「――――Anfang」
冥馬はロビーに突入してくるナチス兵を睥睨する。
軍隊らしい理路整然とした動き。後方で指揮をとっている者の能力が高いのか、それとも訓練が行き届いているのか。
味方の第一隊が為す術なく殺されたばかりだというのに動揺した様子は見受けられない。
なにより兵隊だけあって誰も彼もが銃火器で武装していた。
常人であれば武装した兵隊の一隊に囲まれれば、出来ることといえば精々が白旗か両手を挙げるかだろう。だが遠坂冥馬は唯人ではなく魔道に生きる魔術師である。例え武装した兵隊に囲まれようと両手を挙げることはない。
(……さっき一つ使い潰したから、手持ちの宝石は残り五つ。家から持ってきた殆どは部屋の鞄の中。だがまぁ)
心臓を握り潰すイメージ。通常の神経に張り巡らせた回路が、魔力を流すための回路へと反転した。
遠坂冥馬の魔術回路に魔力が流し込まれていく。右手の人差し指に嵌めあるルビーの指輪が魔力の発露を認識して仄かな光を灯した。
「撃て!」
ナチス兵が機関銃を冥馬に向けて放ってきた。
冥馬は慌てない。元より魔術師とは自らの死を観念して然るべきもの。たかが無数の銃弾如き死に怯えることなどあってはならない。それが遠坂の四代目当主であれば猶更だ。
しっかりと前を見据え、冥馬は口を開いた。
「Verbrennung!」
冥馬の唱えた一節と同時に、魔術をサポートするための魔術礼装たる指輪は正しく機能し、鉄をも焼き溶かす業火を放つ。
炎は璃正や父を守った時と同じように弾丸が冥馬に届く前に焼き尽くす。
「Nerve Recognition Rise(神経、認識、上昇)」
多対一の戦いであれば、時計塔で宝石を買うための小金を稼ぐために死徒退治を手伝った事もあるため経験はある。そのため敵が軍隊であろうと冥馬は落ち着きを保っていた。
もっとも飛び道具をもっていて、考える頭をもっている兵隊たちのほうが吸血鬼の下僕の『死者』などよりも余程厄介かもしれないが。
「Verbrennung!」
迫る弾丸の悉くを炎で焼き払いながらナチス兵を駆逐していく。
自分が倒しているのは兵隊だ。もはや死んでいて、単なる吸血鬼の操り人形と化した『死者』とは違う。そんなことは冥馬とて承知していた。
だが冥馬は遠坂の当主であり冬木の管理者。ここは冬木ではないが、一人のセカンドオーナーとして一般人の前で戦いを始め、巻き込むような外道の魔術師は許せない。
彼等はナチスの兵隊で魔術師ではないかもしれないが、魔術師の闘争に参加している以上は同じ穴のムジナだ。
よって容赦なく焼き殺すことに躊躇いはなかった。
「――――ん?」
自身の魔術によって五感を敏感に尖らせていた冥馬は、ナチス兵の一部が誰かと無線で連絡をとっていることに気付いた。
「Hearing……Gros zwei(聴覚、強化)」
兵隊達を後方で動かしている者の手掛かりが掴めるかもしれない。冥馬は自分の聴覚を〝強化〟することで、無線で話している内容を聞き取ろうとした。
『……遠坂冥馬は炎を使う。例のものを使え、アレなら容易には溶かせないはずだ』
「!」
指揮官の正体の秘密を探ろうとしたら、ナチス兵の隠し持つ奥の手を看破してしまった。
無線の相手の指示を受けたからだろう。半分ほどの兵士達が冥馬を釘づけにするべく弾幕を浴びせてくるのに対して、もう半分の兵士達がその隙にと――――銃火器については殆ど知らないので良く分からないが――――中に入っている弾丸を別のものに入れ替えていた。
聖堂教会と繋がりが深く聖骸布などを何度か見た経験のある冥馬だからこそ、それがなんなのか一目で分かった。
兵士たちが新しく機関銃に装填している弾丸は『自分達の教義に反するものを否定する』という最も単純明快な概念で生み出された武装である。
概念武装としての強度は下だが、あの弾丸ならば冥馬の炎でも容易に焼き尽くすことは叶わないだろう。
十発程度であれば炎の密度をあげることで対抗できるかもしれないが、幾らなんでも数百発は不可能である。
冥馬の左手の人差し指には『炎』ではなく『風』を起こすための指輪もあるにはあるが、アレが魔術全てを否定する概念武装である以上、炎でも風でも同じことだ。
「だとすれば……!」
兵士達が弾丸の装填を完了させるよりも早く、冥馬は忍ばせていた六つの宝石の一つを取り出した。
ルーン、錬金、結界など魔術には様々な種類があるが、うち遠坂が得意とするのは『転換』。魔力を始めとしたものを別のモノに移して定着させる魔術だ。
特に遠坂は大師父でもある宝石翁の影響もあって『宝石』に自分の魔力を込める宝石魔術に秀でている。
そして冥馬の取り出した大粒の宝石には何年もの月日をかけて冥馬が溜め続けた魔力が宿っていた。
「Dreiundzwanzig――――Starke seiner Beine Gros zwei!」
宝石の中に溜まりに溜まった魔力、その全てが遠坂冥馬という一人の人間の脚力を強化するという方向に発揮される。
遠坂冥馬という魔術師だけではそうそうに引き起こせない爆発的な身体能力の上昇。これも宝石の力である。宝石魔術師は魔力の溜まった宝石を用いることで、一流といえる魔術師でも長い詠唱をしなければとても発揮できないAランククラスの大魔術を、ほぼ一工程で行うこともできるのだ。
冥馬の爆発の如き踏みこみがロビーの床を粉砕する。
床を砕くほどの脚力は遠坂冥馬という人間を消した。いや、消えた様に見せた。
魔術の〝否定〟たる概念武装を装填し終え、冥馬へ発砲しようとしていた兵士達は、冥馬の姿を見失ったことで混乱する。
その間に冥馬は兵士達の中を駆け抜け、彼等の後方へ躍り出ていた。
「う、後ろだ!」
最初に冥馬に気付いた兵士が慌てて皆に警告を発するが、
「遅い!」
遠坂冥馬は既に攻撃の準備を整えていた。右手と左手、両方の魔術礼装を同時に起動させる。
両手から出現するのは高温の炎と、高密度の風刃。
「はっ!」
両腕を振るう。
炎と風、二つの魔術が兵士達を薙ぎ払った。
しかし十人程度の兵士を殺したところでナチスの兵隊はまだまだ数えきれない程いる。そして彼等は味方兵士の犠牲を代償に弾丸の装填を完了していた。
「Zweiundzwanzig―――Feuer!」
囲まれれば勝機はない。
もう一つの宝石を爆発させて、兵士達の一角を吹き飛ばしつつ爆風を隠れ蓑に後退する。
冥馬が背中を向けた時だった。
背後から弾丸の雨が掃射される。幸い爆風で視界が塞がれているからか正確な射撃ではなかったが、弾丸が弾丸のため今までのように炎で溶かして防御、なんて真似もできない。
仕方なく冥馬は手近にあったテーブルをありったけの魔術で強化して即席の盾とした。
「参ったな、これは。敵は底なしでこちらは底あり。――――いずれ押し切られる」
傷一つなく多くのナチス兵を倒しておきながら冥馬の表情は暗い。
宝石魔術の最大にして致命的ともいえる欠点が、宝石が一度限りの使い捨てということである。
此度の聖杯戦争のために、十年以上もの月日をかけて魔力を込めてきた宝石のうち三つは今のでふいになった。
そして現在手持ちの宝石は残り三つ。つまり冥馬がさっきまでとまるっきり同じことをしたら切り札を失うということである。
表情の一つや二つ暗くなるというものだ。
(もっとも〝俺〟のするべきことは奴等の足止め。父上がサーヴァントを召喚さえしてくれれば――――巻き返せる)
息子だけあって父がしようとしていることは当然のように承知していた。
サーヴァントは人知を超えた存在である。
その強さは並みの魔術師など足元に及ばないほど高みにある神話の具現。
ナチスの兵隊などサーヴァントさえいれば一方的に蹂躙することもできるだろう。
ただそれには不確定要素も多い。前提条件であるサーヴァントの召喚だが――――そもそもこんな場所でサーヴァントを呼べるのか、という問題が立ち塞がっているのだ。最悪サーヴァントを召喚できず仕舞いということも十分ありえることである。
サーヴァントを呼べなければ冥馬含めて全員がここで死ぬかもしれない。
魔術師は決してなんでもできる超人ではないのだ。そもそも魔術が万能であれば、科学によって五つの魔法を残して権威を失墜したりしないだろう。
万能というのなら『誰でも平等に扱える』科学の方が余程万能だ。少なくとも科学を結集すれば『五つ』以外はなんでも出来るのだから。
もっとも冥馬が知らないだけで、科学も科学なりに不便なこともあるのかもしれないが。
冥馬がそんなことを考えていた時だった。
「ん?」
考え事をしている最中、冥馬は自分に向けられる視線に気付く。
生きている他の客はとっくに逃げ出してしまっている。というよりまともな神経の持ち主なら、ナチスの兵隊が銃をもって襲撃してきたら逃げるだろう。
だから逃げないとすれば、それはまともな神経の持ち主ではないということだ。
棒立ちしているのは聖杯を璃正神父に届けにきたアインツベルンのメイドだった。
メイドがは逃げることもせず、身に迫る脅威に構えることもせず、ただ眼前で起こる戦いを他人事のように眺めている。
「……っ! アインツベルンのメイド、まだ……いたのか?」
「――――――」
アインツベルンのメイドは何も反応しない。自分の直ぐ近くにある椅子が機関銃の掃射でバラバラになっても眉一つ動かさなかった。
間違いなく心臓は動いているし、物事を考える知能を持っていというのに――――その振る舞いはまるでマネキン人形のようである。
しかし銃弾が風のように吹く中、赤い双眸だけが遠坂冥馬を捉えて離さない。
「なにをしてる? 奴等の狙いは私か父上、それと璃正神父のもつ聖杯だ。お前は殺害対象じゃない。死にたくなければ早く逃げろ!」
「不要です。私は聖杯を監督役に届ける、という自らの存在意義を全うしました。後は大人しく滅びるのみです」
死の恐怖を欠片も感じさせぬ無乾燥な声で、アインツベルンのメイドは言葉を紡ぐ。
「ただどうせ滅びるならば、と今後アインツベルンの敵となるかもしれない『遠坂』の戦いぶりの一部始終をお嬢様にお伝えしようと。こうして留まっています」
赤い双眸の奥深く、そこにもう一つの視線を感じた。
恐らく彼女のマスター、此度の聖杯戦争に挑むアインツベルンのマスターと彼女は視界を共有しているのだろう。
つまりアインツベルンは安全なところから冥馬の足掻きを高みの見物しているというわけだ。
「勝手にしろ……!」
苛立ち混じりに吐き捨てる。
冥馬としても自分から死んでいい、なんて言う者を無理に助けようとするほどにお人好しではない。
やがて弾丸の一発がメイドの腹を霞めた。
一発当たると後は早かった。銃弾が容赦なくメイドの体を蜂の巣にしていく。
「まったく」
冥馬の直ぐ横で聖杯を運んできたメイドは死んだ。
義憤などするわけがない。憤慨などする価値もない。アインツベルンの生み出したホムンクルスは生きることを諦め、そして勝手に死んだのだ。
だから冥馬の抱く遣る瀬無さというのは〝心の贅肉〟というものなのだろう。
「我ながら甘いな。だがお蔭で決心もついた。あんな姿にはなりたくないね、心の底から」
あのメイドの姿は自分が敗れた時の成れの果てだ。自分がああやって死ぬかもしれないと思うと、どうしてもその死を遠ざけたくなる。
死を観念するべき魔術師としては恥ずかしい事に――――どうやら自分は自分の命が惜しいようだ。
「しかし奴等の弾は底なしか」
強化を施した机は弾丸など軽く弾くほどの強度をもっているが、それとて限度というものがある。
否定の概念をもつ弾丸の雨に机は削れに削れ、もはや不細工な木の板になってしまっていた。
もって後五分。五分後には遠坂冥馬を銃火から守ってくれている木の板は、ただのスクラップとなるだろう。
覚悟を決めて打って出るにしても宝石三つでは心許ない。
「それにしてもナチの連中、こんな暴挙をしてきたにしては消極的じゃないか」
ナチスの兵隊達は遠巻きから発砲し続けるだけで、一向に強行突破を仕掛けてこない。
幾ら『個人』として遠坂冥馬がナチス兵たちを上回ろうと所詮は一人。多勢に無勢、兵隊全員が一斉に突撃してきたら今頃冥馬は全ての宝石を切らしていた頃だろう。
どれだけナチスが国家権力を背景にしていて、世界の裏側に位置する戦いに挑んでいるとはいえ、他国で銃撃戦をするなど激しく問題のある行為のはずだ。
ナチスの側からすれば一刻も早く聖杯を奪取し、退却したいはず。
なのにナチスは積極的な攻撃を仕掛けてくることがない。まるで――――冥馬と同じように、足止めをしているような。
「まさか!」
最悪の可能性に思い至り、目を見開く。
もしもナチスの動きが積極的でない理由が冥馬の読み通りであれば、父と璃正神父の身が危険だ。
「Zwanzig、Neunzehn Flamme Mauer!(二十番、十九番、炎の壁)」
宝石二つを使っての魔術の発動。例え『否定』の概念が込められた弾丸でも問答無用に溶解させる炎壁が顕現する。
これでナチスは暫く足止めできるだろう。
思い過ごしてあればいい。考え過ぎであれば良い。そう祈りながら冥馬は父たちのいるであろう場所へ急いだ。
ホテルの地下にある酒蔵まで来た静重は、素早く最も自分に適した方角と位置を探ると、魔術で宝石を溶かして地面に垂らした。
「ぐっ……!」
更にと、静重が自分で自分の手を切って血を宝石に垂らす。
熱に溶けた宝石は静重の垂らした血液と混じり合って、自分の意志があるかのように動き魔法陣を形作っていく。
素人目に見ても面倒な過程をすっ飛ばしたやり方だが、上で息子がナチス相手に奮闘している今では一分一秒が惜しいのだろう。
「英霊を召喚するにしては随分と簡易なものですね」
英霊の座から英霊を呼び出すと聞いて、璃正はさぞ凄まじい儀式なのだろうと想像していたのだが現実は違っていた。
静重の描いている魔法陣は通常の魔法陣と大した違いもなく、とてもではないが英霊降霊を可能とするようなものには見えない。
「実際に英霊をサーヴァントとして召喚するのは魔術師ではなく聖杯だよ。逆を言えば聖杯なんて代物がなければ儂ら魔術師が百人集まろうと英霊など召喚できん。
言ってみれば我々マスターは聖杯が開いた英霊の座に、釣り糸を垂らして釣り上げているだけ。そして目当ての英霊を引き当てるための〝餌〟がこれだ」
魔法陣を描き終えた静重は、鉄製の入れ物から――――小さな鉄の破片を取り出して、魔法陣の上方へと置く。
ともすればガラクタにさえ見えるソレは、特定の英霊を呼ぶために必要な聖遺物、英霊の遺品だ。
サーヴァント召喚のために必要となる詠唱と魔法陣以外のものがこれである。
無闇やたらに餌をつけ釣り糸を垂らしても釣る魚は選べない。だとすれば目当ての魚しか食いつかない餌を用意すればいい。召喚の際に特定の英霊に縁ある聖遺物を用いることで、マスターは望んだ英霊を招きよせることができるのだ。
「冥馬の奴には感謝せねばならぬな。よもやこれほどの聖遺物を持ってくるとは、この儂もまるで予想していなかった。これを使えば必ずや最強のカードを引き当てられる」
静重の口元が緩む。絶対的な自信をもって言うくらいだ。余程凄まじい英霊の聖遺物なのだろう。
「静重殿、その鉄屑はなんなのですか?」
「ブリテンに君臨した彼の騎士王、その鎧の破片だよ」
「―――――なんと」
彼の王を知らぬはずがない。イングランドで最も有名な騎士道物語アーサー王伝説に登場する伝説の王、アーサー・ペンドラゴン。
璃正をもってしても、これより招かれるのが彼の王であるということに驚きと、畏敬の念を禁じ得ない。
(確かに、彼の王ならば)
聖杯戦争で召喚されたサーヴァントは七つのクラスという器に収められるよう召喚される。
第一次聖杯戦争のおりに招かれたのはセイバー、ランサー、アーチャー、ライダー、アサシン、バーサーカー、キャスターの七クラス。次の第二次では若干クラス変更があったそうだが、第一次のものが基本的なラインナップであることに変わりはない。
そしてセイバー、ランサー、アーチャーの三つのクラスは『三騎士』と呼ばれ、クラス別技能に等しく全員が魔術への耐性たる『対魔力』を有する。
嘗ての聖杯戦争でも三騎士は安定した活躍をみせ、特にセイバーのクラスは常に最後まで勝ち残った実績から最優のサーヴァントと呼ばれている。
「召喚されるのが〝騎士王〟ならば当て嵌まるクラスはセイバーしかない。最優のセイバーに伝説の聖剣を担いし王者を招く。……我が息子ながら、ここまで完璧な布陣を整えるとは末恐ろしいものよ」
静重の言葉は誇張でもなんでもない。
騎士王ほどの英霊に比肩しうるサーヴァントなど世界各地の伝承を紐解いてもそうはいないだろう。
召喚した瞬間、勝利がほぼ確定する。そう言っても過言ではないほどだ。
「サーヴァントを召喚する触媒、聖遺物の方は問題ない。問題があるとすれば招く側、儂の方だ。
如何にサーヴァント召喚に大がかりな準備は必要ないといえど、本来であれば然るべき霊地で然るべき刻限にて行うべきもの。このような慌ただしい召喚など前代未聞だ。首尾よく召喚できれば良いのだが……」
「やるしか、ないでしょう」
ロビーで繰り広げられる銃撃戦の音がここまで響いてきている。
万が一騎士王を召喚できなければ、殺到するナチス相手に孤軍奮闘する冥馬も、ここにいる静重や璃正も殺されるだろう。
静重の召喚、それに三人の命運がかかっている。
(……よもや私が、魔術師の魔術の成功を祈る日がこようとは)
人生とは分からないものだ。有り触れた日常が続いているようにみえて、少し先には思いもよらぬ出来事が待ち構えている。
「素に銀と鉄。 礎に石と契約の大公。祖には我が大師シュバインオーグ。降り立つ風には壁を。四方の門は閉じ、王冠より出で、王国に至る三叉路は循環せよ」
静重がサーヴァント降霊の詠唱を始める。
「閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。閉じよ。繰り返すつどに五度。ただ、満たされる刻を破却する」
イレギュラーなサーヴァントの召喚。霊脈・時間などの不足を静重は手持ちの宝石全てを使うことで補っている。
それでも何かが起こるかもしれない。
静重は御年七十五。上手くいったと確信して失敗してきた数は三十を超える。故に細心の更に細心の注意をもって召喚に臨む。
「――――Anfang」
魔法陣の準備が整う。
これより遠坂静重は参加するマスターではなく、ただサーヴァントを招くための部品となる。
全身が混濁し、己の感覚だけが無重力地帯に投げ出されたような浮遊感を味わいながらも、静重はしっかりと両の足を地面に縫いとめていた。
璃正からも汗が流れる。これから招かれる英雄に対する畏怖からか、手が微かに震えていた。
だがいよいよ本格的な詠唱を始めようとしたところで、
「クライアントの懸念は正しかったようだ。よもや本当にこんなところでサーヴァントを召喚しようとするとは。始まりの御三家、やはり生半可な外来者とは違う、ということか」
「っ!」
魔法陣に溜まる魔力が雲散しそうになるのを、静重は渾身の意志力をもって堪えた。
動けない静重にかわり、璃正がいきなり出現した男を睨む。
雪のように白い装束。そしてその装束に反するような艶のある黒髪。無愛想な眼鏡の奥には理知的な深い緑色の双眸がある。
この酒蔵に繋がる唯一のドアは魔術結界で塞がれていた。結界が突破された気配はなく、普通に考えればこの男は最初からこの酒蔵に潜んでいたと考えるのが適切だ。
けれどこの男がとても現代人とは思えぬ姿恰好をしているとなれば、考えられる可能性は一つ。
「サーヴァントか?」
「如何にも」
璃正の問いかけに男は涼やかに返答した。
サーヴァントはマスターの魔力によって実体化することができるが、基本的に彼等は死者であり霊体だ。よって実体化を解き壁を通り抜けて酒蔵に侵入するなど彼等にとっては容易いことである。
「サーヴァント召喚前にマスターを殺す……それも一般人の前で銃撃戦を始めるなど、定められたルールから大きく逸脱した行為だ。英霊の座に招かれたほどの英雄が、マスターの暴挙に目を瞑るのか?」
「さぁ。少なくとも今のところ私のクライアントは私の〝ルール〟には反していない。ギブ&テイクがしっかりしているなら私に言うべきことはないな」
璃正の非難にもサーヴァントは淡々としている。……マスターは兎も角、相手が誇り高い英霊ならば、と一縷の望みをかけたのだが無意味だったらしい。
ランサーは璃正と静重、二人を見据えながら口を開けた。
「『聖杯』にマスターとして選ばれながら戦いに挑むこともできずに終わるのは、まぁそちらにとっても屈辱だろうが、これもクライアントの命令でね。大人しく死んでくれ」
男が眼鏡のずれを直しながら、その手に無骨な白い槍を出現させる。
聖杯戦争で槍を使うサーヴァントといえば思い当たるクラスは一つ。
「ランサーのサーヴァント!?」
男はにやりと笑みを深めただけだった。沈黙は肯定と、受け取っても良いだろう。
「――――告げる! 汝の身は我が下に、我が命運は汝の剣に。聖杯の寄るべに従い、この意、この理に従うならば応えよ」
璃正が硬直する中、静重の行動は早かった。
まるで自分達の近くにサーヴァントがいることなど見えていない様に、一心不乱にサーヴァントの詠唱を行う。
ランサーが嘆息混じりに槍を静重へと向けた。
詠唱中の静重は完全に無防備。ランサーの一突きを回避する術はない。
だとすれば、
「墳ッ!」
璃正のやるべき事は一つだった。
生まれてからこの肉体に刻み込んだ武術をもって、目の前のサーヴァントを足止めする。静重がサーヴァントを召喚するまで。
「ほう。教会の坊主の癖して良い動きをする。……東洋の拳法か?」
ランサーはなんでもないふうに璃正の拳を受け流す。
自画自賛になるが璃正の八極拳士としての力量は相当のものだ。巡礼の中で悪漢十人に囲まれながら無傷でこれを制圧したこともある。
けれどランサーは伊達に三騎士の一角を担うランサーとして招かれたわけではない。
人間レベルにおける達人でしかない璃正と、サーヴァントであるランサーでは文字通り強さの格が違った。璃正がどれだけ拳を振るおうとランサーは鼻歌まじりにそれを回避していく。
もっといえば、
「――――残念だったな、神父」
璃正の拳がランサーの腹に命中する。相手が人間であれば、内部にまで振動が行き渡り内臓を破壊する一撃だったが、ランサー相手にはまるで効果がない。
「生憎だがサーヴァントは霊体。物理攻撃だろうと、銃とかいう品性の欠片もない不細工な鉄屑が頭に命中しようとダメージなど通りはしない」
ランサーが無造作に璃正を蹴り飛ばす。
それだけで戦闘ともいえない戦いは終わりを告げた。
「が、あ――――」
蹴り飛ばされた璃正は酒樽に叩きつけられる。
「よくやったよ、ただの人間にしては」
ランサーが璃正に止めを刺すべく近付いてきた。
静重の詠唱も完了してはいない。頭をうってしまったのか、璃正も頭がぐわんぐわんと揺れていて立ち上がることができなかった。
終わり、そんな三文字が脳裏を過ぎる。
「待て、サーヴァント」
しかしランサーが璃正に突き出そうとしていた槍は、璃正の心臓を穿つ前に静重の言葉で止められた。
「やめろ……彼は監督役だ。それともナチスドイツと君という英霊は中立の審判を殺すほどに品性がない輩なのかね?」
「言うじゃないか魔術師。なるほど、私のクライアントの品性は知らないが、中立の人間を殺すのは私も余り好まないところだ。
更に言えば私は『聖杯』を奪取して、遠坂親子を殺せと命じられてはいるが、監督役を殺せというオーダーは受けていないな。
良いだろう、魔術師。お前の嘆願に免じてそこの監督役は殺さない。だがお前は殺させて貰うぞ。私も報酬分働かないのは主義に反する」
「…………好きにしろ」
それは苦渋に満ちた、諦めの言葉だった。
(まさ――――か?)
信じられなかった。
言峰璃正を救っても静重に利益などない。あのまま璃正を無視して詠唱してもランサーがいる以上、間に合うことはなかったかもしれないが、それでも助けることでメリットは発生しなかった。
なんの利益にもならぬ行為遠坂静重は純粋に言峰璃正を助けるためだけに助けたのだ。
「璃正神父。こんなこと頼めた義理ではないが、聖杯戦争を頼む。しっかりと監督してくれ。そして願わくば、相応しい者に聖杯が委ねられるよう」
声を出す事も、ランサーを止めることもできなかった。
ランサーの白い槍が静重の体を貫通する。静重はごほっと血を吐きだしながら崩れ落ちた。
背後のドアから響き渡る轟音。
そこで璃正も力尽き、ゆっくりと意識を沈めていった。
冥馬が酒蔵のドアを破壊して突入した時、全ては終わっていた。
酒樽に叩きつけられ気絶している璃正、無傷で槍を突き出しているランサー。その槍に突き刺された自分の父親。
その光景がここでなにが起きたのかを残酷なまでに告げていた。
「ランサー!」
「おや、息子の方の魔術師も来るとは手間が省けたな」
ランサーが槍を引き抜く。父・静重は支えを失い地面に転がされた。
「しかし現代の兵隊というのも不甲斐ない。魔術師一人足止めできないとは。それもこれも不細工な鉄屑なんぞに頼っているからだ。もっと剣や槍を大切にしろ、軟弱者め」
父を殺した相手に慈悲などかける気はなかった。問答無用に冥馬は炎をランサーに浴びせる。
「――――残念だがその程度の魔術は私には届かない」
炎に包まれながら、なんでもないようにランサーが言う。
ランサーのクラスによる対魔力だろう。冥馬の魔術は肉体の強度に防がれているのではなく、ランサーにまったく通じていなかった。
白兵戦を得意とするランサー相手には、遠距離から魔術で攻撃するのが一番効果的だ。だというのにランサーには対魔力スキルがあるため、肝心の魔術が効きにくい。
それが三騎士のクラスが優秀とされる所以であり、七クラス中で『魔術師』のサーヴァントたるキャスターが最弱たる所以だった。
冥馬の見た限りだと魔術をもってランサーを害そうと思うのならば、ランクB以上の魔術をもって行う必要があるだろう。
最後の一つである宝石を握りしめる。
例え無茶だとしても、ランサーを倒す。そう意気込む一方で冥馬の冷静な思考は告げていた。
(終わったな)
仮に運よくランサーを単独で撃破する快挙を成し遂げたとしても、後ろにはナチス兵たちが待ち構えている。炎の壁も少し経てば突破されるだろう。ランサーを倒したところで後に待つのは死だけだ。
だからこそランサーは倒さなければならない。
どうせ死ぬなら、せめて父親の仇くらい獲らなければ割に合わないだろう。
「誓いを…………此処に」
「なに!?」
冥馬とランサーが奇しくも言葉を被せて驚きを露わにする。
心臓を貫かれ死んだはずの父・静重。だがなんということだろうか。心臓を貫かれて尚も、静重は気力のみで現世にしがみ付きサーヴァントを呼び出そうとしていた。
「人は時に思いもよらぬ力を見せる。意志や愛で限界をこうも超えてしまう。魔術師、その姿に敬意を表するぞ。だがオーダーは変わらない。死ね!」
ランサーが最後に残った意志すら殺さんと、静重へ疾走する。
「我は、常世…総ての善と…………成る者、我は常世総ての悪を敷く者――――」
静重は詠唱を止めない。
「父上……!」
父の覚悟、父の遺志、冥馬は確かにそれを受け取った。
涙は見せない、見せるのは父から受け継いだ遠坂の魔術だけでいい。父の最後の魔術を完遂させるのが、今の冥馬ができる最大の親孝行であると認識した。
「うぉおおおおおおお!」
最後の宝石の魔力を費やして、ランサーに体当たりする。
ランサーがほんの一瞬だけよろめく。その一瞬で十分だった。
「汝三大の言霊を纏う七天、抑止の輪より来たれ、天秤の守り手よ―――!」
果たして遠坂静重の魂を賭けた叫びは、節理の外にある『英霊の座』に届いた。
エーテルの炸裂。そして〝彼〟は召喚された。
稲妻の如く黄金の刃が振り落される。白い槍は黄金の前に弾かれ、ランサーは慌てて後退した。
まず目についたのは夜空で光る星を思わせる金砂の髪。瞳は海のように青く、清廉な風を思わせる。
がしゃん、と無骨な音が酒蔵に響き渡った。
――――息を呑んだ。
見た目こそ人間の形をしているが、その身に宿す魔力の密度が桁違いだ。
これこそがサーヴァント、人間の身でありながら魂を精霊の粋にまで昇華させた者。
蒼と銀、二つを基調とした甲冑を纏う『騎士』は、神経質そうな目で冥馬と静重を見下ろしている。
「召喚されて出てきてみれば、いきなり心臓を突き刺されて倒れているとはな。これはまた随分なマスターに引き当てられたものだ」
咎めるように、嘆くように、そして自責するように。
黄金の剣をもった蒼い騎士は言った。