ひょんなことで……いや普段と変わらずに起きたエーデルフェルトの双子たちの喧嘩は壮絶なものだった。
今代のエーデルフェルトの当主たる姉妹はどちらも稀代の才能をもっており、両人が両人とも内心では「自分の方が強い」という自負をもっているが、客観的に見た場合、二人の実力はまったくの互角といっていいだろう。
高い実力をもち尚且つ互角である二人の喧嘩という名の殺し合いはいつも大変な騒ぎに発展する。喧嘩がヒートアップした挙句に屋敷一つが炎で炎上したり、雷で消し炭になったりということも一度や二度ではない。
しかし今回の喧嘩はいつもの比ではなかったといえるだろう。
なにせ彼女達はどちらも最優とされるセイバーのマスターであり、彼女達は両方とも喧嘩に自分のサーヴァントを投入することを惜しみはしなかった。
結果的に最優のセイバー同士の対決という最も不毛な戦いで、此度の聖杯戦争でも屈指の好カードが切られたわけである。
姉妹の実力が互角であれば同名同クラス同人物たるセイバーたちの実力も互角そのもの。狂戦士としてのセイバーは狂化により底上げされた圧倒的な膂力で、聖騎士としてのセイバーは凄まじい技量と高い身体能力を組み合わせ名勝負を繰り広げた。
だが完全に実力が同じ両者の戦いは終わる気配を見せず、最終的には夜明けが近付いてきたことに気付いたルネスティーネの「勝負は預ける」の一言で引き分けとなった。
「リリアときたら本当に腹立たしいですわ! なにが『貴女と行動するなんて暑苦しいから、私は勝手にやらせてもらう』ですって! 私が言おうとした事を先に言うだなんて、妹の癖に生意気な」
深山町にある屋敷で体を休めながら、ルネスティーネは妹への怒りをぶちまけた。
ルネスティーネが自らの拠点としている屋敷は、エーデルフェルトが聖杯戦争に参加するにあたり冬木に建設したものである。エーデルフェルトと相性の良い地脈の上に建設され、ルネスティーネが高度な魔術工房を建造したこともあって、仮住まいでしかない屋敷は遠坂の邸宅にも劣らない〝守り〟が施されてあった。
ナチスや帝国陸軍を警戒して屋敷の真上には認識や重力場を歪める仕掛けが施されており、もし仮に爆撃が降り注ごうとこの屋敷は無傷だろう。
聖杯戦争に参加する為だけにこれほどの屋敷を建造してしまうところにエーデルフェルトの財力は伊達ではない。もしも宝石代で頭を悩ませている冥馬が知れば「なんて勿体ない」と羨ましがることは間違いない。
「―――――――――」
狂戦士として召喚されたため、理性が蒸発して失っているセイバーはルネスティーネの愚痴にも無言だ。
「はぁ」
そんなセイバーをチラっと見てルネスティーネはつまらなそうに溜息をつく。
ルネスティーネのセイバーが妹のリリアの聖騎士としてのセイバーであれば、ルネスティーネの愚痴に対して何か受け答えをしただろう。それに普段ならば執事やメイドが愚痴を聞いてくれた。
だがここにはルネスティーネの愚痴を聞いてくれる人間は誰もいない。この屋敷で言語を喋れるのはルネスティーネだけだ。
(これなら身の回りの世話をさせるメイドの一人でも連れて来れば…………っといけませんわ。私のような魔術師なら兎も角、英霊同士の戦いに人間が巻き込まれては命が幾つあっても足りませんもの)
ルネスティーネはフィンランドに名高い貴族として高慢ではある。高慢が時に傲慢へと増長してしまうことも多々ある。
だが高慢なだけでは本物の貴族ではない。権力を笠に偉ぶっているだけなのはその実、貴族としての義務を放棄して権益のみを貪る寄生虫でしかない。
そういった寄生虫とルネスティーネは違う。ルネスティーネは権力者として下々の人間に上から接しているが、下々があるからこそ自分があるということを忘れてはいないし、彼等に対して敬意をもっている。なにより自分の領民たちに対しては愛情すらある。
身辺を世話するメイドや執事となれば、ルネスティーネにとっては友人以上に身近な存在だ。そんな彼等やまたは彼女達を危険な冬木に連れてくるというのは論外だった。
『――――認めたくはないけど、アンタとこれ以上戦えば私の方の消耗も馬鹿にならないわ。だからルネス、アンタは最後に潰す。
どうせアンタも最初からそのつもりだったんでしょう? 他の参加者を潰して回って、最後の一人になったアンタを倒して私が聖杯戦争を制すわ』
「っ! 本当にムカつく妹ですわ……」
妹が言い捨てていった言葉を思い返して、収まりかけた怒りがぶり返してくる。
リリアの言葉がルネスティーネ自身の心情の代弁でもあったのが更に腹立たしい。
令呪にせよサーヴァントにせよ元は一つだったとはいえ、別々になってしまった以上は別々のマスターでありサーヴァントだ。そして聖杯戦争に勝ち抜き聖杯を手に入れられるのは一組だけ。エーデルフェルトが勝利するには最終的には姉妹で潰しあうことになっていたのだ。
これを不幸とも災難ともルネスティーネは思わない。というより渡りに船だ。
姉と妹がどちらが上でどちらが格下なのかを知らしめるのに、聖杯戦争は相応しい大舞台である。もしも聖杯戦争が姉妹で二人一組で勝者となれるとしても、ルネスティーネはただ一組の勝利者となるために妹を叩きつぶそうとしただろう。
「ですが貴女の安い誘いに敢えてのって差し上げます。手袋を投げつけられて受け取らないという選択肢はエーデルフェルトにはないのですから。手袋を投げる前にどこぞの馬の骨にやられたらそれはそれで見物ですが」
ルネスティーネが拠点としている屋敷の名は双子館〟。双子の名が示す通りエーデルフェルトが建造したのはこの屋敷だけではない。
遠坂家や間桐家にほど近い深山町にルネスティーネの屋敷があるように、冬木大橋を渡った対岸。冬木教会の近くには全く同じ造りの妹の屋敷がある。そこにリリアと聖騎士としてのセイバーはいるのだ。
「メインディッシュは最後にとっておきましょう」
なんだかんだ言いつつルネスティーネはリリアリンダの実力は認めている。
好きの反対は嫌いではなく無関心。もしも仮にリリアが三流程度の才能しか持ち合わせていなければ、リリアがどれほど生意気な口を聞こうとルネスティーネは関心を示さなかっただろう。
ルネスティーネが妹を憎らしく思い敵愾心を露わにしているのは、誰よりもリリアリンダを認めているという裏返しなのだ。勿論自分が格上であるということを譲る気は欠片もありはしないが。
「腹立たしいといえば――――」
ルネスティーネが思い起こすのはそもそもの姉妹喧嘩が始まることとなった原因。遠坂冥馬だ。
(リリア並みに誰かに苛立ったのは、生まれて初めてですわ)
遠坂冥馬、正しくはそのサーヴァントであるキャスターが投げつけた臭い玉はルネスティーネの体臭とプライドに激しいダメージを与えていた。
お気に入りのドレスは破棄せざるを終えなくなり、身体から例の臭いを消すために魔術とシャワーを総動員して二時間も費やした。
あの屈辱は遠坂冥馬をリリアと同じく『自分で倒す敵』と定めるには十分すぎた。
「決まりましたわ」
即断即決。ルネスティーネは立ち上がり、まだ温存しておくはずだった対リリア用の宝石を幾つか手にとる。
「終曲はリリア、最初に仕留める前奏曲は遠坂冥馬……覚悟しなさい。エーデルフェルトの顔に泥を塗ったことがどれほど愚かしいことだったのか。田舎者に教えてさしあげます」
冥馬を田舎者と嘲りつつも、ルネスティーネは遠坂冥馬を過小評価してはいない。品性はさておき遠坂冥馬は、下手すればリリアと同じく自分の敵となりえるだけの実力をもっている。
そして遠坂のサーヴァントは魔術師のクラスに押しこめられたとはいえ彼の騎士王。エーデルフェルトのサーヴァントたる十二勇士最強の騎士ローランと互角、或いはそれ以上の英雄だ。
決して一筋縄ではいかない相手。だからこそエーデルフェルトの相手としては相応強い。
「■■■■……」
マスターの闘志を感じたのか、一瞬だけセイバーが実体化する。そして追従の姿勢を見せた。
理性などない狂戦士オルランドには臭い玉というチープな手で逃げられたことによる屈辱などはない。そもそも矜持やプライドは理性ごと蒸発してしまっているのだ。
だが仕留め損なった獲物を次は仕留めるという獣の本能は健在だ。
セイバーが再び霊体化する。ルネスティーネが屋敷から出る。
最強のサーヴァントを釣れた金色のハンターが今宵、同じ大師父を頂く赤き魔術師を屠るべく出陣した。
「――――――――」
冥馬の視線の先では、なにやらキャスターが冥馬が貸した本と睨めっこしている。
サーヴァントとして召喚された英霊は生前の記憶と人格を持ち合わせた確固たる自意識をもつ存在だ。だから別に現代の書籍などにサーヴァントが興味を示すのはおかしいことでもないし、冥馬はそれを咎めるほど狭量でもなかった。
だからこうして家にいる間はある程度キャスターの自由にさせているのだが……。
(料理本をあそこまで熱を入れて読み耽るサーヴァントがいるなんて思わなかった)
これでキャスターが読んでいるのが遠坂秘蔵の魔術書や、そうでなくとも著名な作家が書き記した名作であれば違和感などは感じなかっただろう。
しかしキャスターが読んでいるのは料理本である。時計塔へ留学して一人暮らしをしていた冥馬がイギリスの不味い飯に耐えられず、食生活改善のため料理スキルを磨こうと購入した世界各国の料理本だ。魔力もなければ呪いも曰くもない何の変哲もない料理本でしかない。
彼のアーサー王が熱心に料理本を読んでいるなど、ロンドンのアーサー王研究会の連中が知れば目玉がぶっ飛ぶ衝撃を受けるだろう。こうして間近で見ている冥馬も少し信じ難い。
(余程昨日のサンドイッチが衝撃的だったのか?)
サンドイッチ事件後のキャスターは……面白かった。暫く黙っていたと思えば突然にぶつぶつと呟きだし、唐突に「あっ!」となにかが閃いたように手を叩く。
そして現在の料理本に熱中するキャスターだ。ついさっきまではイタリア料理に関する書籍を読んでいたのだが、いつのまにか菓子類に関するものに変わっていた。
こうして観察していて気付いたのだがキャスターはどうにも読むのが早い。速読家というのだろうか。キャスターの目はページに記されている文字を追ってせわしなく上下左右に動いており、かなりの速度で文章を頭に叩き込んでいるのが良く分かる。
しかもあれで流し読みではなく本人なりに熟読しているというのだから驚きだ。何気なしに読み終わった本の内容はどうだったかたと尋ねてみたら、本人の所感や不満点が流れる毒舌と共に出てきた時は仰天したものである。
(まぁキャスターがどんな本に興味をもとうとキャスターの自由だ。他人の趣味をとやかく言うこともない)
冥馬はキャスターへ向けていた視線を戻すと、宝石磨きを再開する。
帝都へ持っていった宝石と家に置いておいた宝石、それに父・静重が聖杯戦争のために用意していた宝石。これらが遠坂冥馬が戦う上で切り札とする最大の武器たちだ。
父・静重が帝都へ持っていった宝石はキャスター召喚のために使い既に無く、冥馬も冬木へ帰還する過程で幾つか消費してしまった。
しかし父子共々何年も何十年もかけて此度の戦いの為に用意した宝石にはまだ余裕がある。
(といっても無駄遣いは禁物だが)
宝石魔術は相当の魔力が込められた宝石を用いれば、ランクA相当の魔術も僅かな工程で発動させられる優れものだ。
それこそ現代の魔術をまるで寄せ付けない破格の対魔力をもつセイバーを除けば、冥馬の宝石魔術はサーヴァントにダメージを負わせることも不可能ではない。否、当てさえすればサーヴァントをも〝殺せる〟だけの魔力が込められた宝石すらある。
だが宝石魔術の最大の欠点として『宝石は一度限りの使い捨て』というものがあげられる。
冥馬の宝石たちも失えばもう帰ってはこない。少なくとも聖杯戦争での戦いに耐えられるほどの宝石は今ある分だけで、新たに補充するには何も魔力が込もってない宝石を購入して一から魔力を込める必要がある。事実上聖杯戦争中での補給は不可能だ。
預金の多さに胡坐をかいて浪費を良しとすれば、在庫なんてあっという間に空となる。
キャスターも無駄遣いは嫌いだと言ったが、これに関しては冥馬も同意見だ。
使うべき所を誤らず、使わなくても良い所で使わない。これが冥馬が今後やっていくべきことだ。
「――――ん」
遠坂家の敷地内に敷かれた結界に反応があったのを察知する。
高い魔力の発露と高密度の存在感、なにより魔術そのものが弾かれている感覚。
「読書の時間も終わりか。この気配はセイバーだな。おい、王命すら忘れて女の尻を追いかけた挙句に発狂した馬鹿の野蛮人がきたぞ。どうする、奴の前に女でも吊り下げてやるか? もしかしたらどっか行くかもしれんぞ」
「生憎とこの家にいるのは私と君だけ。見女麗しい女性といえば、数年前に世を去った私の母の半世紀前の姿があるくらいだ」
磨いていた宝石を忍ばせ、防御用の礼装たる赤いスーツを着込む。そして両手には攻撃用の礼装たる指輪を嵌めこんだ。
「ついでにここが遠坂の家である以上、逃げるという選択肢もナンセンス。だとすれば迎撃あるのみ」
来訪者はルネスティーネと彼女のサーヴァントたる狂戦士としてのセイバー。不幸中の幸いかリリアリンダともう一騎のセイバーの姿はない。
エーデルフェルトの双子姉妹は二人とも屈指の才女であるが同時に恐ろしく仲が悪いという噂を思いだす。使い魔調べによれば同じ家からの参加者でありながら別々の場所に屋敷を構えているというし、その噂は真実なのだろう。
「これは……もしかすればチャンスかもしれないぞ」
「ほう。俗世間から惨めに隠れて無意味なものを追い求める魔術師らしからぬ判断だ。セイバーは同じ英霊を別側面から召喚したサーヴァント。
一見すると二人の英霊を使役する大反則だが、反則には相応のペナルティがある。一つの英霊を一つのクラスで二人召喚している以上、その英霊の霊格も半分になっている」
エーデルフェルトの反則が英断なのか過ちなのかは判断の難しいところだ。
10の力を半分ずつ召喚すれば5の強さをもつサーヴァントが二人となる。しかし戦いにおける足し算の答えは一定ではない。エーデルフェルトの反則は二つの力を巧みに連携させることにより5+5を20にも30にも出来る可能性を秘めている。
しかし10の力を別個のものとして運用してしまえば、それは。
「各個撃破の機会だ」
100対100での殺し合いであれば勝負の行方は分からない。だが100人の人間が一人ずつ100人の集団に挑んでいけば、勝利するのは100人の集団だ。
はっきりいってエーデルフェルトは致命的な戦略ミスを犯したといってよいだろう。
ミスを犯した相手にそのミスを忠告して反省を促すほど冥馬は甘くもないしお人好しでもない。敵がミスをしたならば容赦なくそこを突くだけだ。
「いくぞキャスター」
冥馬もまた戦闘準備を整えて屋敷から出る。
ここは遠坂邸。侵入者への仕掛けも万全。――――戦う上でこれ以上ないほど有利なコンディションだ。
【CLASS】ランサー
【マスター】ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア
【真名】???
【性別】男
【身長・体重】181cm・75kg
【属性】混沌・中庸
【ステータス】筋力B 耐久D 敏捷A 魔力A 幸運E 宝具??
【クラス別スキル】
対魔力:C
第二節以下の詠唱による魔術を無効化する。
大魔術、儀礼呪法など大掛かりな魔術は防げない。