ダーニックは自身のサーヴァントにこれほど苛立ちを覚えたことはなかった。
普段の横柄な態度はいい。ランサーもまた武将や騎士ではないとはいえ、その名を神域の技術によって人類史に刻んだ英霊。いと弱き人の身で精霊の粋にまで魂を昇華させた英霊に、ダーニックも一人の人間として一定の敬意を持っている。
令呪という三度の絶対命令権があるからこそとはいえ、ダーニックはランサーのサーヴァントらしからぬ行動を許すくらいの度量を持ち合わせていた。
だからランサーが娯楽のみならず、休暇を求めたり、市井で遊ぶことを要求しても、それが聖杯戦争の障害とならない限り認めてきたし、ランサーの欲する報酬もしっかり払い続けてきた。
しかし今回のことばかりはダーニックとしても度し難い。
キャスターのサーヴァントたるサー・ケイはそう強力な英霊ではない。ランクにしてCかBそこそこ、キャスターとしてもセイバーとしても及第点ぎりぎりの強さしかない相手だ。キャスター単体ならばナチスの軍事力とランサーとで問題なく対処できる。
だが問題なのはマスターである遠坂冥馬だ。
直接の面識こそないが、冥馬がダーニックを知っていたように、ダーニックも遠坂冥馬を良く知っている。
遠坂冥馬は魔術師としての才能に溢れているのみならず、判断力や決断力に優れ、屈指の戦闘力を備えた人物だ。
魔力供給ではアルラスフィールが、戦闘力では相馬戎次が頭一つ飛び抜けているが、総合力においては此度の戦いで遠坂冥馬は最高のマスターだろう。
単純に強いだけなら幾らでも対処のしようはある。ダーニック・プレストーン・ユグドミレニアはこれまでも自分より権力のある者や実力のある者を、その八枚舌で間接的に滅ぼしてきたのだから。今回も同じようにすればいいだけだ。だが遠坂冥馬を彼等と同じように滅ぼすのは難しい。
(遠坂冥馬は簡単には倒せない。……三年前、奴が時計塔で人脈を築き新派閥を作ることを警戒した老害の一人が、奴を貶めようと陰謀を企てたことがあった)
その陰謀には――――仕掛け人も遠坂冥馬も知らないことだが――――ダーニックも影で一枚噛んでいた。
(私からすれば簡単な政治闘争だったはずなのだがな。奴はあっさりと老害を返り討ちにして、逆に時計塔から追放してみせた。まぁ奴が派手に暴れてくれたお蔭で私もそれなりの利益は得られたから、私の負けというわけではないのだが……この私が政治闘争において、遠坂冥馬を消すことができなかったのは純然たる事実として受け入れなければなるまい。
そう、遠坂冥馬は強さ一辺倒の男ではないのだ。謀略を仕掛けたところでそう簡単に脱落してくれることはあるまい。あれは謀略を掻い潜るだけの強かさを持っている)
だからこそ、ここで倒しておきたかったのだ。
思えば帝都でナチス兵たちに監督役と遠坂親子を襲わせたのも、遠坂冥馬という魔術師を警戒したが故だったのかもしれない。
間桐狩麻を利用した罠など、もう二度とは通じないだろう。だから此度は正に千載一遇の好機だった。
「それを……ランサーめ」
この聖杯戦争のシステムを構築したのは間違いなく神域にある天才だろう。けれど神域の天才たちは致命的なミスを犯した。
戦いの道具であり聖杯の餌でしかないサーヴァントに人格なんて面倒なものを付与したこと。これ以上の失敗はあるまい。
ダーニックの苛立ちの原因たるランサーはといえば、今は霊体化して労働放棄を決め込んでいる。自分がまだダーニックにとって必要であることを理解した上で、令呪を使えば自害するなどと言うのだから性質が悪い。殺したいほど腹が立っても、今ここでランサーを失えばダーニックは終わりだ。
ともあれダーニックには一連の出来事をロディウスに報告する義務がある。
内心がどうあれダーニックにとってロディウス・ファーレンブルクは大切な協力者だ。ダーニックの計画のためにも今ここでロディウスの機嫌を損ねる訳にはいかない。彼の持つナチスの科学力も、第13特務連隊の兵力もダーニックの計画に不可欠の要素なのだから。
ダーニックは無線機を操作すると、柳洞寺にいるダーニックのずっと〝真下〟にいるであろうロディウスに連絡が届く。
『やぁ、ダーニック。話は聞いているよ。遠坂冥馬とキャスターを取り逃がしたんだって? 残念だったねぇ~』
南国でバカンスを楽しんでいるかのような陽気な声。このフランクで空気を読めない軽い態度は間違いなくロディウス・ファーレンブルクのものだった。
(食えないな。遠坂冥馬たちが離脱して、いの一番に無線に連絡してきたというのに既に何が起きているか知っているとは。彼の魔術師としての力量を思えば、部下に私より先に報告させたというより、なんらかの方法で地下より戦いを見物した可能性が高い、か)
忘れてはならない。ロディウス・ファーレンブルクは時計塔に純粋な魔術の奥義によって封印指定を喰らった人間なのだ。
人懐っこい態度など所詮は仮面。その奥には常人では及びもつかないほどの精神が眠っているに違いない。
『はははははははは。驚いた、まさかサーヴァントがストライキなんてね。いやはや本当に目玉が飛び出るかと思った』
「……大佐。貴方の兵を預かり、貴方の幻影魔術によるサポートを受けておきながら、遠坂冥馬を取り逃がしてしまい申し開きのしようもありません」
『謝る必要なんてないなーい! ランサーがよもやまぁあそこまで強情だなんて、君じゃなくても分かりはしないさ。ブルーなヴァルハラの霹靂ってやつだよ。やはり帝都のホテルで歩兵部隊とランサーを別々に襲撃させたのは正解だったわけだ』
「今では、逆にあの時に一緒に襲撃させてれば、と思います」
『ほう。何故だい?』
「そうしていれば、序盤の段階でランサーの融通の利かなさについて知ることができていました。もしもランサーの強情さを知っていたのならば――――」
『よせよせダーニック。〝もし〟なんてことを考えるのが建設的なのは遠坂やエーデルフェルトの大師父の宝石爺くらいだよ。
未だに魔法使いに至れていない我々魔術師は、奇跡ではなく現実的な解決策を模索しなければならないからね』
「御尤も」
『或いは……〝魔法〟を手に入れるか、だね』
この柳洞寺に陣取ってからの調査で、ダーニックは聖杯戦争が一体どういうものなのか裏の裏まで掴んでいた。
聖杯を本来の目的で使い『根源』へ繋がる孔を開ければ、そこから〝魔法〟を持ちかえってくることが出来るかもしれない。
ダーニックも魔術師。『根源の渦』とそれに繋がる鍵たる『魔法』には並々ならぬ興味がある。だがそれも全ては聖杯戦争が終わってからだ。
『遠坂冥馬が逃げたとなると、君の計画にも支障が出るかもしれないな』
「運が良ければ、という前置きがつきますが遠坂冥馬は逃げられていないかもしれません」
『ん? どういうことだね』
「間桐狩麻です。私見ですが、彼女は遠坂冥馬に対して並々ならぬ執着を抱いていました。柳洞寺から逃げた遠坂冥馬を待ち伏せている可能性は高いでしょう」
『着物を着ていたあのフロイラインかぁ。地下に籠もって作業するのも飽きた頃だし、見物に行こうか。もしかしたらKIMONOがはだけるなんてサービスシーンが拝めるかも。ひゃっほう!』
「…………………………………」
『沈黙はOKサイン、と受け取っていいのかな?』
「拒否と受け取って頂きたい!」
ランサーといいロディウスといい、どうして自分の協力者は一癖も二癖もある人間ばかりなのか。ダーニックは月を仰ぐが、月はなにも応えてくれなかった。
(しかし間桐狩麻、か。さてどうなるか)
間桐狩麻が遠坂冥馬を倒せば何も問題はない。ある程度の用意が整い次第、遠坂冥馬を倒した間桐狩麻を始末すれば良いだけだ。
冥馬と違い間桐狩麻は比較的扱いやすい精神をしている。アーチャーがどんな英霊かは知らないが、間桐狩麻がマスターならば対処する自信はある。
問題は間桐狩麻が遠坂冥馬に敗北した場合だ。
『君はどう見るんだい? 着物が素敵なフロイラインなんて前にしたら私なら裸足で狂喜乱舞するが、残念ながら全ての人類が着物の素晴らしさを理解しているわけじゃない。
恐らく遠坂冥馬は相手が自分の幼馴染だろうと容赦なく戦うだろう。彼はたぶんそういう人間だ。フロイラインは遠坂冥馬に勝てると思うかね?』
「……五分五分といったところでしょうか」
『曖昧だね』
「魔術師としての強さなら遠坂冥馬が上でしょう。肉体面での強さも遠坂冥馬が上。ですが遠坂冥馬はこの聖杯戦争でかなりの消耗をしてきました。ましてや今の遠坂冥馬は一戦交えたばかり。疲労も残っているかもしれません。
対して間桐狩麻は戦いが始まってから籠城を貫いてきていて、未だに手の内を晒してもいなければ消耗もしていない。故にマスター同士であれば互角でしょう」
『マスターが互角となると、後は』
「はい。間桐狩麻のサーヴァント、アーチャーがどの程度の強さによります」
アーチャーがキャスターより強ければ狩麻の有利、アーチャーが弱ければ冥馬の有利。
狩麻の召喚したアーチャーの強さが不明なため、それ以上の推測は難しい。
『フロイラインには期待しておくとして、君の計画も順調だよ。後二日か三日で準備は完了するはずだ。しかし流石は百五十年前に三人の賢者が生み出した大魔法陣。聖杯戦争という奇跡の大本だけあって、その起動式は私の脳髄で測れるそれを超えている。ダーニックも暇があれば一度見に来ると良い』
「機会があれば直ぐにでも。ですが先ずはランサーの機嫌を直さなければ始まるものも始まりません。ただでさえ細心の注意を払って事を進める必要があるのですから」
ダーニックとロディウスが狙うのは聖杯だ。だが他のマスターのように馬鹿正直に『聖杯の器』を手に入れ、サーヴァントたちを炉にくべるつもりはない。
「――――大聖杯奪取作戦は」
聖杯戦争を構築する根本、それを御三家より略奪することこそがダーニックの本当の狙いだ。
柳洞寺から随分と離れたが、ランサーとナチスが追ってくる気配はない。どうやら逃げ切ることが出来たようだ。
冥馬は深く息を吐き出す。
余り大声で言えない事だが、はっきりって本当に終わりかと思った。もしランサーが冥馬には理解不能なポリシーから、ダーニックに反逆を起こしていなければ今頃遠坂冥馬は柳洞寺の境内に死体となって転がっていたかもしれない。
九死に一生を得たというべきなのだろう。幸い魔力を幾らか消費し、キャスターも傷を負ったが致命的なダメージは受けていない。今後に尾を引くようなことはないだろう。
(いや……)
尾が引くことが一つだけあった。
アーサー王と信じて疑わなかったキャスターの本当の真名。それが看破されたことによる聖剣カリバーンの真名解放不可。これは十分今後に関わることだ。
それに目に見えないことだが、冥馬とキャスターの間にある信頼も。
「キャスター、お前に一つ聞かなければならないことがある」
「……………ふん。口にする前から質問内容が顔に出ているな。どうして俺がお前にまで俺の真名を隠していたか、だろう」
「ああ」
召喚されたサーヴァントは先ず初めに自分の真名、そして能力をマスターに開示する。自身のサーヴァントがどの程度の強さを持っているか知らなければ、戦術の立てようもないのだから当然だ。
その例に漏れず、キャスターは状況が落ち着いて直ぐ自分はアーサー王だと名乗り、自分の能力や強さについて冥馬に説明した。だがそれは間違っていた。あろうことか名乗った名前すら別物だったのだ。
違う名前を名乗るなど、はっきりいって信頼に唾を吐き捨てるも同様の行為。しかしある意味において裏切られた立場である冥馬は、キャスターのことを100%でないにしても信じていた。
別に冥馬が人を疑うことを知らないお人好しなわけではない。ただ冥馬にはキャスターがマスターにまで真名を偽った理由について一つの仮説がある。
それが冥馬とキャスターの信頼という鎖を繋ぎとめているものだった。
「本当の真名が敵にも知られた以上、もう偽る必要はないだろう。理由を教えて欲しい。もし教えないというのならば仕方ない。勿体ないが令呪を使わせて貰う」
「教えるさ。戦いは本業ではないが、一応俺も騎士だ。今生のみのものとはいえ、下らない理由で自分の名を偽った訳じゃない。だが教えるのは後だ。今は他に、やるべきことがある」
「――――!」
キャスターの言う通り、どうも悠長に話し合いをしているような場合ではないようだった。
太陽はとうに地平に沈み、夜の闇が支配する時間。月光のみが光源の寒空にカツカツと鐘の音のような足音が反響する。
この特徴ある足音は冥馬にとって酷く聞きなれたもので、感じる魔力も良く知るものだった。
「二週間ぶりかしらねぇ冥馬」
危うく、そして艶やかに笑いながら青い着物に身を包んだ女が姿を晒す。
深層の姫を思わせる白い肌に血のように赤い紅。鼻孔を擽る白薔薇の香水の香り。
「いいや。正確には13日ぶりだ」
遠坂冥馬にとっては子供の頃からの付き合いのある昔馴染みにして、魔術師としては腕を競い合う好敵手同士だった相手。
間桐狩麻、御三家の一角たる間桐家の現当主。左肩から感じるは令呪の気配。
共に冬木に居を構える魔術師の若き当主同士は聖杯を求め争う戦場で邂逅した。