ライナー・ブラウンとベルトルト・フーバーは壁の上から海を見ていた。
体育座りで。
「…………」
「…………ねぇライナー」
「何だベルトルト」
「僕たちの故郷って、どっち側だと思う……?」
「さぁ……どっちだろうなぁ……」
本日も清々しい程の晴天だ。遠くに見張りの駐屯兵団が竿を片手に海に向かって糸を垂らしている姿をちらほら見かける。おそらく非番なのだろうが、中には大っぴらに昼寝をしている奴もいた。海のすぐ下には大量の巨人面魚が待ち構えているのだが、海に落ちなければどうということは無いらしい。何せ相手は陸での活動が出来ないのだから。
最近は人々と人魚たちとの交流が多くなったことも相まって、海から漁業資源の流入が多くなり食糧も増えた。かつては貴重品だった塩もようやく庶民の手に届くまでに至り、ここにきて人類の緊張感は百年の安寧を過ごしていた頃よりも確実に緩みまくっていた。
「……ねぇライナー」
「何だベルトルト」
「…………もし超大型巨人だったらこの海を泳いで行けると思う?」
「……多分、無理じゃねぇかな……」
見渡す限りに陸地は無い。人魚たちの話のよればイルカを駆って頑張れば二日くらいで小島が見えてくるそうだが、そこにたどり着く前に海へ出た人類は巨人面魚に飲まれているに違いない。
「……もしも今、超大型巨人が出てきて壁を破壊したらどうなるかな」
「あー、そしたら俺達は超大型巨人もろとも海の藻屑と消えるだろうな。ついでに鎧の巨人も」
ぼそっとベルトルトが呟くと、ライナーは気にした風も無く返す。
しばしの沈黙。
さざなみの音を聞きながら太陽の陽射しに炙られること数分。
「ねぇライナー……」
「何だベルトルト」
「暇だね」
「あぁ。クソみたいに暇だ。釣竿でも持ってくりゃ良かったな」
「何してんのよ。アンタら」
ゴロンと寝転がったライナーの真上にアニが現れた。
「あ、アニ。どうしたの?」
振り返ったベルトルトが聞くと、釣竿とバケツを担いだアニはあからさまにため息をついた。
「どうしたもこうしたも無いよ。あんまり暇すぎて魚でも釣ろうと思ってさ」
「そうなのか? 俺はてっきり調査兵団アイドル部隊の面接に行ったもんだと思ってたぞ」
「冗談よしてよ。私は憲兵団しか行く気はないよ」
「あはは。そういえば結局、憲兵団に行くのってアニとマルコしか行かないんだっけ?」
ベルトルトの問いかけが気に入らないのか、アニは不機嫌そうにふんと息をつく。それを見て、ライナーは笑った。
「そりゃそうだろうな。駐屯兵団は海水と塩の採集権利で、調査兵団はアイドル部隊新設と人魚との交易、漁業開拓でかなり潤っている。壁外調査は前みたいに全体出立が物理的に出来ねぇから、新兵はまず外に出されん。調査兵団イコール即死にならなくなった現状、わざわざエリート意識ばっかり高い内地に行くメリットは少ないからな」
「そういえば、ジャンもやっぱり調査兵団行くって言ってたね。ミカサ目当てで。プロデュースや広報に一枚噛んで壁内で大成してやるって意気込んでたよ」
「ミカサといえばさ、あいつがみかりんなんてよく言えたもんだよ。あんな凶悪な目つきでアイドルなんて普通ありえないね」
「でも、内地では凄い人気みたいだよね。この前写真を見たけど、僕としてはエレンがよく一緒にやったなぁって思ったよ。この前食堂でえれえれって呼んだら物凄く睨まれたけど」
「まぁ、でもやっぱり一番可愛いのはうさミンだろうな。俺がプロデューサーならクリスタと組ませてユニット『天界組』を作る所だ。天使のアルミンと女神クリスタなら相性抜群だろうな。間に挟まれてぇ……」
『ライナー気持ち悪い』
鼻の下を伸ばしてニヤニヤするライナーを見て、二人が同時に突っ込んだ。
☆ ☆ ☆
アニが釣針にエサを付けて海に放った。糸は放物線を描き、ぽちゃりと着水する。
「……でも現状、本当にみんな緩みまくりだよね」
ベルトルトがぼやいた。
「うん。私もそう思う。……そういえば私、この前キース教官が空を飛んでるのを見たよ」
「何で!?」
「俺はこの前教官が目じり下げてすっげぇ猫なで声出してるの見た」
「マジで!?」
「僕も教官が小さい女の子をたまに連れてるのは知ってたけど……」
「知ってる。あれ、孫だって話だけど、そもそも教官って結婚してたっけ? っていうか、あれ人間なのか? 何か鳥っぽくなかったか?」
「ちょっとまって、魚がかかった」
キース教官が連れていた謎の鳥幼女の話に盛り上がりかけたところで、アニの竿が海中に引っ張られた。物凄い大物でもかかっているのか、今にも折れそうなほど竿がしなるのをアニが両手で掴んで耐える。
「すげぇ大物じゃねぇ!? 俺に貸して見ろ!」
「やだね!」
「アニ。僕が後ろから支えるから頑張って!!」
「イソメうまかっちゃん!!」
ベルトルトに支えられたアニが全力で引っ張り上げると、ザバァっと海面から飛び出てきたのは下半身魚の少女ことむろみさんだった。
「あれ? エレン君たちじゃなかと?」
壁の上に着地したむろみさんが見慣れない三人組を見回すと、アニはあからさまにがっかりした表情を浮かべた。
「なんだ。ただのむろみさんか」
「ガァン!! 何かアニちゃん冷たなかと?」
「まぁまぁ。むろみさん、エレン達に用だったの?」
涙目のむろみさんにベルトルトが慰めるように聞くと、むろみさんは首を振る。
「いんや。いつもの場所だったけん。てっきりエレン君達かと思っただけたい」
「エレン達なら最近ずっと歌の練習してるみたいだぞ」
「そうなん? 最近エレン君たちモテモテみたいっちゃねぇ。この前も兵士さん達が話しとったと」
「ちょっと。用が無いならどっか行ってよね」
再び釣竿にエサを取り付けているアニが少しキツい口調で言うと、むろみさんは眉根を寄せてライナーとベルトルトにこそこそ聞く。
「何かアニちゃん今日機嫌悪かと?」
「まぁ、ちょっとね。アニってあれでも乙女だからミカサ達がちょっとだけ羨ましいんだよ」
「ああ。憲兵団にもアイドル部隊が出来ればいいのにってこの前ぼやいてたくらいだしな」
「聞こえてるよ!! 誰が誰を羨ましいって!?」
怒鳴りつけるアニに、むろみさんは楽しそうに寄りかかる。猛禽類のような目で思いきりアニに睨みつけられるが、そんなことを気にするようなむろみさんでは無かった。
「なんねアニちゃん。そげなアイドルなりたかったら今日のアイドル部隊の面接行けば良かったんに」
むろみさんはマイクを持ったみかりんが真ん中に写ったポスターをどこからか取り出した。目が合った瞬間殺されそうに力強い眼差しに、がっしりとした筋肉に包まれた肉体。しかし纏った衣装はピンクのひらひらスカート。ダンスのキレもすさまじく、歌唱力も三人中で断然トップ。そんなアンバランスさがウケている原因らしい。
そんなみかりんの下に書かれているのはこんな募集要項だった。
君もアイドル部隊に入らないか!! 歌って踊って戦える。究極の実戦アイドル兵士大募集。未経験者歓迎。待遇応相談。
――面接は○月×日。調査兵団宿舎――
「ほれほれぇ、アニちゃんならみかりんば超える腹筋系アイドルになれるんとちゃ――」
ポスターをフリフリと振った瞬間、むろみさんの体が空中を舞った。
「どげふ!!」
アニお得意の足技を食らったむろみさんは、円を描くように見事にひっくり返った。
「アニ!! ダメじゃないか」
「うるさいね。私は最初から憲兵団に行く予定だったんだよ!! アイドル部隊なんて私には関係無いね!!」
「そんなこと言ってお前三日くらいずっとポスター見て悩んでたじゃねぇドゲフッ!!」
ライナーの巨体が中に舞った。
「あんまりふざけた事抜かしてると三人ともただじゃ済まない!! 大体ね、この状況下でよくアイドルだのプロデュースだの頭の緩んだこと言ってられると思ってあ痛っ!!」
肩を怒らせて怒鳴るアニの頭に何かが物凄い勢いでぶつけられた。振り返るといつの間にか復活したむろみさんが、海から拾ってきた大量のイトマキヒトデを両手に振り上げていた。
「必殺、海星手裏剣!!」
ビスビスビスビス!!
「イタイタイタ!! 何すんのよ!!」
「水母大激突(クラゲストライク)!!」
「くっ、ベルトルトガード!!」
ぺっちゃぁ!!
「な、何すんのアニって痛い痛い痛い!!」
顔面に水クラゲをモロにぶつけられたベルトルトが悶絶する中で、二人の怒れる女は対峙した。
「ふっ、己の為なら仲間すら犠牲にする、なんつー恐ろしい女っちゃ。まるで鳥のよう。そう、流石ワシ鼻なだけあると!!」
「なっ、ワシ鼻は関係ないでしょ!?」
ビシィっとむろみさんが指さすと、ばっ、とアニが鼻を両手で押さえた。顔を真っ赤にしている辺り、どうやら気にしているらしい。
「関係ないと言うならば、アタシを倒して己の正当性を力で証明するがよか!!」
「言ったな。あまり人間をナメない方が良いよ。この魚類!!」
荒ぶる鷹のポーズを決めたむろみさんに、アニは正面から挑んでいった。エレンやベルトルトやライナーを軽くすっ転ばせる華麗な足技が今、むろみさんに襲いかかる。
しかし、むろみさんとて黙ってはいない。川端君やヒグマを倒したその野生の実力でもって俊足のアニを迎え撃つ覚悟を見せた。
今、二人の背後に見えるのは二頭の獣だった。怒れる猫と怒れるアロワナの対決が今始まろうとしている。
「おいおいお前らいい加減に止めろよ。アニも海に落ちたらどうするんだ?」
「そうだよ二人とも。女の子が喧嘩するモンじゃないよ」
ようやく復活したベルトルトとライナーが喧嘩をする二人を止めよう間に割り込むと、取っ組み合いの最中だった二人は同時に怒鳴りつけた。
『邪魔!!』
ライナーとベルトルトが同時に宙を舞った。
☆ ☆ ☆
真っ赤な夕焼けが空を覆う頃、駐屯兵団の見張りが昼勤務から夜勤の当番へと変わり始めていた。
遠くからおつかれさんとか、お先になどの挨拶が聞こえる中で、ひとしきり喧嘩をして傷だらけになったアニとむろみさんは大の字になって壁の上に倒れこんでいた。
「ふっ、なかなかやるっちゃね。こんなに傷だらけになったのはカモメの集団に啄まれた時以来たい」
「あんたこそやるね。こんなに全力出したの、ミカサとの対人格闘以来だよ」
いい笑顔を浮かべた二人はのそりと起き上ると、お互いの拳を突き合わせた。
まるで良きライバルに出会ったかのような二人の横では、ライナーとベルトルトが仲良く尻を天に向けて転がっていた。
「ねぇ、ライナー」
「何だベルトルト」
ベルトルトが一番星が輝き始めた空を見つめながら聞く。
「僕たち、いつ故郷に帰れるんだろう」
「……さぁな」
人類は今日も壁の中。