「らぁあああああ!!」
「こいつは――――!」
まるでバーサーカーの如く咆哮しながら、その男は光を反射して妖しく光る日本刀を武器にキャスターと切り結ぶ。
異常といえば全てが異常だった。
聖杯戦争に表側に属する軍隊が投入されるどころの話ではない。軍隊ですらただの人間ではサーヴァントには勝てないという聖杯戦争の絶対条件を崩すことはできなかった。
だというのにこの男はマスターでありながら単体でサーヴァントと互角以上に戦うという異常事態を成し遂げてしまっている。
(そんな……馬鹿な!)
余りのことに冥馬は目を見開いて、その戦いを凝視するしか出来ない。
もしも自分のサーヴァントが白兵戦に優れないキャスターであれば、こういうことも起こりえる事の一つとして認識できていただろう。
通常キャスターのサーヴァントは能力を『魔術』に特化させているため、接近戦の心得のある武闘派であれば、近接戦闘に持ち込んでしまえば或いは勝てないこともないかもしれない。無論自分が接近戦に弱いことなど魔術師の英霊であれば誰もが分かっていることなので、そう安々と接近を許すはずもないのだが。
だが冥馬の召喚したキャスターは通常のキャスターの常識には当て嵌まらない。
なにせキャスターの真名はアーサー王。ブリテンを統一させ、安寧を齎した騎士の王だ。
魔術のみならず剣術にも秀でているのは、なによりもキャスターでありながら『セイバー』のクラスを併せ持つ特殊技能『二重召喚』が証明している。
だというのにあの男はキャスターと互角……もしかしたらそれ以上に戦っているのだ。もはやそれは異常を超えて『偉業』と呼んですら差し支えない程の成果である。
「だらぁあああああ!!」
キャスターの剣術が先達者が培った基本という土台に支えられた王道的なものであるのならば、男の剣術は己が本能を前面に押し出す野獣的な動きだった。
時に周りの壁を足場と利用し、人間というよりは猿のような三次元的な動きでキャスターと斬り合っていく。
しかし真に野獣であればキャスターと戦える筈がない。
良く観察していると分かった。あの男の剣技は基礎など度外視した邪剣のようでいて、その実、剣の一振り一振りに濃密な基礎の積み重ねが垣間見える。
「璃正、もしかしてアレは剣の妖怪か何かなのか? それとも戦国時代の落ち武者の幽霊?」
「現実逃避したくなる気持ちは分かる。しかしアレから人外の邪気は感じない。アレは魔術師であれ我々と同じ人間だ。……たぶん」
璃正の言葉には自信がない。
首に刻まれている令呪といい雰囲気といい……あらゆることが彼が『人間』であると証明しているというのに、サーヴァントと互角以上に戦うという行動が、彼を人間ではなくサーヴァント的なものへとしていた。
理論上は、有り得ないことではない。
英霊というのは謂わばその時代における最強クラスの『人間』の別名だ。故に現代における最強クラスの『人間』であれば、過去の英霊であるサーヴァントと戦えないこともないのかもしれない。
だが現代で英霊と戦えるほどの実力者など、それこそ世界に数人しかいない『魔法使い』か吸血鬼たちの王くらいだろう。魔術を戦闘に用いることに秀でた封印指定の執行者、その中でも最強クラスの連中ですら、サーヴァント相手では霞んでしまう。
「違う……それだけじゃない……」
キャスターが優れているのは剣技だけではない。振るっている武器もまた英霊の武器としても最高峰の聖剣である。
時代において名剣・名刀と謳われるほどの一品も、あの聖剣と比べればナマクラ同然だ。一度まともに打ち合えば、それだけで刀など折れてしまうだろう。
だというのに黒衣の男が振るう日本刀はどれだけ聖剣と鍔迫り合っても折れるどころか皹が入る様子すらない。
冥馬は日本刀をまじまじと観察してその理由を察する。
黒衣の男の日本刀は単なる名刀ではない。
こうして離れて戦闘を見守っていても、刀に染みついた血の臭いや怨念を感じることが出来る。
アレはもはやただの刀ではなく、刀でありながら魔を断ち聖を斬る妖刀だ。内包する神秘の質は英霊の振るう武器と比べても決して見劣りはするまい。
あんな妖気を発する刀など常人であれば掴むだけで精神が壊れそうなものだが、あの男には刀に精神を支配されている気配は皆無だった
妖刀そのものがあの男を己が『担い手』として認めていなければ、ああはいかないだろう。
〝村正〟という妖刀の銘が脳裏を過ぎった。
「まさかこれほどの使い手がマスターにいるとは……!」
このまま斬り合っても埒が明かないと思ってか、キャスターが炎の魔術を放ち距離をとろうとする。
まともな人間なら炎が目の前にあれば取り敢えず回避するだろう。だが男は違った。あろうことか男は炎を前にしてもまるで臆すことなく突進し、
「どらああああ!!」
さながら海を割ったモーセのように、妖刀の一閃で炎を〝切って〟しまった。
切り開かれた炎の中に男は飛び込み、鎌鼬の鋭さで刀を横なぎに振った。
「――――――!」
これにはキャスターも声を失ってしまう。だが冥馬のように驚きながらも完全に動きを止めることはなかったのは流石というべきだろう。キャスターの双眸はしっかりと黒衣の男を捉えて離さなかった。
「英霊を舐めるな、魔術師」
キャスターは黄金の剣で妖刀を受け止めると、がら空きの脇腹に蹴りを入れる。
「フゥ!」
男はキャスターの蹴りを自分の足の裏で受けると、蹴りの勢いを逆に利用して後方へ飛んだ。
蒼い騎士と黒衣の男が互いの得物を構え対峙する。
「サーヴァントと互角に戦うマスターなど、イレギュラーもいいところだな。どうなっているんだか……」
苛々しながらキャスターが吐き捨てる。
冥馬も璃正も全面的に同意見だった。冥馬たちもそれなりに肉体は鍛え上げているが、あくまでそれは人間の範疇であって黒衣の男のように英霊とガチで斬り合えるほどのものではない。
だが黒衣の男はキャスターの発言に不満があったらしい。
「おいキャスター」
低く怒気すら滲ませた声で男が言う。
「マスターじゃサーヴァントに勝てない? 誰が決めた? いつ決めた? お前等サーヴァントは死んで『英霊の座』へ行き英霊になった。俺は死ねば靖国へ逝き英霊になる。
お前等と俺の違いなんて、今を生きてるか、とっくの昔に死んでるかだけだろう」
「――――!」
黒衣の男は憚ることなく己を英霊と比肩しうる人間だと、未来に英霊となる人間であると言う。
大言壮語だと嘲笑うことなど出来はしなかった。数多の人々の怨嗟を糧とした妖刀を振るい、古の騎士と互角以上に切り結ぶその姿は――――現代に蘇った〝英雄〟そのものだ。
例えこの男が死した後に『英霊の座』に招かれたとしても、冥馬は不思議には感じないだろう。
「お前の言う通りだな……。お前がなんであろうと関係ない。一つ言えることはお前は聖杯戦争のマスターで、俺がサーヴァントだということだ」
そして敵マスターとはサーヴァントにとって撃ち滅ぼすべきものに過ぎない。
キャスターは刃を黒衣の男へと真っ直ぐ向けた。
「敵を前にして俺のやることは一つだけ。切り伏せることのみ。お前はここで消えろ」
「気が合うな……おめぇ。俺も同じ意見だ。おめぇがどこの国のどの英雄かは知らん。知らん……が、日本の敵は一人残らずそっ首切り落とす」
「良く吠えた魔術師。逆にお前の首を切り落として晒し者にしてやる」
全く同程度の殺意をぶつけ合いながら、キャスターと黒衣の男は互いの隙を伺う。
けれどこの時、冥馬と璃正……もしかしたら敵である黒衣の男すら失念していた。黒衣の男は確かにサーヴァント並みの強さをもっているが、マスターであることには変わりない。マスターである以上、召喚したサーヴァントは他にいるのだ。
「……これは!?」
冥馬は肌を突き刺すような冷たい気配を感じて振り返る。
黒衣の男の反対側。丁度逃げ道を塞ぐように一人の女が立っていた。
女が微笑を浮かべる。ゾクリと冥馬の背中に悪寒が奔った。
――――その女は冷たかった。
笑みが冷たいだとか、表情が冷たいとか、そういった次元ではない。女の存在そのものが凍てつくほど冷たかった。
白雪を布に塗り込んで作り上げたような白い着物。極小の結晶を散りばめたような青白い長髪は、冷たい風に煽られれ水面のように揺れている。着物の胸元は開いており、生唾を呑み込むほど扇情的な色気を醸し出していた。
なによりも内包している魔力が途方もない。
こんな魂を凍てつかせるような冷徹な魔力を振り撒く女がただの人間であるはずがない。彼女は英霊だ。状況からして黒衣の男の召喚したサーヴァントに間違いないだろう。
「相馬戎次少尉殿ぉ~。私が来る前におっ始めちゃうなんて冷たいじゃない」
雰囲気とは反した熱の籠った目で女は黒衣の男――――戎次に声を投げた。
「あ? 仕方ねぇだろ。ライダー、ゼロ戦が墜とされっちまったから、取り敢えず急いでこっち来たんだ。っていうかお前こそなんでこんな遅ぇんだ?」
「私はね、ほら。この辺りの土地勘ないじゃない、戎次と違って。特にこの辺り道が曲がりくねってて」
「なんだ。迷ったのか?」
「有体にいえば」
聖杯戦争中とは思えないほど軽いやり取りをする二人。
お陰で様々なことが分かった。一時は冥馬たちを追い詰めたゼロ戦のパイロットはそこの相馬戎次なる男で階級は少尉、白い着物の女はライダーのサーヴァントだ。
ライダーとはその名の通り騎乗兵である。白兵戦において三騎士に劣る分、強力な『宝具』に特化したクラスだ。そして三騎士ほどではないがクラス別技能として対魔力を備えている。
魔術に秀でたキャスターとの相性は宜しくはない。
「……ま、いっか。んじゃ大尉の命令だ。こいつらのそっ首切り落とす。あと……アレを獲るぞ、アレ!」
「聖杯だよ聖杯。ひらがなでたった四文字なんだから覚えなさい」
逆方向から戎次とライダー、二人がにじり寄ってくる。その雰囲気は決闘に赴く騎士というよりも、獲物を罠にかけた狩人のようだった。
事実その通りである。
相手がライダーのサーヴァントだけなら、冥馬たちはそこまで追い詰められてなどいなかった。
だが『相馬戎次』。この男の存在がなにもかもを狂わせてしまっている。
戎次がサーヴァント並みの強さをもっているのは嘘や冗談のようだが真実だ。つまり信じたくない事に、相手には二騎のサーヴァントがいるのと殆ど同じなのである。
キャスターはアーサー王だけあって強力なサーヴァントなのだろう。だがこれまでのキャスターの戦いぶりを見る限り、二体のサーヴァントを同時に相手できるほどぶっ飛んだ強さはもっていない。
それは冥馬も同じ。本来であればサーヴァントの相手はサーヴァントが、マスターの相手はマスターがするべきだ。
しかし相馬戎次、あれを相手にするのは冥馬には出来ない。あれほどの剣技と妖刀をもつ男などと真正面から戦闘すれば、一分足らずで冥馬の首は胴体から離れることになるだろう。
冥馬が一分間全力で戎次を抑え、その間にキャスターがライダーを倒す――――というアイディアが浮かぶが即座に却下する。
ライダーはまだまったく自分の能力を晒していない。そんな相手をキャスターなら一分間で倒せると過信するほど冥馬も馬鹿ではなかった。
だとすれば、
「Verbrennung!」
例え無茶だとしても冥馬がライダーを抑えるしかない。勿論サーヴァント相手に時間稼ぎなど正気の沙汰ではないが、危険でもやらねば死ぬだけだ。冥馬が死ぬ気でライダーを抑えて漸く条件は互角となる。
炎の魔術がライダーに向かっていった。
「ふふっ」
ライダーは冥馬の魔術を前にしてもなにもしない。だらん、と両手を下げたままだ。
炎がライダーに命中する。命中する、が……ライダーには何の効果もない。
「なぁにこのチンケな炎。こんな炎じゃ私を燃え上がらせることは出来ないねぇ」
対魔力スキルによる魔術の無効化。冥馬の炎はライダーにまったくダメージを与えることが出来なかった。
ライダーがつまらなそうに鼻を鳴らすと、全身から冷気を発して炎を消し去る。
「お返しにチンケな炎なんて出せなくなる本物の『冷たさ』を教えてあげる」
「ぐっ……!」
ライダーが手を翳すと一瞬で全身が凍結するほどの冷気が発せられた。
冥馬の炎だけではあの冷気に対抗することはできない。冥馬は懐からルビーを取り出すと、その魔力を自分の魔力に合わせた。
「Verbrennung!」
宝石を費やしてのランクAに届く炎、それで漸くライダーが通常攻撃として放つ冷気と互角だった。
炎と冷気がぶつかり合い、真下の地面を凍らせ、その凍った地面を更に燃やす。
「ふふふふふふふふっ。聖杯を生み出す御三家だけあって気張った炎も出せるじゃない」
ライダーが冥馬の魔術を見て賞賛するが、それに喜んでいる余裕などはなかった。
宝石で上乗せした分の魔力が尽きる。それと同時に拮抗状態も終わった。ライダーの冷気が完全に炎を上回り迫ってくる。
「冥馬!」
キャスターが冥馬の援護に向かおうとするが、
「――――おめぇの相手は、俺だ」
戎次がそれを許さないとばかりに、キャスターへ猛攻をかけてくる。
「チッ。邪魔な……!」
キャスターは戎次の相手をしていて動けない。もしも無理にキャスターが冥馬の援護に回ろうと背を向ければ、戎次の刀はキャスターの首を容赦なく切断するだろう。
それが分かるから冥馬もキャスターに「助けろ」という命令を出さない。今の冥馬に出来るのは全身全霊でライダーを相手にすることだけだ。
「まだ……まだ!」
冷気が冥馬に到達するよりも早く、もう一つの宝石を取り出して火力を上げる。
再び炎と冷気が拮抗状態へ突入した。だが〝拮抗〟とは程遠い展開に冥馬は歯噛みする。
(このままじゃ――――負ける!)
恐怖でも絶望でもなく、冷静な判断のもと遠坂冥馬は自分たちが敗北するであろうことを悟る。
キャスターは戎次の相手をしていて動けず、冥馬はライダーと拮抗する為だけに宝石を使い潰すことを強いられ、璃正は霊体であるライダーやサーヴァント級の強さをもつ戎次相手に抗う術はない。
故に敗北は必定だ。勝ち目は皆無に近い。もしも現状を維持すれば、だが。
(これを引っ繰り返すには現状を打開する作戦が必要だ)
財政的にも戦力的にも宝石に余裕があるうちに、逆転の秘策を思いつかなければならない。冥馬は嘗てない勢いで頭脳を回転させた。
現状を維持するのは論外として、戦う相手をキャスターと交換するというのも難しい。
相手が吸血鬼だろうと、それに類する化物でも冥馬はそうそう負けない自信はあるが……流石にアレの相手は不可能だ。
なにせキャスターの魔術をぶった切るなんて妖刀を振るう相手である。宝石魔術をぶちかましたところで宝石ごと両断されかねない。
宝石の魔力を全て身体能力のブーストに用いれば、ある程度は戦える自信はある。だがそれは所詮戦えるというだけで倒せるというわけではない。宝石の魔力が切れれば身体能力のブーストもなくなり、やはり両断されるだけだ。
(令呪を使う……?)
三画の絶対命令権はサーヴァントを律するだけではなく、ブーストするにも効果的だ。
例えば令呪でキャスターに『自分達を連れて逃げろ』と命じれば、包囲を突破して逃げられるかもしれない。
これは中々現実的な作戦に思えた。戦っても勝てず負けたくないのなら、降参するか逃げるかするしかない。
だが結局のところ可能性があるというだけでこれは一種の『賭け』だ。賭けに失敗すれば、令呪を一つ捨てることとなる。
冥馬には令呪を使う以外にもう一つ案があったが……やはりこれも『賭け』の範疇を出るものではない。しかも下手すれば聖杯戦争がその場で崩壊しかねないほど危険なギャンブルだ。
「どうせ両方賭けなら」
成功して旨味がある方を選ぶのが良い。
そう決断した冥馬は炎で壁を生み出してから、一目散に璃正のところへ向かう。いきなり自分のところに向かってきた冥馬に璃正は目を剥いて驚愕した。
「く、冥馬!?」
「すまん。これを借りる!」
驚いている璃正に構わず、冥馬は璃正が持っていたあるものを拝借した。
そのままの勢いで冥馬はキャスターと戎次のところへ全速力で走る。背後で璃正がなにか言っていたが黙殺した。
「どけ、キャスター! 俺がそいつと戦う……!」
「馬鹿な! なにを狂ったことをしている冥馬、無駄死にするつもりか!」
「うおおおおおお!」
キャスターの警告すら無視して、冥馬は戎次の前に立つ。
一瞬面食らっていた戎次だが、サーヴァントより弱いマスターが己の前に立ったことに喜びを露わにした。
「お前の方から出てくるたぁ、嬉しい誤算だ。だが話が早ぇ。その首級、頂く!」
風を切る速度で妖刀が冥馬の首級目掛けて振り落される。防ぎはしない、魔術も使わなかった。
どうせ相馬戎次の妖刀の前に冥馬の魔術など気休めにしかならないのである。無駄な消費は魔術師として恥ずべきことだ。
冥馬は真っ直ぐに敵を見据え、璃正から拝借したソレを前へ突き出した。そして、
「〝これは聖杯だ〟」
「!?」
冥馬の告げた一言が戎次の耳に届く。
瞬間、風を切る速度で振り落された刃は、大岩を動かす剛力によって引き留められた。ピタリと、聖杯の入ったケースに触れるか触れないかというところで刀が停止する。それは相馬戎次にとって致命的な隙となった。
作戦会議もなければ会話もなかったが、キャスターは雷光の如き速度で冥馬の作戦を認識する。
「そこだぁあああ!!」
キャスターの斬撃が戎次を襲う。普段の戎次なら躱せば一撃も、聖杯の前に刃を寸止めして隙を晒した戎次では回避不能のものだった。
「がっ、はっ……っ!」
それでも戎次は自分で自分に魔術をかけて体を一時的に浮遊させつつ、更に全力で身をよじることで致命傷だけは防いでいた。だが肩から脇腹までが斬られており、しかも剣には炎が纏っていたので傷口からは火が上がっていた。
戎次は吐血しつつも御札のようなものを傷口に押し当て消化する。けれど傷の方が消えることはなかった。
「はぁはぁ――――油断した。だがこんなもんまだまだよ。俺は生きてる。戦えるぞ。え? 魔術師!」
常人なら気絶しても不思議ではないほどの重症。でありながら戎次の目から闘志はまったく消えていない。寧ろ傷を負いより燃え上がっていた。手負いの獣は獰猛というが、それは人間にも当て嵌まるらしい。
戎次が今にも燃え上がる闘志を解放しようとする。だがその燃え滾る闘志を冷やすような声が頭上より降りかかった。
「――――そこまでよ」
重症を負いながら尚も戦いを続行しようとした戎次を、空中を浮遊しふわりと戎次の隣りに降り立ったライダーが制止する。
「傷を負っても魔力さえ治れば直ぐに回復できる私と違って、貴方は一応カテゴリー的には人間でしょう? そんな血を垂れ流したまま戦ってたら死ぬよ」
「死ぬのは恐くねぇ。こんな傷なんざ屁でもねぇよ。……と言いてぇが、戦えてもこんな傷じゃあいつら倒せねぇかもな。逆に殺されるかもしれねぇ。分かった。退却すんぞライダー」
「はいはい。仰せのままに御主人。というわけだ、見逃すのは口惜しいけど退散させて貰うよ」
「………………」
待て、と叫ぶことはできなかった。冥馬のセコイ作戦で戎次に重傷を負わせたとはいえ、消耗しているのはこちらも同じ。追撃をかければ返り討ちにあう可能性も高い。
忘れてはならない。聖杯戦争はバトルロワイアルなのだ。
もしここでライダーと戎次を倒す事が出来ても、万が一直ぐにナチスあたりが襲い掛かって来れば冥馬もキャスターも終わりだ。
故にここは追わない、という選択肢を選ぶ。
雪風がライダーと戎次の周囲を舞っていく。
「遠坂冥馬、キャスター。お前等の顔は覚えた」
雪風の中、戎次は爛々と光る双眸で冥馬たちを睨む。
「首ィ洗って待ってろや」
殺意に満ちながらも邪気のない笑みを浮かべた戎次は、そう言い残して雪風と共に宙へと消えていった。
息を吐き出す。
今回も紙一重だったが、どうにか生き延びることが出来たらしい。
この分では遠坂の家訓たる『余裕をもって優雅たれ』を聖杯戦争で実践できるのはいつになることやら。
前回といい今回といいまるで優雅さも余裕もありはしない。
「冥馬!」
「おお璃正。お互い壮健でなにより」
「なにより、じゃない!」
物凄い勢いで詰め寄って来た璃正が、がしっと冥馬の肩を掴む。
「私から聖杯を奪うのみならず、聖杯を盾にするというのはどういうことだ!」
「はははははは。ま、別にいいじゃないか。結果オーライだったんだし」
「結果が良ければなんでも許されるわけじゃない。……やはり魔術師と私とは相いれないようだな。大体戎次が刀を止めたからいいものの、もしも止めていなければ今頃聖杯も君も真っ二つだったんだぞ。そうなれば聖杯戦争とて継続不能だ」
「そうなったら俺も死んでいるわけだから、聖杯戦争が続行出来ようと出来なかろうと遠坂的には関係ないというか……」
「ええぃ! それが本音か! 御三家なら少しは他の参加者のことを考えたらどうだね。それと私の管理下である『聖杯』を自らの作戦のために利用するなど、私でなければ協定違反と言って共闘も終わっていたところだぞ」
「ほほう。私でなければ、ということは今後も共闘関係は継続してくれるということで良いのかな?」
「む」
思わぬ反撃に璃正の手が緩まる。その隙に冥馬は身体を捻り、璃正の手から逃れた。
璃正がその態度にまた怒り心頭となり説教攻勢を仕掛けようとするが、
「そこまででいいだろう」
キャスターが割って入って止める。
「この馬鹿マスターの猿知恵作戦に文句があるのは俺も同じだが、結果を出してしまっている以上は百の文句も説得力に欠ける。なにより冥馬のとった行動は馬鹿ではあったが愚かではなかった……。
それよりも急ぐぞ。頭からっぽの馬鹿どものように戦いが終わった事で浮かれるよりも、先ずはここから離れるべきだ。騒ぎを聞きつけたナチス共ともう一戦したいなら無理にとは言わないが」
「そうだな。璃正、話は後だ。キャスターの言う通りいつまでもここにいれば、ナチスとランサーが漁夫の利を狙ってくるかもしれない」
「……うむ。致し方ないな」
冥馬と璃正、年甲斐もなく学生のようなやり取りをした二人だったが、その精神は愚かなものではない。優先順位を測り違うことはなかった。
キャスターの進言に従い、二人は急いで退散する。
「キャスター、なんで兵士を担いでるんだ?」
走りながら何故か気絶していた兵士を担いでいるキャスターに尋ねる。
「襲ってきた連中の情報がこいつの頭の中に入っているだろう。拷問で口を割らない可能性もあるが、俺もキャスターの端くれ。頭の中にある情報を無理矢理に引き出す術は熟知している」
キャスターの発言は物騒であったが、そういうことならばと頷く。
冥馬はこの戦いで二個もの宝石を使ってしまった。情報の一つや二つ引き出さなければ採算がとれない。なにより今は情報が一つでも多く欲しい。
キャスターに倣ってというわけでもないが、冥馬は地面に落ちていたお札を拾う。きっと戎次の使用していたものだろう。日本の呪術師が使うお札と類似していたが、そこに記されていたのは、なんともちぐはぐなことにルーン魔術に使用されるようなルーンだった。しかし時計塔で見たルーンとは微妙に違うような気もする。
(ルーンを専攻しておいて正解だったな)
これも貴重な情報源である。後で調べてみれば分かることもあるだろう。
「行こう!」
そして今度こそ冥馬たちは人払いの施された空間を離れた。
激戦を思わせる大量の薬莢と破壊された町並みだけが後に残される。