玲瓏な色気を振り撒きながら、狩麻が紅をさした唇をなぞる。獲物を前にして舌なめずりする様はカエルを睨む蛇だ。
令呪がある以上、狩麻が間桐のマスターなのは間違いない。だが奇妙なことに狩麻の傍からはサーヴァントの気配を感じとることが出来なかった。
まさか一人で敵である遠坂冥馬の前に姿を晒した訳ではないだろう。ナチスなんて連中と手を組んで、こっちを罠に仕掛けるほどだ。狩麻なりに周到な準備をしている筈である。
恐らく狩麻のサーヴァントはどこかしらに潜んでいるのだろう。
「しかしお前がナチスなんかと手を組んで、俺を嵌め殺そうとするなんてな。悪い意味で期待を裏切られた気分だ。お前なら大局を見誤りはしないと思っていたが、俺の中でお前の株は世界恐慌真っただ中だよ」
「手を組む? 私がぁ? 馬鹿じゃないの。私があんな連中と仲良し小好しなんてするわけないじゃない。あれは単に貴方を殺すために利用してあげただけよ」
「利用しているつもりで連中にいいように利用されているだけじゃないのか?」
狩麻は嘲るように笑みを深めた。
「利用? くすくすくす。それは群れなきゃなんにも出来ない様な奴だもの。あっちは私を利用しているつもりでいるでしょうねぇ。だけど私を利用してると思ってる連中を、私は利用しているの。
貴方を殺したら連中は用済み。用済みになった鬱陶しい骸骨連中はさっさと潰してあげるわ。こう羽虫みたいにプチっと……ねぇ。私、ドイツ人って大嫌いなの」
「ナチスは兎も角、俺はドイツそのものは嫌いじゃないが……そこは好みの違いだな。まぁ利用云々は語るべきことでもないか。まだ、な」
利用していると思っている者を利用していると狩麻は言うが、本当にどっちが〝利用する側〟だったのかは、どちらが生き残るかまで分かりはしない。
尤も個人的には狩麻が利用されている側であるという確信が冥馬にはある。狩麻もそれなりに頭の回転は速いが、こと謀略や陰謀では八枚舌のダーニックには勝てないだろう。
それは冥馬も同じ。冥馬も謀略勝負でダーニックを相手にするのは、分が悪いと言わざるを得ない。
(ああいう手合いは口より先に有無を言わさぬ暴力で叩きつぶすのが一番だ)
ペンは剣より強し……という格言があるが、原始的な腕力が知略に勝ることも往々にしてあるものだ。
「だが狩麻。こうしてノコノコと俺の前に姿を現したということが、どういうことか分かっているんだろうな。お前は知ってるだろうが、敵は徹底的に叩き潰すのが俺の流儀でね。
お前は俺を殺すために罠を掛けに来た。ナチスなんて奴等と手を組むなんて下策を使って。ならば手心を加える気は欠片もない。お前はここで――――」
「強がるじゃない冥馬。そんなちょっと小突けばふらふらしそうな足腰で、いつも通りの力が発揮できるのかしらねぇ。それに知っているのよ私は。貴方のサーヴァントがアーサー王じゃないって」
「――――!」
「どんなサーヴァントかと思ったら、よりにもよってサー・ケイ? あははははははははははははは。なぁにそれぇ? 円卓の騎士でも最低最弱の雑魚英雄じゃない! そんな弱っちいサーヴァントを引き当てるなんて同情するわ」
瞬間、狩麻の頭上に灼熱の炎が叩き落とされた。
冥馬の指に嵌るルビーのはめ込まれた指輪、魔術礼装であるそれに魔力が流され、炎の魔術が起動したのである。
時間にして一秒未満の早打ち。狩麻はキャスターへの侮辱を言い終えた直後に炎に包まれた。
「お喋りが過ぎるぞ、狩麻」
確かにサー・ケイは円卓の騎士にあって特別華々しい武功をたてた訳ではない。伝承において語られる馬上試合においても大抵は他の騎士の引き立て役に回ることも多い円卓の道化役とすらいえる。
しかしキャスターはこれまで遠坂冥馬と一緒に死線を潜り抜けたサーヴァントだ。他人に自分のサーヴァントを貶されて良い気はしない。というより腹立たしい。どうやら気付かぬうちに自分はキャスターにかなり心を許していたようだ。
「貴方は手が早すぎるわね、冥馬」
炎が払われる。
凄まじい早業で繰り出された炎の魔術だったが狩麻によって〝主を守る〟ように調整された蟲達が、炎が襲い掛かった瞬間に狩麻の反射神経すら超える速度で狩麻を守ったのだ。
冥馬の炎が焼いたのは蟲達の表面だけで狩麻には傷一つない。
狩麻を守るように無数の蟲たちの群が周囲を飛んでいる。余りにも数が多すぎて蟲の群はまるで黒い霧のように見えた。
「……炎に対しての耐性を施された蟲か。面白い玩具だ」
「戦いは戦う前から始まってるのよ。聖杯戦争前、貴方が呑気に封印指定もどきに出る時、私の蟲を潜ませて貴方の戦いぶりについては大体見てたの。だからその指輪が炎と風を放つための魔術礼装であることも分かっているし、切り札の宝石の数にも大体の予想はついているわ。
だからそれの対策も事前に準備することが出来た。この蟲達もその一つ。群体の蟲たちに風の刃なんて無意味だし、炎の中でも生活できるくらい炎熱への耐性を持たせている」
「――――――」
「逆に私は貴方に対してこれっぽっちも自分の手の内を晒してない。貴方が分かってるのは精々私が蟲使いの魔術師だっていうことだけ」
ナチスと手を組んだと知った時は、狩麻の評価を大幅に下方修正したが、少しばかり下げ過ぎたようだ。
戦う前から圧倒的な優位を確保する用意周到さ、貪欲に勝ちを求める愚直さ。それは冥馬も良く知る間桐狩麻のものだ。
だからこそ狩麻からナチスを倒すまで一時休戦しての共闘を持ち掛けられても何の疑念も抱かなかったわけだが、なにもかもが理屈通りに事が運ぶ訳ではないということだろう。
「キャスター、連続で悪いがもう一度頑張ってもらう。気を付けろよ、狩麻のことだからそれなりのサーヴァントを用意しているはずだ。未だに姿を見せていないのが気がかりだが……」
「――――任された。元友人同士の殺し合い。まぁよくあることだ。特に女っていうのは愛がどうだの恋がどうだのと、実に下らん理由で動く生物の名前だ。
特にこいつは酷い。自分の腹にあるものの正体について知らずに男に粘着するなど、今回ばかりは心底お前に同情する。こんな面倒臭い女に尻を追っかけられるなど、お前も大変だな」
「はぁ? 私が冥馬の尻を追いかけるですって? なんで私が冥馬の尻なんて追い掛けなきゃならないのよ! 馬鹿じゃないの?」
不愉快さを覚えた狩麻が、顔を歪めてキャスターを睨んだ。だがキャスターは狩麻のそれよりも冷徹な瞳で睨み返す。
「――――独りよがりの感情で周りに迷惑を振り撒きながら暴走した挙句に、相応の末路を迎えれば自業自得な癖して見てくれが整った女だから、などという下らん理由で悲劇のヒロインと持て囃されて同情を集める。
外見の美しさという免罪符を盾に、許されないことを許される頭がお花畑になっているヒロイン様。お前はそういう類の人種だよ。脳内メルヘン女め」
「っ! 馬鹿にして……! なんで私がアンタみたいな弱っちいサーヴァントにそんなこと言われなきゃならないわけ? 私は同情なんて下らないものは要らないわ! あんなのアンタみたいに弱っちい人間が欲しがるものでしょう」
「なら安心していい。はっきりいってお前は俺の一番嫌いなタイプの女だ。俺は性差別はしない主義でね。お前が当然のようにドブに埋まって可哀想オーラを前回にこっちをチラチラ見てきても、大爆笑してスルーしてやる。同情などするものか」
「減らず口を。アーサー王の義兄だからお情けで円卓に加えて貰った、口先だけが取り柄のケチで弱い雑魚英霊さんは黙ってなさい」
「喋るな女。これは忠告だがな、喋れば喋っただけお前は自分の価値を下げている。永久に口を閉じておくのが一番お前の価値を守る方法だぞ」
「なんですって!?」
正面から貶されて怒りに顔を歪める狩麻だが、狩麻に貶されたキャスターはまるで動じた様子がない。
余り狩麻の沸点が高い位置にないこともそうであるし、そもそも伝承に記されるほどの口達者であるキャスターに口論で勝てるわけがない。
口先でキャスターに戦いを挑むのは、稀代の剣士に素人が剣で戦いを挑むようなものだ。
「もういいわ! この私を侮辱したこと、たっぷりと後悔させてあげる! アーチャー! そこの口喧しいサーヴァントごと冥馬を血祭りにあげなさい」
狩麻が遂に自分のサーヴァントを呼ぶ。
ずん、と狩麻の声に呼応して猛々しい魔力が解き放たれた。この魔力の質と鋭さは間違いなくランクA+以上はあるトップクラスのサーヴァントのそれだ。やはり狩麻はとっておきの切り札を用意してきたらしい。
冥馬とキャスターはまだ見ぬアーチャーを警戒して身構えた。
「……?」
しかし待てども一向にアーチャーが出てくる気配がない。
「狩麻?」
何故か狩麻は遠い目で空を仰いでいた。ついさっきまであんなに妖艶な雰囲気を醸し出していたというのに、今では重労働を終えて泥のように座り込んでいる奉公人のような顔をしていた。
「アーチャーなら、たぶんもう直ぐ出て来るわよ……」
狩麻が諦めたようにうなだれると、突然なにやら派手な音楽が鳴り始めた。
「は?」
良く耳を澄ませば、流れているのは彼の有名な『威風堂々』の第一番だった。
まるで意味が分からない。一体全体どうしてアーチャーが出てくると思ったら、代わりに大音響で音楽が流れ始めるというのか。
口を開けばマシンガンの如き毒舌が飛び出すキャスターも今回ばかりは目を点にして固まっていた。
「なにがどうなっているんだ……」
「俺が聞きたい……」
縋るようにキャスターに尋ねるも、返って来たのはそっけない返事だけ。
近所迷惑だろうに。こんな夜中にも拘らず音楽はどんどん大音量になっていく。なにやら上から赤い薔薇までが降り始めた。
冥馬の脳内に意味不明の四文字が軍勢を為して突撃してくる。これはなにかの幻覚か、と目を擦るが薔薇の花吹雪と大音量で流れる音楽が消える気配はない。
「あー、掃除するの大変そうねー」
あらゆるものが混乱の渦に叩き込まれる中、唯一人狩麻だけが達観したようにぼんやりとしていた。
やがて音楽と花吹雪が舞い狂う中、ハリウッドスターが歩くようなレッドカーペットがどこからともなく布かれる。同時に音楽も『威風堂々』からフランス国歌の『ラ・マルセイエーズ』に切り替わった。
しかもレコードの奏でる音楽に混じり、なにやらハーモニカの演奏まで加わる。
レコードの理路整然としたメロディーに、まるで音程のあっていないハーモニカの演奏が絶妙に混ざり合い、なんともいえない不協和音を醸し出していた。
「冥馬。耳を塞いだ方がいいぞ」
キャスターの有り難い忠告に素直に従う事にした。両手で耳をしっかり抑え、音をシャットアウトする。
しかし冥馬たちに構わず、眩いスポットライトが狩麻の後方を照らした。スポットライトに照らされたのは、全身をけばけばしい真っ赤な舞踏服に包んだ色男だ。信じたくないが男の醸し出す気配はサーヴァントのそれ。ということはあれがアーチャーのサーヴァント。弓兵というからには、きっと厳しい戦いや冒険を潜り抜けた勇者らしいサーヴァントなのだろう……という冥馬のイメージは木端微塵に粉砕された。
アーチャーはハーモニカを華麗に空へ投げると、今度は背後で爆音が響き華々しい火薬の大輪が空に咲いた。こんな状況でもなければ、季節外れの花火に目を輝かせたかもしれない。
ハーモニカを投げ捨てたアーチャーが次に取り出すはギター。新品ピカピカの高級そうなギターで、ギターの値段とはまったく釣り合わない音程の外れた音楽を奏でながら、アーチャーは舞台俳優のように一歩一歩、地を……赤い絨毯を踏みしめながら歩んでくる。
「ふっ」
そして漸く狩麻の前にまで来たアーチャーは、その場でくるくると踊ると、口に薔薇を加え三回転半の捻りをつけてから華麗――――だと本人は思っている――――ポーズをとった。
「待たせたね!! 英霊の座に佇む麗しき薔薇の貴公子!! 七人の英雄集いし華やかなる聖杯戦争に招かれたプリンスのサーヴァント!! 我が可憐なる姫君、間桐狩麻の求めに応じてここに推参!! あぁーっはははははははははははははははははははッ!!」
「…………………………なんだ、あれは?」
「……………アホだ」
キャスターに全面的に同意見だった。
「さぁ! ムッシュ冥馬!! そしてキャスター!! 悲しき運命に選ばれた永遠の好敵手たち!! 僕達の宿命の戦いをレッツ・スタートさ!!」
サーベルを抜いてそう宣言するアーチャーだが、冥馬はもう家に帰って寝たい気分だった。
これが精神攻撃を目的としたものだというのならば、アーチャーの戦術は実に効果的だったといえるだろう。戦う前から冥馬の戦意は完全に削がれてしまっていた。