暖かな日差しに照らされた草原で、二人の騎士見習いの少年が木剣を交えている。近くの木には二頭の馬が繋がれていた。
二人とも陽光のような金色の髪をもっているが、背の高い少年は海のように蒼い瞳で、もう一人は森のように深い翠色の目をしていた。
本当は少女の身でありながら男子として育てられてきた少年は、共に剣を学ぶ修行相手であり、養父に並ぶ第二の師というべき兄を相手に木剣を振るう。
如何に男子として育てられたとはいえ、彼女が実は女性であるという事実が覆るわけではない。体格において彼女は兄に劣っていた。
だが体格の不利などものともせず、彼女は果敢に兄を攻め立てる。
体格に差があるのならば別のもので補えばいい。修行してきた年月では劣っていたが、彼女は既に技量においては兄を上回っていた。
「はぁぁッ!」
「ちっ!」
彼女の攻勢に兄が舌打ちする。体格の差を最大限に活かした兄の剣を、彼女は身に着けた技量と天性の直感、そして真っ直ぐな闘志で補って悉く打ち払っていく。
初めて彼女が本格的に剣の鍛練より参加してより一年しか経っていない。一つの道を究める修練の道において『一年』というのは短すぎる期間だ。その短すぎる間に、彼女が兄を超えるだけの技量を身に着けたのは、天性の才能だけでは説明がつかない。
彼女がこれだけの強さを一年間で得た理由を知っていた兄は、劣勢に苛々としつつも屈辱はなかった。彼女は隠していたつもりだろう。だが兄である彼は彼女が自分の十倍以上の努力を積み重ねてきたのを知っていた。
しかしだからといって勝ちを譲るほど彼は素直な性格をしていないし、仮に素直だったとしても手を抜きはしなかっただろう。手を抜きわざと負けるなど、これまでの彼女の努力を侮辱する行為だ。彼女の努力への報い、それは本気の勝負での勝利によってのみ齎されるだろう。
「はっ――――!」
遂に彼女の剣が兄を超える。小柄という不利を逆に活かして懐に潜り込んだ彼女は、木剣を振り上げることで兄の木剣を弾き飛ばしたのだ。
本物の戦場なら兎も角、木剣による試合では武器を失った側の敗北である。
初めて兄に勝てた喜びに高揚しながらも、養父からみっちりと礼儀について叩き込まれた彼女は露骨に勝利を叫ぶことはない。あくまで表面上は冷静にすっと自らの木剣を、丸腰になった兄へ向ける。
「ありがとうございました兄君」
「………………」
彼女は自分と本気で戦った兄に偽りのない感謝を伝えた。木剣を弾き飛ばされた彼はじっと妹の目を見る。その口元はムッツリと真一文に結ばれていた。
ひひん、と彼女が乗ってきた馬が主の勝利を祝うように嘶く。
「兄君。では、失礼ですが約束ですので後片付けをお願いいたします」
木剣での試合で父が一緒の時は二人して片付けをするのだが、父がいない時は負けた方が後片付けをするというのが二人の間でのルールとなっていた。
このルールは後片付けを面倒に思った彼が言いだしたことであり、毎度毎度、未熟な妹を負かしては後片付けを押し付け、自分はさぼっていたのだが、その立場はここに逆転する。
「ふん。随分と調子がいいものだな。ただの一度勝った程度でもう王様気取りか?」
だが彼女は忘れていた。自身の兄の往生際の悪さと口の達者さを。
木剣の試合において見事な完敗を喫しておきながら兄は、さも自分こそが勝利者のような堂々とした振る舞いで妹を見下ろす。
「あ、兄君……?」
「剣など所詮は目の前の敵一人を倒すだけのもの。敵一人を殺すための技術を磨いたところで、津波のように押し寄せてくる蛮徒の群れをどうにかできるものかよ。だというのにお前ときたら毎日毎日、月明かりを頼りに馬鹿みたいに木剣をふって……」
「兄君、知っておられたのですか!?」
ばれないようにしてきた努力が実は兄にばればれだったという事実に、彼女が顔を赤くした。
「俺は努力を否定はせんさ。影での猛特訓、大いに結構。だが一年の血の滲む努力とやらでお前が得たのは、この俺を倒すというつまらん結果だけだ。お前はこの一年間、そんな下らん結果のために努力をしてきたのか?
もしもそうだと言ってみろ。俺はお前を馬鹿にしてやるぞ。剣を振るう才能とやらを持って生まれた癖して、目標と背丈がミミズの如く小さい愚か者だとな」
「み、ミミズ!?」
自分をミミズに例えられたことに、彼女は憤慨する。そんな彼女を彼は更に畳みかけた。
「で、どうなんだ。お前は何の為に修練に勤しんできた? 俺を倒して後片付けをやらせるという下らん目標のためか?」
「いいえ、違います。私はこのブリテンの未来をより良いものとするため、今は自らを高めなければと思い励んできました」
兄に倒し後片付けを押し付ける、なんて下らない目標のためにひたむきに努力し続けることなどできない。
彼女の胸中には常に戦果に喘ぐ国があり、苦しむ民草の姿があった。
叶うのであれば皆を守りたい。けれど理想を口にするには相応の強さが必要である。今の彼女は弱く、そんな理想を口にする権利がなかったからこそ一年間をひたすらに自分を高めるために費やしてきたのだ。
いずれ訪れる運命の日のために。
「馬鹿なりに悪くない答えだ。……だが、だというのにお前とくればなんだ? この俺を倒した程度で良い気になって、もう自分が国を守れるほど強くなったつもりか。笑止千万だな。アホらしいにも程がある」
「兄君の仰られることは分かります。ですがこの試合は私が勝って……」
「喧しい! 俺に勝つことと、この国を守ること。どちらが大事なんだ!」
「も、もちろん国を守ることです!」
「だったら俺を倒したくらいで勝つな。お前にとっての勝ちは、この国を背負って立ち、押し寄せる蛮族共を打ち払うほどの強さを身に着けた時だろう。木剣の試合における勝ち負けなど関係ない。お前は自分の望みに勝ててない以上、形式に勝っても自分に負けている」
「は、はぁ」
「分かったならさっさと後片付けをして来い! 早くしろよ。今日は父上が都から戻ってくる日なのだからな。遅くなる訳にはいかん」
「わ、分かりました」
彼女は尚も言い返そうか一瞬躊躇したが……やめた。
剣を交えての戦いであれば、彼女は兄に勝つための筋道を幾つも思い浮かべることができる。だが弁舌をもっての戦いで、兄に勝つための道筋はただの一つも思い浮かばなかったためである。
結局、彼女はいつも通り兄の急かす声をBGMに自分で後片付けを済ませ家へと帰った。
この日を境に彼女は兄との戦いで順調に勝ち星を増やしていき、やがては試合において負けることがなくなっていった。
だがそれはあくまで試合の話。彼女が兄と戦うといつも必ず最後には口論となった。そしてもはや芸術的とすらいえる弁舌をもって、彼女が試合において圧勝しようと、勝負においては負けるという恰好にしてみせた。
彼女が兄を見習い並みの口達者を閉口させる雄弁技能を身に着けようと、兄は更にその先を行った。
結果、強さにおいて兄を上回りながらも、彼女が兄を打ち負かしたことは生涯で一度もなかったという。
ラインを通じてサーヴァントの過去を見るのもこれで二度目だ。だからキャスターと思わしき少年と、凛々しく美しい少女が木剣で戦う夢を見た事に特に驚きはない。
だが冥馬はげんなりとした顔でベッドから起き上がった。
「あれが未来のアーサー王……? 自信がなくなりそうだ」
伝承と現実に差異があることは、この聖杯戦争に参加してとっくに分かっていた。
しかし幾ら差異があるにしてもあれはない。年下の少女に完敗して、大人しく敗北を認めるならばまだ良いだろう。その潔さは英雄的でもある。だが後片付けが面倒だからという実に下らない理由で、口先で勝敗を引っ繰り返すなどもはやセコいとしか言いようがなかった。
あのセコい姿は到底ブリテンに君臨した伝説の王とは結びつかない。アーサー王を敬愛する英国人や、誉れ高い騎士たちがあの姿を見れば発狂しても不思議ではなかろう。アーサー王を語る別人と言われた方がしっくりくるというものだ。
(アーサー王の鎧を触媒に召喚して、しかも実際に黄金の剣を持ってる以上、偽物なんてことは有り得ないことだけど)
それにしても二度に渡ってサーヴァントの過去を共有するなど、遠坂冥馬は余程キャスターと性格的に似通っているらしい。
アーサー王と性格が似ているなど四日前までは純粋に嬉しいことだったのだが、今では渋い顔になってしまう。しかしあながち間違っていないので強く否定することもできない。特にセコいというあたりが。
「違う。俺は……セコいんじゃない。ただ無駄な出費が嫌いで、勝つために手段を余り選ばないというだけで………」
「なにを朝っぱらからぶつくさ言っている。頭でもうったか?」
「きゃ、キャスター!」
夢で少女と木剣を交えていた少年がそのまま成長した人物が、怪訝な表情で腕を組んで仁王立ちしていた。
アーサー王であることを疑いたくなるような姿を先程見たばかりだが、こうしてキャスターを目の当たりにするとそんな考えも吹き飛ぶ。どれだけ過去にあんな姿を晒していたとしても、キャスターは遠坂冥馬を超える魔術の使い手で聖剣の担い手なのだ。自然体で立ちながらもその雰囲気が衰えることはない。
「お前が頭をうって猿なみの頭が鳥並みになろうと普段であればどうでもいいが、聖杯戦争中にそんなことになれば困るのは俺だ。調子が悪いならまだ休んでいるといい」
「だ、大丈夫だ。少し変わった夢を見ただけだ。問題はない」
「夢だと? 一応お前も魔術師だろうに。魔術師を狼狽させるなど一体全体どんな夢を見たというんだ?」
「べ、別に大したことじゃないさ」
「ならいいが」
キャスターには自分がキャスターの過去を知ってしまったことは話せない。キャスターのセコさは普段の態度と夢からも知っているが、その口の上手さについても冥馬は良く知っている。
英霊の座を探しても口先でキャスターを倒せる英雄は五人といないだろう。もしも自分がキャスターの過去を見てしまったことが知られれば、どんな嫌味を言われるか分かったものではない。
一日を休息に費やした甲斐あって帝都からの逃避行の疲労は抜けきっていた。肉体面も精神面も、魔術回路の調子も問題ない。これならいつ戦闘になっても万全に戦えるだろう。
レイラインを通して伝わるキャスターの状態も大丈夫のようだった。少なくともなにかダメージを負っているというようなことはない。
「ん? なんだ、この本は?」
近くのテーブルに投げ出された本が気になって見てみると、それはこの世界で過去にあった出来事を記した書物。擁するに歴史書だった。こんなものを出した覚えはない。冥馬が出した覚えがないということは、これを読んだ人間として思い当たるのは一人。
「キャスターか? これを読んだのは?」
「ああ。英霊は時代を超えた知識をもっている。だがこうして歴史書を読み解くことで知れることもあるだろう。これも聖杯戦争のためだ」
「勉強熱心だな」
キャスターの意外な勤勉さに関心しつつ、冥馬は自分が空腹を感じていることに気付く。
冥馬はやや遅めの朝食をとることにした。普段なら朝食は家に務めている家政婦がすることなのだが、幾らなんでも聖杯戦争中に魔術を知らない家政婦を招くほど馬鹿ではない。
自分で朝食の支度をするのは久しぶりだが、英国に長い間独り暮らしだったため一通りの家事は出来る。冥馬は手際よく朝食のサンドイッチと紅茶を食卓に並べた。
「ふぅ。やっぱり朝はパンと紅茶がないと始まらないな」
朝に決まった朝食を摂る。細やかなことだが一日を円滑にするための秘訣だ。
サンドイッチと紅茶を口に運びながら、なんとなく霊体化して側にいるであろうキャスターに声を掛ける。
「キャスターも食べるか?」
「……なんだと」
なにもない場所に粒子が集まっていき、霊体化していたキャスターが実体化する。
冥馬の何気ない食事の誘いにキャスターは怪訝に眉を潜めていた。
「サーヴァントである俺には魔力供給さえあれば食事は不必要。魔力が不十分であればほんの僅かに魔力の足しになる食事にも意味があるが、隙も多い男だがお前も一端のマスター。魔力供給に不足はない。
そのようなこと今更俺が言わずとも知っているだろうに、どういうつもりだ?」
「特に深い理由があるわけじゃないよ。ただ人の食べる姿を眺めてるのも退屈じゃないかと思ってね」
「要らぬ世話だ」
妥協の余地のない明確なる拒絶。キャスターはばっさりと冥馬の提案を切って捨てた。
「食事など生きるのに必要だったから仕方なく食っていただけ。食わなくても生きられるなら食おうとは思わん」
「キャスターの生前の食事って、まさか不味かったのか?」
「そうさな。生前の食事について簡潔に表現するなら……………雑だった」
「――――――――」
華やかな英雄譚に隠れがちだが、アーサー王の時代のブリテンといえば作物の育ちにくく、財政も芳しくない貧乏な国だ。
食事などそれこそ野菜を生のまま盛り付けただけとか、そういうものばかりだったのだろう。調味料などもあるだろうが、貧乏なブリテンでは如何に王族といえど贅沢はできない。
「苦労してきたんだな……キャスターも」
「こればかりは俺だけの苦労でもない。あの時代を生きた全員が共通して味わった痛みだ」
「だがキャスター、時代が進み発展したのは科学技術だけじゃない。英国はさておき、この国では食文化も発展していった。騙されたと思って食べてみれば、キャスターのいう雑な飯と比べて一目瞭然……いや一食瞭然のはずだよ」
「………発展した食文化に興味がないわけじゃないが、俺は無駄遣いだとか浪費が嫌いでね。不必要なものを摂るつもりはない」
「心配しなくても大丈夫。こうみえて俺は趣味で家庭菜園を嗜んでいてね……。このサンドイッチに挟まっている野菜も殆どはうちの庭でとれたものだ。
それに私も無駄遣いは嫌いだが、サンドイッチ一つにかかるお金を惜しむほどケチじゃない。これから共に戦うサーヴァントへの、私なりの恩返しの一つとして受け取ってくれ」
「そこまで言うのならば」
渋々とキャスターがサンドイッチを口に運ぶ。すると、
「ッ!?」
いつもは鉄面皮か気難しい顔かの二者択一のキャスターの表情が驚きで固定される。サンドイッチを持つ左手は小刻みに痙攣していた。
キャスターは未知のものに遭遇した冒険者のようにサンドイッチを見つめながら硬直している。
「あー、紅茶もいるかな」
ピカピカのカップに新たに紅茶を注いで勧める。今度は有無を言わさずにキャスターが紅茶を受け取ると、ごくりと一気に飲み切った。
紅茶の味をその舌で堪能し尽くしたキャスターは敗北感を露わにする。
「あの時、この味さえあれば、こんなことには……ッ!」
本当に悔しそうにキャスターは言った。サンドイッチを食べ終えるとキャスターは敗北感に打ちひしがれながら霊体化する。
アーサー王が悲劇的な最期を迎えたのは伝承で知っていたが、悲劇だったのは最期だけではなかったのだろう。
時計の針が0を指し示し、昼の始まりを告げた。冥馬は皿に残っている自分の分のサンドイッチを見下ろす。どうやら朝食は昼食になってしまったらしい。