キャスターの懸念はある意味において正しかったといえるだろう。
彼が警戒したナチスは――――確かに遥かな遠方から帝国陸軍と冥馬たちの戦いを眺めていたのだから。
尤も懸念は完全に正しかった訳ではない。少なくとも現状で『ナチス』とナチスの援助を借りているマスターたるダーニックは、ライダーとの戦いを終えたキャスターたちに仕掛けるつもりはなかった。
否、出来なくなったが正しいか。
「……凄まじい。あれは本当にマスターなのか」
畏怖すら滲ませて、ダーニックは呟く。心なしか唇は僅かに震えていた。
ロディウスよりの情報で『相馬戎次』という男が戦闘に特化した魔術使いで、油断ならぬ強敵だというのは承知していた。だから相馬戎次が強いだけならダーニックとて驚きはしない。ダーニックに誤算があるとすれば、想像を遥かに超えるほど相馬戎次が強かったことだろう。
時計塔でロードと呼ばれる者達や、大魔術師と呼ばれる連中もあそこまで出鱈目ではない。
魔術師として魔術の腕ならばダーニックも自信はあるが、戦闘という分野で相馬戎次と戦い勝利する未来を描くことはまるで出来なかった。
客観的に彼我の戦力差を考察すればもって三十秒。三十秒たらずでダーニックは敗北し絶命する。この時間は縮むことはあれど伸びることはあるまい。
魔術をも切る妖刀を振るい、サーヴァント並みの戦闘力で襲い掛かる戎次は魔術師からすれば悪夢の具現とすらいえた。
「はははははははははははは。世界は広いな、ダーニック。私もサイボーグだとか吸血鬼だとか、それなりに出鱈目な者を知っていたが、よもや己の肉体をあそこまで極限に鍛え抜いた現代人がいるとはねぇ!
いやはや彼をもはや人間とは言えまい。彼は英雄だ、掛け値なしに英雄だ。なんというチート。帝国陸軍は英雄を二体擁しているぞ」
「笑い事ではありません、大佐」
想定外なのはダーニックだけではなく、総統の命令でここ日本に軍隊を引き連れてきているロディウスとて同じはずだ。
だというのにロディウスには本当に状況を理解しているのか、と二三時間ほど問い詰めたくなる程に気楽な態度を崩さない。
その様には呆れや怒りを通り越してある種の尊敬すら抱いてしまう。
「同盟国ということで、日本の言葉をちょちょいと勉強したのだが……この国の諺には笑う門には福来たるというものがあるらしい。相手が二体の英雄なら、こちらはせめて幸運くらい味方につけておかなければ」
「味方につけられるのは幸運だけではないでしょう」
「というと?」
「相馬戎次とライダーは難敵、それに帝国陸軍の補助もあれば単独で撃破するのはほぼ不可能です。しかし飛び抜けて強い勢力が必ずしも覇権を手にするとは限らない」
別に斬新なアイディアなどではない。大昔から西洋問わず多くの国でとられてきた戦略だ。
飛び抜けて強い勢力があるのならば、なにも単独で戦う必要などない。例え単独では倒せない相手でも多対一であればそうではない。古来より小国同士が連合し大国を打倒した例は多くある。聖杯戦争でもそれは当て嵌まる。即ち他マスターとの『同盟』だ。
勿論相手が魔術師である以上、同盟を結ぶのも簡単なことではないだろう。だが交渉や政治はダーニックの得意分野だ。それに調略の対象は必ずしもマスターのみとは限らない。
「同盟、共闘……。一応彼等は我が国の愛しい同盟国なんだけどねぇ。ま、これはこれから起こるだろう『第二次』じゃなく『第三次聖杯戦争』だ。
髑髏の帝国に味方する太陽は、今は我々に敵対するマスターに過ぎない。どこぞの海賊じゃないが、太陽は堕とさせて貰わなければね」
ぎらぎらとロディウスの双眸は妖しい光を灯していた。
帝国陸軍のマスターがあれほど怪物染みた強さをもっていたのは想定外だが、だからといってナチスの優位が崩れたわけではない。
帝国陸軍は軍隊と地の利はあるかもしれないが、ナチスには帝国陸軍を超える『叡智』がある。
ランサーだけではない。ロディウスが擁しているナチスの科学力が生み出した結晶を用いれば、相馬戎次をサーヴァント無しで倒すことも可能だろう。
(もっとも今はまだその時じゃない)
切り札を早々に出すなど愚の骨頂だ。
ダーニックから言えば、相馬戎次の戦闘力は脅威であるが、彼のとった行動は愚かともいえる。
なにせあれほどの力だ。来たるべき時まで温存し、ここぞという場面で投入すれば敵の戦力はサーヴァントだけと高をくくっている相手に痛烈なカウンターを見舞うことができるだろう。相馬戎次は序盤に戦線に出すエースではなく、終盤にこそ投入するべきジョーカーなのだ。尤も相馬戎次が早々に行動に出たのにも理由があるのだが。
ダーニックとナチスは帝国陸軍と同じ轍は踏まない。
ナチスが切り札を出すのは最後でいい。第一最大の『切り札』はまだ完成すらしてないのだ。これでは戦線に投入することもできない。
「問題はどこを彼等にぶつけるかだが、当てはあるのかな?」
ロディウスの問いに、ダーニックはナチスの報告書により知った参加者のリストを思い起こしながら口を開く。
「マスター・サーヴァント共に優秀な遠坂冥馬を当て、双方の疲労を狙うのがベストですが、彼等は我々ナチスの方にこそ遺恨があり、思うが儘に操るのは難しいと言う他ありません。
アインツベルンは十世紀もの間、純血を保ち続けた錬金の大家。これもまた組み難い。そうなると必然的に――――」
「フィンランドから参戦してくるらしいエーデルフェルト家の若き当主たちか、間桐家の間桐狩麻か……もしくはまだ見ぬ七人目の参加者ということになるね」
「はい」
帝国陸軍への当て馬にするにも、選別は慎重にしなければならない。
下手な相手を使えば、帝国陸軍と組んで逆にこちらに噛みついてくるかもしれないし、弱すぎる相手では大した損害を与えられずに終わってしまう。
「しかし相馬戎次とライダーは早々に消してしまうには勿体ない。帝国陸軍と彼等には冬木でもっと暴れて貰わなければ……。彼等を消すのはその後です」
「ま、使える駒は使い潰さなければね。ただの駒に成り下がってくれるほどに甘い相手じゃなさそうだが。帝国陸軍を率いている少佐はさておき、相馬戎次はね」
「ええ。しかし七人の英霊を招くという戦いから、何か予期せぬことが起こることは想像していたが。まさかこれほどとは思いませんでした」
ダーニックは肩を落とす。
本当なら帝国陸軍と冥馬の戦いの後、疲労した方に襲い掛かり刈り取る算段だった。だがもしもここで冥馬に襲い掛かっていれば、帝国陸軍が反転してきて背後からナチスを襲う可能性もある。
ダーニックには帝国陸軍内部にも協力者がいるため、ある程度の動きを操作はできるのだが、あの鉄砲玉のような戎次をコントロールすることは難しいと言わざるを得ない。
「それに大佐。相馬戎次にばかり目をとられていましたが、そのサーヴァントであるライダーも脅威的です。空を自由に舞い、冷気などを自在に操る……。ライダーは騎乗兵のクラスですが、あのライダーはどうにも普通の英霊とは違う存在に見えます」
白い着物を纏った水晶の髪をもつ女性。見た目のイメージでしかないが、ダーニックにはあのライダーがなにか乗り物を乗り回すような英霊には思えなかった。
そして一番目を見張るべきは冥馬のランクAに迫る炎の魔術と拮抗した冷気。一見すると『魔術』に見えるが、あれは魔術とは似て非なるものだ。ランサーの対魔力もアレには役立たずだろう。
「ああ。確かにあれは凄まじい胸囲という他ないね」
「ええ。脅威です。本来はサーヴァントが前へ出て、マスターがそれを援護するものですが、あの主従に限ってはその立場が逆転している。早くその真名を確認するべきでしょう」
「やはり開いた胸元が何とも言えない。あそこまで露骨に誘われると、こっちも服なんて脱ぎ捨ててダイブしたくなる。本当にけしからん胸囲だ!」
「そうです……実にけしからん――――って、ふざけないで頂きたい!」
時計塔の政治闘争などを経た甲斐あって、ダーニックの沸点は非常に高い位置にある。
相手が自分の大切な協力者であり、優秀な魔術師だからこそ、どれだけロディウスがふざけた言動してもダーニックは我慢していたが流石にもう限界だった。
「怒るな怒るな。そんなに怒ると将来禿るぞ」
「怒らせているのは貴方でしょう! 大佐……貴方がこうして私の要請に応えて頂いた事には感謝していますが、聖杯戦争はもう始まっているのです。少しは真面目に振る舞って頂きたい」
今頃サーヴァントとしての責務など忘れて遊廓で遊びほうけているランサーといい、真面目に聖杯戦争について調べていると思ったらエロ本を読んでいるロディウスといい、ダーニックの周囲には俗物ばかりだ。第三次聖杯戦争が始まってからというもののダーニックの胃が痛くなった数は七度を超える。
「私は真面目だよ。仕事だけは」
「仕事の真面目さを態度の不真面目で台無しにしないで貰いたいものです」
「ははははは。仕方ないじゃないかダーニック。実は私……十年間もご無沙汰でね。あとついでにKIMONOには並々ならぬ愛着をもっている男だ。
そんな私があんな着物美人、しかも胸元はだけモードを目にして股間をモッコリさせるのを抑えられるわけないじゃないか」
「大佐。せめてオブラートに包んで下さい」
「包む? 私のナニは剥けてるぞ」
ふと令呪を使いランサーを召喚して、隣にいるこの変態軍人魔術師を刺し殺させたい衝動にかられる。
だがその湧き上がる殺意をダーニックは必死に抑え込み、表情に出さずに呑み込んだ。もしもダーニックに時計塔で屈辱的な噂で苦渋を舐めた経験がなければ、確実に羅刹の如き怒りが浮かんでいただろう。
「おっと。こうしてはいられない。湧き上がるこのなんともいえない感を封印して賢者となるため、私はこれからトイレに籠る! 後は任せたよ、ダーニック」
前かがみになりながら、ダーニックがトイレに突進していく。
「…………はぁ」
もはや溜息しかないとはこのことだ。
協力を持ち掛ける相手を間違えただろうか、とダーニックはこれまでの自分の行動を振り返る。
しかし何度繰り返しシミュレーションしても、ダーニックはナチスドイツ――――ロディウス・ファーレンブルクに助力を請うのがベストかつ、最も勝算をあげる選択だったという結果に行きついてしまう。
(これで彼が能無しであれば、とっくに切り捨てられているのだがな)
ロディウス・ファーレンブルクは確かに性格や言動はアレである。だが実に腹立たしいことに能力そのものは極めて優秀だ。
能力、というのはなにも魔術のことだけではない。
政治・統制・根回し・人脈・人心掌握……そういったことが彼は実に巧い。同盟国である日本に、これだけの数の兵士を送り込めたのはダーニックの政治力によるところが大きいが、ロディウスの力がなければここまでの規模の兵力は流石に難しかっただろう。
もし万が一ここでロディウスが死んだりすれば、聖杯戦争に派遣されたナチスは瓦解してしまう。そうなればダーニックも終わりだ。
ダーニックが勝利するためにもロディウスには生きていて貰わなければならなかった。
「それに、ああいったタイプは新鮮でもある」
政治闘争ばかりしてきたダーニックからすれば、自分の感情……というよりは劣情を恥ずかしげもなくぶちかますロディウスは未知の存在だ。
ダーニックの人生は聖杯戦争で終わるのではない。寧ろ聖杯戦争は自分の悲願を成就させる第一歩、通過点に過ぎないのだ。そして己の悲願のために動こうとすれば、必然的に人と関わり政治をする機会も今以上に多くなるだろう。
その時の為にロディウスのような変わり種と交流しておくのも悪くはない。ダーニックはワイングラスに街並みを映しながら、邪気のない笑みを浮かべた。
相馬戎次の奮迅は遠坂冥馬のみならず戦いを遠方より監視していたナチスにまで鮮烈なインパクトを与えた。
帝国陸軍が必勝を期して用意した最強のマスターが伊達ではないことは、遠坂・ナチス双方が認識しただろう。
しかし一方で相馬戎次本人の顔は優れなかった。口元は真一文に結ばれ、眉間には皴が寄っている。
その理由は戎次の負った傷にあった。キャスターとの戦いで、キャスターの黄金の剣に受けた傷は幸いそこまで深くはなく命に別状はなかった。
これならば自分の治癒魔術で直ぐに全快できる。そう思っていた戎次は身を以て聖杯戦争の恐ろしさを知ることとなった。
「まさか切られた傷が回復しないなんてねぇ。あの黄金の剣からして真名はアーサー王で間違いないんだろうけど、聖剣に治癒不可の呪いがあるなんて聞かないし。どうしたんだろうね」
自分のマスターが負傷しているというのに、戎次のサーヴァントであるライダーといえばまるで動じた風もなかった。
ライダーはサーヴァント戦の直後だというのに、戎次の金を勝手に使って買ってきたかき氷などをパクパクと食べている。
この寒い季節にかき氷など季節外れも良いところだが、ライダーによれば「あんまり縁のないものだから食べたくなった」とのことらしい。
「治癒不可じゃない。治癒阻害だ。治癒魔術はしっかり効いてる。ただ効き目が薄まってるだけだ」
こうして話しながらも傷口には治癒の〝ルーン〟らしきものが刻まれた〝札〟が張り付けられており、魔術回路が肉体を治癒すべく全力で稼働している。
だが傷の治癒は非常に遅々たる速度で、なんらかの異常によって治癒魔術の効力が阻害されているのは明白だった。
もっとも完全な治癒不可ではなく治癒阻害であったのは不幸中の幸いだろう。不可であればどれだけ手を尽くそうと回復不可能であるが、阻害であれば手を尽くせば回復可能なのだから。
戎次には今日一日は無理だが、四日もあれば傷を完治させる自信があった。
「どっちにせよ面倒な呪いにかかっちゃったわねぇ」
「こんな傷、銀シャリ食やぁ治る」
「いや治らないでしょ。そんな簡単に傷が治ったら病院には薬じゃなくてお米が並んでるよ」
かき氷を口に運びながら呆れたようにライダーが言う。
医食同源という四文字熟語の通り食事とは病気を予防するのに有効なものであるが、だからといって食べるだけでそう簡単に怪我が治ったりはしない。
「ねぇ。戎次、アンタも一応は魔術師の端くれでしょう。アーサー王の聖剣が治癒を阻害する呪いを孕んでた、なんて伝承あったっけ? 私は知らないんだけど」
「俺も知らん! 俺ぁ他の国の伝承とかあんま知らねえからな」
「……………私が言うのもなんだけど、魔術師としていいのそれで?」
相馬戎次の生家たる『相馬家』はかなり特殊な家だ。
日本に拠点を置きながら西洋魔術を身に刻んできた家は探せばそれなりの数が存在している。御三家の一角たる遠坂家などその最たるものである。
しかし幾ら日本に拠点があるといっても彼等は正道な魔術師であることに変わりはなく、魔術の総本山たる時計塔側に属する者だ。そうでなくても時計塔にもどこにも所属しない者である。西洋魔術を身に刻みながら、帝国陸軍に属する魔術師などいはしない。唯一人『相馬家』を除けば。
「うちは魔術師になるために魔術を刻んできたんじゃない。魔術を知ることがこの日本の役に立つと信じたから歴史の影で魔術っつうもんを鍛えてきた。
良く分からんが時計塔とかいうとこに所属するような魔術師は『根源』ってやつを目指すらしい。だが俺の魔術は日本を守るためのもんだ。『根源』なんぞ知らん。
だからまぁ他の魔術師なら知ってるようなことも俺は知らんのだ」
「はぁ。頼り甲斐があるんだかないんだか分からないマスターだことで」
「じゃかしい! 俺は頭ァ使うのは良く分からん。お前こそサーヴァントなら他の英雄の知識あるんじゃねえのか?」
英霊の座は通常の時間軸から外れた『世界の外』にある。
故に例え相手のサーヴァントが自分より後の時代、または生前知りもしなかったような英雄でもその名を知っているし、一通りの知識を持っているのだ。
ライダーとて同じ。
やや特殊なサーヴァントであるライダーだが紛れもない〝英霊〟であることは疑いようはない。ならばアーサー王についても、西洋の伝承には無知の戎次よりも遥かに良く知っているはずだ。
「私が心当たりがないから戎次に尋ねたのに、私が知ってるわけないだろう。〝英霊〟としての私が知る限り、アーサー王にもその聖剣にも回復阻害の呪いを与えるなんて力はないよ」
「そうか。だが俺の傷はこの通りだぞ」
「もしかしたら伝承に記されてない能力でもあるんじゃないの?」
素っ気ない返答だったが、有り得ない話ではない。
戎次とてアーサー王伝説を読んだことはないが、アーサー王が『騎士王』と呼ばれる英雄であることくらいは知識として知っている。
その騎士王があろうことかセイバーでもランサーでもなく、一番有り得ない魔術師のクラスで召喚された。伝承におけるアーサー王と、現実に召喚されたアーサー王に違いがあるというのは的を射た意見だ。
問題となるのは果たして『治癒阻害』がキャスターの〝魔術〟によるものなのか、それとも。
「聖杯戦争の初陣見事な働きぶりだった――――と、言いたいが少尉も無傷で済まなかったようだな」
軍服を隙なく着込んだ男が戎次の前に立つ。
今回の聖杯戦争において前線指揮官を任されている木嶋少佐だ。
兵士達への指示を一先ず出し終え、負傷した戎次の様子を見に来たのだろう。
聖杯戦争に派遣された陸軍の前線指揮官ということは、彼は戎次にとって直接の上官といっても良い存在である。
「失礼しました。少佐」
上官に非礼があってはいけない。戎次は立ち上がり敬礼しようとしたが、木嶋少佐はそれを手で制した。
「構わんさ。キャスターとの戦いで傷を負っているのだろう。君はマスターとしても我が軍の戦力としても貴重な存在だ。無理はするな」
「……はっ」
上官にそう言われては戎次も従うしかない。上げかけて腰を再び下ろす。だが視線だけは真っ直ぐに上官へ向けた。
相馬戎次は戦場においては猛獣が如き形相で敵を屠るが、決して社会秩序を弁えぬ野獣ではない。例え聖杯戦争の『マスター』が自分であろうと、上官への礼節を失いはしなかった。
「どうだ少尉。聖杯戦争は……サーヴァントは強かったか?」
「膂力が人間と比べものにならないほど強かった。魔術の腕でもあっちがたぶん上です。しかしキャスターの剣の癖は覚えました。次は獲ります」
「頼もしいな。流石は陸軍が誇る対化物・対魔術師の鬼札だ」
無感情な瞳で木嶋少佐が微笑む。そこになんとなく嫌なものを感じたが、相手が上官であるため口に出すことはしなかった。
「それでは養生しろよ。兵士と違って、君は替えが効かないのだから」
「……………はっ」
木嶋少佐はそれだけ言うと去っていった。
この戦いでの消耗は少なくはない。兵士のみならずゼロ戦まで失ったのだ。前線指揮官である少佐は本部に色々と報告しなければならないことがあるだろう。
「なんだかやる気のない男だね。あんなんじゃ敵が雪だるまでも溶かせはしないよ」
ライダーが木嶋少佐を嘲るような言葉を発する。
上官への不躾な発言だったが戎次は咎めるようなことはしなかった。心の中ではライダーに同意していたというのもあるが、それ以上に木嶋少佐は戎次の上官であってライダーの上官ではない。ライダーが従うのは自分のマスターだけ。召喚された当日にライダーが言ったことだ。
故に戎次には兎も角、ライダーが木嶋少佐に畏まる必要はないのである。もっともマスターである戎次相手にも畏まっているとはとても言えない態度だが。
「木嶋少佐は魔術とかはあんまり詳しくない。『万能の願望器』といっても良く分からんのだろう。存在自体疑ってるのかもしれん」
生まれてからずっと魔術に関わり続けた戎次とは異なり、木嶋少佐はごく普通の家の生まれだ。
魔術の存在すら聖杯戦争の前線指揮官に任命されるまで知らなかったくらいである。聖杯や万能の願望器と言われてもピンとこないのは仕方ないだろう。
だが戎次には関係ない。
例え直接の上官に熱意がなかろうと、『聖杯』を獲ることが日本のためになるならば身命を賭して聖杯を掴むだけだ。
現代の人間でありながら、過去の英霊と互角に戦うだけの実力をもつ魔人はどこまでも純粋に前を見据えていた。
その時、戎次の傷口になにか柔らかいものが触れる。
「ふふふふっ」
「うおっ! な、なにするライダー!」
ライダーは何を思ったかたわわな双丘を戎次に押し付けてきていた。
突然のことに戎次はらしくなく狼狽する。
「知ってる? 人肌のぬくもりって傷に効くのよ。あと私の体、冷たいし。傷を冷やすにも丁度良いじゃない」
「そ、そんなの自分でなんとかできらぁ! あと当たってるぞ」
「当ててんのよ」
ライダーはからかう様に笑いながら戎次に胸を押し付けてくる。戎次にとっては災難なことに、英霊として召喚されたライダーの一番の娯楽は、マスターである戎次を弄って楽しむことだった。
羅刹の如き奮迅っぷりが嘘のように、それこそ年端のいかぬ少年のように戎次は赤面する。
人生の殆どを修練と戦いに費やしていた為だろう。戎次は戦いには強くとも、色恋沙汰には滅法弱かった。