明治維新によってアジアの中でも近代化が特に進んだ甲斐あって、日本の庶民の暮らしは向上している。勿論貧しい人間というのはどれほど恵まれた時代においてもなくなることはないが、少なくとも江戸の頃よりも遥かに良くなっている。
もっとも冥馬は大正生まれのため明治や江戸がどういうものだったのかは知らない。江戸時代の街並みなどについては父である静重から聞いたことから想像するしかない。
それは兎も角、冬木市は昔から港町として栄えていたため、近代化の波の影響も他の地方都市よりも多く受けている。これにはこの地が一級品の霊地であり〝遠坂〟という魔術師が根を張っていたからというのも大きいだろう。
だがこの時代、どれほど近代的な街だろうと、日が落ちて夜になれば殆どの家からは明かりが消えて寝静まる。
遅くまで起きている者も外出はせず、家で本などを読むのが精々だろう。そもそも外出したところで、外には真っ暗闇が広がるだけで何もありはしない。
極普通の人間にとっては本来であれば寝ている時間でしかない深夜。しかし聖杯戦争の参加者にとっては最高の時間だ。なにせ魔術の秘匿に昼ほど気を使わないで済む。
昼間に無理にも戦おうとすれば、それこそ帝都で帝国陸軍がしたような大規模な準備が必要となるだろう。アインツベルン城がある郊外の森であれば、一般人など誰一人として寄りつこうとしないので昼間であっても戦闘は可能だが、そういう特殊な場所は冬木市内にそれほど多くはない。
(帝都から冬木に来るまでも密度のある時間だったが、こうして冬木に戻った今こそ本腰を入れなければ)
冬木に戻って冥馬が最初に『やるべきこと』と定めたのは冬木市の調査だ。
これまでの戦いで顔を見たマスターは二人。相馬戎次とエルマ・ローファスである。そして幼馴染で時計塔では良き好敵手だった間桐狩麻、彼女もこの戦いに参戦していることはほぼ確実。そうなると遠坂冥馬が顔を知るマスターは三人ということになる。他に顔は見ていないがナチスのマスターと軍隊が虎視眈々と聖杯を狙っていて、アインツベルンのマスターは郊外の森にある城いるということは掴んでいた。
つまり現状で自分自身を除いた五組の情報については一通り持っているわけだ。けれどこれらの情報だけでは聖杯戦争を勝ち抜くには足らない。
冥馬のサーヴァントが如何にアーサー王といっても、クラスは最弱のキャスターでパラメーターもそう高くはない。足らないパラメーターを補うためには、より詳しい情報が必要だ。
未だに姿を晒していない第七のマスターとサーヴァント。ナチスのマスターが何者なのか。アインツベルンと間桐が用意してきたサーヴァントは何なのか。他マスターの拠点は何処か。調べなければならないことは山積みだ。
そのためには地味であるが自ら屋敷を出て街を捜索するのが一番効果的だ。
叶うのであれば未だに正体不明の『七人目』の参加者かアサシンの拠点、そしてナチスの居所について知りたいところだった。
七人目については言わずもがな。
マスター殺しに特化したアサシンは一昨日の戦いからして隠密行動には優れていても正面戦闘には向いていない。アサシンの拠点を突き止め、こちらから攻め込めば圧倒的な優位を得られるはずだ。
そしてナチスドイツ。冥馬としてはいの一番にこのナチスを倒したい。
理由は多くあるが――――やはりあれだけ色々とやってくれたのだ。遠坂冥馬として、遠坂家当主としてきっちりと落とし前をつけてやらなければならない。
冥馬は自分の手に刻まれた令呪を見やる。本来この刻印は遠坂冥馬のものではなかった。令呪を宿し、聖杯戦争に挑むはずだったのは父・静重。
父は良い親だったかと問われれば、迷いなく冥馬は間違いなくと答えるだろう。父は厳格で常に厳しく接してきたが、それは愛情の裏返しでもあった。魔術師としてだけではなく、人間としても素晴らしい親だったと冥馬は確信をもって言える。
その父を殺したのがナチスのサーヴァントたるランサーで、真昼間のホテルのロビーで銃撃戦なんて始めたのもナチス。
父を殺された怒り以上に、御三家の一人としてナチスを倒す義務がある。もしも居所が分かれば真っ先に狙おうと、既に冥馬は決めていた。
本格的な戦いは情報を集め終えてから、というのが冥馬の方針だがナチスに限っては例外を適用するつもりである。
手近なところから冥馬は遠坂邸のある深山町の調査から行うことにした。
やはり遠くよりも足元を固めるのが先だろう。足元を疎かにすれば、つまらない石ころに躓いて転ぶというのはよくあることだ。というより冥馬自身、足元を疎かにして幾度となく失敗してきた。魔術実験で時計塔の教室一つ吹き飛ばしてしまったこともある。
(何気ない街並みも、こうして出歩いて観察すると普段と違う)
あからさまな変化はない。ただ空気がいつもよりも淀んでいる。
目に見える違いとしては偶に何者かの視線を感じることもあった。視線といってもマスターやサーヴァントが影に潜んで直接こちらを眺めているのではない。その多くは鳥や蝙蝠などといった使い魔だ。
使い魔の使役と、視界共有による情報収集。聖杯戦争に参加するような魔術師としては初歩的なことであるが、単純故に効果的な手段だった。
だがこちらの情報をむざむざと教えてやることもない。幸い冥馬のサーヴァントはキャスターである。キャスターの魔術で使い魔たちには強制的に退去して貰った。マスターたちが放った使い魔たちは今頃肥溜めでも永遠と観察している頃だろう。
「冥馬、最近俺のことを都合の良い便利屋として利用していないか?」
近頃結界の調整や強化などの小細工ばかりやらされているキャスターが、やや口調に棘を含ませる。
「折角多彩なスキルがあるんだから活かさないのは勿体ないじゃないか。これからも期待してるよ、キャスター」
「…………人を使うことに慣れてる奴はこれだから」
キャスターのそれは文句ではなく愚痴である。不満はあるが、戦術的に正しいことであるから否定はできない。だからキャスターは愚痴を零しつつも、反論などはせずに引き下がった。
最初に冥馬がやってきたのは間桐の屋敷である。挑発しないよう間桐の領地の手前で足を止めた。
不可侵条約が結ばれているため家に入ったことはないが、今代の当主たる狩麻とはそれなりに付き合いがあるので、何度か家の近くまで来た事がある。だからその屋敷にあるはずのない気配があることを見逃しはしなかった。
「キャスター、ここに」
「ああ。いるな、サーヴァントの気配だ」
マスター同士が魔力を感じることが出来るように、サーヴァントはサーヴァントの気配に敏感だ。
キャスターのお墨付きが出た事だし間違いない。この間桐邸にはサーヴァントが潜んでいる。
暫く屋敷の手前で待機するが、間桐邸は静まったままで何のリアクションもない。
「どうやら狩麻はまだ我々と戦うつもりはないらしい」
ほっとしたように息を吐いて肩を竦めた。
聖杯戦争中で間桐家の警戒度も上がっているだろう。冥馬の存在に気付いていないということはあるまい。だというのに動きを見せないということは、狩麻の方に戦意がないことの証だ。
「こちらから攻めるか? 万が一にも敵が寝ていれば夜襲にはなるかもしれないが……」
「生憎と狩麻は夜型人間。この時間ならまだ起きているだろうし、今の段階じゃ勝負より情報集めに徹するのが方針だ。今日はこっちも手出しはしないでおこう。触らぬ神になんとやらだ」
「そうか」
冥馬は狩麻の魔術師としての実力の程は良く知っている。やや自画自賛になるが総合的な能力では自分は間桐狩麻を上回っているだろう。だが魔術工房に仕掛けられている罠の性質の悪さにかけて狩麻は冥馬より一回りは上だ。
時計塔時代、狩麻の工房に侵入した魔術師が白骨化した状態で発見されたなんて話もある。
こうして敷地外から眺めている分には狩麻は静観しているだろうが、領地に踏み入ろうとすれば狩麻もサーヴァントを投入して迎撃してくるはずだ。
相手のサーヴァントについて何も知らず、敵に圧倒的優位なフィールドで狩麻という魔術師と戦おうと思うほど冥馬は蛮勇の徒ではない。
「間桐にしっかりとサーヴァントがいるって確認出来ただけでこの場はよしとしよう」
「さっきからこの家の魔術師に対してやけに馴れ馴れしく話しているが、もしかして知り合いなのか?」
「幼馴染だよ。間桐と遠坂は不可侵条約を結んでいるから、普通は同じ地にあっても交流など皆無に等しいが、子供の頃は学校が同じでついでに学年も同じだったから、例外的に狩麻とは交流があったんだ。
同じ魔術師同士だったこともあって他の一般人の子供よりは話もあったし、冬木を離れ時計塔に行ったのもほぼ同時期だったから幼馴染兼ライバルといったところかな」
「だとすれば間桐のマスターについては良く知ってるんだな?」
「勿論。弱点も良く知っている」
「心強いな」
「ただ、たぶんこっちの弱点も知られている」
「……心弱いな」
間桐について話しながら街の巡回を再開する。
外来の魔術師と違い御三家の方は拠点が固定されているので探すのが楽で良い。アインツベルンも例によって郊外の森に陣取っているだろう。
(郊外の森はまた次の機会にしよう)
アインツベルン城がある森は深い。それに森中にはアインツベルンが魔術的な罠を仕掛けているはずだ。森を踏破しようとすれば丸一日、否、二日は費やす覚悟で挑まなければならないだろう。
御三家の所在は探すのには全く苦労しないが、いざ攻め込むとなると、外来者の拠点より数段は厳しい。
暫く深山町を練り歩き円蔵山の柳洞寺まで来た。
柳洞寺はこの冬木における最大の霊地であり、外来の魔術師には秘匿されているが、その地下の大空洞には聖杯の本体たる大聖杯が眠っている。
冥馬は石段の先に鎮座している柳洞寺の山門を見上げた。江戸時代よりも前からある歴史ある寺は、遠坂邸よりも旧く厳粛な雰囲気を醸し出している。
柳洞寺には住職を始め数十人の修行僧がいる。だがこれほどの霊地にありながら柳洞寺には実践派の法術師は一人もいない。魔術などを使えば住職や修行僧を黙らせるのは難しいことではない。
だからもしかしたら外来の魔術師がここにいるかもと思っていたが杞憂だったようだ。今のところ柳洞寺には魔術師やサーヴァントの気配はない。これからもここに目を付けるマスターがいないことを祈りたいものだ。
「ここも異常はないようだな。次へ行こうか」
「…………………」
「キャスター?」
「――――なんでもない。ここに誰もいないのであれば関係ないだろう。で、次はどこだ?」
「そうだな。深山町は一通り調べた事だし、新都の方へ足を延ばしてみようか」
冬木市は中心に流れる未遠川により二つに分けられる。
柳洞寺、遠坂邸、間桐邸などが立ち並ぶ深山町。そして冬木教会や鉄道などがある新都だ。御三家の周辺に陣取ることを警戒して、新都に陣取る魔術師は第二次聖杯戦争の例からみても多い。
冥馬は暫く歩き大きな鉄橋まで辿り着いた。冬木大橋、深山町から新都へ行くにはここが唯一の陸路である。
「おい冥馬、止まれ」
「っ!」
キャスターが実体化して手元に黄金の剣を出現させる。
「感じた事のない気配だ。いるぞ」
緊迫した声。冬木大橋に冥馬の心情を現すような強い風が吹いた。
手に刻み込まれた令呪の刻印が反応する。気配のした方向に視線を向ければ吹きすさぶ風などものともせず、一人の少女が悠然と立っていた。
年齢は冥馬より数歳年下といったくらいだろうか。
風に靡くオレンジがかった金髪は丁寧に縦ロールにセットされている。陶器のような肌に淑女の理想ともいうべき美しく可憐な顔立ち。一流の職人が高級な素材を用いて端正込めて作ったのが一目分かる優美な青いドレス。
本来ドレスは着る者を引き立てるものだが、目の前の女性に限ってはその逆。彼女という最高の淑女を頂いたことで、ドレスを引き立てより輝きを増していた。
そんな麗しの淑女を形にした少女であるが、その眼光は儚げな姫ではなく獲物を喰らうハイエナのそれだった。
なによりも満ち溢れる魔力と、右腕に袖越しにも分かるほど輝く令呪の光が、彼女が遠坂冥馬の敵。聖杯戦争のマスターであることを如実に示していた。
「あら、極東の田舎魔術師は随分と貧層な顔をしていますのね」
「ひ、貧層!?」
いきなり貧相と言われた冥馬は憤慨するも、聖杯戦争で消費した宝石に費やした金額を思い出すと憂鬱になった。
だが眼上にいる少女は冥馬の様子など全く気にした風はない。
「私直々に手を下すには少し物足りませんが、こうして出会ったのも縁というものでしょう。喜びなさい、田舎者。この私が直々に貴方を屠ってさしあげますわ。私の手に掛かる光栄を感謝なさい
少女は貴族的佇まいに似合った尊大な声色で言い放った。
【CLASS】キャスター
【マスター】遠坂冥馬
【真名】アーサー・ペンドラゴン
【性別】男
【身長・体重】185cm・70kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力C 耐久C 敏捷C 魔力A+ 幸運B 宝具D
【クラス別スキル】
陣地作成:B
魔術師として、自らに有利な陣地を作り上げる。
“工房”を形成することが可能。
道具作成:D
魔力を帯びた器具を作成できる。
本人が物作りに向かないため余り精度の高い道具を作成することができない。
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
【固有スキル】
二重召喚:B
キャスターとセイバー、両方のクラス別技能を獲得して現界する。
極一部のサーヴァントのみが持つ希少特性。
勇猛:A
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる。
心眼(真):B
修行・鍛錬によって培った洞察力。
窮地において自身の状況と敵の能力を冷静に把握し、その場で残された活路を導き出す戦闘論理。
高速詠唱:C
背中に刻まれた擬似〝魔術刻印〟に記録されている魔術ならば、Bランク以上の魔術でも一工程で発動できる。
魔力放出(炎):C
武器に魔力を込める力。キャスターの場合、燃え盛る炎が魔力となって使用武器に宿る。
もっともこれは自身の魔術で〝とある人物〟のもつスキルを模倣した擬似的なものである。
【Weapon】
『勝利すべき黄金の剣』
アーサー王が引き抜き王となった選定の剣。
権威の象徴であり装飾も華美であるが、象徴故に武器としての性能はエクスカリバーに劣る。
だがあくまで最強の聖剣たるエクスカリバーと比べた場合の話であり、宝具としての性能はトップクラス。