間桐の家に一羽の鳩が舞い降りた。鳩は窓の近くに降り立つと、その嘴でノックするようコンコンとつつく。
窓が割れぬように強すぎず、かといって音が屋敷の中に伝わる程度の絶妙な力加減。暫くすると人ならざる来訪者を聞きつけた間桐のマスター、狩麻が窓に近付く。
「へぇ。良い趣味してるわねぇ……ダーニックって男も。蜥蜴みたいな感じがするから好きなタイプじゃないけど」
鳩はつぶらな瞳で窓の奥にいる狩麻を見つめながらポッポッと鳴いている。もしも鳥に人語を喋る能力があれば「窓を開けて欲しい」という言葉が聞けたことだろう。
狩麻はダーニックのセンスに少し暗い笑みを浮かべつつ、鳩の首元に視線をやる。
「ご主人様に良い首輪をつけて貰ったわね。あなたが誰のペットか一目瞭然よ」
鳩には黒い逆鉤十字の首輪。この時代、しかもこの戦いでハーケンクロイツとくれば思い当たる人物は一人しかいない。ナチスドイツのバックアップを受けて参加してきた八枚舌の渾名をとる魔術師、ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア。そして鳩の足には手紙が括りつけられていた。
狩麻が鳩の足から手紙をとると、役目を終えた鳩はバサバサと羽音をたてて飛び去って行った。
あの鳩からは魔術の痕跡らしきものをまるで感じなかった。どうやらあの鳩は魔術師に使役された〝使い魔〟ではなく純粋な伝書鳩らしい。使い魔を使えば楽だろうに、魔力探知を逃れるために伝書鳩を利用したのだろう。
久しぶりに見た伝書鳩を見送りつつ、手紙を開く。差出人はやはりというべきかダーニックだった。
「ふーん。冥馬がねぇ……そろそろ私も、動こうかしら。ここでじっとしていて、冥馬が他の誰かに殺されちゃったらそれはそれで味気なさすぎるし」
テーブルに置いてあったダーツの矢をとると、それを写真立てに向かって投げる。ダーツの先端は正確に遠坂冥馬の顔を貫いていた。
薄明りに照らされ、不気味な雰囲気漂う部屋の中、狩麻は妖しく、艶やかに……それと、どことなく危うく口端を釣り上げる。
魔女、その二文字を連想せざるを得ない佇まい。屋敷内に潜ませてある、狩麻の下僕たる蟲がかさかさと蠢き、
「あーはははははははははははっ! 麗しのバンビーナ! ミスタ・ダーニックからラブを綴ったレターが届いたのかい!!
物調面と薄笑いが板についた彼がどんな愛の言葉を囁くのか、愛と情熱の騎士――――このプリンスの目で見定めてあげようじゃないか! さぁ僕にも見せておくれよ!」
薄暗い雰囲気は頭が薔薇園と化しているアッパッパーなサーヴァントのせいで一瞬で台無しになった。
「はぁ」
狩麻は疲れ切って溜息をつく。
アーチャーが優れた戦術眼をもった英雄らしい顔を垣間見せたことで少しは見直したのだが、普段のアーチャーは相変わらずこんな調子だった。
なにが面白いのか。そもそもどこから調達したのか知らないが、レコードでセルフBGMを奏でながら、タップダンスを踊りつつアーチャーが近付いてくる。
アーチャーが自分のサーヴァントでなければ、狩麻は即座にこの馬鹿男を蟲の餌にしたことだろう。
「つい昨日、静かに行動しろと命令したのをもう忘れたわけ? 蟲に齧らせるわよ」
「おやおや心外だね。僕はマドモアゼル・カルマという冬木の地に咲いた一輪の花に蜜蜂の如く吸い寄せられ、忠義を誓った美しきナイト!
その僕がマスターの命令を忘れるわけないじゃないか! マスターの下したオーダーはしっかりと僕のハートに永遠に残ってるし残り続けるよ! はーははははははははははははっ!!」
「別に永久に残さなくていいわよ。どうせマスターとサーヴァントなんて聖杯戦争が終わるまでの間柄なんだし。そもそもサーヴァントが消えたら、仮にまた聖杯戦争でサーヴァントとして召喚されても記憶は引き継がれないでしょう。
だけど覚えているなら、今日のこれはどういうことよ。私は静かに行動しろ、と言ったのに全然静かにしてないじゃない。まさかあれ? 命令は聞いたけど、行動はしませんとかいうつもりぃ? だとしたら蟲の餌にしてやるわよ」
「え?」
アーチャーはキョトンとすると難しい顔をして腕を組んでしまった。
「マスターの命令があったから、天井裏からスモークをたきつつ金色の舞台衣装で踊りながら登場しようとしたのを断念して、こうやって音楽に合わせてタップダンスするだけ、なんて地味な登場を演出したのに!!」
「何をする気だったのよアンタ!」
「……嗚呼、麗しのマイ・マスターはこれでもまだお気に召さなかったなんて。分かったよ、次からは音楽はレコードじゃなくて僕のギターですればいいんだね」
「しなくていいわよ。普通に登場すればいいの、普通に!」
「ギターじゃなくて歌声がお好みかい?」
「余計に嫌よ、あんな音程外れまくった音痴な歌。酔っ払いオヤジの歌声の方がまだ味があるわよ。歌も踊りも禁止、普通にノックしてから普通に入ってきて普通に話しかければそれでいいの。分かった? お馬鹿さん」
「勿論さ!」
「………………………」
笑顔で親指たてられても、これまでの行動が行動だけに不安しかない。
「試に聞くけど、次はどういう風に登場するつもりだったわけ?」
「歌も踊りもギターも駄目。ならば……ここは一つ童心に帰ってハーモニカを吹きながら――――」
「全然普通じゃないじゃない。なによハーモニカって! 馬鹿じゃないの? ああいえ、馬鹿なのね。アーチャーじゃなくて馬鹿のサーヴァントなのね貴方は」
「褒め言葉として受け取っておくよハニー」
「侮辱と受け取りなさいよ馬鹿!」
「はーははははははははははははははははっ! そうさ、君という可憐なる花を前にしては、心ある男子ならば思考を溶かされ馬鹿となってしまうのも道理。うーん、その美しさに乾杯」
「はぐらかさないで!」
肩で息を吐く。アーチャーを召喚して以来、何度目かになるか分からない激しいやり取り。
聖杯戦争が始まってから未だに本格的な戦いをしていないというのに、戦いをやる以上に疲れた気がした。
サーヴァントの召喚というのはこれだから不便だ。例え目当ての英雄に縁ある触媒を用意して、その英雄を召喚しようと、その英雄が想像通りの人物とは限らない。
英雄の人格が記されているのは歴史書、或いは神話の中であるが、歴史の中のその英雄像が真実であるとは限らない。歴史書に記された事実が後になって誤りだったと判明することなんてよくあることだし、歴史上で高潔な人間と評された人物が本当に高潔なのかは、実のところ、その人物と実際に会って話した人間にしか分からないのだ。
アーチャーが優れた英雄なのは間違い。それは彼が歴史に刻んだ偉業が証明している。だがもしこんな性格なのだと事前に知っていれば、狩麻は絶対にアーチャーを召喚しようとはしなかっただろう。
「ところで話を戻すけど、ムッシュ・ダーニックはなんて言ってきたんだい? 舞踏会のお誘いかな、お茶会のお知らせかな、それとも……婚約指輪が入っていたりとか」
「軽い挨拶よ。今現在、自分はこれこれこういうことをしていて、こういう場所にいますっていう挨拶みたいなものが耳触りの良いお世辞と一緒につらつらと」
相手していても不毛なので、婚約指輪の下りは無視して答える。
「馬鹿みたいねぇ。こんな下らない褒め言葉で私が喜ぶとでも思ってるの? 本気で思ってるんなら、頭の中に蟲でも突っ込んで御目出度いことを考える脳味噌を虫食いだらけにしてあげるわ」
「場所? 彼は君に自分のいる場所を教えてきたのかい
「……流石に目の付け所はしっかりしているわねぇ。他でもないこの私のサーヴァントなんだもの。普段がアレなんだから、これくらいは当然だけど。
そうよアーチャー。あいつはこの私に、ご丁寧に自分の場所を教えて来たわぁ。ナチスの連中と一緒に柳洞寺にいるんですって」
「柳洞寺、確かそこはこの冬木一番の霊地。それに周りには霊的なものを排除する結界か。悪くない場所に陣取るね」
アーチャーの言う通り誰が張ったのかは知らないが、柳洞寺には霊体に強い効力を発揮する結界がある。この結界はサーヴァントにも例外なく作用し、正しい入口――――即ち山門以外の場所から柳洞寺に侵入すれば、能力の低下というハンデを背負うことになる。
だがそれは侵入しようとすればの話。一度入ってしまえば柳洞寺は城塞とするには理想的環境だ。なにせ侵入経路を山門に絞り込めるし、最高の霊地であるあそこは魔術師が力を振るうには最高の環境だ。
「確か冥馬の父、あの堅物の静重はナチスに殺されたっていうし、これは利用できるわねぇ」
狩麻はダーニックと同盟しているわけではない。この手紙もダーニックが勝手に寄越したものだ。ただ同盟はしないがダーニックに利用価値があるのなら、利用してやるのも吝かではない。
「遠坂冥馬は自分の手で倒したいんじゃなかったのかい?」
「くすくす、アーチャー。あなたも甘いわねぇ。私は冥馬と正々堂々と魔術師として雌雄を決したいんじゃないの。そもそも魔術師なんて正々堂々とは対極にあるような人種よ。魔術師同士の殺し合いっていうのはねぇ。命も、研究成果も、プライドも敵の一切合財を懸けた存在の喰らい合い。そのためならば、魔術師はありとあらゆる手段を使うわ」
「…………」
「だけどそれだけじゃ足りないわ。私より高い所で見下ろしている冥馬を、この私の全てをもって屈服させて跪かせないとならないのよ。魔術戦・サーヴァント戦・謀略戦・情報戦。全てのジャンルの戦いで私は勝つ。跪かせた後はどういうことをしてやろうかしら。足を舐めさせてやるのもいいし、ベッドに裸で拘束して見下ろしてやるのもいいかもしれないわね」
「戦略的勝利だけじゃなく、全ての戦術的勝利が欲しいなんて、これは凄いレディに召喚されたようだね、僕も。どこまでも高い壁を望む君だからこそ、僕のマスターに相応しいといえる。
ただそれなら僕もマスターに忠実なる愛の下僕として忠言させて貰うよ。ナチス、ダーニック。彼等と組むのは止めた方がいい。それよりも遠坂冥馬と組んで、ナチスを排除するべきだよ」
「冥馬と組む? はぁ~~? 馬鹿じゃないの! なんで私が冥馬と組まなきゃならないのよ!」
「少なくともムッシュ・ユグドミレニアよりムッシュ遠坂の方が信用できそうだからね。他意はないよ。それに永久的に同盟関係を維持するわけじゃない。ただナチスとダーニックを冬木の舞台から退場願うまでの共闘さ。
運命により引き裂かれ、殺し殺される関係となった旧き友情。ナチスを前に今再びその手を繋ぐ……ああっ! 美しいよ、マスター! 全米が泣いたッ!! うん、これでいこうじゃないか!」
舞台俳優のように大仰な動作で、アーチャーが進言らしきものをする。目からは滂沱の涙。
正直まともに進言するのかふざけるのかどちらかにして欲しかった。不真面目に真面目な提案をするものだから、果たしてどう対応して良いのか迷う。
狩麻は頭を抱えながら口を開く。
「却下に決まってるでしょう。利用するなら兎も角、冥馬と協力するなんて論外よ。同盟なんかしたら私一人で聖杯戦争を制したことにならないじゃない。冥馬と手を組んだりなんかしたら私の勝利に冥馬と組んだから勝てた、なんてつまらない汚れがつくでしょう」
「変な所で純潔なんだね、マスター」
アーチャーは暫し考え込んでいたが、やがて明るい顔で言い放つ。
「その健気なる思い、このプリンス・オブ・アーチャー。確かに受け取ったよ! しからばムッシュ遠坂を倒すため、僕なりに力を振るうとするよ!
優雅かつ華麗にムッシュ・ダーニックを利用ミッション開始だね! で、どうするんだいマスター?」
「作戦はあるのよ」
そう言って狩麻は使い魔であるフクロウを呼び寄せた。
ナチスに倣うわけではないが、狩麻は一筆したためるとフクロウの足に手紙を括りつける。
「行きなさい」
フクロウはホーと鳴くと、遠坂の屋敷へと飛んでいった。
後書き
Fate/Apocrypha三巻を見てきました。
第三次について新しいことがちょろっと語られたりしましたが、どうやら今のところ致命的な矛盾は発生していないのでなによりでした。
ちなみにこの作品は公式で第三次聖杯戦争を描く作品が出ると同時に存在意義を失うので消滅します。
ついでにタイトルを変更……というより少し付け足しました。