険しい山の奥の奥。
生い茂った森を越え、厳しい崖を越えた先に村があった。
藁の屋根を被る木製の家々。
すぐ傍には断崖絶壁の崖があるが、柵のようなものはない。
日の光が存分に当たるように造られた畑と、山に生い茂る草花を餌とする家畜がその村の糧だ。
平野の人里からは遠く離れたまさに秘境。
だがその村に住む住人達は、今日も日々の生活を笑顔で謳歌している。
厳しい環境ではあるが、そこには幸せがあった。
そして、太陽が真上に差し掛かる頃、村唯一の娯楽場――酒場で陽気な笑い声が響いていた。
「ガハハ!だからよぉ、俺は言ってやったのよ。お前の好みはスライムにも劣るってなぁ!」
「そりゃねぇぜガッツ!ハハハ!」
村の端に位置する酒場。
小さいながらも、村の果実から造られた果実酒がずらりと並んでいる。
そんな酒場の中央で、昼間から酒を飲んでいる男達がいた。
村での仕事を終えた男衆が、疲れを酒で癒そうと酒場に集ったのだろうか。
皆、農作業や家畜の世話で汗を流し服を汚してた。
その男衆の中で一際目立つ大男が集団の中心にいる。
逆立った青い髪と同じ色の無精髭。
膨れ上がった筋肉の鎧。
農家というにはあまりに鍛えられたその肉体は、一目見て闘うためのものだとわかる。
「ガッツ、杯が乾いちまってるぜ」
「おぉ!悪いな!ンンッ……カッー!旨いねぇ!これのために生きてるってもんよ!」
注がれた酒を一気に飲み干すガッツと呼ばれた大男。
村人達の黒髪や茶髪の中で、一際目立つ青髪の男。
彼はこの村の男衆の中心人物であった。
険しい崖の上にある村は、正面の入り口を除き周りを崖に囲まれている。
そのため魔物達も侵入しづらい構造ではあるが、魔物の被害はゼロではない。
時折、正面の入り口から迷い込むように魔物がくることがある。
その際に迎え撃つのが、この村唯一の戦士ガッツなのだ。
たった一人で村に這い寄る脅威を駆逐する。
村が今日も平穏なのは彼に拠るところが大きいことは村人も理解しており、彼には感謝と尊敬の念を持っている。
「そら、もう一杯!」
「おっとっと。悪いねぇ。ガハハハ!」
今の姿はただの酔っ払いでしかないが。
ガッツと村の男達は酒を注いでは飲み注いでは飲み干す。
女衆がその姿を見れば、働け宿六共と怒鳴ったであろうが、この場には幸か不幸か男しかいない。
「おとうさん!」
そんな暑苦しくも笑いの絶えない酒場に、男達とは異なる可憐な声が響き渡った。
その声は酒場の入り口から店全体を突き抜けるように渡る。
幼さを宿す可愛い声。
その声を聴いた男達は、にやにやと笑った。
「ガッツ。ほら、来たよ」
「お、俺はいねぇ。どこにもいねぇ」
一名を除いて。
「おとーーーさぁーーーん!」
呼び声に答えがなかったからか、入り口からもう一度叫び声が響いた。
「おう、ターニアちゃん!ガッツならこっちにいるよ!」
「あ、てめぇ!待てこら!」
こそこそと隠れるガッツを指差し、ここにいると男達の一人が答える。
その答えを聞いて、入り口で叫んでいた存在が酒場へと入ってきた。
店に並ぶ丸テーブルよりも低い身長。
年齢は5歳前後だろうか。
だが足取りは真っ直ぐに迷いもなく、酒場を歩く姿は堂々としている。
青く長い髪が歩くたびにふわふわと踊り、大股にずんずんと進む姿を周りは微笑ましく見守った。
そして、店の奥、ガッツのすぐ傍で立ち止まり、腰に両手をあてガッツを見上げる。
とても可愛らしい顔立ちを、私怒ってます、と言わんばかりに目を吊り上げて同じ青髪の男を睨みつけた。
「おとうさん!またおひるからおさけのんで!」
「い、いや。ほら、これはお酒じゃなくてな。その、あれだ。お仕事を終えたお疲れの合図といいますか」
「いいわけしない!」
「はいごめんなさい!」
幼子に一喝される大男。
娘ターニアが、父ガッツを叱り付ける。
周りの男衆はその姿をにやにやと見守り酒の肴にしている。
「だいたいおとうさんまだおしごとしてないじゃない!」
「それは、あれだ。これから頑張ろうって心意気をだな……」
「いいわけしない!」
「はいごめんなさい!」
幼子に平謝りする戦士。
その姿は大いに笑いを誘い、仕事に疲れた男衆に癒しを与えた。
「おいこら、お前等。何笑って――」
「きいてるの!?」
「はい聞いてます!」
普段は大剣を担ぎ、村の周囲の魔物を屠る屈強な戦士が、このときばかりはうだつの上がらないダメ親父になる。
毎日のように繰り広げられるダメ親父としっかり者の娘。
その光景が村の名物となったのは何時からだったであろうか。
大きくなったよなぁ、と今も続くお説教を見守っている男衆は感慨深く酒を飲んでいる。
「きょうは村長さんがおひるにきてねってやくそくしてたでしょ!」
「はいそうです!」
「じゃあかけあし!」
「了解です!」
少女が大事な約束のことを伝え、店の外へ向って駆け出す。
その後を父が娘を追い越さないようにゆっくりと走り出した。
少女は村長の家に行くことに集中しているのか、真剣な顔で走っている。
その後ろをゆっくりと走る父は、店を出る間際に共に飲んでいた友人達に目で訴えた。
――俺の分の酒とっといてくれ。
――約束……できねぇ。
――おい、こら待て。
――大丈夫さガッツ。
――お、さすがだぜ。
――アンタの分も俺達がきっちり飲んでおくから!
――ふざけろお前等ぁ!
昼間から飲むダメ親父共の絆は、このやり取りを目線で行えるほどに深かった。
「村長さん、おとうさんつれてきたよ!」
「おぉ、ありがとうターニアちゃん。これはお礼じゃ」
「わぁ、きいちごだ!ありがとう!」
村の中で一際大きく立派な建物、村長宅の玄関先で少女は老人から木苺を受け取った。
受け取った木苺を口に含みもごもごと味わっている様子を見守る老人の表情は、優しさに満ちた好々爺だった。
そして父は娘の可愛らしい様子に後ろで身悶えている。
「んぐんぐ……おいしかった~。おとうさん、村長さんのおはなしちゃんときくのよ!」
「はい!」
くるりと後ろを振り返った娘に、身悶えていた姿を一瞬で直立不動に変えしっかりと返事を返す。
だらしない姿は一応隠しているのだろうが、叱られている時点で意味がない……と村長は口に出さず思っている。
「ふむ。それじゃあわし等は仕事の話があるでの」
「あぁ。ターニアは先に家に戻っていてくれ」
「……うん。はやくかえってきてね」
「おう。すぐ帰るから留守番よろしくな」
「うん!」
父に元気よく返事をし少女が走り出す。
その姿が見えなくなるまで軒先で見送り、ガッツと村長は家へと入った。
「さて、さっそくで悪いが今年の精霊祭のことなんじゃが」
「あぁ。民芸細工の売出と冠の受け取りな」
この崖の上にある村では年に一度、祭がある。
精霊祭と呼ばれる祭は、自然の幸と日々の安然への感謝を山の精霊に奉るという祭だ。
この祭では、日々勤労な村人達も仕事を忘れ料理に酒に愉しむ。
そして、この祭の時にはいくつかの重要な仕事がある。
それは外貨の獲得と祭事の道具の用意だ。
この村はほぼ村のみで完結している閉鎖的な村ではあるが、完全に孤立しているわけではない。
山を降りた平野にある町との付き合いはもちろんあるし、交易もいくらか行っている。
完全に村だけで完結しているのであれば交易は必要ないが、山から得られるものだけでは生活を続けることができないのが現状である。
他の町から買い付けなければならない物が多々あるのだ。
例えば、農具に使われている鉄。
この村にも鍛冶屋はいるが、肝心の鍛冶材料が取れない。
農具を作るためには材料を他の町から買い付ける必要があるのだ。
そして、その材料を買うための貨幣を精霊祭が行われる前日に得る。
それが重要な仕事の一つだ。
「うむ。今年の民芸品はそこに置いてある分じゃな」
「あいよ。任せてくれ」
外貨を得るために村が売り出しているのは、この村で造られる民芸品だ。
これらの品は、村の職人が作り上げた一点物で、細かい造りや装飾が他の町で人気がある。
売りに出せば必ず売れる、それなりに価値のある品であった。
この民芸品を定期的に売れば村も潤ったであろうが、村はそれをしない。
なぜならば、他の町で民芸品と呼ばれるこれらは元々は精霊祭で奉納される祭具だからだ。
年に一度だけ造られ、必要以上には造らない。
それが村のしきたりであるため、民芸品を売り出すことも年に一度だけなのだ。
「すまんのぉ。おぬし一人に山降りをさせてしもうて」
「なぁに。それが俺の仕事だ」
村長が頭を下げるが、ガッツはやめてくれと笑いながら手を振った。
民芸品を売るためには当然山を降り、町へ行かなければならない。
魔物が闊歩する山を、降りなければいけないのだ。
かつて、この民芸品の売り出しは村の男衆が10人ほどで行っていた。
基本的には魔物も弱く、男衆は日々の農作業で鍛えられているので問題は無い。
しかし、絶対ではない。
大怪我をして帰ってくることもあれば、10人が数人になることもあった。
魔物がいる山を降り、平野を越えることは危険が付きまとうのだ。
だが、今はガッツが一人でそれをこなしている。
「おぬしが来て、何年になるかのぉ」
「さてな。忘れちまったさ」
ガッツはこの村の生まれではない。
十年ほど前、魔物がいる山を越え、ふらりと村に現れたのだ。
そして、なにを思ったのか若き戦士は村に住み着いた。
村に住み着きだしたころは、ガッツは中々村人に受け入れられなかった。
ただでさえ閉鎖的な村に、戦士などという荒くれが現れたのだ。
村人はガッツを警戒し静かに排斥していた。
ただ一人、ガッツの妻となった女性を除いて。
その女性はガッツを恐れなかった。むしろ興味があるといわんばかりに彼に近づいていった。
村人達の忠告も聞かず、毎日ガッツと話をするために近づいた。
そして、ガッツが話せば面白い人物であることや、魔物から守ってくれていることを村人へ伝える。
少しずつ村に受け入れられていき、いつしかガッツは村の娘に恋慕し、彼女もまたガッツを愛し結婚した。
ガッツは本当の村人となったのだ。
「……ターニアちゃんは大きくなったのぉ」
「おう、もう六つだ。自慢の可愛い娘さ」
村長が少し言いづらそうに言った言葉にガッツは嬉しそうに答えた。
「のぉ、ガッツ。ターニアちゃんには母親が必要だとは思わんか」
「思うさ。だけどな、村長。俺は一人の女しか愛せねぇ。そういう奴なんだ。そんなところに嫁がせたら可哀想だろ?」
「……そうか」
村長が言った、母親が必要という言葉。
それは、今ターニアには母親がいないという意味。
二年ほど前、ターニアの母、ガッツの妻はこの世を去った。
病に倒れた妻を治すため、夫は山を降り薬を求めた。
彼が手に入れた薬を持って帰りついたのは、娘が冷たくなった母にすがり付いて泣いている場面だった。
それから二年。
もう二年なのかまだ二年なのか、ガッツにはわからない。
娘は父をよく叱るほどにしっかりしてきた。
父はそんな娘に笑いながら謝る場面が増えた。
失ったものは大きいが、今の幸せを見失うわけにはいかないと、ガッツは常に想っている。
「うむ、すまんな。老人のたわ言じゃ」
「おう。耄碌してきたな村長。そろそろ代替か?」
「やかましいわい!あと十年は現役じゃ!」
「ガハハハ!よし、そんで冠のほうは話はついてるのかい?」
「うむ。売出の時に渡してくれるそうじゃ」
精霊祭の重要なもう一つの仕事。
それは巫女の冠を職人から受け取ることだ。
精霊祭には村娘から巫女を選び冠を被せる。
その冠は村の職人ではなく、外の町の職人が作る慣わしである。
その理由を知る者はいない。
ただ、古くからの慣わしであるため今もそれ守っているのだ。
「あいよ、それじゃあ明日にでも出るわ」
「うむ。頼んだぞ」
「あぁ……村長、俺からも話があるんだが」
村長からの仕事の話が終わり、今度はガッツから村長へと話を始める。
その時のガッツの顔は、先ほどまでのおどけたものではなく、歴戦の戦士のものであった。
「やはり、壁を作ったほうがいい」
「うぅむ……しかしのぉ。この村は精霊様のおかげで魔物の侵入も少ないしの」
「あぁ、俺だってわかってるさ。この村は不思議な力……精霊様の力で守られているってな。それでも、最近の魔物はやばい」
ガッツは最近村長に進言していた。
村の入り口に柵を――可能であれば壁を作ったほうがいいと。
今、村の入り口には柵も何もない。
そのまま山に生い茂る森に繋がっている。
「おぬしがそこまで言うほどなのか?」
「あぁ、強さ自体も上がって来ているが……そこは大したもんじゃねぇさ。ここの野郎共なら十分対処可能だ」
「ふむ、ならば壁はいらんのでは?」
村長は壁を作るべきだという進言に乗り気ではない。
あるがままに山と共に生きてきたこの村の住人では当然の感情であろう。
「いや、必要だ」
「ふむ?」
「奴等……統率が取れてきてやがる」
「なに?」
ガッツはこの村周辺の魔物を駆逐している。
それこそ、根絶やしにするが如く屠っている。
魔物、その存在は動物と違い脅威でしかない。
動物はよほどのことがなければ人を襲うことは無い。
彼等の生活区域を侵したときや、子を守るときくらいにしか敵対することはないだろう。
しかし、魔物は違う。
人であれば見境なく襲う。
それがどのような理由なのか誰も知らない。
魔物は人を襲うもの。
故にガッツは躊躇も容赦もなく魔物を駆逐しているのだ。
「この前のことなんだが……奴等、囮で俺をおびき出して俺を囲みやがった」
「なんと!?魔物がそのようなことを!?」
魔物は人を襲うが、それは本当に真っ直ぐ襲いかかってくるのだ。
本能がそうさせるように、愚直に人に突撃する。
そこに戦術も戦略もなく、人がそれに対抗するための術は多くあった。
だが、その愚直な魔物が理性的に攻めてくるとどうなるか。
それは、人の持つ戦術の優位性を魔物も持つようになるということだ。
「うぅむ。魔物が、のぅ……」
「村長、頼む。壁は必要だ」
村長はガッツの言葉に驚いているが、彼ほどの脅威を感じていない。
戦う者とそうでない者の差がそうさせるのだ。
村長はこの村の今までの暮らしから中々判断できない。
この村には精霊の加護があるという自負もある。
だが、壁を作るべきだと考えている部分もある。
ここ十年、村を守り続けているのは目の前にいる男だからだ。
そして、熟考し答えを出した。
「……うむ。あいわかった。祭が終わったら皆に話をつけよう」
「おう!ありがとうよ!」
「なに、村を守るのはわしの仕事でもあるからの」
目の前にいる男を信じたのだ。
今まで村のために血を流してくれた男の言葉を受け入れるべきだと判断した。
村長もまた、村を守ってきた男だったゆえに。
「……ところで、魔物に囲まれてよく無事じゃったの」
「ガハハハ!あの程度の雑魚、五月雨斬りで一瞬よ!」
「おぬしも大概非常識じゃのぉ」
翌朝、村の入り口には人だかりができていた。
村人全員が集まったと言っても過言ではないほどに、閑散とした村には珍しく混雑している。
その人だかりの中心は青い髪を持つ親子だった。
「おとうさん、ちゃんとおかねもった?やくそうは?」
「おう、ちゃんと持ったぞー」
「わすれものは?ぜんぶもった?」
「おう、ちゃんと持ったぞー」
幼い娘が何度も何度も父に忘れ物はないかと確認する。
その様子を村人達は微笑ましく眺めていた。
「えっとえっと、やくそうは?」
娘はよほど父が心配なのか、何度か同じ質問を繰り返している。
「ガハハハ!いざとなったら回復呪文があるから大丈夫よ!」
「むー!そのゆだんがいのちとりー!はい、やくそう!」
「お、おう」
娘を安心させようと言った言葉は即座に反論され、追加の薬草を持たされた父。
周囲は微笑ましく眺めるから、必死に笑いを堪えるようになっていた。
何時までも終わりそうのないやりとり。
それを止めるかのように、集団の中から一人の男がガッツへと近寄る。
「ほら、ガッツ。剣砥いでおいたぜ」
「おう、ありがとうよ」
近寄ってきた男は、村唯一の鍛冶屋だった。
鍛冶屋が両手で担いでいた大剣を手渡され、ガッツはそれを鞘から抜き刀身をしげしげと眺める。
「大分腕あげたなぁ。もうちょいしたら鎧も任せるかねぇ」
「無茶言うな。俺はそもそも農具専門だっつーの。テメェに言われるまで武具なんざ扱ったことすらなかったのによ」
「ガハハハ!そう言うな、頼りにしてるぜ」
受け取った大剣を鞘へ納め、鞘に備え付けられたベルトを肩に通し背負う。
今のガッツは昨日までの布の服ではなく、鉄の鎧に鋼の剣を背負った戦士の姿だった。
「んじゃ、そろそろ行くわ。ターニア、いい子にして待ってるんだぞ」
「うん……」
娘の頭を一撫でし、父は村の女衆へと軽く頭を下げた。
「ターニアちゃんのことはあたしらに任せな。お勤め頼んだよ」
「おう、任せろ。ターニアのことよろしく頼むぜ」
女衆の代表格が声をかけ、ガッツはそれに答える。
そして、女衆の後ろにいる男衆へとガッツは視線を投げかけた。
――打ち上げの準備よろしく。
――任された……「ぐはっ!?」
ガッツがいつものアイコンタクトで酒盛りの依頼をした瞬間、アイコンタクトに答えた男がその妻に殴られた。
「ガッツさんそろそろ出発でしょ?」
「お、おう」
殴った女性の笑顔の言葉にガッツは肯定しか返せない。
殴られた夫は仕事をサボるほどの酒好きだった。
その男と同じ穴の狢であるダメ親父達は一斉に目を逸らす。
妻達はその目線を逃していない。
「さ、さて、今年も頼んだぞ、ガッツ。わしらは精霊祭の準備を進めておくからの」
「あ、あいよ。そんじゃ、そろそろ行くわ」
ダメ親父共と恐妻達のやりとりを精一杯無視した村長の言葉に、ガッツは民芸品の入った大袋を担いでその光景から目を逸らした。
「んじゃ、行ってくるぜ」
「……いってらっしゃい。はやくかえってきてね」
「ガハハハ!そう言われたらパパ頑張っちゃうかねぇ!」
ターニアの不安そうな声に、笑い声を高らかにあげたガッツが走りだす。
「すぐに帰ってくるからなあぁぁぁぁぁ……」
叫びながら走る。
大人数人が分けて運ぶ大荷物だと感じさせない速度で駆けて行く。
村人達とターニアは、その姿が見えなくなるまで村の入り口で見送った。
広い平野に石壁で囲まれた町があった。
その町には多くの店と露天がずらりと並び活気を見せている。
多くの人が売り出される商品に何を買おうか考え、多くの商人が自分の店を売り込んでいた。
今、この町では年に数度のバザーが行われており、いろんな町々から商人が集まり、いろんな町々から買い物客が集まっていたのだ。
そんな活気溢れる商売の町に、一人の大男が通りの真ん中でうろうろしていた。
「民芸品の売却と冠の受け取りも終わったし、帰るかねぇ」
通りを歩き店の露天を覗き込みながらふらふらしているのは、仕事を終えたガッツだった。
「しっかし、あそこの兄弟は何時も売り上げで争ってるなぁ。飽きないのかね、商いだけに。ガハハハ!」
やることもやって後は帰るだけなのだが、ターニアへ何かお土産でも買おうかと町をぶらついていたのだ。
何かいい品はないかとあっちへふらふら、こっちへふらふらと町をぶらつく。
「お待ちなさい」
その背中を呼び止める声。
やや硬い声色。
だがそれに含まれた凛々しさが、声を発した存在の高貴さを物語っている。
そして、その声を聴いたガッツはとても嫌そうに後ろへ振り返った。
「やっと見つけましたわ、お兄様」
「……とりあず、どっか人目のつかねぇとこに行くぞ。レイドック王妃様よ」
買い物客が買い物疲れを癒そうと立ち寄る茶屋。
その奥では疲れを癒す、とは程遠い重い空気が漂っていた。
向かい合って座る青い髪の男女と、女性の後ろに直立不動で姿勢を正す金髪の男性。
男はものすごく面倒だと嫌な顔を隠さずに茶を飲んでいる。
女は男の一挙一動を見逃さないとばかりに睨んでいる。
そして、女性の後ろに立つ男性は緊張が止まらないのかやや引きつった顔で男女を見ている。
「……とりあえず、久しぶり」
「えぇ。本当に。本当にお久しぶりですね、お兄様」
まず声を掛けたのは男、ガッツだ。
それに対し女性はガッツを兄と呼んで答えた。
同じ青い髪の男女。
彼等は血を分けた兄妹だった。
「……んで、なんでこんなところにいるのよ王妃様」
「お兄様に良く似た大男が、ここ数年バザーで確認されているとの情報がありましたので」
王妃。
ガッツを兄と呼んだ女性はそれを当然のように受け入れる。
ガッツの妹である目の前の女性は十数年前に現レイドック王へ嫁いだのだ。
少なくともバザーに単独で来るような存在ではない。
だが、王妃と呼ばれた妹は、さも当然であるといわんばかりに兄の前にいた。
「……それで王妃様が直接来るってのはどうなんだ?しかも護衛一人かよ。なぁ、トム。そこんとこどうなんだ?」
「はっ!それは、その……」
トム、と呼ばれた男性が、いよいよ進退窮まったかのような表情になる。
それに対し、王妃は涼しい顔で答えた。
「問題ありません。兵士長が護衛ですもの」
「おぉ、お前兵士長になれたのかよ。そりゃめでてぇ!」
「はっ!ガッツ隊長のおかげをもちまして!」
トムが敬礼で答える。
その表情はさっきまでの情けないものとは異なり実に堂々とした自信溢れるものであった。
「隊長は止めろ。俺はもう辞めたんだぜ?今の兵士長はお前だろうが」
「はっ……」
今の兵士長に隊長と呼ばれたガッツ。
彼は十数年前までレイドック王国の軍に在籍しておりそのトップ、つまりは兵士長だったのだ。
「しかし、兵士長が護衛だからって一人で来たらまずいだろうが。つか止めろよ兵士長」
「はっ、それは、その……」
「問題ありません。私のほうが強いので」
「……お前、まだこいつに勝ててないのか……」
「はい……」
さきほどまでの堂々とした敬礼が、今にも崩れそうなほどに縮こまる。
その表情は今にも泣きそうなほどだ。
「まぁ、この国では私とお兄様を除けば間違いなくトムが最強ですから」
「フォローおせぇよ。つかフォローなのか。王妃様のほうが強いってどうなのよ」
王妃の口からでた言葉にトム兵士長の心に大ダメージ。
王妃様はその姿を気にも留めずお茶を飲んでいる。
「実は数年前からお兄様がここに現れているという情報があったのですが、中々お忍びが許されませんでしたので――とりあえず軍上層部を全員ボコボコにして一人でも大丈夫だと証明しました」
「ガッツ隊長、国を頼みます――」
「落ち着けトム!傷は浅い、しっかりしろ――!」
王妃の口撃。トム兵士長にかいしんのいちげき。
「そのようなことはどうでもいいのです。……お兄様」
「なんだよ」
兄へと向き直り、真剣な声を出す妹。
兄はその顔をみて心底嫌そうな声をだした。
「帰ってきてください。我が国へ」
「……」
かつて、レイドック王国の兵士長だったガッツ。
十数年前に出奔するまでは、彼こそが王国最強の戦士だった。
そもそもガッツの生まれた家は、レイドック王国に古くから仕える戦士の家系だったのだ。
その家柄に違わず、ガッツもその妹も戦士としての才能を発揮。
ガッツは兵士長として最強の名を欲しいがままにし、妹はその輝かしい強さと美しい佇まいから王の心を射止めた。
そんな活躍著しい兄妹だったが、十数年前、兄は全ての地位を捨てて旅に出た。
旅の理由も目的も言わず、ある日突然に王へ軍を辞去する願いを出し、必死に止める部下と妹を置いてその行方を眩ませたのだ。
「今更、何故などとは聞きません。ただ帰ってきて欲しいのです」
「……」
妹の真摯な言葉に、ガッツは頭をがりがりと掻きながら目線を逸らす。
「あー……俺が戻ったところでなぁ……何しろってのよ。兵士長は無しだぜ?若くて成長の余地がある前途有望な奴がそこにいるだろ」
それは静かな拒絶だった。
暗に戻りたくないと答えた。
「お兄様には剣術指南役をお願いします」
「……誰の?」
「私の子、レイドックの王子です。来年には八歳になりますので、剣の訓練が始まりますから」
「あー……」
妹の提案を聞き、兄はとても面倒だと小さく口ごもった。
彼にとってレイドック王国で成すべきことはもうない。
だが、今はもう旅人ではない身分からすると帰らない理由も無い。
彼が帰らなかった第一の要因である旅はもう終わっている。
彼が始めた旅の理由と目的は既に完遂しており、旅を続ける理由はもうない。
だからこそ、山の上の寒村に根を下ろしている。
「……やはり、聞きます。何故そうまでしてレイドックへ帰りたくないのですか。お兄様は何を求めて旅立ったのですか」
「帰りたくないっつーか……まぁ、いい。旅を始めた理由を話す。……親父の遺言だ」
「お父様の?」
ガッツ達の父。今は亡き彼等の父はかつて最強と呼ばれた男だ。
「おう。親父が残した言葉に従い旅に出た。俺は世界を見なければいけないってな」
「お父様が、そんなことを」
「あぁ。お前も知ってるだろ。親父も元々旅人だったことを」
彼等はレイドックに古くからある家系の生まれである。
そしてその血は、母方から受け継いだものだ。
彼等と同じ青い髪を持った父は、レイドックに辿り着きガッツ達の母となる女性に出会うまで流浪の旅人だった。
「親父が言うには、親父の血っつーのは世界を見る必要があるんだと」
「……初耳です」
「そりゃそうだろ。お前はお袋に似たからな。親父は俺にしか言わなかった。そして、俺自身も本能でそうするべきだと感じたから旅にでた」
ガッツが旅にでたきっかけは父の遺言だ。
だが、旅にでた本当の理由は彼の本能がそうさせたからだ。
彼自身も全ては理解していない。ただ、そうすべきだと感じた。そしてそうしたのは正しかったと今も思っている。
「ですが……もう、いいでしょう。十年以上旅をなさって、もう立ち止まってもいいのでは?お父様もお許しくださいます」
「あー……」
妹にとって初耳であった旅の理由だが、彼女にはやはり理解できなかった。
理解できないからこそ、父は妹に旅をしろとは言わなかったのだろうなと兄は思った。
「悪いが、戻れない」
「何故ですか!?」
妹は頷かない兄につい声を荒げた。
妹にとって、生まれてからずっと傍にいて共に剣を振るった兄の存在はとても大きい。
大人になってもそれは変わらず、むしろ旅に出てしまった兄を想う時間が増え、ますます存在が大きくなってしまった。
だからこそ、十数年ぶりの再会に彼女の心は嬉しさがあり、頷かない兄に対する苛立ちが沸いたのだ。
「あー……その、旅はもう止めた……んだけど……」
「でしたら――!」
「いや、その……俺も、所帯持ちだし、村の仕事もあるし……」
「――は?」
所帯持ち、その言葉を聞いた妹が呆気に取られた顔をする。
「お兄様、ご結婚されたので?」
「……おう」
「いつ?」
「あー……十年前?」
「旅に出てから数年後じゃないですか!……お子は?」
「……六歳の娘」
「何故黙っていたのですか――!」
「いや、だって、なぁ?」
「こちらに振らないでください」
「薄情だなトム!」
「旅の目的は嫁探しなどではないでしょうね!?」
「それは違う……よ、たぶん」
「たぶん!?」
「落ち着け!俺に子供がいたからってお前には関係ないだろうが!」
「関係ないとはなんですか――!」
「落ち着け!見られてる、周りから超見られてる!お忍びなんだろうが!?」
「……まぁ、帰らない理由は分かりました」
「お、おう。理解してくれてありがとうよ」
衝撃の事実が発覚して発露した興奮が嘘のように静かになった王妃。
ガッツはあまりの変わりようにむしろ恐れおののいている。
トムは下手に会話に加わるのは地雷だとわかっているので壁の花になりきっている。
「確かにご家庭があるのであれば、無理強いはできません」
「お、おう。そう言ってくれると助かるぜ」
「――ですが!」
「はい!」
「一度くらい帰郷してください――ご家族を連れて。盛大に歓迎いたしますから」
「――あいよ。親父とお袋の墓に報告にいくわ」
「えぇ。待っています。もう待つことに慣れましたから」
「最後にぐさりとくること言うな、お前」
太陽が最も高くなる頃、ガッツは山の麓に辿り着いていた。
「しかし、あんなところで再会するなんてなぁ……」
がりがりと頭を掻きながら昨日の出来事を反芻する。
結局あの後、積る話があるからと町に一泊することに……一泊させられた。
最初は余計なことをする金は無いと断ったが、妹は全て自分が払うと言い、半ば強引に兄を引き止めた。
その兄はタダ酒に釣られたのだから自業自得ではあるが。
ともあれ、一日を町で過したガッツは朝早くに村へ帰るために町を出た。
本来ならば町と村の間は片道一日半ほどかかるが、休むことなく走り続けることで昨日の時間の浪費を取り返すほどに村へと進めている。
「よっし、あともうちょいだな」
山を見上げ、村までの道を頭に描く。
ここまでくればゆっくり歩いて常人ならば半日ほど、ガッツならばその半分で村に帰りつける。
冠と貨幣、そしてターニアへのお土産が入った大袋を担ぎなおし、村への山道へ歩を進めた……進めようとした。
一歩を踏み出したその瞬間、ガッツの全身にぞわりと纏わりつくような違和感が襲った。
「――なんだ」
今までにない違和感。
意識せず乱れる呼吸。
全身が震えるほどの――恐怖。
「――!」
押し潰されるほどの圧迫感。
感じたプレッシャーは上空にある。
ガッツは戦士の勘から空を見上げた。
「……なんだ、あれは」
見上げた空に――太陽がない。
いつのまにかどす黒い雲が覆っている。
だが、その雲が大地を暗くすることはない。
円状に広がる雲の中央が怪しく紫に輝き山を照らしている。
「……」
呆然とその光景を眺めることしかできない。
その額からは冷や汗が流れているていることに本人は気づいていない。
「――チッ!」
大きな舌打ちと共に走り出す。
今も体は恐怖に震えるが、それを無視して無理やりに体を動かす。
嫌な予感がする。あの村に危険が迫っているような気がする。
あくまで勘によるものだったが彼が走るには十分な理由だった。
愛する我が子に万に一つも危険があって、その場にいなかったなどあってはならないと、ガッツは自身の出せる限界の速度で山を駆け上がった。
村の中央にある井戸。
そこで水汲みをする一人の女性と幼い少女。
妙齢の女性が水を汲み、壺に入れる。
少女はその壺に水がいっぱいになったら蓋をして、次に水を入れるための空の壺を転がしながら女性の傍に持ってきた。
「もういいかねぇ。ターニアちゃん。もう空の壺はいいよ」
「うん」
水汲みを手伝っていた少女、ターニアが元気に返事をする。
「おばさん、おとうさんまだかな」
「そろそろ帰ってくるんじゃないかねぇ」
「うん!」
嬉しそうに笑う少女に釣られて女性も笑顔になる。
ガッツが旅出て一日たったあたりからターニアは、まだかまだかとそわそわし始めた。
村人達はその様子を微笑ましく見守りながら仕事をしていた。
「ターニア!」
「なぁに、ランド」
水汲みの仕事を終えて暇になったターニアに声がかかる。
近寄って来たのターニアと同じ年齢ぐらいの少年だった。
「しごとおわったんだろ?あそびにいこうぜ!」
「……んー」
ランド少年は仕事が終わった少女を待っていたのか、遊びに行こうと急かす。
それに対し、ターニアはあまり乗り気ではないようだ。
「おとうさんがかえってくるかもしれないから、や!」
「えー!いいじゃんか!あそぼうぜ!」
断るターニアに尚も詰め寄る少年。
その少年の背後から恐るべき魔の手が忍び寄る。
「なーいこうぜ――いたっ!?」
「こらランド。仕事も手伝わない子がなに言ってるんだい!」
「いたいよかーちゃん!」
少年の頭に拳骨を与えた彼の母。
その女性は先ほどまでターニアと共に水汲みをしていた女性だった。
少年に対するお説教が始まり、少年は涙目になりながらそれを受ける。
ターニアはそっとその場から抜け出して、村の入り口へと向った。
「んー。まだかな、まだかな」
入り口近くの大きな石に座り父を待つ。
石の上でぶらぶらと足を揺らしながら父の姿を待っていた。
「あれ?」
少女が『それ』に気づいたのは、急に暗くなった周りと冷たくなった空気がきっかけだった。
「……ぁ」
空を見上げて、声を失う。
村の真上にある黒い雲。
円状に渦巻き中心には紫電が走っている。
少女はその異様な光景に言葉を発することも出来ずただ呆然と見上げることしか出来なかった。
少女は空の異常に嫌な予感を感じる。
そして、石の上から降り立ち自身の家へと走り出した。
「……!」
無言で村の中を駈ける。
少女は空に広がる黒雲に恐怖を感じた。
だから、父がいつも言いつけていた『何かあったら家に隠れること』を守るために家へと向ったのだ。
「ありゃ、ターニアちゃん」
「おばさん!」
家路の途中で先ほどまで手伝いをしていた女性、ランドの母に呼び止められた。
先ほどまで説教を受けていた彼女の息子、ランド少年の姿はない。
「そんなに急いで、どうしたんだい?」
優しく問いかけてくる女性。
彼女は空の様子に気づいていないのか先ほどまでとまるで態度が変わっていない。
「おばさん!空!空が!」
「うん?空?」
必死にターニアが空の異常を訴えるが、女性は黒雲にも紫電にも気づいていない――『見えていない』ようだ。
「はやくかくれないと!」
「どうしたんだい、ターニアちゃん」
少女のあまりに怯える様子にさすがに異変を感じ取ったのか、女性は腰を下ろしターニアへと目線を合わせターニアの言葉を聞こうとする。
そのときだった。
閃光が走り村を光が埋め尽くす。
一瞬の無音。
その後、爆発音。
「きゃあぁぁぁぁぁぁぁ!」
その声はターニアのものか、女性のものか、あるいは両方か。
光が収まった後に彼女らの目に映ったのは燃え盛る家の姿。
「なんだってんだい!」
女性が燃え盛る家に驚きながらも立ち上がる。
ターニアはあまりの爆発音の大きさに耳を塞ぎ地面に倒れこんでいる。
「火だ!水をもってこい!」
「雷か!?ちくしょう、燃え移るぞ!」
村人達が燃える家の周囲へと集まってくる。
男衆は水瓶を手に持ち消火作業を行おうとした。
「急ぐんじゃ!燃え移ったら――えっ、がはっ!?」
消化作業の指示を出そうとした村長。
だが村長の叫び声が驚愕に変わり、咳き込むような嗚咽になる。
村人達がその声に振り向いたとき、絶叫が村を包み込んだ。
「いやぁぁぁぁぁぁ!?」
「村長が!」
「ま、魔物だぁぁぁ!」
先ほどまで指示を出していた村長が血溜りに沈む。
肩から胸、腹、脇へと袈裟懸けに切り開かれ、夥しいほどの血が噴出している。
それを為したのは……
青銅色の肌。
像のような四脚。
爬虫類の尾。
そして、村長の血で赤く染め上がった大斧を振るう剛腕。
「グハハハハハハ!」
『ずしおうまる』。
人型に近い容姿の上半身と獣の如き四脚を持つ魔物。
剛腕と大斧から繰り出される一撃は、人体を両断することさえ容易い。
「ひぃぃぃぃ!」
「に、逃げろぉぉぉ!」
血に沈む村長の姿に笑い声を上げるおぞましい存在。
その姿に村人達は我先にと逃げ出す。
「タ、ターニアちゃん!逃げるよ!」
「ぁ、ぁぁ……」
ランドの母は傍で蹲るターニアを抱え起こし、逃げる村人達に続こうとする。
だが、逃げようとする彼等を囲むように魔物達の群れがいつのまにかそこにいた。
「ギ……ギギ」
肉の削げ落ちた骸。
骨だけになっても動く元人間。
邪法によって死した後に隷属させられている『どれいへいし』の群れが村人達を囲んでいる。
「あぁ!?ちくしょう、なんだってんだ!」
「いやよ、いや!」
もはや錯乱状態に陥る村人達。
周りを囲む『どれいへいし』達は村人の恐怖を煽ろうとゆっくりとその囲いを狭めている。
そして、『どれいへいし』達の長であろう『ずしおうまる』は村人たちの叫びをにやにやと笑いながら聞いている。
「うあぁぁん!とーちゃん!かーちゃぁん!」
「ランド!こっちにきな!」
泣き叫ぶ子供を傍に寄せ抱きかかえる母。
ランドとターニアの二人を魔物達から隠そうと胸に抱きこむ。
ランドは恐怖に泣き叫び、ターニアは恐怖から声も出せず震えていた。
「くそっ!おい、おまえらぁ!」
「ああ!わかってるよ!」
男衆が畑仕事で使っていた鍬や森の木を倒すための斧を構え、円陣を組む。
女性陣はその円陣の中で子供達を中心へ集め隠すようにお互いを抱き合った。
「ク……グハハハハハハ!」
その小さな抵抗が面白かったのか、『ずしおうまる』がいっそうの笑い声を上げる。
「ちくしょう、ちくしょう!」
「はぁ……はぁ……」
鍬や斧を構える手は震え、嗚咽が漏れる。
女子供を守ろうと前へ出た男達だったが、じりじりと近づく骨の軍勢に威圧され、その精神はもはや限界に近かった。
「ククククク――」
笑いを上げていた『ずしおうまる』の声がぴたりと止まる。
そして、斧を軽く持ち上げ……
「――ヤレ」
振り下ろされた斧と短い言葉。
そのきっかけに、『どれいへいし』が村人へ襲い掛かる。
「うわぁぁぁぁぁ!」
「ちくしょぉぉぉぉ!」
一斉に近づいてきた魔物達に恐慌になりながらも己の獲物を構え男達が対峙する。
「ギギ!」
カタカタと震える骨は、まるで生きている人を襲えることが嬉しくて笑っているようだった。
「あああああああああ!!!」
近づく恐怖を吹き飛ばそうと叫ぶ村人達。
ターニアは女性達に抱きかかえられ、その隙間から魔物が迫る様子を見ていた。
あんなにも平和だった村が一瞬にして地獄に変わってしまった。
ターニアは今もその現実が信じられない。
ただ怖くて、ただ恐ろしくて。
どうしようもないほどに心は震え上がり、彼女にできることなどなにもなかった。
「ギギィ!」
骨の軍勢が、手に持つ武器を振り上げるその一瞬。
恐怖に押し潰されたターニアにできたことは――
「おとうさぁぁぁぁぁん!」
――父を呼ぶことだけだった。
「ベギラマァァァァァ!」
灼熱が、恐怖を吹き飛ばした。
紅蓮の炎が地面を走り、骨の軍勢を飲み込む。
肉を失った乾いた骨共は炎に一瞬にして喰われ焦げ落ちる。
ターニアは見ていた。
女性達に抱かれながら、その隙間から見ていた。
炎の壁が村人達を囲んでいる躯を喰らいつくす光景を見ていた。
そして、炎の向こうから飛び込んでくる影を、見ていた。
「おおおおお!」
咆哮が響く。
ビリビリと空気を揺らすような獣の如き咆哮と共にそれは炎を飛び越えてきた。
「おおおおお!」
一閃。
炎に飲まれた躯、その数体をまとめて薙ぎ払う横薙ぎの刃。
振るわれた剛剣が燃える骨を寸断し、村人達を囲う死の軍勢に隙間が出来る。
「おとう――」
「中腹の洞窟へ走れ!聖水で結界を張っている!」
父を呼ぼうとした子の叫びは父の叫びで塗り替えられた。
「走れぇ!」
誰よりも強く誰よりも頼りになるその男の、焦りに満ちた命令に村人達は一心不乱に走った。
村の女性に抱きかかえられ、ターニアもまた父の作った逃げ道を行く。
「まって!おとうさん!おとうさーーん!」
抱きかかえられた状態で、必死に父に手を伸ばすも届かない。
段々と離れていく父の姿。
ターニアは必死に手を伸ばした。
だが、父は振り向かない。
ターニアは父の背中に必死に手を伸ばし続けた。
見えなくなっても、手を伸ばし続けた。
「ぜりゃあぁぁぁぁ!」
大上段に構えた鋼の剣を気合と共に振り終ろす。
その一撃は、受け止めようと構えられた棍棒ごと『どれいへいし』の体を両断した。
振り下ろした剣、その勢いのまま体を回転させ背後への切り上げ。
攻撃直後の隙を狙った別の魔物を股から切り開く。
「――づぁ!」
ギシギシと嫌な音を立てる自身の筋肉に鞭を打ち、斬る。
斬る、斬る。
斬る、斬る、斬る。
斬る、斬る、斬る、斬る――!
五月雨斬り。
流れるように放たれた剣閃。
一呼吸の間に放たれた斬撃の雨は、男を囲む骨の軍勢、その全ての首を跳ね上げた。
だが、もとより死者である『どれいへいし』は止まらない。
刎ねられた首は地面に転がりカタカタと笑い声をあげ、首無しの体はガッツを殺そうと手探りに襲い掛かってくる。
「――っ!」
短く息を吸う。
そして、自身に満ちる魔力を練り上げ形を成す。
経験に刻んだ構成を呼び起こし、叫びと共に吐き出す。
「イオラ!」
紡いだ呪文は正しく効果を発揮した。
前面を凪ぐように振り払われた右腕。
それに沿うように爆発が起こる。
首無しの躯は閃光に飲まれるようにバラバラに吹き飛んでようやくその動きを止めた。
そして熱と衝撃と閃光が爆音を伴って山を揺るがす。
ドンドンと響く爆発音。
それに伴う揺れに洞窟の天井からぱらぱらと土が落ちた。
「はぁ……はぁ……」
暗い洞窟の中から疲れ果てたため息が響く。
魔物の襲撃から逃げ延びた村人達。
誰も彼もが疲れ果てもはや動くこともなできないだろう。
――ドン!
「ひぃ!?」
再び響いた爆発音に悲鳴が漏れる。
その悲鳴を聞いた男達は震える体に鞭を打ち、手に農具を持って洞窟の入り口を塞ぐように立った。
女達は洞窟の奥で震える子供達を抱きしめている。
「大丈夫、大丈夫だよ」
女性達は自分も怖くて震えているが、それ以上に恐怖し泣いている子供をあやす様に宥めていた。
「あれ……?」
逃げ延びた子供の一人一人を確認していた女性が疑問の声を上げる。
どう数えても子供が一人足りない。
そして、その事実に気づいた女性の顔から血の気が引いていく。
「――ターニアちゃんがいない」
洞窟が絶望に染まった。
「うぉぉぉりゃあああああ!」
「グハハハハハ!」
大剣と大斧がぶつかる。
大剣は跳躍と共に大上段から、迎え撃つ大斧は下段からの振り上げ。
火花が散るほどのぶつかり合いを制したのは――魔物だった。
「づぁ!?」
振り払われたガッツ。
大男に分類される彼ですら十数メートルも吹き飛ばされる。
地面に大剣を突き刺して無理やり止まらなければ、そのまま崖下へと落ちていただろう。
「ホォ、ヤルジャナイカ、人間」
その姿に『ずしおうまる』は嬉しそうに口を歪める。
(野郎、あの体勢から力で俺の上を行きやがった――!)
驚愕を無言で隠し、大剣を構えなおす。
ぶつかり合った衝撃に腕がビリビリと痺れていた。
それを気合で止め、相手へと剣先を向ける。
――停滞。
ガッツは魔物の隙を探ろうと相手の動き、呼吸すらも見逃さないと睨みつける。
魔物は余裕の現れか、にやにやと笑いを顔に貼り付け、受けの姿勢を崩さない。
先に動いたのは――ガッツだった。
「――――!」
叫びは無い。
歯が軋むほどに噛みしめ力を溜める。
溜め込んだ力を一気に解放するように、大地が砕けるほどの力で踏み込み蹴る。
鉄の鎧を身に纏っているとは思えないほどの速度。
一歩でその距離全てを失くすほどの加速。
そして、霞むほどの鋭さで放つ――二連撃。
「――っああああああ!」
「ヌ!?」
はやぶさ斬り。
まるで同時に放たれたと見間違うほどの疾風迅雷の連撃に、初めて魔物がうめき声を上げる。
「グ……グハハハ!ヤルナ、アァ……ヤルナァ人間!」
一撃は大斧により防がれたが、もう一撃は魔物の脇腹に鋭い傷を負わせた。
そして、加速のままに魔物の向こう側へと走り抜けたガッツ。
身に纏う鉄の鎧、その脇腹は大きくへこみ拳の痕がくっきりと刻まれている。
「ぐっ――!」
あまりの衝撃にガッツの意識が揺れる。
『ずしおうまる』とすれ違うその瞬間、カウンターによって脇腹を殴られたのだ。
「闘争ダ!コレゾ求メタ戦ノ味ヨ!」
傷ついた脇から夥しいほどの青い血を流しながらも魔物が笑う。
「サァ!存分ニヤリアオウゾ!」
叫びと共に大斧を大地へ振り下ろす。
魔物の圧倒的な腕力から繰り出された振り下ろしが大地を砕き、土の塊が舞う。
「グハハハハ!」
「っ!?」
舞った塊に大斧の横腹を叩きつけ、打ち払う。
岩石落とし。
ガッツは自身目掛けて飛んでくる岩石に対する対処方を持っていない。
選ぶ選択肢は回避一択。
横に大ききく飛び込み、地面を転がり移動。
回転の勢いのまま飛び上がるように立ち体勢を整える。
整えた瞬間、眼前にあったのは、大斧の鋭い刃。
それを迎え撃つように大剣を目の前に滑らせる。
「オオオオオ!」
「――ぐぅ!?」
魔物のおぞましい叫び声が耳を穿つ。
いつかとは逆の構図。
魔物の振り下ろしにガッツが切り上げで対応する形。
そして、力での拮抗は既に勝敗がわかっていた。
「オオオオ!」
「チィ!?」
魔物の力に押され、大剣が弾かれる。
ガッツは弾かれた力に逆らわず後ろに飛んで避けようとするが、遅い。
「トッタ!」
「ぐぁっ!?」
大斧の刃が胸を削る。
鉄の鎧は意味を成さず、真っ二つに裂かれた。
裂かれた鎧は身に留まることができず、大地へ落ち鈍重な音を立てる。
「や、野郎……!」
鎧の下にあった布の服が血で染まっている。
ガッツはじりじりと後ろへ下がり間合いを離す。
そして剣から左手を放し傷ついた胸へと当てた。
「……ホイミ」
ぼそりと小さく呪文を唱える。
左手が僅かに輝き、流れていた血が少しずつ止まっていく。
完全な治療とはいかなかったが止血と鎮痛にはなった。
「ホォ、回復呪文カ。多才ダナ人間」
「はっ、お褒めに預かりどーもだよバケモン」
軽口を叩きながらも敵の隙を探る。
(ちっ、さっきの打ち合いで手が痺れて握力がなくなってやがる。時間を稼ぐか)
ガッツは剣を構え、攻める機会を探っている振りをする。
「だいたいよぉ、お前らみてーなバケモンが、こんな寂れた村になんのようだ?」
会話をすることで時間を少しでも稼ぐ。
そうしなければ今はまともに剣を振ることすらできない状態。
ガッツの額から冷たい汗が滴り落ちた。
「フム。我ハ戦ウタメニキタ。理由ナドドウデモイイ。オマエガイタ。ソレダケデ十分ダ」
そう言って大斧を構える『ずしおうまる』。
時間稼ぎに付き合うつもりは無いとばかりに、じりじりと間合いを詰めてくる。
「……そうかい、まぁいいさ。テメェを倒して終わりだ」
ガッツは内心、時間稼ぎがほとんどできなかったことを憎憎しく思いながら次の手を考える。
「フム?我ガ独リダト何時言ッタ?」
「――何?」
それは聞き捨てなら無い情報だった。
ガッツは目の前にいる『ずしおうまる』こそが敵の首領だと思っていたからだ。
(他にもいるってか――冗談じゃねぇ)
また一つ、汗が地面へと落ちる。
心の余裕など欠片も無くなっていく。
それでも彼は剣を握る力を緩めなかった。
彼が諦めた瞬間、村人達が、愛する娘が終わることがわかっているからだ。
(とはいえ、どうする。まだ剣を振るうには痺れが取れねぇ。……試すか)
左手を魔物へと向け魔力を練り上げる。
「メラミ!」
唱えた呪文が大きな火球を形成し、魔物の顔面目掛けて放たれた。
「ヌルイワ!」
だが、魔物の振るった大斧によって火球は迎撃され、消える。
「ソノヨウナ小細工ハ効カンゾ!」
「……だろうな」
ガッツも自身の呪文が効かないだろうとは思っていた。
あれほどの武勇を誇る魔物が、中級呪文程度に対する対応を持たない筈がない、と。
特にメラ系は発動が早く威力もそれなりだが、歴戦の戦士ならば武器によって打ち払えることは自分自身も可能なことから無意味だろうとは思っていた。
だが、それ以外の呪文……彼が使えるギラ系やイオ系では発動までの時間がメラ系よりも遥かに掛かり、おそらくは発動前に彼自身が斬られるだろう。
メラ系の上級呪文ならば発動速度と高威力から有効であろうが、ガッツが習得しているのは中級呪文までだ。
つまり、彼の使用できる攻撃呪文では打倒は難しい。
切り札の呪文もあるが、『それ』は制御が難しく、単独で戦うこの現状では使えない。
「ふぅぅぅ……」
ガッツは深い呼吸を繰り返し暴れる心臓を少しでも沈めようとする。
力では魔物が上。
速力では自分が上。
取れる最善は何かと、彼我の能力を比較し策を練る。
だが、その時間を与えるほど魔物は寛容ではなかった。
「オオオオオ!」
激昂と共に魔物が走る。
太い四脚が大地を砕き、土を巻き上げながら迫る。
先ほどのぶつかり合いと胸の傷のせいで動きが鈍っているが、それでも迎え撃とうとガッツは剣を構えた。
「フンヌ!」
頭上から叩きつけるような大斧の振り下ろし。
その攻撃の線に沿うように剣を構える。
「ムゥ!?」
受け流し。
魔物の暴虐的な力を、正面からぶつかるのではなく横へ流し逸らす。
戦士として極上の技量がなければできない刹那の見切りをガッツは為す。
「マダダ!」
だが一撃を逸らされた程度で魔物は止まらない。
一撃が足りないならば二撃、三撃と攻撃を繋げる。
それに対しガッツは受け流しを続けるが、幾度も見切ることなど歴戦の戦士でも不可能であった。
徐々に後ろへと押されてゆく。
流しきれない力に押されるように一歩、二歩と後ずさりを余儀なくされる。
そして、ついに力と見切りの均衡が崩れた。
「ちいっ!?」
後ろへ下がった足が、転がっている壊れた家の残骸に当たりバランスを崩す。
そして、受け流しの体勢が崩れる。
次の攻撃に対応するにはあまりに無様な体勢になってしまった。
「モラッタァァァァ!」
痛恨の隙。それを魔物は逃さない。
大上段に斧を構え、突進と共にガッツを両断しようと声を上げる。
――そのときだった。
踏み込んだ『ずしおうまる』の動きが鈍る。
「ナニ!?」
魔物が驚愕と共に抵抗を感じた足元を見る。
視線の先で大地に倒れていた老人の手が魔物の足を掴んでいた。
「やるんじゃ……ガッツ……!」
「貴様!」
魔物の足を掴みその動きを邪魔したのは、その魔物に斬られた存在……この村の村長だった。
その時間はほんの刹那。
枯れた老人、それも大量の血を流して死に瀕した――既に死んでいるような老人の力など塵のようなものだ。
だが、その刹那で十分だった。
「あああああああ――!」
爆発するような雄叫びと共に大剣が振り下ろされる。
その一撃は魔物の頭頂部から真芯を切裂く、会心の一撃だった。
剣の通った軌跡から血が溢れ、魔物の体は両断される。
断末魔の叫びも無い。
刹那の隙を捉えた一撃は魔物の命を破壊しつくした。
断たれた右と左の半身がそれぞれ大地に倒れる。
青い血を撒き散らし、異臭を放つ臓物がびちゃびちゃと生々しい音をたて大地を汚した。
ガッツはその様子を見届けることなく、すぐ傍の老人へと駆け寄った。
「村長!」
膝をつき老人の手をとる。
だが、反応はなかった。
既に事切れていた。
この村の村長だった老人は、魔物の足を掴んだときからもう、その鼓動を止めていた。
「――っ!」
ギシリと歯を食いしばる音が響く。
守れなかった結果に、遅かった現実に憤怒する。
その怒りを納めるような我慢はしない。
怒りのまま、手に持つ大剣を振り返らないまま背後へと振るった。
そして、振るわれた大剣は背後の何も無い空間に風を切る音――ではなく、鋼がぶつかる硬い音を奏でた。
「――まさかばれてるなんてねぇ、びっくりびっくり」
カラカラと乾いた笑い声がガッツの背後から響く。
何も無い空間だったそこに、いつの間にか橙の服を纏う一つ目の道化師がいた。
手に持つ三叉のダガーで、大剣を刃の隙間に挟むように防いでいる。
道化師は乾いた笑いで、ガッツは無言のままに剣を持っているが、ぶつかる刃からはガチガチと金属の擦れる音が鳴り、静かに膂力のぶつけ合いが為されていた。
「てめぇがもう一人のバケモンか」
「イエスッ、その通りだよ戦士様。いやぁ、あの『ずしおうまる』を一人で倒しきるなんて吃驚仰天さぁ!」
「一人じゃねぇよ――!」
村長のことを蔑ろにされたと、さらなる怒りを込め大剣を振り切ろうとする。
さきほどの戦いとは違い、橙の道化師――『キラージャック』の力はガッツを下回っており、徐々に刃は道化師へと近づいてゆく。
「わぉ、僕もそこそこの力があるんだけど、君のほうが強いみたいだ。君、本当に人間?」
力負けしているのに、にやにやとした笑いを崩さない道化師。
その余裕を粉砕すると言わんばかりにガッツは怒りと共に力をさらに込める。
「ありゃりゃ。これはやばいね。うん。僕の負けだよ、負け。だから――選手交代で」
選手交代。その言葉が言い終わると同時に、上空から何かが落ちてくる。
「ちぃっ!?」
押し潰そうと落ちてくるソレを、舌打ちと共に飛びのき避ける。
落ちてきたソレは、黄褐色の金属で構成された戦士の像だった。
赤く明滅する一つ目。
右腕は剣で、左腕は棘付きの槌。
そして、空中に浮かぶその像の下半身は、足ではなくボウガンがついている。
「キラーマシンか!?」
その金属の像に見覚えがあるのか、ガッツは名を叫ぶと共に最大限の警戒をする。
かつて旅の中で立ち寄った遺跡の最奥。
古代の文明を守る守護神のように立っていた戦士の像、キラーマシン。
金属の体は刃物を受け付けず、疲れを知らない無限の体力で襲い掛かってきた。
それでもガッツは数多の呪文と戦士の技量によってその恐るべき像を一度は打倒した。
だからこそ、今も剣を握っていられる。
「そいつは一度倒してんだよっ!」
刃を弾く金属の像を打倒するには、呪文が一番効き目がある。
かつて倒したキラーマシンも、炎熱系の呪文で金属を焦がし、脆くなった部分を打撃で破壊した。
「燃えろ!ベギラマァァァァァ!」
紡いだ呪文と練った魔力が炎を生み出す。
向けた手のひらから、全てを飲み込もうと炎の壁が敵へと迫る。
だが、その光景を金属の像の後ろで見ている道化師は、焦るでもなく逃げるでもなく、にやにやと薄い笑いを絶やさない。
「喰らえ――!」
激昂と共に放った呪文。
狙い通りに敵へと喰らいつく炎。
勝利を確信したガッツが、次の攻撃への構えを取ったその瞬間。
放った炎が、ガッツを飲み込む。
「なっ――ぐぅぅぅぅ!?」
炎が肌を焼き、熱が肺を焦がす。
自身の放った呪文が自身を焼くという異常事態。
襲い来る熱に耐えかね、驚愕がうめき声になる。
「あひゃひゃひゃひゃっ!ひーっ!ククク!アッハハハハ!」
燃えるガッツの姿に、道化師は我慢できないと笑い転げた。
「そいつはキラーマシンなんかじゃあないよ!キラーマジンガ、機械仕掛けの死神さぁ!ひひひ!」
キラーマジンガと呼ばれた戦士の像、その金属の肌に薄らと赤い文字が浮かび上がっていた。
複雑な幾何学模様が全身にびっしりと書き込まれ、淡く赤く発光している。
その文字は、向けられた呪文に反応し浮かび上がったのだ。
そして、発光する文字が意味するのは、全ての呪文を反射する絶対防魔『マホカンタ』。
「ぐ……ぅ」
呪文の効力が切れ、炎が消える。
炎が消えた後には、跪き頭を垂れる戦士の姿。
全身に火傷を負い、意識も朦朧としている。
うめき声をもらすだけで全身を痛みが襲っていた。
そして、敵が満身創痍であろうと金属の像はためらわない。
なんの躊躇も無く、右腕に持つ剣をガッツへと叩きつけようとする。
だが、その攻撃が届くことは無かった。
「待て」
短い制止の言葉。
それに従い機械は止まる。
機械の無慈悲な一撃を止めたのは、先ほどまで笑い転げていた道化師だった。
「ねぇ、戦士様。ちょっと聞きたいんだけどさぁ」
先ほどまでのにやにやと笑っていた、軽い佇まいとまるで違う。
鋭い刃を連想させる冷たい眼差しで道化師はガッツへと近寄る。
「アンタ、その力をどこで手に入れた?」
その問いに返ってきたのは無言。
ガッツは跪いたまま、頭をあげない。
「なぁ、教えてくれよ――!」
教えてくれと言いながら、道化師は下がった頭を蹴り上げた。
「ぐぁっ!」
傷つきすぎた体では、ただの蹴りすら避けることもできず、蹴られた衝撃で大地へと倒れる。
「アンタが戦士を極めたってのは理解できるよ。そこにはなんの疑問もないさ。矮小な人間でも時間をかければ何か一つぐらいは極められるだろうからね。でも……呪文はどこで覚えた?」
「……うぅ……」
問いかけながら、道化師は仰向けに倒れたガッツの胸を踏みつける。
かなりの力が込められていたのだろう。
ガッツの口から苦しそうなうめき声が漏れた。
「中級の攻撃呪文に、下級の回復呪文。呪文としてはチャチなもんだけど……戦士が使えるものじゃあない。魔法使いと僧侶の領域だ。ダーマ神殿を我が主が滅した以上、お前が戦士であるならば、その他の職には転職はできない。言えよ。そうすりゃ楽に逝かせてやる」
ぐりぐりと、胸を穿つように足で押さえつける。
その度にガッツからはうめき声が漏れ、苦しそうに表情が歪む。
「聖なる気配を感じて襲撃をしてみれば、アンタみたいな奴がいた。気になるのも仕方ないでしょ?この襲撃は僕の独断だから、このまま手柄がなかったら怒られるしね。さぁ、言え。……言え!」
道化師の言葉が強くなり、踏みつける足の力も強くなる。
その拷問に対して、ガッツが返したのは――短い、言葉だった。
「……死、ね……」
「なに?」
「――イオラァァァァァ!」
「なっ!?」
眩い閃光が道化師とガッツの間に走る。
そして、熱と衝撃が彼等二人を吹き飛ばした。
「う、ぐぐぐ……!馬鹿かテメェ!至近距離で爆裂呪文だと!?自爆じゃあねぇかあぁぁあぁ!」
自分自身をも巻き込んだ自爆攻撃に、魔物といえど避けることはできなかったのだろう。
衝撃に飛ばされ、ガッツからかなり離れた場所に崩れ落ちる。
そして道化師の前面は爆発によって吹き飛び焼け焦げていた。
だが、それ以上に呪文を放ったガッツは傷ついている。
先ほどの火傷に加え、爆発を至近距離で受けたのだ。
肌の表面は削れ、骨は衝撃で亀裂ができている。
それでもまだ生きているのは、回復呪文で辛うじて生命力を繋いでいるからだろう。
ガッツはボロボロの体を引きずり、ゆっくりと立ち上がる。
まさに満身創痍といった様子。
しかし、魔物を見据える瞳には、まだ闘争心が宿っていた。
「ぐっ……はぁ……はぁ……舐めんな、ピエロ……今、殺してやる……」
傍に転がっていた剣を杖代わりにして、立つ。
そして、剣を大地から引き抜き正眼へと構えた。
剣先がゆらゆらと揺れているのは、意識が朦朧としているせいであろう。
しかし、その傷ついた姿から感じられる威圧感は、必殺の決意を伴っている。
「……上等だ、人間。ぶっ殺せ、キラーマジンガ!」
ガッツの挑発を受け、道化師は最初の余裕を全て捨てた。
金属の像へ殺戮を命令し、立ちふさがるモノを駆逐しろと叫ぶ。
その命令を忠実に受け取った金属の像が、ガッツ目掛けて襲いかかる。
「こいやあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
剣を振り上げ迎え撃つ。
キラーマジンガの真芯目掛けて剣を振り下ろす。
防御を捨て全霊をかけた、決死の一撃。
魔人斬り。
空気を切る音すらも置き去りにした、神速の振り下ろし。
キラーマジンガの真芯を狙ったその一撃は寸分違わず命を狙う。
――だが、その一撃は、届かなかった。
機械の超反応によって避けられ、体の中央ではなく右腕を捉え跳ね飛ばす。
刃を弾く金属の肌をも切り裂く人間の限界を超えた斬撃。
だが、その一撃ですら、キラーマジンガの猛攻を止めることはできなかった。
腕を斬り飛ばされたというのに、キラーマジンガの動きはまるで鈍らない。
その上、至高の一撃を繰り出すには、あまりに武器が稚拙だった。
大剣に分類される大きな鋼の剣は、担い手の技量についていけず刃の中央から折れてしまったのだ。
そして、一撃に全てをかけたせいで、剣を振り下ろした後に多大な隙が生まれる。
筋肉は弛緩し、意識は薄れ、動くこともできなくなる。
その隙を機械が逃すはずも無く、キラーマジンガは残った左腕の槌でガッツの腹を殴り飛ばした。
「――――――っ!!」
殴られた衝撃に吹き飛ばされ、村の入り口付近の地面に落ち、転がりながら止まる。
もはやうめき声すら出せないのだろう。
口からはせり上がってきた血だけが漏れた。
距離が離れたからか、キラーマジンガの左腕が下がる。
代わりに、下半身に備え付けられたボウガンが、ガッツへと向けられた。
呪文が効かない以上、遠距離では一方的に攻撃されるだけだとガッツは判断し、痛む体に鞭打ちその場を飛び逃げようとする。
しかし、背中から聞こえてきた声に、飛びのこうとする動きが止まる。
――止まらざるをえなかった。
「おとぉさぁーーーん!」
「ターニアっ!?」
聞こえた声に振り向けば、村の入り口から続く山道を涙を流しながら駆け寄ってくる我が子が居た。
正面を見返せば、ボウガンを構えるキラーマジンガがいる。
そして、引き金が――引かれる。
「おとーさぁーーーん!」
逃げることなど、できるはずがなかった。
「おおおおおおおおお!!」
弛緩する肉体に、気合を入れ、両腕を広げ我が子の盾となる。
仁王立ち。
放たれた矢は寸分違わずガッツを射抜いく。
そして、キラーマジンガの矢の一撃は、人の肉体など容易く貫通するほどの威力を持っていた。
貫通した矢は、後ろにいるターニアをも貫くことができるだろう。
だが、その矢が貫通することは無かった。
筋肉を締め上げ、矢を受け止める。
凄まじい勢いでガッツの腹に突き刺さった矢は、貫通することなく止まった。
「ぎぃっ……!」
歯を噛みしめ悲鳴を殺す。
我が子の前で痛みを嘆いてなどいられないと、虚勢を張った。
ごぶりと、口元から紅い泡が漏れる。
満身創痍、誰が見ても致命傷である。
だが、それでもなお、彼の瞳は死んでいなかった。
崩れ落ちそうな体を鞭打ち無理やり動かす。
消えそうになる意識を、口内を噛み千切り新たな痛みで起こす。
消耗した搾りかすのような魔力を、体の底から汲み上げ呪文を為す――!
「イオラァァァァァ!」
呪文は正しく効果を発揮した。
練り上げられた魔力が、光と熱を収束し爆発させる。
岩をも砕く爆裂呪文。
激しい音と目も眩む閃光が村を満たす。
爆発は正確無比にキラーマジンガを巻き込み、大地を砕き土煙が舞う。
だが、絶対坊魔の装甲を持つキラーマジンガは、その感情を灯さない無機質な瞳を瞬かせもしなかった。
ただ己を包む爆発を無感動に眺め、煙が消え去ったその後の隙を狙っている。
瀕死の体での呪文発動は、多大な負荷を与えたはず。
その隙は逃さないと、キラーマジンガはくるであろう必殺の時を待つ。
そして、訪れるその瞬間――
『――?』
キラーマジンガは初めて感情を宿した反応をした。
疑問と困惑の反応。
煙が晴れたその先に、狙っていた獲物がいなかった。
村の中央にある建物。
村にある家々と比べると遥かに大きい木造の建造物。
それは、村の信仰である山の精霊を奉った礼拝堂である。
村人全員を収容できる広さと、幾つも並んだ長椅子。
建物の正面奥には立派なステンドグラスが外の光を取り込み、幻想的に照らしている。
そして、その光を一身に浴びる場所には、大きな石像があった。
美しい女性を模した石の像。
村人が信仰する精霊を偶像化したものである。
その精霊の像の傍に彼等はいた。
「ヒュー……ヒュー……」
肺から零れるような細い息を繰り返す、瀕死の大男。
「ひっく、ひっくっ……」
涙を流しながら大男にしがみ付く少女。
青い髪を持つ親子は、精霊の像の傍に座り込んでいた。
「……ホ……ホイミ……」
擦れた細い声で大男――ガッツは呪文を唱える。
掌が淡く輝き、呪文の効力が発揮される。
その掌を、そっと泣きじゃくる娘――ターニアへと添えた。
ターニアにあった小さな裂傷――おそらく、村へ戻るために走っている際にこけて出来たであろう傷――を回復呪文は癒していく。
そして、顔にあった擦り傷が消えて無くなったのを確認して、父は改めて娘に向き直る。
――何故、ここにいるのか。
叱責を含めた言葉を出そうとして……できなかった。
「ひっく、ひっく……お、おとぅさぁん……」
懸命にしがみ付いて泣く娘。
その顔を見た父は、叱ることができなかった。
大粒の涙を流して、必死にしがみ付くその姿は――かつて妻を失った夜と同じ、泣き顔だったのだ。
娘が、母を失った時と同じ泣き顔だった。
父が家に帰りつくまで、たった一人で母にしがみ付いて泣いていた時と同じ泣き顔だった。
二度と失いたくないという気持ちが溢れていた。
置いていかれたくないと、全身で訴えていた。
そんな我が子をどうして叱れようか。
あの日、妻の最後を看取れなかった己に、娘を一人にした己に、何が言えるというのか。
自責の念が湧き出る。
言葉を失った父は、ただ優しく娘を撫でた。
手に触れる娘の柔らかい髪。
伝わってくる体温は、それがとてつもなく大事なものであることを確認させる。
宥めるように、慈しむように、優しく撫で、その存在を確かめる。
「……あぁ……俺が……守らなくちゃな……」
血を流し、朦朧としていた瞳に炎が宿る。
弛緩した筋肉が張り詰め、力が沸きあがってくる。
自然と頬は笑みを浮かべ、掠れていた喉が嘘のように滑らかに声をだした。
「大丈夫だ、ターニア」
「……おと、ぅさん」
「お前は、俺が守る」
言い切った言葉は、何よりも力強さを宿していた。
見上げた娘の瞳には、いつものように優しさに満ちた父の笑顔があった。
だが、どこか違う。
見慣れた笑顔。大好きな笑顔のはずなのに。
胸を焦がすような不安が、ターニアを襲う。
「おとーさっ……!」
「アストロン」
呼び声は、最後まで言えなかった。
発動した呪文は正しく効果を発揮し、結果、ターニアは意識を失う。
父にしがみ付いていた、娘の柔らかい体はそこにはない。
そこにあったのは、あらゆる呪文を弾き、あらゆる攻撃を無効化する鋼の像。
衝撃・斬撃・熱・冷気・呪文、ありとあらゆる事象を跳ね返す、絶対防御呪文『アストロン』の効果がそこにはあった。
物言わぬ鋼となった娘の頭を優しく一撫でし、立ち上がる。
そして、半ばから折れた大剣を構えたその瞬間――
「――みいぃぃぃつけたあぁぁぁ」
礼拝堂の入り口が吹き飛んだ。
爆発と衝撃が空気を振るわせる。
耳を劈くような爆音が、礼拝堂の入り口と壁、長椅子を吹き飛ばした。
ぱらぱらと破片が降り注ぎ、漂う土埃の中を二体の異形が佇む。
「いやぁ、探しちゃったよぉ戦士様ぁ」
もはや慇懃な態度をかなぐり捨て、侮蔑と見下した視線を隠さない。
道化と鋼の魔人が、殺気を纏った瞳でガッツを射抜く。
「ヒヒッ。そろそろ終わらせよう。アンタの力がなんなのか、もういいや。全部殺しちまえばいっしょさ。アンタも、その後ろに隠れてるガキも、どっかに逃げたゴミ共も、ぜーんぶ殺してお終いさぁ!」
げらげらと下卑た笑いをする道化。
もはや勝利を疑っていないのだろう。
キラージャックはキラーマジンガの後ろで、腹を抱えて大笑いという隙だらけの姿を晒している。
「あぁ、そうだな。いい加減、終わらせよう」
挑発するような笑いに返ってきたのは、静かで穏やかな言葉だった。
「……あぁ?」
流石におかしいと思ったのだろう。
道化は笑いを止め、疑問の声を出した。
「腹へってんだよ、俺は。こちとら朝から走りっぱなしでよぉ。ターニアの作ってくれたおにぎりが食いてぇんだ。とっとと終わらせようぜ」
それは瀕死の人間の態度ではなかった。
不敵に笑い、やれやれとばかりに肩を揺らす。
余裕に満ちたその姿に、道化は怒りよりもむしろ不気味さを感じ取った。
死に瀕した人間は今まで何人も見てきた。
そいつらの取った態度はいつだって同じだ。
命乞いをし、無様に泣き崩れ、恨みを撒き散らしながら死んでいく。
だが、目の前にいる戦士は違う。
どこもかしこもボロボロで、軽く小突けば死ぬような状態なのに、あの不遜な態度。
キラージャックに沸きあがったのは、怒りでなく得体の知れない物に対する不安だった。
「……はっ、死にぞこないが良く言った。これ以上なにかできるのかい?できればビックリするような芸を見せてよねぇ。ケヒャヒャヒャ!」
感じた不安を押し隠し、笑う、嗤う、哂う。
あの瀕死の人間に何ができると、沸きあがった不安を、見下した軽蔑で覆い隠す。
「面白かったら御捻りをあげるよ戦士様!苦しまずに殺してあげる!ヒヒ!」
「そいつはありがたい。なら見せてやる、取って置きをなぁ!」
気合一閃。
戦士が雄叫びを上げる。
「おぉぉぉぉぉぉ!」
喉が裂けるような叫び。
瀕死の体から、膨大な魔力が沸きあがってくる。
その姿を眺めた道化は――勝利を確信した。
「なぁんだ。最後の芸って呪文かい?やれやれだ。キラーマジンガの絶対坊魔は身を浸みてわかっているだろうに。御捻りは無しだ。君の無駄な徒労が終わったら閉幕といこう」
ガッツの奥の手が魔力を使った何かだと察したキラージャックは、キラーマジンガの影に隠れ寄り添う。
キラーマジンガに刻まれたマホカンタは、あらゆる呪文を弾き返す。
仮に、今ガッツが放とうとしている呪文が広範囲を焼き尽くそうとも、キラーマジンガの傍に居ればその効果は届かないのだ。
「おぉぉぉぉぉぉ!ぎ、ぎぃ!」
それでも尚、ガッツは魔力を練り上げる。
溢れ出る魔力は、荒れ狂う力となって吹き出る。
制御を間違えれば、術者自身をも傷つけるような激しい魔力が吹き上がっていた。
事実、ガッツの肉体から血が吹き出ていた。
膨大な魔力が肉を裂き、血管を食い破り、肉体を喰いちぎろうとしている。
「ヒャヒャヒャ!暴走してんじゃねぇか!ヒヒヒヒ!」
その姿を見て、道化は笑った。
だが、その笑い声はすぐに消える。
「ヒヒヒ!ヒ、ヒヒ………………っ!?な、なんだと!?」
道化から出てきたのは、驚愕。
茫然自失といった顔で、『空』を見上げた。
空は、暗黒に覆われていた。
それはいい。昼間にも関わらず空が暗いのは、キラージャックが『あの世界』との道を作ったからだ。
仕えるべき主の目を掻い潜り、密かに開けた道は、漆黒の雲となってこの村の上空へと現れた。
だから、空を見上げれば、黒い雲がある。それはいい。
だが、その雲は、邪悪な紫電を纏っているはずだ。
あのような、『聖なる雷』ではなかったはずだ。
「ま、まままま、まさかぁぁぁぁぁぁ!」
バチバチと空気を切り裂く雷の咆哮。
邪悪を滅する聖なる輝き。
世界を照らす神聖の光。
「勇者の稲妻だとおぉぉぉぉぉ!?」
「来たれ!聖なる雷!ライデイイイィィィン!」
閃光が、世界を塗りつぶした。
何もかもを吹き飛ばすような轟音と伴に、それは空から放たれた。
邪悪な雲を塗りつぶし、魔なるモノを喰らい尽くし、大地へと突き刺さる。
――白が世界を支配した。
バチバチと、帯電する。
聖なる雷の名残が、大地に微かに残っていた。
あらゆる魔を滅する奇跡は――
「ひ、ヒヒ、ヒヒヒ!無駄、無駄無駄!呪文である以上、キラーマジンガには効かない!」
それでも、異形二体を滅ぼせなかった。
「まぁでも、ちょっとビックリしたよ。んん~、それにしても、うん。疑問が晴れた。君はあの『呪われた血族』に連なる者だったんだね。いやぁ納得納得」
パチパチと軽い拍手をしながら道化は笑う。
そして、軽薄な笑みのまま、ガッツを眺めた。
「ぐ、ぐあぁぁぁぁぁぁぁ!」
自らの雷で焼かれるその姿を。
「ヒヒ!制御できてないじゃねぇかバーカ!」
道化の言う通りだった。
ガッツの放った電撃呪文『ライデイン』は、敵だけではなく、術者本人にも落ちてきたのだ。
結果、敵はマホカンタにより無傷だが、自分は自分の呪文に焼かれることとなった。
「ぐ、ぎぃ……!さ、最初から、制御できるなんざ、思っちゃいねぇ……!」
だが、ガッツ本人もこの結果は予想できていた。
かつてガッツが父から受け継いだ、一族の奥技。
それは、世にある技術とは一線を隔したものだった。
失われた呪文に、凄絶な剣技。
彼の知りうる知識を凌駕した秘奥の数々。
ガッツが旅をした理由は、その奥技を修得するためだったのだ。
一族の技術を次代へと引き継ぐためにその技の数々を修得する、そのために地位も名誉も捨て旅へ出た。
血反吐を吐くような修練を重ね、何度も死を傍に置き、その結果、彼は今の強さを得た。
だが、それでも完全に修得できたのは剣技のみだった。
剣技は極めたと言っても良いだろう。
しかし、一族秘伝の呪文に関しては、なんとか使える、といった程度までしか修得できなかった。
事実、電撃呪文は放つことができても、自分をも巻き込む自爆技になってしまっている。
かつて練習で放った時は、使用後にひと月も痺れが残るような散々たる結果となってしまった。
とても実用できたものではない。
それでも、異形と対峙するこの極限状態で自爆技を放った理由がある。
「慌てんな……とって、おきは、ここから、だ!」
全身を焼く雷に苦悶の表情を浮かべながらも、まだその瞳は死んでいない。
折れた大剣を頭上へと掲げ、身を焼く力を流動させる。
「おおおおおおお!」
全身に走っていた電撃は、導かれるように収束し――形を為す。
「さぁ、これで……」
掲げた大剣。
何処にでもある、鈍色の鋼の大剣が。
「終いに、しよう……!」
折れた先から電撃が走り、光の刃が世界を照らす。
「――なぁっ!?」
一つ目を大きく開き、道化が初めて恐怖を叫ぶ。
全身を貫く聖なる気配に、身の毛がよだち後ずさる。
その強大な力から身を隠すようにキラーマジンガの後ろへと隠れるが――
「ギガスラッシュ――――――――!!!」
放たれた極光が、あらゆる邪悪を飲み込んだ。
断末魔も残さない。
一つ目の道化も、鋼の魔人も光の中に消えてゆく。
視界が光に塗りつぶされ、張り詰めた力は霧散する。
聖なる光の斬撃が、世界を輝きで埋め尽くす。
「……あぁ……あの子は……大丈夫さ…………」
全てが白に消える中――
「俺とお前の自慢の娘だからな――――――――――」
男は妻の笑顔を垣間見た。
――世界を揺るがすような爆音が響いた。
「ひぃっ!?」
あまりの巨大な音に誰も彼もが悲鳴を零す。
洞窟全体が揺れ、天井から土が落ちてくる。
男も女も響いた轟音に恐怖している。子供たちは言わずもがな、だ。
それでも音が過去り、静寂が還ってくると、少しずつだが落ち着きが戻ってきた。
そして、互いを抱き合い固まっている状況の中、一人の男が震えながらも立ち上がった。
「お、俺、ターニアちゃん、さ、探してくる」
声は震えていた。足も震えていた。
それでも立ち上がった男性は、決死の覚悟を持っていた。
その怯えた顔を見上げ、幾人かの男が頷く。
「まて……俺も、いく……!」
「あぁ、ちくしょう!こえーよ!こえーけど、俺も行く!」
ある者は恐怖を噛み殺し、ある者は恐怖を叫びながら、それでも立ち上がった。
立ち上がった誰もが震えていた。
お互いの恐怖が刻まれた顔を見て、覚悟が薄れそうになった。
それでも――村の可愛い子を、飲み友達の子を放っておけなかった。
「よ、よし。俺ら、ちょっと行って来る。いいか、他の皆は絶対ここをでるなよ!」
「残った野郎どもは、入り口を塞げ。皆を守るんだ」
「あーくそ!とっとと行ってさっさと見つけて速攻で帰るぞ!」
最初に立ち上がった男が、洞窟へ残る村人へ注意し、幾人かの男達が出て行く。
残った男達は手に農具を持って入り口に立ち、洞窟の奥では女たちと子供たちが出て行った男達と、ガッツ親子の無事を祈った。
腰を落とし、森の木々に隠れながら移動する男衆。
ゆっくりとした、遅い歩みだったが、それでも周囲を注意深く見回しながら必死で少女を探していた。
「……し、静かだな」
「あぁ……静か、すぎる」
「お前ら、こえーこと言うなよ……」
周囲を見回していると、音が無いことに気付く。
洞窟が揺れるほどの轟音が響いていたというのに、今はそれが嘘のような静寂が漂っていた。
「……虫の声が戻ってきた」
「鳥の声もだ」
「つーか、森の雰囲気がいつもと同じような……」
隠れていた身を起こし立ち上がる。
周囲を窺って確認するように頷きあった。
「もしかして……?」
「あぁ、きっと、そうだろう」
「やった、やりやがったんだ、ガッツの野郎が!」
慣れ親しんだ森の雰囲気。
消え去った邪悪な気配。
それは彼等に希望を抱かせるに十分だった。
誰が指示するわけでもなく走り出す。
目指す場所は自分たちの村。
慣れた森に迷うはずもなく、獣道のような山道を駆け上がる。
すると、風に乗って、小さな音が聞こえてきた。
――ぁぁぁぁぁぁぁ……
「この声!」
「ターニアちゃんだ!」
「急ぐぞ!」
風に乗った小さな泣き声が、村に近づくほどに大きくなってゆく。
無事だった喜びはあるが、泣き声ともなれば心配にもなる。
だが、きっと父である大男にしがみ付いて泣いているんだろうなと、微笑ましい情景を思い浮かべて彼等は走った。
草木を踏み、木々をすり抜け、坂を駆け上がり、辿り着く。
「ひでぇ……」
「……」
「ちっ……!」
辿り着いた彼等の眼に映ったのは、大地が砕け、家々が壊れた景色だった。
それでも、魔物の気配がしないことに安堵する。
壊れてしまったが、壊れたものは直せばいいと頷き、今は村を守った戦士とその娘の所へ足を動かす。
少女の泣き声を頼りに壊れた村を歩き、見つけた。
「ガッツ!ターニアちゃん!」
少女は大地に座り込んで泣き、戦士はその傍に立っていた。
無事だった。あの恐ろしい魔物達を倒したのだ!
男達は喜びのままに走り、青い髪の親子へと駆け寄る。
そして浮き足立った走りは、近づくほどに遅くなった。
「あああああああああああ!」
泣き叫ぶ少女。
傍に来た男達を見ることもせず、泣き叫んでいる。
そして、男達は気付いた。
村を守った青い髪の戦士は。
恐るべき幾多の魔物を切り伏せ。
その顔に満足気な笑みを刻んで。
剣を振り切った姿勢のまま。
――絶命していることに。
誰もが、動けなかった。
何も、考えることが、できなかった。
傷つき崩れた山の上の小さな村に。
幼い少女の泣き声だけが響き渡った――
険しい山の奥の奥。
生い茂った森を越え、厳しい崖を越えた先に石碑があった。
切り立った崖の上、花に囲まれるように置かれた大きな石碑。
その石碑は、山の上の村から見下ろせる場所に設置されていた。
その石碑に一人の少女が近づく。
すらりとした均整のとれた肢体。
腰まで伸びた美しい髪を風になびかせゆっくりとあるく。
さらさらと流れるような美しい髪は、空から降り注ぐ眩しい太陽の光を受け、蒼く輝いている。
大人と少女の中間にある少女は、どこか幼さを残しながらも美しいと呼ばれるに相応しい。
その少女は石碑の前で立ち止まり、ゆっくりと手を伸ばして石碑を撫でた。
「おはよう、お父さん」
朝の挨拶をして微笑む。
それが、彼女の日課だった。
雨の日も風の日も、彼女は一日の始まりを、この石碑――墓へのお参りから始めるのだ。
「今日で、10年、たったよ」
10年、その言葉と共に、少女はかつてあった悲惨な事件に思いをよせる。
幼かった自分。
突如降り注いだ恐怖。
立ち向かった父。
思い出すたびに自責の念が浮かびあがる。
あの日、あの恐怖の日、自分が父の所へ行かなければ、父は死ななかったのではないか、と。
何度も考え何度も悩み、けれど答えはでない。
それでも少女は生きてきた。
あの日あの時、父が見せた背中を胸に秘めて。
父が守ってくれたこの命を、父が誇れるモノであるようにと、日々を賢明に大事に生きてきた。
過去への反芻を止め、墓に刻まれた文字を撫でる。
【村の勇者、ここに眠る】
村を守った父と、前村長が眠る墓を優しく撫でて、少女は笑顔で語りかけた。
「皆ね、あれからすごく頑張ってるんだよ。自警団もね、すごく強くなったんだから」
10年前の悲劇の後、村人達は自警団を作り上げた。
自分たちがどれほど戦士に依存していたか思い知らされた彼等は、二度と誰かを独りで戦わせないと自分達を鍛え上げた。
「それとね、鍛冶屋のおじさん。どんな鎧よりもすごい鎧の構想ができたんだって。精霊様の名前を頂いて、精霊の鎧って言うらしいんだよ。ここ最近、ずっと工房がうるさいの。かきーんかきーんって。ふふっ」
かつて戦士の武器を整備していた鍛冶屋も、あの日から変わった。
農具専門であり武具は苦手だと言っていた鍛冶屋は、あの日から強い武具を作ることを目指している。
10年前、鍛冶屋は戦士が着ていた鎧が真っ二つに裂けていたのを見た。
苦手だといって鎧を触らなかったから、こうなったのではないか。
もっと強い武具を自分が作っていれば、あの気のいい戦士は死ななかったのではないか。
それは後悔だろう。
だが、鍛冶屋は後悔に潰れることはなかった。
後悔に浸るよりも、村を守るために立ち上がった自警団のために、武具を作ったほうが有意義だといわんばかりに彼は武具作りに精を出す。
そんな鍛冶屋が唯一過去を振り返るのが、現在考案中の最高の鎧、『精霊の鎧』だ。
その鎧は自警団のためではない。
今はもう、着ることはない、この墓の下で眠る戦士のために作っている。
それが、鍛冶屋に残った感傷だった。
「うん、皆、頑張ってる。私も、頑張ってる。だから、お父さん。お母さんと一緒に、笑ってくれる――?」
涙が溢れそうな瞳で、少女は微笑み空を仰ぐ。
そこに、記憶に残った父と母の姿を思い描いて。
「よしっ、今日も一日がんばろー!」
日々の日課を終えた少女が墓に背を向ける。
崖の上の墓地は日当たりもよく、風も気持ちよく拭きぬける。
一陣の強い風が、草を揺らし、花を空へ泳がせ、少女の髪を躍らせた。
ざぁぁと、草が揺れる音の中……ガサリと異音が響いた。
「誰!?」
異音に対する少女の反応は早かった。
墓の後ろから聞こえてきた音に対し、持っていた護身用のナイフを構え相対する。
ナイフを構えながら警戒をするが、一向に相手の反応がない。
魔物だろうか。
仮に魔物だとしても、少女はこの辺りの魔物なら余裕を持って倒せる程度の実力を備えている。
不測の事態も考えながら、ゆっくりと、墓の後ろへと歩を進めた。
少しずつ、静かに間合いを詰め、墓の後ろを探る。
そして、見えた、隠れた人物。
墓を背もたれにして座り込む誰か。
その人物の顔を見た瞬間――
「――――――おとう、さん?」
――少女はその瞳を見開いた。
少女が見た人物。
青い髪を逆立てた男性。
一目見て戦士だとわかる鍛えられた肉体。
体中に傷を刻んだ――年若い青年。
自分よりも多少年上程度の青年だった。
それでも少女はその顔をみて驚いた。
青い髪が、戦士の風体が、なによりも、その顔が――記憶の中の父を思いださせたから。
「貴方は……あっ!す、すごい傷!待ってて!今、村の人呼んでくるから!」
少女は村へ向って駆け出す。
正体不明の謎の青年を助けるために。
その怪しさを疑うよりも、この青年を死なせていけないと本能が叫んだから。
「誰だか知らない。けど、けど……!私はあの人を助けたい!」
心のままに少女は走る。
きっとこの出会いは、なにかの始まりなのだと思いながら。
少女は出会ったばかりの青年のために、その全霊をかけて走った。
「……ぅ……ぅう……ハッサ……レーユ……ごめん……」
――幻の大地を駆け巡る冒険が今、始まる――
~あとがき~
リメイクされたら主人公がイベントでギガデインを覚えると思っていた時期が私にもありました。
捏造主人公の名前は、漫画版ドラクエ6の主人公「ボッツ」をもじったんですが・・・やだ、ただよう狂戦士臭。でも別に義手じゃないです。
なぜ主人公とターニアだけ髪が青いの?
なぜターニアの家は2つもベッドがあったの?
なぜターニアは謎の青年を家に置いたの?
ライフコッドの村人の強さは異常。
そんな疑問から生まれた超捏造短編。
今やってる連載が終わって続きを思いついたらボッツ編を始めます。たぶん。