マキリは落ち目の一族だった。
大聖杯の起動に立ち会った賢者の一人にして、マキリの支配者であり続ける老人。間桐臓硯、その真の名をマキリ・ゾォルケン。彼という傑物を生んだ後、マキリは衰退の一途を辿って来た。
きっとマキリという一族はマキリ・ゾォルケンを生み出したその時に、成長という山を登り切り山頂に辿り着いてしまっていたのだろう。頂上に着いたのであれば後は下り続けるだけだ。
二百年ほど昔、マキリという名を間桐という家名に隠し冬木の地に移り住んだことが止めとなった。冬木の土地は間桐とは相性が悪く、元々落ち目の家系は完全に没落の未来を決定付けられたのだ。
そんな間桐の家に狩麻は生まれた。凋落するばかりだった一族に奇跡的に生まれた才能ある子として。狩麻は生まれたその瞬間より、間桐の翁の期待を一身に背負っていた。
久方ぶりに後継者に恵まれた老人の喜びようは饒舌に尽くしがたい。自分の後継者を見出した翁は、まだ狩麻が幼い頃より厳しい修練を娘に課した。
間桐の魔術の属性は水であり、その業は蟲である。間桐に生まれた女は生きながらに蟲の苗床となり、胎盤として扱われるのが常だ。用済みとなれば捨てられ、その血肉を蟲の餌とされる。
その例を思えば、マキリにあって狩麻は破格の扱いを受けてきたといっていいだろう。
決して死なぬよう修練には細心の注意を払われ、女としての体を穢しつつも、天寿を全うできるように育てられてきた。それは間桐臓硯という妖怪にとっての温情だったのかもしれない。だが僅かな温情があろうと拷問が拷問でなくなるということはない。
蟲に体を犯され続けた狩麻は心身ともに限界だった。
幼少期の狩麻は蟲蔵というおぞましい記憶に蓋をして、常に心を閉ざして膝を抱えて蹲っているだけの子供だった。そんな狩麻に友人など出来る筈もなく、狩麻に話しかけてくる者といえば間桐家の支配者たる間桐臓硯か、出来損ないの兄の霧斗くらいだった。
だがもしも『魔術師』は皆がそんな境遇なのだろうと思うことができれば、まだ耐えられたかもしれない。自分は魔術師という特別な存在で、だから一般人と話す必要はないのだと思い込むことが出来たろう。
しかし同じ魔術師でも、あの男はそうではなかった。
遠坂冥馬。一族の期待を背負うほどの才能をもって生まれた魔術師であり、聖杯戦争のシステムを作り上げた始まりの御三家の後継者であり、同い年で、家も比較的近くにあった。
言うなれば間桐狩麻と最も近い存在。だというのに遠坂冥馬と間桐狩麻はなにもかもが違っていた。
自分は家にいる時は地下の蟲蔵で犯され、外では一人ぼっちだというのに。冥馬はいつも優雅で皆の輪の中心だった。狩麻の傍には誰一人いないのに、冥馬の傍にはいつも沢山の人がいた。
厳しくも優しい父、沢山の友人たち。その全てが間桐狩麻がどれだけ欲しくても手に入れられなかったもの、持っていないものだった。
こんなものは理不尽だろう。自分と同じ境遇の遠坂冥馬はあんなにも沢山のものを持っているのに、自分は何一つとして欲しいものを持っていないのか。
妬ましい。羨ましい。
これまで自分一人が特別だから抱かなかった嫉妬という魔物。それが遠坂冥馬という同じ人間を知って初めて牙をむく。
間桐狩麻が変わり始めたのはその時からだ。
遠坂冥馬という男を初めて見た瞬間、間桐狩麻は遠坂冥馬を自分の下に跪かせてやると決めたのだ。
なにもかもで遠坂冥馬の上をいき、今度は遠坂冥馬に自分の抱いた感情を味わわせる。それが間桐狩麻にとっての遠坂冥馬への復讐。
それからは嫌々していた魔術の修練に積極的に取り込むようにした。
遠坂冥馬の上をいくのであれば、魔術師としても遠坂冥馬より優れなければならない。
幸いというべきか恰好の舞台はあった。これより十数年後に開催されるであろう第三回聖杯戦争。
恐らく聖杯戦争に冥馬はマスターとして参加するだろう。ならば自分もマスターとして参加して冥馬を倒せば、間桐狩麻が遠坂冥馬を上回ったというなによりもの証明となる。
そうやって遠坂冥馬を跪かせることばかり考えていたら、自然と冥馬と話す機会も増えて行っていた。
「そんなに使い魔を自分の手足のように動かすなんて凄いじゃないか。マキリの魔術属性は水だったか。戒めに強制、それに吸収。
俺はその手の魔術は得意じゃないから、なにかコツとかあれば教えてくれないか?」
「……馬鹿じゃないの。間桐と遠坂は不干渉だってこと忘れたの?」
「忘れてなんかないさ。だからこうやって会うことはあっても間桐の敷地に踏み込んだことは一度だってないだろう」
「だったらこうやって話しかけているのはなに?」
「いや魔術について話が出来るのは、父上を除けばお前くらいだからな。ついつい話しかけてしまうんだ。心配しなくても一線は守るさ。
遠坂がマキリの業を盗む事を警戒しているなら心配しなくていい。俺も大切な友人を敵に回したくない。ただ少し使い魔の使役についてコツを教えて欲しいだけなんだ。魔術の原則は等価交換、こちらも対価は出す」
「―――――――」
自分が冥馬より上だったことを発見した以上に、あの遠坂冥馬が自分に頼みごとをしてくるという優越感は何にも変え難かった。
それを皮切りに魔術関連のことで話し合うようになり、時計塔に留学した時は共同研究などもするようになった。
けれど冥馬と並び立つ魔術師となる代償に、女としてはどんどん穢れていった。
恨みは積もる。妬みは尽きない。
遠坂冥馬を跪かせる、それだけのために自分はあらゆるものを犠牲にしてきた。
だからこんな所で負けるなんてあってはならないのだ。こんな所で終わってはきっと遠坂冥馬は間桐狩麻を置き去りにしていってしまう。
遠坂冥馬にとって間桐狩麻が置き去りにした過去に成り下がるなど――――それだけは嫌だ。例え死ぬのだとしても、遠坂冥馬にとって間桐狩麻が忘れ得ぬ名前にならなければ死んでも死にきれない。
「ぐっ……ぅ……」
視界が広がる。
飛び込んできたのは真っ白な空、肌が感じたのは身を凍らす冷たさと僅かな温かみ。
「目が覚めたようでなによりだ、マスター」
〝彼〟が顔を綻ばせた。狩麻は手を伸ばし、
「冥、馬?」
「すまないが俺は君の望む遠坂冥馬じゃない。君のサーヴァントのアーチャーだ」
瞬間、頭がはっきりしてくる。
自分はライダーの固有結界に取り込まれ、戦闘の余波で意識を失ったのだった。頭がズキズキする。全身にはまだ鈍い痛みが残っていた。
しかも景色が大雪原ということはライダーの固有結界はまだ解けていない。
痛みを堪えてライダーはよろよろと立ちあがった。
「私は、どれくらい眠っていたの……?」
「大体五分くらいだ。幸いこの固有結界は広くて視界も悪い。隠れる所には事欠かなかった」
五分間。それを長いと取るか短いと取るかは人によるだろう。しかし狩麻は長いと取った。
魔力がごっそりと無くなっている。ライダーの固有結界は眠ったくらいで逃れられるほど甘いものではない。狩麻が眠っている間にも『冬将軍』は魔力と体力を奪っていっていた。
「こんな所で、もたついてる事なんて出来ないのに……絶体絶命じゃないの……」
この固有結界内では時間が経てば経つほどに魔力を奪われ不利になっていく。ライダーを攻略するには短期決戦を挑むのがシンプルにして最良の方法だったのだ。
言い表せぬ絶望感が狩麻を包む。この状況での五分間のロスは途轍もなく大きな痛手だ。
「〝逆境〟はチャンスでもある。諦めたらそれまでだぞ」
「分かってるわよ……分かってる……」
ここで負ければ遠坂冥馬を跪かせるどころではない。冥馬を倒すこともできず、この雪原で一人死ぬことになる。
けれどそんな現実に抗うだけの気力も狩麻からは失われていた。
敵がライダーだけならばまだ良かった。アーチャーの宝具で固有結界を吹き飛ばせたかもしれない。しかし敵にはマスターでありながら三騎士並みの白兵戦闘能力をもつ相馬戎次がいるのだ。
極寒はそれ単体ではそこまで絶望的なものではない。アーチャーほどの英雄であれば幾らでも突破できるだろう。
だというのに多くの英雄が極寒により敗れ去ったのは、極寒の中に寒さに強い敵軍がいたからだ。
「私は……冥馬を、跪かせてやらないと……あいつに私の気持ちを味わわせてやらないと、いけないのに」
「―――――マスター、それは本当にマスターの本意なのか?」
「なにを今更。私はそれだけが目的で聖杯戦争に参加したのよ。他に目的なんてありはしないわ」
「人の心ほど理解し難いものはない。それは自分のものも同じだ。だから自分の気持ちを完全に理解しろなんて言うつもりはないが、どうせなら自分が命を懸けて戦っている本当の動機くらいは知っておくべきだ」
「アーチャー?」
「俺もそうだった。僕から俺になり俺から余となり……世界なんて巨大な敵に挑むことに夢中になって、最初に命を懸けた切欠の理由なんて、あの島に送られるまで忘れていた」
最初の理由なんて考えるまでもないことだ。……ない、はずだ。
自分と同じはずなのに、自分の持っていないものを全て持っていた遠坂冥馬が許せなかったから、遠坂冥馬を自分の下に跪かせてやりたいと思った。
本当に、それだけのはずだ。他に理由なんてありはしない。
――――そうなのだろうか?
体力も魔力も奪われ、死という泥沼に命が引きずられているからだろうか。走馬灯のように狩麻の脳裏にこれまでの記憶がフラッシュバックする。
冥馬を倒すためにナチスを利用した。
彼の英雄の聖遺物を手に入れ、最高峰の英霊をサーヴァントとして手繰り寄せた。
時計塔では分野は違えど冥馬と魔術の腕を競い合い、偶に共同でなにかすることもあった。
時計塔に留学する前は他に話す相手もいなかったから、冥馬と話すことが多かった。冥馬に誘われて遊んだこともある。
違う……これは冥馬と出会ってからの事だ。
間桐狩麻が遠坂冥馬に執着した、その最初の理由は。
「野球をするのに一人足りないんだ。もし良ければ混ざってくれないか?」
ずっと一人ぼっちだった。誰にも話しかけられず、暗い蟲蔵で魔術の鍛練をするだけの日々。
そんな暗闇にいた自分に手を差し伸べてきた人が一人だけいた。それは手を差し伸べた方にとっては何気ない日常の一風景だったけれど、間桐狩麻にはなによりもの救いだったのだ。
「ああ……そうだったんだ」
自覚すればすっと素直な感情が広がる。なにも難しいことなどではなかったのだ。
間桐狩麻は遠坂冥馬が好きだった。
魔術の腕を磨いたのも、冥馬に自分の魔術を褒めて貰えたから。冥馬にもっと褒められたくて、冥馬の隣りに並べるような女になりたくて、間桐狩麻は魔術の鍛練をし続けたのではなかったか。
狂おしい愛が憎悪に反転したのはいつのことか。
愛しい人に相応しい女となるために女を汚す。その矛盾した行動の果てに、最初に抱いた淡い恋心すら忘れ去ってしまった。
真実はこんなにも簡単だったというのに、遠回りをし続けていたのだ。
「――――心は、知れたか?」
これまで聞いた事のない労わるような声だった。
アーチャーは現代で調達したものではなく、英雄としての自らの正装を纏っていた。
獅子のような気高さと竜のような気品を備えた赤い外套、外套の中に着込むは黒地の軍服、頭に被るは二角帽。
アーチャーが現代で纏っていた真紅の舞踏服は狩麻にかけられていた。少しでも寒さを和らげるためにアーチャーが被せてくれたのだろう。
「……ええ。やっと」
コクリと頷いた。するとアーチャーは心底嬉しそうに、
「そうか。なら良かった」
全身は未だに凍りつくように寒い。だが心には少しだけ温かさが灯っている。
接近する敵の気配。とうとうこちらを見つけたのだろう。慎重な足取りで二つの影が近付いてくる。
「ようやっといたぞ。ライダー、お前のコレ。もっと見やすくならねえのか?」
「視界を良くするために吹雪を収めたら本末転倒じゃないか。これが精一杯だよ」
相馬戎次とライダー、二人を目にするとさっき得たばかりの温かさまで消えそうになる。
しかし狩麻が震えるよりも先に、アーチャーの全身に魔力が漲った。空気を凍りつかせる冷気が、灼熱の魔力に焼かれ息を潜める。
アーチャーの纏う気配を敵も感じたのか戎次とライダーが身構えた。
「戎次、下がってた方がいい。アーチャーの奴……デカいのを出す気だ」
前を見据えたまま、アーチャーが「マスター」と狩麻に声を掛ける。
狩麻の返事はとっくに決まっていた。
「やりなさい、アーチャー」
こんな所で死ぬことはできない。やっと……やっと自分の気持ちに気付くことができたのだから。
「ウィー、モン・メートル」
大雪原と吹雪に真っ白に染まる空を吹き飛ばすかのように、数えきれないほど膨大な大砲が召喚されていく。
十、二十、三十……数が六十を超えたところで狩麻は綺羅星の如きものを数える愚かさを知る。
空を埋め尽くさんばかりの砲口が向けられるのは嘗てアーチャーの敗北した冬の化身。
「我が栄光の到達点を再び見よう。三帝織りなす戦場へ降り注ぎし祝福の光をここに」
人口の増加、科学技術の発達により、単身で世界を相手取れる英雄は、過去の遺物として世界から一人また一人と姿を消していった。
そんな時代に生まれ、己の才能を武器にたった一人で世界に挑戦した男がいる。あらゆる逆境に負けず、乗り越えた偉大なる男がいる。
現代秩序の生みの親にして、近代最大級の英雄。その英雄の名は、
「勝利よ輝け、轟き咲く覇砲の大輪(ソレイユ・ド・アウステルリッツ)」
――――ナポレオン・ボナパルト。
あらゆる逆境を跳ね除けてきた英雄の象徴であるこの砲火は、状況が絶望的であればあるほどに破壊力を増す逆転の一撃である。
狩麻とアーチャーの置かれていた状況は絶体絶命。故にこの砲撃はあらゆる城壁を消滅させる太陽の輝きとなる。
炎が吹き荒れる。地面が抉り取られる。目を開けることすら出来ない一斉砲撃が冬の世界そのものを消し飛ばしていく。
そして世界が一人の英雄に敗北した。
【元ネタ】史実
【CLASS】アーチャー
【マスター】間桐狩麻
【真名】ナポレオン・ボナパルト
【性別】男
【身長・体重】172cm・60㎏
【属性】秩序・善
【ステータス】筋力B 耐久C 敏捷B 魔力A 幸運B 宝具A++
【クラス別スキル】
対魔力:D
一工程(シングルアクション)による魔術行使を無効化する。
魔力避けのアミュレット程度の対魔力。
単独行動:B
マスターからの魔力供給を断ってもしばらくは自立できる能力。
ランクBならば、マスターを失っても二日間現界可能。
【固有スキル】
皇帝特権:B+
本来もち得ないスキルも素養が高いものであれば、本人が主張することで短期間だけ高いレベルで獲得できる。
該当するスキルは騎乗、剣術、気配感知、陣地作成、算術、占術など。
カリスマ:B
軍団を指揮する天性の才能。団体戦闘において自軍の能力を向上させる。
カリスマは稀有な才能で、一国の王としてはBランクで十分と言える。
軍略:A+
一対一の戦闘ではなく、戦争における戦術的・戦略的直感力。
自らの宝具の行使や、逆に相手の宝具に対処する場合に有利な補正が与えられる。
星の開拓者:EX
人類史においてターニングポイントになった英雄に与えられる特殊スキル。
あらゆる難航、難行が“不可能なまま”“実現可能な出来事”になる。
【宝具】
『轟き咲く覇砲の大輪』
ランク:A+
種別:対軍宝具
レンジ:1~100
最大捕捉:200
類稀な才気によりヨーロッパを圧巻したアーチャーの英雄性の具現としての宝具。
召喚・展開したグリボーバル砲による正確無比な集中砲火は、古今無双の精鋭ですら消し飛ばす。
敵の戦力に自身の戦力を引いた分だけ破壊力を増す特性をもっており、その性質上、追い詰められれば追い詰められるほどの破壊力を増大していく。正に〝逆転の一撃〟である。
【Weapon】
『シークレットシューズ』
自分の身長が低いことを気にするアーチャーが履いている靴。
靴底の踵部分が厚くなっているので、自分の身長を大きく見せることができる。