冥馬は慎重に相手の出方を伺う。
令呪の輝きといい溢れんばかりの魔力といい、彼女の魔術師としての素養は一級品だ。貴族らしい振る舞いからして古い血筋の名門魔術師だろう。
なによりも少女の右隣。未だに『実体化』すらしていないというのに、内臓が押し潰されそうな圧迫感を感じる。実体化せずにこれほどのプレッシャー、彼女のサーヴァントはどんな怪物だというのか。
良くも悪くも安定している御三家の参加者と違い、外来の魔術師は実力や意気込みも千差万別だが、こと実力に限っては目の前の少女はとびっきりだ。恐らくは主従共に。
隙を見せればアウトだ。冥馬は切り札たる魔力を込めて宝石を手にとり構える。
「あら」
すると少女の目が冥馬の手に収まっているルビーに止まった。
「田舎魔術師にしてはそこそこ魔力が込めてある宝石を持っているんですのね。……ああ、そういうことですの。御三家の一つに私たちと同じ大師父を祖とする魔術師がいると風の噂で聞いておりましたが、その宝石を見る限り貴方が〝トオサカ〟のマスターでしたのね」
「同じ、大師父だと? まさかお前も――――」
遠坂家の大師父とは即ち現代に残った五つの奇跡のうち第二魔法の担い手。宝石翁、万華鏡、魔道元帥など様々な異名をもつ魔法使いシュバインオーグである。
少女はニヤリと笑うと大粒の宝石をこれ見よがしに取り出した。取り出した三つの宝石、その全てに膨大な魔力が込められている。それは彼女が卓越した宝石魔術師であり、自らもまた宝石翁の弟子の家系であるという名乗りであった。
「ご名答ですわ。傍流の田舎者といえ貴方も栄光あるシュバインオーグの系譜に連なる者。オープニングの相手として及第点と認めて差し上げます」
パチンと少女が指を鳴らす。少女にとってはそれが戦いを告げるゴングでもあったのだろう。少女の隣に粒子が集まりサーヴァントが実体化した。
彼女のサーヴァントが実体をもった瞬間、冥馬は感じていたプレッシャーが勘違いでなかったことを否応なく突きつけられた。
「■■■■……」
人間味を感じさせない獣のような唸り声。凶暴性が剥き出しになった真っ赤な双眸。膨張し黒く変色した剥き出しの筋肉。手には人の身長ほどもある巨大な棍棒が握られていた。
少女の隣に控えたサーヴァントは〝狂戦士〟そのものだった。主である彼女の命令にしか縛られぬ〝呼吸して歩く殺戮兵器〟。人間などアレに触れただけで蒸発してしまう。
「バーサーカーのサーヴァントか」
狂化のクラス別技能により、理性と引き換えに地力を底上げするのがバーサーカーのクラスである。本来バーサーカーのクラスは弱い英霊を強化するためのものなのだが、あのバーサーカーは元々強い英霊を狂化で更に底上げしているのだろう。
そんなことをすれば必要となる魔力供給も途方もないことになり、並みのマスターなら一日と保たず魔力切れで自滅してしまう。しかし少女の方はバーサーカーを実体化させていながらまるで平然としていた。十年に一度の才能と、並外れた魔力量が無茶を可能としているのだろう。或は魔力供給に関しては、彼女は自分の上をいくかもしれない。
「気を付けろキャスター。あいつ、とんでもない化物だ」
「……分かっている。あいつからはなんとなく、うちの馬鹿騎士たちと同じ臭いがする。頭はアレだが腕っぷしだけは出鱈目なタイプだ」
馬鹿だとかは兎も角、強者揃いの円卓の騎士クラスだと、アーサー王直々の認定も出た。
冥馬とキャスターが二人して警戒心を露わにしていると、少女がくすくすと小馬鹿にするように笑い始める。冥馬は少しだけムッとして口を開いた。
「なにが可笑しいのかな?」
「日本の魔術師は見る目がないんですのね。このルネスティーネ・エーデルフェルトのサーヴァントがバーサーカーなんて華麗さにかけるサーヴァントなはずがないでしょう?」
「エーデルフェルト……!」
その家名には冥馬も心当たりがあった。巡り合わせが悪く面識はなかったが、時計塔に在籍していた頃、その実力に関する噂を何度も聞いた事がある。
鉱石を計る天秤。湖の国フィンランドにその名も高き名門の一族。遠坂と同じゼルレッチの門下であるが、その歴史において遠坂を凌ぐ。
特に今代のうら若き女当主は一族の誇りともいえるほど屈指の才能をもっているという。時計塔にはまだ在籍こそしていないものの、既に多くの革新的な魔術理論を発表し将来を期待されているほどだ。時計塔へくれば『王冠』の階位を得るのは確実だろう。
聞く所によればエーデルフェルトの『当主』は三重属性。火と風の二重属性たる冥馬よりも属性が一つ勝っている。別に属性が多い程に優れた魔術師というわけではないが、才能を計る一つの目安にはなる。
そして見たところ自分より若い少女の魔術師としてのスペックは遠坂冥馬以上だった。無論スペックで劣っても、技量で劣るつもりは欠片もないが。
「エーデルフェルトとかいったな、女」
「サーヴァントの癖に不作法ですわね。キャスターの英霊というのは礼儀を弁えて……あら、その黄金に光る剣。まさか貴方……?」
ルネスティーネはキャスターの真名に気付いたようだ。
絶大な知名度と強さを見込んでアーサー王を召喚したわけだが、有名過ぎるというのもそれはそれで面倒なことだ。剣一つ見られただけで真名がばれてしまう。
だが秘匿すべき真名を知られながらもキャスターはどこ吹く風だ。侮蔑もまるで気にせずに問いを投げた。
「そこのデカブツがバーサーカーじゃないとお前は言うが、だったらその不細工な肉団子はどこのクラスだ。そんな知性皆無のアホ面を晒すクラスが、バーサーカー以外にあった覚えはないが?」
キャスターの言う通りだ。獣染みた形相や原始人染みた剥き出しの上半身といい、彼女のサーヴァントが理性を失いバーサーカーと化しているのは明白だ。
だというのにバーサーカーでないのならば一体どのようなクラスをあの狂戦士は得たというのか。
「愚問ですわね。地上で最も優美なるハイエナ……いいえ、ハンターに相応強いクラス! そんなものは最優と謳われるセイバー以外にありませんわ!」
「せ、セイバーだと?」
冥馬の脳裏に表示されるパラメーターはどれもAランク相当。魔力以外のステータスが標準以上に届かなければならないセイバーのクラスと言われても、素直に頷けるものがある。
その容姿や見た目などを度外視すれば、だが。
「■■ッ■■」
バーサーカー……否、セイバーは実体化されてからずっと、己と同じサーヴァントであるキャスターを睨み続けている。マスターであるルネスティーネが抑えているからいいものの、近くにマスターがいなければとっくに襲い掛かってきているだろう。
こんなものが最優のサーヴァントなのだとしたらセイバークラスの株価は大暴落。空前絶後の大恐慌だ。
御三家出身の参加者として断言できる。セイバーにはサーヴァントをこんな野獣染みた姿に変貌させるような呪いなどありはしないと。とすれば考えられる可能性は一つ。
「成程。そのセイバーはクラス別技能としてではなく、元々保有しているスキルとして狂化をもっているのか」
バーサーカーとして召喚されたから理性を失い狂化されたのではなく、最初から理性を失い狂化されているからどんなクラスで召喚されてもバーサーカー染みた風になる。そう考えれば全ての辻褄が合う。
どっちにせよあのセイバーとルネスティーネ、両方ともトップクラスの実力者だ。
(聖杯戦争なんてさして知名度もない儀式に、まさかエーデルフェルトほどの名門が出てくるとは)
エーデルフェルトは世界各地の争いに好き好んで介入しては美味しい所を掻っ攫っていくことでも有名な一族だ。万能の願望器を巡って、七人の魔術師が七人のサーヴァントを呼び出して殺しあう戦い。なるほど、エーデルフェルトが好みそうな儀式である。
聖杯戦争は地上で最も美しいハイエナが新たに見出した新しい獲物ということか。
「お互いの銘を知って覚悟もできたでしょう。ミスタ・トオサカ、エーデルフェルトの手にかかる名誉と最初の脱落者という不名誉。同時に与えてさしあげますわ! やりなさい、セイバー!」
「■■■■■■■ーーーッ!!」
主の許しを待ちわびていたとばかりにバーサーカー……セイバーが雄叫びをあげた。耳を劈くほどの叫びに思わず耳を塞ぐ。鉄橋全体が恐怖に震えているように振動する。
セイバーは巨大な棍棒を木の棒のように軽々しく振り上げながら、真っ直ぐキャスターに突進してくる。理性のないバーサーカーに剣技やフェイントなど考える脳味噌なぞありはしない。あるのは目の前の敵を縊り殺すという純粋な破壊衝動だけだ。
「下がれ冥馬、巻き込まれたら死ぬぞ!」
「言われなくても……」
あのセイバーはこれまで戦ってきたサーヴァント達とは格が違う。ランサーやライダーの時は、冥馬も切り札の宝石を使い行動の邪魔程度は出来ていたが、このセイバー相手にはそれも通じない。
セイバーの埒外の強さの前に遠坂冥馬など鬱陶しい羽虫でしかないのだ。こと対セイバー戦において冥馬のできることは一つとしてない。セイバーとの戦いをキャスターに任せ、冥馬は後退する。そして、
「はぁぁああああああああッ!」
そうしなくては対抗できないのか。肺から絞り出すほどの雄叫びをあげながら、キャスターがセイバーに立ち向かっていく。
本来であれば魔術師の英霊たるキャスターにとって、七クラス中最高峰の対魔力をもつセイバーは最悪の相性だ。だが冥馬の召喚した此度のキャスターに限っては例外。
冥馬のキャスターは魔術師でありながらセイバーの力を併せ持つ掟破りのダブルクラス。キャスターでありながら高い白兵戦能力をもっている。
「■■■■■■■ッ!!」
「ちぃっ!」
セイバーの薙ぎ払いを受け止めきれず、キャスターの体が宙を浮く。
出鱈目なまでの膂力だ。キャスターが特別貧弱というわけでないというのに、まるで歯が立っていない。キャスターは浮き飛ばされながらもしっかりと着地するが、セイバーの猛攻撃は止まらない。
暴走機関車のように地面を砕きながらセイバーが棍棒を振り回す。
「大した馬鹿力だが、こっちはお前みたいな奴を相手するのには慣れている――――!」
自分より強い相手、格上との戦い。それはキャスターにとって実に慣れ親しんだもの。幼い頃よりずっと共にあった妹、最初の一年を超えてから彼女は彼にとって格上の対戦相手であり続けた。その妹と、キャスターはずっと木剣試合を積み重ねてきたのだ。
だから今回も同じこと。自分より強い相手との戦いとは即ち、キャスターの日常に他ならない。
力勝負では勝てないと雷光の如き速度で理解したキャスターは、直ぐに真っ向勝負を止めた。
どれほど意地汚くとも、小狡いと嘲笑されようと先ずは生き延びる。これがキャスターの戦いである。
「はっ! どうした肉団子、不細工なりに不細工な動きしかできないのか?」
「■■■■■■!」
キャスターの挑発にも反応せずセイバーは我武者羅に棍棒を振り回すだけだ。棍棒一振りにざっと三十人は皆殺しにできるほどの破壊力が秘められていたが、それも命中しなければダメージは与えられない。
筋力、速度、耐久。あらゆる面でキャスターはセイバーに劣っている。しかし勝っている部分もあった。
セイバーのクラスに選ばれるからには、セイバーは並みの達人では及びもしないほどの剣技の持ち主なのだろう。棍棒を振るう動作に垣間見える剣気の残滓というものがその証明だ。しかし理性を失い怪物染みた力を得た代償に、セイバーはその卓越した剣技を失ってしまっている。
理性がありし日はどうあれ、少なくとも今に限ってはキャスターの剣技はセイバーを上回っていた。
この優位をキャスターは最大限に活かす。棍棒を直接は受けずに、剣で受け流し時に躱しひたすら回避に務める。
「■■■■■■■ッ!!」
棍棒だけではキャスターを捕まえきれぬと悟ってか、セイバーが足や空いている片腕をも使い攻撃を仕掛けてきた。
キャスターも回避しながら斬撃を繰り出すがセイバーには通らない。例え理性を失おうとセイバーには本能的な第六感ともいうべきものが残っている。その第六感がキャスターの斬撃を防いでしまうのだ。
「最優は伊達じゃないか」
冥馬は眉間に皴をよせながら二騎の戦いを見守る。
キャスターは単に回避や軽い斬撃ばかり繰り出していたのではない。キャスターの真骨頂というべき魔術も何度か打ち込んでいる。だがBランクのみならず、最高のAランクに届く魔術をぶつけてもセイバーはびくともしなかった。
(セイバーの対魔力がピカイチとは知っていたが、あそこまでは流石に反則じゃないか……!)
ランクAの魔術が効果なしということは、セイバーの対魔力のランクはAなのだろう。
ここまでくるともはや魔術の耐性どころではない。魔術完全無効と言っても良いくらいだ。英霊の座を見渡せばあの対魔力を超えることができる魔術師もいるかもしれないが、少なくとも現代の魔術師では誰一人としてセイバーを傷つけられないだろう。
しかし対魔力スキルは完全ではない。魔術師の英霊たるキャスターはそれを見逃さなかった。
「ふんっ!」
攻撃を捌きながら、キャスターは近くにあった手摺に魔力を送る。するとただの物体であった手摺が擬似的な命を得た。
手摺が生きた蛇のように身をくねらせながらセイバーの足に飛びかかる。無論こんなチャチな手摺でセイバーを倒せる訳がない。セイバーも手摺など脅威にならないと判断したのか完全に無視してキャスターに襲い掛かった。
「■■■■■っ!」
手摺がセイバーの足に絡みつく。
対魔力スキルはあくまでも自分への魔術を無効にするだけであって、なにも魔術に触れたらその魔術を消滅させるわけではない。よって魔術そのものではなく、魔力を与えられた手摺を消滅させることは出来ないのだ。
しかし所詮魔力を与えた手摺などセイバーにとっては糸に足を引っかけたようなものでしかない。溢れんばかりの力であっさりと足に絡みついた手摺を粉々に踏み砕く。
――――それで十分だ。
ほんの刹那のロス。僅かな足止め。その間にキャスターはセイバーの真上に飛びあがっていた。
キャスターは容赦なく殺意をもってセイバーの頭蓋に黄金の聖剣を振り落した。
響き渡る金属音。
「な……に……!?」
信じ難いことが起きた。
キャスターの振り下ろした黄金の聖剣は防がれていた。……それはいい。いや、良くはないがセイバーほどの英霊であれば、寸前で棍棒によって聖剣を防いだとしても驚くに値しない
驚いたのはセイバーの防ぎ方に対してだ。あろうことかセイバーは自分の腕を盾にして、聖剣を受け止め防いだのである。肌に止められた剣がぎちぎちと不協和音を鳴らす。けれどキャスターがどれだけ強く剣を押し込もうともセイバーの肌が傷つく様子はない。
「■■■■■■ーーーッ!」
セイバーが腕を振り払うと、たん、とキャスターが後方へ飛んだ。
「そんな馬鹿な。そこいらのナマクラならまだしも、キャスターの剣で切れない肌なんてあるわけがない」
キャスターの武器はアーサー王伝説にその名も高き選定の剣。権威の象徴としての側面が強いため、エクスカリバーと比べれば武器としての性能は劣る。けれどそれはエクスカリバーと比べればのことで、決して剣の性能が弱いわけではない。寧ろ英霊の宝具としてのトップクラスの性能――――切れ味がある。
だというのにセイバーは武器でなければ防具でもなく、自分の肉体で聖剣を弾いたのだ。これはもう体が丈夫だとか硬いだとかいう次元ではない。なにか強力な神秘による防御がセイバーの肉体にあるのだ。
「無駄ですわよ、お馬鹿さん。私のセイバーにそんなチャチな一撃が通じると思って?」
セイバーという絶対的な強者を従えたルネスティーネは華麗に笑う。
「聖剣の斬撃をチャチな一撃扱いか。ふん、文句は山ほどあるが今の貴様に言ったところで敗者の遠吠えにしか映りはしないだろう。忌々しいことだがな。
だが見てとったぞ。セイバーの肉体は通常攻撃を完全に無効化するほどの加護をもっている。それほどの守りだ。よもやただのスキルではないだろう。察するに自分の強靭な肉体そのものがセイバーの宝具なのか」
「ふふふふふふっ。一応アーサー王だけあって見る目はそれなりですのね。ええ、ご名答ですわ。セイバーの宝具は、例えそれが宝具によるものだろうと、ランクC+までのあらゆる干渉を減衰・無効化させる。
ここまでくれば頭の悪いお猿さんでもお分かりでしょう。私のセイバーに勝てる者などおりませんわ」
「――――なんて、滅茶苦茶」
冥馬はぎりっと歯噛みする。あらゆる干渉をC+まで減衰、C+に届かないものであれば完全に無効化する。
要するにそれは通常攻撃を完全に弾く鉄壁の鎧だ。セイバーにダメージを負わせるには最低でもランクB+以上の攻撃でなければならない。
そしてランクB+以上という破格の力を生む方法など、それこそ宝具くらいだ。
「圧倒的な力の差というものが理解できまして? 私も少々退屈してきましたし、そろそろ終わらせてさしあげますわ! セイバー、やっておしまいなさい」
「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
「生憎と簡単にやられるほど俺は諦めが良くない」
雄叫びをあげながら棍棒を振り上げたセイバーにキャスターは果敢に挑んでいく。
キャスターも馬鹿ではないのだ。セイバーがどれほど出鱈目な強さの英霊かは冥馬以上に良く理解しているだろう。しかしキャスターはセイバーの理不尽なまでの力にもまるで怯んでいない。
(……そうだな。サーヴァントが諦めてないのに、マスターが先に膝を屈するわけにいかないか)
確かにセイバーは難敵だ。通常の攻撃手段で倒すのはほぼ不可能といっていいだろう。
だがキャスターにもまだ切り札が残っている。通常攻撃ではダメージを負わせられなくても、宝具を真名解放しての攻撃であれば恐らくセイバーの守りを突破することも可能だ。
それに、
(相手を倒す方法はサーヴァントを倒すだけじゃない)
冥馬は余裕げにセイバーの戦いを眺めているルネスティーネに視線をやる。
セイバーほどの英霊を更に狂化した状態で使役しているのだ。見た目には分からないがルネスティーネはかなりの魔力をセイバーに送っているはずである。それこそ並みの魔術師では指一本動かせなくなってしまう程の。
対してキャスターはアーサー王という最上級の英霊でありながら、必要とする魔力はそれほど多くはない。宝具を解放すれば話が変わるのかもしれないが、少なくともセイバーと比べれば燃費は格段に良いだろう。
遠坂冥馬とルネスティーネ。魔術の才であればルネスティーネは冥馬の上をゆく。だがセイバーに多くの魔力を供給している今、ルネスティーネは完全にその実力を発揮することができない。これならば条件は互角以上だ。
「キャスター! セイバーは任せた!」
「――――っ! いいだろう、任されてやる」
冥馬がルネスティーネへ向かって駆け出したのを見て、キャスターは即座に狙いに気付いてくれたようだ。
如何に通常攻撃で倒せない破格のサーヴァントだろうと足止めくらいは出来る。キャスターは己のマスターの下へ戻ろうとするセイバーを通すまいと、宝具を解放する予兆を臭わせながら釘づけにした。
「サーヴァント同士じゃ勝てないと知って、この私を狙うだなんて。悪くない判断と誉めてさしあげますが、それは私以外がマスターだった場合ですわ。セイバーのマスターがこの私、ルネスティーネ・エーデルフェルトだということをお忘れのようですわね!」
突然の奇襲にも慌てず、ルネスティーネは冥馬に手を向ける。
詠唱などない。たった一工程、指を対象へ向けるという動作だけで魔術が完成する。ルネスティーネの指から散弾銃のような魔力の塊が飛んできた。
北欧に伝わる有名な〝呪い〟の一つであるガンド。本来は当たった人間の体調を悪くする程度のものでしかないが、ルネスティーネのガンドには明らかに物理殺傷力を備えていた。
エーデルフェルトは代々ガンドの名手を排出するというが、これほどの技量であれば頷ける。
(威力だけじゃない。狙いも正確無比……!)
しかし時計塔で金を稼ぐため物騒な仕事を請け負った日々と、聖杯戦争が始まってから幾度となく銃撃に身を晒された経験がここに活きてきた。
ガンドと機関銃。魔術と科学という点で真逆ではあるが、起こるべき結果であれば大差はない。銃撃を掻い潜るように、足にありったけの魔力を込めてステップを踏む。
軍用の銃でも楽々とストップする防御性を備えたスーツを着ているので、躱さずに受けても良いのだが、銃弾とは違い魔弾の場合は予想外のオプションがついている可能性がある。それに今後のためにもこちらの情報は出来る限り隠しておいた方が良い。
「私のガンドを躱したですって!?」
余程ガンドに自信があったのだろう。特別な魔術行使もなくガンドを回避されたことに、ルネスティーネが初めて動揺を露わにした。
冥馬としては千載一遇の好機。勝負をつけるべく踏み込み、
「させるか!」
どこからともなく突き刺さる声。反射的に冥馬は飛び退いた。
「――――!」
横から入った刃の一閃。もしも飛び退くのが遅ければ、冥馬の体はケーキのように真っ二つにされていただろう。
「なっ……!」
目を見開いた。いる筈がない者が、いてはならない存在がルネスティーネを守るように立っている。
精悍でありながらも、どことなく愛嬌のある顔立ち。月光に照らされ輝くように靡く銀髪は、黒い髪止めで結われていた。そして白銀の甲冑に身を包み白い外套を羽織った姿は王と神に忠義を捧げる〝聖騎士〟そのものだ。手には聖騎士に相応強い華美に鍛えられた輝煌の聖剣がある。
「ボンジュール、魔術師。後一歩で敵を倒せたところ邪魔して失礼。ルネスの方は俺のマスターじゃないが、美女を守るのは助けてタナボタ的に乙女のハートまで頂けるという、騎士道精神がウズウズする素敵イベント。よって颯爽介入させて貰ったぞ」
調子よさげに聖騎士が言った。
「馬鹿な。こんなことが、ありえるわけがない」
男の出で立ちは明らかにサーヴァントのそれである。全身に漲る魔力もそれを証明していた。
だが有り得ないのだ。人間らしい表情をしているから一瞬分からなかったが、男の顔立ちは今まさにキャスターと戦っているセイバーとまったく同じものなのだ。
「ちっ!」
事態の異常さを察して、セイバーとの戦いを中断してキャスターが冥馬のもとへ戻る。セイバーは追撃せず、ゆっくりとルネスティーネの側に歩いて行った。
狂戦士と聖騎士が並ぶ。こうやって両方の姿を同時に視界に捉えると二騎のサーヴァントが同一人物なのは疑いようがなかった。狂戦士の方は鎧などなく、下半身に腰巻をつけただけという野性的なスタイルで、肉体も鉛のような色に変色している上に眼光は獣のそれだが、顔立ちは完全に同じ。
そう――――丁度あの聖騎士がバーサーカーで召喚されたら、こんな風になるだろう。
「どういうことだ? 同じサーヴァントが二体も召喚されるなんて、そんなことはあるわけがない」
「下調べが足りなかったようね」
凛とした声が上から降りかかる。ルネスティーネに似た声色だが彼女ではない。
声のした場所を見上げると、鉄橋の上に血のように真っ赤なドレスを着た少女が優雅にこちらを見下ろしていた。
顔立ちはルネスティーネと非常に似通っている。だがルネスティーネが縦巻きロールな髪形なのに対して、赤いドレスの少女は金色の髪をツーサイドアップにしていた。なんとなく勝ち気な雰囲気がする。
少女は無造作に鉄橋から飛び降りると、ふわり、と聖騎士の背後に着地した。
「エーデルフェルトの当主は常に姉妹だと、貴方は知らなかったのかしら? ミスタ・トオサカ」
「!」
異常なセイバーとルネスティーネの実力にうっかり失念していた。
本来一子相伝を基本とする魔術師の家において『後継者が二人』という事柄が彼の家が〝天秤〟と呼ばれる所以。だとすれば、あのサーヴァントたちは。
「同一の英霊を別々の側面から其々召喚して使役しているのか。道理でその強さに反してセイバーの霊格が低いわけだ」
キャスターは二騎のセイバーを見比べながら渋い顔をした。
英霊とは時に多くの顔をもつ。若い日は騎士として、晩年は将軍として活躍した者。名君から暴君に変化したもの。
聖杯戦争においてサーヴァントを召喚した場合、基本的にはその英霊の全盛期の姿で召喚されるが、マスターの相性によっては違う側面で召喚されることもある。
しかし異なる二つの側面を別々に召喚するなど異例極まることだ。少なくともこれまでの聖杯戦争にはなかった。
エーデルフェルトが〝姉妹〟という特異な魔術特性をもっていたからこそ出来たイレギュラーというべきだろう。良く見ればルネスティーネの右腕に令呪の光があったように、新たに現れた少女の左腕に令呪の光があった。
どうやら二つに分割されているのはサーヴァントだけではないようだ。
ルネスティーネにとっては味方が来たということなのだが、何故か不機嫌そうに表情を歪める。
「リリアリンダ、なにをしに出てきましたの? トオサカのような田舎魔術師、この私一人で十分ですわ。妹の貴女は引っ込んでなさい」
「妹として義理で助けてあげたのに、姉さんは好き勝手に仰るんですね。そんなんだからガンドを躱されただけでみっともなく狼狽えるのよ」
「なんですって!?」
「なによ」
「おいおい。そこにキャスターがいるんだから、こんなところで喧嘩は――――」
「「あ゛?」」
「恐ぇー!」
どうやってこの場を切り抜けようか考えていると、何故かいきなりエーデルフェルトの姉妹が言い争いを始めていた。仲裁に入った聖騎士も鬼のような一睨みに一蹴されている。
ルネスティーネといい新たに現れたリリアリンダといい魔術師としては高レベルにあるようだが、姉妹仲はかなり悪いらしい。
そのお蔭というわけではないが、冥馬の脳裏にも一つ閃くものがあった。
「無敵の肉体、聖騎士と狂戦士の側面をもった……聖剣の担い手」
一つ一つに該当する英霊は多くいる。だがその全てに該当する英霊といえば、思い浮かぶ名前は唯一つ。
「まさかシャルルマーニュ十二勇士筆頭、ローランか!」
「ん? 俺はローランだけどなにをそんなに驚いたふうに――――――あっ! 聖杯戦争で真名って隠すものだったな。そういえば」
冥馬の追及に聖騎士としての側面で召喚されたセイバー、ローランはとぼけたようにポンと手を叩いた。
円卓の騎士に並び多くの勇猛果敢で誉れ高い騎士が集ったシャルルマーニュ十二勇士。その筆頭であり最強と謳われたのがローラン。セイバーのクラス適正は言うまでもなく最高だ。
そしてローランは狂えるオルランド――――理性無きバーサーカーとしての顔を持っている。察するに聖騎士として召喚されたのがリリアリンダのセイバーで、狂戦士として召喚されたのがルネスティーネのセイバーなのだろう。
「セイバー! アンタねぇ。真名は隠しときなさいって二日前に言ったばっかでしょう! なに普通にばらしちゃってるのよ! 少しは粘りなさい!」
「わ、悪い悪い。ごめん……。でもどうせばれたんだし、もういいじゃないか」
「よくないわよ!」
リリアリンダが自分のセイバーを叱責する。狂戦士の方のセイバーは、そんなやり取りをただじっと地蔵のように固まって眺めていた。
理性のないサーヴァントというのは普通なら扱い難いものなのだが、エーデルフェルトの双子姉妹のセイバーに限ってはバーサーカーの方が使役し易いのかもしれない。彼女たちほどの魔力のあるマスターならばという但し書きがつくが。
「おーほっほっ! 見苦しいですわよリリア。サーヴァントはマスターに似た者が召喚されると言いますわ。セイバーのおつむが残念なのは、貴女の方に責任があるんじゃなくて」
「はぁ!? だったらおつむ残念どころか理性すらないセイバー召喚したアンタはなんなのよ!」
「勿論、華麗なる私には従順なサーヴァントこそが相応しいという証に決まってますわ!」
「どうだか。本当はそっちのセイバーみたくアンタの頭もお猿並みなんじゃないの?」
「失礼なことを仰らないで! さっきから聞いていればなんですの? 妹ならば姉である私に敬意を払って話なさい」
「たった一時間生まれるのが早かったくらいで人生の先輩気取らないで欲しいわね。姉として扱われて欲しければ、姉らしい振る舞いでもしてみたらどう?」
冥馬は何もしてないと言うのに姉妹の言い争いは段々と激しさを増していっていた。今はぎりぎりで口論で済んでいるが、放っておけばそのうち手が出るだろう。
なんにしてもこれは好機だ。
「(キャスター)」
こっそりとラインを通じてキャスターに話しかける。具体的な事を告げる前にキャスターはこくんと頷く。
視線で心は通じ合っていた。ずばり、姉妹が喧嘩している今が逃げるチャンスだ。
「(俺が隙を作る。そこをついて一気に逃げるぞ)」
「(隙を作るって良い方法があるのか? それに逃げるといってもセイバーは足も速いぞ)」
「(大丈夫だ。なにも逃げ道は陸路だけじゃないだろう。幸いここは橋の上だからな)」
「(橋の上って、ま、まさか……?)」
「(いくぞ!)」
有無を言わさずにキャスターが行動に出た。キャスターがなにか良く分からない玉を、言い争いを続ける姉妹たちの間に投げつけた。
キャスターの投げつけた玉が弾ける。するとむわり、と茶色いなんともいえない煙が吹きあがった。それとほぼ同時に冥馬は、キャスターに首根っこを引っ張られて強制的に橋からダイブする。
「い、いやっ! なによこの臭い!」
「こ、これは……う、うんこだァーーーーッ! うんこの臭いだ!?」
「げ、下品なことを仰らないで……げほげほっ! ってリリア、一人だけ逃げるなんて狡いですわよ!」
「■■■■……」
背後では阿鼻叫喚の叫びが上がっている。だが冥馬にはそちらに気を向ける余裕はない。
「あああああああああ~~!!」
悲鳴すら遠い。冥馬とキャスターは氷のように冷たい冬の未遠川に真っ逆さまに落ちて行く。
ばさん、と水飛沫があがる。冬の寒さで氷のように冷たくなった川の水が、冥馬の全身を包み込んだ。
【元ネタ】狂えるオルランド
【CLASS】セイバー
【マスター】ルネスティーネ・エーデルフェルト
【真名】オルランド
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・狂
【ステータス】筋力A 耐久A 敏捷B 魔力B 幸運C 宝具C+
【クラス別スキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。
騎乗:―
騎乗スキルは失われている。
【固有スキル】
狂化:C
幸運と魔力を除いたパラメーターをランクアップさせるが、
言語能力を失い、複雑な思考ができなくなる。
戦闘続行:A
生還能力。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
心眼(偽):B
直感・第六感による危険回避。
【宝具】
『狂煌の軌跡』
ランク:C+
種別:対人宝具
レンジ:―
最大捕捉:1人
強靭なる不死身の肉体。
通常攻撃・宝具問わずランクC+までの物理属性ダメージを無効化し、ランクC+以上であれば減衰させる。
ただし伝承により足の裏のみ不死性がない。