冥馬はキャスターの暗示による洗脳の力もあって、冥馬たちを襲ってきた陸軍の兵士から有益な情報を引き出すことに成功した。
帝国陸軍が万能の願望器としての『聖杯』に目をつけ参加してきていること。聖杯戦争の前線指揮をとっているのが木嶋なる男であること。
そして、
「相馬戎次、帝国陸軍の鬼札か」
キャスターが連れてきた兵士の階級は一等兵。世界のどの国においても軍隊というのは、上官が絶対的な存在として君臨している組織であり、上層部の意向などが一々一兵卒に知らされることはない。それがとっておきの秘密兵器ならば猶更だ。
そのため兵士から聞き出せたのは相馬戎次が『兵士が百人で襲い掛かっても倒せなかった豪傑』だの『どうも歴史ある名家の出身らしい』だのといった兵士が生で知った情報ばかりだ。相馬戎次が得意とする魔術系統や弱点、ライダーの真名などといったことを聞きだすことはできなかった。
もっとも冥馬はそのことを特に残念には思っていない。寧ろ少しでも情報を得られただけでも儲けものだ。
「私もこれまで何度か聖堂教会の代行者の戦いを見た事はありますが、アレに匹敵するような使い手は未だ嘗て見た事がない」
人混みを縫うように進みながら璃正が言った。
代行者とは聖堂教会に所属する異端殲滅のプロフェッショナルである。主な標的は吸血鬼やそれに類する化物だが、魔術師も彼等の殲滅対象に含まれている。魔術師である冥馬としては余りお近づきにはなりたくない人種だ。
「それはそうだろう。あんなのが聖堂教会にウジャウジャいるんだったら今頃とっくに魔術協会は聖堂教会に滅ぼされているさ」
苦笑しながら肩を竦ませる。
誇張抜きで相馬戎次の戦闘力はサーヴァントクラスだ。
聖堂教会の代行者が如何に異端殲滅のプロだろうと、英霊たるサーヴァントには到底及ばない。もしサーヴァントに対抗できる者がいるとすれば、冥馬も噂にだけ聞いている聖堂教会の鬼札連中だろう。
「……随分と余裕だが、君はなにか勝算があるのかね? 君が聖杯戦争の勝者たらんとすれば、彼等もまた倒さなければならない敵だろう」
「勝算、か」
認めるのは癪なことだが、真っ向勝負では勝ち目は限りなく薄いだろう。
相馬戎次にはアーサー王たるキャスターと互角に切り結べるほどの強さがあり、そのサーヴァントであるライダーも強力な英霊だった。そこに帝国陸軍によるバックアップもあるとなれば、遠坂冥馬とキャスターだけではまず勝てないだろう。
勿論勝ち目がゼロというわけではない。家に残してある宝石を全て使い、三画の令呪を惜しげもなく使用すれば勝つ見込みは十分にある。
だがそれは最終手段だ。聖杯戦争はあくまでもバトルロワイアル。敵を一組倒しても聖杯戦争に勝てるわけではない。本当に全てを使いきって戦えるのは生き残りが自分含めて二組となった時だけだ。
十分余裕をもって〝余力〟を残し優雅に勝利する。それが聖杯戦争を制する上での理想的な勝ち方である。
「ナチスと帝国陸軍が潰しあってくれるのが一番良いんだが……」
「確かにそれは理想だが、そう上手くいくのかね?」
「可能性はなくはない」
冥馬はつい先ほどの帝国陸軍の襲撃と、先日のナチス襲撃の両方を思い起こす。
共に軍隊を投入して遠坂の命と『聖杯』を狙ってきたという点では同じだが、両者には一つ決定的な違いがあった。
「ナチの連中が神秘の隠蔽やら一般人の犠牲を半ば度外視して『聖杯』を奪いにきたのに対して、帝国陸軍の連中は目的こそ同じだが一般人に犠牲を出さないよう最大限取り計らっていた」
「真昼間の街中で攻撃してきた連中だぞ。あまり大差ないようにも思えるが」
「だが死傷者はゼロだ
確かに帝国陸軍の攻撃で周囲の民家などにはそれなりの被害があった。その損失は少ないものではないだろう。
しかし人的被害は皆無だ。当事者である兵士達は幾人か死んだが、聖杯戦争と無関係の一般人は誰一人死んでいないし傷もついていない。
事前に入念な下準備を整えて、大々的な人払いをかけてから襲撃したお蔭だろう。
聖杯戦争に国家に所属する軍隊を投入するなど暴挙にも程があるが、帝国陸軍の方は参加者としての良識を遵守している。
だからこそ冥馬も帝国陸軍を脅威に感じることはしても、ナチスのように憎悪を燃やしてはいなかった。
「帝国陸軍のマナーがナチスより上等だったからか、それとも自分の国だからこその配慮なのか……。それは俺には分からない。だが前者であれば一般人への被害などお構いなしに振る舞うナチスに、帝国陸軍が待ったをかけるかもしれない」
どちらにせよ可能性があるというだけで、ナチスと帝国陸軍の激突が確定しているわけではないが。
「最悪なシナリオはナチスと帝国陸軍が同盟して自分達以外のマスターに襲い掛かることだな。そうなったらもう手が付けられない」
現状ナチスと帝国陸軍はお互いを牽制し合うことで膠着状態になっている節がある。
だがこの二大勢力が手を結んでしまえば、彼等を押し留めるものはなにもなくなってしまう。人外染みた強さのマスター、相馬戎次。ライダーとランサー。ナチスと帝国陸軍の連合軍。その大攻勢の前に彼等以外の参加者は死を待つだけの身となるだろう。
「しかしナチスだけでなく帝国陸軍も参戦するなど寝耳に水だ。本当に聖杯戦争は魔術師の闘争なんでしょうな?」
「俺も同じことを思ってるよ」
世界の裏側に潜む魔術師の戦いに表側の組織が介入することすら稀だというのに、それが二つとなればもう前代未聞だ。
二度目の大戦が起こるであろう前夜故に表と裏の境界線が平時よりも薄まっているのかもしれない。
「ところで冥馬。我々はどこへ向かってるんだ?」
「ん」
帝都から冬木市へ戻ろうとするのならば大まかに陸路か水路、その二つに一つを選ぶ必要がある。もっともナチスと帝国陸軍が虎視眈々としている中、水路での移動中に襲われれば、逃げ場もなく一溜まりもない。よって陸路を行くのはほぼ決定事項だ。
だからこそ陸路で戻る場合に一番時間を短縮できる『列車』を帰りの足と選ぶのは正しい選択だった。辿り着いた場所に人っ子一人としていなければ、だが。
冥馬に行き先を任せて歩いてきた璃正だが、流石に不安にかられたのか立ち止まり周囲を見渡す。しかしそこにあるのは静寂と不気味なほど静まっている貨物列車だけだった。
「……まさか冥馬、これに乗って行くとは言うまいな」
「勿論これに乗るんだよ」
「……………貨物列車だぞ」
「ああ。荷物と相乗りだな。中は荷物で狭苦しいかもしれないけど、かわりに普通の列車と違って騒がしくない。なにより無料だ。無賃乗車だからな」
璃正が絶句する。
といっても冥馬は単にお金を節約するために貨物列車に無賃乗車しようとしたのではない。わざわざ貨物列車を冬木への足へ選んだのは、しっかりと戦術的な理由あってのことである。
「普通の列車で行けば、下手したら線路に地雷でも埋まってて、列車諸共吹っ飛ばされないからね。まぁ『聖杯の器』を璃正がもっている以上、それを壊すほど派手な真似はできないだろうけど、途中で連中が襲来する可能性は十二分だ」
「――――確かに彼等ならば我々が列車で冬木へ戻ることを予想して、駅などを張り込んでいる可能性はありますな。いやほぼ確実に張り込んでいる」
だからこその貨物列車だ。
これなら張り込んでいる監視の目を躱すこともできるし、万が一途中でナチスや帝国陸軍に襲われても他の乗客を気にしないで済む。ついでにお金もかからないと正に一石三鳥だ。
「だがばれたらどうするのだ? 事情は分かったが、ばれれば違法だぞ」
「抜かりはない。キャスターが頑張ってくれたし」
「…………最近、体の良い便利屋として利用されている気がするな。少しは俺の力を借りずに自分でなんとかしたらどうだ? 他力本願は自堕落に繋がるぞ」
実体化するなりキャスターが棘のある口調で文句を言ってきた。
帝国陸軍の敷いた人払いの空間を抜けた後、キャスターがしたのはなにも兵士の頭から情報を引き出すことだけではない。見つかるのを防ぐため冥馬たちの気配を薄める魔術をかけて貰い、更にここへ入る時は係員などに一通り暗示をかけて貰った。
だから貨物列車に荷物を運びこんでいる労働者も、貨物列車の運転士も冥馬たちがさも当然のように貨物列車に乗り込んでも『異常』を『異常』として認識できないのだ。
戦闘力は三騎士と比べ劣るキャスターのサーヴァントだが、魔術に特化しているため補助にかけては並ぶものはいない。だからこそこういった細工はお手の物だ。
普段はアーサー王がキャスターで召喚されたことを嘆く癖に、こういう時にはキャスターで召喚したことを有り難く思うのだから我ながら現金なものである。
「自分の力を使うべき時は使うさ。だけど宝石魔術は金食い虫なんだ。暗示くらいなら宝石無しでも出来るが、どうせ自分より上手く暗示をかけられる魔術師が味方にいるんだから、そっちに任せた方がいいだろう。適材適所というものだよ」
「ふん。口が回るものだ。ま、出費を最小限に抑えようという心意気は関心するがな……」
「それに第二案、キャスターは嫌なんだろう?」
「当たり前だ。幾らサーヴァントといえどマスターの馬に成り下がりたくはない」
冥馬の言う第二案は列車も使わず、かといって水路を行く事もなく、走って冬木市へ戻るというものだ。
走って、といってもなにも冥馬と璃正が冬木市へ全力疾走していくわけではない。そんな馬鹿げたことをしていたら冬木市へ戻る頃には聖杯戦争が終わっているだろう。
だから走るのは冥馬たちでなくキャスターだ。
キャスターの敏捷はサーヴァントとしてはさほど高くない。遅いというわけではないが、速いとも言えない平均クラス。最速の英霊たるランサーと比べれば二回りも劣るだろう。
だがその平均とはサーヴァントの中での話だ。キャスターを人間として見た場合、その速度は途轍もないものである。冗談ではなく走って車と並走できるだろう。そして足の速さだけではなく筋力もサーヴァントは並みはずれている。大の男二人をおぶるなどキャスターにとっては難しいことではない。
その抜群の身体能力を活かし、キャスターが冥馬たち二人をおぶって冬木市へ走る。これが第二案の全貌だ。
「俺はこれはこれで良い考えだと思うが」
「お前が良くても俺は良くない。そもそもお前達二人をおぶって走れば必然的に両手が使えなくなる。そうなったら突然の奇襲にも対応できやしない。
ついでにこれは俺ではなくマスターに関わることだが、俺の姿を一般人の目に晒す危険性も高くなるぞ」
第二案が廃案となった最大の理由がこれだ。二人の人間を背負い、車並みのスピードで疾走する甲冑を着た騎士など目立つの一言で済むものではない。
魔術師である冥馬としてはそんな神秘を一般人の前で堂々と晒すような行動は避けなければならなかった。自分でも面倒だと思わないでもないが、これが魔術師として魔道を歩むと決断した冥馬が守らなければならない義務である。如何に聖杯戦争中だろうと己の義務を曲げることは出来ない。
「キャスターの言う通りだな。第二案はナチスやら帝国陸軍やらに列車を駄目にされた時の最終手段にしておくよ」
「それでいい。大体幾らサーヴァントの足が速いと言っても、列車より早く動くわけじゃないからな。俺が騎乗兵ならまた別だが」
「ライダーか」
此度の聖杯戦争のライダーといえば戎次のサーヴァントである白い着物の女だ。
雰囲気といい見た目といいとても『騎乗兵』とは思えなかったが、サーヴァントは人目によらぬもの。あれでなにか凄まじい乗り物を隠し持っているのかもしれない。油断は禁物だ。
「冥馬。もう直ぐ出発するようだぞ」
璃正に言われてはっとする。折角キャスターに暗示を使わせてまで無賃乗車のお膳立てをしたというのに、列車を前にして乗り遅れたなんて笑い話にもならない。
「急ごう」
冥馬は璃正と共に貨物列車の最後尾に乗り込んだ。キャスターも再び霊体化してその後に続く。
やや荒削りだが冥馬のとった行動はベストに近かったといえるだろう。実際冥馬はナチスと帝国陸軍、両方を出しぬくことに成功したのだ。
懸念通り両軍隊は帝都中の駅や港を張り込んでいたが、貨物列車にまでは目を向けていなかったため、ナチスと帝国陸軍は遠坂冥馬と言峰璃正を見失うことになる。
そう、ナチスと帝国陸軍の二勢力の目に関しては欺いた。
冥馬は知らない。キャスターすら気づかなかった。自分達がナチスでも帝国陸軍でもない『三組目』に監視されていたことを。
「キキ、キ――――」
薄暗がりに体を溶け込ませた白い髑髏の面が嗤った。仮面の奥にある眼球は己が主へと届き、その主もまた嘲笑った。
白い髑髏の主が命令を下す。命令内容は無論、敵マスターの殺害。そして今回に限っては聖杯の奪取がこれに加わる。
髑髏が跳ぶ。誰にも気付かせることなく、気配を完全に断って敵の命を狩るため忍び寄っていく。
彼が狙うはサーヴァントに非ず、サーヴァントを従えるマスターのみ。
聖杯戦争において暗殺者のクラスを与えられたサーヴァントは、容易く標的が乗り込んだ貨物列車に侵入を果たした。