一番後ろの車両での騒動が止んで十数分。外の景色は平野から葉のないほっそりとした木々に変わっていた。少し前に雪でも降ったのだろう。木々には僅かに溶けかけの雪が被っていた。
肌を刺すような冷たい風が吹いて来たので窓を閉ざす。雪を眺めるのは嫌いではなかったが、雪の中を歩くのは好きではなかった。というより寒いのが嫌いなのだ。冬の寒さは成長を忘れた体には堪える。
人形ではない本物のエルマ・ローファスは儚げに吐息を零す。
エルマ・ローファスは魔術師だ。特に自律人形(オートマター)の扱いにかけては並ぶ者はそうはいないだろう。もしもエルマ・ローファスの体に〝問題〟がなければ、ローファス家の次期当主になったのは弟ではなくエルマだったはずだ。
エルマの人形は強力な武器であるが、人形たちはそれなりの数があり、そうそう気軽に持ち運ぶなんてことは出来ない。時計塔で権勢を誇っているようなロードであれば、独自のルートで人形を冬木市へ送ることができただろうがローファス家ではそれも出来ない。
(いいえ。ローファス家なら出来るでしょう。だけどエルマ・ローファスには出来ない……)
ローファス家はフランスではそれなりの知名度をもつ人形師の一族であり、時計塔のロードたちにもある程度コネがある。そのコネを有効利用すれば『大量の人形』を冬木市へ送ることくらいはできるだろう。
しかしエルマにはローファス家のコネクションを使うことは出来ない。エルマがローファス家とは関係なく自らの意志で聖杯戦争に参戦したというのもある。けれど仮に許可をとった上で参戦していたとしても、ローファス家がエルマを援助することはなかっただろう。エルマ・ローファスはローファス家からすれば鼻つまみ者なのだから。
独自のコネクションもなく、強引な方法が不可能であれば頭を使う他ない。
貨物列車の運転士に暗示をかけ、自分の人形を荷物として列車に積み込ませたのもその一貫である。
御三家の一角たる遠坂冥馬と監督役である言峰璃正が、この貨物列車に乗り込んできたのは本当に偶然だった。サーヴァントとの視界共有で、アサシンからそのことを知った時、エルマは降ってわいた幸運に感謝したくらいである。
だが網にかかった大魚を後一歩のところで逃してしまった。最後尾に積み込んでいた全ての人形とアサシンまで投入しての奇襲は失敗に終わった。
自分の選択に間違いはなかっただろう。間違いがあったとすれば敵の戦力に監督役を勘定していなかったことくらいか。
「まぁいいです」
気を入れ直す。
遠坂冥馬とキャスターをここで殺すのには失敗した。けれど別に聖杯戦争に敗北したわけでもない。チャンスはまだ幾らでもある。
それに完全に無益だったわけではない。遠坂冥馬たちの会話を盗み聞くことでナチスや帝国陸軍についての情報を得ることが出来た。これは千金に勝る戦果である。
「そういえば」
チラリと隣に視線を移す。隣りにはこの貨物列車の運転士がエルマのことがまるで目に入っていない様に機械のように運転をしていた。
偶然が積み重なり二人の魔術師から二重に暗示をかけられたせいで、その目は若干とろんとしている。尤も運転そのものはしっかりしているので、暗示を解除すればしっかり元に戻るだろう。命にも……『健康』にも別状はない。自分と違って。
「けどもう遠坂……じゃなくてキャスターの掛けた暗示は必要ないかな」
エルマは小さくフランス語で呪文を呟いてから、運転を妨害しないよう優しく運転士の肩に触れる。それで〝キャスター〟の暗示は解除される。
サーヴァントのかけた暗示の魔術なので自分で解除できるが少しだけ不安だったのだが、キャスターも運転士のことを考えてそう強い暗示はかけなかったらしい。お陰で『人間』に関しては専門外のエルマでも暗示をレジストできた。
「御主君。ただいま戻った」
エルマの直ぐ隣りに黒衣のサーヴァント――――アサシンが実体化する。
他のマスターにとっては死の具現であり、凶事の象徴でしかない暗殺者も彼のマスターであるエルマにとっては心強い味方である。エルマは微笑みながらアサシンを労う。
「お疲れ様でしたアサシン」
「労われるようなことはしていない。寧ろ私は魔術師殿に謝罪せねばならぬ。御主君の助力を得ながらも敵マスターを仕留めることが叶わなかった」
「いいです、そのことなら。代わりに面白いことも聞けましたし。それより怪我はないですか?」
「――――」
アサシンは即答しなかった。エルマはもしや負傷したのでは、と心配になるがアサシンの体に傷を負った様子はない。アサシンは面食らったようにじっとエルマを見上げていた。
見上げられる、ということに新鮮さを覚える。エルマは生まれながらの〝欠陥〟のため肉体の成長が止まっており、二十歳を超えても見た目は十歳程度の少女のそれだ。しかし十歳の少女も大人の膝ほどの小躯であるアサシンよりは高い。子供と触れ合う機会もなかったので、誰かに見上げられるというのは弟が五歳の頃以来である。
「どうしました? まさかなにか問題でも?」
もしかしたら目には見えない所でなにかダメージを負ったのかもしれない。だがアサシンとのレイラインにもなにか異常は見受けられなかった。、
「失礼。慣れない言葉を御主君にかけられ驚いただけ。毒針を三本ほど消費してしまったが、全体からみれば大した損失ではない。キャスターの刃は鋭かったが我が身には傷一つとしてない。戦闘に支障はなかろう」
「慣れない言葉?」
毒針を三本消費、というところよりもエルマには前半の方が気になった。
アサシンは頷いてから答える。
「御主君。私にも聖杯を求める願いはあれど、今の我が身は御主君に仕えるサーヴァント。そしてサーヴァントとは戦うための道具。故に私に気遣う必要などない。御主君の使う人形と同列に考えて貰って結構だ」
「……………」
沈黙。世界に冠たる偉業を成し遂げた英雄であれば、多かれ少なかれ己というものに誇りを抱いているものだ。少なくとも召喚した縁程度で己をその者の道具に甘んじるサーヴァントはいないだろう。
だというのにアサシンはあっさりと自分を道具扱いしろと言ってきた。
一にして全。己の素顔を剥ぎ取り〝なにものでもなくなった〟ことで『ハサン・サッバーハ』の名を継承した無貌の反英雄。他の英霊と違い、そもそも英霊ですらない英霊候補の群体。
故にハサン・サッバーハに英霊としての誇りなどありはしない。あるとすれば暗殺者としての冷徹な判断力と、その仮面の更に奥に秘めた願いのみ。
「そう。アサシンがそう言うなら分かりました。でも意外ですね。最初は姿がその…………恐そうでしたので、もっと物騒なサーヴァントかと思ったのに、こんなに忠義者だったなんて」
「無理もなかろう。御主君の仰る通り歪な英霊たる我が姿は、正純なる正真正銘の英霊と比べれば見るに堪えないものだ」
そんなことない、とフォローすることは出来なかった。アサシンが認めているという以上に、どこをどう取り繕うとアサシンの姿は不気味なものだ。
無理にフォローしてもアサシンは何も感じないだろうし何の意味もない。エルマは正道な魔術師とはいえない人間だが、それでも魔術師らしい合理主義的な考え方をもっている。無意味なことはしない。
「それに私とて誰に対しても盲目に忠誠を誓うわけではない。こう言っては御主君は気を悪くされるかもしれぬが、我々の関係は互いに聖杯を求める理由がある故の相互利用である。
聖杯戦争の形式上殆ど有り得ぬ可能性であるが、聖杯戦争に挑む気のない召喚者に仕えはしない。私が御主君に仕えるは御主君が聖杯を求めるからこそ……」
「だったらもし私が魔術師としてもマスターとしても五流で、戦いなんてまるで分かっていない人間だったとしても聖杯を求めているなら貴方は従うんですか?」
「左様。元より私には〝裏切る〟という行為が良く分からぬ。生前から私は一個の道具であったが故。道具が使い手に刃向うことはなかろう。私は命令があるのならばそれをこなすのみ」
朗々とアサシンは言う。暗殺者であるアサシンだがその言葉はともすれば騎士のように真摯そのものだ。
恥ずかしながらエルマの中にあったアサシンへの『恐れ』が雲散していくのを感じる。この暗殺者は自分が裏切らない限り絶対にこちらを裏切らないだろう。
魔力量が平均的魔術師より下回っている為、魔力供給が少なくて済むアサシンのサーヴァントを敢えて選び召喚したのだが、その判断は正解だったらしい。
「あと最後にもう一つだけ聞いて良いですか?」
「何だろうか。私に答えられるのであれば答えよう」
「アサシンは……その、昔からそんなに小さかったんですか?」
「――――――」
アサシンが沈黙した。白い仮面のせいで表情は分からないが、もしアサシンに顔があれば呆気にとられた顔を浮かべていることだろう。
もしかしたらアサシンにとっては触れられたくない話題だっただろうか。エルマは慌てて言い訳をする。
「す、すみません! 私より背が小さい年上の人なんて初めて見たので……。あれ? アサシンは私より年上でしたっけ?」
生まれた年数と死んだ年数がしっかり歴史に刻まれている英霊なら兎も角、無貌の反英雄たるハサンは生まれた年数も死んだ年数も不明だ。だからこの小躯の暗殺者がエルマ・ローファスより年下ということも考えられる。
暫くの沈黙の後、アサシンは首を横に振った。
「死んだ年までで換算するのであれば、私は御主君よりも年上だ」
「あ、そうなんですか……」
「私が生前からこの体躯であったことも然り。他の英雄と違い暗殺者が狙うは目標の生肌のみ。岩を砕く怪力も、竜を縊り殺す腕力も必要ない。暗殺者が欲するのは命を正確に奪う得物と目立たぬ姿である。だから生前の私は自らの隠蔽力をあげるため自らの肉体を改造した」
「改造?」
パラメーターに記載されていたアサシンのスキルに『自己改造』というものがあったのを思い出す。自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させることで能力を上昇させたり体を変化させる技術だ。ただしこのランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていくという。
サーヴァントという殻に収められたことで与えられる『クラス別技能』とは違い、保有スキルは英霊が生前からもっていた技能・特性だ。
自然にアサシンのような小躯の人間が生まれるとは考えにくい。だから生前のアサシンはこの技術で自らの体を異様に小さく変質させたのだろう。
「霊体化が出来るサーヴァントの身では余り意味のないことだが、生前の私はこの体の小ささを活かして普通なれば入り込めない場所にも僅かな隙間から侵入することができた。
キャスターとの戦いで彼奴の攻撃を躱し続けたのも攻撃を受ける面積が少ないからというのもある。小さい身故に腕力には自信はないが、私の特性上、力の強さは余り意味のないことだ」
「ああ。そういうことだったんですね」
「むっ。なにがか?」
「こっちの話です」
使用する聖遺物にもよるが、召喚されるサーヴァントは召喚者と性質が似通ったものが選ばれる傾向がある。その例でいうならアサシンの場合は歴代ハサン・サッバーハから自分に似通ったハサンが召喚されるのだろう。
エルマ・ローファスとこのハサンは似ている。成功か失敗か。自分の意志だったか他者の意志だったかの違いはあるが――――エルマ・ローファスの境遇とハサンが自らを改造した経緯は似通っていた。
きっとその縁があったからこそ、このハサンは自分の召喚に応じたのだろう。
エルマはすっと目を閉じた。
「御主君?」
「寝ます。なにかあれば起こして下さい」
「……ミルクティーは飲まれたか?」
「貴方が戻って来る前に。あとアサシン、寝る前にミルクティーを飲むのは単に私がそういう習慣だからというだけで、飲まないといけない義務があるわけじゃありませんよ。薬じゃないんですから」
「御意」
ガタガタと列車が揺れる。この分には微睡に身を任せ、目が覚めたた頃には冬木市に到着しているだろう。
エルマはアサシンに眠りの警護を任せると、眠りの世界へ落ちて行った。