百五十年前。聖杯の奇跡のために極東の島国で手を結んだマキリ、遠坂、アインツベルン。だがこの世に降霊した聖杯がたった一人しか使えないことを知るや否や、聖杯の所有権を争い御三家は決別した。
二回目において外来の参加者向けに表向きのルールを作り、三回目において聖堂教会の監督役まで招き『聖杯戦争』のシステムが出来上がってからもそれは変わらない。
本拠地を欧州に置くアインツベルンは勿論のこと、同じ冬木に居を構える間桐と遠坂の間にも不可侵条約は結ばれている。
互いの居城に足を踏み入れるのを許される時、それはたった一つの聖杯の所有者を決める為に相争う聖杯戦争期間中のみ。
だから狩麻は遠坂冥馬の幼馴染ではあっても、冥馬の家に足を踏み入れたことは一度もなかった。それは冥馬も同じで、家の近くに来ることはあっても屋敷に〝入った〟ことは一度もない。
そんないつも遠くから眺めるだけだった遠坂の領土に、間桐狩麻は初めて足を踏み入れた。
「へぇ。ここが遠坂の領地。セカンドオーナーなんていう割に間桐の御屋敷より小さいじゃない」
退屈げに狩麻が呟く。
もしも遠坂を上回るのが狩麻自身によるものなら得意気に笑えたのだが、屋敷が遠坂のそれより大きいのは狩麻ではなく臓硯の手管故である。狩麻は自分を誇ることはあれど、自分の家を誇るつもりは欠片もない。だから間桐が遠坂を上回っているという事実を発見しても、狩麻の反応は淡泊なものだった。
「マスター、余り一人で前へ出過ぎないように。ムッシュ・トオサカのことだ。自分の城を無防備にするはずがないんだからね」
「貴方に一々忠告されなくても分かってるわよ。私はね、自分が分かってることを偉そうに言われるのが嫌いなの。黙っていなさい」
アーチャーに言われるまでもない。
狩麻が間桐の敷地に迎撃用の罠を張り巡らせているように、冥馬も自分の屋敷に罠を張り巡らせているはずだ。
さぁさぁと狩麻の周囲に蟲たちが滞空する。冥馬の早業といえる魔術すら防ぎきった防御用の蟲がいれば大抵の魔術は弾き返せるだろう。
(この蟲じゃ炎や風はまだしも、呪詛の類は防げないけど……冥馬はそういう系統は得意分野じゃないし、その分野に限れば私の方が上。どのみち恐れるようなものじゃない)
それにいざとなればアーチャーの宝具を使えばいい。
多少リスクを伴うが、アーチャーの宝具なら屋敷に張り巡らせられた罠ごと遠坂邸を消し飛ばすことも出来るだろう。
狩麻はアーチャーを連れて遠坂の敷地を進む。途中、戦闘の痕跡らしきものを何度か見つけた。大方以前に侵入したルネスティーネ達との戦いによるものだろう。有利な場所での戦いだったとはいえ、エーデルフェルトの片割れとセイバーを撃破するとは流石は冥馬といったところか。
無傷のまま狩麻はどんどん屋敷に近付いて行った。何度か仕掛けられた罠が狩麻を襲ったが、それらの悉くが狩麻の蟲による防御とアーチャーにより防がれていた。
そして狩麻とアーチャーの二人が遠坂邸の前に立つ。
「冥馬っ!」
屋敷の前に立った狩麻は、この家の主に聞こえるよう声を張り上げた。
「昨日の決着をつけにきてあげたわ。屋敷ごと消し飛ばされたくなければ大人しく出てくることねぇ。まさか気付いていないなんてことはないんでしょう?」
魔術を使い自分の声音を拡大させるが、屋敷は眠っているように静かなままだ。どれだけ待っても冥馬が出てくる気配はない。
沈黙が一分続いて遂に狩麻が痺れを切らした。
「……がっかりね。怖気ついたわけ? もういいわ。出てこないならこの屋敷を冥馬の棺桶にしてあげる。アーチャー! 宝具を使ってこの家消し飛ばしなさいっ!」
「待った。どうも様子がおかしい。この家に張られてる結界のせいで感覚が上手く作用しないんだけど……単に黙っているだけにしては人の気配がなさ過ぎる。ムッシュ・トオサカは返事をしないでいるんじゃなくて、屋敷を留守にしているんじゃないかな?」
「留守? ………獲物でも探して巡回にでも出てるってわけぇ? 間の悪い男。だから冥馬って気に入らないのよ」
「いや、そうかな」
形の良い顎に手を当てながら、アーチャーがらしくなく深刻な顔をした。
「冥馬が出払ってる理由に心当たりでもあるの?」
「僕は愛と芸術に生きるプリンスだから魔術は門外漢なんだけど、魔術師っていうのは自分の目的遂行のためにはとことん合理的になる群体なんだろう?」
「それが……なに?」
「果たして魔術師のマドモアゼル・エーデルフェルトが敵のはずのムッシュ・トオサカを助けた。それにはきっと理由があるんじゃないかな。例えば〝遠坂冥馬〟と同盟を組むつもりだったとか」
「同盟!?」
有り得ない話と切り捨てることはできなかった。
アーチャーがこと戦争に関しては天才的な人物であることもそうだし、狩麻の理性的な部分が「その可能性は有り得る」と判断していたこともある。
「ナチスと帝国陸軍を警戒しているのはマスターたち御三家だけじゃない。ナチスと帝国陸軍以外の外来の参加者も、いや寧ろ確固たる拠点が冬木にない外来の参加者だからこそ……ナチスと帝国陸軍を脅威に感じるんじゃないのかな」
「――――っ!」
だとすれば冥馬がいないのは敵マスターを探しに赴いたのではなく、リリアリンダ・エーデルフェルトと合流するために屋敷を出たというのか。
ぐつぐつと煮えたぎる様な激情が狩麻の心中を渦巻く。少しの衝撃を与えれば噴火しそうな感情の溶岩。それを狩麻はどうにか抑え込む。
やり場のない怒りをぶつけるのはここではない。
冥馬を倒すことを優先してリリアリンダ・エーデルフェルトを放置したのが間違いだった。
聖杯戦争が始まってから、初めて間桐狩麻の中での優先事項の順番が入れ替わる。
先ずはなんとしてもリリアリンダ・エーデルフェルトを見つけ出して始末する。冥馬を殺すのはその後だ。
「エーデルフェルトの……妹がいる屋敷は冬木大橋を超えた向こう側だったわね……」
「うん。マスターが探っていた情報によるとそうらしいね」
「直ぐにそこへ――――」
向かう、と言い切ることは出来なかった。
物凄い轟音と共に屋敷の門が弾き飛ばされ宙を舞う。狩麻は考えるよりも先に反射的に身構えた。帯同していた蟲たちも狩麻を守るように全面に押し出る。
屋敷の主――――冥馬が帰還してきたのであれば、門を弾き飛ばす必要性などない。だとすればこれは狩麻と同じように冥馬を倒しに来た第三者によるものだ。
破壊した門を潜って姿を現したのは黒衣のサムライと白い着物の女。
「でっけぇ屋敷だ。イギリスかぶれなのがちと気に入らん。だがうちの本家と同じくれぇデケェ屋敷だ。あと……お前ぇら誰だ?」
「戎次、写真で見たのに忘れたのかい? あそこにいる着物の彼女は間桐狩麻。遠坂に並ぶ御三家、間桐の若き女当主様だよ。隣の奴は気配からしてそのサーヴァントってところでしょう。
チンチクリンな恰好してるけど、なんだかどっかで会った事のあるような色男だよ。まぁ覚えはあっても覚えてはいないんだけどさ」
やって来たのは最悪の連中だった。
相馬戎次。帝国陸軍が投入してきた最強の刺客。人の身でありながらサーヴァントと拮抗する実力をもつ規格外。その隣に立つのは正体不明のライダーのサーヴァント。
黒衣のサムライと白い着物の女は狩麻とアーチャーを観察するように見つめる。
「……木嶋少佐は遠坂へ行って首級ぃあげろって言ってたな。なのに遠坂ン所になんで他の奴がいるんだ?」
「さぁ。でも関係ないんじゃないの? 戎次の上官様が言ったのは『遠坂の屋敷へ行って敵の首級をあげてこい』だったろう。あげる首級が誰なのかは指定してないよ」
「それもそっか」
相馬戎次が腰に刺さった鞘から禍々しい妖刀を抜く。
魔術師が己の魔術の成果で生み出す魔術礼装とは、内包する神秘の濃度が違う。魔術師の魔術とは存在の密度が違う。数少ない現存する宝具。あの妖刀の正体はそれだ。
狩麻は顔を歪めて叫ぶ。
「ふざけないで! 私はアンタみたいな原始人の相手をしてる暇なんてないのよ!!」
冥馬の両腕を食い破ったとっておきの切り札。碎弾蟲が弾丸もかくやという速度で背後より戎次に迫る。
碎弾蟲は従来の蟲とは段違いの速度で音もなく接近して襲い掛かる、完全戦闘用に調整された蟲。しかもその牙は象の腹を食い破るほど獰猛なもの。人間の肉など碎弾蟲にとっては紙のようなもの。
それが真っ直ぐに相馬戎次の脳天に飛んでいき、
「なんだこりゃ?」
冥馬の魔術の発動を超える早業だった。
風のように疾い斬撃。それが一太刀で碎弾蟲たちを切り捨てたのだ。
どれほど時間をかけて培養した蟲といえど宝具級の妖刀に斬られれば一溜まりもない。碎弾蟲はただの一振りで絶命していた。
「ちょっと見た事ないけど蟲じゃない? 間桐は蟲使いの一族だって資料にのってたんだし」
「おう。そうか」
「はぁ。アンタも同じ資料見たんだからもっと覚えておきなよ。私はアンタの知恵袋じゃないんだよ」
「そん、な」
自分の切り札だった蟲が、まるで歯が立っていない。
無理だ。相馬戎次は本物の怪物。人間が敵うような相手ではない。着飾ったプライドを忘れ、狩麻は震える足で後ろに下がっていく。
「次から気を付ける。ンだが先ずは」
だが戎次の目が向けられた時、狩麻の足は凍り付いた。
消えかかった矜持を引っ張り上げて、どうにか構える。
相馬戎次の瞳には狩麻への敵意はない。悪意もない。あるのは純粋なる殺意だけ。日本刀のように鋭利な殺意に総毛立った。
来るか、と頭で思った時には既に敵は踏み込んでいた。明らかに人間離れした速さで接近すると、禍々しい妖刀が狩麻の首級へと振られた。
狩麻の反射神経を超える速度で、蟲達が狩麻を守るために妖刀に立ち塞がる。しかし灼熱と烈風を弾く蟲の壁も魔を断つ刀には通用しない。
自分の敗北を直感し目を瞑り、
「おやおや。プリンスにしてナイトたる僕を無視してマスターに向かうなんて手が速いよ。……相馬戎次くん?」
鳴き声のような鉄の音が嘶いた。
アーチャーのサーベルが正面から戎次の刀を受け止めている。二つの鉄がぎちぎちと鍔迫り合い、赤い舞踏服の貴公子と黒衣のサムライは性質の異なる殺意をぶつけあう。
「――――――!」
一合、二合、三合、四合、五合。出自の異なる刃がぶつかり合った。
アーチャーと相馬戎次。アーチャーも強いがこと剣士としての実力ならば戎次が上。しかしアーチャーは剣士ではなくあくまでも弓兵。その真骨頂は強力無比な飛び道具にこそある。
戎次と打ち合いながらアーチャーは背後に大砲を出現させた。
「大砲……!? 厄介なもんが出たな」
セイバーと違い肉体の強度は人間でしかない戎次は、大砲相手に真っ向から突進するなんて無謀をすることはなかった。大砲が出現した瞬間、踏み込んだ速度と同じ速度で後退する。
「ファイヤ!」
アーチャーの言葉と共に放たれる砲弾。人間を十人は軽く消し飛ばす砲弾は正確に戎次目掛けて飛ぶ。
「アンタが炎なら、こっちは氷だよ」
だが砲弾が戎次に到達する前にライダーの冷気が砲弾を凍てつかせた。
中の火薬まで凍結した砲弾は爆発することなく、重力に引かれて地面に落ちる。そしてそのまま役目を果たすことなく凍り付いた砲弾は、そのまま消滅してしまった。
「助かった。ライダー」
「サーヴァントとしてやることやっただけだよ。まぁアンタはサーヴァントのすることをやるマスターなんだけどさ」
マスターでありながら前面に立つ戎次と、サーヴァントでありながら後衛で戦うライダー。
本来の主従での役割があべこべだが、二人の間には確かな信頼関係が垣間見えた。
「……しゃあねえ。ライダー、アレを使うぞ」
「いいのかい?」
「首級あげろって言われたからな。あっちが大砲なら、こっちもアレが必要だ」
「仰せのままに、ご主人様」
「来るよ、マスター。気を付けて」
アーチャーが警告を発した。相馬戎次がライダーになにを命じたのか。マスターである狩麻には分かった。あれは宝具を解放する兆しである。そうと分かりながら、狩麻は押しつぶされるプレッシャーでなにも出来ずにいた。
「我が身は白銀の空に、我が心は白き雪原に……」
ライダーの纏っている空気が入れ替わる。体は世界へ己を浸透させる媒介として、唯一つの〝奇跡〟を行うための道具となった。
サーヴァントとしての切り札であり英霊としてのシンボル。それが解放されようとしているのだ。
背筋どころか内臓まで凍りつくような悪寒がする。早くこの場から逃げろと心臓が五月蠅いほどに鳴った。
しかし相馬戎次とライダーの目が『絶対に逃がさない/ここで倒す』と告げていた。
「…………マスター」
普段の気楽さや陽気さは消え失せ、静かにアーチャーが狩麻を庇うように前へ出た。
比喩ではなく周囲の気温が低下していく。冬の寒さがより冷たい極寒に塗り替えられていった。
気温だけではない。世界そのものが、ライダーという英霊の色に塗り潰されていっているのだ。
「――――冬将軍・雪原白牙(ジェネラル・フォレスト)」
現れるは常冬の大雪原。あらゆる征服者の野心を凍てつかせ、絶望させた護国の化身。
アーチャーの目が百年来の仇敵を見つけたかのように見開かれた。
【元ネタ】自然現象
【CLASS】ライダー
【マスター】相馬戎次
【真名】冬将軍
【性別】女
【身長・体重】170cm・50kg
【属性】中立・中庸
【ステータス】筋力D 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具B
【クラス別スキル】
対魔力:B
魔術発動における詠唱が三節以下のものを無効化する。
大魔術、儀礼呪法等を以ってしても、傷つけるのは難しい。
季節の乗り手:A+
自然現象の擬人化、その具現たるライダーのもつ特殊技能。風や大気に〝乗る〟ことができる。
また英霊でありながら自然霊にも近しい存在であるため、大気の魔力を自分のものとして吸収することが可能。
【固有スキル】
ナチュラル・ファンタズム:A
自然現象を具現化させる。ライダーの場合は冬に因んだ凍結・冷気・雪などを具現化する。
最上位の吸血種が行うという空想具現化に近い能力。魔術とは異なるスキルのため対魔力で無効化できない。
対英雄(征服者):B
英雄を相手にした際、そのパラメーターをダウンさせる。
ランクBの場合、相手のパラメーターをすべて2ランク下のものに変換する。
征服者としての側面の薄い英雄には効果が薄く1ランクダウンとなる。護国者としての側面が強い英雄に対してはランクダウンはなく、ランクC程度のカリスマ性として作用する。
【宝具】
『冬将軍・雪原白牙』
ランク:B
種別:対軍宝具
レンジ:1~99
最大捕捉:1000人
ライダーがサーヴァントとして発動する固有結界。大雪の降りしきる常冬の大雪原を展開する。
自然現象の具現であるライダーそのものともいえる宝具であり、元々が精霊種に近いために世界の修正を受けず長時間の発動が可能。
取り込まれたライダーとその味方以外のパラメーターを1ランク低下させ生命力・体力・魔力を奪っていき、カリスマ・軍略・皇帝特権などの王権・支配者・指揮官としてのスキルを無効化する。
スキル〝ナチュラル・ファンタズム〟の力を増大させる効果もある。
余談だが彼女が「白い着物を着た妙齢の美女」の姿をしているのは、明確な形をもたないが故に日本に根付いている雪女の伝承の殻を被って召喚されたため。ロシアで召喚された場合、ライダーは白髭の老将の姿になるという。