やるべきことを終えたダーニックは、霊体化しているランサーと共に間桐邸を後にする。
間桐の屋敷からは未だにダーニックを注意深く監視する蟲たちが無数に潜んでいた。その数は一匹や二匹どころではなく、ダーニックどころかランサーの眼力をもってしても全ての蟲を把握することはできない。
間桐狩麻は時計塔でもそれなりに名の知れた蟲使いだが、名声に恥じぬ実力を持っているだろうということは屋敷の守り一つからも見て取れる。
『人が折角映画を楽しんでいたのを中断させておいて結局は無駄骨だったな』
霊体化したままランサーが面倒臭そうに言ってきた。
冬木の地へ来て聖杯戦争が本格的に始まったというのに、このランサーの態度は変わらないままだ。〝聖杯戦争〟へなんら情熱ややる気を示さず、ただこの時代の娯楽ばかりを楽しんでいる。
今日とてダーニックが同行を命じた時など『オフだからパス』だのとのたまってごねたものだ。
ランサーの態度については、ダーニックは半ば諦めている。働く報酬に食事や映画などといった娯楽を要求するものの、報酬を支払う限りにおいてランサーは従順ではないが忠実だ。
自分の力を貸すのに対価を求めるという精神性は『等価交換』を原則とする魔術師の思想にも合致するし、サーヴァントとしての最低限の一線は守っている。そういう意味では扱いやすいサーヴァントだ。
「無駄骨? 君にはそう見えたかな」
自分の仕込みが成功したからか。ダーニックは普段より抑揚にランサーに応じた。
言いながらダーニックは蟲たちの視線が感じられなくなったことに気付く。間桐邸から離れ、蟲たちの監視網から出たのだろう。
通りに出ると一台の黒塗りの車が止まっていた。政治家や高級軍人が乗りそうな如何にもな高級車の側では、軍服ではなくスーツを着た護衛の兵士が待っている。
ダーニックは軽く「ご苦労」とだけ労うと、車の後部座席に乗った。
『お前は間桐へ同盟しにいったんだろう。で、それを断られた。これが無駄骨じゃなくてなんという?』
「簡単なことだ。同盟が結べれば良し、結べなくても良し。どっちに転んでも私には成功なのだよ」
ランサーの言う通り間桐狩麻への同盟、共闘の誘いはあっさりと断られた。だがダーニックからすれば同盟を断られるのは寧ろ予想通り、逆に同盟を受け入れられた方が驚いただろう。
ダーニックの異名でもある『八枚舌』は、その異名が付けられる理由が理由のため、同盟の誘いなどをすれば確実に裏があるのではないかと疑われる。
詐欺師にとって〝疑われる〟というのは致命的だ。詐欺師という烏が獲物にするのは、こちらを疑わない愚か者である。詐欺師は白鳥のような優美さで、或いは樹木のような無害さで獲物である人間に近付き信頼させ、その信頼を食い物にする。
しかしダーニックは一流の詐欺師だ。一流の詐欺師は〝疑惑〟という不利すら逆に利用して、自分の思うが儘に獲物を操ってしまう。
「間桐狩麻はこちらと同盟はしなかったが、あの場で我々に戦いを挑みもしなかった。彼女は遠坂冥馬を倒すために、自分の力を温存していたいのだろう」
聖杯戦争に単身で挑まず、ナチスの組織力の力を借りて参戦したのは正解だった。ダーニック一人では出来ないことも出来るようになるし、手の届かないものにも届くようになる。
情報を制する者が世界を制する。情報の齎す優位は聖杯戦争においても不変だ。聖杯戦争を優位に運ぶためナチスは参戦するであろうマスターの詳細な情報について集めていたのだ。
ナチスが集めたデータの中には参加するマスターの得意とする魔術などといったパラメーター以外にも、戦いに参戦するであろう動機や性格などについてもある。
これらの情報によりダーニックとロディウスは間桐狩麻について一つの結論を下した。
――――間桐狩麻は遠坂冥馬に強い執着をもっている。
遠坂冥馬に執着している狩麻にとって、遠坂冥馬は必ず自分の手で殺したい相手のはずだ。
ナチスにとっても遠坂冥馬は明確にこちらの敵意をもつマスターであり、難敵の一角。出来ることならば早めに対処したい。だが冥馬のサーヴァントはアーサー王であり、単独で挑むにはやや不安が残る。
『そういえば、同盟は断られた癖にこちらの情報は無償で渡す……なんてこともしていたな。これも悪巧みの一貫か?』
「悪巧み? 謀略と言い換えてくれ」
『同じようなものだろう』
「ふっ。どちらにせよ間桐狩麻は放っておいてもいずれ遠坂冥馬に戦いを挑む。だが彼女がいつ戦いを挑むかは不明瞭だった。明日にでも遠坂邸へ攻撃を仕掛けるかもしれないし、最後になるまで狙わない可能性もあった。
しかし直に接触して、こちらの情報を与えていれば間桐狩麻が遠坂冥馬と戦うタイミングをある程度は操作できる」
ダーニックの見る限り間桐狩麻という女魔術師は蟲使いとしての力量は高いが、余り腹芸には向いていない。チェスは得意でも、イカサマは苦手な精神をしている。
その精神は人間として美徳であって欠点ではない。だが戦時という非常時では平時の美徳が欠点となることもある。
時計塔の魑魅魍魎たちを翻弄した稀代の詐欺師たるダーニックからすれば間桐狩麻は比較的扱いやすい人間だった。
(間桐狩麻は遠坂冥馬と戦う時のために力を温存しておきたい。遠坂冥馬は我々ナチスを敵視している。これに間桐狩麻が遠坂冥馬を自分の手で倒したいと思っているという仮説を加えれば……)
狩麻がとるであろう行動はおのずと知れるというものだ。
「ところでランサー。狩麻の側にいた赤い男、アーチャーの真名に心当たりはあるかね?」
『ないな。奴の着ていたもの、あれは召喚された奴が元々纏っていたものじゃなくこの時代で新調したものだ。服の素材からこの時代の臭いがしたから間違いない』
「やはり戦ってもいないのに簡単に真名は知れないか」
『当たり前だ。お前はサーヴァントを全知全能の存在だとでも思っているのか? 私が神域に至っているのは一つのみ。これを活かすなら、せめてアーチャーの奴の武器の一つでも晒させなければ話にならん。そもそも服だとかは私のジャンルじゃない。服は服屋に聞け』
「……………………」
ダーニックは狩麻の隣りで自分達を油断なく見据えていたアーチャーについて思い出す。
一流の詐欺師として海千山千の狸たちと渡り歩いてきた経験則が告げていた。アーチャーは難敵だ。とぼけているようでいて、アーチャーの双眸はダーニックの指の動き一つ見逃してはいなかった。
ふざけた態度は所詮はフェイク、ペルソナに過ぎない。きっと奥底に英雄としての牙を隠し持っているはずだ。
戦闘している姿を見た事がないため、具体的な強さを推し量ることは不可能だが、名のある英雄であるに違いない。彼の騎士王ともアーチャーであれば十分に戦えるはずだ。少なくとも一方的に敗北を喫するという結果にはならないだろう。
狩麻を対遠坂に利用する算段のダーニックにとってアーチャーが強い英霊であることはメリットであるが、その頭脳の方も明晰であるのはデメリットでしかない。間桐に対して謀略を仕掛ける際は狩麻よりもアーチャーを警戒した方がいいだろう。
(静かだな。とてもつい少し前に帝国陸軍による空爆があった街とは思えない)
帝国陸軍がアインツベルンに大々的な攻勢を仕掛けたことはナチスも知るところである。そして御三家に名を連ねるアインツベルンが此度の戦いの最初の脱落者となったことも。
運良くアインツベルンのマスター、アルラスフィールは冬木教会まで逃げ切り命は助かったそうだ。幾ら御三家とはいえ令呪を失ったマスターにもう聖杯戦争に参加する資格はない。故にアルラスフィールはもはやダーニックにとってどうでもいい存在となった。
だがアインツベルンが真っ先に脱落したという事実、これは中々に興味をそそられる。
(帝国陸軍はアインツベルン城で城内の探索などをしている。それが終わるまで暫くは動かないだろう。私とナチスもまだ動くつもりはない)
ナチスと帝国陸軍、軍隊を擁する二つの勢力が共に行動を止める。となれば今夜にでも血気盛んなマスターが動き始めるかもしれない。
車窓から流れていく街並みを眺めつつダーニックはそう思った。
偵察、それが己のマスターからアサシンが与えられた任務だった。
気配遮断スキルをもつアサシンは戦闘行動に出なければサーヴァントにすらその存在を感知させない隠密性がある。
闇に隠れ、敵の動きを探る。勇猛果敢にして世界に誇る名をもつ英雄であれば退屈極まりない仕事だが、生前から暗殺という汚れ仕事に従事し続けたアサシンにとっては与えられた仕事が退屈だろうと問題はない。
そも直接の戦闘力において著しく欠けているアサシンが他のサーヴァントたちより優位にたてるのが隠密行動であり、それを活かした偵察行動なのだ。偵察の指示はアサシンにとっての望む所である。
結果として暗闇に溶けて冬木の街を跳び回ったアサシンはアインツベルンの敗退、セイバーの真名と能力、キャスターの泳ぎの上手さ、間桐狩麻とダーニックの不穏な動きなど、聖杯戦争で起きたあらゆる出来事について掴んでいた。
現状アサシン以上の情報をもつ主従はいないだろう。
自分の為すべき役目を一先ず終えたアサシンは己が主君のもとへと帰還する。
既に夜は明け、朝も終わり昼となっていたが霊体化している上に気配を断っているアサシンを目視することは魔術師にもサーヴァントにも出来ない。否、アサシンは例え霊体化せずとも太陽の照りつける青空で誰にも気づかれずに行動する自信があった。
「――――――」
しゅたり、とアサシンが降り立ったのは深山町の外れにある錆びれた廃屋だ。腐りかけた木製の壁、雨漏りのする屋根。人の気配などありはしない、誰からも忘れ去られた墓場のような場所だった。
念のためにアサシンは周囲を警戒し誰の目もないことを確かめてから、廃屋の中に入る。
「御主君。――――ただいま戻った」
、
「お疲れ様です、アサシン」
廃屋の奥に屋内の錆びた空気にまるで似つかわしくない見た目は年端もいかぬ少女の〝女性〟がいた。
貴族などがダンスなどをする際に纏う舞踏服とヨーロッパの家政婦の服装を混ぜ合わせたような白黒のドレスを着た彼女は、くたばりかけの牡鹿のような廃屋で品の良い笑みを浮かべアサシンを労った。
これが普通の人間同士ならばアサシンが調べた情報を主人に説明するところだが、契約のラインで結ばれているエルマはとっくにアサシンの見聞きした情報を知っている。
マスターへ挨拶を済ませたアサシンは直ぐに霊体化した。他の英霊と比べ霊格の低いアサシンを実体化する魔力などたかが知れているが、その〝たかが〟が実戦では命取りになることもある。毒針が一本、たった一本足りなかったために苦戦を余儀なくされた経験もアサシンにはあった。
「素っ気ないんですねアサシン。ずっとこの何にもなければ埃だらけの廃墟で一人だったんです。話し相手くらいなって下さい」
だがマスターにはアサシンの態度が不満だったらしい。エルマは僅かに頬を膨らませ、霊体化しているアサシンを見つめた。
「私などを話し相手にしたところで面白いものなどないと愚考するが?」
あのセイバーのように生前に多くの女性をその美貌で蕩けさせた騎士であれば、女性であるマスターに気の利いたセリフの一つも言えるだろう。
しかし生憎とアサシンは美貌どころか無貌だ。ハサンの名を襲名するにあたり顔など削ぎ落とし、誰でもない誰かになってしまっている。
なんら恥じるものはないとはいえ、白い髑髏の仮面に黒装束という出で立ちは理から外れた魔術師の目にも異常そのもの。そんな自分が気の利いたセリフなどを言えば、それだけでホラーだ。
そもそも生前から暗殺者として自らを徹してきたアサシンには、自分のプライベートで他人、特に女性と話したことなど数えるほどしかない。
「構いませんよ。一人で何も出来ずにいることに比べれば、誰か話し相手がいるだけで十分に退屈しのぎになりますから」
「……では一つ尋ねたいことがあるのだが、許されるか?」
「許します」
「御主君は何故このような場所を自らの体を休める場所とした。ここでなくとも他に良い場所は幾らでもあると思うが?」
霊体化したままアサシンはじっとマスターを見つめた。
今でこそエルマが自分の手でせっせと掃除したお蔭で、人が住む場所として本当にぎりぎりの及第点レベルにはなっている。だが最初に来た時は天井に張った蜘蛛の巣やら空気よりも充満していた埃やらで最悪なものだった。
偵察で他のマスターたちの拠点を見てきたアサシンだが、ここより酷い所はなかった。
「ここが誰から忘れ去られていたからですよ」
わざわざ故国より持ってきたティーカップに注がれたミルクティーを口に運びながら、エルマは続ける。
「私は魔術回路の本数も他の参加者より少ないし、魔力量だって多くない。だけど自律人形にはそこそこ自信があります。魔術師として私より遥かに出来の良い弟にも、自律人形の製造なら負ける気はしません。
恥ずかしながら、私は家では厄介者でしたから……。時計塔の工房で一生涯引きこもっているような魔術師と比べたら荒事にも慣れています。私の可愛い人形たちは下手な吸血鬼なら滅ぼせるだけの強さがある」
エルマの自負は紛れもない真実だ。
アサシンは純粋な暗殺者故に自律人形がどれほど高度な魔術理論で編まれているかは分からない。しかし暗殺者としての視点から見てもエルマが操る自律人形たちの性能は中々のものである。
運動性は並みの兵士のそれを超えているし、仕込まれた無数の殺戮機構の極悪さはアサシンも舌を巻くほどのものだ。しかも殺戮機構の幾つかにはアサシンが調合した毒を塗っているので、極悪さは更に増している。
此度の戦いに参戦したマスターたちは誰も彼も一癖も二癖もある怪物揃いだが、エルマ・ローファスの殺戮人形たちは――――相馬戎次という例外を除けば――――強さにおいて劣ることはないだろう。
「だけど私の人形たちもナチスや陸軍の兵隊たちに襲い掛かられれば一溜まりもありません。アサシンも、その……」
「気遣う必要はない御主君。私が他のサーヴァントたちに戦闘力で劣っているのは私も承知していることだ。暗殺という分野であるならまだしも、正面戦闘という事態に陥れば私は最弱のサーヴァントだろう」
「……ですので、私は最低でもナチスや陸軍が敗退していなくなるかしない限り、絶対的に真っ向勝負は避けなければなりません。そのためには他のマスターたちに居場所を悟られないのが必須」
「だから、ここを?」
「ナチスや陸軍はとにかく他にはない組織力がありますから。普通に人気のない所に陣取っても発見されてしまうかもしれません。他に自律人形を置くだけのスペースも欲しかった。
一つの条件に合致する場所は他にもいくつかありましたが、全ての条件が合う所はここしかありませんでした。
冬木の市民からも、地図からも、そして御三家たちからも忘れ去られた廃屋。隠れ家としての性能ならここ以上のところはありません」
この廃屋は帝都で遠坂冥馬とキャスターを襲撃するよりも前に、この冬木を下見していたエルマとハサンが偶然に見つけた場所だ。
サーヴァントであり諜報に長けたアサシンが〝偶然〟がなければ発見できなかった場所という事実が、ここが隠密性に優れているというなによりもの証明である。
「もう。私から話を振ったのに気付けば私ばっかり話してるじゃないですか。折角なんですから聖杯戦争じゃなくて、アサシンについて話して下さい」
なんの面白味もない今後の戦略についての話はエルマはお気に召さなかったらしい。拗ねたようにエルマは言った。
「私のこと? はて、なんのことだろうか」
「アサシンがサーヴァントになる前、生前のことですよ。他には好きな食べ物とか趣味とか、なんでもいいです」
「御主君。何度も言うが私は――――」
「つまらなくても良いんです。こうして他の誰かと気兼ねなく話すだけで私には新鮮で楽しいんですから」
マスターにそうまで求められては、アサシンも断ることはできない。
生前もサーヴァントとなった今も女性が好みそうな面白おかしい経験などには縁がないが、なんでもいいというのならば話題はある。
そしてアサシンは自分の愛用している針について熱弁を振るった。
お世辞にも女性には受けない話の内容だったが、アサシンの熱弁を聞いていたエルマは終始ご機嫌だった。
【元ネタ】暗殺教団
【CLASS】アサシン
【マスター】エルマ・ローファス
【真名】ハサン・サッバーハ
【性別】男
【身長・体重】30cm・9㎏
【属性】秩序・悪
【ステータス】筋力D 耐久E 敏捷A+ 魔力C 幸運E 宝具C
【クラス別スキル】
気配遮断:A+
サーヴァントとしての気配を断つ。隠密行動に適している。
完全に気配を断てば発見する事は不可能に近い。
ただし、自らが攻撃態勢に移ると気配遮断のランクは大きく落ちる。
【固有スキル】
投擲(毒針) :A
毒針を弾丸として放つ能力。
調合:C+
材料さえあれば大抵の薬物や毒物を作り上げることが可能。
現代に伝わっていない未知の薬物を作り上げることもできる。
自己改造:C
自身の肉体に、まったく別の肉体を付属・融合させる適性。
このランクが上がればあがる程、正純の英雄から遠ざかっていく。