ウォールローゼ攻防戦。
後にそう呼ばれる巨人面魚との戦いの後、生き残った兵士たちはおびただしい数の仲間の死体を回収しようと医療班と合同でトロスト区やウォールローゼ南部の村を回っていた。
死体の回収に乗り出した兵士たちは皆、口元に布を巻いて無残に散った者たちを一刻も早く弔ってやろうと死体を探した。だが、不思議な事がここにも起きていた。
「おい、こりゃあ一体どうなってんだ? アランの奴はどこに消えた?」
トロスト区にて、巨人面魚に踏み殺された友人の死体を回収しに来た男がその場を見て愕然とする。
彼はその日、十メートル級の巨人面魚を相手に友人アランと共に戦っていたのだ。ところが、立体機動のアンカーを刺し損なったアランは無残に地に落ちて巨人面魚に踏み殺された。もちろん、彼は現場を見ていたのだ。
ところが、十メートル級の巨体に押しつぶされて死んだ友人が居たその場所に来てみれば、広がる血だまりの痕跡はあれども肝心な死体は残っていなかった。
「おい、死体がねぇぞ!」
「こっちもだ! 死んだ奴が軒並み消えてる!!」
人間が下敷きになったのが目撃された倒壊物件や、確実に仲間が貪られたのを目撃した地点にも、血痕はあれども死体だけは指の一本たりとも落ちていないのだ。
それはトロスト区だけでなく、巨人面魚に襲われた村も、付近の森でも起きていた。
探せども探せども、どこにも人の亡骸が見当たらない。
カラスや野犬に食い尽くされた可能性もあるにはあるが、それにしても衣服の一つも落ちていないのが気になった。
「誰かが死体を持ち去った……? でも何故? 建物の下敷きになった人間の回収は一人じゃ不可能だ。まさか複数犯か? それにして付近が荒らされた形跡がまるでない。一体どうやったんだ……?」
ところどころに広がる血だまりを一つずつ検証しながらハンジが街中を歩いていると、馬に乗った部下が血相を変えてハンジを呼びに来た。
「分隊長! 大変ですすぐに来てください!!」
「どうした? そんなに慌てて」
部下はまるで恐ろしい物から追われているような顔をして、声を潜めてハンジに耳打ちする。
「そ、それが……調査兵団のゴミ箱からエラい物が出てきまして……」
☆ ☆ ☆
「これは一体……」
「すぐ引っ張りたかったんですが一応、分隊長に証人になって貰おうと思いまして……」
「ああ。こんな事、普通じゃ信じてもらえねぇからな」
ハンジが連れてこられたのは、調査兵団の兵舎裏に設置されたあのゴミ箱だ。
壁外調査にて巨人面魚に食われたハンジを含む面々が復活キノコの作用によって生き返ったあの曰くつきのゴミ箱。
ゴミ箱の周りにはハンジの部下を中心に数名が集まってどうしたものかと困ったように顔を突き合わせているが、それもそのはず。
ゴミ箱からは、ブーツを履いた人間の足があの日の足付き巨人面魚のように、Vの字ににょっきりと飛び出していたのだ。
普通なら人間が縦に入るはずのないゴミ箱の中は不思議な光に満ちていて、覗き込んでも飛び出している一人分の足しか見えない。
「おい、生きてるか!?」
ハンジがゴミ箱の中に呼びかけると、飛び出た足がじたばたと動く。どうやらちゃんと生きているらしい。
「と、とにかく引っ張ってみよう!!」
ハンジを含めて三人ほどがその足を掴み、思いっきり引っ張るとスポンッと良い音を立てて調査兵団の服を着た男が出てきた。すると、その男の姿を見たハンジの部下が腰を抜かした。わなわなと震える指でゴミ箱から出た男を差す。
「あれっ!? お前巨人面魚に食われて死んだんじゃねぇの!?」
「いや、俺も死んだと思ったんだけどさ……」
ゴミ箱から奇跡の復活を遂げた困り顔の男が頭を掻くと、ゴミ箱の中からすぽんすぽんすぽぽぽぽんと次々と十数人の人間が飛び出して来た。どうやら、一番最初に引っ張り出された男が出口に詰まって後が出てこられなかったようだ。
「うわー!」「きゃあ!!」「あれ!? 俺生きてる!?」「ここはあの世なのか!?」「俺は食われたんじゃ……?」
ゴミ箱から飛び出してくる人々は、調査兵団も居れば駐屯兵団も居て訓練兵も民間人も居た。そのすべてに共通する事はただ一つ。
「お前ら昨日死んでなかったっけ!?」
薔薇や翼の紋章が描かれた服を身に纏った兵士の面々を指差して顔面を蒼白にした生き残りの仲間たちが叫ぶと、しばし呆然としていたハンジは、数回肩を震わせ、そして次の瞬間腹を抱えて大笑いをし始めた。
「ぶ、分隊長!?」
「はーはっはっはははははははは!! こ、これは凄いや!! 全員が生き返りやがった!!」
「分隊長、笑いごとじゃ無いでしょう!? 死んだはずの人間がバンバン生き返ってるんですよ!?」
彼らが喋っている間にも、ゴミ箱からはスポンスポンと人間が吐き出されていた。仲間も民間人も死んだはずの人間が後から後から蘇り、笑い過ぎで涙を浮かべたハンジは生き返った彼らを見回して解ったような顔で一つ頷く。
「いや、私も一回死んで生き返った身だから何もおかしくないよ。もちろん殆どの人はキノコなんか食べてないだろうし、理由は解らないけどこういう不思議なら大歓迎だ。うん。よし! 多分これから何百人も飛び出してくるに違いない。ゴミ箱から出てきた者を一端広場に移動させるんだ! あ、それからモブリット、今すぐ団長の所に行ってこう報告してくれ!」
「はいはい何ですか?」
民間人から誘導を開始したモブリットが振り返ると、ハンジは清々しい程の良い笑顔で親指を立てる。
「今回の戦闘で発生した死者数は兵士も民間人も合わせてゼロ! ってね!!」
☆ ☆ ☆
広い会議室の中は重たい空気が垂れこめていた。
ここはウォールシーナにある会議室の一つで、現在そこには国の舵取りの一端を担う王直属の役人から大貴族、そして各兵団の団長等、身分の比較的高い物が呼び集められていた。
二十名前後の人間がぐるりと机を囲み、どいつもこいつもが顔を青くしている中、唯一平然とした顔をしている浅黒い肌の人魚が一人。
もちろんリヴァイアさんである。
議題はもちろん、この世界に関する事情と壁内外の諸問題についてだ。
リヴァイアさんとしては退屈な人間の会議になんて出たくなかったのだが、リヴァイとエルヴィンだけではこんなに重要な事は決められないと、憲兵団等の軍を通してこの重役だらけの大会議が開かれたワケである。
居並ぶ人間たちの前でリヴァイアさんは語った。
巨人面魚と壁の問題。そして月から帰ってくるこの世界の人類。
壁があることで巨人面魚はどんなに滅ぼしても『世界の要素』として復活し、このままでは、これから月より舞い戻ってくるこちらの世界の人類にまで影響を及ぼしてしまうと。
それはつまり、壁内の人類に再び恐ろしい巨人の蔓延る元の世界に帰ってほしいと言う事であり、それを聞いた壁内人類はこの重たい空気を醸し出すに至ったワケである。
「貴様、本当に我々にあの恐ろしい世界に帰れと言うのか!?」
「そうだっちゃ。じゃないと困るちゃ」
業を煮やした大貴族の一人が思いきり机を叩いて怒鳴ると、その場に居たエルヴィンは内心冷や汗をかいた。リヴァイからリヴァイアさんの強さとその正体を聞いていれば尚更である。
地平線の彼方まで密集した巨人面魚達。それらを吐息の一つで全て殲滅した地上最強の海竜。今は可愛らしい人魚の姿をしているが、その正体はこの世界の海を司る海神の一柱。それがリヴァイアさん。
おそらく、エルヴィンの隣に居るリヴァイも同じ気持ちに違いない。
今ここで彼女が本当に怒りだしたりしたら、壁内は確実に滅ぶ。巨人面魚の襲来など比では無く絶対に滅ぶ。抗う間など人類に与えられる暇も無く滅ぶ。ここに居る人間も報告書でそれは知っているはずなのだが、それを本当に理解しているのはこの室内に何人いるのやら……。
「だが、どうやって戻ると言うのだ? こちらにやって来た時もよく解らぬうちに来ていたのだ。そもそも、我々にそのような技術は元から無いが?」
政府の要人風の男が尋ねると、リヴァイアさんは軽く頷いた。
「それは知ってるっちゃ。だからそれが出来る技術者をこちらから紹介するちゃ」
「なぁ、本当に我々人類はこの世界に居られんのか?」
豪商のような男が聞く。
「だっちゃ。悪いけど諦めてほしいちゃ」
「人類が月に行ったとは……にわかには信じられん。証拠はないのか?」
「無いちゃ。そこは信じてもらうしか無いっちゃー」
「いっそ別の世界に飛ばしてもらう事は出来んのか?」
「それは無理だっちゃ。妖精の開けた次元の穴がある場所しか移動できんちゃき」
終わりの見えない議論に、リヴァイアさんは顔ではのほほんと笑ったまま、心の中で愚痴った。
(ウチはこれが面倒だったんちゃー……)
ぶっちゃけ、滅ぼしてしまえばこんな面倒くさいことしなくて済んだのだが、むろみさんのお願いならば仕方がない。やりたくはないが込み入った事情も多いため、リヴァイアさんしかこの人類への説得は出来ないのだ。
あまりの詰まらなさに全てを破壊してしまいたい衝動は、今は何とか抑えているがいつまでもこんな下らない会議が続くのなら人類の無事を保障出来る自信はリヴァイアさん本人にも無かった。
(もー。人間さんの会議ってばいつでもどこの世界でもツマランし面倒だっちゃ)
その場に居る各人の心の声を暇つぶしに聞いていると、出るわ出るわ人間どもの『元の世界に帰りたくない』本音の数々。既得権益その他モロモロの黒い事情が殆どを占めているがそれはさて置いておくとして、その中で面白い意見があったのでリヴァイアさんは明るく手を上げた。
「はーいはーい!! 良い案が出たちゃ! えーっと、そこのトドっぽいのがウチとリヴァイ兵士長を戦わせて勝った方の意見を採用したらどうだ? って言ってるっちゃ!! リヴァイ、もう会議とか面倒やきーウチと決闘せん? 勝った方の意見即採用ちゃー♪」
トドっぽいのとは大貴族の一人であり、心の声を読まれた彼は心底驚いたような表情をした。
しかし、もっと驚いたのは話を振られたリヴァイの方だ。珍しく飲んでいた茶をブフォォォォ!! と吹き出し、その場で咳をすると、隣に居たエルヴィンに背を叩かれる。
「て……テメェら、よくそんな事言えるな……」
何とか咳が収まったリヴァイがその場の全員を睨みつけた。
本気の殺意をまき散らされ、他人の殺気に慣れない貴族や要人が身を震わせたのを見て、リヴァイは詰まらなさげに息をついた。
「俺は、巨人ならどんな奴が相手だろうとぶっ殺せる自信がある。十五メートル級だろうと超大型だろうとそれは確実だ。だがな、俺も人類だという事だけは絶対に忘れるな」
本物の神に喧嘩を売る気はねぇ。とリヴァイアさんに向かって人類最強が降参宣言をすると、リヴァイアさんはぶーたれる。
「む~。詰まらんちゃー」
机に上半身を寝かせるリヴァイアさん。その時、調査兵団団長、エルヴィン・スミスがすっと手を上げた。
「私からも少し質問してよろしいかな?」
「何だっちゃ?」
「訓練兵団104期生クリスタ・レンズおよびサシャ・ブラウス訓練兵の両名の報告書を読みました。今回のウォールローゼ攻防戦にて、壁内に侵入した巨人面魚を掃討したのは『妖精の道具』だそうですね。巨人面魚との戦闘時、壁内に居た大多数の人間が目撃したあの色鮮やかな噴出物が妖精で、その妖精を呼び出した訓練兵の二人が彼らに道具を授かった。ここまでは宜しいですか?」
室内から集まる注目と無言を肯定と捕らえたエルヴィンはそのまま言葉を紡ぐ。
「訓練兵の二人が妖精から授かった道具。小さな木箱のようなものだと聞きましたが、彼女たちはこの中に巨人面魚、絶望、飢餓、巨人、死、悲しみや苦しみなどを入れたそうです。本当かどうかは解りませんが、全ての巨人面魚が消えたことを考えると事実なのでしょう」
「……で、何が言いたいちゃ?」
穏やかに、しかし鋭い視線で射抜くように尋ねるリヴァイアさんにエルヴィンは机の上に小さな鍵付きの木箱をコトンと置いた。途端、室内中がざわめく。
「これが彼女たちから預かったその小箱です。名を『ダメな物ボックス』。巨人面魚はこの箱の中に人類の絶望と共に入れられました。こうなってしまえば如何に『世界の要素』と言えども巨人面魚は二度と復活しないのではありませんか?」
言い終えて、一筋の汗を流すエルヴィンにリヴァイアさんは目を細めて微笑んだ。
「その箱の説明書はちゃんと読んだっちゃ?」
「えっ!?」
「なら、後で読むっちゃ。説明書には但し書きがついていて『※仕舞える物は現在あるものに限ります』ってどっかに書いてあるはずだっちゃ。じゃなければ人類はドえらいことになるし、現在進行形で皆こんなに悩んでおらんちゃき。つまり、その箱が吸った物は使用時の時点にあったものだけで、未来や過去に存在する物は吸えないはずちゃー」
「そんな……という事はつまり?」
どよめく周囲とは裏腹に、リヴァイアさんは静かに笑う。
「苦しみも悲しみも、心から湧き出る感情はきちんと存在するちゃ。寿命が来れば人は死ぬし、ずっと食べ物が無ければ皆飢える。箱は一時的にその場に有った物や事象を吸っただけに過ぎないちゃ。同じように『世界の要素』たる巨人面魚もまた、時間が経てば復活するのは当然だっちゃ」
他にも質問は? とリヴァイアさんが周囲を見回した。巨人面魚の復活を断言されたにも関わらず、それでもまだ何かを言いたそうな面々に、ただ一人だけリヴァイが音を立てて立ち上がる。
周囲の注目が一斉に集まる中、リヴァイは「もう良いだろ」と言った。
「巨人面魚は甦る。それでも俺達がここに居座るとすれば、今度はそこの海竜を敵に回すことになるだろう。そうなったら、俺達は間違いなく破滅だ。この竜には俺達がどんなにあがいた所で絶対に勝てねぇんだよ。巨人と違ってな。それなら大人しく帰ってまだ勝ち目のある巨人と戦ってた方がマシなんじゃねぇのか?」
人類最強のその言葉に、とうとう絶望的な落胆に満たされた室内。誰かから「もし、彼女が敵に回ったら壁内はどうなるんだ?」という質問が飛ぶとリヴァイアさんは笑顔で答えた。
「この国が海に沈むだけだっちゃ♪ 冗談でなく、本気で」
海神の迫力を滲ませたこの一言で、人類の今後の方針はあっけなく決まった。
これから元の世界にもどったらどうなってしまうだろうか。おそらく壁内の税収は悪くなるだろうし、食糧事情もきっと再び悪くなるだろう。一度巨人との戦いが始まれば人材も国費も間違いなく削られる。大切な海産物や塩が二度と取れなくなるのは大きな痛手だ。今や庶民にまで浸透しているこの塩が再び高級食材に返り咲き、皆の手に届かなくなることがあれば民衆のクーデターが起こる可能性だってあるのだ。
がっくりと肩を落とす人類たちを見回してリヴァイアさんはニヤリと笑う。
「人間さん方、そげん心配せんでも大丈夫だっちゃ。元の世界に帰っても壁内は妖精で溢れとるきー。妖精に好かれる限り人類の普通生存は確実っちゃ。元気出し」
誰のせいでこんなに元気が無いと思ってるんだ。と人類はリヴァイアさんをジト目で見るが、そんな事を気にするリヴァイアさんでは無い。まるで最初からこうなることを考えていたかのようにわざとらしく考えているフリをする。
「ん~。まぁ確かにのんびりしていた現状からいきなり人食い巨人が一杯いる世界に戻るのも怖かとね。よっしゃ、そんならカモーン☆ワイズマン!!」
「へいお呼びでっか?」
リヴァイアさんが手を叩くと、同時にワイズマンが天井から机の上にトスッと落ちてきた。憎いあん畜生の突然の登場に室内がざわめきだす。
「わ、ワイズマン!? 何で貴様がこんな所で出てくるんだ!?」
「おいおいおい貴様、人類を見限っておいて何を今更ノコノコ出て来ておる!?」
「この詐欺師め!! 何が人類のお役に立ちますだ! 肝心な時に姿をくらましおって!」
「何をおっしゃいますか。私はいつでも全体の事を考えて生きておりますよ」
かつて盛り上げグッズを提供しまくった人類から罵詈雑言を浴びせかけられてもワイズマンは全く気にせず飄々といつもの調子でカニのような手をシャキーンシャキーンと鳴らしている。
「このワイズマンのコピーを一人連れて行けば良いっちゃ! それなら壁内も安泰っちゃろ?」
リヴァイアさんの提案に、人類も、そしてワイズマン自身も驚いた。
「マジですか!? 私が人類に関わってはいかんという話は?」
「この人たちは異世界人ちゃきー。こっちの世界の神とも人類とも全然関係無かよ? 壁内をSF映画ばりに文明の底上げをすれば巨人なんか恐くないちゃー♪ 人間さん達どう? 悪い話じゃなかとよ?」
確かに超科学技術を有するワイズマンの全力バックアップがあれば巨人など恐れるに値しないだろう。
困惑するようにざわめく人類たちだが、話を振られたワイズマンはやる気満々で両手を振り上げた。それはもう、人類を相手に好き勝手出来る喜びで新しいオモチャを与えられた子供のように超光学レンズの瞳がキラリンと輝きだす。
「へいへいへい私はこの時を待っていたんだぜ! それでは人類の皆様方、お手元に資料をご用意しましたので私が常々考えていた人類文明底上げ計画のプレゼンを開始しませう」
ヘイカモン!! のワイズマンの言葉と共に同型のワイズマンコピーが天井からワラワラと現れて散らばると、ある者は紙束の資料を人々に配り、ある者は会議室のど真ん中に立体映像を映し出す。いつの間に改造したのか会議室の壁と床と天井の全てが瞬時に透過し、壁内の人類が見たことも無い大宇宙が室内一杯に投影された。
「な、なんだこれは!?」
「我々に何をした!?」
「えー、ご心配なく。これらはただの映像ですので。それではまずこの文明底上げ計画の概要をご説明いたします。まずはお手元の資料一ページ目をご覧くださいませ。あ、中央の立体映像は説明のつど赤いポイントが出ますので是非資料と共にご覧ください」
まるで宇宙空間に放り出されたような人類が戸惑いながらも資料を捲ると、ワイズマンお手製のホログラフィーが紙の上に浮かぶ。
机の中央には背の高いアリ塚のような家々や槍のような城、空中を走るリニアモーターカー等々未来都市と化した仮想の壁内世界の立体映像が映し出されている。
空を飛ぶ機械に鉄の馬、即座に相手の状況が解る通信機、火薬を使った旧式の大砲に代わる荷電粒子砲の設置など、ワイズマンの巨人対抗策と文明の底上げ計画の概要を聞いた人類は、そのあまりにも壮大で、そのくせ実現可能だという計画に徐々に活力を取り戻し、プレゼンが終わる頃には全員が元の世界に帰る気満々になっていた。
☆ ☆ ☆
人類が再び元の世界に帰ることになったという話はすぐに壁内中を駆け巡る。
再びあの絶望的な世界に戻らなくてはならないという話を、民衆はすぐに信じなかった。しかし、王政の正式発表をもってとうとう元の世界への帰還が確実になり、泣き出す者や絶望の余り気絶する者や面と向かって抗議する者が多数現れ始めた中、キース・シャーディスは悩んでいた。
「ジジ、帰っちゃう?」
「お爺さん……帰ってしまうの?」
「むぅ…………」
キース・シャーディスにとって、ハーピーとイエティは既に家族も同然となっていた。そしてそれは、ハーピーとイエティも同じだった。
「帰ったら、二度と会えなくなっちゃう?」
「おそらくは……」
イエティの問いに、キースは難しい顔をしながらも頷くしかなかった。
「ジジ、帰るのダメ!!」
「お爺ちゃん……」
「私も、出来れば離れたくはない……しかし……!」
泣きべそのハーピーとイエティに抱きつかれ、キースは泣けてきそうだった。この壁内で、教官たる自分には巨人を倒せる力を持った兵を育てる大事な役目がある。がしかし、大事な孫を二人も置いて行かなくてはならない。仲間を失った時とはまた違う、別れの苦しみに胸が引き裂かれそうになった時、ノーテンキな声が三人にかけられる。
「そんなら、こっちに残ればええっちゃない?」
三人が振り向くと、缶ビール片手に笹かまを齧るリヴァイアさんが立っていた。
リヴァイアさんは缶ビールをぐびぐび煽るとプハーと息を吐く。
「要はこの壁が一番大きな特異点ちゃきー。壁さえ無くなってくれれば大方の問題は解決するっちゃ。そりゃ壁内の人類さん二十五万人全員に残られるのも針孔みたいな特異点が出来過ぎていかんっちゃけど、千人二千人くらいならこっちに残っても問題ないちゃ」
「ホントに?」
リヴァイアさんの話にハーピーとイエティがぱっと顔を輝かせる。が、キースはまだ思い悩んでいるようだ。
「しかし……」
「巨人のこと考えてるちゃ? それなら心配ないっちゃよ。妖精が壁内に溢れてて、ワイズマンがくっついて行けば巨人被害なんて無いも同然ちゃ。証拠見せよか?」
そしてリヴァイアさんはおりゃ! と気合い一発、キースの脳内にワイズマンのもたらしたその超科学により栄華を極めたムー大陸の映像を無理やり流し込んだ。
「ふぉ!? ふおぉぉぉぉ!!!?」
凄まじい情報量を一気に流し込まれたのか、三人の目の前で頭を抱えたキースの顔色が白黒と目まぐるしく変わり、そして最後にガクリとその場に崩れ落ちた。
「こ、これほどまでとは……確かにこれならば巨人など一溜りも無いだろうが……壁内は本当にこのような世界になるのか!? ……だとしたら、我々はこれから何千年の技術を飛躍する事となるのだ!?」
「ジジ!? 何を見た!?」
「り、リヴァイアさん、やりすぎだよー」
だらだらと脂汗をかき、地に両手をついたまま息を切らすキースに、リヴァイアさんは楽しそうに笑う。
「そんなわけやきー。アンタがおらんでも壁内は平穏無事ちゃ。まぁ、こっちの世界の人間さんとは言葉も文化も違うけん。大変だろうけど、それでも良ければ残ればよかよ」
リヴァイアさんの暖かな言葉と自分を心配そうに見つめる孫達の潤んだ瞳を見て、しばしキースは考えた。
そして、最後に決心を決めたキース・シャーディスは二人の孫の頭を撫でて静かに笑った。
それは鬼教官でも国に心臓を捧げた兵士でも無く、穏やかな孫馬鹿ジジイの顔であった。
☆ ☆ ☆
元の世界へ戻っても巨人の脅威に脅かされることは絶対に無い。
壁内の帰還を公表した後にすぐ発表されたこの話を民衆が信じたのかどうかは定かでは無い。しかし、妖精が居る限り大丈夫という話は何故だかすぐに信用されたようだ。
それはあの日、巨人面魚襲来時の壁内が神秘に満ち溢れていたせいかもしれない。
三本脚の神鳥。人類を守る巨人。パステルカラーの間欠泉。突然空を飛んでどこかに消えた巨人面魚。そして死んでから再び蘇った人々。これだけ甚大な被害を出しつつも死者数はゼロという驚異の数字。
これまでありえなかった、信じられない事実のすべてが妖精の仕業だったのなら人々にも納得がいく。
一応、こちらの世界に残りたい者は、自力で残れるならば残っても構わないという触れ書きも発表されたが、多くの人々は壁と共に元の世界に帰ることを選んだようだった。
妖精が壁内にくっついて来るのなら大丈夫……なのかもしれない。という結論に至った民衆は暴動に走るのではなく、もっと建設的な事――これから取れなくなるであろう塩と海産物の確保――に走ることとなり、中央への暴動を覚悟していた憲兵団はほっと息をついていた。
☆ ☆ ☆
「まぁ、巨人に脅かされない世界になるなら、やっぱり元の世界に帰りたいわよね」
調査兵団兵舎の一室でペトラが笑う。
「ああ、ほんとだよ。元の地へ帰れるとも思ってなかったが、いきなり巨人に怯えなくなる日が来るなんて誰も思わなかったさ」
グンタが目を細める。
「元の世界に戻ったら、皆でその日を祝いたいと思ってたんだぜ? 俺はよ」
珍しく兵長の真似をしていないオルオが愚痴るように言うと、三人を前にしたエルドは困ったように笑った。
「皆、ホントごめん。でもやっぱり俺はこっちに残るよ」
エルドは巨人の脅威が壁内から消える事を知ったその時から、この世界に残るつもりであった。
「それって、やっぱり隅田さんの事?」
ペトラに聞かれ、エルドは頷く。
「ああ。隅田さんからは『皆と帰ればいいでしょ』って言われてるけどさ、やっぱり心配だし、あれでも寂しがり屋なんだよな。そりゃ巨人がまた人類を脅かす状態になるなら兵として帰るつもりだったさ。でもそうじゃない。人類の勝利宣言が下されたんだ。それなら女を置いて一人で帰るなんて男が廃るだろ?」
照れたように笑うエルドに、三人はハァっとため息をついた。
「で、どうやって残るつもりなの? アンタ、一人じゃ泳げないでしょ」
ペトラにもっともな事を突っ込まれ、エルドは真面目そうな顔つきになった。
「巨人面魚は居ないし隅田さんかむろみさんに頼めば陸地まではどうにかなる。 あとはちょこちょこ地下から出て来てるらしいこっちの人類と交流を図ってみるよ。まぁ、海の近くに漁村でもあればしばらくそこで暮らそうかとも思ってる。それがダメなら後は適当に小屋でも作って魚でも釣って気ままに野となれ山となれ」
真剣な表情とは裏腹なあまりにも無鉄砲な物言いに、エルド以外の三人は暫し目を見合わせる。
「お前解ってるのか? こっちに残ったら二度と壁内に戻れないんだぞ?」
「そうだぞ!? それにこっちの人類とは言葉も文化も違うらしいんだぞ!?」
「何よりね、人間の知り合いが一人もいないのに本当に大丈夫だと思ってるの!?」
全員で最後の説得を試みるも、エルドは笑って「それでも残るよ」と言い切った。
「まぁ、おフクロには悪いけどな。最後の日には書置きでも残しておくさ」
ハハっと笑うエルドの覚悟は固く、三人はもう肩を竦めるしかなかった。
「なら、もう良いわ。エルヴィン団長達には言ったの?」
呆れたように聞くペトラに、エルドは頷く。
「言った。リヴァイ兵長にも。いつもの顔で『そうか。元気でな』だってさ」
リヴァイ兵長の仏頂面がすぐ三人の頭に浮かんだ。それはもう、この世の全てが詰まらなさそうな顔で言ったに違いない。
「何か、兵長らしいな」
「うん、そうね」
「あれでも寂しいとは思ってくれてるはずだぞ?」
「そりゃまぁ、何も知らない間柄じゃないしな。仲間だし」
「仲間か……そうだよな」
「ああ。会えなくなっても仲間だと思う」
「リヴァイ班は永遠だぜ!」
「オルオ何それ、今度はエレンの真似!?」
「似てるか? えれえれなんだぜ!!」
「似てねぇー!!」
オルオが似ていないエレンの真似をして、そして四人はお互いの肩を叩き合い、今までにない程大きな声で笑った。
☆ ☆ ☆
「なぁミカサはん。日本に来ぃへん?」
ミカサの膝に座った和風の鳥幼女ことヤタガラスが顔を上げて尋ねた。
「何故?」
「ミカサはんはほんまは日本人やろ? 人類はんが帰ってきはったら日本人もきっとよーさん帰ってくるさかい。ちぃっと世界は違てんけど、故郷に帰りたいと思わへん?」
ウォールローゼ攻防戦の後、ミカサは無事にエレンを見つける事が出来た。
何故かアニとユミルも一緒にいたが、それよりも何よりも、エレンが生きていたという事が一番嬉しかった。
ハーピーを始め、鳥達が居なければミカサはこんなに早くエレンに会う事が出来なかったし、エレンを探すのをずっと手伝ってくれたヤタガラスにはとても感謝している。
「日本はええ所やで。水は綺麗やし、食べ物の美味いし。ウチ、ミカサはんなら大歓迎なんやで? ミカサはんさえ良ければ川端はんやウチらと一緒に棲んでもええぐらいやで?」
先ほどからヤタガラスは一緒に日本という島国へ行かないかとミカサを誘っていた。
ヤタガラスとしては、壁内で唯一の東洋人であるミカサには何か特別な気持ちがあるようだった。それは一人ぼっちの東洋人に対する憐憫なのか、単なる気遣いなのかは解らない。けれど、ヤタガラスにとってのミカサは他の人間以上の何かを感じるようだった。
ミカサの膝の上でどこか懸命に遠くの島国へ誘うヤタガラス。その黒い髪を、ミカサはそっと撫でた。
気持ちよさそうに目を瞑るヤタガラス。もしも自分に妹が居たならば、こんな感じだったのかもしれないとミカサは少しだけ思った。
「私、ヤタガラスの事は大好きよ。命の恩人。貴方が居て、とても助かった」
ミカサはヤタガラスの優しく撫でる。さらさらした黒髪の手触りが気持ちいい。
「ミカサはん……」
ミカサを見守る少女の背中についた、鳥の証である一対の黒い翼が僅かに揺れる。
「でも、一緒には行けない」
「何でや?」
首を傾げるヤタガラスにミカサは答えず、自分達より少し離れた壁の上でアルミン、ジャンと共に釣りをするエレンに視線を向けた。
「やっぱりエレンはんなん?」
エレンは壁内に留まり、元の世界に帰ると言っていた。この世界の事も知りたいが、やはりまずは自分の世界を探検することを選んだのだ。
エレンがそうするなら、ミカサの選択は最初から決まっている。
「ごめんねヤタガラス。やっぱり私は、エレンと一緒に居たいから……」
そしてはにかむように、年相応の少女のように笑ったミカサを見て、三本脚の神鳥は口元を隠してくすくすと笑う。
「そんなら、仕方がありまへんなぁ」
☆ ☆ ☆
「おっかしいなぁ」
「うん。いつもならすぐ食いついてくるのにね」
「どっかでまた酔いつぶれてんのか?」
エレンとアルミン、そしてジャンの三人はトロスト区の壁上にて釣り糸を海に垂らしていた。エサはもちろんゴカイ。狙う獲物は最初から決まっていた。
「むろみさん、どこに行っちゃったんだろう?」
ウォールローゼ攻防戦が終わってから、むろみさんの姿を見た者は誰も居なかった。
壁の上で釣りをしていた駐屯兵や、トロスト区で瓦礫撤去の手伝いをしていた淡路さんらハンターの人魚や、隅田さんに聞いてもむろみさんの行方は知らないそうな。
「一言、お礼を言いたかったんだけどな……」
人類の帰還はもうすぐだ。
こちらの世界へ残る人々の為にも巨人面魚が再び復活する前に帰らなければいけないのだから、作業は急ピッチで進められている。
人類帰還の装置は、ウォールシーナの山奥で見つかった一見スコップ状の物体。正体はもちろん妖精の道具だ。
スコップ状の物体は時空に穴を開ける道具らしく、これをワイズマンがあれこれ操作して帰還となるのだが、その際には壁内の妖精が多い方が最終的な成功率そのものは高くなるらしい。
エレン達シガン☆しなは、その妖精を集めるために、改めてあの日に出来なかった壁内大規模ライブを行うのだ。
「時間はもう今日しか取れないからな……」
「あとはずっと練習だもんね。一言お礼が言いたいのに……」
「あぁもう!! いつもは勝手に引っかかるクセに何で今日に限って来ないんだよ!!」
もうじき海が無くなり、使われなくなるであろう釣竿をエレンが海に向かって放り投げた。
ゴン。と何かにぶつかる音。
「あ痛っ!」
壁の真下から、声が聞こえた。
四人がそっと覗き込んでみると――。
「むろみさん!?」
むろみさんが、壁の真下でこっそりと三人の会話に聞き耳を立てていたのだ。
「な、なんですぐ来てくれないんだよ!! お別れが言えないだろ!?」
「せからしか!! アタシは湿っぽいのが嫌いやけんアンタらは勝手に帰ればよかよ!!」
何故か拳を振り上げて怒っているむろみさんに、三人は困惑する。
「何で怒ってんだよ!?」
「そうだよ。聞き耳立ててるくらいなんだから、気になってるんでしょ?」
「っていうか、そんな所居ないでコッチ来いよ!」
「嫌や! 今そっち行ったら、絶対泣かされると!!」
顔を隠し、テコでも動かない意思を見せるむろみさん。何だか普段と違うしおらしいその姿に、三人は虚を突かれたようにポカンと口を開け、顔を見合わせた。
「そんなお別れなんて突然ちゃけん、もっと居られる思とったのに、突然過ぎたい――」
壁に額を当てて、海の中で一人もそもそと呟くむろみさん。すると突然背後にどぼんどぼんどぼんと三つの水柱が立つ。ふとむろみさんが振り返ると、海にはジャンとエレン、それからアルミンが溺れていた。
「ごばばごばごばごば!!」
「ぐぼぼぼぼ!! 助け、助け!!」
「うごぉぉぉ!! 足が!! 思ったより泳ぐの難しい!!」
「な、なんばしよっとねあんたらー!!!?」
無謀な男子三人を海面に引き上げると、三人は肩で息をしながらも笑う。
「はぁ、はぁ、ありがとうむろみさん」
「ほんと、助かったぜ」
「おおぉ!! 海って思ったより恐いんだな!?」
「何を当たり前のこと言っとるげな! 沈んだらどうすると!?」
力いっぱいむろみさんに叱られる三人だが、そんな事を気にしていたら鬼教官の指導の下で訓練兵などやっていられない。
「だって、むろみさんがこっち来ないからだろ!」
「なら、俺らの方から行くしかねぇじゃん」
「そうだよ。僕たち、ずっとむろみさんにお礼が言いたかったんだ」
アルミンが、今まで本当にありがとうと言おうとした瞬間、額にチョップがかまされた。
「ヒレチョーップ!!」
「あいたー!」
「だからアタシは湿っぽいのは好かん言うとるに!」
涙目で額を抑えるアルミンに、腕組みをして怒った顔をするむろみさん。
「じゃあ、何て言えばいいんだよ?」
エレンに聞かれたむろみさんはしばし考え、ニヤリと笑う。そして――。
☆ ☆ ☆
釣りをしていたエレン達が突然壁から飛び降りた。
「皆、どうしたの!?」
気づいたミカサが慌てて壁の縁から海を覗き込むと、そこには波間に浮かび、声を上げて楽しそうに笑う三人の少年とむろみさんが居た。
☆ ☆ ☆
そして人類帰還の日。
壁の中は、間もなく巨人が支配する大地へ帰還する。
しかし、恐れることは何もない。
超科学を持ち合わせる異星人と、奇跡とデタラメの根源たる無数の妖精達が人類と共に居るのだから。
妖精達の不思議な力にあやかろうと、甘い物と楽しいことが大好きな彼らの為に、帰還のその日は大きなお祭りが開かれた。
昼のうちに何度も花火が打ち上げられ、人々はこの日を盛大に祝っていた。
道々に立ち並ぶ沢山の屋台。楽しそうに酒を飲む大人たちの笑い声。無料で配られる甘いクッキーを美味しそうに頬張る子供たちの笑顔。多分、もう当分の間は食べられないであろう魚介類が炭焼きにされる香ばしい匂い。旨味の強い魚醤と練り物に舌鼓を打つ人々の姿。
むろん、まだ巨人面魚が侵攻した傷跡は残っている。トロスト区の復興はまだ終わっていないし、家を無くした人々の生活が落ち着くのはまだまだ先の話だろう。
それでも、人類はその日を笑うのだ。
「皆ー!! ノってるかーい!?」
何千人もの人間が密集した会場からイエーイ!! と大きな返事と共に、シガン☆しなは拳を振り上げた。
「それじゃー皆、次の曲、いっくよー!!」
大勢の歓声が会場中から湧き上がり、スピーカーから流れだす軽快な音楽と共に三人は再び歌い出す。
ここはウォールローゼに設えられた、シガン☆しな用の特別舞台会場。
折角設えた大規模ライブ用の華やかな舞台は巨人面魚に壊されてしまい、今現在彼らが立っているその場所は簡素な櫓でしかないが、そんな事は関係無かったようだ。
一度は流れてしまったウォールローゼの大規模ライブ。
巨人面魚襲来の傷跡が残るこの壁内で大した宣伝も出来ず、一体どれだけの人間が集まってくれるだろうかと心配だったのが、この櫓の舞台に立った瞬間、三人は息を飲んだ。
今日、ここに集まった人数はあの日のゲリラライブの比ではない。何せ、壁内中のシガン☆しなファンが一堂に集まっていたのだから――。
「すごい……」
見渡す限りの人、人、人。今まで見たことも無い、人の海とも呼べる光景に、これだけの人が自分たちを応援してくれていたのだという実感が湧きあがり、エレンも、ミカサも、アルミンも胸が一杯になってしまった。
しかし、マイクを持ったままポカンとしていても仕方がない。挨拶を終え、背後に控えた音楽班の演奏が始まると共に、三人は今までずっと練習し続けてきた歌を歌い出す。但し、今までで一番激しくも楽しく、そして熱く、華やかに。
いくつもの歌を踊りと共に終え、人々の声援が激しく湧き上がるウォールローゼの大舞台。
そろそろ妖精達もお祭りの賑わいに誘われて増えつつあるに違いない。そして時刻は間もなく、人類が元の地へと帰還する時を迎えようとしていた。
宴もたけなわとなりつつあるこの一世一代の舞台で、シガン☆しなは会場へ向かって大声で呼びかける。
「それじゃあ、皆、次の曲は新曲なんだぜ!!」
「人類がこの日を迎えられたのは、僕らの手を取ってくれた人魚達が居たおかげだ! そのお礼も込めたのがこの曲だよ!!」
「壁の向こうに居る皆にも聞こえるように、全員で一緒に歌いましょう!!」
大歓声が会場を包み込み、スピーカーから音楽班が奏でるアップテンポで特徴的でとても楽しげな音楽が流れ出す。
☆ ☆ ☆
それは大きな箱舟であった。
波間に漂うその箱舟には、二百数名の壁内人が乗っていた。
壁内の人類が帰還するその日、残留を希望した人類は箱舟に乗り、こうして新天地を目指しているのだ。
「まさか、こんなに多くの人間さんが残るとは思わんかったとね」
舟の上でくつろぐむろみさんの言うとおり、当初の予定ではここまで人が残るとは思っていなかった。何故なら王政府の出したこの地に残る条件は『自力での残留』だったのだから。
「まぁ、それもこれもワイの人望って奴やな!!」
隣に座る淡路さんが腕組みをして清々しく笑った。残留を選んだ人間の多くは家を無くしたトロスト区の住民で、姐御肌の淡路さんを慕ってこの地に留まることを決意したのだ。しかし当初それぞれが作成したイカダではあまりに頼りなく、見かねたワイズマンがイカダを合成して箱舟に作り替えたのだった。
「ンな事言ってー。淡路さん責任取れるん?」
「あったりまえやで!! 皆ウチの子分や。どっかの陸地についたらテキトーに漁のしかたでも教えたるわ!!」
「あ、淡路さん!! ウチらの事は!?」
「お前らにもきっちり訓練つけたるから覚悟しとけや!!」
怒鳴る淡路さんに、舟の近くを泳いでいた明石さんと鳴門さんは嬉しそうな顔をする。
「おねいたーん!! そろそろ時間やないかな?」
舟の横で泳ぐクジラに乗ったひいちゃんがむろみさんを呼ぶ。
「え、もう!?」
慌てて舟の上からもう一度、間もなくこの地から消えるであろう壁の方を見た。舟からは大分遠くなってきているが、それでもまだ海から突き出たあの壁は見えている。
海に突然やって来た、不思議な壁の国。
「考えてみれば、あっちゅーまやったなぁ……」
遠い目をして、淡路さんがぼやいた。
人類が人魚を慕っていたように、人魚もまた人類が消えたこの地に再び現れた人間を好ましく思っていたのだ。
「ねぇ、むろみ。何か聞こえてこない? 歌みたいなのが」
箱舟の中から、隅田さんが顔を覗かせる。
「マジで?」
むろみさん達が揃って壁の方へ耳を澄ませてみると、軽快な音楽が聞こえてきた。そして、楽しげな音楽に交じって人間たちの大きな歌声が聞こえてくるではないか。
むろみさんや淡路さん、ひいちゃん、隅田さん、人魚の皆の名前を呼びながら、俺はここだと何度も呼ぶ歌声が潮風に乗って聞こえてくる。
「変な歌やなぁ」
「でも、ええ歌たい! アタシは気に入った!」
そして、笑うむろみさんは貝の小物入れから猫耳型の気象抑制装置を取り出すと装着し、次いで淡路さんとひいちゃん、隅田さんに投げ渡す。
「そんじゃ、アタシ達もお返しに歌うとよ!!」
「マジでか!?」
「おねいたん、何歌うん?」
「そりゃもちろんエレン君ぴったりのあの力強い歌たい!」
「もしかしてあの歌!?」
「ちょ、ちょっと待ちぃや!! まだ心の準備が!!」
慌てる三人を差し置いて、笑顔のむろみさんは拳を振り上げて思いきり息を吸う。
「皆、行くとー!! いっせーのー!!」
あとがき。
ここまでお読みくださった皆様、今まで本当にありがとうございました。
これにてこのお話は完結です。
飽き性の自分がこのお話を完結させられた理由。それもこれもクロスさせた三つの原作が凄く面白い事に加えて、毎回皆さまがこの作品に感想を下さったおかげでございます。
色々と突っ込みどころや力不足で入れられなかった話も沢山あるのですが、書きたい部分は概ね書けたと思います。
今後の予定ですが、一応あと一話だけ蛇足的エピローグがありますが、本編はおしまいです。
重ねて申し上げますが、ここまでお読みいただき本当にありがとうございました!!