山門へと続く石段から、ある程度の距離をとった場所に冥馬はいた。
冬木最大の霊脈の上にある柳洞寺は寺院としての静謐さと、殺し合いの中心地点としての薄気味悪さがアンバランスに混ざり合いなんともいえぬ雰囲気を醸し出している。
不気味なまでの静けさだった。一見すると柳洞寺は以前キャスターと訪れた時となにも変わっていないように見える。だが封印指定の魔術師の工房に攻め入ったこともある冥馬は、柳洞寺を包み込む邪気を嗅ぎ取っていた。
それもこれもナチスがここにいるという証左だろう。髑髏の軍団の居城とされた柳洞寺が、冥馬には悪魔の城塞に見えた。これで悪魔の一体でもふわふわ浮かんでいれば、ホラー映画の世界に迷い込んだと錯覚してしまうかもしれない。
「……………………」
不気味さを感じとってか、霊体化して着いてきていたキャスターが実体化した。実体化したキャスターは周囲に気を配りつつ、冥馬を守るように一歩前へ歩み出る。
凍てつくほど冷たい風が肌に染み込む。ザァザァと木々が揺れた。
「――――お前の友人、間桐狩麻とやらの合図はまだだな」
キャスターが目を細めつつ、冥馬に言った。
狩麻から送られてきた手紙には、自分のサーヴァントであるアーチャーが派手な攻撃を先ず仕掛けるから、その後ナチスが混乱した所を一気に攻め込んで欲しいと書かれていた。
言うなれば狩麻とアーチャーが敵を大混乱させる爆弾、冥馬とキャスターが狼狽えた指揮官の頭を貫く弾丸というわけだ。
そのため冥馬はこうしてナチスの居城の前に来ていながら、こうして石段から離れた位置で狩麻のあげる合図(花火)を待っているのである。
「臆病風に吹かれて逃げ出したか、もしくは連中にやられて花火を打ち上げることも出来ずに死んだか。それともまだ決行してないだけか。人を扱き下ろすのが俺の特技だが、良く知りもしない相手をどうこう言うことはできないな。無知によるパッシングは美しくない。
そこで間桐狩麻という魔術師を知っている人間に訊くが、マスターはどう見る?」
「少なくとも狩麻はナチス相手に縮こまって作戦決行を放棄するような女じゃない。これだけは確信をもって断言できる。私と違って別に封印指定まがいのことはしてはいなかったが、ナチス相手に簡単に敗れるほど弱くもない。
だからきっとまだ決行していないだけだろう。プライドの高い狩麻のことだからきっと盛大に――――」
冥馬が言い終わる前に、耳を塞ぎたくなるほどの轟音が響き渡る。音だけではない。山門の上、柳洞寺からあがるのは黒い煙と火の手だ。
耳を澄ませば山門の向こう側から兵士達がドイツ語で慌てふためく声まで聞こえてきそうだった。
タイミングからいってこれが狩麻の合図に間違いはない。
「噂をすればなんとやらじゃないか。行くぞ、キャスター」
「オーケイだ。……花火の打ち上げが成功したといっても、ランサーはそうそう死んではいないだろう。油断するなよ、追い詰められた鼠は猫すら殺すものだ。しかもそれが軍団となると下手すると獅子すら殺す」
「承知しているさ」
息を潜めるのはこれまで。
狩麻の合図を聞いた冥馬とキャスターは真っ直ぐに石段を駆け抜けて一直線に柳洞寺へと突入する。石段を一段一段駆け上がる毎に騒音が近付いてきた。どうやら狩麻たちは境内でかなりの大立ち回りを繰り広げているらしい。
山門の前。騒音が間近に感じられる。そして、
「キャスター! 兵士には構うな。狙うのはマスターとサーヴァントだけ……………なんだ、これは」
言葉を失う。山門から境内に突入する直前まではあれだけ騒がしく響いていた戦いの音色。それが境内に足を踏み入れた途端、オーケストラの演奏者たちが一斉に演奏を止めてしまったかのように静まり返った。
静寂。柳洞寺には戦火どころか、明かりすらない。雲から顔を覗かせ降り注ぐ月明かりだけが唯一の光源だった。
良く見ると柳洞寺の奥からは黒い煙があがっていた。
鼻に漂ってくる火薬の臭い。柳洞寺で火薬が炸裂したのは間違いない。だというのに『合図』を打ち上げた狩麻も、それによって倒された兵士達もここには影も形もなかった。
雷光の如き速度で冥馬は認識する。
キャスターが舌打ちした。それと同時に冥馬が踵を返し叫ぶ。
「逃げるぞ! これは罠だ!!」
急いで山門に戻ろうとするが――――その行動は致命的なまでに遅かった。山門の出口に無数の剣が突き刺さり、冥馬たちの行く手を塞ぐ。
パンと音が鳴ると、柳洞寺から眩いばかりの人工の光が降り注ぎ、境内の明るさを昼夜逆転させる。
本堂の前、酷薄な笑みを浮かべながら一人の魔術師が立っていた。白を基調とした服に身を包みステッキをもった貴族風の男。
その顔に冥馬は見覚えがあった。
「驚いた。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニア……〝八枚舌〟と呼ばれた男が、ナチスのマスターだったとはね」
ダーニックの手で鈍い輝きを灯す赤い聖痕を見据えながら言う。
自身の名前を看破されながらもダーニックは余裕げな態度を崩さない。或いはそれは遠坂冥馬という獲物を罠に嵌めたことによる慢心か。それとも勝利の確信か。
「ふふふふ。私のような時計塔の末席に座る者の名を、彼の宝石翁の末裔に覚えて頂けているとは光栄の至りです」
「心の籠っていない世辞など聞かされても嬉しくはない。それが自分の父親を殺した男のマスターとなれば猶更だ。しかしいつ詐欺師からナチの親衛隊に鞍替えした? それともお得意の舌先三寸でベルリンの伍長か金髪の野獣様でもたぶらかしたのか?」
「たぶらかすなど……。私はただ紳士的に誠意を込めてお願いして協力を仰いだだけですよ、ミスタ・トオサカ。恥ずかしながら貴方のような……あー、デア・フェリュックター(イカレ野郎)と戦って勝つために確実な方法を追及した結果です。私は貴方ほど好き好んで戦いに赴くような奇特な魔術師ではありません故、戦いは不慣れなものでして」
「人をバトルジャンキーのように言わないで貰いたいな。封印指定狩りの真似事は研究の費用稼ぎだよ。纏まった額を稼ぐのに危険手当が一番手っ取り早いから、それをしているに過ぎない。くたびれたパブでウェイターして同じ額が貰えるならそっちをやるさ」
「おや。時計塔の仕事でもないのにコーサ・ノストラを一つ壊滅させたのは何処の誰だったか」
「さて、私がやったのは酒場で絡んできた連中を追い払っただけだよ。その後にその連中が属していたファミリーが地上から姿を消したのは、きっとどこぞの敵対ファミリーに奇襲でもされたんだろう。それとも私が関与したという証拠でもあるのかな?」
軽く牽制し合う。
わざとらしく謙遜していたが、ダーニックは優れた才能と実力をもった魔術師だ。あの噂さえなければ、今頃は貴族の令嬢と結婚してロードに名を連ねていたかもしれない。
おまけにどんな手品を使ったのか、ナチスなんて危ない連中を極東の街まで牽引してくるような男だ。言葉とは裏腹にかなり荒事慣れしていると考えて良いだろう。
「……で、勝つために呼んだナチの兵隊の姿が見えないが」
「必要とあらば彼等には協力して貰いますとも。必要があれば、ですが」
「分かり易い挑発だ」
姿こそ見せていないが……いる。境内や木々の影に息を潜めた戦争犬の気配が何匹も。
彼等を使わないのはダーニックの余裕か、もしくは何か良からぬことを考えているのか。相手は八枚舌と呼ばれた詐欺師だ。考え過ぎるということはない。
冥馬は自分がダーニックと戦って負けるとは思わないが、謀略に関しては相手の方が一枚上手だ。
キャスターが冥馬を守るように一歩前へ進み出る。
「〝私は狩麻のことは昔から良く知っている。あれも聖杯戦争に参加するマスターなら大局を見誤ることはないさ〟だったか。大した観察眼だな、冥馬」
「むぐっ!」
キャスターが咎めるような目を向けてくる。
反論したかったが、今度ばかりは自分の完全あるミスなので口をつぐむしかなかった。
「ふんっ。どうやらお前の長年の友人らしい女は、お前を殺す方が大局的見地に沿うと判断したらしい。これはそういうことだろう」
「の、ようだ」
梟の寄越した手紙には間違いなく狩麻の魔力が感じられたし、筆跡も狩麻のものだった。
狩麻がナチスに捕まって協力を強要されているのでもなければ、アレは100%狩麻の寄越した手紙だったのである。そして狩麻はそう簡単に捕まるような女ではない。だとすれば答えは一つ。
間桐狩麻は遠坂冥馬を殺すためにナチスと組んで冥馬を嵌めた。
「弁解のしようがない。俺も狩麻がこんな馬鹿だとは思ってもいなかった。次から評価を下方修正しておくさ」
世界中から大々的に聖遺物を収集し、時計塔の制御すら全く寄せ付けずに現代において現実と神秘の境界線を薄めつつあるナチス。
それが冬木最大の霊地たる柳洞寺に陣取った。その意味を狩麻ならば予想できるだろうと確信していたが、残念ながらそれは過大評価だったらしい。
間桐狩麻は本気の本気で遠坂冥馬を敵に回すのがお望みのようだ。
「ふっ。間桐狩麻女史には感謝しなければならないな。遠坂冥馬、聖杯戦争における優勝候補の一角を潰す好機をこうして得られたのだから」
ダーニックが右手を軽くあげると、その隣から白い槍兵が姿を現す。
自然と冥馬の目が細まった。ランサーのサーヴァント、冥馬にとっては父・静重を殺した直接的な仇だ。
ランサーは眼鏡のずれを直しつつ、キャスターの正面に立つ。手には以前に見た無骨な白い槍とは異なる黒い槍。
「仕事だ、ランサー。手を抜くなよ」
ダーニックがランサーに指示を伝える。ランサーは槍を肩で担ぐと、愉しげに笑った。
「心配無用。そちらがこちらの契約を遵守する限り、クライアントのオーダーには手を抜かずに応えるのが私の流儀だ。約束の報酬はしっかり用意してくれるのか、私の関心はそれだよ。で、そちらはどうなんだ?」
「しっかりと通常報酬と成功報酬を別々で用意している。用意したハイトマン大尉に後で礼を言いたまえ」
「結構。下がっていろダーニック、戦いの余波で支払い前に雇い主が死ぬのは私も困る」
ランサーの進言通りダーニックはランサーから離れ、後退していく。
どうやらダーニックはルネスティーネのように魔術師として敵マスターに魔術戦は挑まず、マスターとしてサーヴァントの援護に徹する構えだ。冥馬には逆にキャスターにランサーを抑えて貰い、ダーニックを襲うという手もあるが。
(無理にダーニックを攻撃すれば、潜んでいるナチスの兵隊がどう動くか不安だ)
ランサーの槍を避けつつ、ナチスを無視してダーニックを襲うのはリスクがあり過ぎる。ただでさえ罠にかけられた現状、不用意な行動をするべきではない。もどかしいがここは安全策をとるべきだろう。
「任せたぞキャスター、ブリテン王の剣の冴え……見せてくれ」
「ふん。マスターの失態を取り返すのもサーヴァントの務めか。嫌な役回りだな。だがOKだ。どのみちお前が終われば、俺も終わる。精々そこいらに潜んでいる鼠共に気を付けろ」
キャスターの手に出現するは黒銀の狂戦士をも下した黄金の刃。対するランサーの得物は黒い槍だ。
それが不可解だった。
英霊にとって自分の武器とは一心同体。共に伝説を築き上げた唯一無二のもののはずだ。ランサーのように戦いによって自分の武器を変えるなど、まともなサーヴァントならばやることではない。
考えられる可能性は三つ。ランサーが自前の槍を出し惜しんでいるか、以前に見せた白い無骨な槍はフェイクでこちらの黒い槍が本命か、もしくはランサーがまともな槍の英霊ではないかだ。
以前に見た白い槍は丈夫なだけで他に特徴のない武器だった。対するあの黒い槍は底知れない魔の気配を放っている。だとすれば二番目の可能性のように見えるが、
「……では、ゆくぞ。精々死ぬなよ」
あくまで冷静かつ事務的に言うと、ランサーが真っ直ぐに突っ込んでくる。
単調な動きだ。サーヴァントではない近接戦に心得のある冥馬でも見切れる動き。それをサーヴァントであるキャスターが見切れない筈がない。
眉間に皴をよせつまらなそうに刃を構えると、ランサーの槍と打ち合った。
「な――――っ! に、……?」
キャスターに突き刺さる槍の穂先。起こる筈であった剣戟の不在。キャスターは驚愕して自分の脇腹を穿ち貫いている黒槍に視線を落とす。
キャスターも冥馬も一体全体なにが起きたのかが全く理解できなかった。ただキャスターとランサーの武器同士が衝突したと思ったら、次の瞬間には黒い槍がキャスターを貫いていたのだ。
「先ずは一つ……円卓の騎士が身を任せた鎧も無意味。うん、上々な結果だ」
「チッ」
舌打ちしたキャスターは、槍の柄を握り力づくで引き抜くと後ろへ飛んだ。ランサーは深追いせず、自分の槍の調子を確かめるようにぶんぶんと振り回し、再び槍の尖端をキャスターへ向ける。
キャスターの受けたダメージはみるみるうちに消滅していった。キャスターの背中にある擬似魔術回路が負傷を察知してオートで治癒を発動させたのだ。
だが傷が消えても傷を受けたという事実までもが消える訳ではない。キャスターは黒い槍への警戒心を二回り以上も増させた。
「気を付けろ。さっきの不可解な現象。あの槍がランサーの宝具みたいだ」
「らしい、な」
冥馬とキャスターの会話を聞いたランサーが肩を竦める。
「この槍が私の宝具? 間違ってはいないが完全に正解でもないな。真実はもっと根源的な所にある」
「……どういうことだ?」
「サーヴァントが己の宝具を敵に教えるわけないだろう。知りたければ自分で探るのだな。そら、まだまだいくぞ。もっと試したいこともあれば見たいものもある。頑張って乗りきれ」
繰り出される黒い槍。キャスターは全神経を集中させて槍の動き、ランサーの足運びから挙動の全てを凝視する。そして絶対に剣で防げるタイミングで選定の刃を一閃した。
瞬間。キャスターは身を翻し、槍を回避する。
「刃を通り抜けた!?」
「ま、お前も英霊。二度目となれば気づくか」
今度はキャスターもランサーの槍が引き起こした現象を見てとることが出来た。
あろうことかランサーの黒い槍とキャスターの剣が接触した途端、槍と剣が接触せずに素通りしたのである。まるで幽霊が壁を通り抜けるかのように。
「調子は万全。であれば次は命を獲らせて貰う」
自分の槍の調子を確認し終えたランサーが獰猛な攻勢に出た。
怒涛の連続突き。まるで散弾銃のような刺突を、キャスターは黄金の剣で払い弾くことができない。
決してキャスターの技量がランサーに劣っているわけではなかった。キャスターの技量が三騎士の及第点にぎりぎり届くレベルなのと同じように、ランサーもまた槍の英霊にしては技量はそこまで高くはない。
勿論高くないといってもサーヴァントという枠組みでの話。人間の達人が三人がかりで襲い掛かってもランサーに傷一つとしてつけることは叶わないだろう。だが英霊に至るほどの騎士とは達人という人間の常識の最高峰を踏み越え〝極限〟の頂きにいるものだ。そういった極限の技量というものがランサーにはないのである。
キャスターとランサーの技量はほぼ拮抗しているといっていい。
それでもキャスターが防戦すらできずに回避する一方なのは、一重にランサーの槍のせいだった。
白兵戦において武器をすり抜ける槍。地味な効果だが、それ故に脅威である。防御しようにも防御ができないのでは、キャスターは回避か、傷つく覚悟でのカウンターくらいしか出来ない。
(…………やはり駄目だ。何度打ち合おうとしても打ち合うことすらできない。あの黒い槍はキャスターのカリバーンを完全にすり抜けている)
戦いを見守っていた冥馬はこれまでの槍の反応から一つの仮説を導き出す。
「キャスター! ランサーの槍、あれは武器や鎧をすり抜ける宝具みたいだ」
「そんなことは分かっている! 貴様もマスターなら猿みたいに呆けていないで、奴の真名でも考えていろ」
「真名……」
そう、真名。伝説や歴史に刻まれた英雄豪傑は綺羅星の如くといえど、真に不死不滅の無敵の英雄などは存在しない。英雄であれば必ず死の原因や、或は弱点となる伝説がある。
「すまない、キャスター。さっぱり分からん」
だがどれだけ考えようと、ランサーの正体はさっぱりだった。キャスターは「役立たずめ!」と毒を飛ばすが、分からないものは分からないのだ。
武器をすり抜ける槍をもつ槍兵の英雄……宝具の効果は掴んでいるのに、該当する名前はゼロ。皆無だ。
「武器をすり抜ける槍か。良い着眼点だが67点しか与えられないな」
「……!」
ランサーがキャスターの心臓目掛けて槍を突き出した。回避は難しいと悟ったキャスターは剣ではなく自分の手の甲を当てて槍の軌道を逸らそうとする。
槍が攻撃を掻い潜る以上、キャスターの行為はただの悪あがきでしかない。しかし予想外なことに悪あがきが功を制してしまった。黒い槍は手の甲を剣のようにすり抜けることはなく、まるで普通の槍のように軌道を逸らされた。
「これは」
目を剥いたキャスターは地面を蹴って、距離をとった。
キャスターの手の甲には今もしっかりとランサーの槍のひんやりとした感触が残っている。そう……甲冑でしっかり覆われている手の甲で叩いたというのに、生の手に感触があったのだ。キャスターはハッとした顔でランサーを見た。
「とうとう貴様の槍のカラクリが分かったぞ。貴様の槍は武器や防具をすり抜けるんじゃない。お前の槍は生身の人間にしか触れられない槍なのか」
槍の能力を看破されたランサーはニヒルに笑う。
「ご名答。黎命槍ルードゥス。生ある者、魂ある者にしか触れられない槍。お前の手にある〝選定の剣〟は宝具としての神秘も武器としての性能もAランク以上の代物だ。だがどれほどランクが高かろうと生なき無機物であることに変わりはない」
「お喋りが過ぎるぞ、ランサー。自分の槍を自慢するのもそこまでにしておきたまえ」
ダーニックの叱責にランサーは苦笑する。
深く考えれば分かることだった。槍が本当になにもかもをすり抜けるのであれば、そもそもランサー自身が槍を持つことができないし、キャスターを貫くこともできない。
生ある者、生きている存在でしか触れられない槍。だからキャスターの剣も甲冑もあの槍の前では意味を為さない。あの槍を防げるものがあるとすれば命のある武器か、もしくは生身の肉体かだ。
カリバーンのような破格の破壊力があるわけではないが、こと白兵戦においては非常に恐ろしい武器であるといえる。なにせ騎士たちが頼りとする武器がランサーの槍には絵に描いた餅でしかないのだから。
気になることといえば『黎命槍ルードゥス』なる名前に全く聞き覚えがないことだが。
「だが槍が命ある者にしか触れられないなら、逆に俺の剣も防ぐことはできないというわけだな」
「さて。そう思うのなら試せばいい。私の槍がその程度の小細工で攻略できるような欠陥品ならそれで問題ないだろう」
「……………」
ランサーは自信満々に胸を張った。余程自分の槍に自信があるのだろう。その顔には僅かな曇りもなかった。
ただのブラフだと断じて切りかかるにはランサーの自信は危険過ぎる色をもっている。
「――――キャスター、切り札を使え」
「悪くないアイディアだ」
ランサーの能力と宝具の性能を総合して、冥馬は冷静に判断を下す。
このままランサーと白兵戦をしてもジリ貧だ。白兵を捨てて魔術戦を挑むにしても、相手は対魔術師に強い三騎士。キャスターの不利は否めない。
ならば切れるカードは一つ。生半可な防御では防げず、槍の力など無関係な対城宝具クラスの圧倒的エネルギーによる破壊でランサーを宝具諸共消し飛ばす。
選定の剣カリバーンが燦然と輝き、柳洞寺の境内を幻想的に照らす。
「……………カリバーン、か」
本来であれば是が非にでもキャスターの宝具発動を阻止するべく動かなければならないランサーはといえば、何をするでもなく憮然とキャスターの様子を伺っていた。
その挙動に不審を感じぬかと言えば嘘になる。しかしこの好機を逃すことはできなかった。
「勝利すべき――――」
黄金の剣を振りかぶる。契約のラインを通じて冥馬の体から魔力がキャスターへ、そしてキャスターの手にある聖剣へと吸い上げられていった。
ブリテンに集った腕に覚えのある騎士達の悉くが挑み、唯一人、アーサー王のみに自分の担い手となることを許した黄金の剣。古の伝説に刻まれた力が解放される。
「そうそうキャスター、お前が私の槍について知ったように、私もお前について気付いたぞ」
いよいよ宝具が解放されるという段階になってもランサーは回避の構え一つとらずに突っ立っている。
ただランサーの声を聞いたキャスターが一瞬表情を歪めた。キャスターは宝具の解放を急ぐが、ランサーが言葉を吐き出す方が早い。
「黄金の――――」
「お前はアーサー王じゃないだろう」
瞬間、燦然とした星の輝きは流れ星のような速さで一瞬のうちに消え去る。
後に残るのは無傷で立つランサーと、選定の剣を振り落しながらも真名解放が叶わなかった聖剣、苦渋に表情を歪めるキャスターと、呆然とする冥馬だけがあった。