始まりの御三家は『大聖杯』を作り出すに当たり其々の持つ叡智を結集させた。
アインツベルンは聖杯の器とサーヴァント召喚の基盤を。遠坂は冬木という聖杯降霊に耐えうるだけの霊地と、世界に孔を穿つ技術。
そして御三家に名を連ねる最後の家――――マキリ。マキリが提供したのは聖杯の完成に必要不可欠のサーヴァントシステム、サーヴァントを従えるための首輪たる『令呪』だ。
大聖杯の起動から150年が経過してもマキリは〝間桐〟と名を変えて、遠坂と同じくこの冬木市に根を下ろしている。
もっとも同じ土地に居を構えながら遠坂と間桐が辿った道筋はまるで正反対だ。
遠坂はこの地で辿ったのは〝繁栄〟だ。遠坂家の初代当主〝永人〟は魔法使いたるゼルレッチの弟子である。そのため時計塔の貴族と言われるほどの名門と比べ、歴史は浅いながら時計塔でも一目置かれてきた。更に魔術師となる前は、禁教の保護に尽力したために聖堂教会にも顔が効く。
二つのパイプを活かし徐々に魔術師としての地盤を整えつつ、初代から始まり静重、冥馬と魔術師としての血と才能をより濃くしていっていた。若き天才たる遠坂冥馬が時計塔で名を馳せたこともあり、今の遠坂には嘗てない勢いがあるといっていい。
だが遠坂とは正反対に〝間桐〟が辿って来たのは没落の一途である。元々そういう運命だったのか、それとも冬木の地が彼等に合わなかったのか。間桐は代を重ねるごとに〝魔術回路〟を減少させ続けてきた。それこそ後もう何代も重ねれば魔術回路そのものが消えてなくなるかもしれない。もしそうなれば聖杯という悲願を目の前にしながら、魔術師の家としては事実上消滅したも同じだ。
それでも今の間桐が遠坂やアインツベルンと並んで御三家としての面子を保っていられるのは、大聖杯起動に立ち会った賢者たちの中で唯一存命しているという〝翁〟と、久方ぶりに生まれ落ちたそれなりに上等な魔術回路をもつ後継者の存在故だろう。
間桐家の屋敷は比較的に遠坂の邸宅にほど近い場所にあった。
魔術師の家らしく入ってきたものを逃がさない閉じた佇まいなのは遠坂の屋敷と同じだが、間桐の屋敷は財政的には管理者を上回っているためか、遠坂のそれより大きな造りとなっている。しかしその屋敷は遠坂以上に見るものに潜在的恐怖感を起こさせる異様な空気があった。
その屋敷の応接間にあるソファに青い着物を着た女性が腰を下ろしている。テーブルには並々とワインが注がれたグラスがあったが手をつけた様子はなく、花瓶には青い紫陽花が挿してあった。
青みを帯びた濡れ羽色の長髪と気品のある簪。白魚のような肌と端正な顔立ちも相まって着物美人という四文字を体現したような女性だった。しかし彼女の口元には外観の印象に反した嗜虐的な笑みが浮かんでいる。
彼女こそ間桐狩麻。間桐家から久々に生まれた上等な魔術回路の持ち主にして、今代の間桐の当主だ。
御三家たる間桐の当主である彼女の左肩には着物で隠れて見えないが赤い刻印――――令呪があり、彼女が聖杯戦争に挑むマスターであることを示している。
「ふふっ。冥馬ったらやっと冬木市に戻ったら、こんな手紙を送りつけて来るなんて。相変わらずなんだから」
今日使い魔により届けられた手紙をテーブルへ投げ出しながら狩麻は微笑を浮かべる。
冥馬からの手紙、と狩麻は言った。しかし実際にはその手紙は監督役たる言峰璃正から全てのマスターへと宛てたものであって、送り主は『遠坂冥馬』ではない。
だが恐らくはこの聖杯戦争で誰よりも〝遠坂冥馬〟に執着している狩麻だからこそ分かったのだ。その手紙に僅かにある遠坂冥馬が凝らした策謀の残り香が。
「監督役を迎えに帝都へ行ったら、そこで戦いに巻き込まれてサーヴァントを召喚した……こうして自分で言ってもにわかには信じられない推理けど、ドジな冥馬なら全然有り得るわね」
遠坂冥馬の人格を知り尽くしている狩麻には、その後の冥馬がどういう経緯でこの冬木市に戻ったのか大体のところは推測できる。
大方監督役である言峰璃正と一時的に協力でもして、敵の襲撃を回避しつつこの冬木を目指したのだろう。監督役に助言して聞き届けさせられるほどの信頼関係を育みながら。
冥馬らしいといえば冥馬らしい、と狩麻は笑みを深くした。
(それに嬉しいわ。こうして貴方も聖杯戦争に私と同じマスターとして参加してくれたんだもの)
間桐狩麻にとって遠坂冥馬は乗り越えるべき壁の象徴ともいえる男だ。
狩麻には間桐家の魔術師としては才能がある方だが、全ての魔術師たちと比べれば精々が中の上程度。無才でも凡才でもなく秀才、それが客観的な狩麻の自己評価だった。
けれど遠坂冥馬は違う。冥馬は一言でいえば天才だ。魔術回路の数と質、そしてなによりも凡愚では決して思いつかないことを思いつく発想力。
あらゆる才能において遠坂冥馬は歴代随一だろう。歴代遠坂を見てきたわけではないが、自信をもって断言できる。
だからこそ魔術師としても人間としても、遠坂冥馬は常に間桐狩麻の一歩前を歩いていた。
努力をしなかったわけではない。自らの肉体を蟲の苗床とするという女の身にとって嫌悪感を催さずにはいられない魔術、それにどっぷりと傾倒しながらひたすらに遠坂冥馬を超えるための修練を重ねてきた。
(でもどれほど血の滲む努力をしても無駄。だって私が血の滲む努力をしても貴方も同程度の努力をしていたんですもの)
単純な計算だ。努力の量が同じであればより才能のある方が進歩が早い。だから自らの家で修行に励んでいる時でも、共に時計塔へ留学してからも遠坂冥馬は狩麻の前にいた。
無論魔術にも得意な属性があるため、間桐狩麻の属性に類する分野においてだけなら遠坂冥馬よりも上だっただろう。だが条件が同じであれば必ず遠坂冥馬は間桐狩麻の上をいく。魔術師としての評価、実力、その全てがだ。
故に狩麻は令呪が宿るよりも前から、聖杯戦争において遠坂冥馬を倒すと決めていた。
間桐狩麻の生き方の指針とは下剋上。秀才である自分が努力によって天才を超えることにある。時計塔にいた多くの天才はそうやって上回って来たが、最も身近にいた同族以外の魔術師を超えることは時計塔でもこれまでの人生でもついぞ出来なかった。
だからこそ聖杯戦争で雌雄を決しようと思っていたのだが、
「――――最初、令呪が貴方じゃなく貴方の父に現れたと聞いた時はとっても憎々しかった。参加権を貴方から奪った貴方の父が、貴方を選ばなかった聖杯が、そして聖杯に見放された貴方が。
もう馬鹿らしくってお爺様の言いつけなんて無視して令呪を破棄して時計塔に戻ろうかと思ったわ」
マスターである自分がサーヴァントを用いてマスターではない冥馬を殺す、というのも考えはした。
しかしそれでは駄目なのである。間桐狩麻が遠坂冥馬の上に立つには同じ条件のもとで戦い、上回る必要がある。サーヴァントのいない遠坂冥馬を殺しても、間桐狩麻は冥馬に遅れをとったままだ。
だから遠坂静重が死に、遠坂冥馬がマスターになったという情報は狩麻にとって祝福だった。
「今では令呪が貴方じゃなくてあの老い耄れに宿ったことも、貴方が生きてマスターとなるためのものだったと誉めてあげたいくらい。ふふっ」
間桐狩麻はマスター、遠坂冥馬もマスター。これで条件は互角。だとすれば勝敗を分けるのは魔術師としての能力、マスターとしての適性、サーヴァントの強さだ。
この戦いで狩麻が冥馬に勝てば、それは間桐狩麻が遠坂冥馬の上をいった証明になる。
「随分と機嫌が良いようじゃの。狩麻よ」
しわがれた声で声を掛けてきたのは大聖杯の起動に立ち会った者の一人にして、間桐家の事実上の支配者ともいえる間桐臓硯だった。
狒々のように皴だらけの老人で如何にも好々爺めいた笑みを浮かべているが、この老人が人ならぬ〝妖怪〟であることは間桐の形式上の当主であり、この老人と同じ蟲使いである狩麻は良く知っていた。
戸籍上この間桐臓硯は間桐狩麻の祖父ということになっているが、狩麻の記憶がボケていないのなら十五年ほど前は曾祖父だったはずだ。それがいつのまにか戸籍も周囲の認識も〝祖父〟ということになってしまっている。
「――――――」
狩麻は知っていた。間桐臓硯は老人の姿をとっているが実際にはとうに人間としての肉体などは消え去っていることを。
間桐臓硯という魔術師の形を作っているのは夥しいほど無数の蟲達だ。臓硯は人間の器を捨てて、器を全て蟲とすることで五百年もの月日を生き長らえてきたのである。
常人なら吐き気を催すだろうが、ここまでくると狩麻は嫌悪を通り越して驚嘆すらする。体を蟲にして生き長らえるなど大凡正気とは思えない。どれほど生き汚い者でも蟲の群体に成り果てるくらいならば潔い死を選ぶだろう。
間桐臓硯が常人を遥かに超えるほど生へ執着するほどの俗物だったのか、或いは妖怪と成り果ててまで生きねばならぬ理由があったのか。それは狩麻も分からない。
だが一つ言えるのは間桐狩麻が間桐臓硯に対して良い感情を抱いていないということだ。
狩麻は露骨に溜息を零しながら振り返る。
「なに、お爺様? 私は久しぶりに良い気分でお酒を愉しもうと思っていたの。邪魔しないで欲しいわね」
「呵呵呵呵呵、そう老骨を邪見にするでない。可愛い孫娘の門出を祖父として祝いにきたまでじゃて」
「らしくない。どういうつもり?」
数百年も生きた人間というのは娯楽に飢えるのか。間桐臓硯という妖怪は極稀に本当に好々爺らしい優しさを垣間見せる時がある。
だが狩麻はこれまで嫌々ながらもこの妖怪に教えを受けてきた身として今がその時ではないと察することができた。
「例外的に帝都において戦端を切った此度の戦いじゃが、遠坂の子倅と監督役の坊主の冬木到着をもって聖杯戦争は正常へ戻った。
じゃが正常に戻りながらも今回には前回や前々回には見なかった珍客もおるようじゃのう。儂も過去の聖杯戦争は俯瞰してきたが、表側の軍隊が介入するのは初めてのこと。この戦いがどう転がるかは儂にも予想がつかん」
「だから――――今回も見送るの、貴方は?」
ニヤリと臓硯は嗤う。それが応えだった。
大聖杯起動に立ち会った賢者たちがそうだったように、聖杯戦争に挑むマスターたちがそうであるように。この五百年を生きた妖怪にもまた聖杯を求める理由と願いがある。
様々な願いをもつ人間がいる中、間桐臓硯の願いとは実にシンプルなものだ。間桐臓硯は『不老不死』が欲しいのである。蟲から蟲へ、定期的に体を変え続けなければ体が腐り果ててしまう延命などではなく、悠久の年月を超えようと決して衰えぬ完璧な不老不死が。
だが慎重な性格である間桐臓硯は必勝が期待できなければ戦いには参加しない。そうやって最初の聖杯戦争も前の聖杯戦争も見送ってきた。此度の第三回目もまた臓硯は見送ろうというのだろう。
「お爺様はこの家で眺めていると良いわ。この私が冥馬を倒して聖杯戦争の勝利者となる瞬間を。私が勝ってもお爺様には聖杯を渡したりしないから」
「ほほう。その意気込みやよし。よいよい、お主が独力で聖杯を手に入れたのであれば聖杯はお主の物。お主が好きに使うがいい」
「…………………………」
そう言う臓硯だが腹の内は妖しいものだ。これは勘だが臓硯の予想に反して狩麻の指が聖杯に手が届けば、その瞬間、この妖怪は後ろから刃を向けてくるに違いない。
遠坂冥馬の執着であれば狩麻は誰にも負ける気がしないが、聖杯に対しての執着であれば狩麻は臓硯の足元にも及ばないだろう。ある意味では狩麻が聖杯を手に入れるにあたり一番難敵なのは、敵のマスターやサーヴァントではなく間桐臓硯なのかもしれない。
「呵? これは監督役からの言伝かの」
臓硯の目がテーブルに置かれた手紙に止まる。臓硯はその手紙をとると、その中身を読み上げた。
既に内容には目を通していたので狩麻はなんのリアクションを起こすことなくそれを見送る。
「〝中立を破り教会に対し敵対行為に及んだマスターが出た場合、他の全てのマスターを結集しその違反者を排除する〟…………言峰璃正とか言ったか。聖堂教会から派遣された坊主というのは。中々どうしてやりおるわ」
新しい娯楽を見つけたと言わんばかりに臓硯が嬉しそうに言った。
「一見すると単なるブラフ以外のなにものでもない。監督役とはいうけど、マスターには監督役を守る義務なんてないし、目的のためなら手段を択ばない合理主義者が魔術師。教会に定めたルールなんていざとなれば無視するし、いざとならなくても守る必要のないルールなら踏み躙る」
「ほう」
「けれど、監督役が『聖杯の器』を管理しているとなれば話は別。他の陣営に『聖杯の器』を渡さないために監督役からのこの言伝に従うしかない」
「上々上々。そこまで分かっておるのであれば儂から忠告することは何もないようじゃな。同じ血を分けた兄妹というに、霧斗の奴とは大違いじゃ」
「当たり前でしょう。私をあのノロマで愚図の霧斗と同じにしないで」
間桐霧斗は臓硯の言う通り狩麻とは血を分けた兄妹だが、霧斗はそこそこの魔術回路をもちながら大した修行もせず、かといって間桐から出ることもせずに、間桐の財産を食い潰しているだけの寄生虫のような男だ。今も自分の部屋にこもって度数の高いアルコールを飲んでいるだろう。
才能以上に努力をもって時計塔で生き抜いてきた狩麻からすれば、そんな兄は侮蔑の対象以外のなにものでもない。許されるのならば今すぐにでも二階へあがり首を締め上げ殺してやりたいくらいだ。
殺してないのは単にあんな愚図の血で自分の手を汚したくないのと、臓硯に止められているからに過ぎない。
「お主がたゆまぬ研鑽により時計塔でも一角の魔術師として大成したのはこの儂にとっても鼻が高いことよ。だがの狩麻よ、遠坂の子倅にせよナチスにせよ陸軍にせよ。此度の聖杯戦争に挑むにあたり相応のサーヴァントを招聘しておるじゃろ」
「でしょうね」
同じ御三家たる遠坂は言うに及ばず。ナチスも帝国陸軍も国を挙げて参戦してきているのだ。確実に名だたる英霊を呼ぶための聖遺物を手に入れ、強力なサーヴァントを召喚してくるだろう。
特にナチスは聖杯戦争の兆しが見える以前より総統の命により世界各地の聖遺物を集めていると聞く。その中には英霊召喚にもってこいの品もあるはずだ。
間桐狩麻が魔術師として優れていようとサーヴァントが三流では話にならない。けれど、
「心配性なご老体だこと。だけど安心していいわ。聖杯戦争を制するに相応しい英霊を私は手に入れているのだから」
丁度二日前、間桐家地下の蟲蔵にて降臨したサーヴァント。知名度・霊格・強さ――――そして英霊の切り札たる宝具。そのどれもが一流のサーヴァントだ。あのサーヴァントと比肩しうるような英霊などそうはいないだろう。
もっとも、
「あれが、か?」
強さ以外の部分に激しい問題を抱えているのではあるが。
「そうよ」
「本当かのう」
臓硯は疑わしそうな目で狩麻を睨んでいる。この老人には似つかわしくない疲労感が混じった恨みの視線だった。普段ならいけ好かないこの翁の苦しみは狩麻にとっては清々することでしかないのだが、なまじ狩麻には臓硯の気持ちが良く分かるせいでどうしてもそれを喜ぶことができない。
「しつこいようじゃが、あの英雄は強力なのじゃろうな?」
「ホントにしつこいわね。その通りよ。あれが強力じゃないんなら大抵の英雄は雑魚になるわ」
後のことも考えて狩麻は臓硯に自分のサーヴァントの真名を告げていない。使用した聖遺物にしても見ただけで分かるといった類のものではなく、その英霊が嘗て使用したワイングラスという事を除けば単なるガラクタだ。
故に間桐臓硯はそのサーヴァントの真名を知らない。その結果がこの疑わしい目だ。
不気味なまでの沈黙が両者を漂う。
「あーはははははははははははははははははははははははははっ!」
その沈黙は場違いなほどハイテンションな笑い声で終わりを告げた。
閉鎖され陰気な雰囲気漂う応接間に何故だか知らないが赤い薔薇の花弁が舞ってくる。否、舞いすぎてもはや薔薇の台風だった。更にこれまた何でだか知らないが歌劇で響いてそうな愉快げな音楽まで聞こえてくる。
「…………はぁ」
臓硯が深々と溜息をついた。五百年を生きた妖怪も流石にこのテンションは苦手らしい。
「マスター。おおマスター!」
ドアがバンと派手に開いた。けばけばしく赤々とした衣装を着込んだ男がバレリーナのようにクルクルと回転しながら部屋に突入してくる。
百の乙女を瞬き一つで陥落させるほどの美貌の男が、バレリーナのように踊り狂いながら部屋を進んでいき、狩麻の前まで来ると立ち止まってポーズをとる。
「麗しの僕のマイ・マスター。そんなところでムッシュ・ゾォルケンとなにを話してるんだい? この僕も君達の茶会に混ぜておくれよ!」
バーンと比喩ではなく何処からともなく効果音が鳴り響いてきた。辺りの床中には赤い薔薇がばら撒かれている。自分で掃除するのは面倒なので部屋で引きこもっている弟にやらせようと決めた。
「〝アーチャー〟。貴方が勝手に自分の服を新調したりするのは構わないけど、現れる時に一々薔薇をばらまかないでくれないかしらねぇ。あと私はお茶会なんてしてたわけじゃないわ」
「おやそうだったのかい? 僕としたことが早合点して紅茶とお茶菓子を持ってきてしまったよ」
何時の間にかアーチャーはマイ・テーブル&マイ・チェアーを用意し呑気にココアを呑みながら寛いでいた。本人の申告通りテーブルにはお茶菓子も乗っている。
「私がお爺様と話してたのはこれよ」
アーチャーに監督役から届いた手紙を投げ渡す。アーチャーは手紙を掴むと内容にさっと目を通し、
「ふふふふふふふっ。この戦いに監督を引き受けたというシンプソン。この華麗なる僕のワルツを見届けるに足るだけの頭はあるみたいだね」
流し見するだけでアーチャーは監督役の意図について完全に把握した。ハチャメチャな態度に騙されそうになるがアーチャーとて歴史に己の燦然たる名を刻みつけた英雄。間桐狩麻や間桐臓硯でも分かることが分からない訳がない。
「遠坂の子倅がこの地に戻り、いよいよ聖杯戦争は本格化するじゃろう。アーチャーよ、お主は自分が勝てると思うのかえ」
「愚問だね」
臓硯の問い掛けにアーチャーは黒髪を掻き揚げながら立ち上がった。背景に薔薇があるような優雅な仕草……と思っていたら、本当に背後に薔薇があった。
「聖杯戦争、それは七人の英雄たちが己の悲願をかけて戦い合う華麗なる戦場。生前叶わぬ悲願、やり残した想い……それらを抱えて彼等英雄達はこの地に集う。その戦いに麗しい華を添え、魂を揺さぶる戦慄を奏でる薔薇の花こそがこの僕! そして可憐なるレディ、我がマスターに聖杯という勝利を捧げるのが、華麗なるプリンスとしての使命さ!」
濃い笑顔でサムズアップするアーチャー。本人の語る使命とやらに、マスターに聖杯を捧げることが含まれていたのは幸いだが、色々と追及したいことが満載だった。
一つ一つ追及していれば日が暮れてしまうので、一番気になった事を尋ねてみる。
「プリンスって、貴方は王子じゃないでしょう?」
「フフフフフフフ、そんなのは些細な問題だよ。生前は関係ない。英霊たちに果敢に挑戦し、歌と踊りを奏でる僕を表現するのにプリンス以外にピッタリな言葉はないよ。ンッ~♪ プリンス、なんて良い響きなんだ」
臓硯はじとっと睨んできていた。言葉はなくとも「本当に大丈夫なのか?」と視線が雄弁に告げている。
アーチャーの振る舞いを眺めているとマスターである狩麻も心配になってくるが、取り敢えず彼が掛け値なしの英雄であることは事実なのだ。問題はないだろう。たぶんきっと。
「ついてはこのお屋敷。広さはいいのだけどプリンスのサーヴァントたる僕が身を休めるのにはちょっと錆び臭いね。ここはもっとより優雅かつエレガントにリフォームでもしないかい?」
「せぬわ」
「あと勝手に自分のクラスを変えないで。貴方はアーチャーのサーヴァントでしょう」
嬉しくもなんともないが十年ぶりに臓硯と意見が合致する。
狩麻の召喚したこの英霊はアーチャーのサーヴァントだ。アーチャーとしての宝具もしっかりと持っている。だがこのアッパー気味の性格に振り回されているとアーチャーよりバーサーカーの方がらしい気がした。
「おやおや。ナイスな提案なつもりだったんだけどね。だけど僕もこうしてサーヴァントとして召喚された以上、令呪という鎖で縛られたマスターのナイト……。そう言われては仕方ない。僕も引き下がろう」
「あ、アーチャー……」
召喚されてからというものの常に全力で聖杯戦争から脱線した行動ばかりとっていたアーチャーが、粛々と自ら引き下がった殊勝な態度に狩麻は感動すらしかける。
しかしその感動は即座に打ち砕かれた。
「なら仕方ないね! 見た目を変えられないならせめて僕の歌と旋律でこの家を華麗に彩ろうじゃないか!」
「しなくていいわ! そんなこと!」
「照れなくていいよハニー。はいこれ、ムッシュ・ゾォルケンにも」
人の話も聞かずアーチャーは薔薇のリングを狩麻とあろうことか臓硯の首にかけてきた。余りのことにあの臓硯が目を点にして固まっていた。
間桐を支配し続けた妖怪が首にフラワーリングをぶら下げているというシュール極まる光景に、狩麻はアーチャーの叱責すら忘れて噴き出してしまう。
それをアーチャーはゴーサインだと勘違いしたのか、
「マスターの許可も降りたようだし冬木に舞い降りた路傍のギタリスト、プリンスの旋律をお聞かせしよう!」
「それはいいわ。止めなさい、アーチャー!」
制止の声も間に合わない。アーチャーはどこからともなく取り出したギターを手に取り。
彼曰く、美しい旋律を奏で始めた。