地面を抉り大気を蒸発させるほどの戦い。古の伝説が再現された戦いも、終わってしまえば残るのは静寂だけ。パチパチと雑草を焼く火の音だけが厭に煩く感じられる。
屋敷の裏側では未だにセイバーとキャスターの戦いが続いているようだが、それも直に終わることだろう。サーヴァントにとってマスターは魔力を供給するだけの存在ではない。現代のモノではないサーヴァントを現世に繋ぎとめるための依代。その依代がなくなるということは、サーヴァントにとって大地を失うようなもの。力は大幅に弱体化し、ただ消滅を待つだけのモノとなる。単独行動スキルをもつアーチャーであれば、マスターを失っても数日はもつかもしれない。だがそれでも弱体化を避けることは出来ないし、まして冥馬のキャスターにそんなスキルはないので考慮するに値しないことだ。
マスターを喪い弱体化したサーヴァントなど、セイバーほどのサーヴァントには雑兵に等しい。相手が最弱のキャスターならば猶更である。
ルネスティーネはもくもくとあがる煙に視線をやる。
冥馬は死んだ。
屋敷に撃てば屋敷を、魔獣に撃てば魔獣を、吸血鬼に撃てば吸血鬼を滅ぼす特大の魔術を前にしては、人間の体など風雨に晒される紙人形のようなもの。酷く脆く容易く壊れる。
遠坂冥馬。始まりの御三家の一角で、ルネスティーネ・エーデルフェルトに屈辱を味わわせた男は跡形もなく消え去ったのだ。
「…………ふん。他愛ないですわね」
それがルネスティーネには面白くない。
自画自賛になるが、客観的な事実としてルネスティーネは自分が所謂天才であると自認している。先代の当主だった母も11歳の頃には追い抜いていたし、自分の五倍も魔術の研鑽に励んでいた師の一人も、13の頃には『もう自分の教えられることはなにもない』と言わしめた。
遠坂冥馬はそんな自分に耐えがたい屈辱を味わわせた魔術師。自分に屈辱を味わわせたような男ならば、それ相応の張り合いがなくてはならない。そうでなくては面白くない。だというのにこんなにもあっさり死んでしまうなど、まったくの拍子抜けもいいところである。せめてもう少し御三家の意地を見せて欲しかった。
ルネスティーネは少しばかり寂しげに目を細めると溜息を吐く。
「はぁ。やはりこの私と張り合えるマスターはあの憎たらしいリリアだけ。所詮は日本なんて極東に拠点を置く田舎魔術師など、栄えあるエーデルフェルトの相手ではなかった……ということですわね。
ま、私のガンドを防御してみせたことだけは評価してさしあげます。この私にほんのちょっとでも評価されたんですもの。もう悔いはありませんわね」
ルネスティーネは思考回路から〝遠坂冥馬〟を外す。死んだ相手にわざわざ思考回路を費やすなど知恵の浪費でしかない。
あれだけ遠坂冥馬への怒りに燃えていた炎も、当の遠坂冥馬をこの手で殺してしまい急激に冷め、消えかかっていた。
手持ちの宝石の量を確認する。普段の戦闘より幾分か多く消費したが、まだまだ全然余裕がある。相手が全員遠坂冥馬と仮定するのであれば後もう五戦、いや六戦はこなせるだけの宝石が残っていた。
ふと屋敷を見上げる。遠坂の残党たるキャスターを倒した後は、勝利の証として遠坂の屋敷にエーデルフェルトの家紋を刻むのもありだろう。
ルネスティーネはセイバーのバックアップに回るため、その場を離れる。だが、
「決闘中に途中退場は、不戦勝として受け取るがいいのか?」
思考回路が凍てつく。有り得ない声を聞いて、両足は石になったように硬直した。
この声を知っている。既に〝死人〟だと、とるにたらない〝敗北者〟だったと記憶回路の片隅についさっき追いやったばかりの男のものだ。ルネスティーネは悪霊に背後をとられた気分で、声のした方向に振り返る。
ルネスティーネが人影を確認するよりも早く、煙の中から己が存在を示すかのように炎が奔った。咄嗟に炎レジストするルネスティーネだが、突然の事に100%の防御ができず、炎はドレスの袖の一部を焦がしていった。
「――そ、その声は……遠坂冥馬!? 生きていたんですの? あの一撃を受けて……!」
心の中で張り合いのある敵を望んでいたのはルネスティーネ自身だ。遠坂冥馬がもっと手ごたえのある相手であって欲しいと思っていたのもルネスティーネだ。だが遠坂冥馬の生存はルネスティーネにとっては埒外の極みだった。
遠坂冥馬が生きている筈がないのである。自分が遠坂冥馬に喰らわせたのはそういう魔術だ。これまで数多の魔術師を一撃のもとに薙ぎ払った大魔術、使い魔として最上位のランクにあるサーヴァントすら直撃させれば問答無用に殺す大技。魔術師が生きている筈がないのだ。
けれど聞こえた声は聞き違えるはずもなく遠坂冥馬のもの。
煙の中から遠坂冥馬が一歩を踏み出し、その姿を晒す。
酷い有様だった。洒落なワインレッドのスーツは所々が破け消し炭となり、まるで浮浪者の纏うボロ布と化している。セットされていた髪も乱れ、体の節々には傷もあった。
しかしその様でも、瞳の奥で煌々と光る灯は消えてはいない。全身の魔術回路もより猛々しく脈動していた。煙をバックに立つ姿は、夥しい躯の上で微笑む武将を思わせる。
「クラウスやローレンスには感謝しないといけないな。共同開発したこれで、どうにか命拾いした」
とんとん、と冥馬が小指で叩くのはボロ布と化したワインレッドのスーツの成れの果て。
よもやそんなものが、あの大魔術から命を繋いだトリックだとは信じられずルネスティーネは瞠目した。
「私のとっておきの魔術を防いだのが、その情けないボロ布ですって! し、信じられませんわ……」
「ボロ布とは酷い酷い。これでもお前にこんな風にされるまでは優雅で洒落で、魔術礼装抜きにファッションとしても俺のお気に入りだったのに。
お前のような貴族のボンボンならウン千万の宝石だってポンポン買えるのかもしれないが、うちはお宅のような成金と違って宝石代のやり繰りが大変でね。時計塔でも宝石代を稼ぐため執行者まがいのことをしていたが…………小金稼ぎで自分が死んでは元も子もない。魔術師にとって己の死は真っ先に覚悟しておくべきものだが、俺も遠坂の魔術を次世代に繋いでいく当主として簡単に死ぬ訳にはいかないからな。
そこで時計塔の友人達と共同で作ったのがこのスーツ。軍隊が採用している現行のどんな銃弾だろうとストップさせるだけの防御力だったらしいのに、魔術一発でこうもおじゃんなんて寧ろ俺の方が驚きだよ。これ作るのに一万円(現代の価格にすると約6300万)もかかったんだぞ! どうしてくれるんだ!? 大赤字じゃないか!! 責任をとれ責任を!! あと弁償しろ!!」
「知った事じゃないですわ! そんなこと!」
大赤字、と冥馬は言うがそれが命を守り切ったことを考えれば、決して悪い投資ではなかっただろう。どれほどの大金を費やしても〝死んだ命〟を取り戻すことは出来ないのだから。
「ここまで破壊されちゃもう修復は出来ないな。……なら、はぁッ!」
ボロ布と化したスーツをべりっと破き捨て、上半身を露わにした。月明かりの下、遠坂冥馬は惜しげもなく鍛え抜いたその上半身を晒す。
「な、なんという鍛え抜かれた筋肉……!」
冥馬が肉弾戦に心得があることは、冥馬の拳打をいなして逆に投げ飛ばしたルネスティーネも知っていた。されど冥馬の上半身を見れば、それが心得がある程度の生易しいものでないことが分かる。
1gの無駄もなく限界にまで絞り込まれた筋肉は瞬発力に優れた軽量級のそれのようでいて、重量級のパワーをも秘めていた。ただ我武者羅に鍛えただけではこうはならない。人間の体と筋肉に対して深い知識と理解、そして厳しい鍛錬がこれだけの筋肉を作り上げたのだろう。
「どうやら私は貴方という魔術師を侮っていたようですわね。それほどの筋肉を得るのに、どれほど肉体を苛め抜きまして?」
「自慢じゃないが……俺は魔術の修練をサボったことはあっても、肉体の鍛練を休めた日はただの一度もありはしない。そっちこそ貴族育ちのお嬢様にしては見る目がある」
「愚問ですわ。格闘技は淑女の嗜み。……………ふふふふっ。つまらない戦いだったというのは撤回しなくてはなりませんわね。心躍ってきましたわ。手袋を受け取りなさい。貴方をこの私の、ルネスティーネ・エーデルフェルトの好敵手として認めてさしあげますわ」
ルネスティーネが投げつけた手袋を、冥馬はこともなげに顔面の前でキャッチする。
遠坂やエーデルフェルトが身を置く時計塔のある英国、ひいてはヨーロッパにおいて手袋を投げることとは即ち決闘の申し込み。そして投げつけられた手袋を『受け取る』ことは、
「喜んで。レディ」
――――決闘の受諾に他ならない。
堂に入ったお辞儀をしてみせる冥馬の姿は、貴婦人のダンスの誘いを受けた紳士のようですらある。しかしその全身からは溢れんばかりに湧き上がっているのは獰猛なる闘志だけだ。
神経を焼き尽くすほどの真っ赤な闘志を真正面から浴びたルネスティーネはしかし、それに恐れ慄いて萎縮するなどということはなかった。
冥馬が多くの戦いをその肉体と魔術で潜り抜けたように、ルネスティーネもまた世界各地の戦いに介入しては勝利者というタイトルを華麗に奪い去っていった生粋の闘士。遠坂冥馬という極上の闘士を前に、逆にその戦意を増した。
ルネスティーネは猛禽類のように口端を釣り上げ、冥馬もまたニヤリと笑う。
「お前の魔術を防いでご臨終した魔術礼装(スーツ)は防御力こそ超一級だが、一つばかし欠点があってね」
「あら? なんですの?」
「重さだよ。あれ、凄く重いんだ」
言いながら目にも留まらぬ速度で腕を一閃。屋敷の庭に迷い込んだ葉っぱが、居合の達人に両断されたかのように、綺麗に真っ二つとなった。
速い、ルネスティーネは素直にそう感じる。先ほど自分が掴み取り、投げ飛ばした拳打とは初速から振り抜きのノビまで、何もかもが桁違いだった。
「身を守る鎧はなくなったが良い心地だ。心も筋肉も羽のように軽い。ジャンプすれば宇宙まで飛んで行けそうだよ」
遠坂冥馬の纏っていた鎧――――魔術礼装であるスーツはざっと成人男性二人並みの重量があった。言うなれば冥馬は、成人男性をおぶりながら、銃弾と同等以上の速度のガンドを回避してきたようなもの。
であればその重荷を捨て去り、身軽になった時の『遠坂冥馬』は如何程のものか。
「くすくす。大層なスーツですけど、重荷がなくなっただけで倒せるほどエーデルフェルトは軟弱ではありませんわよ」
「そっちこそ結構なドレスを着て、戦いについてこれるのか? 魔術師同士の戦いだ。俺は肉弾戦中心でいくが、そっちまで俺に合わせて遠慮することはない。好きに魔術でもなんでも使えばいい」
ルネスティーネが魔術中心で来ようと、冥馬には己の肉体であれば対処する自信があった。だからこそ悪戯げに笑いながらルネスティーネを挑発する。
「ノープロブレム、心配無用ですわ」
冥馬の挑発をそよ風のように受け流し、ルネスティーネは形の良い自分の唇に指を這わせ微笑を浮かべる。
「ドレスが動くのに邪魔になるなら、こうすればいいだけですわ!」
冥馬がスーツをそうしたように、ドレスの袖を破きノースリーブにする。
これで衣服の上でのハンデは消えた。ルネスティーネ・エーデルフェルトの正真正銘の戦闘モードである。
「勿体ないな。そのドレス、幾らした? 金持ちとはいえ、無駄に浪費するのは関心しないな」
「田舎者にしては結構な忠告痛み入りますわ。今度からは袖が着脱できるドレスを仕立てさせましょう」
ルネスティーネの頭の中には最初からドレスをノースリーブにするという選択肢は存在しないらしい。
だがルネスティーネとほぼ同じような思考回路の冥馬にも、その選択肢は元よりありはせず、それを指摘することはなかった。代わりに冥馬が注目したのはルネスティーネの白い腕だ。
「ほう。言うだけあって中々のものを持っている」
女の細腕と侮るなかれ。ルネスティーネもまた魔術同様、格闘技の研鑽を片時も欠かさずに励んできた武闘派。妹という最大の競争相手が身近にいたこともあって、その熟練度は年不相応の頂きにある。
その強さは重荷を背負っていたとはいえ冥馬の拳打を掴み、投げ飛ばしたことからも証明済みだ。
一流は一流を見抜く。格闘者として一流にあるルネスティーネが遠坂冥馬の実力を見抜いたように、冥馬もまたルネスティーネの実力を見抜いた。
「だが璃正風に言えば、どちらの功夫が上だったかは仕合わなければ分からないもの。決着をつけようか」
「貴方は打撃、私は投げ技……異種格闘技戦はこちらこそ望む所です」
遠坂冥馬、ルネスティーネ。二人が二人とも同時に魔術回路に魔力を流し込む。
魔術回路が魔力で満ち、全身の筋肉繊維の繊維にまで魔力を行き渡った。魔術における初歩の初歩。基本故に極めるのは難しいとされる〝強化〟の魔術である。
前傾姿勢のまま両者は睨みあい、戦いのゴングを待った。規則正しい息遣い、二人の視線が交錯する。
――――ふと、二人の間に切り裂くような風が吹きすさぶ。
それが合図となった。
風が通過した後、二つの影は同時に大地を蹴った。
初速で上回ったのはルネスティーネ。豹のようにしなやかな動きで滑るように遠坂冥馬という好敵手を打破するために迫る。
ルネスティーネが豹ならば、果たして遠坂冥馬はなんだったのか。
「ふーーーー」
戦闘中でありながら、さも自室で思案に更けるが如き落着きをもって空気を五臓六腑に取り入れる。
ありったけの空気を冥馬が吸い終えると遠坂冥馬は悪魔の御業でも使ったか、その場から消失した。
「ッ! 消えた……? 違う、後ろにっ!」
気付いた時には冥馬の姿はルネスティーネの背後にあった。
悪魔の御業に例えたが冥馬の使ったものは別に魔術や方術といった〝異能〟によるものではない。冥馬の使ったのは五体満足な人間であれば誰でも到達できる技術だ。スロースピードから一気にトップスピードへ加速することで、相手の認識速度を遅らせ、本来以上の速度に見せるテクニック。
だがスローとトップの幅が余りにも大きく、更にトップスピードが埒外であれば、サーヴァントほどの規格外でもなければ瞬間移動に見えても不思議ではないだろう。
並みの達人でも完全に敵を見失う技術を前にして、即座に背後に敵がいると察知したルネスティーネもまた一流の格闘者だった。けれど、
「は、――――!」
初撃を回避することはできなかった。
背後からの手刀による打撃を喰らったルネスティーネは、しかし倒れることはなく後方へ飛ぶ。まともな魔術師なら確実に意識を奪われていた一撃で、尚も意識を繋ぎ止められたのはルネスティーネのたゆまぬ鍛錬の成果であろう。
だが敵の後退を冥馬が許す道理もありはしない。
冥馬は知っているのだ。スローからトップへの速度変更による奇襲など、所詮は一発限りの手品のようなもの。盆暗相手ならまだしも、ルネスティーネ・エーデルフェルトに対して同じトリックの手品を二度使うことは命取りでしかないと。
故に初撃を与えて怯んだところを果敢に攻め立てる。
「この、私をここまで……!?」
身体能力を縛る鎖でもあったスーツを脱ぎ捨てた遠坂冥馬は、ルネスティーネの予測すら超えてべらぼうに強かった。
ルネスティーネの繰り出すあらゆる技に対して、冥馬は時に教科書の手本のように規則的に、時に奇術師のように変則的に対処していき有効打を悉く防ぎきる。対して冥馬の繰り出す拳や蹴りは徐々にルネスティーネを追い詰めていっていた。
もはや人一番プライドの高いルネスティーネでも認めるしかなかった。こと肉弾戦闘において遠坂冥馬はルネスティーネ・エーデルフェルトを上回っていることを。
「……――――!」
自分より格上の相手を前にして、ルネスティーネは屈しない。一人の格闘者として手袋を投げつけた以上、ルネスティーネがリングですべきことは唯一つだ。
即ち〝ベストを尽くす〟。リングに立った闘士には勝敗など関係なしに、自らの限界へ挑み壁を打ち破る義務と責任が課せられる。逆に言えばベストを尽くさない戦いなど、もはや戦う前から敗北しているに等しい。
二人の戦いは何時の間にか大地より、屋敷の壁へ、屋根の上へと移っていた。月明かりをバックライトに、二人の闘士は共に己が全てを賭して、もう片方を抹消してやるとばかりに激しく喰らいあった。
ふと猛攻に耐えきれなくなったルネスティーネが僅かな隙を晒す。冥馬の闘士としての本能はそれを見逃すことなく、勝機めがけて拳を突き出した。
「はァァァァッ!」
「ぐっ、あっ……っ!」
まるで容赦のない岩盤をも砕く一撃がルネスティーネに直撃する。これで勝負ありか、冥馬の脳裏に過ぎりかかったその考えは、苦悶に端正な表情を歪めながら、肉食獣の笑みを浮かべたルネスティーネにより吹き飛んだ。
がしっと逃がすものかと冥馬の腕が掴まれる。
「遂に、捕まえましたわよ……!」
隙を見せたのは意図的なものだった。わざと隙を見せて敢えてそこに打ち込む。無論、冥馬の拳打を受けてはただではすまない。しかしルネスティーネも優れた魔術師。打ち込まれる場所が分かっているのならば、予めその箇所に魔力を重点的に込めておけば一撃を受けても死にはしない。
その作戦は成功した。ルネスティーネは苦痛を代償に、漸く冥馬の腕を掴んだのだ。一度組み伏せてしまえば後は関節技の領分。今度はルネスティーネが勝利を予感し、
「こぉおおおおおおおおおおお! 覇ァァァアアアアアアッ!!」
先の冥馬がそうだったように、あっさりとその予感を殺された。
普通ならば逃れられぬよう組み伏せたはずだった。だがあろうことか冥馬は関節を敢えて自ら外すことで、決して逃れられぬ関節技の牢獄から脱獄してみせた。
そも遠坂家はアインツベルンと出会い聖杯を知るまでは、武術によって『根源』へと触れようとしていた一族。だから遠坂家初代当主は優れた魔術師ではなかったが、武術の奥義を極めた武術家だった。その血は遠坂冥馬の中にもしっかりと流れている。
確実に決まったと思った作戦を外したことで呆けたルネスティーネに、冥馬は無慈悲な蹴りをおみまいする。
「がぁ、このっ!」
蹴られた衝撃でルネスティーネは宙を舞い、最高高度に達した時、逆に重力に引っ張られて地面へ落下していく。
冥馬は屋根から跳躍し、落下中のルネスティーネに追撃をかける。
「させ、ませんわ!」
体術では決して回避不可能・防御不可能の追撃。しかし忘れてはならない。ルネスティーネは魔術師だ。宝石を用い魔術の防壁を作り出すことで、冥馬の渾身の蹴りを受け止めた。
蹴りの威力を殺し切れず障壁に皹が入る。このまま障壁諸共蹴り破らんと冥馬は更に力を込めるが、その前に重力がルネスティーネに味方をし、空中の二人を地面に戻した。
ほぼ同時に地に足をつけた両者の行動は正反対だった。冥馬はルネスティーネを逃すまいと近付こうとし、ルネスティーネは逆に距離をとる。闘士としてルネスティーネに勝る冥馬だったが、手持ちの宝石においてはルネスティーネが勝っていた。
宝石魔術で生み出した防壁を追加の宝石で修復と強化を同時に行い、それを殿かわりにどうにか距離をとることに成功する。
「本当に認めたくはありませんが……認めて、さしあげますわ」
肩で息をしながら息も絶え絶えといった様子でルネスティーネが口を開いた。
「なにを?」
「こと肉弾戦というジャンルで、貴方はこの私より高みにある。貴方の……ご友人風にいうなら筋肉がどうのこうのですわね」
筋肉ではなく功夫だ、と思ったが冥馬は指摘しなかった。
「だから悔しいですけれど、肉弾戦での勝ちは貴方に譲ってさしあげます」
「…………」
「けど忘れて貰っては困ります。私達は魔術師にして聖杯戦争のマスター。今からは私も魔術師に徹して相手してさしあげますわ」
冥馬はほぉ、と息をもらす。
ルネスティーネのそれはただの負け惜しみではない。宝石の量や魔術師としての才能ならばルネスティーネは冥馬に勝っている。肉弾戦において自分以上に優れる冥馬と肉弾戦で戦うより、敢えて肉弾戦を捨てて魔術戦に徹するというのは戦術的にも悪くない。
だが、と冥馬は頭を掻きながら、どことなく気まずそうに笑う。
「なにが可笑しいんですの?」
「いいや、なに。魔術に徹する、結構なことだよ。実に結構」
遠坂家当主としての猫を被りなおしながら冥馬が言う。
「ただなにかと運がなかった。それに尽きる。私もついさっきまで戦いに熱中してうっかり忘れていたのだが、魔術に徹するという言葉で思い出したよ」
「思い出した?」
「これを、だよ」
最後は少しだけ素の自分を覗かせて悪戯っぽく笑う。
「ふぎゃぁぁああああああ!」
瞬間、ルネスティーネの足元が爆発する。
種も仕掛けもない大魔術――――では勿論ない。ルネスティーネが立っていた場所、そこは冥馬が魔術の実験のため気紛れ九割で埋め込んだトラップが埋まっていた場所なのだ。
数年前仕掛けたっきり放置していたため作動しない可能性もあったが、結果からして杞憂だったらしい。
トラップとしての性能ははっきりいって三流もいいところ。隠密性のみ気を使った挙句に、仕掛けた本人――――つまり冥馬が罠の近くにいなければ作動しないという、防犯としての能力には疑問しかない欠陥品だ。威力も精々人一人を気絶させる程度で、殺せるほどの威力はない。
そんなトラップだが、なんの因果か凄まじく役立ってしまった。
「人生、なにが役立つか分からないものだな」
トラップによる爆発で完全にノックダウンして倒れているルネスティーネを見下ろしながら、冥馬は苦笑九割勝利の嬉しさ一割で呟く。
戦いの終わりを告げるように今年一番の寒風が吹く。
「ぶあっくしょん! う゛ー、寒い」
二月の寒空で上半身裸でいた冥馬は、大きなくしゃみをした。
ほぼ同時刻、屋敷の裏側で一人のサーヴァントが消滅する。
ここに一つの戦いが終わった。