「昨日ぶりですわね。遠坂冥馬」
「――――ようこそ、という挨拶も無粋か」
遠坂の屋敷の庭で冥馬はルネスティーネと対峙する。冥馬の隣りにキャスターが控えているように、ルネスティーネの側には最強のサーヴァント、セイバーが闘争の時を今か今かと待ちわびていた。
この屋敷には冥馬や亡き父が仕掛けた罠やキャスターが新たに追加した魔術防御が幾つも張り巡らせられている。しかし敷地のライン上に張り巡らせた罠の悉くは、セイバーの棍棒のただの一振りで破壊されてしまっている。
並みの魔術師では侵入することすら出来ずに膝を屈する防壁を一瞬で台無しにするあたり、サーヴァントの出鱈目さには驚かされるばかりだ。人の身で魂を精霊の粋まで昇華した存在は伊達ではないということだろう。若干一名ほどサーヴァントとも思えない雑魚がいたが、それはそれだ。
「私の要件は言わずとも分かっているでしょう? 昨日の落とし前をつけにきましたわ」
「ああ。先日のう○こ爆弾か」
「げ、下品な言い方をなさらないで下さい!」
キャスターのクラスには魔術師として魔力の込められた道具を作る技能、道具作成スキルが与えられる。
冥馬のキャスターもその例に漏れず道具作成スキルを保有しているのだが……どうも本人が物作りに向かないらしく、そのランクはDと余り高いものではない。
しかしたかがDランクされどDランク。昨日ルネスティーネや妹のリリアリンダに使った『臭い玉(う○こ爆弾)』のようなもの程度は簡単に作り出せる。
「万能の願望器なんてものが優勝のタイトルついでに与えられるんですもの。目先の利に囚われ魔術師の本分を忘れ外道に堕ちる者がいるかもしれないとは、この私も思っていましたわ。ですがあのような屈辱……あのような……」
ルネスティーネは俯いたままプルプルと肩を振動させている。
優美なるハイエナも戦場で糞爆弾を投げつけられ混乱している間に敵に逃げられるなんてことは一度もなかったようだ。無理もない。冥馬もそんな経験は一度もなかったし、昨日までそんなことが訪れるとも思いもしなかった。
ちらりと隣を見ると、全ての元凶たるキャスターは全く気にせず堂々としていた。
「この私の生涯において、赤の他人にあそこまで虚仮にされたのは生まれて初めてですわ。本来であれば殺しても足らない非礼ですが、傍流とはいえ一応は貴方も偉大なる大師父を仰ぐ一族。
私も慈悲深いので大人しく全面降伏して、遠坂の誇りも権利も家名も全てをエーデルフェルトに捧げるのであれば許すことを考えてやらないでもありませんわ」
「大した言い分だな、ツインドリル頭」
「きゃ、キャスター?」
そんな条件が飲めるわけがない、と反論しようとした冥馬に先んじて嫌らしく笑いながらキャスターが言った。
「なっ! わ、私の優雅にセットされた髪をよりによってツインドリルですって!?」
「優雅にセットだと? 驚いた。そのハルマキみたいな髪形をわざわざ時間をかけてセットするなど随分と狂った服飾センスを持っているな」
「言いましたわねサーヴァント……! 先日の事に続いて今回のこの侮辱、この私への挑戦と受け取りましたわ」
「先日のことなら怒るのは間違いじゃないか。お前にぴったりの臭いを香水かわりにぶちまけてやっただけだろう。
そら、とぐろを巻いて若干茶色がかっているところがそっくりだぞ。道端にあると邪魔くさい上に不愉快なところもそのままだ。お前の前世なんじゃないか?
だが困ったな。例のアレの末裔だとすれば、踏み潰すのは簡単だが潰したら嫌な感じがしてしまう。勝っても負けても後味の悪い結果しか敵に与えないとは、ある意味で最悪の相手だな。お前は」
怒髪天を突くとはこのことだった。ルネスティーネは地獄の鬼すら裸足で逃げ出す羅刹の表情を浮かび上がらせる。殺意を超えた鬼気を全身から滲ませた。
ルネスティーネに対してこれでもかという侮辱をしたキャスターは逆にまったく涼しい顔をしている。羅刹を前にしてあの余裕、その勇敢さをこちらにも分けて欲しいくらいだ。
冥馬もこれまで強敵といえる存在とは何度となく相対したが、あんなに恐いと思った相手は生まれて初めてだ。
「――――ふ、ふふふふふ」
羅刹の面貌が一転、ルネスティーネは口元を抑え笑い始める。
だが口は笑っていても双眸はまるで笑っていない。首をかみ砕き殺し、その後で死んだ獲物の腸を喰らう狩人のようにその目はキャスターと冥馬を見つめている。
口端が吊り上り、鋭利な歯を覗かせた。
「はははははははは」
何を思ったかキャスターまでが笑い始める。
「ふふふふふ」
「あはははははははははははははははははは」
「ふふふふ。おーほほほほほほほほほほっ! やりなさい、セイバー」
笑いの後に間髪入れずに告げられた冷徹な指令。セイバーの棍棒がキャスターの立っていた地面を抉った。
すたん、と後方へ飛んだキャスターが着地する。いきなりの攻撃だったが、キャスターも冥馬もルネスティーネやセイバーの動きには気を払っていた。先制攻撃程度で潰されるほどヤワではない。
最初は激怒していたルネスティーネは次に笑っていた。そして今は完全に冷え切ったドライアイスのような無表情。
「セイバー、貴方はそこの小賢しいキャスターを八つ裂きにしておやりなさい。私はそこの遠坂冥馬をやりますわ」
「■■■■■■!」
後方へ飛んだキャスターにセイバーが猛攻撃を掛けていく。キャスターはセイバーを近づけるまいと魔術を放つが、そのどれもがセイバーの対魔力に無効化される。
キャスターは舌打ちすると、セイバーから離れるようにより後方へと飛んでいく。
「キャスター!」
「貴方の相手はこの私ですわ」
キャスターの助けに入ろうとした冥馬だったが、それはルネスティーネのガンドの雨に阻まれる。
ガンドの威力は昨日冬木大橋で戦った時とまるで見劣りしない。物理攻撃すら備えたフィンの一撃ともいえるほどのものだ。
(この屋敷には敵対者に重圧がかかる仕掛けがある。下手な魔術師なら魔術を発動することすら困難になるというのに。よくもまぁ)
ルネスティーネ・エーデルフェルト、キャスターはああも酷く挑発していたがその才能と実力はやはり本物だ。
狂化して魔力消費が激しくなっているであろうセイバーと契約していて、敵の領土内で、こうも平然と魔術を行使するなど並みの天才に出来ることではない。
なによりハイエナなどという物騒な異名で怖れられるだけある。対魔術師戦にも慣れているようで、敵の領土にいても過度の緊張はなかった。
だが己が領地内で負けるなどすれば、令呪を託して逝った父に――――いや、歴代の遠坂の当主たちに申し訳がたたない。聖杯戦争のマスターとしてではなく、今代の遠坂の当主としても負けることは出来なかった。
「Verbrennung!」
攻撃の為ではなくルネスティーネの視界を塞ぐため紅蓮の炎が迸る。
「このような温い火で私を相手どれると思って?」
人間の肌という肌を焼き尽くす炎を前にしてルネスティーネに動揺はない。嘲笑と共に三つの宝石を取り出すと、冥馬の炎が霞んで見えるほどの業火が放たれた。
三つの宝石には全てAランクに迫るだけの魔力が込められていた。それが三つともなれば家一つを軽く吹き飛ばせるだけの破壊力である。宝石温存のためにもまともに受けるのは得策ではない。
「――――Neunundzwanzig.Starke seiner Beine Gros zwei(二十九番、脚力強化)」
帝都のホテルでナチスから逃れるためにそうしたように、冥馬は宝石を用いて自分の脚力を強化する。
地面を爆発させるような踏込。冥馬はこの一瞬のみ英霊に迫るだけの速度を得て、ルネスティーネの巻き起こす業火を回避した。
「はっ――――!」
回避に費やした勢いのままに屋敷の庭に飾られた彫像に飛び、それを足場に強引な方向転換を行う。彫像は冥馬の勢いを完全に受け止められずに粉々に砕けたが無視だ。
すっと宝石を二つ右手に持ち冥馬はルネスティーネ目掛けて飛んだ。
「ええぃ、ちょこまかと……! 大人しく喰らって死になさい!」
ルネスティーネからすれば宝石三つを使っての魔術を放てば、どのような気位の高い相手も等しく恐れおののき許しを請うか逃げ出すかが常であった。だというのに恐れおののく気配の一つすらなく向かってくる冥馬に苛立ちを隠せない。
苛立ちは失策を生み出す。ルネスティーネは突進する冥馬にガンドを放つが、鉄板を撃ち抜く威力の魔弾は冥馬のスーツに弾かれてしまい遠坂冥馬の肉体には一発として届かない。
「なっ!」
「これを、喰らえ!」
二つの宝石を高密度の魔力の〝風〟へ変換。冥馬が宝石と共に右腕を薙ぐと、宝石に込められた魔力を全て雲散させることを代償に烈風が放たれた。
この烈風にルネスティーネのように広範囲を焼野原にするほどの火力はない。しかし限界にまで薄く凝縮された高密度の風刃はあらゆる鉄を切る切断力をもっている。
一人の人間を殺すのに何も大砲はいらない。首を切る切れ味があれば十二分だ。
しかし流石にルネスティーネも一線級の実践派魔術師だった。宝石二つを用いた風の刃に、ただただ力押しで防ごうなどという愚策には奔らなかった。
切ることに尖らせた刃が向かってくるのであれば、同程度の刃で鍔ぜり合うのがベストだとルネスティーネは即座に判断する。
「本当の宝石の使い方を見せてさしあげます!」
冥馬が烈風に用いた宝石が二つならば、ルネスティーネが新たに使った宝石の数は六つ。単純な数だけではなく込められた魔力総量も冥馬の三倍。
三倍の宝石を用いれば三倍の威力の魔術を生むのが道理。ルネスティーネが放つ風の刃は一瞬の均衡の後、容易く冥馬の刃を打ち負かした。
だがその一瞬の間に、冥馬も風刃の射線上から離れる。風の刃は空を切り――――
「あ……ま、待て! そこは、やめろぉぉおおおお!!」
あることに気付いた冥馬が絶叫するが、もうなにもかもが遅かった。
ルネスティーネの風刃は真っ直ぐに遠坂邸の庭を突っ切り、冥馬が節約と趣味のため庭でせっせと世話をしていた家庭菜園を蹂躙する。
「あ、ああああああああ!!」
心臓の音がドクンドクンと喧しいほどに鼓動する。余りにも直視しがたい現実に視界情報を認識することを脳髄が拒絶した。
しかしどれほど今の光景を拒否しようとも、現実は変わってくれない。そこで起きてしまった惨状……否、惨劇が消えることはなかった。
無慈悲なる風の刃は多くの命を奪っていった。まだ新たに生命の息吹を吹き込まれたばかりの命が、漸く成熟を迎えた命が……ただの一度の暴虐により踏み躙られた。
「一体なにが……」
ルネスティーネは突然叫んだ冥馬に訳も分からず立ち竦む。だが冥馬の意識は背後のルネスティーネではなく、自分が精魂込めて育ててきて、奪われた命にのみ向けられている。
イギリスで隣に住んでいたキャサリンに誘われて始めた家庭菜園。最初は単に食費節約のためだったが、いつしか自分にとって掛け替えのない命の洗濯、趣味となっていた。友人であり植物について造詣の深いマイケルとは家庭菜園の話題でロードの講義中でも盛り上がったものである。
そんなこの遠坂邸における冥馬の癒しともいえるベストプレイスが、冥馬の目の前で死んだ。
「――――――おい」
歴戦の戦士すら竦みあがらせるような絶対零度の声。
「な、なんです……の?」
冥馬の視線がルネスティーネを射抜く。握りしめた冥馬の拳からは真っ赤な血が滲んで地面に血痕を落としていた。
余裕をもって優雅たれ、が遠坂家の家訓である。けれどこの時のみ冥馬は優雅という仮面を砕き散らし、剥き出しの感情をルネスティーネへ向けた。
どこまでもシンプルな怒りの奔流、地面の調子を確かめるように一歩一歩とルネスティーネへ向き直った。
「この世には絶対に触れてはいけないものがある。お前はそれを……俺にとって掛け替えのない命を踏み躙った……。
一端の魔術師ならお前も死くらいはとっくに観念しているだろう。だから観念しろ、なんて言いはしない。俺がお前に言ってやるのはたった一言だ」
キャスターに挑発されたルネスティーネが浮かべたそれよりも遥かに壮絶な笑みを冥馬は浮かべ、
「ここから生きて帰れると思うなよテメエ。ぎったんぎったんにしてやる!」
「二言じゃりませんのー!」
「知るか! とにかくお前は叩き潰す! ジャガイモやにんじんの仇討だ!」
「ジャガイモやにんじんでそこまで怒るなんて。どれだけ貴方は心が狭いんですか!?」
ただ真っ直ぐにルネスティーネ目掛けて疾走する。
精魂込めて育ててきた命を踏み躙られたことに激怒しつつも、冥馬は完全に我を忘れ冷静さを失ったわけではなかった。
冥馬にとってこの場所はホームグラウンドということと、ルネスティーネの使役するセイバーの魔力供給の多さなどがあり、魔術師としての才能で勝るルネスティーネと冥馬の実力は拮抗しているといっていい。もしかしたら冥馬が上回っているかもしれない。
だがルネスティーネは財力に物を言わせて手に入れたであろう大量の宝石がある。宝石魔術師同士の戦いで勝負を分けるのは何においても宝石の質と数。冥馬の全てを投げ打つ覚悟で対抗すればルネスティーネとも互角以上に戦えるだろう。だがこれからの戦いを考えれば今後の切り札となる宝石はまだまだ温存しなければならない。
故に冥馬は中~遠距離での魔術合戦というテンプレートな戦いを放棄して、得意とする近接戦闘に持ち込む策に出た。
「猪のように真っ直ぐに突っ込んでくるなんて怒っても所詮は野蛮人は野蛮人でしかありませんでしたわね。いい的でしかありませんわ。穴だらけにしてさしあげます」
ガンドを連射するルネスティーネだったが、その攻撃は無意味。赤いスーツが魔弾の全てを弾き返してしまう。
「私のガンドを二度も防ぐだなんて、やはりそれは魔術礼装。衝撃の拡散と反射と……あとは吸収、かしら? ガンドの威力を完全に受け流してしまうだなんて」
通常のガンドでは効き目が薄いと感じたルネスティーネは、より高威力の宝石に込められた魔力を用いた魔術攻撃に戦術を切り替える。
ルネスティーネの近くに炎と風が出現し、混ざり合う。炎と風が混じりあう炎風が冥馬に飛ぶその刹那、
「――――Auftrieb」
一時的な瞬間加速。ルネスティーネからすれば冥馬がいきなり消えたように見えたことだろう。
ルネスティーネの繰り出した魔術は既に冥馬のいなくなった場所を巨人がスプーンで掬ったかのように抉っていく。
その間に冥馬はルネスティーネの至近に迫っていた。倒すべき敵はもはや目の前。冥馬はルネスティーネ目掛けて拳打を放ち、
「これで――――」
「掛かりましたわね」
笑ったのはルネスティーネの方。冥馬の突き出した手をルネスティーネは慣れたように掴むと、
「せぇえええのッ! だぁああああああ!!」
貴族の令嬢とは到底思えぬ雄々しい叫びをあげて、冥馬を投げ飛ばした。
予想外の反撃に冥馬の思考に生まれる一瞬の空白。ルネスティーネは既に懐から必殺に足るだけの宝石を準備している。冥馬もまた自分の宝石で防御を試みるが、この鉄火場でその行動は致命的に遅れていた。
ルネスティーネの手から出現する高密度のエーテルで構成された光の剣。
「死になさい」
人間一人を滅ぼすには余りにも過剰過ぎる破壊の奔流が冥馬に襲い掛かる。
防御も間に合わず、地に足をついていない状態では回避もできず。遠坂冥馬の体は光の奔流に呑みこまれていった。