玉野さんのいる部屋へ向かう途中、自動販売機を見つけた。
思えば昼からほとんど水分を取っていない。
ジュースでも飲もうか。
ふところを探ろうとして自分が入院着を着ていることに思い当たる。
財布は制服のポケットだ。
「めんどくさいな。個室まで戻らないと」
「小銭でよければ持ち合わせがあるが?」
「え」
振り向いた先には全身白スーツでオールバックのおっさんがいた。
どうみてもカタギには見えない。
「それにしても、君は柔順だな、クロキトモコ君。律義に金を使う必要などなかろうに、こうやって……」
男は黙って、拳を自販機の中へ突っ込んでいく。
ミシリ、と音を立てて自販機が「く」の字に陥没した。
白スーツはそのまま腕を引き抜く。腕には一本の缶ジュース。
それを私に投げてよこす。
男は言った。
「盲目的に秩序に従うな。君には己が欲望に殉じる権利と義務がある」
「な、な、なにを言って……」
「UGNは間違っている。そして君も、誤った方へ向かおうとしている」
恐ろしい。けど、男の言葉を聞き流せない。
どこかで感じているのだ。
「世界に正義はない。あるとすればただ一つ。自分自身の信念だけ。だが、この世界には正義を掲げ自由を束縛するものたちがいる。
たとえるならば平和をうたう軍事大国。あるいは清廉を自負する政治家。だが、君はそれを馬鹿正直に信じるかね?」
やめてくれ。ようやく落ち着いた私の精神を、これ以上揺らさないでくれ。
「黒木君。単刀直入に言おう。UGNには入ってはいけない」
「え、な、どうして……」
頬の引きつりがひどく、言葉が出ない。
彼の言葉を止めないといけない。
なのに話の続きを催促してしまう。
ようやくおちついた心のよりどころを失っては私は本当に怪物と化してしまうのに。
「間違っているからだよ。UGNという組織の在り方が」
「で、で、でもた、た、玉野さんが、いいいい、いってた、んだ。です」
「UGNは、日常を守る。それとも、君を守る、かね?」
「!!」
図星だった。勝ち誇った様な眼鏡男。
「言っただろう。連中の言葉は建前だ。本音は『臭いものにふた』だよ。奴らは我々「オーヴァード」を架空の存在して扱う気なんだ。
仮に君がこの病院を出たとしてその後はずっと彼らに監視された生活を送ることになるだろう。」
「そ、そんな、でも、……」
「力を奮うことを認められているのはUGNのエージェントや協力者だけだ。『治安の維持』や『平和のため』という大層なお題目をつけてね」
「で、でも……でも……」
「君は本当にいいのかね? それだけの力を得て、それだけの才能を持って、ただ流されて生きていくのか?」
「こ、この力には、だだだ代償があるって……」
「支払えばいい。訓練さえ積めば人間としての理性を残したまま歩んで行ける。我々、FHには人間のまま欲望《ユメ》を叶えたいと願うものも大勢いる」
「で、でも……」
白スーツの悪魔は私の意見を遮った。
「わかった。ならばこう言おう。」
――UGNの創始者は今、FHの指導者なのだ。
「なっ……」
「くろきさ……っ」
今、一番会いたくない人にあってしまった。
私が数分前まで最も憧憬を抱いていた人物。
「ふん、久しぶりだな。シルクスパイダー、玉野椿」
「《悪魔》、春日恭二 あなた黒木さんに何を……」
「た、た、玉野さん……ほ、本当なんですか?……UGNのリーダーが、今は、ふぁ、FHにいるのは?」
「……そう、ディアボロス。あなた、彼女にこれを吹き込むためにわざわざ」
「知らないのもよくないと思ってな」
「黒木さん、確かに今、FHの総帥を務めているのはUGNの元リーダーよ。でも、」
でも、なんてセリフは聞きたくなかった。
春日……さんの言うことが真実だとわかった。
それで十分だ。
「ぁぁぁぁあああああああ!!」
抑えられていた力。
本当は使いたかった力を解放する。
脳天からつま先へ力が走り、あっというまに金属球が群れをなす。
球達の単眼が開き、玉野さんと春日さんを見据える。
「黒木さん!!」
「ま、まて。私を巻き込む気か!?」
「う、うごかないで……!!」
単眼は二人を見据えたまま私は逃げ道を作る。
四つの球を支点にしてつくる長方形。
そこに私は飛びこんだ。
ふかいふかい、闇の中へ。
「な、ディメンションゲートか!?」
「黒木さん、だめよ!! このままじゃ貴方は……」
一瞬、轟音と閃光が入り込んだ。
球体たちが何かをしたのか。
今となっては分からない。
私はただただ堕ちてゆく。
行く先もわからないままに