この五日間、狩麻は直接他のサーヴァントやマスターと交戦したこともなければ、顔を合わせたことすらなかったが、決して意味もなく時間を浪費していたわけではなかった。
冬木市に放っていた使い魔たる蟲達は狩麻とアーチャーをこの間桐邸から一歩も動かさずに、有益な情報を送ってきてくれている。それは十分に戦果と呼べるだけのものだ。
「あーははははははっ~♪ 僕は回る~♪ くるくる回る~♪」
部屋で音楽にのって踊っているアーチャーを努めて黙殺する。アーチャー相手に下手な叱責なんてしても逆に面倒臭いことになるだけだ。
狩麻はテーブルに置いてある苦い緑茶を口に含み、思考に没頭する。ちなみに祖父である臓硯はアーチャーと関わることを嫌って奥に引っ込んでいる。
「そこで華麗にジャンプ! ララーラー♪」
アーチャーがスケートでもないのに四回転半しても無視だ。
白状すれば狩麻は間桐の魔術も蟲も好きではない。自分の肉体を苗床として蟲を操る間桐の魔術は、魔術という異端の秘術の中でも特に見た目の悪いものだ。特に女である狩麻にとっては最悪だ。どれほど長い間、蟲と接しても生理的嫌悪感というものは消えてくれない。
だが蟲たちの有用性は確かなものだった。これは魔術師として狩麻も認めるしかない。鳥などといった魔術師が扱う一般的魔術師と違い、間桐の蟲は兎にも角にも隠密性に長けている。中でも狩麻自身が交配させ、内部を弄り生み出した特別な〝蟲たち〟はあの臓硯すら認めるほどのものだ。
(冥馬が生き残っているのは〝やっぱり〟としか言えないけど、まさかあのアインツベルンがいきなり敗れるなんてね)
始まりの御三家が聖杯戦争にかける思いは外来の参加者の比ではない。狩麻は聖杯戦争――――ひいては聖杯を求める妄執において間桐臓硯を超える者はいないと信じているが、アインツベルンも相当のものだ。
聖杯戦争が始まって以来、アインツベルンはマスターの戦闘力の無さが敗因となっているため、此度の戦いではその失敗を糧にして、より強大な敵となって立ち塞がるだろうと危険視していた。そのため『アインツベルンが最初に敗退』したという事実は誤算以外のなにものでもない。
尤も誤算は誤算でも『嬉しい誤算』だ。狩麻の目的は『聖杯』よりも〝遠坂冥馬〟といっていい。そのための邪魔者には一人でも多く消えて貰った方が良かった。
(常に私の上をいった冥馬を、私の足元に引きずりおろす)
「プリプリプリプリプリンス~♪ 僕はプリンス~♪」
それこそが狩麻の目的。才能において勝る相手を自分に跪かせ高笑いする――――即ち〝下剋上〟こそが狩麻の生きる指針といっていい。
臓硯は兎も角、狩麻自身は『聖杯』そのものは別に欲しい訳ではない。聖杯戦争に勝利したという結果があれば満足だ。無論、その道程は遠坂冥馬を倒して……という過程を経たものであることが大前提である。
聖杯そのものに感心が薄いため、聖杯を使う用途も未だに決めていない。臓硯が恥を忍んで鼻水垂らして土下座でもしてきたら散々勿体ぶった後にくれてやってもいいくらいだ。
命を懸けて聖杯戦争に挑みながら『聖杯』そのものは欲しない。奇しくもこれは狩麻が執着している冥馬と共通しているのだが、幸か不幸か狩麻はそれを知らなかった。
「前回は慎重を期して冥馬は逃がしてあげたけど、次は――――」
「アハーン!」
「いい加減に黙ってなさいよ、アーチャー! 馬鹿なの!? 死ぬの!?」
飛んだり跳ねたり踊ったり歌ったりしても、努めて無視しようとしていたがもう限界だ。青筋を立ててアーチャーを睨みつける。
アーチャーは狩麻の怒鳴り声を浴びて漸く踊ったり歌ったりするのを止める。
「おやマスターの思考が冴えるよう僕なりの方法で、マスターをリラックスさせてあげようと思ったんだけどお気に召さなかったかい?」
「召すわけないでしょう。貴方の音痴な歌なんて聞かなくても、私の思考はいつも冴えてるわよ。そもそも本当に私をリラックスさせる為にやってたの?」
「もちろんさ!」
「……はぁ。いきなりアインツベルンが脱落したっていうのに、いつまでも貴方は……。本当にあの英雄なわけ?」
何度目かに分からぬ疑問を、遂に狩麻は口に出してアーチャーにぶつけた。
「ははははははは。心配しなくても僕は君が召喚しようとした英雄本人で間違いないよ」
アーチャーは濃い笑顔で笑いながら親指を立ててサムズアップする。教えられた宝具といいスキルといい召喚された時の恰好といい、アーチャーがあの英雄なのはステータス上は確かなのだ。
しかしアーチャーの普段の振る舞いはステータス上の事実に疑いをもたせるには十分過ぎるものだった。
「だったら、この状況をどう見ます?」
そんなアーチャーを挑発する意味も込めて言った。
幾らアーチャーが彼の英雄だったとしても、常日頃の不真面目な態度からするに生前の偉業もなにかの偶然の産物に違いない。そう思っていたのだが、
「アインツベルンが脱落したという情報はどこからのものだい?」
いつものお気楽さはどこへやら。極めて冷静な口調でアーチャーが言った。表情には笑みがあるが、その眼差しは真面目なものだ。
直感する。アーチャーの態度から彼の英雄としての功績はなにかの間違いだと感じていたが、それこそが誤りだ。ふざけているようでいて、アーチャーはしっかりと英雄としての表情を内側に隠していた。
「私の使役していた蟲からのものよ。冬木中に放っていた蟲の一匹が偶然……じゃなくて、戦闘が起こるであろう場所に予め配置していた蟲が、未遠川付近での戦闘を目撃したのよ」
「アインツベルンと戦っていたサーヴァントとマスターは?」
「昨日、この家に偵察に来ていた冥馬とキャスターよ」
「ああ。序盤で戦うには早いといって見逃した彼等だね。マスターご執心のムッシュ・トオサカについては知っているから良しとして、彼のサーヴァントについては? 戦闘は見れたかい?」
「ええ」
蟲が冥馬とアインツベルンの戦闘を捉えて直ぐに、狩麻は蟲と視界を共有し両者の戦闘を覗き見ている。だから二人の戦いの顛末については一通り掴んでいた。流石に逃げたアインツベルンのマスター、アルラスフィールを追うことはできなかったが。
狩麻は昨日の戦いを思い起こし、アーチャーに伝える。
「戦いそのものは本当に早く終わったわ。アインツベルンのサーヴァント、アヴェンジャーとかいうイレギュラークラスの黒い影みたいなのがキャスターと交錯して終わり。アヴェンジャーが一方的に切り伏せられ脱落。アインツベルンのマスターは護衛のホムンクルスたちと一緒に逃げ出したわ」
「へぇ」
狩麻からの情報を聞くとアーチャーが驚いたように目を見開いた。
サーヴァントとして召喚されるのは全てが英雄。セイバーとキャスターが白兵戦勝負をする、なんて極端なことにならない限り一瞬で勝負が決着するなんて有り得ないことだ。
だというのにキャスターとアヴェンジャーの戦いは本当に一瞬で終わった。それこそ英雄が一兵卒を斬り殺すようにあっさりと。
「アヴェンジャー、復讐者という役目を与えられた英雄は如何な復讐をこの英雄同士の華麗なる戦いに求めたのか。プリンスとして是非ともアヴェンジャーなる英雄と相見えたかったよ。その強さ弱さに関係なく、ね。
戦いに予想外のゲストはつきもの。ゲストは本来プログラムにない故に、それが会場に現れた時にどのような波乱を齎すのか分からない。して、そのアヴェンジャーはキャスター相手にあっさりやられるほど弱いサーヴァントだったのかい?」
「強いか弱いかって聞かれたら、弱そうだったわ。だけどアインツベルンの方はかなり消耗していたみたいだし……。けど一つだけ言えることがあるわ」
「なんだい?」
「キャスターの真名はアーサー王よ」
「――――!」
今度は露骨にアーチャーの表情が変化する。プリンスを名乗っていた時の年中お祭り騒ぎの雰囲気は跡形もなく消え失せ、軍を率いる将軍としての顔が露わとなった。
黄金に輝く聖剣を振るう英雄など思いつく名前は一つしかない。アーサー王、その余りに有名過ぎる英雄の名をアーチャーが知らぬはずもないだろう。
「フフフフフフ。これは……嬉しい話を聞いた。まさか騎士王ともあろう英雄が僕と同じサーヴァントとして、この聖杯戦争に参加していたとはね」
召喚されて以来、お祭り騒ぎだったアーチャーが初めて敵サーヴァントへの闘争心を見せた。
確信する。やはりアーチャーはあの英雄だった。その実力と才幹、共に疑いようがない。これだけが分かっただけでも狩麻にとっては幸運だった。幾ら自分が魔術師として優れていようと、肝心のサーヴァントが役立たずでは元も子もないのだから。
そしてアーチャーであれば、例え相手がアーサー王だとしても決して劣るものではないだろう。
「――――あら」
遠坂冥馬が間桐邸に偵察に来た時と同じものを狩麻の脳髄は察知する。アーチャーも同じものを感じたのか、顔の筋肉が引き締まって窓に視線を向けた。
間桐邸に配置していた蟲との視界を通じて外を伺う。間桐の敷地の手前には人影が一つ。
年季の入った白い服にマントを羽織りステッキをもった貴族らしい佇まいの男だった。だがあくまで貴族らしいであって、その男は貴族ではない。
「あの顔?」
「心当たりがあるのかい?」
「ええ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、ちょっと前に時計塔で噂になった男で……本人の魔術師としての実力は高いけど、噂によれば優秀な子孫を残す力に欠けてるとかで立場は高くないわ。貴族との縁談も断られたっていうし。だけど蟲の一匹が見たわ。あいつがナチスのマスターよ」
噂の是非はどうでもいい。子孫がどうこうなど聖杯戦争においてはなんら意味をなさないことだ。重要なのはダーニックという個人が優秀な魔術師で、その優秀な魔術師の背後にはナチスがいるということである。
帝国陸軍とナチスドイツ。この二つはイレギュラークラスのアヴェンジャーどころではない真正のイレギュラーだ。意図は不明だがそのイレギュラーを率いるマスターの一角が、護衛の兵隊の一人も連れずに間桐邸へとやってきた。
冥馬と同じように偵察しに来ただけというのはない。偵察など、それこそナチスの兵士たちにでもやらせればいいことだ。わざわざマスターであるダーニック自身が赴く必要性はない。
「兵隊という配下がいるにも拘らずマスターたるムッシュ・ダーニック本人がきた。魔術師の家には罠が張り巡らせている、なんて知らぬこともないだろうしねぇ。ああ一人じゃなくて正確には〝二人〟だね。僕と同じ聖杯戦争の花形を忘れるとは失敬失敬」
蟲との視界共有では霊体化したサーヴァントまで視認することは不可能なのだが、アーチャーによればサーヴァントも連れているようだ。
それも当然か。護衛の兵士ゼロに、サーヴァントすら連れずに敵マスターの拠点に侵入するなど自分で自分にギロチンの刃を落とすようなものだ。
「まさか戦いに……」
「戦いに赴いたのであれば、僕もこの歴史に記されぬ儚き戦いに招かれた華として、決闘の求めに応じぬわけにはいかないね。でもそれはないと思うよ」
「何で言いきれるのよ」
「戦いに来たなら兵隊を連れてこない筈がないじゃないか。そもそも時間だって悪い。今は正午近く、聖杯戦争は基本的に夜からだろう」
「それは、そうね」
正論過ぎて返す言葉もないとはこのことだ。良く観察すればダーニックにも戦意らしきものはなく、寧ろその表情は『友人のお茶会に招かれた客』のそれである。
八枚舌――――ダーニックがその政治手腕からそういう異名で呼ばれていたのを思い出した。
ダーニックが蟲の一匹の存在を察知すると、にこやかに一礼する。そしてランサーを霊体化させたまま間桐の敷地に踏み込んだ。
狩麻の中で頭が切り替わる。敷地内に『踏み入れ』たのならば、もはや知らんぷりはできない。
「アーチャー、着いて来なさい」
「イエス、マイ・マスター」
芝居がかったお辞儀をしてアーチャーが狩麻に着いて行く。服装は相変わらずアーチャーが勝手に用意した赤いケバケバシイ服だが、その足の運び一つとっても隙がない。もしダーニックか、そのサーヴァントが襲い掛かってもアーチャーは瞬時に対応してみせるだろう。
アーチャー曰く、ダーニックの方に戦意はないそうだが――――そんなことは知ったことではない。ナチスという軍事力をもつマスターが折角マスターとサーヴァントだけでノコノコとやってきたのだ。例え握手を求めてきても、機会があればここで仕留める。
「止まりなさい。ここを誰の屋敷だと思ってるの?」
屋敷から出た狩麻は、冷たくダーニックに言った。間桐邸に潜んだ蟲たちや、狩麻のとっておき。そしてアーチャーにいつでもダーニックを襲わせる準備をした。
ダーニックもサーヴァントを連れている以上、そう簡単に殺すことはできないが、四方八方からの総攻撃であれば可能性はある。
昼に戦闘すれば近隣に住む誰かが騒動に気付く懸念も承知している。しかしそのあたりの処置は監督役に押し付けてやればいいことだ。
「聖杯戦争に参加したマスターで貴女とその家について知らねば、無知の誹りを免れぬものでしょう。私は全知ではありませんが無知ではないと自負しています」
ピン、と背中を張りダーニックは邪気なく微笑みかける。
これだけなら百人が百人ダーニックという男に対して『紳士的な好人物』というイメージしか抱かないだろう。しかし『好人物』や『腹黒狸』。はたまた『無能者』を自然かつ完全に演じ分けられるからこその〝八枚舌〟である。油断は禁物だ。
「お初お目にかかる、ミス・マキリ。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア、ユグドミレニアの長をさせて頂いています」
「名前の前に〝ナチスの〟とでもつけたらどうなの? 一人じゃ絶対に勝てないからってナチスの助力まで請うなんて、見境がないにも程があるわね。魔術師として神経を疑うわ。けどナチスの手を借りたって勝てないことに変わりはないだろうけど」
「これはこれは耳が痛い」
狩麻の挑発にもダーニックは微笑を崩さない。
ダーニックは魔術師にとって屈辱的な噂を流され、それでも時計塔にしがみついていたような男だ。この程度の挑発など動じるほど軟な精神をしていない。彼の八枚の舌の裏側には時計塔の喉元すら噛み砕こうとする叛逆の意志と牙が隠れているのだ。
当たり前のことだが狩麻はダーニックがどういう人物で、どういう〝願い〟を腹の底へ隠し持っているかなど知りはしない。しかし間桐臓硯という妖怪と長い間、接してきたお蔭か、ダーニックの奈落のように底知れない腹の内を感じることはできた。
「それで何の用で来たわけ? 言っておくけど、私は貴方みたいなのに構っている時間はないのだけど。下らない用だったらこの場で蟲の餌にしてやるわよ」
「一つ提案がありまして」
「提案?」
ダーニックはステッキをもう片方の手に持ちかえると、微笑みはそのまま抑揚に口を開く。
「打倒遠坂のため、手を組みませんか?」
【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】???
【性別】男
【身長・体重】172cm・60kg
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。