ルネスティーネとリリアリンダの二人が、キャスターが投げつけた臭い玉による混乱から冷めたのは冥馬が逃げてから数分が経った頃だった。
数分間も敵である冥馬とキャスターが待ってくれるはずもなく、鉄橋の下の未遠川を見渡しても二人の気配はもう何処にもない。
「誇り高いエーデルフェルトに、このような……このような……っ」
わなわなとルネスティーネの両肩が震える。全身からは冥馬とキャスターに対しての激怒が滲み出ていた。
ルネスティーネはフィンランドに名高き貴族の生まれであるが、箱入りの御令嬢というわけではなく、魔術師としてそれなりに社会の負の側面というものを見てきている。
だがそのルネスティーネでも冥馬とキャスターが逃走に使ったものはとてもではないが許容できない。
「この私に、あのようなものを……ぶつけるなど……あのような……」
「う○こだろ」
「黙りなさい!! 殺しますわよ!」
「ら、ラジャー」
口にすることすら不潔極まる単語をあっさり口にしたセイバーを叱責する。
理性がある聖騎士としてのセイバーは、あくまでリリアリンダのサーヴァント。ルネスティーネの命令に従う義理はないのだが、ルネスティーネの余りの形相に反射的に頷いてしまう。
騎士として無敵の強さを誇るセイバーも、女性――――特に目上の女性は苦手だった。
「うっ。臭いがドレスにこびり付いてる……。もうこのドレス着れないわね」
リリアが露骨に顔を歪める。庶民が聞けば目玉が飛び出るほどの値段のするドレスだったが例のアレの臭いがついてしまえば 最高品質のドレスもボロ雑巾のようなものだ。
ルネスティーネとリリアも臭いを消すための魔術をドレスにかけてみたのだが、キャスターの道具作成スキルは伊達ではなかったのか。魔術を使っても臭いは消えてくれない。リリアの言う通り、このドレスは捨てるしかないだろう。
逃げられたのみならず、自分のお気に入りのドレスを捨てる羽目になったことにルネスティーネは更に怒りを募らせた。これほど特定の誰かに怒りを抱いたのは妹であるリリアリンダ以外には初めてのことである。
「覚えていらっしゃい遠坂冥馬……! この私をここまで虚仮にした報い、百倍にして返して差し上げますわ!」
どうしてアーサー王がキャスターなんて最弱のクラスに押し込まれているか、という最初に抱いた疑問は吹き飛んでしまっていた。
ルネスティーネは遠坂冥馬への百通り以上もの報復を考えていく。
(コンクリートに括り付けてドブ川に放り込む……足りませんわね? 真っ裸にした後に公衆の面前で三回回ってワンとでも……。兎に角、始末するだけじゃ飽き足りませんわ!)
いつものように他人の成果――――聖杯を御三家たちの手から華麗に掻っ攫っていくつもりで冬木に赴いたルネスティーネだが、聖杯入手以外に遠坂冥馬への報復という目的が新たに加わる。
寧ろ『万能の願望器』などというつまらないものより、打倒・遠坂の方が比重において重くなっていた。
「あっそ。百倍はいいけど、まず私は館へ戻って熱いシャワーでも浴びさせて貰うわ。どこぞの姉のせいでキャスターも取り逃がしちゃったことだし、早くこの不快な臭いをとりたいし。行くわよ、セイバー」
「りょーかい」
優雅に髪を掻き揚げると、リリアは去って行こうとする。だがただ一言、リリアはルネスティーネの地雷原を踏み抜いていた。
ルネスティーネが怒りで顔を赤くして、館に帰ろうとする妹に向かって口を開く。
「待ちなさい、リリア!」
「なによ?」
ルネスティーネに呼び止められたリリアが不機嫌そうに振り向いた。
「なによ、じゃありませんわ。リリアが負け犬のようにとぼとぼとチンケな屋敷に戻るのは一向に構いませんわ。寧ろ好きになさい。私の華麗なる戦いにリリアは邪魔ですので。それより私のせいでとはどういうことですの?」
「はぁ!? アンタの戦いのどこが華麗よ! 馬鹿みたいに力任せで火をぶっぱなしたり、風をぶちかましてるだけじゃない。邪魔なのはそっちでしょ」
「下品な言い方ですこと。これだから直情的なお馬鹿さんは。こんなのが私と血を分けた双子など、猿が人間に進化したレベルで不思議ですわ」
「ふふふふふふふ。嫌ですわお姉様。私の台詞を一言一句違わず代弁して下さるなんて。このファイヤードリル女」
「ど、ドリルですって!? この私の高貴な髪をドリルゥ! 今度という今度は許しませんわ! そこに直りなさい!」
「私が、素直に従うと思うわけ?」
ルネスティーネとリリアリンダ、共に魔術師として最高峰の才能をもって生まれた姉妹は同規模の殺意をぶつけあいながら対峙する。
互いにその手には自分の手で魔力を込め続けてきた宝石。遠坂家と同じく宝石魔術を得意とするエーデルフェルト家出身である彼女達は冥馬と同等、或いはそれ以上の宝石魔術師だ。
仮に彼女達のもつ宝石の一つが破裂でもすれば、この冬木大橋に爆弾が爆発したような大穴があくのは間違いないだろう。
「おいおい。ルネスにリリア、一応お前達姉妹だし、戦うにしても最後だろ。ほら落ち着いて深呼吸すれば細かい事なんて――――」
「「あ゛?」」
「いつもながら恐い」
サーヴァントとしての義務で渋々と仲裁に入ったセイバーは姉妹の一睨みで封殺された。リリアに至っては姉妹で分割したため一画しかない令呪を輝かせてまでの脅しである。
「おい、お前も黙ってないで手伝ってくれ。お前も俺と同じ俺だろ」
「■■■■……」
困り果てたセイバーが自分と同じセイバー、狂戦士としての自分に助けを求めるが、そもそも理性を失っている彼が言語を話せるはずもない。
自分自身であるセイバーが話しかけても唸り声を漏らすだけだった。これでセイバーが〝他人〟であれば敵意も一緒に向けられていたに違いない。
「唸り声じゃなんにも分からねぇよ! 我ながら肝心な時に使えない奴! フッ。自分に対して使えないなんて、これが本当の自虐ってやつか?
やっぱり喧嘩とか殺し合いの仲裁なんて俺の仕事じゃないんだよ! 俺、肉体労働担当だろ! 助けてオリヴィエ!」
慣れないことをしているストレスに、頭を乱暴に掻きながらセイバー生前の自分の親友に助けを求める。無論、とうの昔に死んでおり、聖杯戦争にも参戦していないオリヴィエが返事をしてくれるはずもなかったが。
セイバーが生前から余り活用していなかった頭をフル回転させショートしかかっている間に、姉妹の争いもヒートアップしていた。
「もう一度仰って下さらないリリア。私、貴女という華麗さの欠片もない妹をもった心労で耳が遠くなってしまいましたの。一体全体どこの誰のせいで遠坂冥馬を逃がしたですって?」
「何度でも教えてあげるわよ。アンタが『おーほっほっ!』とかアホみたいな高笑いしながらあれこれ言ってきたせいで、遠坂に付け入る隙を与えたんでしょ。無能な姉をもつと、妹としては苦労が絶えないわよ。心底」
「異議ありですわ! 妹である貴女が過ちを犯せば、それとなく叱咤するのが私の義務。私の叱責に『分かりました』と言えない貴女が悪いのです」
「あれのどこをどうしたら〝それとなく〟になるのよ! それとなくの意味、今直ぐ辞書開いて目玉と脳味噌に焼き付けときなさい!」
「そもそも貴女のセイバーが真名をあっさりとばらしたのが全ての原因でしょう! サーヴァントすら御せないマスターなどマスターとして失格ですわ!
さっさとサーヴァントと令呪だけおいてフィンランドへ戻りなさい。聖杯戦争はこの私が一人できっちりかっきりパーフェクトに勝利しますわ」
「はっ! アンタじゃ三日四日でどこかでおっ死ぬのがオチよ。帰るんならアンタが一人でめそめそ帰ればいいじゃない」
「………………」
「………………」
先程の台風と落雷の激突のような口論が一転、二人は静かに黙って見つめ合う。
だがそれが仲直りの合図でないことは瞭然だ。その証拠に二人の魔術回路にはありったけの魔力が流し込まれ、腕の令呪はその輝きを増している。
これは嵐が静まったのではない。大嵐の前の静けさなのだ。
溜まりに溜まった怒りと不満を、姉妹は一気に爆発させる。
「リリア、貴女とはいずれどっちが上でどちらが下なのか、はっきりさせなければと思ってました。聖杯戦争において聖杯を手に入れられるのは唯一組。貴女も例外じゃありませんわ。
どれほど憎たらしくとも貴女は妹。姉としての温情で最後の最期まで残してあげるつもりでしたが、気が変わりましたわ。ここで白黒はっきりつけてさしあげます!」
「望むところよ。姉だからっていつも私より上に立ってる風になって正直苛々してたのよね。年功序列なんて時代遅れ。こっから時代は実力主義よ。
セイバー! 準備は出来てるでしょうね。ここでルネスと雌雄を決してやるわよ。アンタの聖剣でルネスとそこの狂犬染みた肉達磨をぶった斬ってやりなさい」
「え? 肉達磨って、それも一応俺なんだぜ」
「早くやりなさい。令呪使われたいの?」
「ああもう考えるの面倒臭ぇ! 良く分からないがそこにいる姉と俺をぶった斬ればいいんだな。良く分からないし意味不明だけどとにかく分かった」
聖騎士としてのセイバーが構えれば、自分と全く同じ闘気を感じ取った狂戦士としてのセイバーが棍棒を振り上げる。
「「やりなさい!!」」
姉妹の声が重なる。二人の同一人物同クラスのサーヴァントが〝自分〟を殺すべく疾走する。
ここに聖杯戦争史上最も不毛にして壮絶な姉妹喧嘩が始まった。
全身の筋肉が軋みをあげている。鉛のように圧し掛かる疲労。許されるなら地面に大の字で倒れてしまいたかった。だが始まりの御三家にして聖杯の守り手たるアインツベルンとして、それは出来ない。
自分で己を叱咤しながらアルラスフィールとそれに従うホムンクルスたちは夜の冬木を彷徨い歩いていた。
帝国陸軍の大規模なアインツベルン城への攻撃から丸一日が経過している。
主にサーヴァントの圧倒的な格差により、いきなり惨めな敗北を喫したアルラスフィールは拠点を失った。
不幸中の幸いというべきか城に待機していたホムンクルスが、必要最低限のものを持ち出してくれた為に完全なチェックメイトにはなっていない。だがそれに限りなく近い状況といえるだろう。
城から脱出しても帝国陸軍の攻勢は止むことはなかった。否、陸軍だけではなくナチスに襲撃されることもあった。
隙あらばと襲い掛かってくる爆撃と兵士たちの襲撃。更には地面に埋め込まれた地雷の数々。
アルラスフィールが勝利のために引き連れてきた戦闘用ホムンクルスとて万能ではない。戦闘用ホムンクルスたちの稼働時間は十二時間であり、それを超えることは命を削ることと同義である。
しかし帝国陸軍の執拗な攻撃はアルラスフィールたちに休息を許さず、何体かのホムンクルスはそのために行動不能になったほどだ。アルラスフィール自身、襲撃以来ずっと睡眠をとっていない。
戦闘用ホムンクルスではないアルラスフィールに、彼女たちのような稼働時間の制限はない。しかしアルラスフィールは体力的には華奢な女性のそれである。アルラスフィールの体力は限界に近かった。
「だからさー。もう戦いなんて止めて逃げちゃおうよ。私は弱い者殺しは好きだけど、強い者殺しは大の苦手なんだし」
疲労困憊のアルラスフィールたちの中で唯一人ピンピンしている者がいる。
言うまでもなくアルラスフィールのサーヴァントにして、彼女達全員がここまで追い詰められた最大の原因。アヴェンジャー、アンリ・マユだ。
「……………」
普段であればアヴェンジャーの士気を削ぐような態度にアルラスフィールは叱責の一つでもしただろう。しかしもはやアルラスフィールにアヴェンジャーを怒る余力すら残っていなかった。
「へぇー。無視するんだ。ひどーい、一応私はアルラのためを思って言ってるのに」
どれほどアルラスフィールたちが疲労し、戦闘用ホムンクルスの五分の四を失おうともアヴェンジャーがまったく疲れた様子がないのは、アヴェンジャー本人の性格と性質によるものもあるが、もっと魔術的な理由がある。
〝神霊を制御する〟
その目的のためにアハト翁がもてる技術の全てを費やして生み出したアルラスフィールは、戦闘力はともかく内包している魔力――――マスターとしての素養は歴代でもトップクラスだ。
アルラスフィールが幾ら疲労しようと魔力だけは今もアヴェンジャーへと送られている。そしてサーヴァントとは魔力供給が完全で体に魔力が満ちていれば、食事や睡眠どころか休息すら必要がない。
ライダーとの戦いで失われた片腕も既に接合されており、ダメージも完全に治癒されている。要するにアルラスフィールたちが疲労困憊の中、アヴェンジャーだけは憎らしい程に万全のコンディションなのだ。
(アヴェンジャーの言う通り、なのかもしれませんね)
耳元でずっと諦めを叫んでいたアヴェンジャーの怠惰が伝播したのか、この絶望的状況に皮肉にも人間としての苛立ちが芽生えたのか。アルラスフィールの脳裏に初めて諦めが過ぎる。
最初アルラスフィールが考えていたのはアインツベルンの城にひたすら穴熊を決め込み、残り僅かとなった敵が森に侵入した時に全戦力をもって打倒するというものだ。
しかしその目論見は帝国陸軍が真っ先にアインツベルンを標的と定めたことでふいとなってしまった。
戦力の要たる戦闘用ホムンクルスも壊滅状態。他には対人間戦以外は役立たずのアヴェンジャー、魔術特化のホムンクルスが幾人か、戦闘力皆無のアルラスフィール。
今すぐ目の前にマスターを失ったはぐれサーヴァントが都合よく現れるほどの奇跡でもない限り、アルラスフィールが聖杯戦争を制することはないだろう。
「……川があります。あそこで休みましょう」
だがやはりアルラスフィールは逃げる、という選択肢をとることができない。
アルラスフィールにとって『聖杯を手に入れること』は生まれてきた理由であり、存在理由。アルラスフィールの生きる目的だ。聖杯戦争を諦め逃げ出すということは、死ぬことと同じだ。命があったとしても、生きる意味や目的、生きる気力すら失えば、それは肉体ではなく精神の死である。
故に皮肉なことにアルラスフィールは〝生きる〟ために〝死ぬような戦い〟を続けるしかないのだ。
(数時間前まで執拗に攻撃を仕掛けてきた帝国陸軍やナチスの気配はない。ここで一先ず休んで、それから――――)
「ぶはぁっ! 死ぬかと思った!」
ばしゃっと水を撒き散らし、未遠川から全身水びだしの赤いスーツの男が這い上がってくる。
アルラスフィールは休息が許されることはなかったのだと、安楽死前の老人のような不思議に穏やかな心境で悟った。
「あら。運命の神様も大悪神の私に似て性質が悪いわ。まさかもうお迎えがくるなんて」
「――――冥馬、しゃんとしろ。残念なお知らせだが、敵サーヴァントだ」
最弱のサーヴァント、アヴェンジャー。最弱のクラス、キャスター。二体のサーヴァントが対峙する。
遠坂冥馬はアルラスフィールの顔を見て一瞬驚いたように目を見開くが、直ぐに顔を引き締め戦闘体勢をとった。
アヴェンジャーの言う通り、運命の神というのは性質が悪いのだろう。勝ち目が全く思い浮かばない。
【元ネタ】ローランの歌
【CLASS】セイバー
【マスター】リリアリンダ・エーデルフェルト
【真名】ローラン
【性別】男
【身長・体重】190cm・80kg
【属性】中立・善
【ステータス】筋力B 耐久B 敏捷C 魔力B 幸運C 宝具A+
【クラス別スキル】
対魔力:A
A以下の魔術は全てキャンセル。事実上、現代の魔術師ではセイバーに傷をつけられない。
騎乗:B
騎乗の才能。大抵の乗り物なら人並み以上に乗りこなせるが、
魔獣・聖獣ランクの獣は乗りこなせない。
【固有スキル】
勇猛:B
威圧・混乱・幻惑といった精神干渉を無効化する能力。
また、格闘ダメージを向上させる効果もある。
戦闘続行:A
生還能力。
瀕死の傷でも戦闘を可能とし、決定的な致命傷を受けない限り生き延びる。
心眼(偽):B
直感・第六感による危険回避。