軽く飛んでリリアリンダとセイバーが地面にふわりと着地する。
ファサッと髪をかきあげるとリリアリンダは悪戯げに笑いながら、冥馬とキャスターに近付いてくる。反射的に警戒するが敵意は見られなかった。
いや敵意どころが戦いに介入したタイミングを考えれば、寧ろ。
「どうしたここにって? 貴方に負けて不甲斐なく国に逃げ帰ったルネスと違って、私はまだ聖杯を手に入れる権利をもつマスターの一人だもの。冬木市にいるのは自然なことでしょう」
「そういうことを言っているんじゃない。どうして今ここに居て、しかも姉を倒した相手を――――」
助けるような真似を、とまでは言わない。もしそこまで口にすれば、明確にリリアリンダに「貸し」を作ったと認めることになる。
リリアリンダの思惑が分からない内は下手な発言は出来ない。
「あら。貴方はこの私が姉を倒した相手に報復しようなんて考える殊勝な妹に見えるのかしら。だとしたらかなり不愉快ね。
あれはルネスが勝手に一人で突撃して勝手に自爆しただけよ。エーデルフェルトの顔に泥を塗った愚姉のために、どうしてこの私が敵討ちなんてしなきゃいけないの? 大体あいつ死んでないんだし」
「……………」
口ではそう言うリリアリンダだが、彼女はどことなくキャスターに似ているところがある。外見や能力ではなく、その素直でない所が。
仲が悪そうに見えて、もしも遠坂冥馬がルネスティーネを〝殺害〟していたら、本当のところどうなっていたかは分からない。
尤もこのことも口にはしない。この状況下でわざわざリリアリンダの不興を買うような無思慮な発言をするほど冥馬も愚かではないのだ。
「だとしたら、こうして戦いに乱入したのはどういうわけかな。ミス・エーデルフェルト」
一先ず頭の中を整理して、埃を払いながら毅然と尋ねる。
「簡単よ。私はこの戦いのメインディッシュにルネスを倒して、どっちが上なのかを白黒はっきりつける気でいたの。だけどその前に貴方がルネスを倒しちゃったわけ。
分かる? 貴方がルネスを倒した以上、私がルネスよりはっきり上だって証明するには貴方を倒さなきゃいけないわけよ」
「理解はできるが……。聖杯と打倒姉、どっちが大切なんだ?」
「はぁ? そんなの打倒ルネスに決まってるじゃない。聖杯なんておまけよ、おまけ。勝った後に貰えるんだから貰えるってだけ。悪いのかしら?」
「いやリリアリンダ・エーデルフェルトという女性に好意が湧いた。俺も同じ口だからな」
「こ、好意って!? ふ、ふん。別にアンタのために来たわけじゃないわよ」
「良く分からないけど話は終わったのか?」
全く興味なさそう、というより全く理解できなさそうに冥馬とリリアリンダのやり取りを眺めつつ、同時にアーチャーへの警戒を欠かしていなかったセイバーが言う。
白銀の騎士の白い外套が風にあおられて揺れる。成程、最優のセイバーの背中が前にあるというのはこれほどの安心感を齎すのか。冥馬はぼんやりとキャスターに言ったらヘソを曲げそうなことを考えた。
「ええ。遠坂……冥馬で良かったわよね。ここは共闘、ということにしておいてあげる。異論は?」
「三騎士のうち二人を同時に敵に回すなんて愚行をするとしたら、そいつは余程の馬鹿だろう。そして俺は自分が馬鹿じゃないよう心掛けているつもりだ」
「OK。共闘成立ね」
「――――いきなり横から出てきて盛り上がらないでくれる?」
不機嫌さを露わに狩麻がリリアリンダを睨みつける。だが狩麻には怒りだけではなく動揺の色もあった。
狩麻とて考えなしではない。七クラス中最優と称されるセイバーと真っ向から戦うことが、かなりのリスクを伴うことであると承知している。ましてやセイバーに、七クラスで最も支援向きの能力をもっているキャスターが加わるということが、どれほど恐ろしいことなのか理解できないほど狩麻は凡愚ではない。
本来であればにべもなく撤退すべき状況。けれど狩麻は自身のプライドと意地から、戦う前に逃げ出すという選択をとることが出来ない。
「エーデルフェルトだかなんだか知らないけど、私の邪魔をする奴は冥馬の前に叩き潰してあげる。アーチャー!」
「………………………………」
陽気さを振り撒いていたアーチャーらしくなく、真剣そのものの顔つきで頷くと周囲に無数の大砲が出現する。
キャスターが一方的にやられた大砲の砲先。それが向けられたセイバーは危機感のない、楽しみにしていた試合に挑むボクサーのような高揚した顔つきをしていた。
「で、マスター。話はどういうことになったんだ?」
「深く考えなくていいわ。今はキャスターが敵じゃないことと、目の前にいる敵を倒すことだけ頭に入れておきなさい」
「そりゃ分かり易い。―――――では、征こうか」
騎士の如き爽やかさと野獣の如き獰猛さを同衾させた笑みを浮かべると、清々しいほど真っ直ぐにアーチャーに向かっていった。
セイバーの接近と同時にアーチャーの大砲も火を噴く。
「ハッーーーー!」
迫りくる鋼鉄の弾丸にセイバーは自身の愛剣たる〝絶世の名剣〟を振り下ろした。
鋼鉄の砲弾は燦然たる名を伝承に刻み付けた聖剣により、まるで白雪のように両断される。だが中に火薬が詰まった砲弾を真っ二つにすればどうなるかなど分かりきった事だ。
「ぬ、おおっ!?」
余りにも抵抗なく両断されたせいで、まるで勢いの殺されなかった砲弾がセイバーに直撃して爆発する。続く第二第三の砲弾が次々にセイバーに命中していった。
「あははははは! 粋がって出てきたはいいけど、貴女のセイバーはおつむが足りなかったようねぇ。自爆だなんて情けない」
「それはどうかしら」
「なんですって?」
狩麻が嘲笑すれば、リリアリンダが余裕を醸し出す。二人のうら若き女魔術師は正反対な表情で睨めあった。
「等価交換って言うでしょ。セイバーの頭の中身が軽いってことは否定しないけど、頭の方が軽い分ね。戦うことに関して私のセイバーは飛び抜けているの」
「なっ!」
爆風が晴れる。
そこに立っているのは爆風を真正面から浴びて所々が焦げた白銀の騎士。けれどその両足はしっかり地面を踏みしめていて、顔には未だ剥き出しの闘争心。
無傷ではない。しっかりとダメージは受けている。それもキャスターなら先ず立てなくなる程のダメージを、だ。
だというのにセイバーは十分すぎる余力を残し立っている。
理性を失っていたルネスティーネのセイバー、オルランドのような宝具による守りではない。オルランド側に〝不死性〟の宝具を譲ったセイバーは伝承に記された〝不死性〟を持っていないのだ。
故にこれは宝具ではなく純粋にセイバーのタフネスさが齎した結果。
「これが大砲か。俺の時代にあった火縄銃なんてものとは比べ物にならないな。んじゃ今度はこっちのターンだ!」
「……! ふふふ。頑丈な体だね」
アーチャーがサーベルを振り落とすと、それが合図となって再び砲撃がセイバーを襲う。
しかしおつむが足りないなりに学習したセイバーは同じ過ちを二度とは繰り返さない。聖剣により切るのではなく、聖剣の腹で殴りつける。
セイバーの膂力で殴りつけられる度に砲弾が爆発し爆風が肌を焼く。だがそんなダメージなどお構いなしにセイバーはひたすら前身を続けた。
言ってみればただの猪突猛進。猪武者といえる愚直な特攻。
けれどどれほど策を練ろうと個人に大雪崩を止められる道理はない。キャスターを圧倒していたアーチャーはしかし、じりじりと少しずつ後退していっていた。
アーチャーが後ろに下がる速度よりセイバーの進軍する速度の方が早い。このままではいずれセイバーはアーチャーの前に到達するだろう。
そしてセイバーとアーチャーが至近距離で切り結んだ時の勝敗など、もはや考えるまでもない。
だがセイバーが英雄なように、アーチャーもまた英雄だった。
「マスター、撤退するよ」
「え、アーチャー! いきなり、なにを!」
なんだかんだでマスターを立てていたアーチャーが、マスターの意見も聞かずに狩麻を抱き抱える。すると最後に大砲の斉射をセイバーではなくリリアリンダに仕掛けた。
「うおっ! 不味い、マスター!」
快進撃を続いていたセイバーも、頭が悪いながら本能的に『マスターを守る』ことが一番大事だと理解している。
突進を止めてセイバーが全力でマスターのもとに戻るが、
「ふん」
セイバーが守りに入るよりも早く、キャスターが冥馬とリリアリンダの二人を抱えて砲弾の雨を回避した。
「助かった、キャスター」
「世辞は良い。どうせ俺が助けないでもセイバーは間に合ったさ」
「いやぁ。俺ばっかり狙っていたのに、いきなりマスターを狙って来たからひやっとしたぞ! ありがとうな!」
「あちらのサーヴァントはそんなことを言っているが?」
「知らん」
そっぽを向くキャスターだが本心からセイバーを鬱陶しく思っているわけではないだろう。
以前会った時はなんだかんだと貶していたが、気難しいキャスターにしてはセイバーに対して悪印象を抱いていないらしい。
「……鮮やかなものね」
敵の逃げて行った方向を眺めつつリリアリンダが呟く。それが誰に対して向けられたものなのか冥馬も分かっていた。
「同感だな。敵わないと悟れば何の躊躇もなく、しかもマスターの許しすら得ずに撤退を選ぶ。ただの戦争馬鹿に出来ることじゃない」
アーチャーはセイバーが敵として現れた瞬間から、自分の勝ち目が限りなく薄いことを理解していた。そして同時に自分のマスターが一戦も交えぬうちに撤退するなんてことを許さないであろうということも。
マスターのプライドのため既に晒した手の内以上のものを晒すことなく戦ってみせ、セイバーにダメージを与えつつセイバーの実力について推し量る。
更にセイバーが接近してきて、いよいよ本格的な戦いに発展しそうになった瞬間、マスターの説得という過程を省き撤退した。
狩麻とアーチャーを追い払ったという意味ではこちらが勝者なのかもしれない。しかしこうも鮮やかに逃げられては、真の勝利者が誰なのかは分かり切ったことだった。
「それじゃアーチャーにはしてやられた形になったわけだけど、邪魔者は追い払った事だしこっちの要件を言いましょうか」
「要件……」
少なくとも今のところリリアリンダの目にこちらへの敵対心は見受けられない。
そもそもリリアリンダが遠坂冥馬をここで殺す気であれば、アーチャーとの戦いを見て見ぬふりを決め込むだけで良かった。そうしていればリリアリンダは労せずしてライバル一組の脱落という成果を得られ、更に消耗したアーチャーと狩麻を襲い漁夫の利を得られた可能性も高かっただろう。
だがリリアリンダはそうしなかった。それどころかセイバーと共に戦いに割って入り、遠坂冥馬とキャスターの命を繋いだ。
勿論〝姉を倒した遠坂冥馬は自分の手で倒したかった〟という理由があるのだろうが、彼女ほどの魔術師が、それだけが理由で動くとも思えない。
(となれば一番可能性として高いのは)
白銀の聖騎士を傍に控えさせた紅い魔女は、可愛らしさの残る悪戯げな表情で、
「単刀直入に言うわ。手を組まない?」
「―――――――同盟、か」
驚きはしない。冥馬もリリアリンダがこの提案をしてくるのは予想していたことだった。
自分のマスターから発せられた同盟の二文字に対して、セイバーは特にリアクションをしていない。事前に知らされていたのか、それとも良く分かっていないのか。先のセイバーの言動を思えばどちらなのか判断に困るところだ。
対してキャスターは油断なくリリアリンダを観察している。だが冥馬と同じようにキャスターもこの提案は予想の範囲内のことだったらしく驚愕の色はなかった。
「そうよ。といっても恒久的なものじゃないわ。どっちにせよ賞品の『聖杯』が一つっきりで、願いを叶えられるのが一組だけなんだから最終的に争うのは目に見えているしね」
「同感だな。すると同盟の期限がいつまでかということで、こちらの反応も変わるが」
「ナチスドイツと帝国陸軍、二つの勢力を冬木市の地図から消し去るまで……なんて妥当じゃないかしら?」
「成程」
納得する。どうやらリリアリンダは自分と同じ考えを持っているようだ。
「ナチスと帝国陸軍、どっちもサーヴァントの他に〝軍隊〟という力を擁する勢力よ。私達も一度陸軍の奴等と挨拶代わりに軽く戦ってみたけど、あそこのマスターに相馬戎次って奴いるでしょう」
「あれは――――規格外だったな」
「まったくね。サーヴァント級の強さをもつマスターなんて常識外れもいい所だわ」
「常識外れなのは帝国陸軍だけじゃない。ナチスも、だ。連中ときたら、あろうことかサーヴァントとそこそこ戦えるサイボーグ兵士を擁している。さっき七人潰してきたが、あの分だとまだいないとも限らない」
「さ、サイボーグってあの!? 不味いわね。私もここまでとは思わなかったわ……」
リリアリンダが口元を抑えて冷や汗を流す。
冥馬も同じ思いだ。もし冥馬が逆の立場だったとしても今のリリアリンダと同じような反応をしたに違いない。
「けどだったら猶更よ。軍隊っていうプラスαと常識外れっていうプラスβがある以上、単独でナチスと帝国陸軍を叩くのは分が悪いってものじゃないわ。更に聖杯戦争でも枢軸国同士で同盟を結ぶなんてことがあったら最悪ね」
「だからこその同盟。ナチスと帝国陸軍以外のマスター同士で一時休戦、手を組むわけか。目下一番の邪魔者を消し去るために」
リリアリンダは満足げに頷いた。
はっきりいって願ったりの話である。冥馬もまたリリアリンダと同じ考えだ。ナチスを排除するにしても、帝国陸軍を潰すにしても自分達だけでは難しいものがある。
今回のナチス攻めも狩麻から共闘の誘いがあったからこそ乗ったのだ。もし狩麻からの提案がなければ、冥馬もどこかしらの勢力と手を組んでから襲撃をかけただろう。実際には狩麻はナチスと内通していて、冥馬を罠にかけたわけだったが。
「………………」
「どうしたの? 貴方にとっても良い提案だと思うんだけど」
「同盟の誘いは嬉しい。俺も出来れば今直ぐにでも打倒・ナチス及び帝国陸軍のため握手をしたいくらいだ。しかし〝私〟にも直ぐに返事をできない事情がある」
「気になるわね。私からの誘いを断る事情っていうのはなんなのかしら?」
「断るわけじゃない。ただ私とキャスターとで話し合わなければならないことが一つある。その話を終わらせないことには、聖杯戦争を続行することも出来ない。話が終われば直ぐにでも良い返事ができるはずだ」
リリアリンダの気の強い瞳がまじまじと腕組みをするキャスターを見つめる。
「話っていうのは今ここでは出来ないものなの?」
「他の誰もいない所で二人だけで話さなければならないことだ」
どうしてキャスターはマスターである自分にまで己の真名を偽ったのか。
どうしてキャスターは自分をアーサー王だと名乗ったのか。
どうしてアーサー王の触媒を使っておきながら、アーサー王ではない英霊が呼び出されたのか。
これらの事について先ずはっきりさせなければ、今後戦う上でしこりを残す。これからの為にも剣を鈍らせる可能性のある〝しこり〟は早々に取り除いておく必要がある。
「仕方ないわね。取り敢えず同盟についてはキャスターとの話が終わり次第、了承っていうことでいいのよね」
「そう受け取ってくれて構わない」
「そ。なら良いわ。明日、使い魔かなにかで私の屋敷に連絡を頂戴。それで場所を指定して、明日そこで落ち合いましょう。同盟するにしても、具体的にどうするかとか決めないといけないことは沢山あるし」
「分かった。ミス・エーデルフェルト」
「リリアでいいわ。これから同盟することになるんだから」
「分かったよ、リリア。では明日」
話は終わった。
リリアとセイバーに軽く別れを告げてから、冥馬は自分の拠点に――――遠坂の屋敷へ戻る。幸いというべきか、冥馬の留守中に誰かが屋敷に侵入した痕跡はなかった。
冥馬は家に戻り早速、キャスターに事の次第を確かめようとして、
「――――む」
無意識に両足がぐらついた。実体化したキャスターが、それを支える。
「冥馬」
「キャスター?」
「……俺はこれでもサーヴァントだし俺の真名が敵に露見した以上、もうマスターに隠し事をする理由はない。抱いた疑問には幾らでも答える用意はある。
しかしお前もそれなりに消耗しているだろう。今日は早めに休むといい。お前が寝ている間に俺も治癒魔術をかけているし、自分の城たる霊地で眠れば体の治りも一層速くなるだろう。話は明日の朝にでも出来る」
「…………そう、だな。ああ、そうしよう。話は明日、起きてからで」
情けないがキャスターの言う通り冥馬は魔力と体力をかなり消耗していた。
キャスターのことは気になったが、無理して今日中に話をしてダメージが尾を引いては本末転倒。忠告に従い休むことにした。
そして――――冥馬は三度目の、黄金の夢を経験する。