「成功した、のか……?」
僅かな光しか差し込まない酒蔵で、冥馬は安心の吐息を零す。
イレギュラーの極み、準備も碌にしていなければ、ナチスの兵士達に背中を押されての慌ただしい英霊召喚だったのだが、どうやら無事にサーヴァントを召喚できたようだ。
更に言えば蒼い騎士のもつ武器が『黄金の剣』となれば、聖遺物に縁のある英霊が呼ばれた事も疑いようのないことである。
即ち彼こそがブリテンに君臨した騎士王アーサー・ペンドラゴン。
「……はぁ。こうして死んだ後に聖杯探索の機会に恵まれたと思えば、こんな光景が待っているとはな。運命の神とやらは性格外見共に狒々のような不細工女に違いない」
蒼い騎士は憂鬱そうに空を仰いだ。
侵略者との戦いの悉くを勝利で飾ってきた常勝の王とは思えぬ疲れ切った表情で、気絶している璃正、心臓を貫かれている己のマスター、父に寄りそう冥馬、そして慎重に様子を伺ったままいるランサーに視線を向けていった。
「喜べ俺を呼び出したマスター。聖杯戦争に勝利することは叶わないが、この分だと最速脱落記録はお前が独占できる。不名誉な形だが取り敢えずこの戦いの歴史には残ったわけだ。
もっともその不名誉を知らずのうちに共に得ることになった俺は死にたいくらいだがな。マスターとサーヴァントは運命共同体らしいが、それは召喚された瞬間に死にかけているマスターにも適用されるのか?」
蒼い騎士は不機嫌を露わに冥馬の父・静重を眺める。
辛辣な言い方に頭が沸騰しかけたが――――蒼い騎士の立場にたってみれば、無理もないことだろう。
聖杯を求めるのはマスターだけではない。サーヴァントとして召喚される英霊にもマスターと同じように聖杯に託す祈りがある。
サーヴァントがこの世に現界するにはマスターという憑代と魔力供給が必要不可欠であり、マスターも戦いを勝ち抜くにはサーヴァントが必須。
マスターとサーヴァントの間には利害の一致があり、だからこそサーヴァントは自分より劣る存在であるマスターに従うのを良しとするのだ。
だというのに召喚されてみれば肝心のマスターが死にかけ。この時代の住人ではないサーヴァントが現世に留まるためには、この時代の人間、つまりマスターという憑代が必要。
単独行動スキルをもつアーチャーなら大体数日はマスター無しでも活動できるが、それ以外のサーヴァントはマスターなしで活動できるのは精々数時間だ。
つまり召喚早々にマスターを失っている蒼い騎士の脱落は定まったも同然。蒼い騎士からすれば自分のマスターに愚痴の一つでも言いたくなるというものだろう。
「まだだ……まだ、終わりじゃない」
だが静重は肺から酸素を絞り出しながら、己のサーヴァントに告げる。まだ戦いは終わっていない、と。
己のマスターの力強い眼光に、蒼い騎士が一転して真面目な顔つきになる。
「―――――――というと?」
「説明している余裕はない……。お前はランサーを足止めしろ……なんとしても、儂らに近づけさせるな……お前の、聖杯戦争は終わっていない…………」
「――――分かった。OKだ、承った」
もしかしたら自分の召喚者の最期となるかもしれない命令を、蒼い騎士は受け取った。
「どうやら召喚前に死にかけた間抜けな召喚者――――というだけが、お前じゃないようだな。
俺もここで終わるのは本意じゃない。なにをしようとしているかは知らないが、この命に賭けてお前のもとにランサーの槍は届けさせん」
蒼い騎士が黄金の剣を構える。蒼い騎士は何人たりとも通さぬ不可侵の壁として、白い槍兵の前に立ち塞がった。
「その聖剣、見間違うはずもない。サーヴァント召喚を許したのは私の失態だが、出てくるのがよもや騎士王だったとは。これは私も私のクライアントも理解の外だったぞ」
ランサーはあっさりと蒼い騎士の真名を言い当てる。
英霊にとって真名は隠すべきものだ。英霊とは人類史において偉大なる活躍をした人物であり、彼等の伝承は歴史や伝承が記録している。
真名を知れば相手の能力の全容を知ることもできるし、なにより伝承は彼等の『偉業』だけではなく彼等の死の原因――――弱点をも記録しているのだ。
聖杯戦争に召喚されたサーヴァントがセイバーやランサーといったクラス名で呼び合うのもこういった事情がある。
「有名過ぎる英雄というのもそれ故に辛いものがあるな。こうして武器一つ見られただけで真名を看過されるとは」
ランサーに真名を看過された蒼い騎士は驚いた様子はない。元よりこうなることは覚悟していたのだろう。
英霊の座という時間軸を超えた場所に招かれたサーヴァントであれば『黄金の剣』を見てアーサー王という真名に思い至らないはずがないのだから。
「まぁいい。真名はばれたが、要はその口をここで塞げばいいだけだ」
「こっちもクライアントの追加オーダーだ。召喚されたサーヴァントの力量調査及び、そちらの死にかけの邪魔をしろ、と」
美しい装飾が施された黄金の剣とは対極の、飾り気のない無骨な白槍をランサーは構えた。
「ふん。ではサーヴァントの肉体というもの、お前で確かめるとしよう。――――いざ」
そう言って蒼い騎士はランサーへと斬りかかっていった。
戦いが始まる。遠坂冥馬とナチス兵たちの戦いのようなチャチなものではない。英霊と英霊、サーヴァントとサーヴァントの死闘が。第三次聖杯戦争における第一戦が始まったのだ。
「はっ――――っ!」
「ふんっ!」
ぶつかりあう剣と槍。響き渡る爆発したような金属音。
魔力が滾り、火花が飛び散った。
蒼い騎士の魔力の奔流が『炎』となってランサーを押し込んでいく。
二騎のサーヴァントが剣戟を交わす度に神話と神話がぶつかりあう響きを聞いた。
動き一つが速く鋭く、人間では一生をかけても辿り着けないであろう頂きにある。
魔術師が分不相応にも両者の激突に横やりをいれようとすれば、自らの選択の過ちを命をもって支払うことになるだろう。
「せいッ!」
蒼い騎士には自分の内包する魔力を武器などに纏わせるスキルがあるのだろう。蒼い騎士が振るう黄金の剣には紅蓮の炎が宿っていた。
紅蓮は黄金に溶けて、さながら黄金の炎を纏った剣のようである。
剣が槍にぶつかる度に、至近距離での爆発を浴びた様な衝撃をランサーは感じているだろう。
「はっ――――!」
「舐めるな、騎士王。そらっ!」
蒼い騎士の振るう剣を、白い槍兵は槍をもっていなす。
聖剣を烈火の如き勇猛さで振るう蒼い騎士も凄まじいが、白き槍騎士も負けてはいない。
ランサーのもつ白槍は黄金の剣ほどの神秘はないが、こと丈夫さにかけては相当のものだ。
黄金の剣による斬撃を浴びながら、その槍は折れることなく耐え凌ぐ。その頑丈な槍を武器にランサーは果敢に蒼い騎士に喰らいついていった。
「やはり素晴らしいな、その剣は」
ランサーは剣戟の最中、心奪われたように蒼い騎士の振るう剣を観察する。
「ふん。さっきは召喚前に死にかかっていた召喚をなじりはしたが、よくよく考えればサーヴァントのいないマスターを仕留めきる事も出来なかったお前はそれ以上だな」
「耳が痛い。しかし貴様こそ騎士王にしては温い剣だ。もっと本気を出したらどうだ、騎士王?」
ランサーから侮辱されても蒼い騎士は表情を変えない。
けれど事実として蒼い騎士は聖剣の力によって優位に立ってはいるが、槍兵に致命的な一撃を叩き込めないでいる。
蒼い騎士の剣はその肉を断つ直前まではいくのだが、その都度、ランサーは自分の得物と蒼い騎士の得物を比較した上で『最適』な躱し方をすることで、紙一重の回避を実現するのである。
ランサーの動きが『最適』であるのならば、普通に斬りかかっても打ち破ることはできない。
相手が常に『最適』だというのならば、それを打ち崩すには『最適』を超えた常識外の『極限』をもって挑まなければならないだろう。
「はぁぁああああッ!!」
己の限界を超えるべく声を張り上げながら、それでも冷静な顔つきを失わずに、蒼い騎士はランサーの槍を払いのけると、その肩を両断せんと刃を振り下ろした。
「まだまだ、極限には遠いぞ!」
確実に獲ったと確信させる一振りは、ランサーが新たに出現させた盾によって防がれる。黄金の剣は盾に阻まれてランサーへは届かない。
「こんなもので……!」
だが盾があるならば盾ごと粉砕すれば良いとばかりに、蒼い騎士は更に剣を押し込んだ。
盾を剣で叩き切るなど蛮行に等しい行為だったが、今回に限ってはそれは効果的だった。
「選定の剣相手にこの程度の盾では保たないか」
ランサーの盾にまるで蜘蛛の巣のように皹が入っていく。
何の効果もくただ丈夫な白槍と違い、あの盾にはなにか特殊な効果もあるようだが、それが『黄金の剣』を相手するにはいけなかった。
機能の全てを丈夫さにだけ尖らせた白槍と、別の機能を付け足した盾では強度において白槍が勝る。
丈夫さを捨ててまで得た盾の『能力』も、黄金の剣の破壊力の前に発揮できていない様子だった。
そしていよいよ盾が壊れるという段階になって、ランサーは盾を一時的に引込めると、地面を蹴り全速力で後退する。
全クラス中〝最速〟と謳われるランサーの後退に、蒼い騎士は追撃の一撃を加えることができなかった。
「流石は選定の剣、カリバーンといったところか。私の盾がこうもあっさり役立たずだ」
これ見よがしにランサーがボロボロになった盾を出現させる。
サーヴァントにとって武器というのは共に伝説を築き上げた体の一部ともいうべきものだ。その武装たる盾をスクラップ一歩手前にされたとなれば、普通なら屈辱や怒りを滲ませるはずだ。
けれどランサーにはそんな感情はまるでない。白いランサーにあるのは自分の盾を圧倒する『黄金の剣』へ対する純粋な敬意だけだ。
「だが解せん。英霊とは全盛期の頃の姿で招かれる。アーサー王にとって最も強き剣とは、星の光を束ねし最強の聖剣――――エクスカリバーのはず」
蒼い騎士の眉がピクリと動いた。
「なのに何故お前は最強の聖剣ではなく選定の剣を振るう? よもや彼の王が聖剣を持ってないと言う事はないだろうに」
ランサーの疑問は当然のものだ。
聖剣の代名詞であり、聖剣というカテゴリーにおいて『最強』とされるエクスカリバーこそ彼の騎士王の象徴である。
なのに召喚された蒼い騎士が振るうのは『黄金の剣』ではあるものの、エクスカリバーではなくカリバーンだった。
ブリテンの王を選定するべく岩に突き刺さっていたソレは、優れた能力をもっているが、権威の象徴としての側面が強いため、武器として見た場合エクスカリバーと比べれば一段劣る。
「ククッ」
ランサーの問い掛けに蒼い騎士は不敵に笑う。
「聖剣だと? 俺が最強の聖剣を振るうに足るのは、この俺に比肩、或いは凌駕するほどの英雄だけ。お前では聖剣を振るうには役不足も甚だしい」
言外に蒼い騎士はお前は俺より格下だ、と告げていた。
「安い挑発だな、アーサー王。しかし度し難いことに私も一人のサーヴァントとして貴様の隠し持つ『最強の幻想』には興味が絶えない。
…………というより折角アーサー王が同じ戦いに招かれているというのに、ソレを見れず仕舞いでは死んでもしにきれん。私の意地にかけてもその聖剣はたっぷり鑑賞する。見せぬというのなら無理にでも引き出すまで」
ランサーから理知的な雰囲気が失せる。かわりにその面貌に純粋なまでの好奇心と野獣の如き獰猛さを貼り付けた。
「はぁぁぁッ!」
そして再び黄金の剣と白い槍がぶつかり合う。
蒼い騎士は挑発として『自分より格下』などと言ったが、冥馬の見る限り蒼い騎士とランサーの力はほぼ互角といったところだ。
しかしこの狭い酒蔵で振るうにはランサーの槍は長すぎる。
勿論ランサーとてサーヴァント、狭い場所によるハンデなど些細なものだろうが、相手が同じサーヴァントとなるとその些細なハンデが大きいものとなってしまう。
対して蒼い騎士の武器は剣。この狭い場所でも槍より遥かに十全に扱うことができる。
結果としてランサーは蒼い騎士の烈火の攻撃の前に押されていた。
本来なら冥馬はこの戦いを見守るべきなのだろう。
遠坂の魔術師として、蒼い騎士の援護をするべきなのかもしれない。
けれど今の冥馬にはするべきこと、否、聞かなければならない事があった。
「……冥、馬」
「父上」
伸ばされた手を握りしめる。
年老いても力強かった父の手はもう弱々しいものとなっていた。
こうして死にかけといえど、父が生きているのは奇跡に等しい。
なにせ心臓を貫かれたのだ。即死して当然、数秒息があれば幸運な方といえる。
死んでいなければおかしい命を生かしているのは父の気力と、自らの魔力全てを体の治癒に費やしているからだ。
それも限界が近い。
今となっては治療も間に合わないだろう。
遠坂家の家宝であり、初代当主から冥馬までが代々と魔力を込め続けてきた特別な『宝石』であれば、心臓を補填することで救えるかもしれないが、運の悪いことにその宝石は冬木の遠坂邸にある。
家宝たる宝石が手元にない以上、冥馬に父を救う術はない。
こんなことなら騎士王ではなく、治療に特化した英霊の聖遺物を見つければ良かったと冥馬は今更ながらに後悔した。
「冥馬、これを」
父の腕に刻まれた令呪の刻印が輝いた。
一瞬、令呪を使うのかと思ったが……違う。光が止んだ時、父の腕に令呪はなく、代わりに冥馬の手に宿っていた。
自分の体からサーヴァント――――蒼い騎士に魔力が流れて行っているのを感じる。
令呪の他人への移植。並みの魔術師ならば非常に難しいことだが、前回の聖杯戦争を知る者であり、こういった霊媒治療を得意とする父ならば不可能なことではない。
けれど自分の魔力によって命を繋いでいる父が魔術を行使するというのは、自分の命を削ることと同義だった。
「うっ、がはッ――――!」
「父上……父さんっ!」
口から血を吐きだして咳き込む。
それでも朦朧としながらも視線だけは真っ直ぐに冥馬へ向けられていた。
「冥馬、私の代わりにお前が騎士王の主として戦いへ挑め……。あれを手に入れるのは遠坂家の義務であり、なにより魔術師であろうとするなら避けては通れぬ道だ」
父は『魔術師』として、魔術師の後継者である遠坂冥馬に遺言を残そうとしている。
だとすれば冥馬も一人の人間ではなく遠坂の後継者として父の言葉を聞かなければならない。
「――――はい、お任せください父上。聖杯は必ずや、手に入れます」
「…………励めよ」
最期に不器用な応援の言葉を残し、父・静重は永遠にその目蓋を閉じた。
丁度その頃、蒼い騎士と白い槍兵の戦いも一段落していたようだ。
何合目かに分からぬ剣と槍の交差をもって、蒼い騎士と白い槍兵は互いに距離をとる。
「聖剣を引き出させるまで戦いたかったが。騎士王、ここは引き分けにしておかないか? 私のクライアントも撤収を告げているんでね。
サーヴァントとして契約を結んだ身である以上、オーダーには従わなければならない」
「逃げる敵を見逃す手はないが、こっちのマスターも事情が複雑のようだからな。いいだろう、さっさと尻尾撒いて逃げることだ。俺も追いはしない」
「減らず口の絶えない男だ。願わくば次こそはその聖剣の威容を見たいものだな」
ランサーの姿が薄くなり消えていく。恐らくは霊体化したのだろう。ランサーはここへ侵入してきた時と同じように、酒蔵の壁を擦り抜けて撤退していった。
気付けば上の階段で鳴り響いていた音も消えている。サーヴァントではなくナチスの兵隊たちも退却したらしい。
蒼い騎士が剣を消して、戻ってくる。
「それで魔術師、俺の召喚者はどうなった?」
「…………」
冥馬は答えず、ただ息絶えている父に首を向けた。
自分の召喚者の死を誰よりも早く目の当たりにした騎士はすっと目を細めた。
「そうか。俺が戻る前に死んだか。契約者だというのなら、せめて俺が戻るまで生きているべきだろうに」
それは死んだ遠坂静重の不甲斐なさを呪うのではなく、マスターの死に目に間に合わなかった自分の不甲斐なさを呪っているようだった。
棘のある口調といい、冥馬が想像していたアーサー王とは違ったが、やはり彼は忠勇高い英雄なのだろう。
その目には確かな死者への哀憫が秘められていた。
「にしても妙なことがある。マスターが死んでいるにしては俺への魔力供給が絶えていない。そういえばランサーと戦っている間に一瞬ラインが妙な風になったが……ああそういうことか」
蒼い騎士は直ぐに気付いたようだった。冥馬の手に宿った令呪の存在に。
「なるほど。こうして令呪を移譲しマスター権を移行すれば俺は脱落せずにすむ。見たところお前は召喚者の息子か。面構えが良く似ている」
「遠坂冥馬だ。父・静重にかわり君のマスターになることになった。宜しく頼むよ、セイバー」
騎士王アーサーであれば召喚されているクラスは確実にセイバーだろう。
そう思い何気なく言ったつもりだったのだが、セイバーと呼ばれた騎士は渋い顔をした。
「どうしたんだ、セイバー? まさかランサーとの戦いでダメージでも」
「そうじゃない。クァル、クゥラ…………おほんっ! 冥馬とか言ったな、魔術師。お前にとっては残念極まりないことだが、俺もサーヴァントの端くれだからな。訂正しなければならないことが一つある」
「訂正? なにを?」
勿体ぶるように蒼い騎士は口を噤み、ため息交じりに言った。
「俺はセイバーのサーヴァントじゃなく、キャスターのサーヴァントだ。マスター?」
「なっ!?」
あろうことか伝説の騎士王が収められたクラスは最優のセイバーではなく、最弱のキャスターのクラスだと名乗った。
セイバー……もといキャスターの顔は真剣そのもので、とても嘘をついているようには見えない。
遠坂冥馬の聖杯戦争に早くも暗雲がたちこめていた。