴゴ、と音を立てて揺れ始めたのだ。
「な、何ですかこれは!?」
「解らない!! でも何か、物凄い事が起こりそう!!」
お菓子の在庫を持ちながら慌てるサシャとは対照的に、子供みたいに目を輝かせたクリスタが楽しそうに空を見上げる。
大地の鳴動は長らく続き、そしてそれが徐々に大きな地響きとなった――
瞬間、
「「「「「おいしーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」」」」
小穴の中に納まりきらなくなった妖精たちが、まるで巨大な間欠泉のようにサシャとクリスタの目の前で大噴出した。
その妖精さんの数は何百、何千どころでは無いだろう。
もしかしたら何万、何億という数だったのかもしれない。とにかく大量の妖精たちが遥か空高くに向かって、まるで振った後に栓を取り払った炭酸水のようにドドドドと音を立てて噴出し、巨大でカラフルな柱を作っているのだ。
超大型巨人よりも高く伸びあがるあまりにも巨大なパステルカラーの間欠泉は、壁内に居たのならば誰でも、どこに居ても見ることが出来た。
ウォールシーナ周辺で民間人の警護をしていた兵士が、空へ向かって指を差す。
「な、なんだありゃ!?」
「知らねぇよ!? だがもう何が起きても俺は驚かねぇよ!」
ウォールローゼ南部にて、巨人面魚と戦っていたヤタガラスとその背に乗ったミカサがウォールシーナの中央で伸びあがるパステルカラーに気が付いた。
「あれ、何?」
「わかりまへん。ただ……」
そこで言葉を切ったヤタガラスはそれを見て楽しそうに笑った。
「凄く楽しい気配がしはりますなぁ……」
リヴァイアさんの殲滅により外海から巨人面魚の流入が止んだトロスト区では、壁内に残った大量の巨人面魚の掃討が行われていた。
その時、誰か一人が大声を上げて指を差すと、人々は揃って天を見上げる。
リヴァイが、ハンジが、エルヴィンが……各部隊の兵士たちが、班長が、隊長が、指令が、調査兵団が、駐屯兵団が、生き残った訓練兵達が――トロスト区の壁の向こうでは海竜化したままのリヴァイアさんとむろみさんも、その天へと上る巨大なパステルカラーの大間欠泉を見上げていた。
「……何だありゃあ……」
「何だろう……? ガスか何かが噴出してるのかな?」
「リヴァイアさん、あれ妖精やないの?」
「ふぅん、人間もなかなか考えるっちゃね」
そしてエルミハ区の城門付近で巨人面魚と戦っていた巨人達も、中央から伸びあがるソレに気が付いていた。一瞬、戦うのも忘れて見上げていると、巨人たちの頭上からぽろぽろと雨のようにカラフルな丸い球が降ってくる。
妖精さん達の楽しさが文字通り、一気に爆発したフェアリー間欠泉から丸まり妖精さんが大量に降り注いでいるのだ。
「すっごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーい!!」
「やったーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
再びウォールシーナの舞台裏。
目の前で巻き起こるフェアリー大間欠泉にサシャとクリスタが喜びの声を上げながらお互いにハイタッチをして喜んでいると、妖精たちが吹き出した頭上から木で作られた手の平サイズの小箱が一つ、草むらの中にポトッと落ちてきた。
「あれ? 何か落ちてきましたね?」
「何だろう? 小物入れ?」
小さな木箱を手に取ると、後からヒラヒラと紙切れが一枚ついて来た。
クリスタが拾い上げてその紙を広げると、それは木造りの小箱の説明書のようだった。
「えーと、取扱説明書――?」
☆ ☆ ☆
パステルカラーのフェアリー大間欠泉。
戦っているのも忘れて人々が見入っているその間、人間や巨人と攻防を繰り広げていた巨人面魚達もまた、その伸び上がる妖精の柱を見上げていたのだった。
間欠泉が消えた時、巨人面魚の行動に最初に気が付いたのは、誰だったのだろう。
「おい、何かおかしいぞ!?」
巨人面魚達は、それまで食らおうと攻撃していた人間たちに突然そっぽを向くと、一目散にウォールシーナめがけて今までにない程の猛スピードで走り出したのだ。
「おい、待て行かせるな!! お前らギリギリまで近づいてでも奴らを足止めしろ!!」
「何をやっている!! シーナの方に行かせるな!!」
「やってます!! でもあいつら何故か我々にはまったく見向きもしないんです!!
」
囮の兵士が巨人面魚の目の前に躍り出ても見向きもしない。
普通種も奇行種も跳躍力のあるカエル種も、全てが一斉に、まるであの間欠泉に吸い寄せられるようにウォールシーナへ向かって全速力で駆けだしている。
「もしかして今の噴出物のせいか!?」
「まさか巨人面魚を呼び寄せる物だったのか!?」
「そんなこと知らねぇよ!! とにかくなるべく行かせるんじゃねぇ!!」
本日何度目かの怒号が飛び交い、限界まで体力を消耗した体を酷使して、兵士たちは己を囮になんとかして巨人面魚の足止めを試みるが、上手くいかない。
トロスト区の中に居た多くの巨人面魚は足止めの甲斐も無くカエル種を中心に次々と壁を登り、ローゼに侵入していた巨人面魚も一斉にウォールシーナへ向かっている。
少数の群れが闊歩するのみだった巨人面魚は壁内の各地から次々と合流し、あっという間に巨大な大群となる。そして統率されたような動きでエルミハ区へ向かって雪崩のように押し寄せ、足止めをしようと立ちはだかる三人の巨人さえも押し倒してあっという間にシーナへ到達しようとしたその時――。
☆ ☆ ☆
紙を拾い上げたクリスタが、中の説明書きを声に出して読んでいた。
「取扱説明書。ダメな物ボックス。これは使用者が嫌いな物を仕舞う箱です。使用方法はとっても簡単。箱の口を開いて中に入れたいダメな物を念じましょう。これだけであら不思議。どんなものでも仕舞ってしまいます――だって」
「妖精さん、これホントですか?」
「さぁー?」
周囲に散らばっている丸まりが解けた妖精さんに聞いてみるも、彼らは揃って首を傾げただけだった。どうやら噴出の衝撃で全てを忘却してしまったらしい。
「まぁ、とりあえずやってみましょうよ」
「そうね。えぇっと、まずは――巨人面魚は、ダメ!!」
☆ ☆ ☆
雪崩のようにウォールシーナへ押し寄せていた全ての巨人面魚が空へ浮いた。
「ウゥゥゥウウゥゥ」「ウォオオォォォ」と唸りを上げ、足をばたつかせてもがく巨人面魚の大群。だが、彼らが大地に足をつける事は二度と無く、ウォールシーナの中央めがけて一斉に飛んで行った。
☆ ☆ ☆
「あと、絶望はダメ! 恐い事もダメ!!」
クリスタとサシャは壁内に存在するダメな物を次々と言い上げる。
「大事な人が死ぬ事も、傷つく事も、巨人も、飢餓も、辛いことや苦しいことは全部ぜーんぶダメー!!!」
二人のダメー!!! が周囲に木霊したその瞬間、空の上から手足をばたつかせる巨人面魚の大群が降り注いできた。百や二百は下らない巨人面魚の大群は排水溝に吸い込まれる水のように渦を巻き、サシャとクリスタが見ている目の前でズルルルルルルルルゥと手のひらサイズの小箱の中に物凄い勢いで吸い込まれていった。
「な、な、何ですかこれはー!?」
サシャの叫びと同時に黒い霧のような、いかにも悪そうに見える物が壁内中の全ての場所から飛んできて巨人面魚と共にどんどん吸い込まれていく。
箱の質量以上の巨人面魚やその他いろんな物を吸って吸って吸いまくった小箱は、一番最後に巨人面魚の大きな尻尾をズルンと飲み込むと、カタンと音を立てて開いていたその蓋を閉じた。
「まんたんですなー」「いっぱいになりました」「もうはいりませんな」「かぎをかけますか?」
その場でしりもちをついていたサシャとクリスタに、大きな鍵を持った妖精さんが箱の上に座って首を傾げていた。
しばらく呆然としていた二人は一瞬だけお互いに顔を見合わせると、同時に頷いた。
「「是非お願いします」」
☆ ☆ ☆
巨人面魚の消失したトロスト区では、巨人化していたライナーが倒壊した家の上で大の字に倒れていた。
そこへ、ライナーを覗き込むようにベルトルトがひょこっと顔を覗かせる。
「ライナー、大丈夫?」
「……ああ。何が起きたんだ?」
頭を振って起き上がるライナーが、ふと隣に座るベルトルトを見てぎょっとした。
ベルトルトが、ほろほろと涙を零して泣いているのだ。
「ど、どうしたんだお前!? なんか怪我でもしたのか!?」
慌てるライナーに、ベルトルトは首を振った。
「違うよ。……ライナー、君は解らない?」
「何だ? 解らねぇよ。何かあったのか?」
ベルトルトは静かにため息をつくと、泣き笑いのような表情を浮かべてライナーを見た。
「僕たち、巨人化出来なくなっちゃったみたいだ」
☆ ☆ ☆
ウォールローゼからエルミハ区へ続く道の真ん中で、エレンとアニとユミルは三人揃って転がっていた。
そこは巨人面魚と三人の巨人が戦っていた場所で、ウォールシーナから見ていた者はきっとその場で戦っていた巨人は巨人面魚と共に消失したように見えたであろう。
その場に転がるその三人は、だるい体を起き上がらせるでもなく、ただぼんやりと空を見上げていた。
「俺、何をやってたんだ……?」
「覚えてないならそれが幸せってモンだよ」
ぽかんとしたエレンのぼやきにアニが答えると、ユミルがどこか清々しい声で笑う。
「ははっ、あれはお前らだったのかよ。まぁ、そんなのもうどうでも良いじゃねぇか!」
☆ ☆ ☆
巨人面魚が居なくなったその時、リヴァイは壁の上に立体機動で駆けあがりリヴァイアさんを問い詰めていた。
「テメェ、何が起きたか知ってるな?」
「んふふ。ウチは何も知らないっちゃー」
「うそつけ」
「本当だっちゃー」
目つきの悪いリヴァイに詰め寄られても、青い海竜はのらりくらりとしらばっくれている。そして何度目かのやり取りの後、清々しい程青い空を見上げて、喉の奥で楽しそうに笑うのだ。
「むろみー。平和って良いっちゃねー」
「ちょっと、リヴァイアさんがそれ言う?」
楽しそうに笑う二人に、リヴァイはまんざらでもない顔で舌打ちをした。
☆ ☆ ☆
今回の巨人面魚流入事件で、多くの家が壊されて多くの人間が奴らに食われた。
調査兵団、及び駐屯兵団はその数を大きく減らし、投入された訓練兵の半数以上が死亡した。
沢山の人間が家を無くし、沢山の人間が死んだ。
しかし、それでも今日、人類は歴史上初めて勝利した。